令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・越中編(一)(30)妻問(つまど)ひしけむ

2010年12月31日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年3月25日】

いにしへへの ますら壮士をとこ
      相きほひ 妻問つまどひしけむ
            葦屋あしのやの 菟原うなひ処女をとめの・・・



やっとの いとま得た 家待
田辺福麻呂たなべのさきまろが残し置いた 歌集を
〔これは  これは
 田辺福麻呂さきまろ殿
 諸兄もろえ様お付きの歌人と 思いしが
 いろいろとの巡り さって居ったか
 おお 菟原うない処女おとめじゃ
 高橋蟲麻呂むしまろ殿での歌 名高いが〕

いにしへへの ますら壮士をとこの 相きほひ 妻問つまどひしけむ 
葦屋あしのやの 菟原うなひ処女をとめの 奥津城おくつきを 我が立ち見れば 
 
《その昔 雄々おおし男が 二人して 妻争いで 競い
 菟原うない処女おとめの 墓処はかどこを 見よと思うて やって来た》 
永き世の 語りにしつつ 後人のちひとの しのひにせむと 
玉桙たまほこの 道の近く 磐構いわかまへ 造れる塚を 
天雲あまくもの そくへのきはみ この道を 行く人ごとに 
行き寄りて い立ち嘆かひ ある人は にも泣きつつ
 
後々のちのちまでの 語り草 後の世ひとの しのび草
 仕様しょうみちに 石積んで 作り築いた はかづか
 この国住まう  どの人も 往き来にここを 通るとき
 立ち寄りたずね 嘆きする 人によっては 泣きむせぶ》
語りぎ しのぎくる 処女をとめらが 奥津おくつどころ 
我れさへに 見れば悲しも いにしへ思へば

《語り伝えて しのぐ 処女おとめまつる 墓処はかどころ
 見るに悲しい  昔の話》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻九・一八〇一〕

いにしへの 信太しのだ壮士をとこの 妻問つまどひし 菟原うなひ処女をとめの 奥津城おくつきぞこれ
《その昔 信太しのだ壮士おとこが 妻問つまどうた 菟原うない処女おとめの 墓処はかやで此処ここが》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻九・一八〇二〕
語りぐ からにも幾許ここだ 恋しきを ただに見けむ いにしへ壮士をとこ
《語りぐ だけでもこんな つらいのに とうの本人 どんなやろうか》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻九・一八〇三〕


家待・越中編(一)(31)生(お)ひて靡(なび)けり

2010年12月28日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年3月29日】

・・・しのひにせよと 黄楊つげ小櫛をぐし しかしけらし ひてなびけり


田辺福麻呂たなべのさきまろ 高橋蟲麻呂たかはしのむしまろ
両名の歌 
家待の歌心 くすぐる 

いにしへに ありけるわざの くすばしき 事と言ひぐ 
茅渟ちぬ壮士をとこ 菟原うなひ壮士をとこの うつせみの 名を争ふと たまきはる いのちも捨てて 
争ひに 妻問つまどひしける 処女をとめらが 聞けば悲しさ
 
はるか昔の あわれな話
 茅渟ちぬ壮士おとこと 菟原うない壮士おとこ おのれ名誉と 命をけて
 嫁にもらおと 取りうた云う 相手処女おとめの 悲しい話》
春花の にほえさかえて 秋の葉の にほひに照れる 
あたらしき 身のさかりすら 大夫ますらをの こといたはしみ
 
はるはなみたい 咲き誇ってた 秋の黄葉もみじ 照輝かがやいとった
 若い盛りの その身の上を 男言葉に いたばさまれて》
父母に まをし別れて 家離いへさかり 海辺うみへに出で立ち 朝夕あさよひに 満ちしほの 
八重やへ波に なび玉藻たまもの ふしも 惜しきいのちを つゆしもの 過ぎましにけれ
 
《父母別れ 家あとにして 海辺たたずみ 朝夕満ちる
 潮の波間に なびみたい たゆたう命 あたらの命 つゆしもみたい はかのう消える》
おくつきを 此処ここと定めて のちの世の 聞きぐ人も いやとほに しのひにせよと 
黄楊つげ小櫛をぐし しかしけらし ひてなびけり

《その墓処はかどこを この場に決めて 後世くるよの人の しのびの草と
 刺す黄楊つげ小櫛おぐし 芽吹めぶいて育つ 伸びたその枝 風なびかせる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十九・四二一一〕

処女をとめらが のちしるしと 黄楊つげ小櫛をぐし かはひて なびきけらしも
処女おとめらの 話えにしの 黄楊つげ小櫛おぐし 芽吹めぶいた枝を 風なびかせる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十九・四二一二〕

〔どうも  勢いが違うわい
 やはり その場見ての うたいと
 文机ふづくえ前にしての 詠い 致し方あるまい
 いずれの機会きかい おとのうて みたいものじゃ〕



家待・越中編(一)(32)千船(ちふね)の泊(は)つる

2010年12月24日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年4月5日】

浜清み 浦うるはしみ
        神代かみよより 千船ちふねつる 大和太おほわだの浜



「おお これは 敏馬みぬめの浦じゃ」
〔父上を  思い出す
 あれは確か  大和帰任の折
 筑紫で亡くした  
母者人ははじゃひとを 思うての歌であった〕

妹と来し 敏馬みぬめの崎を 帰るさに 独りし見れば 涙ぐましも
敏馬みぬめさき お前と見たな 帰りみち ひとりで見たら 涙とまらん》
行くさには  二人我が見し この崎を 独り過ぐれば 心悲しも
《来るときは 二人で見たな このみさき ひとりとおるん 悲してならん》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四四九、四五〇〕 

〔父上を  思うと
 あの『さとしのこと』が 思い出される
一、人付き合い 世渡りが為 うたつくりがかなめ
  切磋琢磨せっさたくまし 一廉ひとかど歌人うたびと目指すべきこと
 その通り  歌が人をつなげる 
 いよよ  励まねば
どれ 
 福麻呂さきまろ殿の 敏馬浦みぬめうら 拝見致すとしよう〕

八千桙やちほこの 神の御代みよより 百船ももふねの つるとまりと 八島国やしまくに 百船人ももふなびとの 定めてし 敏馬みぬめの浦は 
《国造る 八千桙やちほこ神の 昔から 多数ようけの船の 港やと 倭国中やまとくにじゅの 船人ふなびとが 決めた敏馬みぬめの その浜は》
朝風に 浦波さわき 夕波に たまる しら真砂まなご 清き浜辺はまへは 往き還り 見れどもかず 
《朝風吹くと 波さわぎ 夕べの波に たま寄る 白砂しらすな清い その浜辺 きも還りも 見きへん》
うべしこそ 見る人ごとに 語りぎ しのけらしき 百代ももよて しのはえゆかむ 清き白浜
《見た人みんな 伝えて め続けたん もっともや 今後こんご百年 められて 続いて行くで 清い白浜はま
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻六・一〇六五〕

真澄まそかがみ 敏馬みぬめの浦は ももふねの 過ぎて行くべき 浜ならなくに
敏馬みぬめ浦 通る全部の 船々が 寄らんで済ます 浜とちがうで》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻六・一〇六六〕

浜清み 浦うるはしみ 神代かみよより 千船ちふねつる 大和太おほわだの浜
《浜きよて 浦は綺麗きれえで 神代かみよから 千もの船が 集まる浜や》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻六・一〇六七〕


家待・越中編(一)(33)弟(おと)の命(みこと)は

2010年12月21日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年4月8日】

父母ちちははが しのまにまに はしむかふ おとみことは・・・


「なになに これは おとうととの別れ?」
〔確か 田辺福麻呂さきまろ殿は 一人子のはず
 他人ひとの身に起こりしを
 自分のこととして  詠んだか
 ・・・おおぅ 書持ふみもちじゃ
 これは 書持への き歌
 違いない 
 父を思い出させ  今また書持まで
 田辺福麻呂さきまろ殿 
 なんという  気遣い〕
 
父母ちちははが しのまにまに はしむかふ おとみこと
《父母が 生んで育てた 弟は 一緒めし食た 弟や》
つゆの やすきいのち 神のむた 争ひかねて 
葦原あしはらの 瑞穂みづほの国に 家無みや またかへぬ 
とほつ国 黄泉よみさかひに つたの おのが向き向き 天雲あまくもの 別れし行けば
 
はかない命 そのままに 神さんおめし 逆らえず
 このもとに 居場所ない 家も無いて って仕舞
 あの世この世の 境目で あっちとこっち ちゃう向きで 別れて仕舞しもて 消えて仕舞た》
闇夜やみよなす 思ひまとはひ 猪鹿ししの 心を痛み 
葦垣あしかきの 思ひ乱れて 春鳥の のみ泣きつつ 
あぢさはふ 夜昼よるひる知らず かぎろひの 心燃えつつ 悲しび別る

《目先っ暗 うろが来て 悲しみ暮れて 胸痛い
 何も手つかず 取り乱し 声張り上げて 泣きどお
 夜昼けじめ 分らんと 切ない気持 胸あふれ 涙に暮れて 野辺のべ送り》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻九・一八〇四〕

別れても またも逢ふべく 思ほえば 心乱れて れ恋ひめやも
《別れたが また会えるなら こんなにも つろう悲しゅう 思わへんのに》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻九・一八〇五〕

あしひきの 荒山中あらやまなかに 送り置きて かへらふ見れば こころ苦しも
野辺のべ送り さみしい山に ほうむって 帰える見ると 胸えぐられる》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻九・一八〇六〕

読み終えた  家待
頬が  濡れている
書持がため 
田辺福麻呂さきまろの 友思心ともおもいがため


家待・越中編(一)(34)直(ただ)目(め)に見ねば

2010年12月17日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年4月12日】

・・・真澄鏡まそかがみ ただに見ねば したひ山 下行く水の うへでず・・・


〔今度は 相聞そうもん
 田辺福麻呂さきまろ殿も 人の子
 相手は どんな女児おみなごであろう
 おお 名前は 白玉しらたまと申すか
 いやいや  白玉の如き 可愛げな名か〕
 
しらたまの 人のその名を なかなかに ことしたへ 逢はぬ日の 数多まねく過ぐれば 
恋ふる日の 重なりゆけば 思ひる たどきを知らに きも向ふ 心くだけて
 
真珠玉しんじゅだま 大事に思う 児の名前 心にめて 口せんと 逢わん日なごう って仕舞
 がれる日ィが かさなって 気分を晴らす すべて 心はえて しぼんでる》 

玉襷たまだすき けぬ時なく 口まず が恋ふる児を 
玉釧たまくしろ 手に取り持ちて 真澄鏡まそかがみ ただに見ねば 
した
ひ山 下行く水の うへでず おもこころ 安きそらかも

《ずっと気にけ おもうてて 名前呼ぶんも 胸の中
 わしの可愛児かわいこ 手に取って じかに見ること 出けんので
 山の木の下 もぐる水 表にせん この気持ち 安らぎせんで 鬱々うつうつしてる》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻九・一七九二〕

かきほなす 人の横言よここと しげみかも 逢はぬ日数多まねく 月のぬらむ
《周りみな うわさ五月蝿うるそう うもんで 逢えん日続き もう一月ひとつきや》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻九・一七九三〕

たちかはり 月重なりて 逢はねども さね忘らえず 面影おもかげにして
《月変わり もう何月なんつきも 逢わんけど 顔ちらついて 忘れられんで》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻九・一七九四〕

微笑ほほえましく読む 家待の胸に 大嬢おおいらつめが浮かぶ
〔そう云えば  大嬢め
 『越は  海辺の国 さぞかし 美しい白玉が 沢山に』と 申しておった 
 早速に  手に入れ 送ってやるとするか〕
〔ん? 父と云い 書持ふみもちと云い
 今度は  大嬢?
 まさか 
 田辺福麻呂さきまろ殿の 思惑?
 まさか  まさか・・・〕


家待・越中編(一)(35)五百箇(いほち)もがも

2010年12月14日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年4月15日】

珠洲すす海人あまの おき御神みかみ
      い渡りて かづき採るといふ あはびたま 五百箇いほちもがも・・・



家待  
都で待つ 大嬢おおいらつめへ 真珠を送るべく
真珠玉を  得んと願うて 詠う

珠洲すす海人あまの おき御神みかみに い渡りて かづき採るといふ あはびたま 五百箇いほちもがも 
珠洲すず海人あまが 海のおき行き 潜もぐり取る あわびたまを 五百ごひゃくし》
しきよし 妻のみことの 衣手ころもでの 別れし時よ ぬばたまの どこ片さり 
朝寝あさねがみ きもけずらず 出でてし 月日みつつ 嘆くらむ こころなぐさ
 
《別れ置き来た いとし妻 どこを独り 寝て暮らし
 朝寝の髪も かへんで 別れた月日 数えてる 嘆きしずめの なぐさみに》
霍公鳥ほととぎす 来鳴く五月さつきの 菖蒲草あやめぐさ 花橘たちばなに まじへ かづらにせよと 包みてらむ
《ほととぎす鳴く 五月咲く 菖蒲あやめの草と たちばなと 一緒の糸に つなし かずらにしいと 包んで送ろ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇一〕

白玉たまを 包みてらば 菖蒲草あやめぐさ 花たちばなに へもくがね
真珠玉しんじゅだま 包み送るで 菖蒲草あやめぐさ 花たちばなと 一緒とおしや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇二〕
我妹子わぎもこが こころなぐさに らむため おきつ島なる 白たまもがも
《待つ妻の 心なごみに 送るんで おきある島の 真珠しんじゅしい》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇四〕
おきつ島 いき渡りて かづくちふ あわびたまもが 包みてらむ
おきの島 行きもぐり取る あわびたま 欲しいもんやな 送りたいんで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇三〕
たまの 五百箇いはつつどひを 手にむすび おこせむ海人あまは むがしくもあるか
真珠玉しんじゅだま 五百ごひゃくまとめて 手にすくい れる漁師は 感謝感激》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇五〕

沸々ふつふつと湧く思いは 妻思い 都思い
はたまた  友思い・・・


家待・越中編(一)(36)玉(たま)敷(し)かましを

2010年12月10日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年4月19日】

堀江には たまかましを
      大君おほきみを 御船みふねがむと かねて知りせば



今 一つ 田辺福麻呂さきまろが残しし 歌綴り
過ぐる  天平十六年〔744〕
皇都となった難波なにわでのうたげでの 歌控え

堀江には たまかましを 大君おほきみを 御船みふねがむと かねて知りせば
《堀江浜 上皇おおきみ船で 来られるん 先知ってたら たま敷かせたに》
                         ―橘諸兄たちばなのもろえ―〔巻十八・四〇五六〕
たま敷かず 君がいていふ 堀江には たま敷きてて ぎてかよはむ
《堀江浜 たま敷かへんの やむなら うちが敷かさし かようと仕様しょうか》
                         ―元正天皇げんしょうてんのう―〔巻十八・四〇五七〕
たちばなの とをのたちばな にも れは忘れじ このたちばな
たちばなを 枝もたわわな たちばなを ずっと忘れん このたちばなを》
                         ―元正天皇げんしょうてんのう―〔巻十八・四〇五八〕
たちばなの したる庭に 殿との建てて さかみづきいます 我が大君おほきみかも
たちばなの の照る庭に 御殿ごてん建て 酒宴うたげをされる 上皇おおきみさまよ》
                         ―河内女王かふちのおほきみ―〔巻十八・四〇五九〕
月待ちて 家には行かむ 我がせる 赤らたちばな かげに見えつつ
《月の出を 待って帰るわ 髪した 赤たちばなを 月に照らして》
                         ―粟田女王あはたのおほきみ―〔巻十八・四〇六〇〕
堀江より 水脈みをきしつつ 御船みふねさす 賤男しつをともは 川のまう
《堀江から 流れに沿うて さおをさす 船頭せんどんやで 危ない場所を》
                         ―作者未詳さくしやみしょう―〔巻十八・四〇六一〕
夏の夜は 道たづたづし 船に乗り 川の瀬ごとに さおさしのぼ
《夏の夜は 道あぶないで 引くのめ 浅瀬さおさし のぼって行きや》
                         ―作者未詳さくしやみしょう―〔巻十八・四〇六二〕

元正げんしょう上皇と橘諸兄たちばなのもろえとの 親密が伝わる
  政情は 緊張の中に 安定を見
仲麻呂路線が  着実に進みつつあるものの
左大臣 橘諸兄たちばなのもろえも 落ち着きを取り戻していた

家待 不在難波なにわうたげに 思いをせ 追い歌作る
橘諸兄もろえの政権での活躍を期待し 
皇室への  いや増しの貢献祈りつつ

常世物とこよもの このたちばなの いや照りに 我が大君おほきみは 今も見るごと
上皇おおきみは とこ渡りの たちばなや 照り輝いて られる今も》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇六三〕
大君おほきみは 常磐ときはさむ たちばなの 殿のたちばな ひたりにして
橘家たちばなの 御殿ごてん花橘たちばな 輝いて 我が上皇おおきみは 変わらずおわす》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇六四〕
―――――――――――――――
久米広縄くめのひろつな館の宴 三月二十六日
田辺福麻呂  帰京の途へ
一月も経たず後  大和より悲報
元正上皇 崩御ほうぎょ
時に  天平二十年四月二十一日
〔難波宴の追い歌 詠いしに この訃報しらせ
 何たる皮肉 神がかりよな 福麻呂さきまろ殿〕
ぷっつりと  途絶える 家待が歌詠み


家待・青春編(二)(01)あさる雉(きぎし)の

2010年12月07日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月3日】

春の野に あさるきぎしの つまごひ
             おのがあたりを 人に知れつつ



旅人たびとが明けた
佐保さほ大納言家の当主となった 家持やかもち
時に まだよわい十五
旅人の資人しじん 余明軍よのみょうぐんは 
一年の明けと共に その任が解かれる

まつりて いまだ時だに かはらねば 年月のごと 思ほゆる君
《お仕えし 日ィ浅いのに 長いこと つかえた思える 家持あなた様です》
                         ―余明軍よのみやうぐん―〈巻四・五七九〉
あしひきの 山にひたる すがの根の ねもころ見まく しき君かも
《出来るなら すがの根みたい 長々と お仕えしたい 家持あなた様です》
                         ―余明軍よのみやうぐん―〈巻四・五八〇〉

別れに際し 余明軍よのみょうぐん
かねての  旅人から預かった 書状を差し出す
「大殿さま 身罷みまかりの折 お預かりのものです」

 さとしのこと―
一、大伴家 伴造とものみやつことしてのいさおし忘れず 
  天皇おおきみへの仕え一途いちずに励むこと
一、政治まつりごとがこと 関わり浅きが 上策 
  扇動やからに付き従うは げんに避くるべきこと
一、人付き合い 世渡りが為 うたつくりがかなめ
  切磋琢磨せっさたくまし 一廉ひとかど歌人うたびと目指すべきこと
一、歌修錬は 我が遺稿いこう 並びに筆録ひつろく先人せんじん
  人麻呂殿 赤人殿 憶良殿らの筆にまねぶこと

〈かねがね  父上が 仰せのこと
 大伴家いえ守り 盛運せいうん得るに 心せねばなるまい
 それにしても 
 父上 我が歌の稚拙ちせつを ようくご存知
 励まねばならぬが 今ひとつしょうに合わぬわ〉

家持は  
作り置いた  真似ごと歌を 思い出していた

うちらし 雪は降りつつ しかすがに 吾家わぎへの園に うぐひす鳴くも
《空おおい 雪降るのんに 鶯が もう来てからに 庭で鳴いとる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四四一〉
春の野に あさるきぎしの つまごひに おのがあたりを 人に知れつつ
《春の野で えさきじは 連れ呼んで 居場所猟師りょうしに 教えとるがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四四六〉


家待・青春編(二)(02)なにか来鳴かぬ

2010年12月03日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月7日】

霍公鳥ほととぎす 思はずありき くれ
              かくなるまでに なにか来鳴かぬ



家持は 書持ふみもち相手に 歌作り錬磨れんまに余念がない
「兄上 夏も近いゆえ 題材を『ほととぎす』とし
 場面は  『鳴き待ち』としましょう」

霍公鳥ほととぎす 待てど鳴かず 菖蒲あやめぐさ 玉にく日を いまだ遠みか
《ほととぎす 待ってるのんに まだ鳴かん 菖蒲あやめ薬玉たまする 日ィんからか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四九〇〉

わが屋戸やどに 月おし照れり 霍公鳥ほととぎす 心あらば今夜こよひ 来鳴きとよもせ
うちの庭 月照っとるで ほととぎす せっかくやから 鳴きにんかい》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻八・一四八〇〉

霍公鳥ほととぎす 思はずありき くれの かくなるまでに なにか来鳴かぬ
《なんでまた 木ィの茂みが なるまで 鳴きにんのや なあほととぎす》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四八七〉

歌づくりは 書持ふみもち一日いちじつちょうがある
「わしのは  どうも見劣りがしてならぬわ
 そちの書持ふみもちの名 あながちでは ないのう
 ひとかど歌人うたびとには そちがなったらどうじゃ」
「何を  言われます
 大伴家いえを 背負しょって立つは 兄上
 始めたばかりの  修錬
 弱音を吐いて 如何いかがなされます」

「さあ  ほととぎすも 鳴きたく思うておりますぞ」

あしひきの 立ちく 霍公鳥ほととぎす かく聞きそめて のち恋ひむかも
《初聞きは 木の間くぐりの ほととぎす 聞いたその声 忘れられへん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四九五〉
何処いづくには 鳴きもしにけむ 霍公鳥ほととぎす 吾家わぎへの里に 今日のみそ鳴く
他所よそでもう 鳴いてたんやろ ほととぎす やっと此里ここ来て 鳴いてくれたな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四八八〉
の花も いまだ咲かねば 霍公鳥ほととぎす 佐保さほ山辺やまへに 来鳴きとよもす
の花が まだ咲かへんで ほととぎす 佐保の山来て 咲けて鳴いてる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四七七〉
の花の 過ぎば惜しみか 霍公鳥ほととぎす 雨間あままもおかず 此間ゆ鳴き渡る
の花の 散るんしいか ほととぎす 雨降る中を 鳴き渡りよる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四九一〉
夏山の 木末こぬれしげに 霍公鳥ほととぎす 鳴きとよむなる 声のはるけさ
《夏山の 繁るこずえで ほととぎす 鳴き響くんが はるか聞こえる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四九四〉

家持・書持ふみもち 兄弟のきずな
歌のり取りが 深めて行く