令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・越中編(一)(22)和(な)ぐる日も無く

2011年01月28日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年2月22日】

天離あまざかる ひなともしる
        ここだくも 繁き恋かも ぐる日も無く



迎えて  天平二十年〔748〕新春
こし 二度目の春
吹く風は  強く 寒い
池主を失くした  痛手
胸にみ入るものの 
停止ちょうじの封は 少し 緩みを見せていた
都では見られぬ  越の景色 風物
これらが  家持の 歌心を 揺らす

東風あゆのかぜ いたく吹くらし 奈呉なご海人あまの 釣する小舟をぶね かくる見ゆ
東風ひがしかぜ つよ吹くみたい 奈呉なご海人あま 釣りの小舟が 波見え隠れ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十七・四〇一七〕

みなと風 寒く吹くらし 奈呉なごの江に 妻呼びかはし たづさはに鳴く
みなと風 さむ吹くみたい 奈呉なごの江に 連れ呼びかわし 鶴鳴いとおる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十七・四〇一八〕

天離あまざかる ひなともしるく ここだくも 繁き恋かも ぐる日も無く
《遠いひな ようたもんや 奈良宮が えろう恋して こころがんで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十七・四〇一九〕

越の海 信濃の浜を 行き暮らし 長き春日はるひも 忘れて思へや
信濃しなの浜 一春日いちにち歩き 通したが あいだずうっと 都おもてた》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十七・四〇二〇〕

まだ開けやらぬ  越の春
吹く風に任せて歩く  浜
思うは  都 妻
そして  友
家持の胸を  浜風 吹き抜ける



家待・越中編(一)(23)朝びらきして

2011年01月25日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年2月日】

珠洲すすの海に 朝びらきして ぎ来れば
           長浜のうらに 月照りにけり



雪深いこし
待ちに待った春の訪れ 
わたくし鬱々うつうつは知らず おおやけ任務は やってくる
家持は 春の稲の出挙すいこに出る
官による いねもみの貸付だ
役目の果しと共に  春景色が楽しい

雄神川をかみがは くれなゐにほふ 娘子をとめらし 葦附あしつきると 瀬に立たすらし
雄神川おかみがわ あこえてる 娘子おんなの子 海苔のり採ろおもて 川瀬立ってる》
                         ―大伴家持―〔巻十七―四〇二一〕 
鵜坂川うさかがは 渡る瀬多み このうまの 足掻あがききの水に きぬれにけり
鵜坂川うさかがわ 渡る瀬数せかずが いよって 馬ね水で ふく濡れて仕舞た》
                         ―大伴家持―〔巻十七―四〇二二〕 
婦負川めひがはの 早き瀬ごとに かがりさし 八十伴やそともは 鵜川うかは立ちけり
婦負川めひがわの 早瀬早瀬で かがりき 土地の役人 鵜飼いしとるで》
                         ―大伴家持―〔巻十七―四〇二三〕 
立山たちやまの 雪しらしも 延槻はひつきの 川の渡瀬わたりぜ あぶみかすも
立山たてやまの 雪解け水が あふれてて 早月瀬ぇで あぶみかった》
                         ―大伴家持―〔巻十七―四〇二四〕 

越中巡行終えた家持  能登へと向かう
越中とは違ったくに心緒じょうちょが またうれしい

志雄路しをぢから ただ越え来れば 羽咋はくひの海 あさぎしたり ふねかぢもがも
志雄しお街道みちを 越えたらパッと 羽咋はくい海 朝ぎしてる ふねしたいな》
                         ―大伴家持―〔巻十七―四〇二五〕 
鳥総とぶさ立て 船木ふなぎるといふ 能登の島山
今日けふ見れば 木立こだちしげしも 幾代いくよかむびそ

《船にする え木出すう 能登島の山
 やっぱりな  山繁ってて 神秘的やで》
                         ―大伴家持―〔巻一七―四〇二六〕 
香島かしまより 熊来くまきを指して ぐ船の かぢ取るなく みやこし思ほゆ
《香島出て 熊来くまきぐ梶 休みなし 都おもうも 休む間ないわ》
                         ―大伴家持―〔巻一七―四〇二七〕 
妹にはず 久しくなりぬ 饒石川にぎしがは 清き瀬ごとに 水占みなうらへてな
《置いてきた 大嬢おまえどしてる うらなおか きれえな水の 饒石にぎしの川で》
                         ―大伴家持―〔巻十七―四〇二八〕 
珠洲すすの海に 朝びらきして ぎ来れば 長浜のうらに 月照りにけり
《朝珠洲すずを 船出ふなで日中ひなか ぎ続け 長浜来たら え月出てる》
                         ―大伴家持―〔巻十七―四〇二九〕 

任務合間の折々  思いは 都 そして 妻



家待・越中編(一)(24)愛(め)づ児(こ)の刀自(とじ)

2011年01月21日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年3月1日】

母にまつりつや  
        父にまつりつや 



出挙すいこ任務は 望外ぼうがいの収穫であった
越中 能登の国めぐ
土の匂いする 民謡たみうたの数々
素朴の中に 古来いにしえが 宿る

【能登国の歌】 
梯立はしたての くまのやらに 新羅しらきをの 落し入れ
                         わし 
懸けて懸けて な泣かしそね 浮きづるやと見む
                         わし 

舶来はくらいの 斧としたで 熊木沼 ホイ♫
 泣きないな  浮いてくるかも 知れんがな ホイ♫》
                         ―作者未詳―〔巻十六・三八七八〕 
梯立はしたての 熊来くまき酒屋さかやに 真罵まぬらるやっこ
                     わし   
さすひ立て なましを 真罵まぬらるやっこ
                     わし 
 
怒鳴どなられて 熊木酒蔵さかぐら ドジなやつ ホイ♫
 連れ出して 助けたろかな ドジなやつ ホイ♫》
                         ―作者未詳―〔巻十六・三八七九〕 

しまの つくゑの島の
   小螺しただみを いひりひ持ちて 
ち つつき破り
   早川に 洗ひすすぎ 
辛塩からしほに こごと
   高坏たかつきに盛り 机に立てて 
母にまつりつや  
 父にまつりつや 

《机の島の  シタダミ拾ろて
 石でくだいて きれえにあろ
 塩もみしてから うつわに盛って
 おにあげたか いとしいよめ
 おにやったか 可愛かいらしよめよ》
                         ―作者未詳―〔巻十六・三八八〇〕 

【越中国の歌】 
大野路おほのじは しげもりみち 繁くとも 君し通はば 道は広けむ
《大野みち 森の木しげり 細いけど あんたかよたら 広なるちゃうか》
                         ―作者未詳―〔巻十六・三八八一〕 

渋谿しぶたにの ふたがみ山に わしといふ
さしはにも 君のみために 鷲ぞといふ

渋谿しぶたにの 二上山で わし子ぉ産むで
 殿のため おうぎ作りと わし子ぉ産むで》
                         ―作者未詳―〔巻十六・三八八二〕 

弥彦いやびこ おのれかむさび 
青雲あをくもの たなびく日すら 小雨こさめそほ降る

弥彦山やひこやま 鬱蒼うっそう繁り しずくり 天気うても 雨降るようや》
                         ―作者未詳―〔巻十六・三八八三〕 
弥彦いやびこ 神のふもと
  今日けふらもか 鹿のすらむ
    かはごろも着て つのきながら

弥彦山やひこやま 神さん庭で
  今日あたり 人鹿しか伏せとるで
    皮のふく着て つの頭付け》
                         ―作者未詳―〔巻十六・三八八四〕 


家待・越中編(一)(25)船暫(しば)し貸せ

2011年01月18日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年3月4日】

奈呉なごの海に 船しばし貸せ
        おきに出でて 波立ちやと 見て帰り



家持は 心のおどりを 抑えかねていた
都から ぞうしゅつかさ三等官 田辺福麻呂たなべのさきまろが来る 
都の様子も  さることながら
左大臣橘諸兄たちばなのもろえ使者 
役目帯びての らいえつである
時に  天平二十年〔748〕三月二十三日

快活旧知きゅうち さき麻呂まろを前に 
家持 ひょうてみせる
さき麻呂まろ殿 ようこその遠路
 家持め  歌を用意の上 
 首を長うして  待ちおりました
 まずは ご披見ひけんあれ」
「これなるは さき麻呂まろ殿を 鶯に見立てての作」

うぐひすは 今は鳴かむと かたてば 霞たなびき 月はにつつ
《もうじきと 鶯鳴くん 待ってたが 霞ばっかり 日ィつばかり》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十七・四〇三〇〕

「次なるは ぞうしゅつかさのお役目に ことせて」 

中臣なかとみの ふと祝詞のりとごと 言ひはらへ あがふ命も 誰がためになれ
《酒そなえ 祝詞のりと唱えて おはらいし 無事祈るんは 福麻呂あんたのためや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十七・四〇三一〕

「これはまた 奇抜きばつなご挨拶
 我輩それがしも 負けませぬぞ
 わしが 逢いとうおもうたは 
 かみ殿どのでなく の海」

奈呉なごの海に 船しばし貸せ おきに出でて 波立ちやと 見て帰り
船貸してんか 奈呉なごの海出て おき波が 立って寄せるん 見てるよって》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇三二〕

波立てば 奈呉なご浦廻うらまに 寄る貝の き恋にぞ 年はにける
奈呉なご浜に 波貝寄せる ぁ無しや 間なし逢いとて 年月としつきった》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇三三〕

奈呉なごの海に しほの早ば あさりしに 出でむとたづは 今ぞ鳴くなる
奈呉なご浜で 潮が引いたら えさ捕ろと 待ってた鶴が 今鳴いとおる》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇三四〕

霍公鳥ほととぎす いとふ時なし 菖蒲草あやめぐさ かづらにせむ日 こゆ鳴き渡れ
《ほととぎす な時ないが 菖蒲草あやめぐさ かずらする日は ここ来て鳴いて》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇三五〕

かみ 家持の館のうたげ 談笑の輪が広がる


家待・越中編(一)(26)見とも飽(あ)くべき

2011年01月14日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年3月8日】

乎布をふの崎 ぎたもとほ
      終日ひねもすに 見ともくべき 浦にあら無くに



明くる二十四日 
重ねての宴席 
「家持殿 さすがこし 
 今日のの海 如何いかにも見事
 いやはや 堪能たんのう致した
 なになに  
 明日は 布勢ふせの浦へと お誘いあるか 
 役目えしにより
 早々の帰還をと 思いるが
 とどまれと仰せか そうは遊んでおれぬぞ」

如何いかにある 布勢ふせの浦ぞも 幾許ここだくに 君が見せむと 我れをとどむる
《よっぽどに えとこやろな 布勢ふせの浦 守殿あんた見せとて わしとどめるん》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇三六〕

乎布をふの崎 ぎたもとほり 終日ひねもすに 見ともくべき 浦にあら無くに
乎布をふ崎は 船ぎ廻し 晩までも 見ても見きん 浜やでほんま》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇三七〕

玉櫛笥たまくしげ いつしか明けむ 布勢ふせの海の 浦を行きつつ たまひりはむ
《このよるは 早よ明けんかな 布勢ふせの海 浜辺あるいて たま拾おうや》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇三八〕

音のみに 聞きて目に見ぬ 布勢ふせの浦を 見ずはのぼらじ 年はぬとも
《まだ見んが 噂に高い 布勢ふせの浦 見んとくかい 年ししても》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇三九〕

布勢ふせの浦を 行きてし見てば 百磯城ももしきの 大宮人おほみやびとに かたぎてむ
布勢ふせ浦を 見たら絶対 都る おお宮人みやびとに 伝えでくか》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇四〇〕

梅の花 咲き散るそのに 我れ行かむ 君が使を かたちがてら
《梅花が 咲き散るそのに さき行くで 守殿あんたの使い 待たれんよって》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇四一〕

藤波ふぢなみの 咲き行く見れば 霍公鳥ほととぎす 鳴くべき時に 近づきにけり
《藤の花  次々咲くで ほととぎす 鳴くん近いな 待ち遠しいで》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇四二〕

明日あすの日の 布勢ふせ浦廻うらまの 藤波ふぢなみに けだし鳴かず 散らしてむかも
明日あした行く 布勢ふせの浜辺の 藤波は 鳴きに来んまま 散るんとちゃうか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇四三〕


家待・越中編(一)(27)浦を漕(こ)ぎつつ

2011年01月11日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年3月11日】

垂姫たるひめの 浦をぎつつ
      今日けふの日は 楽しく遊べ ぎにせむ



布勢水海ふせみずうみへと 馬をる一行
途上とじょう通過の 松田まつだはま
沖漕ぐ  釣り船に 興を覚えた家持
さき麻呂まろ殿 迎えの船が 来ておりますぞ
 遊覧迎えでしょうか  
 都からの迎えでしょうか」 

浜辺はまへより 我が打ち行かば 海辺うみへより 迎へもぬか 海人あまの釣船
《海沿いに 馬走らせて 来てみたら 迎えにるか 海人あまの釣り船》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇四四〕
おきより 満ちしほの いや増しに ふ君が 御船みふねかもかれ
おきの船 迎えの船や 潮満ちる わし気に入りの 福麻呂あんた迎えの》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇四五〕

布勢の水海は 見所みどころいっぱい
崎 垂姫たるひめ 多胡たこ
春に日の きらめく水面みなもに 藤波えて
遊ぶ  宮人は 時を知らない

神さぶる 垂姫たるひめの崎 ぎめぐり 見れどもかず いかに我れせむ
垂姫たるひめの みさきめぐりの 遊覧は なんぼ行っても けへんこっちゃ》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇四六〕

垂姫たるひめの 浦をぎつつ 今日けふの日は 楽しく遊べ ぎにせむ
垂姫たるひめの 浦で船ぎ 一日を 楽しゅ遊んで 伝えに仕様しょうや》
                         ―遊行女婦土師うかれめはにし―〔巻十八・四〇四七〕

垂姫たるひめの 浦をぐ船 梶間かぢまにも 奈良の我家わぎへを 忘れて思へや
垂姫たるひめの 浦ぐ梶は ぁ無しや その奈良家いえを 忘れてへんで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇四八〕

おろかにそ 我れは思ひし 乎布をふの浦の 荒磯ありその廻り 見れどかずけり
《このわしは 間抜けやったな 乎布おふ浦の 荒磯あらいそ巡り ほんま見事や》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇四九〕

めづらしき 君がまさば 鳴けと言ひし 山霍公鳥ほととぎす 何か来鳴かぬ
《珍客が 来たら鳴けよと うといた 山ほととぎす なんで鳴かへん》
                         ―久米広縄くめのひろつな―〔巻十八・四〇五〇〕

の崎 木のくれしげに 霍公鳥ほととぎす 来鳴きとよめば はだ恋ひめやも
多胡たこ崎の 木立こだちしげみに ほととぎす 鳴きに来たなら 満足やのに》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇五一〕


家待・越中編(一)(28)坂に袖振れ

2011年01月07日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年3月15日】

可敝流廻かへるみの 道行かむ日は
      五幡いつはたの 坂に袖振れ 我れをしおもはば



うたげ遊び 尽きはせぬが
役目終えての 帰りが 気をかす
三月二十六日 
じょう 久米広縄くめのひろつな館での うたげが 打ち上げとなった
遊び疲れもあるが 
別れ思いが 酒うたげを 湿めらせる

霍公鳥ほととぎす 今鳴かずして 明日あす越えむ 山に鳴くとも しるしあらめやも
《ほととぎす 今鳴かへんで 明日あした行く 山で鳴いても 手遅れちゃうか》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ―〔巻十八・四〇五二〕

くれに なりぬるものを 霍公鳥ほととぎす 何かかぬ 君にへる時
《木の繁み 色成ったに ほととぎす なんで鳴かへん 福麻呂あんたるに》
                         ―久米広縄くめのひろつな―〔巻十八・四〇五三〕

霍公鳥ほととぎす こよ鳴き渡れ 燈火ともしびを 月夜つくよなそへ その影も見む
《ほととぎす 影見たいんで 灯火ともしびを 月や思うて ここ鳴いて来い》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇五四〕

可敝流廻かへるみの 道行かむ日は 五幡いつはたの 坂に袖振れ 我れをしおもはば
可敝流かえる道 とおって行く日 五幡いつはたの 坂で袖振れ わし恋しなら》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇五五〕

別れに際し 田辺福麻呂さきまろ
歌集一冊と 歌綴りひとくさを 残していった

「田辺福麻呂歌集」  
それには  添え書きが附いていた
《家持殿  お手元に 本歌集 残し置き候
 我輩それがしつたなふであと 残すに躊躇ためらいあるも
 古今の歌 集めみの試み 聞き及び
 我が作 片隅にてもの心 斟酌しんしゃく賜りたく
 本来  口頭にてのお許し 得べき処
 恥を忍びての所業しょぎょうならば 書面にてのお願い
 寛容賜りたく 非礼の段 平にご容赦ようしゃ

 いまひとくさの歌綴り 
 これなん  
 過ぐる 天平十六年〔744〕難波うたげにてのもの
 当時様子  伝えよと 
 橘諸兄もろえ様から託されしにより 持参
 「君臣きずな 読み取り頂き
 おおやけへの 心いたし 変わりなく」
 との  お言葉 お伝えいたし候》

〔さすが 田辺福麻呂さきまろ殿 
 橘諸兄もろえ様の使い と聞き及びしに
 何の言伝ことづても無しの 数日
 いぶかり思いしが よもやの用心であったか
 それにしても  良き歌集と歌綴り
 有難くの  頂戴といたそう〕


家待・越中編(一)(29)誰(たれ)に見せむと

2011年01月04日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年3月18日】

一本ひともとの なでしこ植ゑし
      その心 たれに見せむと 思ひめけむ



田辺福麻呂たなべのさきまろが 京へと発ってからも
宴席の弾み  止まらない
じょう 久米広縄くめのひろつなやかた
四月一日 
明日に立夏りっかを控え 待ち切れない面々が集う

の花の 咲く月立ちぬ 霍公鳥ほととぎす 来鳴きとよめよ ふふみたりとも
の花が 咲く季節とき来たで ほととぎす まだつぼみやが 鳴き来たどうや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇六六〕
二上ふたがみの 山にこもれる 霍公鳥ほととぎす 今も鳴かぬか 君に聞かせむ
二上ふたがみの 山隠れてる ほととぎす 聞かせたいんや 今鳴かんかい》
                         ―遊行女婦土師うかれめはにし―〔巻十八・四〇六七〕

かし 今夜こよひは飲まむ 霍公鳥ほととぎす 明けむあしたは 鳴き渡らむぞ
《ここって 朝まで飲もや ほととぎす 明日あした夏立つ 朝から鳴くで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇六八〕
明日あすよりは ぎて聞こえむ 霍公鳥ほととぎす 一夜ひとよからに 恋ひ渡るかも
明日あしたから 続いて聞ける ほととぎす 一晩よて 聞かれんのかい》
                         ―能登乙美のとのおとみ―〔巻十八・四〇六九〕

  深まった頃
越中国分寺  先代の国師に仕えした 
僧の清見せいけんが 帰京するという
僧の帰京には 酒を進呈してのうたげが 持たれる
家待 惜別のこころ 撫子なでしこに込める

一本ひともとの なでしこ植ゑし その心 たれに見せむと 思ひめけむ
《一株の 撫子なでしこ植えた この気持ち 誰に見せよと おもた分るか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七〇〕
しなざかる 越の君らと かくしこそ 柳かづらき 楽しく遊ばめ
《この遠い 越でみんなと 出逢でおたんで 柳かずらで 楽しゅう仕様しょうや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七一〕
ぬばたまの わたる月を 幾夜と みつつ妹は 我れ待つらむぞ
よるの空 渡る月見て 日や月を 数えて大嬢おまえ 待ってんやろな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七二〕

家持は 酔いにひたれない
手にするさかづき 往き来はあるが
気はそぞ
心は  先日 貰い受けた 
田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集と 歌綴り
目を通さねばの  心急ぎは
連日の  酒を 気抜けにしていた