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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・政争の都編(19)神の御坂(みさか)に

2011年10月28日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年10月28日】

ちはやふる 神の御坂みさかに 
          幣奉ぬさまつり  いはふ命は 母父おもちちがため




 長歌「顧見しつつ」の続き】

家人いへびとの いはへにかあらむ たひらけく 船出ふなではしぬと 親に申さね
《家みなの 祈りつつしみ お陰持ち 無事出かけたて 親に伝えて》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四〇九)
み空行く 雲も使つかひと 人はへど 家苞いへづとらむ たづき知らずも
《空を行く 雲使いやと 言うけども 土産みやげ届ける 伝手つて分らんわ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四一〇)
家苞いへつとに 貝ぞひりへる 浜波は いやしくしくに 高く寄すれど
土産みやげにと 貝拾うたで 浜波はまなみが たこたこうに 寄せてたけども》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四一一)
しまかげに 我が船てて 告げらむ 使を無みや 恋ひつつ行かむ
《島陰の 船泊ふねどめ知らせ 出けへんで 恋しさいて 行くしかないわ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四一二)
                                 【二月二十三日】

 おや これは どこかで見たような」
ちはやふる 神の御坂みさかに 幣奉ぬさまつり  いはふ命は 母父おもちちがため
《峠越え 神に祈って この命 無事願うんは かかとと思て》
                         ―神人部子忍男みわひとべのこおしお―(巻二十・四四〇二)
「・・・神の御坂みさか 神の御坂・・・
 おおそうじゃ 確か 田辺福麻呂さきまろ殿
  来越 別れの折
 留置とめおきし 歌集にあった
  あの 神の御坂じゃ」

垣内かきつの 麻を引きし 妹なねが 作り着せけむ 白栲しろたへひもをもかず
垣中かきなかの はたで育てた 麻して 妻が作って 着せたふく そのふくひも かへんで》
一重ひとへふ 帯を三重みへ結ひ 苦しきに つかまつりて 今だにも 国にまかりて 父母ちちははも 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は 
一重ひとえの帯を 三重巻いて つら任務しごとを 耐え済ませ やっと帰れる 故郷ふるさとで 父母妻に 逢えるなと おもて急いで 来た人は》
とりが鳴く あづまの国の かしこきや 神の御坂みさか和栲にきたへの ころも寒らに ぬばたまの 髪は乱れて 国へど 国をもらず 家問へど 家をも言はず 
東国あずまくにへの つうじ道 神住む峠 御坂道みさかみち ふく寒々と 髪乱し 国たずねても こたえんと 家を聞いても 返事ない 
大夫ますらをの 行きのまにまに 此処ここやせる
 あたら男が 帰り道 こんな処で 死んでるよ》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―(巻九・一八〇〇)

(この防人 無事に任終え つつがうの峠越え
  出来れば 良いがのう)




家待・政争の都編(18)顧(かへり)見しつつ

2011年10月25日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年10月25日】

・・・玉桙たまほこの 道に出で立ち をかの崎 いむるごとに
      万度よろづたび かへり見しつつ 遥遥はろばろに 別れしれば・・・



次々と 到着する 防人さきもり兵士
集められた  歌
あの歌も この歌も 家持の胸をえぐ
任務忘れて 兵士に代わりての歌 む家持

大君おほきみの けのまにまに 島守しまもりに 我が立ちれば ははその 母のみことは 御裳みもの裾 で ちちの実の 父のみことは 栲綱たくづのの 白鬚しらひげうへゆ 涙り 嘆きたばく 
《国の任命 お受けして わしが防人さきもり 出る時に 母上すそ つまみ上げ 頭をでて いとおしみ 父上白鬚ひげに 涙垂れ 嘆きおっしゃる ことは》
鹿児かごじもの ただ独りして あさの かなしき我が子 あらたまの 年の長く あひ見ずは 恋しくあるべし 今日けふだにも 言問ことどひせむと 惜しみつつ 悲しびせば 
《「一人育ちの この息子 朝に出かける いとし児よ 長い年月としつき 逢われんの さみし限りや せめて今日 一日だけは はなそや」と 別れ惜しんで 悲しむに》
若草の 妻も子どもも 遠近をちこちに さはかく 春鳥の 声のさまよひ 白栲しろたへの 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと 引きとどめ したひしものを 
《妻も子供も 前後まえうしろ 大勢わしに からみつき 声あげ泣いて 袖濡らし 手ぇ引っ張って いややでと 行ったあかんと 引きめた》
大君おほきみの みことかしこみ 玉桙たまほこの 道に出で立ち をかの崎 いむるごとに 万度よろづたび かへり見しつつ 遥遥はろばろに 別れしれば 
受けたお役目  果たすため 心を鬼に 旅立って 岡の曲がりの その角で 何度ともう 振り返り 家をはるかに やって来た》
思ふそら  安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命も知らず  
《思う心は せつうて 恋し思いは 苦しいで この世生まれた 人やから はかない命 思うけど》
海原うなばらの かしこき道を 島づたひ いぎ渡りて ありめぐり 我がるまでに たひらけく 親はいまさね つつみ無く 妻は待たせと すみのえの 皇神すめかみに ぬさまつり 祈りまをして
《恐ろし海の 道のりを 島をつとうて いで行き 役目果たして 帰るまで 親よ達者で 居てくれよ 妻よつつが 待つにと 住吉すみのえ神に 願いして ぬさそなえて お祈りし》
難波津なにはつに 船を浮けゑ 八十やそかじき 水手かこととのへて 朝開き 我はぬと 家に告げこそ 
難波なにわの浜に 船浮かべ かじつらぬいて 水夫かこそろえ 朝の港に 船して 出かけたうて 家伝えてや 
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四〇八)
                                 【反歌 「神の御坂に」に続く】



家待・政争の都編(17)そよと鳴るまで

2011年10月21日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年10月21日】

・・・遥遥はろばろに 家を思ひ
       負征矢おひそやの そよと鳴るまで 嘆きつるかも



 とてものこと 歌と言うに 程遠い
  しかし
  この 血を引き絞るような 叫びは どうじゃ
  これが 歌やも知れぬ)
 おう 思い出したぞ
 憶良殿詠いし 大伴君熊凝おおとものきみくまこりが歌
 京師みやこのぼり途上の急死 熊凝くまこりに代わって
 うとうてやったという・・・)
防人さきもりが心 詠うてやるか)

大君おほきみの みことかしこみ 妻別れ 悲しくはあれど 大夫ますらをの こころ振り起し 取りよそひ 門出かどでをすれば 
《国からの 任命受けて 旅に出る 妻との別れ 悲しけど 気を取り直し 腹決めて 支度したく整え 旅立つに》
垂乳根たらちねの 母掻きで 若草の 妻は取り付き たひらけく 我れはいははむ 真幸まさきくて はやかへと 袖もち 涙をのごひ むせひつつ 言問ことどひすれば 
《母は頭を さすり 妻は足元 取りすがり 「無事を祈って 待つよって つつがはよに 帰って」と 涙を袖で きながら むせび泣きして うのんで》
むら鳥の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いやとほに 国をはなれ いや高に 山を越え過ぎ あしが散る 難波なにはて 
《鳥飛ぶには 出られんで あと振り返り 足よどむ 故郷くにはだんだん とおなって 山を仰山ぎょうさん 越えてきて 難波なにわにやっと 辿たどり来た》
ゆふしほに 船を浮けすゑ 朝なぎに 舳向へむがむと さもらふと 我がる時に 
《船ゆうしおに 浮かばせて 朝凪ごと 舳先へさき向け 潮待ちしてる その時に》
春霞 島廻しまみに立ちて たづの 悲しく鳴けば 遥遥はろばろに 家を思ひ 負征矢おひそやの そよと鳴るまで 嘆きつるかも
《春の霞が 立ち込めて 鶴が悲しゅう 鳴いたんで はるかな家を 思い出し 背中の征矢そやが かたかたと 音するほどに 嘆いて仕舞しもた》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三九八)

海原うなはらに 霞たなびき たづの 悲しきよひは 国辺くにへし思ほゆ
《海の上 霞なびいて 鶴の声 響くよいには 故郷くに思い出す》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三九九)

いへおもふと れば たづが鳴く 葦辺あしへも見えず 春の霞に
故郷くに思もて 寝られんよるに 鶴鳴くよ 霞で葦辺あしべ 見えやせんけど》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四〇〇)
                                  【二月十九日】



家待・政争の都編(16)波な咲きそね

2011年10月18日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年10月18日】

かはる にひ防人さきもりが 船出ふなでする
        海原うなばらうへに 波な咲きそね




防人さきもり徴発ちょうはつは 東国諸国 郡司ぐんじの役目
付き従え  難波まで 先導するは 国司
中継地  難波
到着 確認 筑紫への派遣手続き 家持任務

任務 とは 別に
家持 の心 防人それぞれに 向かう

海原うなはらを とほく渡りて 年とも 児らが結べる ひも解くなゆめ
海原うなばらを 行く船旅が ごうても 妻の結んだ ひもほどくなよ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三三四)

かはる にひ防人さきもりが 船出ふなでする 海原うなばらうへに 波な咲きそね
《交代の しん防人さきもりの 船るで 辿たど海原うなばら 白波立つな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三三五)

防人さきもりの 堀江ぎ出る 伊豆手いづて船 かじ取る間無く 恋はしげけむ
《堀江出る 防人さきもりぶねの かじまん 妻恋しいの む間もかろ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三三六)
 二月九日】
 ――――――――――――――
防人 
九州 沿岸防備の兵士
ほとんどが 東国から徴発ちょうはつ
豪族 ・農民の中 二一~六〇歳 男子
任期 三年
 ごと 千人入れ替え
任地 北九州 壱岐いき 対馬つしま
食糧  現地自己調達
武器 ・旅費 自弁
国元 年貢ねんぐ免除なし

過酷 な状況を 背に負い
続々  難波に集まる 防人兵士
  徴集は 
規定けれど 慣習有りしか
兵部少輔ひょうぶのしょう任務 家持なれば
特別 督励とくれいしたやも

検閲けんえつ任務のかたわ
集めし歌 読む家持胸に 去来きょらいするは
同心 あわれみ 哀感あいかん・・・
地方民歌たみうたへの 興味
はたまた  
勇を鼓舞するがための 勤めゆえ



家待・政争の都編(15)靫(ゆぎ)取り負ひて

2011年10月14日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年10月14日】

大夫ますらをの ゆぎ取りひて 出でてけば
             別れを惜しみ 嘆きけむ妻 




 が明けると 
兵部少輔ひょうぶのしょうとしての任務が 待っていた

天平 勝宝七年(755)二月
東国 から 
続々 防人さきもり任務の兵士が 送られてくる
集められ し 防人作りし歌
  母 父
離別の悲しみ 父母へのいつくしみ
ほとばしる 心の叫びを見 家持は詠う

大君おほきみの とほ朝廷みかどと しらぬひ 筑紫つくしの国は あた守る おさへぞと 
《この国の 遠い政府の 筑紫つくし国 外敵がいてき守る とりでぞよ》
聞こしす 四方よもの国には 人さはに 満ちてはあれど とりが鳴く 東男あづまおとこは 出で向ひ かへり見せずて 勇みたる たけ軍卒いくさと 
《おおさめなさる この国に 多数ようけの人が るけども 中にあずまの 男らは 敵にこても ひるまんと 勇気あふれる 兵士へいしぞよ》
ぎ給ひ けのまにまに 垂乳根たらちねの 母が目れて 若草の 妻をもかず あらたまの 月日みつつ あしが散る 難波なには御津みつに 
ねぎらもろて にん受けて 母とはなれて 妻置いて 月日を掛けて 難波なにわ着き》
大船に かいしじき 朝なぎに 水手かこととのへ ゆふしほに かじ引きり あどもひて ぎ行く君は 
かい大船に 多数よけ付けて 朝のなぎぎには 船頭せんど寄集び 夕潮どきに かじいで 声掛けうて 行くあんた》
波のを い行きさぐくみ さきくも 早く至りて 大君おほきみの みことのまにま 大夫ますらをの 心を持ちて ありめぐり 事しをはらば つつまはず 帰り来ませと 
《寄せ来る波を 分け進み 無事早々と 筑紫つくし着き 受けた役目を げるため 勇気心を 振り起こし 駆けめぐりして 任務しごとえ つつが無事な 帰りをと》
斎瓮いはひべを 床辺とこへゑて 白栲しろたへの 袖折りかへし ぬばたまの 黒髪敷きて 長きを 待ちかも恋ひむ しき妻らは
神酒みきつぼゆかに え置いて 白栲しろたえ袖を 折り返し 黒髪いて 長い日々 焦がれ待つやろ あいらし妻は》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三三一)

大夫ますらをの ゆぎ取りひて 出でてけば 別れを惜しみ 嘆きけむ妻
《弓背負しょって おっと防人さきもり 出る時に 別れ惜しんで 嘆いた妻よ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三三二)

とりが鳴く 東壮士あづまおとこの 妻別れ 悲しくありけむ 年の長み
《長い日を 妻とはなれる 別れぎわ 悲しかったろ あずまの男》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三三三)
                                    【二月八日】



家待・政争の都編(14)咲かむ花をし

2011年10月11日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年10月11日】

八千種やちくさに 草木を植ゑて
       時ごとに 咲かむ花をし 見つつしのはな




家持 に 歌詠み充実の日々が続く
 に 七月二十八日
初秋  爽やか季節
書持ふみもち偲びの 花木庭
秋花のさか

八千種やちくさに 草木を植ゑて 時ごとに 咲かむ花をし 見つつしのはな
 色々な 草木を植えて 季節ごと 咲く花見てて 楽しもやんか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一四)

 を覚えた 家持
昨年の 池主 中臣清麻呂きよまろ 思い
ひとり 高円たかまどの野を偲ぶ
やがて  思いは 
聖武みかどとの 高円離宮遊行ゆうこう

宮人みやひとの 袖付けごろも 秋萩に にほひよろしき 高円たかまとの宮
宮人みやひとが 長袖ころも 秋萩に 照映えさし通る 高円たかまど宮で》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一五)

高円たかまとの 宮の裾廻すそみの 野づかさに 今咲けるらむ 女郎花をみなえしはも
高円たかまどの 宮の山裾やますそ 小丘こおか上 今女郎花おみなえし 咲いてるやろな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一六)

秋野には 今こそ行かめ 物部もののふの 男女をとこをみなの 花にほひ見に
《秋の野に さあみな行こや つかえする 男女おとこおんなも える花見に》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一七)

秋の野に つゆへる萩を 手折たをらずて あたら盛りを すぐしてむとか
《秋の野で つゆ濡れ萩を らんまま さかり過ぎさす 勿体もったいないで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一八)

高円たかまとの 秋野の上の 朝霧に 妻呼ぶ鹿しか 出で立つらむか
高円たかまどの 秋野にかる 朝霞きりの中 連れ呼ぶ鹿が 立ってるやろか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一九)

大夫ますらをの 呼び立てしかば さ男鹿の 胸別むなわけ行かむ 秋野萩原
《男らが 追い立てたなら おす鹿しかが 散らしとおるで この秋の萩野を》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三二〇)

最早もはや 再現かなわぬ あそびうたげ
覚え し 世間不安が 
過去思いへと いざな



家待・政争の都編(13)隔(へな)りにけらし

2011年10月07日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年10月7日】

尾花をばな 花に見むとし
      あまがは へなりにけらし 年の長く




落ち着き 心の 家持
久方振り 七夕たなばた空を 見上げていた
思えば  勝宝二年(751)以来
 あれは 憶良殿を 偲んでの 先取り歌
  我が七夕歌は 勝宝元年(750)以来か)

彦星 を思い 織姫を思い
ふたり の思い 歌にする家待

初秋風はつあきかぜ 涼しきゆふへ かむとぞ ひもは結びし 妹にはむため
初秋風あきかぜの 涼しい夕べ こ決めて お前逢う為 結んだひもや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三〇六)

秋とへば 心ぞ痛き うたてに 花になそへて 見まくりかも
《秋聞くと なんや知らんが 切無せつないわ 咲く花待って 焦がれるみたい》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三〇七)

尾花をばな 花に見むとし あまがは へなりにけらし 年の長く
《昔から 天川かわ隔てられ 逢えるんは どき短い すすきやまるで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三〇八)

秋風に なび川辺かはびの 和草にこぐさの にこよかにしも 思ほゆるかも
《秋風に なび和草にこぐさ にこやかや 逢える思うと 心おどるで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三〇九)

秋されば 霧立ちわたる 天の川 いしなみ置かば ぎて見むかも
《秋来たら 霧立ち込める 天の川 飛び石したら 常時いっつも逢える》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一〇)

秋風に 今か今かと ひも解きて うら待ちるに 月かたぶきぬ
《秋風に 今に来るかと ひも解いて 待ちに待つのに 月沈むがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一一)

秋草に 置く白つゆの かずのみ あひ見るものを 月をし待たむ
《逢えたなら 飽きることう 見られるに なんでうちらは 月出つき待たならん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一二)

青波に 袖さへ濡れて ぐ舟の かし振るほとに さ夜けなむか
《青波に 袖を濡らして ぐ船を 杭もやに よるけるがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三一三)

家持  七夕の夕べ 
うたえる 心平穏へいおんが 嬉しい




家待・政争の都編(12)今し来(く)らしも

2011年10月04日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年10月4日】

くれの しげ
       霍公鳥ほととぎす 鳴きて越ゆなり 今しらしも




天平 勝宝六年(754)
この 年 先の唐派遣の使い
大使 藤原清河ふじわらのきよかわ 
八次派遣の阿倍仲麻呂共々 帰途にくも 
暴風 安南アンナン漂着 のち唐戻り 残留
副使 大伴古麻呂おおとものこまろ 鑑真伴い 一月いちがつ帰国
同じく副使 吉備真備きびのまきび 紀伊漂着も無事帰還きかん

家持 四月 兵部少輔ひょうぶのしょう就任
比較的 平穏な 一年が 過ぎて行った

【正月四日】家持屋敷 新年の賀 一族宴飲うたげ
しもの上に あられた走り いや増しに れはむ 年の長く
しもあられ 重ねに 何回も ここ訪ねるで この先々も》
                         ―大伴千室おおとものちむろ―(巻二十・四二九八)
年月としつきは あらあらたに あひ見れど ふ君は らぬかも
《毎年に 年来るたんび お逢いする 当主あんた変わらん れします》
                         ―大伴村上おおとものむらかみ―(巻二十・四二九九)
かすみ立つ 春の初めを 今日けふのごと 見むとおもへば 楽しとぞおも
《霞立つ 今日のき日の 初春に お逢い出来るん 光栄ですよ》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―(巻二十・四三〇〇)

 正月七日】天皇・上皇・皇太后参集の
      東院御殿 豊のうたげ
印南野いなみのの 赤らがしはは 時はあれど 君をふ 時はさねなし
一時いっときや 赤ら柏の 色付くん 大君きみ思うんは いつもずうっと》
                         ―安宿王あすかべのおおきみ―(巻二十・四三〇一)

【三月十九日】家持 庄園 つき樹下きのしたうたげ
山吹は でつつおほさむ ありつつも 君ましつつ 插頭かざしたりけり
《山吹を 大切たいじ大切だいじに 育てるで 当主あんた来るたび かみすよって》
                         ―置始長谷おきそめのはつせ―(巻二十・四三〇二)
我が背子せこが やどの山吹 咲きてあらば まずかよはむ いや毎年としのは
長谷あんた庭 山吹はなが 咲いた時 常時しょっちゅう来るで 年変わるたび
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三〇三)

【三月二十五日】左大臣橘諸兄たちばなのもろえ宴 孝謙乳母うば
山吹の 花の盛りに かくの如 君を見まくは 千年ちとせにもがも
はからずも 山吹花はなの盛りに お逢い出来 ずっとの目見めみえ 願うています》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三〇四)

【四月】思えば 勝宝三年(751)こし以来の霍公鳥
くれの しげを 霍公鳥ほととぎす 鳴きて越ゆなり 今しらしも
《木ぃ繁る 峰上みねうえ飛んで ほととぎす 鳴き越えてった じきここ来るで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三〇五)