令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・政争の都編(11)紐解き開けな

2011年09月30日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年9月30日】

高円たかまとの 尾花をばな吹き越す 秋風に
           ひもけな ただならずとも




 を流れる 汗は
五月 の暑さ ばかりでは なかった
大納言  藤原仲麻呂が屋敷
天皇おおきみ奏上の 役目遂行がため 
上官 仲麻呂の指示乞い 訪問おとない
緊張下 に 指図受け
退出 の 家持
やっと  汗は 引いていた
 やれやれ ほっとじゃ
 したが 望外ぼうがいの収穫だったわい)
仲麻呂 面会待ちの一時ひととき
居合わせた 山田土麻呂やまだのひじまろ
語って くれた かれこれ 三十年昔の古歌

あしひきの 山行きしかば 山人やまびとの 我れに得しめし 山苞やまづとぞこれ
《これこそが 山に入って 仙人せんにんに ちんもろうた 山土産みやげぞよ》
                         ―元正天皇げんしょうてんのう―(巻二十・四二九三)

あしひきの 山に行きけむ 山人やまびとの 心も知らず 山人やまびとたれ
仙人せんにんが 山にはいって 何のため どこの仙人せんにん うたんやろか》
                         ―舎人親王とねりのみこ―(巻二十・四二九四)

 の訪れと共に
家持 は 心楽しい日を 迎えていた
 主が 帰ってきたのだ
家持 危急ききゅうの折
何度 となく 手を差し伸べ 
窮地きゅうち脱出に 力貸しの 池主
参内さんだい緊張がさねに またもの こころほぐ
心許しの友 中臣清麻呂なかとみのきよまろ誘い
酒壷たずさえ 高円たかまどの野へ

高円たかまとの 尾花をばな吹き越す 秋風に ひもけな ただならずとも
高円たかまどの すすきなびかす 秋風に くつろ仕様しょうや うちる気で》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―(巻二十・四二九五)

天雲あまくもに 雁ぞ鳴くなる 高円たかまとの 萩の下葉したばは 黄葉もみちあへむかも
《雲の中 雁鳴いとおる 高円たかまどの 萩の葉先は 黄葉いろづくやろか(霜枯れせんと)》
                         ―中臣清麻呂なかとみのきよまろ―(巻二十・四二九六)

女郎花をみなえし 秋萩しのぎ さを鹿の つゆけ鳴かむ 高円たかまとの野ぞ
女郎花おみなえし 秋萩踏んで 雄鹿おすしかが つゆ散らし鳴く 高円たかまどの野で》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四二九七)
                                   【八月十二日】

一時ひとときの安らぎ 明日あすへの英気えいきとなる



家待・政争の都編(10)心悲しも

2011年09月27日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年9月27日】

うらうらに 照れる春日はるひに 雲雀ひばり上がり
             こころかなしも ひとりし思へば




どき 花どき
あたたかさ増す 風は
 の心を 浮き立たせる
しかし  また
淀む霞は だるさ呼び
物思い  深める

(雪の内裏だいり
 あの快活かいかつ歌は キリとした 寒さ故か
  越の春
 身引き締まる寒さ 宿やどしていた
  都の春
 この 物憂ものう
  昔も こうであったろうか)

付き合いづよくなったと 思う家持
我慢 虚勢きょせいの歌詠みが
知らずと 心むしばみを 呼んでいた

一番の 気りは 仲麻呂様うたげ
にらまれせぬかの 警戒ごころ
次いでは 奈良麻呂殿うたげ
誘い込まれせぬかの 用心ごころ
橘諸兄もろえうたげは 気は許せるものの
度重たびかさねは 誰の目が光るやもの 気遣いごころ
かと言って 友同士うたげ 
心寄せ いずれにかの 猜疑さいぎごころ

春の野に 霞たなびき うら悲し このゆふかげに うぐひす鳴くも
《春の野に 霞なびいて 鶯の 声よいや 沈む心に》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二九〇)

我がやどの いささむら竹 吹く風の 音のかそけき このゆふへかも
《庭の小藪やぶ 風おとう 吹き抜ける この夕暮れの さみしさ何や》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二九一)
                                  【二月二十三日】

うらうらに 照れる春日はるひに 雲雀ひばり上がり こころかなしも ひとりし思へば
《日ぃうらら 雲雀ひばりさえずる 春やのに 心はずまん 種々いろいろ思うと》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二九二)
                                  【二月二十五日】

沈み心  そのままを詠み
さら なる底に 沈み込む
しかるのち
声殺しの 心うち吟じが
うつさんじ となる
気付かずがまま 家持は会得えとくしていた



家待・政争の都編(09)な踏みそね惜(を)し

2011年09月23日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年9月23日】

大宮おほみやの 内にもにも
        珍しく 降れる大雪 な踏みそね




帰任後  一年と四ヶ月が過ぎていた
多忙ゆえの歌なし時期は あったものの
宴席 での 歌披露には 応じてきた
 気は重いものの
 「さとし」に云う
 人付き合い 世渡りがため の歌詠い
 何とか こなせるわ
  わしも 強くなったものじゃ)
政治まつりごと向きの心遣い 重なるたび
思わぬ 心理衝撃しょうげき 受ける度
意識的  もしくは 
知らず知らずの 歌停止ちょうじがあった
 は それが無い

しかし 心安まるは 独り
(騒ぎ心 苛立いらだち心を 収めるは これが一番
 夢中ゆめなか 書持が めてくれた 独り詠み)

天平 勝宝五年(753)の春を迎え
雪降る 内裏だいり勤め最中さなか
湧き上がる  歌心

大宮おほみやの 内にもにも 珍しく 降れる大雪 な踏みそね
《大宮の 内外うちそとともに 大雪や 踏み荒らしなや 消えるんしで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二八五)

御園生みそのふの 竹の林に うぐひすは しば鳴きにしを 雪は降りつつ
庭園にわそのの 竹の林で 鶯が 鳴いとったのに 雪続いとる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二八六)

うぐひすの 鳴きし垣内かきつに にほへりし 梅この雪に うつろふらむか
《鶯の 鳴いてた庭に 咲いとった 梅花うめはな雪で しおれんちゃうか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二八七)
                                   【一月十一日】

川洲かはすにも 雪は降れれし 宮の内に 千鳥鳴くらし ところ
《川のも 雪降って来て 場所うて 千鳥内裏だいりに 来て鳴いとるで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二八八)
                                   【一月十二日】

 たけなわ 
柳芽を吹き 風になびいている
左大臣橘諸兄たちばなのもろえの宴席

青柳あをやぎの 上枝ほつえぢ取り かづらくは 君がやどにし 千年ちとせ寿くとぞ
青柳あおやなぎ 枝取りかずら 作るんは ここのさかえを 千年せんねんねごて》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二八九)
                                   【二月十九日】

ここ へ来ると 
 落ち着く 家持であった



家待・政争の都編(08)息の緒(を)に思ふ

2011年09月20日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年9月20日】

白雪の 降り敷く山を 越え行かむ
           君をぞもとな いきおも




うたげは続く
【十一月二十七日】橘奈良麻呂 但馬たじま因幡いなば按察使あんさつし はなむけうたげ 林王はやしのおおきみ屋敷
能登川のとがはの のちには逢はむ しましくも 別るといへば 悲しくもあるか
後々のちのちに きっと逢えるて おもてても 別れ云うんは 悲しいもんや》
                         ―船王ふねのおおきみ―(巻十九・四二七九)

立ち別れ 君がいまさば 磯城島しきしまの 人はれじく いはひて待たむ
みんなして 自分のことと 祈りと 奈良麻呂あんたが行って 無事帰るまで》
                         ―大伴黒麻呂おおとものくろまろ―(巻十九・四二八〇)

白雪の 降り敷く山を 越え行かむ 君をぞもとな いきおも
《白雪の 降り積もる山 越えて行く 奈良麻呂あんた思うと 心底しんそこつらい》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二八一)

「家待殿 いきおも は
 いきにする とするは如何いかが
 いやいや やはり もとが良かろうや」
席上 橘諸兄たちばなのもろえに 言葉貰い 家待感激

【天平勝宝五年(753)正月四日】石上宅嗣いそのかみのやかつぐ屋敷 
ことしげみ あひ問は無くに 梅の花 雪にしをれて うつろはむかも
いそがして 召集こえかけせんと ったんで 梅花うめはな雪で しおれたやろか》
                         ―石上宅嗣いそのかみのやかつぐ―(巻十九・四二八二)

梅の花 咲けるがなかに ふふめるは 恋かこもれる 雪を待つとか
梅花うめはなの 咲いてる中に ある蕾 見人ひとを待つんか 雪待つのんか》
                         ―茨田王まったのおおきみ―(巻十九・四二八三)

あらたしき 年のはじめに 思ふどち いれてれば 嬉しくもあるか
あたらしい 年の初めに 友同士どうし 集まりうん 嬉しいもんや》
                         ―道祖王ふなどのおおきみ―(巻十九・四二八四)

政権掌握しょうあくからむ それぞれ派閥
重なるうたげに 思惑のぞ

地位からいえば 廟堂びょうどう中核は 左大臣橘諸兄たちばなのもろえ
 武上皇の 覚えめでたく 
生来せいらいの 温厚性格は 争い好まず
藤原仲麻呂勢力伸長の中 策傍観ぼうかん

実権握るは 藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ
光明皇太后・孝謙天皇 母子おやこを後ろ盾とし
紫微しび中台ちゅうたいを取り仕切り 人材集中させ
全ての 政治方向は ここでと辣腕らつわん振るう

藤原仲麻呂へ 反発強める 橘奈良麻呂たちばなのならまろ
抑えきれぬ 父諸兄に 歯噛はがみし
おのれこその 気概きがいを燃やす
仲麻呂 の 周到政策遂行に 焦り覚え
 もすれば 過激が先走る




家待・政争の都編(07)梅をしのはむ

2011年09月16日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年9月16日】

あしひきの 山下日蔭ひかげ かづらける
             上にやさらに 梅をしのはむ 




平穏無事な中にも 政情不安の影がぎる
諸所しょしょで持たれる うたげ
全て が 政争がらみ でないも
気疲れうたげとなる
同席 すれば したで
不参 は 不参なりに
うわさ 憶測おくそくが 飛び交う

そう した中
秋の宮中行事 新嘗祭にいなめさい
今年の収穫を 神にそなえ 実りの感謝を捧げる日
天皇おおきみ 直々じきじきの うたげ
お召しにこたえ それぞれがうた
さすがに この場 憶測おくそくなく 慶賀けいが気分が満ちる

【十一月二十五日】新嘗にいなめ祭での天皇えん
天地あめつちと 相栄あひさかえむと 大宮を 仕へまつれば たふとく嬉しき
新嘗にいなめの 祭りにつかえ 天と地の さかえ祈れば 貴く嬉し》
                         ―巨勢奈弖麻呂こせのなてまろ―(巻十九・四二七三)

あめにはも 五百いほつなふ 万代よろづよに 国知らさむと 五百いほつな
《空の上 綱張巡めぐらせる 国おさめ 永遠とわに続けと 綱張巡めぐらせる》
                         ―石川年足いしかわのとしたり―(巻十九・四二七四)

天地あめつちと 久しきまでに 万代よろづよに 仕へまつらむ 黒酒くろき白酒しろき
《天と地が 続く限りの おつかえを 黒酒白酒くろしろざけを ささげて祈ろ》
                         ―文屋真人ふんやのまひと―(巻十九・四二七五)

島山に 照れるたちばな 髻華うずし 仕へまつるは 卿大夫まへつきみたち
庭山にわやまに えるたちばな 髪挿かみさして せきに連なる 側仕そばつかびと
                         ―藤原八束ふじわらのやつか―(巻十九・四二七六)

れて いざ我がそのに うぐひすの 木伝こづたひ散らす 梅の花見に
くつろいで うちその行こ 鶯が 枝散らしする 梅花うめはな見いに》
                         ―藤原永手ふじわらのながて―(巻十九・四二七七)
新嘗にいなめの うたげこれ無事 済ませたら うち梅花うめはな 見に来ませんか―こんな季節に 梅花ないが 梅見気分で みなしてどうぞ)

あしひきの 山下日蔭ひかげ かづらける 上にやさらに 梅をしのはむ
《行きましょや 日陰かずらを 髪挿かみさして 気分そのまま 梅花うめはなめに》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二七八)




家待・政争の都編(06)楽しき小里(をさと)

2011年09月13日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年9月13日】

天地あめつちに たらはし照りて
      我が大君おほきみ 敷きせばかも 楽しき小里をさと




天平 勝宝四年(752)四月九日
盧舎那るしゃな大佛開眼会かいげんえ 
聖武上皇 孝謙天皇 光明こうみょう皇太后こうたいごう 出御しゅつぎょもと
文武 百官 僧尼一万 打ち揃う
橘奈良麻呂 藤原八束やつか 大伴古慈斐こじひ 重責担当
大伴・佐伯 両氏中心の 五節ごせち久米くめまい 奉納
舞に合わせ つづみ打つは 橘諸兄もろえ以下大官十六名
全て の取り仕切り 藤原仲麻呂

麗々れいれいしい催し 家待 記録にとどめず
やはりに ざいついえ たみり出し 
こころよしとしない 橘諸兄もろえ心境 追随か

大仏開眼会 あと
孝謙女帝 皇居帰らず 藤原仲麻呂なかまろ私邸へ
そこを 御座所ござしょとし 日々の起居ききょ
その後も しばしばの私邸行幸みゆき

【藤原仲麻呂屋敷へ 天皇・皇太后行幸みゆき
 黄葉こうようした沢欄さわあららき見て 仲麻呂らに たまう歌】
この里は ぎてしもや置く 夏の野に 我が見し草は 黄葉もみちたりけり
《この里は 年中ねんじゅうしもが 置くのんか さっきの夏草くさが 色付きおるよ》
                         ―孝謙天皇こうけんてんのう―(巻十九・四二六八)

一方  聖武上皇 
左大臣橘諸兄たちばなのもろえ邸での 宴席に 座を暖める

 十一月八日】
よそのみに 見ればありしを 今日けふ見ては 年に忘れず 思ほえむかも
《噂には 聞いてったが 来てみると 忘られんほど 立派なもんや》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―(巻十九・四二六九)

むぐらふ いやしきやども 大君おほきみの さむと知らば たま敷かましを
《みすぼらし こんな家でも 上皇おおきみが お越しなるなら 玉かせたに》
                         ―橘諸兄たちばなのもろえ―(巻十九・四二七〇)

松蔭の 清き浜辺はまへに たま敷かば 君来まさむか 清き浜辺に
《松繁る 清いいけふち 玉くと またられるで 清いいけふち
                         ―藤原八束ふじわらのやつか―(巻十九・四二七一)

天地あめつちに たらはし照りて 我が大君おほきみ 敷きせばかも 楽しき小里をさと
《天と地を 照らしなされる 上皇おおきみが お越しになれば この里楽し》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二七二)

うたげに出向いたものの この歌 奏せず
果たして 家待の心境や 如何いか

孝謙天皇おおきみの されよう
とがめだてなさらぬ 聖武上皇じょうこう

先に作りし おめしそなえの歌 共々
文箱ふばこの底に 眠る運命さだめ



家待・政争の都編(05)栄ゆる今日(けふ)の

2011年09月09日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年9月9日】

秋の花 種々くさぐさにありと いろごと
          あきらむる 今日けふたふと



家持 こしち 京に向かいし折にも
期待に 胸ふくらませ
同様の お召こたえ歌を 用意していた

蜻蛉島あきづしま 大和やまとの国を 天雲あまくもに 磐船いはふね浮べ ともに まかいかじしじき いぎつつ 国見しして 
蜻蛉あきつ飛び 実り豊かな 大和やまと国 空に磐船いわふね 浮かべられ 舳先へさきともに かい付けて いで国見を しなされて》 
天降あもし はらたひらげ 千代かさね いやぎに 知らし来る 
《地上りられ 賊らし 千代のながきに この国を おおさめされた 天子てんし御子おこ
あま日嗣ひつぎと かむながら 我が大君おほきみの 天の下 をさめ賜へば 
《その後継あとつぎぎの 天皇すめらみこ 天下おさめを なされるに》
物部もののふの 八十やそともを で賜ひ ととのへ賜ひ す国も 四方よもの人をも あぶさはず 恵み賜へば 古昔いにしへゆ なかりししるし たびまねく まをし賜ひぬ 
つか宮人みやびと いつくしみ 政治まつりごとをば 安定さだめられ たみに恵みを 与えられ これまでに無い 瑞祥おめでたが 幾度いくどともう 報告しらされた》 
手抱たむだきて 事無き御代みよと 天地あめつち 日月とともに 万代よろづよに しるがむぞ 
《平安無事な 時代やと 天地日月にちげつ 有る限り しるのこすぞ 末なごに》
やすみしし 我が大君おほきみ 秋の花 しが色々に し賜ひ あきらめ賜ひ 酒宴さかみづき 栄ゆる今日けふの あやにたふと
《その天皇おおきみが いでまされ 秋の花々 いろどりを ご覧なられて やすらがれ 酒のうたげも にぎやかな 今日のこの日は とうといことよ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二五四)

秋の花 種々くさぐさにありと いろごとに あきらむる 今日けふたふと
《秋の花 どの花見ても 心え やすらかされる 今日の貴さ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二五五)

そして  
頼むは 橘諸兄もろえさま と
参内さんだいの折 または うたげ呼ばれしに備えていた

古昔いにしへに 君し三代みよて つかへけり 大主おほぬしは 七代ななよまをさね
《その昔 三代さんだいつかえの かた居ます 橘卿おかみ七代ななだい お仕えなされ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二五六)
                         (三代仕え=武内宿禰たけのうちのすくねら)

政治情勢 悪化と不利の最中さなか
宮廷現状 いまだ絶望せずの 家持が判断
果たして  適や 不適や



家待・政争の都編(04)寿(ほ)き響(とよ)もし

2011年09月02日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年9月2日】

・・・千年ちとせ寿き 寿とよもし
      ゑらゑらに 仕へまつるを 見るがたふと



藤原 仲麻呂 
 奈良麻呂
暗闘あんとう 暗々裏あんあんりに進む中
仲麻呂のにらみを避け
奈良 麻呂とは距離を置き
家持 は 
中立 保身の政治信条を 持ち続けていた
台閣だいかく首班は 依然橘諸兄もろえ
 上皇となられた 聖武のみかど
 やまいちとは云え 孝謙女帝おおきみの後見
  その権威 まだまだ 衰えあるまい)

家持 は 
機会 ありせば 
めしに応え 詠うべくの歌用意に 励む

あしひきの 八峰やつをうへの つがの木の いやぎに 松が根の 絶ゆること無く あをよし 奈良の都に 万代よろづよに 国知らさむと 
《峰々に 生えるつがの木 次々と 長い松の根 途切とぎれんと 栄えの続く 奈良みやで 万世よろずよまでも おさめらる》
やすみしし 我が大君おほきみの かむながら 思ほしめして とよあかり 今日けふの日は 
天皇おおきみさんが 開かれた とようたげの このよき日》
物部もののふの 八十やそともの 島山に かるたちばな 髻華うずに刺し ひも解きけて 千年ちとせ寿き 寿とよもし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るがたふと
つかえの人は 打ちそろい 庭に輝く たちばなを かみに飾って くつろいで 千年ちとせ寿ことほぐ 祝いして みをこぼして つどいする なんと貴い この集まりよ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二六六)

天皇すめろきの 御代みよ万代よろづよに かくしこそ あきらめめ 立つ毎年としのは
天皇おおきみの 御代みよが栄えて こんなせき 開きくつろご 来る年毎に》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二六七)

家持 思う お召元
聖武上皇じょうこうなりや はたまた 孝謙天皇おおきみなりや