気ままに

大船での気ままな生活日誌

武士の一分 ジーンときたでがんす

2007-01-10 16:52:36 | Weblog
昨年暮れに、今話題の、山田洋次監督の「武士の一分」をみてきました。ラストシーンは泣かせてくれました。ジーンときたでがんす。

年末の由紀さおりディナーショーで同じテーブルに居合わせた、北鎌倉のご夫婦から、この映画に関するこんな情報を得ていました。お彼岸のお参りのロケが北鎌倉の浄智寺で行われているのを偶然みかけ、参道に、たくさんの本物ではない、造花の彼岸花が咲いていたというのです。すでに映画も観ておられ、本物の彼岸花のようにみえました、と話していました。これの確認も今回の楽しみのひとつでした。

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お毒味役の下級武士、木村拓哉とその妻、檀れいは、貧乏生活ではあったが幸せに暮らしていた。しかし、ある日、貝毒にあたり、失明してしまい、これまでの暮らしは一変する。これからの生活の不安で拓也の気持ちはすさぶ。夫のことを心配し、藁をもすがる気持ちで、娘時代の知り合いである上司、坂東三津五郎に城勤めが続けられるように依頼する。ところが、これがろくでもない男だった。わかった、まかしておけ、その代わりと、壇のからだを奪う。でも、城勤めは続けられ、これも、三津五郎のおかげだと思い、壇はじっと我慢する。これを知った拓也は、「武士の一分」で妻を離縁する。

ところが、城勤めができたのは、三津五郎のおかげではなく、藩主の暖かい一言であったことを知る。拓也の怒りは心頭に達する。「武士の一分」で切らねばならぬ、切らねばならぬのだ、と果たし状をつきつける。そして、果たし合い。(ここの立ち回りが、みせどころです)目がみえない拓也に対し、卑怯な手を使って迫る、三津五郎。小屋の屋根から飛び降り、斬りつける。一瞬の空気を心眼で察知した拓也の剣がひるがえる。・・・・三津五郎が倒れる。拓也は勝った。とどめは刺さない、これでいいと下男とその場を立ち去る。・・・三津五郎は周囲に理由を明かさず、その晩、彼の「武士の一分」で自害する。

そして、時がたって、ある日、下男が、飯炊き女を雇っていいかと、拓也に尋ねる。その夕方、その女が用意した食事を食べ終えた拓也。その女をここへ呼べと下男に。台所から女が現れる。そっと手をさしのべる拓也。・・・お前の料理の味を忘れるはずがないではないか、と優しく語りかける。・・・戻ってきてくれ・・・。壇、うれし涙で・・・でがんす、・・・でがんす、と言葉にならない。(感動のラストシーン、あちこちからすすり泣き)

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はじめにご紹介した、浄智寺のシーンはありましたよ。壇がお彼岸のお墓参りに行き、参道でお坊さんと話しをしているシーンでした。本当に、彼岸花は本物みたいでしたよ。私はこのシーンを別の観点で面白いと思っていました。以前にも書きましたが、山田監督は小津安二郎監督を大変尊敬しています。小津監督への思いを、隠し絵のように、このシーンに潜り込ませいるのではないかと思ったのです。まず、小津監督は、晩年の11年間、この浄智寺のすぐ裏にお母さんとご一緒に住んでおられました。次に、小津監督の最初のカラー作品の映画は「彼岸花」でした。このシーンでは、真っ赤な彼岸花が目立っていました。小津監督は赤い色が大好きで、女優さんに赤いセーターを着せたり、赤いやかんを小道具に使ったりしています。

小津監督といえば、紀子三部作ですね。原節子がどの作品も紀子役で出た、「晩春」「麦秋」「東京物語」の三部作です。山田洋次監督の、今回の藤沢周平時代劇三部作も、これを意識してつくられたと私は思います。時代背景はちがっていても、家族のつつましい暮らし、夫婦、親子間の思いやりの気持ちなど、家族のしみじみした情感をきめ細かく描く点では共通しています。そして、今回は桃井かおりが笑いをとる役回りでしたが、小津作品も同様な役回りがいて、作品に彩りを添えています。

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「・・・でございます」という意味の、「・・でがんす」という庄内地方のお国言葉のひびきが、この映画のしみじみした情感にぴったり合って、何ともいえず良かったです。とくに、妻役の壇れいさんの、控えめな声での「・・でがんす」にはしびれましたね(笑)。今も、我が家では、このがんす言葉が流行語になっていますよ。散歩に行ってくるでがんす、ただいまでがんす、この肉じゃが(昨日のおかず)はおいしいでがんすね、とか、毎日使っています。

写真はロケでつかわれた浄智寺の参道でがんす。








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