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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

憶良編(14)鼻びしびしに

2009年09月15日 | 憶良編
【掲載日:平成21年10月1日】

・・・堅塩かたしほを りつづしろひ 糟湯酒かすゆざけ うちすすろひて 
しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげかき撫でて・・・


貧者に代わりて 世相を申し上げる〔山上憶良〕 

まじり 雨降るの 雨まじり 雪降るは すべもなく 寒くしあれば 
《雨風吹いて 雪までじり 我慢もできん 寒さの夜は》
堅塩かたしほを りつづしろひ 糟湯酒かすゆざけ うちすすろひて 
しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげかき撫でて
 
《塩をつまんで うす酒すすり せきして鼻たれ 無いひげでて》
あれきて 人は在らじと ほころへど 
《ワシは偉いと 言うてはみても》 
寒くしあれば 麻衾あさぶすま 引きかがふり 
ぬのかたぎぬ 有りのことごと 服きそへども 寒き夜すらを

《寒いよってに 安布団ふとんかぶり 有るもん全部 重ねて着ても
 それでもさむて たまらん晩を》
われよりも 貧しき人の 父母は さむからむ 妻子めこどもは ふ泣くらむ 
この時は 如何いかにしつつか が世は渡る

《もっと貧乏びんぼな お前の家は 父母おやは飢えてて 妻や子泣いて  毎日どないに 過ごしてるんや》 
天地あめつちは 広しといへど が為ためは 狭くやなりぬる 
日月ひつきは 明あかしといへど 吾ためは 照りや給はぬ
 
世間せけんひろても わしには狭い 明るい日や月 わしには照らん》  
人皆か のみや然る わくらばに 人とはあるを 人並ひとなみに あれれるを 
みんなそやろか ワシだけやろか ワシも人間ひとやで 人並みやのに》
綿も無き 布肩衣ぬのかたぎぬの 海松みるごと わわけさがれる 襤褸かかふのみ 肩にうち懸け 
《綿なし服は 海藻かいそうみたい 肩に掛けたら びらびら垂れる》
伏廬ふせいほの 曲廬まげいほの内に 直土ひたつちに わら解き敷きて 
父母は まくらかたに 妻子めこどもは あとかたに かくて うれさまよ
 
《傾く家の 土間どまわら敷いて 父母おやは枕に 妻子つまこは足に 固まりうて うれいて嘆く》
かまどには 火気ほけふき立てず こしきには 蜘蛛くもの巣きて 
いひかしく 事も忘れて ぬえどりの 呻吟のどよるに
 
《釜に蜘蛛くも 火のないかまど めしき忘れて うめいてばかり》
いとのきて 短き物を はしると へるが如く しもと取る 里長さとをさが声は 
寝屋戸ねやどまで 立ちばひぬ かくばかり すべ無きものか 世間よのなかの道

むち持つ役人 手加減なしに 寝てるとこ来て がなって叫ぶ
 世の中これで えんか ほんま》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九二〕 
世間よのなかを しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば 
《世の中は つろうてうっとし 思うけど 逃げ出されへん 鳥ちゃうよって》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九三〕 



憶良編(15)わが子古日は

2009年09月14日 | 憶良編
【掲載日:平成21年10月2日】

世の人の たふとび願ふ 七種ななくさの 宝もわれは 何為なにせむに 
わがなかの 生れ出でたる 白玉の わが子古日は・・・



年齢とし老いてしたわが子古日の死 悲嘆の憶良

世の人の たふとび願ふ 七種ななくさの 宝もわれは 何為なにせむに 
わがなかの 生れ出でたる 白玉の わが子古日は

《みんな欲しがる 宝はいらん うちに生まれた 可愛かわいい古日》
明星あかほしの くるあしたは 敷栲しきたへの とこ去らず 立てれども れども 共にたはぶ
《朝に起きたら 枕もとよる どこにっても じゃれ付いてくる》
夕星ゆふづつの ゆふへになれば いざ寝よと 手をたづさはり 父母も うへさがり 
三枝さきくさの 中にを寝むと うつくしく が語らへば

《日暮れが来たら 早よ早よよと おとうもおかあも 並んで一緒いっしょ
 可愛かわいらしに うんやこの児》
何時いつしかも 人と成りでて しけくも よけくも見むと 大船おほぶねの 思ひたのむに 
思はぬに 横風よこしまかぜの にふぶかに おほぬれば
 
おおれ 善し悪し別に 楽しみやなと おもうていたに 悪い病気に かかってしもた》 
すべの 方便たどきを知らに 白栲しろたへの 手襁たすきを掛け まそ鏡 手に取り持ちて 
あまつ神 仰ぎ乞ひみ くにつ神 伏してぬかづき 
かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり われ乞ひめど

《どしたらえか 分からんよって 白いたすきに 鏡を持って
 天の神さん 頼むと祈り くにの神さん なんとかしてと 気ィ狂うほど おがんでみたが》
須臾しましくも けくは無しに 漸漸やくやくに 容貌かたちくづほり あさあさな 言ふことみ 
たまきはる 命絶えぬれ 

一寸ちょっとうは なること無しに 生気うなり 息絶え絶えで 幼い命 無くしてしもた》
立ち踊り 足り叫び 伏し仰ぎ 胸うち嘆き 手にてる が児飛ばしつ 世間よのなかの道
《飛び上っては 地団太じだんだ踏んで ぶっ倒れては 胸きむしり 抱いたあの児を 思わず投げた
 あってえんか こんなこと》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇四〕 

わかければ 道行き知らじ まひむ 黄泉したへ使つかひ ひてとほらせ
《礼するで あの世の使い 背負せおたって ちっちゃいよって 道知らんから》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇五〕 

布施ふせ置きて われは乞ひむ あざむかず ただきて 天路あまぢ知らしめ
布施ふせ添えて おがみますんで 天国に 間違いうに 連れてったって》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇六〕 


憶良編(16)言霊の幸(さき)はふ国と

2009年09月13日 | 憶良編
【掲載日:平成21年10月5日】

神代より らく
 そらみつ やまとの国は 皇神すめがみの いつくしき国
  言霊ことだまの さきはふ国と・・・



天平五年〔733〕三月 
憶良は 丹比たじひ真人まひと広成ひろなりの 訪問を受けた
この度の 遣唐使派遣の 大使である 
「憶良殿 貴殿のもろこしでのご活躍 聞き及んでおります 是非とも ご経験を教示きょうじのほど」
〔そういえば  大宝二年〔702〕の折には 人麻呂殿が 送りの歌を うたってくれたのであった〕
憶良に かつての いさおしが よみがえ

大使訪問の翌々日  憶良は 無事の行き来を「好去こうきょ好来歌こうらいか」に託し 広成ひろなりに 奏上した
神代より らく 
そらみつ やまとの国は 皇神すめがみの いつくしき国 言霊ことだまの さきはふ国と 
語りぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり

《大和の国は  神代から 威厳あふれる 神の国 言霊ことだまかなう さちの国
 語り継がれて 今の世の あまねく人の 知るところ》 
さはに 満ちてはあれども 高光る 日の朝廷みかど かむながら めでの盛りに 
あめした まをし給ひし 家の子と えらび給ひて
 
数多あまたの人の る中で 天皇すめらみことの 思し召し めでたき者と 選ばれて》 
勅旨おほみこと いただき持ちて もろこしの 遠き境に つかはされ まかいま 
《お言葉持って からの国 遠きつかいに 出かけらる》
海原うなはらの にもおきにも かむづまり うしはいます もろもろの 大御神おほみかみたち 船舳ふなのへに 導きまを 
きしおき治める 海神うみがみは 船に先立ち お導き》
天地あめつちの 大御神たち やまとの 大国霊おほくにみたま ひさかたの あま御空みそらゆ あまかけり 見渡し給ひ 
天地神あめつちがみと 大和神やまとがみ 空駆け渡り お見守り》
ことをはり 還らむ日には またさらに 大御神たち 船舳ふなのへに 御手みてうち懸けて 
墨繩すみなはを へたる如く あちかをし 値嘉ちかさきより 大伴の 御津みつ浜辺はまびに 
ただてに 御船みふねてむ
 
《お役目終えて 帰る日は 神々すべて 打ち揃い 舳先へさきつかまえ 引き戻す
 値賀島ちかじま通って 難波なにわはま ひとすじ道に 戻りませ》
つつがく さきして 早帰りませ
《無事な行きを 祈ります》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九四〕 
大伴の 御津みつの松原 かききて われ立ち侍たむ  早帰りませ
《大伴の 御津みつの松原 掃き清め わし待ってるで 早よ帰ってや》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九五〕 
難波津に 御船みふねてぬと 聞きこば ひもけて 立走たちばしりせむ
難波なにわ津に 船帰ったと 聞いたなら 取るもん取らんと 駆けつけまっせ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九六〕 
〔はたして わしの人生 どれ程の功をなしたと言うのか〕 
憶良晩年の胸に 込み上げる 悔悟かいごの念


憶良編(17)現(うち)の限は 平けく

2009年09月12日 | 憶良編
【掲載日:平成21年10月6日】

たまきはる うちかぎりは たひらけく 安くもあらむを・・・


天平五年〔733〕 
老身憶良は 病の床にあった 数えて七十四 

たまきはる うちかぎりは たひらけく 安くもあらむを 
事も無く くあらむを 世間よのなかの けくつらけく

《生きてるうちは  病気せず 楽に死にたい おもうても
 世の中うっとし ままならん》
いとのきて 痛ききずには 鹹塩からしほそそくちふが如く 
ますますも 重き馬荷うまにに 表荷うはに打つと いふことのごと 
老いにてある わが身の上に 病をと 加へてあれば 

《塩を生傷なまきず 塗るみたい 追い荷重荷に 積むみたい
 老い身に病気 重なって》 
昼はも 嘆かひ暮し よるはも 息衝いきづきあかし 
年長く 病みし渡れば 月かさね 憂へさまよ
 
《夜は溜息 昼嘆き 長患いの 続くうち》 
ことことは 死ななと思へど 五月蠅さばへなす さわどもを 
てては しには知らず 見つつあれば 心はえぬ
 
《いっそ死のかと おもたけど 餓鬼どもって 死なれへん
 子供見てると 胸痛む》 
かにかくに 思ひわづらひ のみし泣かゆ
《なんやかや 考えあぐねて 泣くばかり》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八九七〕 
慰むる 心はなしに 雲がくり 鳴き行く鳥の のみし泣かゆ
《安らかな  気持ちなれんと ピイピイと 鳥鳴くみたい ずっと泣いてる》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八九八〕 
すべも無く 苦しくあれば で走り ななと思へど 児らにさやりぬ
《苦しいて あの世行こかと おもうても 子供邪魔して 死ぬことでけん》
                        ―山上憶良―〔巻五・八九九〕 
富人とみひとの 家の児どもの み くたつらむ きぬ綿わたらはも
《金持ちの  家の子供は 着もせんと え服 ってる 絹や綿入れ》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇〇〕 
荒栲あらたへの 布衣ぬのきぬをだに 着せかてに くや嘆かむ むすべを無み
《捨てるよな  ボロ服さえも 着ささんと 嘆いてみても どうにもならん》 
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇一〕 
水沫みなわなす いやしき命も 栲繩たくなはの 千尋ちひろにもがと 願ひ暮しつ
《泡みたい  すぐ消えるよな 命でも 長生きしたい おもうて暮らす》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇二〕 
倭文手しつたまき 数にもらぬ 身にはれど 千年ちとせにもがと 思ほゆるかも
安物やすもんの 飾りみたいな このわしも せめて長生き したいと思う》 
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇三〕 
し方 行く末 心休まらぬ 憶良がいる


憶良編(18)士(をのこ)やも

2009年09月11日 | 憶良編
【掲載日:平成21年10月7日】

をのこやも 空しくあるべき 万代よろづよ
           語りくべき 名は立てずして



いまでも 夢に見る 
あの 御津みつの浜での 盛大な見送り・・・

難波なにわの津を出て の津へ
そこからが 大変であった 
出港した船は 嵐に見舞われ 筑紫に戻り  
再度の船出は 翌年よくとし
忘れもせぬ あの恐ろしい波の音 海の色・・・  
唐土もろこし 
むきだしの山肌 巻きあげる黄砂きいろずな 濁り水
大和の 青い山 白い砂 清い流れを  
どんなにか恋しく思ったことか 
いざ子ども 早く日本やまとへ 大伴おほともの 御津みつの浜松 待ち恋ひぬらむ
《さあみんな 早く日本やまとへ 帰ろうや 御津の浜松 待ってるよって》
                         ―山上憶良―〔巻一・六三〕 
あのとき  すでに四十二 若くはなかったが  唐土もろこしへのつかいに列し 青雲の志に 燃えていた 
しかるに 帰朝後に待っていたのは 十年余りの虚しい日々 
その後 伯耆守ほうきのかみに任じられはしたが 
すでに よわい五十七を数えていた
地方官の任務に耐え  一度は京の職に着いたものの 六十七の歳 筑前守ちくぜんのかみを命じられ 天離あまざかひな

でも 筑紫は 楽しかった 
旅人殿を中心とした 筑紫歌壇が 懐かしい 
旅人殿は 赴任早々 奥様を亡くされたのだった 
鬱々うつうつたる日々 せめてもの慰みにと 催されたうたげの数々
七夕の宴 
梅花の宴 
あのころの友 小野老おののおゆ 沙弥満誓さみまんぜい・・・
みな 遠くなった 

筑前守の解任は昨年 
京に戻れはしたが もう お役目とてない 
世をうとう 歌みの日々が 過ぎて行った
今 病を得 このていたらくだ
藤原八束やつか殿が 川辺東人あずまひとをして 見舞いに寄こして下された
果報者よ 憶良 まだ 友が
「見舞いの礼に 八束やつか殿に この歌を
 憶良めは まだまだ 死なぬと お口添えを」 
をのこやも 空しくあるべき 万代よろづよに 語りくべき 名は立てずして
丈夫ますらおと 思うわしやぞ のちの世に 名ぁ残さんと 死ねるもんかい》
                       ―山上憶良―〔巻六・九七八〕 
天平五年〔733〕 
社会派歌人うたびとは 帰らぬ人となった 享年七十四



あぢま野悲恋(1)天の火もがも

2009年09月10日 | あぢま野悲恋
【掲載日:平成21年8月31日】

君が行く 道のながてを たた
           焼きほろぼさむ あめの火もがも



【奈良の大路 旧一条大路 遠景若草山】



沙汰さた待ち蟄居ちっきょが 申し渡されていた
覚悟はあるが もしやの思いで過ごす日々 
やかもりと 新妻弟上娘子おとがみのおとめにとって 
一夜一夜が いとおしく過ぎてゆく

このころは 恋ひつつもあらむ 玉匣たまくしげ 明けてをちより すべなかるべし
《今のうち こっちるから 辛抱しんぼする 明日あしたなったら どしたら良んや》
     ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七二六〕
塵泥ちりひぢの かずにもあらぬ われゆゑに 思ひわぶらむ いもが悲しさ
《情けない こんなしがない ワシおもて 辛い目に会う おまえ可哀かわいそ》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七二七〕
わが背子し けだしまからば 白妙しろたへの 袖を振らさね 見つつしのはむ
《あんたはん ほんま配流たび出発の 時来たら 袖振ってやな 見て偲ぶから》
                       ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七二五〕

とある夜半 別れのいとまあらばこその 呼び出し
急遽きゅうきょの 配流はいる措置決定

道中からの 便りが届く 
あをによし 奈良の大路おほちは きよけど この山道は きあしかりけり
《歩き良い 奈良の道筋 思い出す ここの山道 難儀なんぎするがな》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七二八〕
うるはしと ふ妹を おもひつつ けばかもとな 行きあしかるらむ
いとおしい お前を胸に 行くけども 心しょぼくれ 足進まへん》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七二九〕

精一杯の 励ましを贈る 娘子おとめ
あしひきの 山路越えむと する君を 心に持ちて 安けくもなし 
《山越えて 行かれるあんた 気にかかり うち心配で どう仕様しょうもない》
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七二三〕

押しこらえた宅守の悲しみ 限界を越える
かしこみと らずありしを み越路こしぢの 手向たむけに立ちて 妹が名りつ
たたり避け 言わんで来たが お前の名 こしの峠で ついんでもた》
                          ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三〇〕

宅守やかもりの 悲痛に 誘発さそわれ 娘子おとめが叫ぶ
君が行く 道のながてを たたね 焼きほろぼさむ あめの火もがも
《燃やしたる あんた行く道 手繰たぐり寄せ そんな火ィ欲し 神さん寄越よこせ》
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七二四〕




<奈良の大路>へ



あぢま野悲恋(2)行かましものを

2009年09月09日 | あぢま野悲恋
【掲載日:平成21年9月1日】

君がむた 行かましものを おなじこと
         おくれてれど きことも無し



【味間野 味間野神社から東方を望む】


ここは 越前 味真野あじまの
配所は 人里離れた 山間やまあい
荒涼こうりょうとした 原野が広がる

思うは 弟上娘子おとがみのおとめばかり
遠き山 関も越え来ぬ  今更に 逢ふべきよしの 無きがさぶしさ 
《あの関所 越えてしもうた もう逢えん  これからどない したらえんや》
                       ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三四〕
吾妹子わぎもこに 逢坂山あふさかやまを 越えてて 泣きつつれど 逢ふよしも無し
《逢えるう 逢坂山を 越えてきて 泣き暮らしても 逢うことできん》
                       ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七六二〕
おもに 逢ふものならば しましくも いもが目れて あれらめやも
おもてたら 逢えるて言うに 思てても なんでお前に 逢われへんのや》
                       ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三一〕
あかねさす 昼は物思ものおもひ ぬばたまの よるはすがらに のみし泣かゆ
《昼のは 思い続けて よるで 一晩ずっとと 泣いてるこっちゃ》
                        ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三二〕

悄然しょうぜんたる日々を過ごす 宅守やかもり
気弱な 宅守やかもりを知る 娘子おとめから 
気丈さ取り戻した 便りが届く 
ぬばたまの よる見し君を くるあした 逢はずまにして 今そくやしき                      《晩逢うて 朝逢わへんで 行ってもた 今おもおたら 悔しいこっちゃ》
                        ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七六九〕
人のうる 田は植ゑまさず いまさらに 国別れして あれはいかにせむ
みんなする〔夫婦らし 田植えもせんと暮らしもせんと〕 遠い国 あんた行ったで どしたらんや》
                        ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七四六〕
君がむた 行かましものを おなじこと おくれてれど きことも無し
《こんななら 一緒行ったら 良かったで 残って良えこと なんもあれへん》
                        ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七七三〕



<あぢま野>へ


あぢま野悲恋(3)人は実(さね)あらじ

2009年09月08日 | あぢま野悲恋
【掲載日:平成21年9月2日】

天地あめつちの そこひのうらに が如く 
          君に恋ふらむ 人はさねあらじ


【越前市 味真野苑 犬養孝揮毫「天の火もがも」歌碑】


しなざかる 越 
山間やまあい 味真野あじまのの 日暮は早い
殺伐たる 風景が 霞んでいく 

夜の 静寂しじまに 娘子おとめが浮かぶ
旅といへば ことにそやすき すくなくも いもに恋ひつつ すべけなくに
配所たびらし 仕様しょうないけども その上に お前恋しさ 重なり辛い》 
               ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七四三〕
思はずも まことありむ やさの いめにもいもが 見えざらなくに
《出来るかい お前忘れて しまうこと 寝てたら夢に ずっと出るのに》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三五〕
思ひつつ ればかもとな ぬばたまの 一夜ひとよもおちず いめにし見ゆる
《毎晩に お前の夢を 見るのんは いつも思うて 寝るからやろか》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三八〕
逢はむ日を その日と知らず 常闇とこやみに いづれの日まで あれ恋ひらむ
《逢えるんは 何時いつのことやろ 悶々もんもんと お前思うて 日ィ過ごしてる》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七四二〕

思わず漏れる 愚痴ぐち 
かくばかり 恋ひむとかねて 知らませば 妹をば見ずそ あるべくありける 
《逢わんが 良かったやろか こんなにも 苦しい恋と 知ってたんなら》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三九〕

〔何を 言われるの 離れていても 
 こんなに 恋しく 思っているに〕 
天地あめつちの そこひのうらに が如く 君に恋ふらむ 人はさねあらじ       
《この世では うちほどあんた 恋したい 思うてるんは 誰もらんで》 
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七五〇〕
わが宿やどの 松の葉見つつ あれ待たむ はや帰りませ 恋ひ死なぬとに
《苦しいて 死んでまいそや うちの松 見ながら待つで 早よ帰ってや》
                          ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七四七〕
春の日の うらがなしきに おくれて 君に恋ひつつ うつしけめやも
《残されて 春の日ィかて 悲しいわ あんた思たら 正気でれん》
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七五二〕

残された 娘子おとめ 
独り寝の 淋しさが 日に日に増していく 



<あぢま野>へ


あぢま野悲恋(4)はだな思いそ

2009年09月07日 | あぢま野悲恋
【掲載日:平成21年9月3日】

命あらば 逢ふこともあらむ わがゆゑ
           はだな思ひそ 命だに


【越前市 味真野苑 犬養孝揮毫「天の火もがも」歌碑】


配流はいるの生活が 続く

苛立いらだつ 宅守やかもりの心に
向けてはならぬ うらつらみが 娘子おとめ
遠くあれば 一日ひとひ一夜ひとよも 思はずて あるらむものと 思ほしめすな                     
《離れたら 一晩くらい 忘れんの あるんちゃうかと 思わんといて》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三六〕
他人ひとよりは いもそもしき 恋もなく あらましものを 思はしめつつ 
《悪いんは わし惚れさせた お前やで  辛い 思いを させるやなんて》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三七〕

矛先ほこさきは 神へも向かう
天地あめつちの 神なきものに あらばこそ ふ妹に 逢はずにせめ
《恋慕う お前逢わんと 死んでまお ほんま神さん れへんのなら》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七四〇〕

帰京の願望と 絶望が 交錯こうさくする
命をし またくしあらば ありきぬの ありてのちにも 逢はざらめやも
《この命 せめて尽きんと ったなら いつかその内 逢えるできっと》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七四一〕
吾妹子わぎもこに 恋ふるにあれは たまきはる 短かきいのちも しけくもなし
《もうえわ お前恋して 苦しいて どうせ短い 命やもんな》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七四四〕

〔またまた 甘ったれて 困った人〕 
命あらば 逢ふこともあらむ わがゆゑに はだな思ひそ 命だに
《そう言いな 命あったら 逢えるやん  思い詰めなや うち、、気に病んで》 
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七四五〕
他国ひとくにに 君をいませて 何時いつまでか が恋ひらむ 時の知らなく      
《よその国 あんた行かせて 寂しいに 待ち続けんの 何時いつまでやろか》
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七四九〕
他国ひとくには しとそいふ すむやけく 早帰りませ 恋ひ死なぬとに     
《早よ早よに うち、、死なんに 帰ってや そっちは住むん つらいて聞くで》 
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七四八〕

甘えを たしなめる娘子おとめに 女の弱さが にじ



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あぢま野悲恋(5)形見にせよと

2009年09月04日 | あぢま野悲恋
【掲載日:平成21年9月4日】

逢はむ日の 形見かたみにせよと 手弱女たわやめ
             思ひみだれて へるころも


【越前市 味真野苑 犬養孝揮毫「天の火もがも」歌碑】


配流はいるの日から 年月が長い 
配所暮らしに慣れた 宅守やかもり
娘子おとめへの 思い 心底こころそこに ひそんで行く
忍びよる あきらめか

向かひゐて 一日ひとひもおちず 見しかども いとはぬ妹を 月わたるまで 
《一日も 飽かんと見てた お前やに  もう長いこと 逢うてへんがな》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七五六〕
過所くわそ無しに 関飛び越ゆる ほととぎす わが思ふ子にも まず通はむ  
《ホトトギス 手形無うても 関所せき越える わしの思いも 越えへんもんか》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七五四〕
が身こそ 関山えて ここにあらめ 心は妹に 寄りにしもの
《この身体 関所を越えて 遠いけど  心はずっと お前のとこや》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七五七〕
うるはしと いもを 山川を なかへなりて 安けくもなし
いとおしい 思うお前は 山や川 隔てて遠い 悲しいこっちゃ》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七五五〕

宅守やかもりの 心変化を気づいてか 
娘子おとめ 形見に 励ましを託す
白拷しろたへの 下衣したごろも 失なはず てれわが背子せこ ただに逢ふまでに  
《持っててや うちの肌着を くさんと 顔見て逢える その日来るまで》 
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七五一〕
逢はむ日の 形見かたみにせよと 手弱女たわやめの 思ひみだれて へるころも
《逢う日まで うちの代わりや 思てんか  沈む心で うた服やで》
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七五三〕

娘子おとめの励ましに 我に返る宅守やかもり

吾妹子わぎもこが 形見のころも なかりせば 何物なにものもてか いのちがまし
《身代わりに もろたこの服 かったら 何を頼りに 生きて行くんや》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七三三〕



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あぢま野悲恋(6)吾が胸痛し

2009年09月03日 | あぢま野悲恋
【掲載日:平成21年9月7日】

たましひは あしたゆうべに たまふれど
           が胸いたし 恋の繁きに


【越前市 味真野苑 犬養孝揮毫「塵泥の」歌碑】


娘子おとめの 懸命の励まし
宅守やかもりの悲しみに 力が戻る
たちかへり 泣けどもあれは しるしみ 思ひわぶれて しそ多き  
《幾晩も つらい思いで とこに就く なんぼ泣いても ども成らんので》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七五九〕
は 多くあれども ものはず 安くは さねなきものを
《夜来たら 仕様しょうことなしに 寝るけども ちゃんと寝たこと ほんまにないわ》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七六〇〕

〔悲しみは 吾ひとりにあらず 
 女身で耐える娘子おとめ もっとつらかろう〕
山川を なかへなりて 遠くとも 心を近く 思ほせ吾妹わぎも     
《山や川 あって隔てて 遠いけど 心近いと 思てやお前》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七六四〕

〔わしからも 心の支え 贈るとするか〕 
まそかがみ かけてしぬへと まつす 形見かたみものを 人にしめすな
《気にかけて 偲んで欲しと 送るから わしの身代わり 他人ひとに見せなや》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七六五〕
うるはしと おもひしおもはば 下紐したびもに け持ちて まずしのはせ
《わしのこと ほんま恋しと 思うなら 肌身に着けて ずっとしのんで》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七六六〕

〔ああ やはり 思うた通りの お方 
 この優しさ 都に 誰居ろうか〕 
たましひは あしたゆうべに たまふれど が胸いたし 恋の繁きに
真心まごころを 朝な夕なに 思うけど 恋し恋しが 胸締め付ける》
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七六七〕
このころは 君を思ふと すべも無き 恋のみしつつ のみしそ泣く
《近頃は 思うていても 甲斐うて  恋し思うて 泣いてばっかり》
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七六八〕

昔の 優しさに触れ 思わず 甘えの出る娘子おとめ



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あぢま野悲恋(7)ほとほと死にき

2009年09月02日 | あぢま野悲恋
【掲載日:平成21年9月8日】

帰りける ひときたれりと 言ひしかば
           ほとほと死にき 君かと思ひて


【越前市 味真野苑 犬養孝揮毫「塵泥の」歌碑】


都に 噂が流れていた 大赦たいしゃちょくが 出るらしいという
天平十二年〔740〕春 
勅は 六月頃か 
心騒ぐ 娘子おとめ
果たして 宅守やかもりの名は・・・
味真野あじまのに 宿やどれる君が 帰りむ 時の迎へを 何時いつとか待たむ
味真野あじまので 暮らすあんたが 戻る言う 知らせ来るのん 何時いつになるんや》
                        ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七七〇〕
家人いえひとの やすずて 今日けふ今日けふと 待つらむものを 見えぬ君かも 
《眠れんと 今か今かと 帰るんを  待ってるのに あんたえへん》
                        ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七七一〕

宅守やかもり配流はいる先 
役所勤めの 元上司から ひそかな伝えが届く
《わしの計らい 尽力 
 大赦たいしゃの勅への尊名登載 たがいなし》
〔なんと あやつが 
 わしに罪をかぶ
 今のき目を負わせし あやつ・・・
 そうか そうか 
 あの方も 心を痛めておられたか〕 

帰りける ひときたれりと 言ひしかば ほとほと死にき 君かと思ひて
ゆるされて 帰る人来る 聞いた時 心臓しんぞ止まった あんたやおもて》
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七七二〕

大赦たいしゃの勅への 期待は ぬか喜びであった
〔それにしても あやつ 
 名簿削除の 画策かくさくまでしおったか・・・〕
さすたけの 大宮人おおみやびとは 今もかも 人なぶりのみ 好みたるらむ
《役人は 奈良の都で りもせず 今もやっぱり 人なぶるんか》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七五八〕
〔うかうかと 信じた わしが お人好か〕 
世間ひとのよの つね道理ことわり かくさまに なりにけらし ゑし種子たねから              
《世の中は こんなもんかい しょうないか 元々たら わしアホなんや》
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七六一〕
〔気を許した分 辛さ一入ひとしお・・・〕
旅といへば ことにそやすき すべもなく 苦しき旅も ことさめやも
配流たびたら つらいもんやが 苦し配流たび 言い直しても つらさ一緒や》
                        ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七六三〕

気落ちを 思いやり 必死の励ましが届く 
わが背子せこが 帰りまきむ 時のため いのちのこさむ 忘れたまふな
《知っといて あんたの帰る その日まで うち長らえて 生きてくさかい》 
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七七四〕



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あぢま野悲恋(8)西の御厩の

2009年09月01日 | あぢま野悲恋
【掲載日:平成21年9月9日】

今日けふもかも 都なりせば 見まく
              西の御厩みまやの に立てらまし


【越前市 味真野苑 犬養孝揮毫「塵泥の」歌碑】


大赦たいしゃに漏れた 宅守やかもり
ここ越前 味真野あじまのの暮らしも 
身に沿ったものになっていた 
娘子おとめとの 別れての暮らし
何時しか 諦観ていかんの境地 

あらたまの とし長く 逢はざれど しき心を はなくに
《長いこと 逢うてへんけど わしの気は  変わってへんで 間違いなしに》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七七五〕

在りし日への 思い 
悔しくも 懐かしくもある 思い出  
今日けふもかも 都なりせば 見まくり 西の御厩みまやの に立てらまし
《もしも今 都ったら お前待ち 西の厩舎うまやの 外でおるのに》 
                         ―中臣宅守なかとみのやかもり―〔巻十五・三七七六〕

配所での 安気あんきかぜに身を置く 宅守やかもり
不覚にも 思いが至らなかった 

人を傷つけつつ 素知らぬ顔 横行のみやこ
娘子おとめの 心労は積もっていった
孤閨こけいを守り
宅守やかもりを 励まし
大赦たいしゃの噂に 振り回され
気丈と 言われし故の 心の裏表うらおもて
漏れる 泣きごと 
娘子おとめの 精神こころは もう 耐えられなくなっていた

昨日きのふ今日けふ 君に逢はずて するすべの たどきを知らに のみしそ泣く
《逢いとうて たまらんけども ども出来ん 昨日も今日も 泣き暮らしてる》 
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七七七〕

〔身代わりにと 贈った形見 
 本当に 形見のなってしまうかも・・・〕 
白妙しろたへの 衣手ころもでを 取り持ちて いはへわが背子せこ ただに逢ふまでに
《うちの服 しっかり持って 祈ってや あんたとじかに 逢う日来るまで》
                         ―狭野弟上娘子さののおとがみのをとめ―〔巻十五・三七七八〕

人知れず 黄泉よみの迎えの 娘子おとめ
宅守やかもりへの 知らせは 遅れる



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