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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・越中編(二)(24)告げ無くも憂(う)し

2011年05月31日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年7月15日】

・・・しかれども
      谷片付かたづきて 家れる 君が聞きつつ 告げ無くも




立夏りっか過ぎても 鳴かない霍公鳥ほととぎす
春遅いこしとは云え
この時 聞こえないは 苛立いらだち募る
鳴くと聞けば 野にいでてでも との家待に
人伝ひとづてうわさが 届く
 なになに
 じょう久米広縄ひろつなが屋敷 山陰やまかげ故 初音聞いたとか
 しからぬ仕儀しぎかな 申すべし申すべし)

此処ここにして 背向そがひに見ゆる 我が背子せこが 垣内かきつの谷に 
《ここからは うしろに見える 広縄あんたいえ 屋敷の庭は 谷の中》
明けされば はりのさえだに 夕されば 藤のしじみに はろばろに 鳴く霍公鳥ほととぎす 
よるが明けたら はんの枝 夕方来たら 藤の蔭 はるかに鳴くよ ほととぎす》
我がやどの 植木たちばな 花に散る 時をだしみ 鳴か無く そこはうらみず 
《庭先植えた たちばなは 花散ったのに 時期ちゃうと 鳴きにんのは 仕様しょうがない》
しかれども 谷片付かたづきて 家れる 君が聞きつつ 告げ無くも
《それはそうやが 谷ちかに 住んどる広縄あんた 聞いたでと うてんのは うらめしで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二〇七)

我が幾許ここだだ 待てど鳴かぬ 霍公鳥ほととぎす 一人聞きつつ 告げぬ君かも
 ほととぎす こんな待っても 鳴かんのに 一人で聞いて 知らん顔かい》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二〇八)

上官 かみ家待からの 詰問きつもん
実直久米広縄ひろつな あわてての返し

谷近く 家はれども だかくて 里はあれども 霍公鳥ほととぎす いまだ鳴かず 
《谷ちこう いえを構えて 住んでるに 木ィたこ繁る 里やのに ほととぎすどり まだ鳴かん》
鳴く声を 聞かまくりと あしたには かどに出で立ち ゆふへには 谷を見渡し 恋ふれども 一声ひとこゑだにも いまだ聞こえず 
《鳴く声よに 聞きたいと 朝方あさがた門の 外に立ち 夕方谷を 見渡して がれるけども 一声も 聞いてまへんで わしかてホンマ》 
                         ―久米広縄くめのひろつな―(巻十九・四二〇九)




家待・越中編(二)(25)安眠(やすい)寝(ね)しめず

2011年05月27日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年7月19日】

・・・菖蒲草あやめぐさ たまくまでに 鳴きとよ
             安眠やすいしめず 君をなやませ



【三月末】まだ鳴かんのか なあ霍公鳥ほととぎす
霍公鳥ほととぎす 鳴き渡りぬと ぐれども 我れ聞きがず 花は過ぎつつ
《ほととぎす 鳴いて飛んだと みな言うが わし聞いとらん 花過ぎてくで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一九四)
我が幾許ここだだ しのはく知らに 霍公鳥ほととぎす 何方いづへの山を 鳴きか越ゆらむ
《ほととぎす わしがこんなに しとてるに 知らんと何処どこへ 飛んでったんや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一九五)
月立ちし 日よりきつつ うちじのひ 待てど鳴かぬ 霍公鳥ほととぎすかも
《月変わり 始めの日から 恋がれ 待つのに鳴かん あのほととぎす》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一九六)

 四月始】嬉し 嬉しい 初鳴き聞いて
霍公鳥ほととぎす 今鳴きむ 菖蒲草あやめぐさ かづらくまでに るる日あらめや
《ほととぎす やっと鳴いたで 菖蒲草あやめぐさ かずらするまで 鳴き続けてや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一七五)
我がかどゆ 鳴き過ぎ渡る 霍公鳥ほととぎす いやなつかしく 聞けどき足らず
うちの前 鳴き飛んでいく ほととぎす ゆかしゅ聞いたが まだ足らへんで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一七六)

【四月三日】一緒聞きたい 池主あんたに届け
我が背子せこと 手たづさはりて 明ければ 出で立ち向ひ ゆふされば 振りけ見つ 思ひべ ぎし山に 
なつかしい 池主あんたと手取り 眺めたな 朝来た時に き仰ぎ 夕べが来たら 振り返り こころらしに 見た山は 
八峰やつをには 霞たなびき 谷辺たにへには 椿花咲き うら悲し 春し過ぐれば 霍公鳥ほととぎす いやき鳴きぬ ひとりのみ 聞けばさぶしも 
峰々みねみね霞 棚引いて 谷には椿 花咲かす 春が過ぎたら ほととぎす 今をしきりに 鳴いとるが 独り聞くのん さみしいで》 
君とれ へなりて恋ふる 砺波山となみやま 飛び越え行きて 明けたば 松のさえだに 夕さらば 月に向ひて  
池主あんたとわしを へだてとる 砺波となみの山を 飛び越して 朝来た時は 松の枝 夕方来たら 月こて》
菖蒲草あやめぐさ たまくまでに 鳴きとよめ 安眠やすいしめず 君をなやませ
菖蒲あやめの草を 薬玉たまにする 端午たんごの日まで 鳴き続け ささんといて 悩ましたって》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一七七)

我れのみし 聞けばさぶしも 霍公鳥ほととぎす 丹生ひふ山辺やまへに い行き鳴かにも
《わしひとり 聞いてるのんは さみしいな 丹生にうの山行き 鳴けほととぎす》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一七八)
霍公鳥ほととぎす 鳴きをしつつ 我が背子せこを 安眠やすいしめ ゆめこころあれ
《ほととぎす わしの気持を さっしたら 池主あいつさすな なかじゅ鳴いて》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一七九)





家待・越中編(二)(26)捕りて懐(なつ)けな

2011年05月24日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年7月22日】

霍公鳥ほととぎす 聞けどもかず
         あみ取りに りてなつけな れず鳴くがね




 四月四日】聞きに聞いても まだ聞きたいで
春過ぎて 夏むかへば あしひきの 山呼びとよめ さ夜中に 鳴く霍公鳥ほととぎす 初声はつこゑを 聞けばなつかし  
《春過ぎて 夏が来たなら 声立てて 夜中よなか鳴く鳥 ほととぎす 初声はつね聞いたら ゆかしいて》
菖蒲草あやめぐさ 花たちばなを まじへ かづらくまでに 里とよめ 鳴き渡れども なほしのはゆ
菖蒲あやめの草と たちばなを ぜて通して かずらする 日まで里じゅう 響かせて 鳴き飛びするん うきうき聞くよ 
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一八〇)

さ夜けて あかとき月に かげ見えて 鳴く霍公鳥ほととぎす 聞けばなつかし
《夜がけて 夜明けの月に 影うつし 鳴くほととぎす 心引かれる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一八一)
霍公鳥ほととぎす 聞けどもかず あみ取りに りてなつけな れず鳴くがね
《ほととぎす 聞いてもきん 網張って 捕りらそかな ずっと鳴くに》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一八二)
霍公鳥ほととぎす とほせらば 今年て 来向きむかふ夏は まづ鳴きなむを
《ほととぎす い続けたら 年して また夏来たら っ先鳴くで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一八三)

【四月九日】二上ふたがみ山で 鳴く声ゆか
桃の花 くれなゐ色に にほひたる おものうちに 青柳あおやぎの 細き眉根まよねを み曲がり 朝影見つつ 娘子をとめらが 手に取り持てる 
くれないに 輝く様な ももはなに 似た面差おもざしの 娘子おとめが 柳の様な 眉あげて 笑顔作って のぞき見る》
真澄まそかがみ 二上山ふたがみやまに くれの しげ谷辺たにへを 呼びとよめ 朝飛び渡り ゆふ月夜づくよ かそけき野辺のへに はろばろに 鳴く霍公鳥ほととぎす 
《その手鏡てかがみの 二上ふたがみの 山の繁みの 谷間から 朝に飛び立ち 鳴きさわぎ 月の光の 差す野辺で はるか聞き鳴く ほととぎす》
立ちくと 羽触はぶりに散らす 藤波ふぢなみの 花なつかしみ 引きぢて 袖に扱入こきれつ まばむとも
もぐり飛んでは 散らす花 その藤波が うるわして 手に取り袖に き入れた 色がみても かまへんで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一九二)

霍公鳥ほととぎす 鳴く羽触はぶりにも 散りにけり さかり過ぐらし 藤波の花
《ほととぎす 鳴く羽ばたきで 散って仕舞た さかり過ぎたか 藤の花房》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一九三)





家待・越中編(二)(27)この布勢(ふせ)の海を

2011年05月20日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年7月26日】

・・・春花の しげさかりに 秋の葉の 黄色もみちの時に
           ありがよひ 見つつしのはめ この布勢ふせの海を




こしへの赴任以来 
丸四年がとうとしていた
かみとしての地方赴任 通常は四年
ひなと思いし 越
  居ついてみると 住めば都とか
  ことに 暗く長い冬を過ごし
 一度に花開く春のおもむき ほかに代えがた
 短い春は またた
 いま  初夏を迎え 水辺が恋しい)

かみ家待の 呼びかけ
仲間うち面々 布勢ふせ水海みずうみを目指す

思ふどち 大夫ますらををのこの くれの しげき思ひを 見あきらめ こころらむと 布勢ふせの海に 小舟をぶねつらめ 真櫂まかいけ いめぐれば 
つかえ仲間の 気の合う同士どうし まったうさの 気晴きばらし仕様しょうと 布勢ふせ水海みずうみ 小船を浮かべ かい取り揃え めぐりする》
乎布をふの浦に 霞たなびき 垂姫たるひめに 藤波ふぢなみ咲きて 浜清く 白波さわき 
乎布おふの浦々 霞がなびき 垂姫たるひめ崎に 藤波ふじなみ咲いて 浜はきようて 白波さわぐ》
しくしくに 恋はまされど 今日けふのみに らめやも かくしこそ いや毎年としのはに 
《楽し気分が 益々ますます湧いて 今日の遊びで 満足出来できん こんな楽しみ 毎年仕様しょうや》
春花の しげさかりに 秋の葉の 黄色もみちの時に ありがよひ 見つつしのはめ この布勢ふせの海を
《春の盛りの 花咲く時に 秋の季節の 黄葉もみじの時に かよい続けて 見てでようや このえ景色 布勢ふせ水海みずうみを》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一八七)

藤波ふぢなみの 花の盛りに かくしこそ 浦つつ 年にしのはめ
藤波ふじなみの 花の盛りに また仕様しょうや 浦々めぐり 来る年々に》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一八八)
                                    【四月六日】





家待・越中編(二)(28)鵜を潜(かづ)けつつ

2011年05月17日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年7月29日】

・・・平瀬ひらせには 小網さでさし渡し 早き瀬に 鵜をかづけつつ
               月に日に しかし遊ばね しき我が背子せこ



この 夏 もしやの最後やも知れぬ
思う  家待胸に
去来きょらいする 赴任当初からの
大伴池主いけぬしとの友好
無性 の 逢いたさ募りに
一月ひとつき前の さき川での鵜飼を思い
そちら の川でもと
鵜を持たせ ふみを託して 池主の元へ

天離あまざかる ひなとしあれば 彼所此間そこここも おやじ心ぞ 家さかり 年のぬれば うつせみは 物思ものもひしげし 
《都から とおに離れた この田舎いなか ここもそっちも 同心おんなじや 家を離れて 月日ち うれふこうに 沈む日々》
そこ故に こころなぐさに 霍公鳥ほととぎす 鳴く初声はつこゑを たちばなの たまき かづらきて 遊ばむはし
《気のまぎらしに ならんかと 鳴くほととぎす 初声はつごえを 聞いてたちばな たまき かずらを付けて 遊んだな》
大夫ますらをを ともなへ立てて 叔羅くしら川 なづさひのぼり 平瀬ひらせには 小網さでさし渡し 早き瀬に 鵜をかづけつつ 月に日に しかし遊ばね しき我が背子せこ
《この次どやろ 友連れて 叔羅くしらの川を のぼり 浅瀬に小網こあみ 張り渡し 早瀬でどり もぐらせて 月日重ねて お遊びよ 気心知れた 我が友よ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一八九)

叔羅くしら川 瀬を尋ねつつ 我が背子せこは 鵜川うかは立たさね こころなぐさ
叔羅くしら川 早瀬辿たどって 鵜飼うかいして 楽しみなはれ 気晴きばらしがてら》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一九〇)

鵜川うかは立ち 取らさむ鮎の はたは 我れにかき向け おもひしおもはば
鵜飼うかいして 捕った鮎魚あゆうお そのひれを わしに送って 礼するなら》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一九一)
                                    【四月九日】





家待・越中編(二)(29)馬暫(しま)し停(と)め

2011年05月10日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年8月2日】

渋谿しぶたにを 指して我が
           この浜に 月夜つくよきてむ 馬しま



部下からの たっての望みにこた
再度の みずうみへの遊覧
 花は 前にも増して 房をたわわにし
はなむらさきを 水に映している

藤波ふぢなみの 影なす海の 底清み しづいしをも たまとぞ我が見る
藤房ふじの影 うつしてる水 んどって 底にある石 たま見える》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四一九九)

多胡たこの浦の 底さへにほふ 藤波ふぢなみを 插頭かざして行かむ 見ぬ人のため
多胡たこの浦 底にる 藤房ふじふさを 髪挿かみさし帰えろ られん人に》
                         ―内蔵縄麻呂くらのつなまろ―(巻十九・四二〇〇)

いささかに 思ひてしを 多胡たこの浦に 咲ける藤見て 一夜ひとよぬべし
《まあまかと おもて見に来た 多胡たこの浦 咲く藤見たら 泊りとなった》
                         ―久米広縄くめのひろつな―(巻十九・四二〇一)

藤波ふぢなみを 仮廬かりほに作り 浦廻うらみする 人とは知らに 海人あまとか見らむ
《藤波を 船屋根やね乗せ浦巡めぐり してるのに 見たら漁師と 思うんちゃうか》
                         ―久米継麻呂くめのつぎまろ―(巻十九・四二〇二)

家に行きて 何を語らむ あしひきの 山霍公鳥ほととぎす 一声ひとこゑも鳴け
《帰ったら 土産みやげ話に するのんで 鳴けほととぎす せめて一声》
                         ―久米広縄くめのひろつな―(巻十九・四二〇三)

とある水辺みずべ
巨大 は葉を持つ ほほがしわを見つけ
驚きとともに 歌心もよお
それぞれ に 詠う

我が背子せこが ささげて持てる ほほがしは あたかも似るか 青ききぬがさ
守殿あんたはん ささげ持ってる ほほがしわ ほんにそっくり 青衣笠きぬがさに》
                         ―恵行えぎょう―(巻十九・四二〇四)
皇神祖すめるきの とほ御代みよ御代みよは いき折り 飲みきといふぞ このほほがしは
いにしへの 神代かみよ時代に 折り畳み 酒飲んだう このほほがしわ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二〇五)

初夏 の日が 暮れていく
 が 頬に心地よい
馬を駆る先 渋谿しぶたに
左手 満月間近まぢかの月が昇り
ありの海に 月影揺れる

渋谿しぶたにを 指して我がく この浜に 月夜つくよきてむ 馬しま
渋谿しぶたにを 目指めざし行く浜 月えで う味わおや 一寸ちょっとめ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二〇六)
                                   【四月十二日】




家待・越中編(二)(30)御母(みおや)の命(みこと)

2011年05月06日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年8月2日】

・・・垂乳根たらちねの 御母みおやみこと 何しかも 時しはあらむを
      真澄まそかがみ 見れどもかず たまの しき盛りに・・・




転任 の知らせ 
待つ 家待に 思わぬ知らせが届く
娘婿継縄つぐただ母 身罷みまかりの知らせ

かつて 仲麻呂二男 麻呂まろからのえんぐみ申し出
うまく かわせたものの 
何時いつ何どきの 再度有るやも
これ を避けつつ 
藤原忌避きひとの勘ぐり打ち消しのため
仲麻呂 とは やや距離ある 藤原豊成が二男
藤原継縄ふじわらのつぐただとの娘縁組 
家持  必死の処世であった

天地あめつちの はじめの時ゆ うつそみの 八十やそともは 大君おほきみに まつろふものと 定まれる つかさにしあれば 大君おほきみの みことかしこみ ひなさかる 国ををさむと 
《天と地が 出来た始めの 昔から 宮につかえる 人はみな 天皇すめらみことに 従うと されてるので めい受けて いこここし やってきた》
あしひきの 山川へなり 風雲はぜくもに ことかよへど ただに逢はず 日のかさなれば 思ひ恋ひ 息衝いきづるに 玉桙たまほこの 道る人の 伝言つてことに 我れに語らく 
便たより届くと うものの 山川へだて とおい国 じかに逢えんで 日ィ過ぎて どしてるかと 思う時 都から来た 人うに》
しきよし 君はこのころ うらさびて なげかひいます 世間よのなかの けくつらけく 咲く花も 時にうつろふ うつせみも 常無くありけり  
《「今あのかたは 心え 沈み返って 嘆きる 世の中ろて うとましい 花もしおれる 世は無常むじょう
垂乳根たらちねの 御母みおやみこと 何しかも 時しはあらむを 真澄まそかがみ 見れどもかず たまの しき盛りに 立つ霧の せゆく如く 置くつゆの ぬるが如く 玉藻たまもなす なびこいし く水の とどみかねつと 
《母上様に 何事や そんな年とは 違うのに 元気達者たっしゃで られたに 霧や置くつゆ 消えるに なびみたい 病床とこして 水くみたい うなった」》
狂言まがごとか 人の言ひつる 逆言およづれか 人の告げつる 梓弓あづさゆみ つま引く夜音よとの 遠音とほとにも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 とどめかねつも
《嘘つきないな だましなや 遠いはるかな 知らせ聞き かなしばかりで 嘆きる 流れる涙 止まらへん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二一四)

遠音とほとにも 君が嘆くと 聞きつれば のみし泣かゆ あひ思ふ我れは
 便り来て あんた嘆くて 聞いたがな わしも悲して 涙に暮れる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二一五)
世間よのなかの 常無きことは 知るらむを こころつくすな 大夫ますらをにして
《世の中の 無情むじょう知らんて こと無かろ そんな悩みな 男やないか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二一六)




家待・越中編(二)(31)秀(ほ)にか出でなむ

2011年05月03日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年8月9日】

しび突くと 海人あまともせる 漁火いざりび
           にか出でなむ 我が下思したもひ




書持ふみもちが 夢枕に立った 
人懐ひとなつっこい たたえ 語りかける
「兄上 今日は一つ 歌修練のおさらい 如何いかがです
 近頃の歌 書持 いささか に落ちませぬ
  人麻呂様 赤人様 それに憶良様
 まねぶは 良う御座いますが
 ちと 模倣まねりが過ぎまする
  形は 出来申しても 
 心え 少しも 兄上では ありませぬ
 ことに 長歌ちょうかに そのきざし 多う見られます
 それは ともあれ この弥生やよい初めの
 はるそのとうに始まる 一連
  あれは 見事に 御座いました
 まさしく 家持ここにありのおもむき
 いや 感服かんぷくこの上なく・・・」

 ・・・おお 夢であったか
  書持め 痛い所 突きおって
 政治まつりごとがらみ 人がらみ
 忸怩じくじたる 歌詠みも 致し方なしなのじゃ)

 に気付かされたか その後の家持 
書持との 歌修練がとき思わせる
こころなおな歌が多い
 五月】
の花を くた長雨ながめの はなみずに 寄る木屑こづみなす 寄らむ児もがも
の花を しぼます長雨あめの 水に浮く 木屑きくず寄るな わし寄る児し》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二一七)
しび突くと 海人あまともせる 漁火いざりびの にか出でなむ 我が下思したもひ
こ燃える まぐろ漁師の 漁火ィみたい 人知られや 秘めた思いが》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二一八)
 六月十五日】
我がやどの 萩咲きにけり 秋風の 吹かむを待たば いととほみかも
《庭の萩 あわてもんやで もう咲いた 秋の来るのん 待てんてうか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二一九)
【九月三日】うたげ
この時雨しぐれ いたくな降りそ 我妹子わぎもこに 見せむがために 黄葉もみち採りてむ
時雨しぐれ雨 えろりなや 散る前に あの児に見せる 黄葉もみじ採りたい》
                         ―久米広縄くめのひろつな―(巻十九・四二二二)
青丹あおによし 奈良人見むと 我が背子せこが しめけむ黄葉もみち つちに落ちめやも
《奈良で待つ あの児見せよと 目ぇつけた 広縄あんた黄葉もみじ めった散らんで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二二三)
【十月十六日】さかん秦石竹はだのいわたけに勤務報告出発はなむけ
あしひきの 山の黄葉もみちに しづくあひて 散らむ山道やまぢを 君が越えまく
石竹あんたはん しずくに濡れた 黄葉もみじの 散る山道を 越えて行くんや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二二五)
 翌天平勝宝三年四月十六日】
二上ふたがみの しげに こもりにし その霍公鳥ほととぎす 待てど鳴かず
二上ふたがみの 峰の繁みに こもってる あのほととぎす 鳴きにんがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十九・四二三九)