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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

人麻呂編(1)川音高しも

2009年08月17日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月3日】

ぬばたまの 夜さりれば 巻向まきむく
           川音かはと高しも 嵐かも


【弓月が嶽(中央奥)と巻向川 左は穴師の山】


人麻呂は 馬を急がせていた 
ここしばらく 吉野行幸みゆきの はからい事で
妻問つまどいが 遠ざかっていた
昨日降った 春の雪 
ぬかるみ  
馬の足取りが もどかしい 

新妻にいづまを待たせてしもうた 巻向郎女まきむくのいらつめ
 待ち焦がれているじゃろう 急がねば) 
三輪山を 右手に見ながら 
馬は 三輪の大社おおやしろを過ぎた 
泥道が続く 
霧の立ち込める中 檜原ひばらもりが見える

巻向まきむくの 檜原ひばらに立てる 春霞 おぼにしおもはば なづみめやも
《霧みたい すぐ消えるよな 思いちゃう そんな気ィなら 無理して来んわ》
                       ―柿本人麻呂歌集―(巻十・一八一三)
夕闇の 訪れに 湿しめの広がり
穴師あなし川の 橋を渡り 川上に 馬首ばしゅめぐらす
(川に 波 立ってきた) 
痛足川あなしがは 川波立ちぬ 巻目まきもくの 由槻ゆつきたけに 雲居くもゐ立てるらし
《穴師川 波立ってるで ざわざわと 由槻ゆつきたけに 雲出てるがな》
                       ―柿本人麻呂歌集―(巻七・一〇八七)
(おお 瀬が 鳴っている) 
あしひきの 山川の瀬の るなべに 弓月ゆつきたけに 雲立ち渡る
《山筋の 川瀬鳴ってる やっぱりな 弓月ゆつきたけに 雨雲あめぐもでてる》
                       ―柿本人麻呂歌集―(巻七・一〇八八)

「今 戻った」 
馬を 飛び降り 門前から 呼びかける 
まろぶが如き 出迎えの 巻向郎女いらつめ
「雨には 合わずに済んだぞ」 
微笑ほほえみ 面伏せる 巻向郎女いらつめ

夕餉ゆうげを 済ませ
くつろぎの ひと時 
山間やまあいの静寂に 川音かわおとが 高い
ぬばたまの 夜さりれば 巻向まきむくの 川音かはと高しも 嵐かも
よるけた 川の水音 こなった 今に一荒ひとあれ じき来るみたい》
                       ―柿本人麻呂歌集―(巻七・一一〇一)

至福しふくの一夜
激しかった雨脚あまあし しだいに 遠のく




<巻向の川音>へ



<弓月が嶽>へ

人麻呂編(2)引手の山に

2009年08月16日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月4日】

衾道ふすまぢを 引手ひきての山に いもを置きて
          山路やまぢを行けば 生けりともなし

【引手の山(竜王山)手前は大和神社の裏の溜池】


巻向郎女まきむくのいらつめと 人麻呂の 住みどころ
穴師川あなしがわのほとり
庭先の川堤かわづつみに 大きなつきの木が 葉を広げる

うつせみと 思ひし時に たづさへて わが二人見し  
走出はしりでの 堤に立てる つきの木の こちどちのの 
春の葉の しげきが如く 思へりし いもにはあれど 
たのめりし らにはあれど
 
《元気でる時 二人で見たな 若葉のいっぱい茂ったけやき
 そんないっぱい 好きたお前 末おもてた お前やけども》
世の中を そむきし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野あらのに 
白拷しろたへの 天領巾あまひれがくり 鳥じもの 朝立ちいまして 
入日いりひなす かくりにしかば
 
《世の中ならいに 逆らいできず 陽炎かげろう消えて 天行くみたい
 鳥飛び立って 帰らんみたい  太陽ィ沈むよに 隠れてしもた》
吾妹子わぎもこが 形見かたみに置ける みどり児の ひ泣くごとに 
取りあたふ 物し無ければ をとこじもの わきはさみ持ち
 
《残った赤ん 泣くたびごとに 乳も出んのに 胸抱きかかえ》
吾妹子わぎもこと 二人わが宿し まくらつく 嬬屋つまやの内に 
昼はも うらさび暮し 夜はも 息づき明し  
嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども  よしを無み

《お前と暮らした 住まいにこもり 昼間ひるまぼっとし よる溜息ためいき
 なげいてみても どうにもならん 恋しがっても うことでけん》
大鳥おほとりの 羽易はがひの山に わが恋ふる いもすと 人の言へば 
石根いはねさくみて なづみ

《後ろの山で お前の姿 見たと聞いたら  岩道いわみち分けて
 らんもんかと 探しに行った》
けくもそなき うつせみと 思ひし妹が  玉かぎる ほのかにだにも 見えぬ思へば 
《生きてるはずと おもてたお前 影も形も 見えんよなった
 あってえんか こんなこと》
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二一〇)
衾道ふすまぢを 引手ひきての山に いもを置きて 山路やまぢを行けば 生けりともなし
引手ひきて山 お前まつって 降りてきた ひとり生きてく 気ィならんがな》
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二一二)
去年こぞ見てし 秋の月夜つくよは 照らせども あひ見しいもは いや年さかる
去年きょねん見た 秋のえ月 今もええ 一緒いっしょ眺めた お前らんが》
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二一一)

つきの木の住みどころ 嘆きの枯れない 人麻呂がいる




<引手の山>へ

人麻呂編(3)浦の浜木綿

2009年08月15日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月5日】

み熊野の 浦の浜木綿はまゆふ 百重ももへなす
          心はへど ただはぬかも

【孔島の野生浜木綿】


(なんとした ことか) 
人麻呂は 苛立いらだっていた
文机ふづくえをまえに 小半時こはんとき
(ええい 言葉が むすべぬ
 天皇すめらみことの 寿ことほぎ歌 
 身罷みまかびとへの き歌
 次々と 口をついて 出るものを 
 女人おみなへの 思い歌 それも わが思い歌 となると 結べぬ) 
人麻呂は 仰向あおむだおれに 天井を見る
目を つぶる 
閉じた目に 軽郎女かるのいらつめ

「抜くのじゃ おのが身から 思いを抜くのじゃ」
もう一人の 人麻呂が ささやきかける

み熊野の 浦の浜木綿はまゆふ 百重ももへなす 心はへど ただはぬかも
                         ―柿本人麻呂―(巻四・四九六)
浜木綿はまゆうの 葉いっぱいに 茂ってる 思いもそうやが よう逢い行かん》 
(出来たぞ 出来た 
 われにも あらぬ うぶな歌じゃ)

いにしへに ありけむ人も わがごとか いもに恋ひつつ ねかてずけむ
                         ―柿本人麻呂―(巻四・四九七)
おんなじか 昔の人も ワシみたい 焦がれ恋して 寝られへんのは》 
(なんと まあ 恥ずかしげもなく) 

(この歌を 贈るとして 返し歌は どうかな) 
今のみの 行事わざにはあらず いにしへの 人そまさりて にさへきし
                         ―柿本人麻呂―(巻四・四九八)
《今だけの こととはちごて 昔かて 恋して泣いた 今よりもっと》
百重ももへにも 来及きしかぬかもと 思へかも 君が使つかひの 見れどかざらむ
                        ―柿本人麻呂―(巻四・四九九)
何遍なんべんも 来て欲し思う あんたから 使い来るたび 見るたびずっと》

(自分で 返し歌まで むか)
人麻呂のほおは 緩(ゆる)んでいる

喪の明けやらない 人麻呂に 恋のやっこが 取り付いた




<浜木綿>へ

人麻呂編(4)妹が名呼びて

2009年08月14日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月10日】

・・・玉桙たまほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば  
      すべをみ 妹が名びて そでぞ振りつる

【軽寺の森。ひっそりとした軽の村中】


捕えて離さぬ 恋のやっこ
いに行こうなどと なんと 浅間あさましい
今しばらくは  
せめての明けるまで

あまぶや かるみちは 吾妹子わぎもこが 里にしあれば 
ねもころに 見まくしけど まず行かば 人目を多み 
数多まねく行かば 人知りぬべみ
 
《あの児の家は 軽の里 逢いたい気持ち いっぱいや
 度々たびたび行ったら うわさ立つ》
狭根葛さねかずら のちはむと 大船の 思ひたのみて
玉かぎる 磐垣淵いはかきふちの こもりのみ 恋ひつつあるに
 
あとで逢える日 来るおもて 恋しさ我慢で 送る日に》
渡る日の れぬるが如 照る月の 雲かくる如 
沖つ藻の なびきし妹は 黄葉もみちばの 過ぎてにきと 
玉梓たまづさの 使つかひの言へば
 
《照る日や月を 隠すよに もみじの葉っぱ 散るみたい 
 お前ったと 言う知らせ》
梓弓あづさゆみ おとに聞きて はむすべ むすべ知らに 
おとのみを 聞きてありねば
 
《どない言うたら えんやろ どしたらえか 分かれへん》
わが恋ふる 千重ちえ一重ひとえも なぐさもる こころもありやと 
吾妹子わぎもこが まず出で見し 軽のいちに わが立ち聞けば
 
えた気持ちを しずめよと お前のった 軽の市 行ってたずねて 探したが》
玉襷たまたすき 畝火うねびの山に 鳴く鳥の こゑも聞えず 
うろてしもて 名ぁ呼んで わめき回って 袖振りまわす》
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二〇七)
秋山あきやまの 黄葉もみちしげみ まとひぬる いもを求めむ 山道やまぢ知らずも
《茂ってる 黄葉もみじの山へ まよてもた お前探すに 道分れへん》
                          ―柿本人麻呂―(巻二・二〇八)
黄葉もみちばの りゆくなへに 玉梓たまづさの 使つかひを見れば ひし日思ほゆ
《あの使い 黄葉もみじ時分じぶんに また見たら 一緒った日 思いすんや》
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二〇九)

悔しさ もどかしさ 悔悟かいごの念去りやらぬ 人麻呂




<軽>へ

人麻呂編(5)形見とそ来し

2009年08月13日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月11日】

潮気しほけ立つ 荒磯ありそにはあれど 行く水の
          過ぎにしいもが 形見かたみとそ

【みなべの浦より鹿島を望む】


紀伊国きのくにへの行幸みゆき
太陽 輝き 
黒潮 おどる  
温暖の地 紀伊 
人麻呂の心は おどらない

(この磯 軽郎女かるのいらつめとの磯遊び 郎女いらつめの笑い声・・・)
玉津島たまつしま いそ浦廻うらみの 真砂まさごにも にほひて行かな いもふれけむ
《玉津島 海辺の磯の 砂きれえ 昔にお前 さわったからか》
                         ―柿本人麻呂―(巻九・一七九九)
(藤白坂の峠道 眼の下に 黒牛潟くろうしかた 玉津島山も見える)
いにしへに いもとわが見し ぬばたまの 黒牛潟くろうしかたを 見ればさぶしも
《前のとき お前と見たな 黒牛潟くろうしかた 独り見るんは 淋しいこっちゃ》
                         ―柿本人麻呂―(巻九・一七九八)
由良ゆらの崎 郎女いらつめ裳裾もすそに 入江の波が・・・)
黄葉もみちばの 過ぎにし子等こらと たづさはり 遊びしいそを 見れば悲しも
《手ぇつなぎ お前と一緒に 来た磯や 見たら悲して どうにもならん》
                         ―柿本人麻呂―(巻九・一七九六)
(大海原 浦々崎々さきざきの磯波 松のそよぎ
 ここ 岩代いわしろで 有間皇子ありまのみこさん偲んだなぁ)
のち見むと 君が結べる 磐代いはしろの 子松こまつがうれを また見けむかも
有間皇子おおじさん あんた結んだ 松の枝 帰りの道で また見たやろか》 
                         ―柿本人麻呂―(巻二・一四六)
(あれは 鹿島かしまや 二つ並んで・・・
 南部みなべの浜 岩 ごろごろと そのままや)
潮気しほけ立つ 荒磯ありそにはあれど 行く水の 過ぎにしいもが 形見かたみとそ
さみし磯 思うたけども お前との 思い出場所と おもうて来たで》
                         ―柿本人麻呂―(巻九・一七九七)

歌の お呼びがない 行幸みゆきであった

(わしの 気持ちまれての「ご用なし」であったのか
わし そのものが「ご用なし」と なったのか) 



<黒牛潟>へ



<結び松の碑>へ



<みなべ・鹿島>へ

人麻呂編(6)漕ぎ別れなむ

2009年08月11日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月12日】

留火ともしびの 明石あかし大門おほとに らむ日や
          ぎ別れなむ 家のあたり見ず


【明石海峡の落日、須磨浦展望台より】


石見の国 
(岩を見る国か・・・) 
荒涼たる 景色が 目に浮かぶ 
(歌読みの わしが 何故なにゆえ
宮仕えの つらいところか)
赴任の船は 難波の津を離れ 天離あまざかる ひなへと
人麻呂は 船縁ふなべりに立っている 
うつろな目 岸辺の風景が 過ぎていく

わびしさ つのる 旅か)
珠藻たまも刈る 敏馬みぬめを過ぎて 夏草の 野島のしまの崎に 舟近づきぬ
《にぎやかな 藻を刈る敏馬みぬめ 後にして 草ぼうぼうや 野島の岬》
                         ―柿本人麻呂―(巻三・二五〇)
(おお いい日だ 格好かっこうの歌情景 なのに・・・)
留火ともしびの 明石あかし大門おほとに らむ日や ぎ別れなむ 家のあたり見ず
《日ィ沈む 明石の大門おおと 目を返しゃ 大和とおなる 家も見えへん》
                         ―柿本人麻呂―(巻三・二五四)
(妻が 思い出される) 
淡路あはぢの 野島の崎の 浜風に いもむすびし ひも吹きかへす
《無事でねと お前結んで くれた紐 野島の風が 吹き返しよる》 
                         ―柿本人麻呂―(巻三・二五一)
(思いのほか 小ぶりな 赴任ぶねであった)
荒拷あらたへの 藤江ふぢえの浦に すずき釣る 白水郎あまとか見らむ 旅行くわれを
《藤江浜 すずき釣ってる 漁師りょうしやと 見られんちゃうか わし旅やのに》
                         ―柿本人麻呂―(巻三・二五二)
(旅ごころ 湧く 伝説の印南いなみ国原くにはら
 波も高い もう かなり来たな) 
名くはしき 稲見いなみの海の 沖つ波 千重ちへかくりぬ 大和島根は
稲見いなみうみ 次から次と 来る波に 隠れてしもた 大和の山々やまは》
                         ―柿本人麻呂―(巻三・三〇三)
(内海の島々 もたげる 歌ごころ)
大君おほきみの とほ朝廷みかどと ありがよふ 島門しまとを見れば 神代かみよおもほゆ
《にぎやかに 筑紫行きの 船とおる 瀬戸島せとじま見たら 神秘的やな》
                         ―柿本人麻呂―(巻三・三〇四)
過ぎゆく波頭なみがしら 景観の展開
歌人うたびと人麻呂が 取り戻る



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<野島の崎>へ



<藤江の浦>へ



<いなみの海>へ



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人麻呂編(7)野の上のうはぎ

2009年08月10日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月13日】

妻もあらば みてたげまし 佐美さみの山
         野ののうはぎ 過ぎにけらずや


【沙弥島ナカンダの浜】


人麻呂を乗せた 赴任の船  
穏やかな 内海うちうみを行く

玉藻たまもよし 讃岐の国は 
国柄くにからか 見れどかぬ 神柄かむからか ここだたふと
 
《讃岐の国は ええ国や 見飽けへんほど ええ国や》 
天地あめつち 日月とともに りゆかむ かみ御面みおも 
《日に日にうなる 別嬪べっぴんさん》
ぎ来たる なか水門みなとゆ 船けて わが漕ぎれば 時つ風 雲居に吹くに 
《そこの湊を 出た船は 突如吹き出す 風に会い》 
沖見れば とゐ浪立ち 見れば 白浪さわく いさな取り 海をかしこ 
《沖は大波 岸も白波なみ 怖い恐ろし 荒れる海》
行く船の かじ引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑さみねの島の 荒磯面ありそもに いほりて見れば
《船梶止めて さみねじま なんけ船を 寄せたなら》
浪のの 繁き浜辺を 敷栲しきたへの 枕になして 荒床あらとこに 自伏ころふす君が 
《波音高い 浜の陰 一人の人が 死んでいる》 
家知らば 行きても告げむ 妻知らば も問はましを 玉桙たまほこの 道だに知らず 
《知らしたいけど 家分からん どこの誰やら 知らん人》 
おほほしく 待ちか恋ふらむ しき妻らは
《奥さんさぞかし 待ってるやろに》 
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二二〇)

妻もあらば みてたげまし 佐美さみの山 野ののうはぎ 過ぎにけらずや
よめると んでそなえて やったやろ えてるヨメナ とう立ってもた》 
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二二一)
沖つ波 よる荒磯ありそ 敷栲しきたへの まくらきて せる君かも
《波寄せる さみしい磯に 横なって 死んでる人は どこの誰やろ》
                         ―柿本人麻呂―(巻二・二二二)

船旅ふなたびでの遭難
供えの花は 
死人しびとへの 手向けか
明日は 我が身への 祈りなのか 




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<さみねの島(一)その2>へ



<さみねの島(二)>へ

人麻呂編(8)靡けこの山

2009年08月09日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月14日】

・・・夏草の 思ひしなえて しのふらむ いもかど見む
                        なびけこの山


【「石見の海」和木真島にて東方。遠景浅利富士】


人麻呂は  
寒風に吹かれて 石見いわみの 浜を歩いていた
日本海 荒波風あらなみかぜを まともに受け
き出しの山 いつくばる木々 
荒涼そのままを 見せている浜 
波打ち際 打ち寄せる そのからままるさま
人麻呂の眼に 共寝ともねの妻依羅娘子よさみのおとめうつ
胸に湧き上がる 寂寞せきばくの気
妻と離れての 都への公務たび
歌心が 突き上げる 

石見いはみうみ つの浦廻うらみを 浦しと 人こそ見らめ かたしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦は無くとも よしゑやし 潟は無くとも 
《石見の国の 都野つのの浦 よろし湊も 浜もない かまへんえで 湊なし 浜はうても この海は》
鯨魚いなさ取り 海辺をさして 和多豆にきたづの 荒磯ありその上に か青なる 玉藻おきつ藻 朝羽振あさはふるる 風こそ寄せめ 夕羽振ゆふはふる 浪こそ来寄れ
《魚捕れるし 磯の上 朝には風が 夕べ波 青い玉藻を 持って来る》 
浪のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜つゆしもの 置きてしれば
《その藻みたいに 寄りうて 寝てたお前を 置いてきた》
この道の 八十隈やそくまごとに よろづたび かへりみすれど いやとほに 里はさかりぬ いや高に 山も越え来ぬ
《振り向き振り向き 来たけども お前る里 遠なるし 山たこなって へだたるし》
夏草の 思ひしなえて しのふらむ いもかど見む
《胸のつぶれる 思いして お前のるとこ 見たなった》
なびけこの山
《邪魔する山よ 飛んでまえ》 
                         ―柿本人麻呂―(巻二・一三一)
石見いはみのや 高角山たかつのやまの より
 わが振るそでを いも見つらむか

《恋しいて 高角たかつの山の あいだ 袖振ったけど 見えたかお前》
小竹ささの葉は み山もさやに さやげども
 われは妹思ふ 別れぬれば

《笹の葉が ざわざわ揺れる ざわざわと わしの胸かて 風吹き抜ける》 
                         ―柿本人麻呂―(巻二・一三二、一三三)

容赦ようしゃない てる烈風れっぷう
吹きちぎれる 袖 裾 
人麻呂の影が 遠ざかる 



<石見の海―その1>へ



<石見の海―その2>へ



<高角山>へ

人麻呂編(9)つのさはふ

2009年08月08日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月17日】

つのさはふ 石見いはみの海の ことさへく からの崎なる 
海石いくりにそ 深海松ふかみるふる 荒磯ありそにそ 玉藻はふる・・・


【唐鐘浦、大洞窟より猫島を望む】


唐鐘からかね浦の大洞窟
海蝕崖かいしょくがいの断崖 奇観が続く
洞窟にとどろき響く 荒波の声
岩礁底いわそこおどる 深海松ふかみるかげ
またしても 思いにうつる 依羅娘子よさみのおとめ

つのさはふ 石見いはみの海の ことさへく からの崎なる 
海石いくりにそ 深海松ふかみるふる 荒磯ありそにそ 玉藻はふる

からみさきの 海底うみそこの 岩にはミルが 生えている  磯には玉藻 育ってる》 
玉藻なす なびし児を 深海松ふかみるの 深めておもへど 
し夜は いくだもあらず つたの 別れしれば
 
《靡く藻みたいに 寝たあの児 深い心で おもてたが 寝た夜なんぼも あれへんに 置いて出て来て しもたんや》 
きも向かふ 心をいたみ 思ひつつ かへりみすれど 
大船の わたりの山の 黄葉もみちばの 散りのまがひに 
妹がそで さやにも見えず
 
《せつうなって 振り向いた 落葉えらいに 降ってきて お前振る袖 見えやせん》 
嬬隠つまごもる 屋上やがみの山の 雲間より 渡らふ月の しけども かくろひ来れば 
《お前住んでる 屋上やがみ山 照ってる月を 隠すよに 隠れてしもて さみしなる》
あまつたふ 入日さしぬれ 大夫ますらをと 思へるわれも 
敷栲しきたへの ころもの袖は 通りて濡れぬ

《お日さん沈んで わびしなり なんぼわしでも 泣けてきて 袖を濡らして 仕舞しもたんや》
                         ―柿本人麻呂―(巻二・一三五)
青駒あおごまの 足掻あがきを早み 雲居くもゐにそ いもがあたりを 過ぎてにける
《馬のやつ 足早いんや 早すぎて お前の家を 通り過ぎたで》 
                         ―柿本人麻呂―(巻二・一三六)
秋山に 落つる黄葉 しましくは  な散りまがひそ 妹があたり見む
《ちょっとの 落ち葉るのん 待ってんか お前の家が 見えへんよって》 
                         ―柿本人麻呂―(巻二・一三七)

寄る年波の旅  
官務かんむゆえ 戻りはするが
天候 賊 病気やまい
旅は いつでも 死の覚悟と共にある 
それ故の 別離の悲しさ つら
妻恋しさが 人麻呂を 離さない  




<からの崎>へ

人麻呂編(10)大和島見ゆ

2009年08月07日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月18日】

天離あまざかる ひな長道ながぢゆ 恋ひれば
            明石のより 大和島やまとしま見ゆ

慶野けいの松原、淡路島西岸】


長門をた 人麻呂の公務たび
大宰府への 副次報告を終え 
の津からの船は 難波なにわの津を目指していた
時化しけの怖さはあるが 沿岸伝いの船旅は
陸路の難渋なんじゅうを思えば 安全 この上ない
久方ぶりの 大和の地 
はやる心の 人麻呂 

(まだ 見えぬのか 大和は)
稲日野いなびのも 行きぎかてに 思へれば 心こほしき 可古かこしま
《退屈な 印南野いなみのつづく おお見えた 加古の港や 待ってたんやで》
                         ―柿本人麻呂―(巻三・二五三)
(淡路島 大きくなってきた おお 賑やか 賑やか)
飼飯けひの海の にはくあらし 刈薦かりこもの みだづ見ゆ 海人あまの釣船
飼飯けひうみは いだみたいや つり船が いっぱい出てきた こら大漁や》 
                         ―柿本人麻呂―(巻三・二五六)
(うわぁ 大和や 大和や)
天離あまざかる ひな長道ながぢゆ 恋ひれば 明石のより 大和島やまとしま見ゆ
《長い道 恋し恋しと 明石来た 海峡かいきょう向こうに 大和の山や》
                         ―柿本人麻呂―(巻三・二五五)

小躍こおどりしたい気持ち
それとは 裏腹うらはら
人麻呂の胸に 苦いしるが わだかまる

(このまま 地方の官吏かんりで終わるのか
 あの ほまれは 夢だったのか
 天武帝に召され「大王おおきみは 神にしあれば」と  うたったのは わしだ
 持統帝の覚えは 目出たかった 
 吉野行幸みゆき「山川も依りてつかふる」は絶賛を得た
 皇子達への き歌の数々
 宮めの 寿ことほぎ歌・・・
 あれは 真のわしであったのであろうか 
 時移り 世は変わり 宮廷一の歌人 柿本人麻呂は どこへ行ったのじゃ 
 友もいない ぶん不相応な扱いを受けた わしに 誰も寄りはしなかった
 もう 大和はわしの住むところではないのだ) 

石見いわみは い あそこは 人が住んでいる
 依羅娘子よさみのおとめが待っている・・・)

人麻呂の目に 大和島山が にじ





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人麻呂編(11)国忘れたる

2009年08月06日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月19日】

草枕くさまくら 旅の宿やどりに つま
           国忘れたる 家待たまくに 

【人麻呂塚、天理市櫟本いちのもと和爾下わにした神社】


人麻呂は 夢を見ていた 
みんな 礼を言ってくれる 
手向たむけ歌への礼だ

〔これは さみね島の野伏のぶせ人
 ヨメナ また咲いてますかな〕 

〔あれに 来るのは 香久山かぐやまのごじんではないか
 そなえの歌は たしか・・・〕
草枕くさまくら 旅の宿やどりに つま 国忘れたる 家待たまくに 
《誰やろか こんなとこ来て 死んではる 国はどこやろ 家で待つやろ》 
                          ―柿本人麻呂―〔巻三・四二六〕

〔次なるは 出雲娘子いずものおとめ
 はるばると 出雲から来た 采女うねめであった 吉野の川でおぼれ 火葬かそうに付されたので あったな あわれなことに〕 
八雲やくもさす 出雲いづもの子らが 黒髪くろかみは 吉野の川の おきになづさふ
《出雲から 出て来たこの児 可哀相かわいそや 川で溺れて 沈んでるがな》
                         ―柿本人麻呂―〔巻三・四三〇〕
山のゆ 出雲いづもらは きりなれや 吉野の山の みねにたなびく
《出雲の児 霧になったか 山の上 雲と一緒に 棚引いとおる》 
                         ―柿本人麻呂―〔巻三・四二九〕

〔次のお方・・・ 
 これは 人麻呂さまでは ありませぬか 
 人麻呂さまは まだ ご存命のはず 
 よって 手向けの歌は ご用意致しておりませぬ いのでございます 無いといったら 無い!〕 

「ご主人さま! ご主人さまぁ! しっかり なさいませ うなされておりますぞ」 
ともに 揺り動かされて ぼんやりと 目を覚ます人麻呂

先日来の 高熱 流行はやりの熱病か
石見へと向かう 国境くにざかいの山の奥

朦朧もうろうとした意識の中 人麻呂の口が かすかに動く
「もう い か ん お迎え じゃ 
 山中の亡骸なきがらは 見苦しい 引き取りは 石見国庁の 丹比笠麿たじひのかさまろ殿に・・・
依羅娘子よさみのをとめには 歌を託す 筆 筆を・・・」

当代きっての 歌人うたびと 柿本人麻呂
うつろろな目は 嶺の雲を 追っている




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人麻呂編(12)鴨山の

2009年08月05日 | 人麻呂編
【掲載日:平成21年8月20日】

鴨山かもやまの 岩根いはねける われをかも
           知らにといもが 待ちつつあるらむ

湯抱ゆがかえの鴨山】


しみじみと 見る 依羅娘子よさみのおとめ
人麻呂が託した歌 
鴨山かもやまの 岩根いはねける われをかも 知らにといもが 待ちつつあるらむ
《鴨山で わしこのままで 死ぬのんか 
 何も知らんと お前待つのに》 
          ―柿本人麻呂―〔巻二・二二三〕
〔あなた 有難う 間際まぎわまで 私のこと〕

〔あの「なびけこの山」の 私のかえし歌 覚えていますか 心配した通りでしたよ〕 
な思ひと 君は言へども 逢はむ時 何時いつと知りてか わが恋ひずあらむ 
《安心し また逢えるやん うたけど 逢われんかったら どないするねん》  
                         ―依羅娘子よさみのをとめ―〔巻二・一四〇〕

〔いつも 言ってましたね「雲はい」って だから 荼毘だびにしました〕
〔灰は 霧の立つ 山間やまあいの川に
 好きだった海にも 行けますね〕 
ただの逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつしのはむ
《雲あがれ 逢いたなったら 雲あがれ 逢われへんけど 雲雲あがれ》 
依羅娘子よさみのをとめ―〔巻二・二二五〕
今日けふ今日けふと わが待つ君は 石川の かひまじりて ありといはずやも
《どこおるん 今か今かと 待ちよるに 貝と一緒に るてうんか》
                         ―依羅娘子よさみのをとめ―〔巻二・二二四〕

丹比笠麿たじひのかさまろさまが あなたに代わって かえし歌を下さいました〕
荒波に 寄りくる玉を まくらに置き われここにありと たれか告げなむ
《ここにる 波を枕に ここ居ると みんなに言うてや ここ居るよって》 
                          ―丹比笠麿たじひのかさまろ―〔巻二・二二六〕

〔村の人 私の気持ちを うたってくれたの〕
天離あまざかる ひな荒野あらのに 君を置きて 思ひつつあれば 生けりともなし 
《どう思う こんな田舎に 眠らして あんたどないや うちつらいけど》
                         ―作者不詳―〔巻二・二二七〕

歌人うたびと人麻呂」としてでなく 
一人の 「人」としての 安らかな眠り 



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