【掲載日:平成21年10月29日】
・・・また帰りきて 今の如 逢はむとならば
この篋 開くな勤と そこらくに 堅めし言を・・・
【伊根町本庄浜、筒川河口】
丹後の国 本庄浜 古老と共に 浜に座す虫麻呂
ぼそりと 始まる 古老の話
春の日の 霞める時に
墨吉の 岸に出でゐて
釣船の とをらふ見れば
古の 事ぞ思ほゆる
《春の霞に 岸に出て
釣り船見てたら 思い出す》
水江の 浦島の子が 堅魚釣り 鯛釣り矜り 七日まで 家にも来ずて
《浦島はんは 魚釣る あんまり沢山 釣れるんで 七日も家に 帰らんと》
海界を 過ぎて漕ぎ行くに
海若の 神の女に たまさかに い漕ぎ向い 相誂らひ こと成りしかば
《沖漕いでたら 偶然に 海神娘に 逢うたんや どっちとものう 一目ぼれ》
かき結び 常世に至り 海若の 神の宮の 内の重の 妙なる殿に
携はり 二人入りゐて 老ひもせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを
《手に手を取って 海神宮に 甘い暮らしの 日が続く そのまま死なんと 暮らせたに》
世の中の 愚人の 吾妹子に 告りて語らく
須臾は 家に帰りて 父母に 事も告らひ
明日の如 われは来なむと 言ひければ
《あほやで浦島 言うたんや 一寸帰って 親に言い じきに帰るて 言うたんや》
妹がいへらく
常世辺に また帰りきて 今の如 逢はむとならば
この篋 開くな勤と そこらくに 堅めし言を
《海神娘は 言うたんや
帰って来たい 思うたら この箱開けたら あかんでと
厳う厳うに 言うたんや》
墨吉に 帰り来りて
家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく
家ゆ出でて 三歳の間に 垣も無く 家滅せめやと
《帰って来たら 家はない 村もあれへん 奇怪な
家を出てから 三年で 家が無うなる 筈はない》
この箱を 開きて見てば もとの如 家はあらむと 玉篋 少し開くに
白雲の 箱より出でて 常世辺に 棚引きぬれば
《もしやこの箱 開けたなら 元戻らんかと 箱開けた
湧きでる煙 白煙 海神宮殿へと 流れてく》
立ち走り 叫び袖振り 反側び 足ずりしつつ たちまちに 情消失せぬ
若かりし はだも皺みぬ 黒かりし 髪も白けぬ
ゆなゆなは 気さへ絶えて 後遂に 命死にける
《慌て走って 叫び転倒 地団太踏んで 悔しがる みるみる元気 無うなって
しわくちゃ顔で 白髪なり 息絶え絶えで 死んでもた》
水江の 浦島の子が 家地見ゆ
《あの辺り 昔に浦島 住んでたところ》
―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四〇〕
常世辺に 住むべきものを 剣太刀 汝が心から 鈍やこの君
《海神娘と 死なんと長う 暮せたに ほんまアホやで 浦島はんは》
―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四一〕
春の波が ゆたりゆたりと 寄せては返している
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