令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

蟲麻呂編(14)開くな勤(ゆめ)と

2009年09月30日 | 蟲麻呂編
 
【掲載日:平成21年10月29日】

・・・また帰りきて いまごと はむとならば
    このくしげ 開くなゆめと そこらくに かためしことを・・・

【伊根町本庄浜、筒川河口】


丹後の国  本庄浜 古老と共に 浜に座す虫麻呂 
ぼそりと  始まる 古老の話
春の日の かすめる時に 
墨吉すみのえの 岸に出でゐて 
釣船つりぶねの とをらふ見れば 
いにしへの 事ぞ思ほゆる

《春の霞に  岸に出て
 釣り船見てたら 思い出す》 
水江みづのえの 浦島うらしまの子が 堅魚かつを釣り たい釣りほこり 七日なぬかまで 家にもずて 
《浦島はんは 魚釣る あんまり沢山ようけ 釣れるんで 七日も家に かえらんと》
海界うなさかを 過ぎて漕ぎ行くに 
海若わたつみの 神のをとめに たまさかに いぎ向い あひあとらひ ことりしかば

《沖いでたら 偶然に 海神娘おとひめさんに うたんや どっちとものう 一目ぼれ》
かきむすび 常世とこよに至り 海若わたつみの 神の宮の うちの たへなる殿に 
たづさはり 二人入りゐて ひもせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 

《手に手を取って 海神宮りゅうぐうに 甘い暮らしの 日が続く そのまま死なんと 暮らせたに》 
世の中の 愚人おろかひとの 吾妹子わぎもこに りてかたらく 
須臾しましくは うちに帰りて 父母ちちははに 事もかたらひ 
明日あすごと われはなむと 言ひければ

《あほやで浦島 言うたんや 一寸ちょっと帰って 親に言い じきに帰るて 言うたんや》 
いもがいへらく 
常世辺とこよべに また帰りきて いまごと はむとならば 
このくしげ 開くなゆめと そこらくに かためしこと

海神娘おとひめさんは 言うたんや
 帰って来たい 思うたら この箱開けたら あかんでと
 きつきつうに 言うたんや》
墨吉すみのえに 帰りきたりて 
家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 
家ゆ出でて 三歳みとせほとに 垣も無く いえせめやと

《帰って来たら 家はない 村もあれへん 奇怪おっかし
 家を出てから 三年で 家がうなる 筈はない》
この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと  玉篋たまくしげ 少し開くに 
白雲の 箱より出でて 常世辺とこよべに たな引きぬれば
 
もしやこの箱  開けたなら 元戻らんかと 箱開けた
 湧きでる煙 白煙 海神宮りゅうぐう殿じょうへと 流れてく》
立ち走り 叫び袖振り 反側こひまろび 足ずりしつつ たちまちに こころ消失けうせぬ 
若かりし はだもしわみぬ 黒かりし かみしらけぬ 
ゆなゆなは いきさへ絶えて のちつひに いのち死にける

《慌て走って 叫び転倒こけ 地団太踏んで 悔しがる みるみる元気 うなって
 しわくちゃ顔で 白髪しらがなり 息えで 死んでもた》
水江みづのえの 浦島の子が 家地いへどころ見ゆ 
《あのあたり 昔に浦島 住んでたところ》 
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四〇〕 
常世辺とこよべに 住むべきものを 剣太刀つるぎたち が心から おそやこの君
海神娘おとひめと 死なんとなごう 暮せたに ほんまアホやで 浦島はんは》 
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四一〕 

春の波が  ゆたりゆたりと 寄せては返している




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蟲麻呂編(15)似ては鳴かず

2009年09月29日 | 蟲麻呂編
【掲載日:平成21年10月30日】

うぐひす生卵かひこの中に 霍公鳥ほととぎす ひとり生まれて
      が父に ては鳴かず が母に 似ては鳴かず



虫麻呂は  老境を迎えていた
独り暮らしが  身に付いている

常陸 
真間 
周淮すえ
筑波嶺 
竜田 
河内の大橋・・・ 
宇合うまかい様も いまは ない
桜が  好きで あられた
そうか  あの方も きっと・・・

「心任せにきよ」との おおせ 
今も  耳にある
伝承集めも  思うに任せて
もう  何も いらぬ
さしずめ わしの生きざま 霍公鳥ほととぎすのようじゃった

うぐひす生卵かひこの中に 霍公鳥ほととぎす ひとり生まれて 
が父に ては鳴かず が母に 似ては鳴かず

《鶯の 卵にじり 霍公鳥ほととぎす 生まれてみたが 独りぼち
 鳴き声父に  似て居らん 母の声にも 似とらへん》
の花の 咲きたる野辺のへゆ 飛びかけり 鳴きとよもし
たちばなの 花を散らし 終日ひねもすに 鳴けど聞きよし 
まひはせむ とほくな行きそ わが屋戸やどの 花橘に 住み渡れ烏

《卯の花咲いてる 野原飛び たちばなはなを 散らし鳴く
 ほんまええ声 礼するで 何処どこも行かんと うちの庭 はなたちばなに 住んどくれ》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五五〕 

かきらし 雨の降るを 霍公鳥ほととぎす 鳴きて行くなり あはれその鳥
霍公鳥ほととぎす 霧雨きりさめ降る 鳴いてった 住んで欲しいと 頼んでみたに》
                       ―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七五六 

ハハハ  逃げよったか
せっかく  独りぼっち同士 慰め合おう思ったに
『テッペンカケタカ 迷惑めいわく至極しごく
テンペンカケタカ  お構いなしに』
と鳴いて  行ってしまいよった
わしが  お前でも そうしたであろう
関わりごとは うとましいからのう

霧雨きりさめが 音もなく 草屋そうおくを濡らしていた



憶良編(1)行きし荒雄ら

2009年09月28日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月11日】

大君おほきみの つかはさなくに 情進さかしら
           行きし荒雄あらをら 沖に袖振る


【福江島 半島部最北端の柏港】


筑前守ちくぜんのかみ様 大変でございます」 
着任早々の 憶良のもとに 悲報がもたらされた

筑前国ちくぜんのくに滓屋郡かすやのこおり志賀村の荒雄の船「鴨丸」遭難
五島列島みみらくから 対馬つしまへの食糧輸送の船
出航間なしの にわかの嵐 荒れ狂う海に なす術なし 船は敢えなく 波間に沈む 
「本来なら 宗像郡むなかたのこおりの 宗形津麿むなかたのつまろに下っためい
 津麿の 老身ろうしん故の頼みに 友思いの荒雄が 買って出た任務
 海の荒れ 静まっての捜索も 甲斐無く 板子いたこ残骸ざんがいの浮遊を 認めるのみ」

残された妻子つまこの悲しみを思い 憶良は うた

大君おほきみの つかはさなくに 情進さかしらに 行きし荒雄あらをら 沖に袖振る
《荒雄はん 助け求めて 袖を振る 君命くんめいちゃうのに 男気出して》

荒雄らを むかじかと いひりて 門に出で立ち 待てどまさず
《荒雄はん 帰って欲しと 陰膳ぜんえて なんぼ待っても 戻ってこない》

志賀の山 いたくなりそ 荒雄らが よすかの山と 見つつしのはむ
《志賀山の 木ィ切らんとき 荒雄はん 偲ぶよすがに 置いといてんか》 

荒雄らが 行きにし日より 志賀の海人あまの 大浦おほうら田沼たぬは ざぶしくもあるか
《荒雄はん 船出ふなでしてから らへんで 大浦田沼は さみしいなった》

つかさこそ 指してもらめ 情出さかしらに 行きし荒雄ら 波に袖振る
《お役所が 名指しせんのに 荒雄はん 可哀相やな 男気出して》 

荒雄らは 妻子めこ産業なりをば 思はずろ 年の八歳やとせを 待てどまさず
《荒雄はん 妻子つまこ生活くらし 思わんと いつまで経っても 行ったままかい》 

沖つ烏 かもとふ船の かへり来ば さきもり 早く告げこそ
さきもりはん 鴨う船が 戻ったら 早よ早ようて 待ってるよって》

沖つ鳥 鴨とふ船は の崎 みてと きこぬかも
《也良の崎 岬まわって 鴨とう 船が来たう 知らせが来んか》

沖行くや あか小船をぶねに つとらばけだし人見て ひらき見むかも
《荒雄はん 土産を積んだ 船出して 見舞いにしたら 見てくれまっか》 

大船に 小船をぶね引きえ かづくとも 志賀の荒雄に かづきあはめやも
《荒雄はん 大船小船で 探したが 何処へ行ったか 見つけられへん》 
                    ―山上憶良―〔巻十六・三八六〇~三八六九〕 



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憶良編(2)今は罷らむ

2009年09月27日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月14日】

億良おくららは 今はまからむ 子くらむ
               そのかの母も を待つらむそ


【嘉麻市鴨生 鴨生公園の犬養孝揮毫歌碑】


神亀五年〔728〕春
大宰のそち 旅人から 回状が来た
赴任早々の 小野老おののおゆ歓迎うたげの誘い

「先ずはおゆどの
 貴殿の歌がなくては始まらぬ」  
旅人が促す 
あをによし 寧楽なら京師みやこは 咲く花の にほふがごとく 今さかりなり
《賑やかな 平城ならみやこは 色えて 花咲くみたい 今真っ盛り》
                         ―小野老をののおゆ―〔巻三・三二八〕
「おお 早速に みやこ恋しの歌か いやいや 我らへの みやこ伝えの手土産歌と見た」
やすみしし わご大君おほきみの きませる 国のうちには 京師みやこおもほゆ
大君おおきみの 治めてなさる この国で やっぱりみやこが えなと思う》
藤波ふぢなみの 花は盛りに なりにけり 平城ならみやこを 思ほすや君
《藤のふさ 波打つみたい 花見ごろ みやこ恋しか どやそこの人》
                      ―大伴四綱おおとものよつな―〔巻三・三二九、三三〇〕
「四綱殿も みやこか ほんに わしもじゃが」
わがさかり また変若をちめやも ほとほとに 寧楽ならみやこを 見ずかなりなむ
《も一遍いっぺん 若返りたい そやないと 平城ならみやこを 見られへんがな》
わがいのちも つねにあらぬか 昔見し きさ小河をがはを 行きて見むため
《この命 もうちょっとだけ べへんか きさの小川を また見たいんで》
浅茅あさぢはら つばらつばらに ものへば りにしさとし 思ほゆるかも
《何やかや つらつらつらと 思うたび 明日香の故郷さとが 懐かしいんや》
わすれくさ わがひもに付く 香具かぐ山の りにしさとを 忘れむがため
《忘れ草 身に付けるんは 香具山の 故郷さと忘れよと 思うためやで》
わが行きは ひさにはあらじ いめのわだ にはならずて ふちにあらぬかも
《筑紫には ごうはらん 夢のわだ 浅瀬ならんと 淵でってや》
                       ―大伴旅人―〔巻三・三三一~三三五〕 
みやこみやこと 女々めめしいぞ わしは筑紫の歌じゃ」
しらぬひ 筑紫つくし綿わたは 身につけて いまだはねど あたたかに見ゆ
《珍しい 筑紫の真綿まわた わしのに てみてへんが ぬくそに見える》
                       ―満誓まんせい―〔巻三・三三六〕
「どこの女のことじゃ 相変わらず」おゆはや
満誓の比喩ひゆうたで 座は一挙に盛り上がる

末席 きょうに加わらない憶良がいる
旅人が はるか主席から 声をかける 
「憶良殿 酒も進まぬようじゃが 
どうじゃ 一首召されぬか」 
億良おくららは 今はまからむ 子くらむ そのかの母も を待つらむそ
《憶良めは ぼちぼち帰らして もらいます 子供も女房よめも 待ってますんで》
                       ―山上憶良―〔巻三・三三七〕 
〔身内奉仕か 喰えぬ男じゃ〕 
渋い顔の旅人 杯をあおる 

憶良編(3)わが嘆く息嘯(おきそ)の風に

2009年09月26日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月15日】

大野山おほのやま 霧立ち渡る わが嘆く
          息嘯おきその風に 霧立ちわたる


【遠景:大野山 都府楼跡 蔵司横にて】


日は とっぷりと暮れていた 
憶良は 旅人やかたの門をくぐる
筑前国府からはそう遠くない  遅すぎた弔問ちょうもん
悲しみに打ちひしがれる旅人 
その額に 縦じわが寄る 
〔喰えん男が 今頃に・・・〕 

大君おほきみの 遠の朝廷みかどと しらぬひ 筑紫つくしの国に 泣く子なす 慕ひ来まして いきだにも いまだやすめず 年月としつきも いまだあらねば 心ゆも 思はいあひだに うち摩き こやしぬれ
《遠く離れた 筑紫へと 子供みたいな お前連れ  落ち着かんに 月日経ち しんみり話も せんうちに お前病気に なってもた》
言はむすべ すべ知らに 石木いはきをも け知らず 家ならば かたちはあらむを うらめしき いもみことの あれをばも 如何いかにせよとか 鳰鳥にほどりの 二人並び 語らひし 心そむきて 家さかりいます
《どしたらえか 分からへん 石や木ィかて 答えよらん あんな元気で ったのに どないせ言うんや このわしに 二人仲良う  暮らそうと  言うたお前は もうらん》
―山上憶良―〔巻五・七九四〕 

家に行きて 如何いかにか吾がせむ 枕づく 妻屋つまやさぶしく 思ほゆべしも
《家帰り どしたらんや このワシは 寝床を見ても さみしいだけや》
しきよし かくのみからに したし 妹がこころの すべもすべなさ
可愛かいらしく あんないっぱい 甘え来た お前気持に こたえられんで》
くやしかも かく知らませば あをによし 国内くぬちことごと 見せましものを
《悔しいな こんなことなら 景色え 筑紫の国中くにじゅう 見せたったのに》
いもが見し あふちのち花は 散りぬべし わが泣くなみだ いまだなくに
栴檀せんだんの 花散りそうや 思いの よすがうなる えもせんのに》
大野山おほのやま 霧立ち渡る わが嘆く 息嘯おきその風に 霧立ちわたる
《大野山 霧が立ってる わし嘆く 溜息ためいきたまって 霧になったで》
―山上憶良―〔巻五・七九五~七九九〕 

〔形の弔問の多いなか
 わしと心を同じうすべくの歌作りを・・・〕 
「憶良殿・・・」 
差し出す手に 旅人の歌  
世の中は むなしきものと 知る時し いよよますます かなしかりけり
《人の世は からっぽなんやと 知ったんや おもうてたより ずうっと悲しい》
―大伴旅人―〔巻五・七九三〕 
無言で うなずく 憶良
老境の二人の眼に 乾ききらぬ涙が 




<大野山>へ


憶良編(4)子に及(し)かめやも

2009年09月25日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月16日】

しろかねも くがねも玉も 何せむに まされる宝 子にかめやも

【山梨県増穂町増穂小学校 犬養孝揮毫歌碑】


憶良は 説教をしていた
「そなたは 自分を偉いと お思いか 
 世に名を成すことが そんなに 大事か 
 なに? 老いた父母ちちははが 邪魔じゃと 
 そなたのせいは 父母が たからではないのか
 なに? まといつく妻や子が うとましいじゃと
 いやされ 慰めを得たことは なかったのか 
 なになに 自分が出世したらば 
 親孝行も思いのまま 
 妻子つまこにも贅沢させられると 申すか
 なんと 愚かな 身の程を 知りなされ」 
憶良の前には 膝まづき こうべを垂れる もう一人の憶良がいる 

父母を 見ればたふとし 妻子めこ見れば めぐしうつく
世の中は かくぞ道理ことわり もちとりの かからはしもよ 行方ゆくへ知らねば
 
父母ちちはは尊べ 妻や子を 可愛かわいがるのは 当たり前 鬱陶うっとしけども 世の定め》
穿沓うげぐつを る如く きて 行くちふ人は 
石木いはきより し人か が名らさね

《ボロぐつるよに 世を捨てる 人のすること 違うやろ 何処どこ何奴どいつや こらお前》
あめへ行かば がまにまに つちならば 大君おほきみいます 
この照らす 日月のしたは あまくもの むかきはみ 谷蟆たにぐくの さ渡るきはみ 
きこす 国のまほらぞ かにかくに しきまにまに しかにはあらじか

《一人よがりの ひじりみち 行きたいんなら 勝手にせ この世の中で 住み続け  
天道てんとさんに 気に入られ 人の踏む道 望むなら 気まま勝手に するやない》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇〇〕 
ひきかたの あまは遠し なほなほに 家に帰りて なりまさに
ひじり道 遥かに遠い あきらめて さっさと帰って 仕事に励め》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇一〕 

憶良は 改めて 子を思う 
うりめば 子ども思ほゆ くりめば ましてしのはゆ 何処いづくより きたりしものそ 
眼交まなかひに もとなかかりて 安眠やすいさぬ

《瓜を食うたら 思い出す 栗を食うても なおそうや  どこから来たんか この子供 
目ぇつぶっても 顔浮かぶ 
 ゆっくり寝られん 気になって》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇二〕 
しろかねも くがねも玉も 何せむに まされる宝 子にかめやも
《金銀も 宝の玉も そんなもん なんぼのもんじゃ 子に勝てるかい》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇三〕 

うなれる憶良の肩を いま一人の憶良が叩く
                     〔嘉摩三部作の一、二〕 


憶良編(5)老男(およしを)はかくのみならし

2009年09月24日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月17日】

常磐ときはなす かくしもがもと 思へども
             世の事なれば とどみかねつも



我にかえった憶良
〔この歳になって なにを 青いこと 
 昔の夢を いつまで だかえているのか
 人の世を 渡ってきた者としての  老成の歌を うたってみねば・・・〕

世間よのなかの すべなきものは 年月は 流るる如し 
取りつつき 追ひるものは 百種ももくさに め寄りきた

《人の世なんて ままらん 月日経つのは あっゅう間
 苦労の種は 次々と》 
少女をとめらが 少女をとめざびすと からたまを 手本たもとかし 
同輩児よちこらと たづさはりて 遊びけむ 時の盛りを 
とどみかね すぐりつれ みなわた かぐろき髪に 何時いつか しもの降りけむ 
くれなゐおもての上に 何処いづくゆか しわきたりし
 
《若い少女むすめが 身を飾り 仲好し同士で たわむれる 年の盛りは またたく間
 緑の黒髪 白髪しらが生え 綺麗きれえな顔に しわ増える》
大夫ますらをの 男子をとこさびすと つるぎ太刀たち 腰に取りき 猟弓さつゆみを にぎり持ちて 
赤駒に くらうち置き はひ乗りて 遊びあるきし 世間よのなかや つねにありける
 
《男盛りを 自慢げに 刀を差して 弓持って 
 馬にまたがり 遊んでも そのまま過ごせる 訳やない》 
少女をとめらが さす板戸を 押し開き い辿たどりよりて 玉手たまでの 玉手さしへ 
の 幾許いくだもあられば
 
いをかけて 目当ての児 腕巻き抱いて 寝る夜は 長く続かん そのうちに》 
つかづゑ 腰にたがねて か行けば 人にいとはえ かく行けば 人ににくまえ 
老男およしをは かくのみならし たまきはる 命惜しけど せむすべも無し

《杖突きながら 腰曲げて 行く先々で 嫌われる 
 年取るうんは そんなこと 生きてる限り 仕様しょうがない》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇四〕 

常磐ときはなす かくしもがもと 思へども 世の事なれば とどみかねつも
《欲張って あれこれしたい おもうても これが世の中 あきらめなはれ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇五〕 

そこには まだ 諦めきれない 憶良がいた 
                    〔嘉摩三部作の三〕 


憶良編(6)何か障(さや)れる

2009年09月23日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月21日】

百日ももかしも 行かぬ松浦まつら 今日けふ行きて
            明日はなむを 何かさやれる


【玉島川(松浦川) 玉島東方簗場付近】


旅人たびと殿 ひとつ 松浦路への遠出のうたげ と言うのは 如何かな」 
満誓まんぜいが提案した
憶良の 気鬱きうつを気遣ってのもの
「さよう 憶良殿は 任務に忠実過ぎていかん 
 いま少し 余裕がなくては」 

《暑気払いうたげの企画 これあり
 領布振山ひれふりやまでの松原俯瞰ふかん並びに松浦川まつらがわでの鮎釣り
 諸般 公務多忙の折と思われるが 
 万障繰り合わせての参加を乞う》 
〔またまた 旅人殿 遊び人満誓に  そそのかされてのくわだてか
 規定さだめ『諸国の国司 大宰府官人の役目 管内巡行 民情視察にあり』とあるに  視察に名を借りての 遊興ゆうきょう三昧ざんまい 許されることではないわ
それにしても 佐用さよひめ領布振山ひれふりやまか たらし日売ひめ松浦川まつらがわか・・・
いやいや 任務遂行 お役目大事〕 

旅人に 憶良からの 欠席詫び状が届く 
松浦県まつらがた 佐用比売さよひめの子が 領巾ひれりし 山の名のみや 聞きつつらむ
《佐用姫が 領布ひれ振ったう 山の名を 聞かすだけかい 独り残して》
帯日売たらしひめ 神のみことの らすと 御立みたたしせりし 石をたれ見き
帯日売たらしひめ 釣りするうて 立った石 見るんは誰や わしも見たいわ》
百日ももかしも 行かぬ松浦まつら 今日けふ行きて 明日はなむを 何かさやれる
《百日も 掛るわけない 松浦路まつうらじ 行って帰るに さわりがあるか》
                         ―山上憶良―〔巻五・八六八~八七〇〕 
「満誓殿 どう見られる いやはや お堅い お堅い」 
「やせ我慢も ほどほどに と言いたいが まあ 我々だけで 行くべし 行くべし」 

通人の心 謹厳実直の人に 通じず 



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<玉島川(二)>へ

憶良編(7)松浦佐用姫

2009年09月22日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月22日】

海原うなはらの 沖行く船を 帰れとか
       領布ひれ振らしけむ 松浦まつら佐用さよひめ


【ひれふる山と虹の松原 浜崎の北東より】


気鬱きうつの病 これ療養の要ありにつき しばしの 任務停止ちょうじを命ず
〈附〉領布振ひれふりだけよりの眺め並びに松浦川の鮎  
共に病に効能ありと聞く お試しあれ》 
憶良のもとに 「令状」が届く 

□伝えに言う 大伴狭手彦おおとものさでひこ 韓国からくにへの任務を負う
松浦潟まつらがたを船出 船 はるかな沖に
時に 狭手彦の 思い人 佐用さよひめ
別れのやすく 会うのかたきを知り
高山たかやまのぼり 船よ帰れと 領布ひれを振る
船は戻らず 泣きくれる 佐用姫 
七日七晩の 嘆きののち 石と化す
世の人 この高山をして 領布振ひれふりみねと称す

○山の名の由来歌 
遠つ人 松浦まつら佐用さよひめ 夫恋つまごひに 領布ひれ振りしより へる山の名
佐用さよひめはん おっと恋しと 領布ひれ振った 付いた山の名 そこから来てる》
○後の人 付け加えての歌 
山の名と 言ひ継げとかも 佐用さよひめが この山のに 領布ひれを振りけむ
《山に名を 付けて伝えて いはって 佐用さよひめはんが 領布ひれ振りはった》
○更に後の人 付け加えての歌 
万代よろづよに 語り継げとし このたけに 領布ひれ振りけらし 松浦まつら佐用さよひめ
《いつまでも 語り継いでと この山で 領布ひれ振ったんや 佐用さよひめはんが》
                         ―?―〔巻五・八七一~八七三〕 

憶良は 領布ひれふりやまの上 はるか沖合いを 眺めている
〔可哀相に 佐用さよひめの気持ちを 伝える歌が ないではないか
 代わって わしが うたってやらねば〕
○更に更に後の人 付け加えての歌 
海原うなはらの 沖行く船を 帰れとか 領布ひれ振らしけむ 松浦まつら佐用さよひめ
《沖へ行く 船還ってと 命がけ 領布ひれ振りはった 佐用さよひめはんが》
行く船を 振りとどみかね 如何いかばかり こほしくありけむ 松浦まつら佐用さよひめ
《恋し船 めさすことが 出けへんで 悔しかったろ 佐用さよひめはんは》
                         ―山上憶良?―〔巻五・八七四~八七五〕 

〔意地を張るのも つらいわい
 「めい」に弱いは 官人の常
 旅人殿も 痛いところを つきなさる 
 お陰で いい気晴らしを させて貰った 
 持つべきものは 友・・・〕 

謹厳実直の士にも 情けは届く 




<ひれふりの嶺>へ


憶良編(8)二つの石を

2009年09月21日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月23日】

けまくは あやにかしこし 足日女たらしひめ 神のみこと 韓国からくにを たひらげて 御心みこころを しづめ給ふと い取らして いはひ給ひし 真珠またまなす 二つの石を・・・

【深江子負原八幡・鳥居前の石は安政年間建立の万葉歌碑】


かねがね 訪れたいとの思い  
やっと叶って 
今 憶良は 怡土郡いとのこおり深江村にいる
玄界灘の向こう  
はるかに 壱岐・対馬  
韓国からくには かすみの向こうか

深江の浜を望む 小高い丘に それは あった 
大小 径一尺を越す 二つの長丸石 
往来の者 すべからく 拝すという 
那珂郡なかのこおり蓑島の 建部たけべ牛麿の言葉 そのままに

いしりの古老の話に 憶良は 筆を執る
けまくは あやにかしこし 足日女たらしひめ 神のみこと 韓国からくにを たひらげて 
御心みこころを しづめ給ふと い取らして いはひ給ひし 真珠またまなす 二つの石を 
世の人に 示し給ひて 万代よろづよに 言ひぐがねと

神功じんぐうの 皇后はんが 韓国からくにの 征伐行く時 持ってった 心しずめの 祈り石
 二つを見せて 世の人に 後々あとあとまでも 言い継げと》
わたの底 沖つ深江の 海上うなかみの 子負こふの原に み手づから 置かし給ひて 
かむながら かむさびいます 奇魂くしみたま 今のをつつに 尊きろかむ

《海を望める 子負こふの丘 自らまつる 神の石
 年月としつきって 今見ても なんと尊い この石よ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八一三〕 
天地あめつちの ともに久しく 言ひげと 此の奇魂くしみたま 敷かしけらしも
《この話 ずうっとずっと 伝えよと お置きになった 神宿り石》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八一四〕 

一衣帯水いちいたいすい 
韓国からくにとの海峡は 
交易につけ 軍事につけ 船の行き交った海 
その昔 若い憶良を もろこしへと運んだ海
憶良の はるか 昔 
伝説が 伝える ちん懐石かいいしの置かれた小丘

憶良の老いの眼が 海の向こうを見ている 



<鎮懐石伝説地>へ


憶良編(9)都の風俗(てぶり)

2009年09月20日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月24日】

あまざかる ひな五年いつとせ 住ひつつ 
               都の風俗てぶり 忘らえにけり


【大宰府正庁址】


湿っぽいうたげが 続いている
天平二年〔730〕十一月 
大伴旅人おおとものたびと 大納言に昇進
人臣の極みにのぼりつめた 旅人
みやこへ戻るにつけての はなむけの宴
目出たい 祝の宴で あるべきに 
酒の味は 苦い 
宴席に 集う人々の きずなは 
官人としての それではない 
友人 知己 同胞はらから の 絆
それだけに 別れの辛さが 先に立つ 

あま飛ぶや 烏にもがもや 都まで 送りまをして 飛び帰るもの
《飛ぶ鳥に なってあんたを 都まで 送って行って 戻ってきたい》 
人もねの うらぶれるに 龍田たつた山 御馬みま近づかば 忘らしなむか
《こっちみな しょんぼりやのに 龍田山 近くに見たら 忘れんちゃうか》
言ひつつも 後こそ知らめ とのしくも さぶしけめやも 君いまさずして
さみしさは あんたるうち まだ浅い ほんまのさみしさ ってもたあと》
万代よろづよに いまし給ひて あめの下 まをし給はね 朝廷みかど去らずて
《ずううっと 長生きされて 国のため 活躍してや 朝廷みかどに居って》
                      ―山上憶良―〔巻五・八七六~八七九〕 

宴果てて 戻った 憶良 
まんじりともせずの 夜明け 
旅人を思い 自分を思う 
あまざかる ひな五年いつとせ 住ひつつ 都の風俗てぶり 忘らえにけり
きょうはなれ ここの田舎に 五年り みやこ風情ふぜいを 忘れてしもた》
かくのみや いきらむ あらたまの く年の かきり知らずて
《いつまでも 溜息ためいきついて 暮らすんか 今年も来年つぎも その翌年つぎとしも》
ぬしの 御霊みたま給ひて 春さらば 奈良の都に 召上めさげ給はね
《頼みます あんたの引きで 春来たら 奈良の都に 呼び戻してや》 
                      ―山上憶良―〔巻五・八八〇~八八二〕 

憶良私懐わたしのおもいの歌を 前にして 旅人は 思う
〔本心 わしと共にと 思ってくれているのだ 
 残される者の心 わからぬ わしでない〕 
旅人は 妻を亡くした時の 憶良の 友情を 思い出していた 




<大宰府(二)>へ


憶良編(10)京師(みやこ)を見むと

2009年09月19日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月25日】

うち日さす 宮へのぼると たらちしや 母が手はなれ 
つね知らぬ 国の奥処おくかを 百重山ももへやま 越えて過ぎ行き 
何時いつしかも 京師みやこを見むと・・・



肥後国ひごのくに益城郡ましきのこおりの国司の使い 
筑前国府への突然のおとな
相撲使すもうづかいとして 都のぼりの途上 
若い従者 大伴君熊凝おおとものきみくまこり急死
親元への 急ぎ使いに 馬をとの要請 
一部始終を聞き 熊凝くまこりの心を 思いやる 憶良

うち日さす 宮へのぼると たらちしや 母が手はなれ 
つね知らぬ 国の奥処おくかを 百重山ももへやま 越えて過ぎ行き 
何時いつしかも 京師みやこを見むと 思ひつつ 語らひれど
 
《都へ行くと 故郷くにあとに 知らぬ他国の 奥山やま越えて
 早く都を 見たいなと 噂しながら 来たけども》 
おのが身し いたはしければ 玉桙たまほこの 道の隈廻くまみに 
手折たをり 柴取り敷きて とこじもの うちして 
思ひつつ 嘆きせらく
 
《思いも掛けず 病気なり  道のほとりに 草や柴
 敷いて作った 仮床かりどこに 身を横たえて 思うには》
国に在らば 父とり見まし 家に在らば 母とり見まし  
世間よのなかは かくのみならし いぬじもの 道にしてや いのちぎなむ

故郷くににおったら おっあん 家におったら おっさん
 枕そば来て 看取みとるのに ままにならんと 道のはた 犬が死ぬよに くたばるよ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八八六〕 

たらちしの 母が目見ずて おほほしく 何方いづち向きてか が別るらむ
かあちゃんに 会わんとくか 鬱々うつうつと 何処どこをどうして 行ったらんや》
常知らぬ 道の長手ながてを くれくれと 如何いかにか行かむ かりては無しに
《行ったこと ない道続く あの世旅 弁当べんと持たんと どないに行くか》
家に在りて 母がとりば 慰むる 心はあらまし 死なば死ぬとも 
《家って おかあが看取り するんなら 例え死んでも くやめへんのに》
出でて行きし 日を数へつつ 今日けふ今日けふと を待たすらむ 父母らはも
《出てからも 今か今かと 指折って 待ってるやろな  おとうとおかあ
一世ひとよには 二遍ふたたび見えぬ 父母を 置きてや長く が別れなむ
《この世では もう会われへん ととかか 残してくのか ひとりあの世へ》
                    ―山上憶良―〔巻五・八八七~八九一〕 

子煩悩こぼんのう憶良に 他人ひとの身とも思えぬ 痛みが走る


憶良編(11)渡るすべ無し

2009年09月18日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月28日】

袖振らば 見もかはしつべく 近けども  
           渡るすべ無し 秋にしあらねば 



憶良は 夜空を眺めていた 
かささぎが 天の川に 羽根を広げている
〔織姫と彦星 今宵の逢瀬おうせ 
 月も良し 星も良しか〕 
これまでの 七夕歌が 並べられている 
何時いつとはなしに 多くをんだものだ
 ひとつ 物語仕立てに 入れ替えてみるか〕 

〔先ずは 二人の 切ない思いを〕 
牽牛ひこぼしは 織女たなばたつめと 天地あめつちの 別れし時ゆ いなうしろ 川に向き立ち  思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに 
《彦星はんと 織姫おりひめはん 太古の昔 仲裂かれ 思い交わせず 嘆きおる》
青波あをなみに 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ 
かくのみや  いきき居らむ かくのみや 恋ひつつあらむ

《逢いたい気持ち 波はばむ 白い雲見て 涙する 溜息ためいきもらし 恋焦がる》
ぬりの 小舟をぶねもがも たままきの かいもがも 
あさなぎに いき渡り 夕潮に いぎ渡り 
ひさかたの あま川原かはらに あま飛ぶや 領巾ひれ片敷き 
玉手たまでの 玉手たまでさしへ あまた夜も ねてしかも 秋にあらずとも

《赤い船欲し 櫂も欲し 朝は川越え 夕べ漕ぎ  天の川原かわらに 領布ひれ敷いて 腕をからめて 寝てみたい 七夕あきだけごて 幾晩も》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二〇〕 

風雲は 二つの岸に 通へども わが遠妻とほづまの ことそ通はぬ
《風や雲 岸から岸へ 渡るのに いとしお前の 声届かへん》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二一〕 
たぶてにも げ越しつべき あまがは 隔てればかも あまたすべ無き
《石投げて 届きそやのに 天の川 水が邪魔して こんなに遠い》 
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二二〕 
天の川 いと川波は 立たねども 伺候さもらかたし 近きこの瀬を
《天の川 波も立たんと 近いのに たずねもでけん 口惜くやしいこっちゃ》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二四〕 
袖振らば 見もかはしつべく 近けども 渡るすべ無し 秋にしあらねば 
《袖振るの 見えてるやんか それそこに なんで渡れん 七夕あきちゃうからか》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二五〕 
〔毎夜 毎夜 相見ながら ままならぬ逢瀬おうせ
 どんなに 悔しく 切なく 恋焦がれることであろう 
 それだけに 逢える日のうれしさ  待ち遠しさは いかばかり・・・〕  



憶良編(12)我許(わがり)来まさむ

2009年09月17日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月29日】

ひさかたの あまの川瀬に 船けて
           今夜こよひか君が わがまさむ



七月七日 今日 その日 年に 一度の 七夕あきの宵

〔おお 天の川の中ほど 星のゆらめき〕 
牽牛ひこぼしの つま迎へぶね 漕ぎらし あま川原かはらに 霧の立てるは
《彦星の 迎えの船が 出たんやな 天の川原に 霧出てるがな》 
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二七〕 

織姫おりひめさん さぞかし ときめいて おられるじゃろう〕 
天の川 ふつの波音なみおと 騒ぐなり わが待つ君し 舟出すらしも
《天の川 波ざわざわと 騒いでる うち待つあんた 船したんや》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二九〕 
ひさかたの あまの川瀬に 船けて 今夜こよひか君が わがまさむ
《天の川 船浮かばして 今夜こんや来る あんたと逢える うち待つ岸で》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五一九〕 
かすみつ 天の川原に 君待つと いゆきかへるに の裾ぬれぬ
《霞んでる 川原かわらまで出て あんた待つ 行ったり来たり 裾まで濡らし》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二八〕 
あまかは 相向き立ちて わが恋ひし 君ますなり ひも解きけな
《天の川 隔て離され 焦がれ待つ あんた来る来る 早よ支度したくせな》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五一八〕 
秋風の 吹きにし日より いつしかと  わが待ち恋ひし 君そ来ませる 
立秋あきの風 吹いた時から 待ちに待つ うち待つあんた ようやっと来る》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二三〕 

〔ああ 雲が 
 二人の逢瀬おうせ 雲が隠す
 雲のやつ 気遣きづかいか・・・
今宵 過ぎれば 一年後か 
 切ない 別れが 待っている 
 その時の 思い・・・〕 
玉かぎる 髣髴ほのかに見えて 別れなば もとなや恋ひむ 達ふ時までは
《喜びの 逢瀬おうせ束の間 夜明よあけたら また焦がれや 今度逢うまで》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二六〕 

雲の晴れ間 
輝き増す 牽牛けんぎゅうぼし と 織姫おりひめぼし
 

憶良編(13)春日暮らさむ

2009年09月16日 | 憶良編
【掲載日:平成21年9月30日】

春されば まづ咲く宿の 梅の花 
          独り見つつや 春日暮らさむ 


【結び松の碑 後ろは崖と海】


手文庫の中 
七夕歌を 整理した 憶良 
昔懐かしさに 思わず こぼれる笑み 

〔おお これは 紀伊国きのくに 行幸の供の時
 持統帝の時代であった 
 わしも 若かった 三十一の年か 
 磐代いわしろ
 道行く人 皆 思わずにはいない  有間皇子ありまのみこ
 手向けの歌〕 
白波の 浜松の木の むけぐさ 幾代までにか 年はぬらむ
《松の木に 幣布きれ結び付け 祈るんは ずうっと前から 続く習慣ならわし
                         ―山上憶良―〔巻九・一七一六〕 
天翔あまがけり ありがよひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ 
《空飛んで 皇子みこの魂 かよて来る 人間ひと見えんでも 松は知っとる》
                         ―山上憶良―〔巻二・一四五〕 

憶良 次の歌へと 目をやる 
秋の野に 咲きたる花を および折り かき数ふれば 七種ななくさの花
《秋の野に 咲いてる花を 数えたら 秋ずる花 種類は七つ》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五三七〕 
はぎの花 尾花をばな 葛花くずばな 瞿麦なでしこの花
女郎花をみなへし また藤袴ふぢばかま 朝貌あさがほの花

《萩の花 すすき葛花 撫子なでしこの花
女郎花おみなえし ふじばかまばな 桔梗ききょうばななり》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五三八〕 
〔これは うたじゃ 
 しかし 皆は よき歌という 
 人生の苦労も知らず 純粋に若かった 
 今に思うと 心に秘めた人を なぞらえたか〕 

〔これは これは また 懐かしい〕 
春されば まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ 
《春来たら 最初さいしょ咲く花 梅の花 独り見るには 惜しい春やな》
                       ―山上憶良―〔巻五・八一八〕 
〔ああ 旅人殿を 思い出す 
 天平二年〔730〕正月の 梅花ばいかの宴
 大宰府の官人 三十二名が集いし宴 
 この歌に 旅人殿 目を潤ませておられた 
 奥様を 伴って来られた筑紫 
 その地で亡くされ 酒にうたげに ふけられていた
 都戻りの旅 独り戻りを 嘆かれたと聞く 
 その 旅人殿も 昨年 この世を去られた 
 人は むなしくなるが こうして 歌だけは残る〕

憶良に 人生・社会を 見つめる歌が 増えて行く 





<結び松の碑>へ