【掲載日:平成21年11月2日】
昔見し 象の小河を 今見れば いよよ清けく なりにけるかも
【象の小川、喜佐谷山中】

船は 敏馬の沖を過ぎて行く
岸では 藻を刈る娘子ら
さざめきが 波の音と共に 聞こえてくる
喜々として 見やる 大伴郎女
後姿に 旅人の優しい眼差しが 注がれている
筑紫への船旅
中納言職にあっての 大宰帥としての赴任
老年期を迎えた身には 堪える任官である
はるばるの航路と共に
中央政界との隔絶が 一層心に重い
ただ一つの 安らぎは 郎女の同行であった
老境を迎えつつあるとはいえ 子を生さぬ故か
顔は 若々しく
時として見せる仕草に 童女の趣が香る
泊りを重ね 船は 鞆の浦に 碇を下していた
物憂い旅の 慰みにと 翌朝 仙酔島への島渡り
神の霊が宿っていると言われる むろの木
年を経た巨木に 郎女は はしゃいでいた
太古そのものの自然
心躍らせ 逍遥する旅人
木々を縫って 流れ下る 清い流れ
不意のこと 旅人の胸に 象の小川が蘇生る
年老いての 鄙への赴任
もう 見られぬかとの 不安と回顧の心に
わだかまっていた 象の小川への思い
(あれは 首親王が 聖武帝として即位されて間なしの神亀元年(724)の春三月
吉野離宮行幸のときであった
久方ぶりに行った 吉野であった
変わらず 清い流れの 川であった)
み吉野の 芳野の宮は 山柄し 貴くあらし 川柄し 清けくあらし
天地と 長く久しく 万代に 変らずあらむ 行幸の宮
《吉野宮 山好えよって 貴いし 川好えよって 清らかや
ずうっとずっと 続いてや 何万年も 続いてや 大君来なさる このお宮》
―大伴旅人―(巻三・三一五)
昔見し 象の小河を 今見れば いよよ清けく なりにけるかも
《今見たら 前よりずっと 良うなった 象の清流の 清々しさよ》
―大伴旅人―(巻三・三一六)
(瞑目すれば 瞼に浮かぶ川瀬
今も耳に残る 潺湲たる渓流の音
ああ 今一度 見たいものだ)
旅人の思いは 飛ぶ
遥か 大和へ 吉野へと・・・

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