赤人編（１）すみれ摘みにと

【掲載日：平成22年1月19日】

春の野に　すみれ摘つみにと　来こしわれそ
　　　　　　　　　　　　　　　　野をなつかしみ　一夜ひとよ寝にける



山部赤人やまべのあかひとは　人付き合いが　うまくなかった
人一倍の気遣づかい　それが相手に伝わらない
気遣いの負担を　　させまいとする心
これが　　相手を遠ざける

〔梅見　　菜摘みに　誘いたいが　雪にホットする自分がいる〕
わが背子に　見せむと思おもひし　梅の花　それとも見えず　雪の降れれば
《梅の花　雪降ってもて　見えんがな　友に見せよと　思おもうてたのに》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻八・一四二六〕　
明日あすよりは　春菜はるな採つまむと　標しめし野に　昨日きのふも今日けふも　雪は降りつつ
《明日あしたから　若菜を摘つもと　決めたのに　その野は雪や　昨日も今日も》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻八・一四二七〕　

〔春の楽しみを味わえないものか　　それも　あの児と〕
春の野に　すみれ摘つみにと　来こしわれそ　野をなつかしみ　一夜ひとよ寝にける
《春の野に　すみれを摘みに　来たんやが　気分良ええんで　泊ってしもた》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻八・一四二四〕　

〔思っては　自ら諦あきらめ　こと成っての平穏な暮らしを仮想おもうう日々が過ぎていく〕
あしひきの　山桜花　日け並ならべて　かく咲きたらば　いと恋ひめやも
《桜花　づうっと長なごう　咲くんなら　こんな見たいと　思わへんのに》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻八・一四二五〕　

〔秘ひそかに思う相手　相手を慮おもんばかり　恋心告げもせず　悶々もんもんと歌うしかない〕
春日はるひを　春日かすがの山の　高座たかくらの　三笠みかさの山に　朝さらず　雲ゐたなびき　容鳥かほとりの　間まなく数しば鳴く　
《春日かすがの峰の　三笠の山に　朝はいっつも　雲棚引いて　郭公鳥かっこうどりは　鳴き続けとる》
雲居くもゐなす　心いさよひ　その鳥の　片恋かたこひのみに　昼はも　日のことごと　夜よるはも　夜よのことごと　
立ちてゐて　思ひそわがする　逢はぬ児こゆゑに
《その雲みたい　　もやつく心　鳥の名みたい　片恋〔カッコウ〕しとる
　夜昼なしに　立っても居ても　お前思おもてる　逢われんよって》　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三七二〕　
高鞍たかくらの　三笠みかさの山に　鳴く鳥の　止やめば継つがるる　恋もするかも
《次々に　　恋しい心　湧いてくる　三笠の山で　鳴く鳥みたい》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三七三〕　

〔伝えぬが　分かって欲しい恋心　やがての諦あきらめ　次なる相手を　探すしかないか〕
わが屋戸やどに　韓藍からあゐ蒔まき生おほし　枯れぬれど　懲こりずてまたも　蒔まかむとそ思ふ
《家うちの庭　植えた鶏頭けいとう　枯れたけど　ええでそんなら　また植えるから》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三八四〕　

赤人編（２）秋津の小野の

【掲載日：平成22年1月21日】

やすみしし　わご大君おほきみは　み吉野の　秋津あきづの小野をのの　野の上へには・・・


神亀じんき元年〔724〕春三月
聖武の帝みかどが　立たれ　初めての行幸みゆき
吉野　秋津野あきつのの狩である

赤人は　　宮廷歌人の一角に　その座を占めていた
柿本人麻呂　　
宮廷歌人としてのその名　
雲突く峯の如くに　聳そびえている
〔ほとばしる魂が　
　人麻呂殿の歌には　溢あふれている
　景けいが眼前に迫りくる　対句ついくの勢い
　重厚さ　神々こうごうしさ
　人麻呂殿が　名を成した　寿ことほぎ長歌の数々
　陶酔の長歌を受け　　反歌締めの　見事さ〕
後を踏襲つぐは自分だと　赤人は　自負していた
〔少しでも　　近づかねば　ならぬ
　切磋琢磨せっさたくまが　求められよう
　目指すは　　第一人者
　それには　更なる　謙へりくだりが・・・〕

帝みかどのお召めし　赤人は詠うたう
やすみしし　わご大君おほきみは　み吉野の　秋津あきづの小野をのの　
野の上へには　跡見とみすゑ置きて　み山には　射目いめ立て渡し　
《天皇おおきみは　吉野秋津あきづの　野に出られ　足跡追人おいを　野に置いて　待ち伏せ弓を　山に置き》
朝猟あさかりに　鹿猪しし履ふみ越おこし　夕狩ゆふかりに　鳥踏ふみ立て　馬並なめて　御猟みかりそ立たす　春の茂野しげのに
《朝は獣を　　追いたてて　夕べは鳥を　飛び立たせ　狩りをなされる　春の野原で》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九二六〕　
あしひきの　山にも野にも　御猟人みかりびと　得物矢さつや手挟たばさみ　散動さわきたり見ゆ
《山や野に　弓矢を持った　狩り人が　あちこち居おって　働いとるぞ》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九二七〕　
居並ぶ官人　歌人うたびとの仲間から
称賛の言葉が　溢あふれ出る
帝みかども　満足の様子
ほっとする赤人の胸に　　影がさす
〔わしの歌は　　形だけの真似に過ぎない
　人麻呂殿のは　　身も心も　歌そのもの〕
〔それに　人麻呂殿が詠うたった後あと　
　座は静まり　　ややあっての称賛嵐と聞く
　しかるに　　いまは　形通りの賛辞があり
　やがて　　座は　雑語の場と変わる〕
〔人麻呂殿を　　高嶺とすれば
　わしはまだ　麓ふもとを歩くにすぎない〕

そこには　　自負しつつも　
自らの才を良しとしない　　赤人がいた

赤人編（３）鶴鳴き渡る

【掲載日：平成22年1月26日】

若の浦に　潮満ち来れば　潟かたを無み　葦辺あしへをさして　鶴たづ鳴き渡る

【片男波海岸　遠景雑賀崎】

時代は　　既に変わっていた
天皇おおきみが　現人神あらひとがみとされた　壬申じんしん乱後ごの世
天武の大帝たいてい　後あとを統すべられし持統帝
御前ごぜんでの　歌詠よみ儀式は　
山を褒ほめ　川を褒め　宮を褒める
これ　　すなわち　
帝みかどそのものへの賛歌に他ならなかった
歌詠よみ儀式は　引き継がれ　
山川褒めは　　為される　
重きは　　景をほめるにあり　
帝みかどへの崇あがめ　色合いは薄い
行幸そのものも　　君臣和しての遊覧
帝も　　臣への　近づきを　旨とせられる

神亀元年冬十月　紀伊国きいのくにへの行幸みゆき　
一行は　玉津島頓宮とんぐう背後の山に登り　南に展開する　島々　潮の満ち干を　眺めていた　
澄んだ赤人の　　歌声が　流れる

やすみしし　わご大君おほきみの　常宮とこみやと　仕へまつれる　雑賀野さひかのゆ　背向そがひに見ゆる　沖つ島　
《天皇おおきみの　づうっと続く　宮処みやどこと　みんな仕える　雑賀野さいかのの　向こうに見える　沖の島》　
清き渚なぎさに　風吹けば　白波騒さわき　 潮干ふれば　玉藻たまも刈りつつ　
神代より　然しかそ尊たふとき　玉津島山たまつしまやま
《そこの清らな　　渚では　風が吹いたら　波立って　潮が引いたら　玉藻刈る
　神代からして　尊いで　ほんまええとこ　玉津島山たまつしま》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九一七〕　

沖つ島　荒磯ありその玉藻　潮干しほひ満ちて　い隠かくりゆかば　思ほえむかも
《沖の島　荒磯ありその玉藻　満潮しお来たら　隠れてしまう　惜しいこっちゃで》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九一八〕　
若の浦に　潮満ち来れば　潟かたを無み　葦辺あしへをさして　鶴たづ鳴き渡る
《潮満ちる　干潟無のうなる　若の浦　葦ある岸へ　鶴鳴き渡る》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九一九〕　

【権現山より「若の浦」を望む】

惜しみない賛辞が　　広がっていく
〔違う　　違うぞ　赤人
　これは　我われの歌ではない〕
　
赤人は　　気付いていない
後世　絶賛を受ける　心に直なおな反歌の誕生を
人麻呂を　追随する懸命さが　目を覆おおっている





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赤人編（４）千鳥しば鳴く

【掲載日：平成22年1月29日】

ぬばたまの　夜よの更ふけぬれば　久木ひさき生おふる　清き川原に　千鳥しば鳴く

【喜佐谷からの象山の眺め】

「わかったぞ」　
突拍子とっぴょうしもない声が　上がる
「そうじゃ　　そうだったのか　なるほど」
紀伊国行幸みゆきの　献上歌を反芻はんすうする　赤人
己おのがものとする歌は　如何にすれば・・・
己が心を　素直に詠うたうには・・・
道を探っていた赤人に　　歌が教えている
〔出来て居おるではないか
　長歌を受けつつ　反歌の心　別を見て居おる
　隠されていたのだ　　己が心が・・・〕
人麻呂の重圧が　　遠のいて行く

神亀じんき二年〔725〕夏五月
吉野離宮　
山川を背に　赤人は　詠うたう
その声は　　自信にみなぎり　
川の轟とどろきを打ち消すかに響く
やすみしし　わご大君おほきみの　高たか知しらす　吉野の宮は　畳たたなづく　青垣隠あおかきごもり　
川次なみの　清き河内かふちそ　春べは　花咲きををり　秋されば　霧立ち渡る　　
《天皇おおきみが　お治おさめなさる　吉野宮　重かさなる山に　囲まれて　水の清らな　川淵かわふちに
　春には花が　咲き溢あふれ　秋に川霧　立ちこめる》
その山の　 いやますますに　この川の　絶ゆること無く　
ももしきの　大宮人は　常に通かよはむ
《山益々に　繁る様よに　川滔々とうとうと　絶えん様よに　大宮人ひとはずうっと　通かよてくる》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九二三〕　
み吉野の　象山きさやまの際まの　木末こぬれには　ここだも　さわく　鳥の声かも
《吉野山　象山きさやま木立ち　梢こずえ先さき　鳥がいっぱい　囀さえずる朝や》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九二四〕　
ぬばたまの　夜よの更ふけぬれば　久木ひさき生おふる　清き川原に　千鳥しば鳴く
《夜よる更けた　久木生はえてる　川原かわはらで　千鳥鳴き声　しきりと響く》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九二五〕　
長歌と繋がりのない反歌　
虚を突かれたかの　　沈黙
やがて　　
帝みかどの　大きな頷うなづきを見て
どっと湧く歓声　
爽やかな余韻よいんが広がる
その反歌は　儀礼に則のっとった長歌を離れ　
別の美を詠うたいあげていた

辞を低くし　謙虚を滲にじませる　赤人




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赤人編（５）野島の海人の

【掲載日：平成22年2月2日】

朝凪あさなぎに　梶かぢの音おと聞ゆ　御食みけつ国　野島のしまの海人あまの　船にしあるらし

紀伊国行幸みゆきの場で
宮廷歌人第一の地位を得た赤人　
しかし　　官人らの視線は　冷たい
歌人うたびとたちの態度も　よそよそしい
〔なぜだ　これほど　気遣い専一せんいつ努めておるに
　新境地を開いた　我輩それがしを　嫉妬やっかんでいるのか〕

時に　神亀じんき二年〔725〕冬十月
難波長柄宮なにわながらのみや　行幸
西に開けた　難波御津みつの浜
続々と集まる　　淡路野島の漁師船

天地あめつちの　遠きが如ごとく　日月ひつきの　長きが如く　押し照る　難波なにはの宮に　わご大君おほきみ　国知らすらし
《いつまでも　遠く長なごうと　続いてく　難波の宮に　天皇おおきみが　行幸みゆきなされる　その時に》
御食みけつ国　日の御調みつと　淡路あはぢの　野島のしまの海人あまの　海わたの底　
奥おくつ海石いくりに　鰒珠あわびたま　さはに潜かづき出で　船並なめて　仕へまつるし　貴し見れば
《供御くごを生み出す　淡路あわじ国くに　お上がり召せと　野島漁師あま
　海に潜って　鮑貝あわびがい　いっぱい取って　船並べ　貢みつぐ様子を　見る見事さよ》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九三三〕　
朝凪あさなぎに　梶かぢの音おと聞ゆ　御食みけつ国　野島のしまの海人あまの　船にしあるらし
《朝の海　梶音してる　供御くご国くにの　野島漁師の　船やできっと》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九三四〕　
明るく詠うたう赤人　　
ふと感じると　笠金村かさのかなむらが　近づいてくる
「赤人殿　なにやら　気分良よげにお見受けする
　ご自身の詠うたいたいように　詠うたわれて居おる
　聞いていて清々すがすがしい
　ところで　わしは　赤人殿の　寿ことほぎ歌　もう飽いてしもうた
　どうであろう　
　ひとつ　　恋の歌でも聞かせてくれぬか」
苦笑いする赤人　
「ハハハ　戯言ざれごと　戯言ざれごと」

〔何を　　おっしゃろうとしたのか　
　寿ぎ歌には　　飽いたと
　さてこそ　　恋歌などと
　合点がてんがいかぬ〕

人麻呂の呪縛じゅばくを脱した胸に
金村の謎掛けが　　残る

赤人編（６）藤江の浦に

【掲載日：平成22年2月5日】

沖つ波　辺波へなみを安み　漁いさりすと　藤江の浦に　船そ動さわける

神亀じんき三年〔726〕秋九月
印南野いなみの　浜辺の遊覧を旨とした　行幸みゆきだ
女官たちの　歓声こえが響いている
晴れ晴れとした空気に　　赤人の気が　軽い

やすみしし　わご大君おほきみの　神かむながら　高知らしめす　印南野いなみのの　大海おほみの原の　
荒拷あらたへの　藤井の浦に　鮪しび釣ると　海人船あまふね散動さわき　塩焼くと　人そ多さわにある　
《天皇おおきみが　お治おさめなさる　印南国いなみくに　大海原の　藤井浦
　鮪まぐろ釣ろうと　船出てる　塩を焼こうと　人出てる》
浦を良よみ　諾うべも釣つりはす　浜を良よみ　諾うべも塩焼く　
あり通がよひ　見ますもしるし　清き白浜しらはま
《浦が良ええんで　釣りをする　浜が良ええんで　塩を焼く
　絶えず来なさる　尤もっともや　見るに綺麗きれえな　この白浜よ》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九三八〕　
沖つ波　辺波へなみを安み　漁いさりすと　藤江の浦に　船そ動さわける
《沖と岸　　波穏やかや　藤江浦　漁に出ている　船いっぱいや》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九三九〕　
印南野いなみのの　浅茅あさぢ押しなべ　さ寝ぬる夜よの　日け長くあれば　家し思しのはゆ
《印南野の　茅萱ちがやを敷いて　眠ねむる夜よが　続いたよって　家恋しいわ》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九四〇〕　
明石潟あかしかた　潮干しほひの道を　明日あすよりは　下咲したゑましけむ　家近づけば
《明日あしたから　干潟の道も　楽しいで　お前待つ家　近ちこなるよって》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九四一〕　
「これは　これは　赤人殿が　家人いえひとのことを詠うたわれる　雨が降らなければ良いがのう」
幾人もの歌人うたひとが　寄ってきた
輪の中の赤人　思わずに　微笑ほほえむ
「いや　皆様方の　寛くつろぎが　詠うたわせたのです」
「第一人者に　余裕が出たら　適かなわぬ　適かなわぬ」
「そうじゃ　　そうじゃ　ハハハハ　ハ」
歓談の様子に　　目を細める金村

その夜　波寄る浜辺　独り佇たたずむ　赤人
〔覗のぞかれはせぬかとの　伏せ心
　枷かせを解くことの　爽やかさよ
　己を曝さらすことで　他人ひとが寄ってくる〕
そこに　　
公おおやけとしての人付き合いに　
私わたくしの出るを恐れていた赤人の　
一皮剥むけた姿があった

赤人編（７）敏馬の浦の

【掲載日：平成22年2月9日】

御食みけ向むかふ　淡路あはぢの島に　直ただ向ふ　敏馬みぬめの浦の
　沖辺おきへには　深海松ふかみる採とり　浦廻うらみには　名告藻なのりそ刈る・・・
赤人は　　旅の空にいた
〔重しが取れた今　
　もう一度　　人麻呂殿の歌　深く味わい
　研鑽けんさんを積むことが　肝要じゃ
　そのため　あの方が　辿たどった道筋
　そこでの詠よまれた歌
　実感するに　如しくはない〕

珠たま藻も刈る　敏馬みぬめを過ぎて　夏草の　野島のしまの崎に　舟近づきぬ
《にぎやかな　藻を刈る敏馬みぬめ　後にして　草ぼうぼうや　野島の岬》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―柿本人麻呂―〔巻三・二五〇〕　
〔これは　確か　人麻呂殿が　石見いわみの国に下られた時の歌　宮廷歌人としての　人麻呂様では　無かった時かも知れぬ〕　

御食みけ向むかふ　淡路あはぢの島に　直ただ向ふ　敏馬みぬめの浦の　
沖辺おきへには　深海松ふかみる採とり　浦廻うらみには　名告藻なのりそ刈る　
《供御くごを生み出す　淡路の島の　真向いにある　敏馬みぬめの浦の
　沖の海底うみでは　海松みる採っとおる　浦の浅瀬で　名告藻なのりそ刈るよ》
深海松の　見まく欲ほしけど　名告藻なのりその　己おのが名惜しみ　
間使まつかひも　遣やらずてわれは　生いけりともなし
《海松みると聞いたら　お前が見たい　名告藻なのりそ〔な告のりそ＝名を言うな〕言う様よに　名前は言えん
　言うたら他人ひとに　知られるよって　使い出せんで　わし気ィ萎なえる》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九四六〕　
須磨の海人あまの　塩焼衣しほやきぎぬの　馴なれなばか　一日ひとひも君を　忘れて思おもはむ
《身に馴染なじむ　塩焼き海人あまの　服みたい　心馴染なじんだ　あんた忘れん》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九四七〕　

〔なんと気持の良いことか　
　これほど　屈託くったくなく　女房殿のことが　詠うたえるとは　わしも　変わったものだ〕
赤人は　　改めての思いに　感を深くしていた

赤人編（８）繩の浦ゆ

【掲載日：平成22年2月12日】

繩なはの浦ゆ　背向そがひに見ゆる　沖つ島　漕ぎ廻みる舟は　釣つりしすらしも

船は　内海うちうみを行く
人麻呂の　　歌の数々
思い出し　　反復し
詠うたいし　人麻呂の心を思う航海が続く

〔島が　　舟が　釣り人が　見える〕
繩なはの浦ゆ　背向そがひに見ゆる　沖つ島　漕ぎ廻みる舟は　釣つりしすらしも
《縄の浦　その向むこ見える　沖の島　漕いでる船は　釣りしてるらし》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三五七〕　
〔あの船　　都へ戻るのであろうか〕
武庫むこの浦を　漕ぎ廻みる小舟をぶね　粟島あはしまを　背向そがひに見つつ　羨ともしき小舟
《武庫の浦　漕いでく小船こぶね　羨うらやまし　淡路背にして　都へ行くよ》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三五八〕　
〔旅心たびごころ　懐かし心ごころ〕
阿倍あべの島　鵜うの住む礒いそに　寄する波　間まなくこのころ　大和やまとし思ほゆ
《阿倍島で　　磯にしょっちゅう　波寄せる　ひっきりなしに　大和が恋し》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三五九〕　
潮干しほひなば　玉藻刈かり蔵つめ　家いへの妹が　浜づと乞こはば　何を示さむ
《潮干ひたら　綺麗な藻刈り　持ち帰ろ　家で待つ妻　土産は言ゆたら》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三六〇〕　

〔陸路おかみちなら　泊まり先で　こう云うことに　出くわしたやもしれぬ〕
秋風の　寒き朝明あさけを　佐農さぬの岡をか　越ゆらむ君に　衣きぬ貸かさましを
《佐野の岡　　越えてくあんたに　服貸そか　秋風寒い　夜明けやよって》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三六一〕　
〔名乗藻なのりそか　浜娘子おとめに　詠うたいかけるも一興〕
みさごゐる　磯廻いそみに生おふる　名乗藻なのりその　名は告のらしてよ　親は知るとも
《海草かいそうも　言うてるやんか　名告なのりやと　あんたも名告り　親に露見ばれても》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三六二〕　
みさごゐる　荒磯ありそに生おふる　名乗藻なのりその　よし名は告らせ　親は知るとも
《荒磯あらいその　なのりそみたい　名告ってや　親知ったかて　かめへんやんか》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三六三〕　

〔昔は　意識の塊かたまりの末　歌が生まれた
　今は　かくも　冗談めかしに　気楽に詠うたえる〕

赤人編（９）辛荷の島に

【掲載日：平成22年2月16日】

玉たま藻も刈る　辛荷からにの島に　島廻しまみする　鵜うにしもあれや　家思おもはざらむ

【唐荷島三島　遠景家島　室津賀茂明神より】

韓泊からどまりを出た船　
次の停泊地　室津むろつへと向かう
沖合い　　家島群島の島影
行く手に　三っつの唐荷島からにじま
地ノ唐荷　　中ノ唐荷　沖の唐荷
暗礁多い　　陸寄りを避け　
船は　地と中の間あいだを進む
夕日に染まる西空　　
振り返る　大和島嶺しまねは　はるか　霞の彼方

あぢさはふ　妹いもが目め離かれて　敷栲しきたへの　枕まくらも纏まかず　
桜皮かには纏まき　作れる舟に　真楫まかじ貫ぬき　わが漕こぎ来くれば　
《お前の顔も　　見られへん　安らか眠りも　出けん旅
　桜の皮を　張った船　梶いっぱいに　漕いできた》　
淡路あわじの　野島のしまも過ぎ　印南都麻いなみつま　辛荷からにの島の　島の際まゆ　吾家わぎへを見れば　
青山の　其処そことも見えず　白雲も　千重ちへになり来きぬ　
《淡路の島の　野島過ぎ　印南都麻島いなみつましま　後にして　唐荷の島の　間から　家のある方ほう　見たけども
　山連つらなって　分かれへん　雲重なって　見えやせん》
漕こぎ廻たむる　浦のことごと　行き隠かくる　島の崎々　隈くまも置かず　思ひぞわが来る　旅の日け長み
《漕ぎ廻まわり行く　浦々や　通りすぎてく　島々で　お前のことを　思い出す　旅の日数ひかずが　長なごなったんで》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九四二〕　
玉たま藻も刈る　辛荷からにの島に　島廻しまみする　鵜うにしもあれや　家思おもはざらむ
《辛荷島からにしま　エサ捕る海鵜うみう　島廻めぐる　呑気でええな　わし家恋し》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九四三〕　
島隠がくり　わが漕こぎ来くれば　羨ともしかも　　大和やまとへのぼる　真ま熊野くまのの船ふね
《島伝い　船で来たなら　熊野くまの船ぶね　大和行くんや　羨うらやましいで》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九四四〕　
風吹けば　浪か立たむと　伺候さもらひに　都太つだの細江ほそえに　浦うら隠がくり居をり
《風が出て　　浪立ってくる　風待ちに　細江の浦で　船足止めや》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・九四五〕　

赤人の歌に　　景が　同化していく　
心は　公おおやけの柵しがらみから　自由となり
私わたくしの執着からも　解き放はなたれていく
さながら　　景と遊ぶかの歌心





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赤人編（10）伊予の高嶺の

【掲載日：平成22年2月19日】

・・・島山の　宜よろしき国と　こごしかも
　　　　　　　伊予いよの高嶺たかねの　射狭庭いさにはの　岡に立たして・・・

【伊佐爾波神社　登り口】

ここ　伊予　伊佐爾波いざにわの岡
古来　多くの天皇すめらみことが　行幸みゆきされた地
赤人は　　思いやっていた
〔この地に　　立たれたのだ
　古くは　景行けいこう天皇と　その皇后
　仲哀ちゅうあい天皇と神功じんぐう皇后
　聖徳太子も　　来られた
　さらに　舒明じょめい天皇と皇后
　斉明さいめい天皇は　五度の行幸
　その度に　歌を捧ささげられたと聞く
　また　　近くの湊　熟田津は　新羅征討の折
　額田王が「船乗りせむと」の歌を　詠うたわれた所
　まさしく　古くして生まれた歌の　揺籃ようらんの地
　連綿れんめんたる　歌の流れ　
　ここに　源みなもとを発していたやも知れぬ〕

皇神祖すめろきの　神の命みことの　敷しきいます　国のことごと　湯ゆはしも　多さはにあれども　
《神であられる　天皇おおきみの　お治めなさる　この国に　出いで湯仰山ぎょうさん　あるけども》
島山の　宜よろしき国と　こごしかも　伊予いよの高嶺たかねの　射狭庭いさにはの　岡に立たして　
歌思おもひ　辞思ことおもはしし　み湯の上うへの　樹群こむらを見れば　
《島山立派な　伊予国いよくにの　険けわしい峰に　うち続く　　射狭庭いさには岡に　その昔　天皇すめらみことが　お立ちなり
　かつての昔　詠よみし歌　捧げし言葉　思われた　出いで湯の木立ち　眺めたら》
臣おみの木も　生おひ継つぎにけり　鳴く鳥の　声も変らず　遠とほき代に　神かむさびゆかむ　行幸処いでましどころ
《樅もみの木ずっと　生はえ続け　鳥鳴く声も　変わらへん　後の世までも　神秘やで　天皇おおきみ来こられた　この地こそ》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三二二〕　
ももしきの　大宮人おほみやびとの　飽田津にきたつに　船乗ふなのりしけむ　年としの知らなく
《何時いつやろか　大宮人が　飽田津にきたつを　船出ふなでしたんは　はるか昔や》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三二三〕　

ここに　こうして居いることの不思議
それを　　感じざるを得ない　赤人




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赤人編（11）川淀さらず

【掲載日：平成22年2月23日】

明日香あすか河　川淀かはよどさらず　立つ霧の　思ひ過ぐべき　恋にあらなくに

赤人は　　明日香の地にいた
歌の祭神さいじんが　呼んだに違いない
ここは　柿本人麻呂　その人の行住坐臥ぎょうじゅうざがの地

三諸みもろの　神名備かむなび山に　五百枝いほえさし　繁しじに生おひたる　つがの木の　いや継つぎ継つぎに　
玉かづら　絶ゆることなく　ありつつも　止やまず通はむ　明日香あすかの　旧ふるき京師みやこは　山高み　河かは雄大とほしろし　
《神名備かんなび山に　生えとおる　枝次々と　生はやす栂つが　蔓つる長々と　伸ばす蔦つた
　次々長々　通いたい　旧ふるい都の　明日香宮　山は高こうて　河広い》
春の日は　山し見がほし　秋の夜よは　河し清さやけし　朝雲あさぐもに　鶴たづは乱れ　夕霧ゆふぎりに　河蝦かはづはさわく　
見るごとに　哭ねのみし泣かゆ　古いにしへ思へば
《春の日ィには　　山見たい　秋の夜には　河清い　朝立つ雲に　鶴飛んで　夕霧立つと　蛙鳴く
　こんな景色を　見る度たんび　しきりと泣けて　しょうがない　昔栄えた　この都》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三二四〕　
明日香あすか河　川淀かはよどさらず　立つ霧の　思ひ過ぐべき　恋にあらなくに
《立ち淀む　明日香の川の　霧みたい　ずっと思うで　旧宮あすかへの恋》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三二五〕　
〔古い都は好いい　山に　川に　歌が宿って居おる〕
〔おお　　ここは　藤原不比等殿の　屋敷跡
　その昔　　お世話になったこともあった
　全ては　古いにしえに　なってしまうのか〕
古いにしへの　ふるき堤は　年深としふかみ　池のなぎさに　水草みぐさ生ひにけり
《昔見た　古い堤は　年経へたで　池に水草　生えてしもてる》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・三七八〕　

赤人は　　人麻呂に報告する
〔歌跡うたあとを辿たどってきました
　ここ　明日香が　あなたの　心の在あり所
　人移り　世移り　あなたと同じに詠うたえません
　でも　　私なりの　景の歌
　景に　胸の内を秘め　詠うたえるようになりました
　人麻呂様の　　足許　寄れた心地が致します〕
歌は　誰に詠うたうでなく　己おのれの心に詠うたう
そのことを知った　　赤人であった

赤人編（12）清き浜廻を

【掲載日：平成22年2月26日】

大夫ますらをは　御猟みかりに立たし　少女をとめらは　赤裳あかも裾すそ引く　清き浜廻はまびを

天平六年〔734〕春三月　
難波宮行幸みゆき
歌の　源みなもと訪ねの旅から戻った　赤人
久方ぶりの　　従賀であった
この行幸では　
帝みかどからの　儀礼歌の　お召しはなかった
従賀人じゅうがひとそれぞれの　楽しみ　
それが　　新しい行幸の姿となりつつある

大夫ますらをは　御猟みかりに立たし　少女をとめらは　赤裳あかも裾すそ引く　清き浜廻はまびを
《男らは　狩りに行ったで　女官おとめらは　赤い裳裾すそ引き　浜辺遊びや》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・一〇〇一〕　

住吉の　　粉浜のしじみ　開けも見ず　隠りてのみや　恋ひ渡りなむ
《殻閉めた　粉浜シジミの　貝みたい　わし秘ひめ恋を　し続けるんか》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―作者未詳―〔巻六・九九七〕　

眉まよの如ごと　雲居くもゐに見ゆる　阿波あはの山　かけて漕ぐ舟　泊とまり知らずも
《眉の様よな　雲の向こうの　阿波山あわやまを　目指し漕ぐ舟　何処どこ泊まるやろ》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―船ふなの　王おほきみ―〔巻六・九九八〕

血沼廻ちぬみより　雨そ降り来くる　四極しはつの白水郎あま　網手あみて乾ほしたり　濡れにあへむかも
《血沼浦ちぬらから　雨降ってきた　網を干す　四極しはつの漁師　濡れたん違ちゃうか》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―守部王―〔巻六・九九九〕　

子らがあらば　二人聞かむを　沖つ渚すに　鳴くなる鶴たづの　暁あかときの声
《居おったなら　おまえと二人　聞きたいな　沖鳴く鶴の　夜明けの声を》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―守部王―〔巻六・一〇〇〇〕　

馬の歩あゆみ　抑おさへ駐とどめよ　住吉すみのえの　岸の黄土はにふに　にほひて行かむ
《手綱たづな引き　馬止めてんか　住吉の　岸の黄土はにゅうを　服に付けてこ》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―安倍豊継―〔巻六・一〇〇二〕　

臣しんへの近づきが
帝ていへの　敬うやまいを深める
今日の行幸に　春の長閑のどかさが加わり
従駕人の歌に　　伸びやかな　明るさが宿る

赤人編（13）止む時もあらめ

【掲載日：平成22年3月2日】

・・・この山の　尽つきばのみこそ　この川の　絶えばのみこそ　
　　　　　　　　　　　　　　　ももしきの　大宮所おほみやどころ　止やむ時もあらめ
赤人は　　願い出た
是非ともの　寿ことほぎ歌の朗詠ろうえい
歌姿うたすがたの　なんたるかを　突き止め得た赤人
いま　　一つの　境地にいる
〔心底しんそこ　歌に沈みきれば
　長歌と反歌の繋がりなどは　　よいのだ
　時々の歌ごころに任せ　
　長歌に付くもよし　
　長歌を離りするもよし
　これぞ　我が歌道みち〕

天平八年〔736〕夏六月　
吉野離宮に　　赤人の歌声が　流れる

やすみしし　わご大君おほきみの　見めし給ふ　 吉野の宮は　山高み　雲そたな引く　
川速み　瀬の音とそ清き　神かむさびて　見れば貴く　宜よろしなへ　見れば清さやけし　
《天皇おおきみの　お治めなさる　吉野宮　山が高こうて　雲靡なびく
　流れ速うて　音清い　神々こうごうしいて　貴とうとうて　清らかなんは　当然や》
この山の　尽つきばのみこそ　この川の　絶えばのみこそ　
ももしきの　大宮所おほみやどころ　止やむ時もあらめ
《山の姿が　　消えるなら　川の流れが　絶えるなら
　その時こそは　大宮の　無のうなる時や　それは無いけど》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・一〇〇五〕　

神代より　吉野の宮に　あり通がよひ　高たか知しらせるは　山川をよみ
《昔から　吉野の宮に　通かようんは　山と川とが　素晴らしからや》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻六・一〇〇六〕　

居並ぶ　人々の胸に　聞き継つがれた　人麻呂吉野賛歌が　蘇よみがえる
そして　　それは
赤人の　人となりを　思わせる　爽やかな軽かろみを覚える　歌でもあった

赤人編（14）田児の浦ゆ

【掲載日：平成22年3月5日】

田児の浦ゆ　うち出でて見れば　ま白にぞ　
　　　　　　　　　　　不尽の高嶺に　雪は降りける　　

【薩埵峠道から見た富士】

「うわぁ　不尽ふじのお山だ！」
赤人あかひとは　思わず声を上げた

駿河の国　庵原郡いばらのこおり由比ゆい
狭隘きょうあいな　崖に懸かかる海沿いの路みち
足元に気を集め　歩を運ぶ赤人　
やっと険路けんろを外れ　崖の縁を廻めぐる平坦道に
ふと仰ぐ視線に　不尽が飛びこむ　
天突く　霊峰　
まぶしい　雪　
威容に虚を突かれ　立ちつくす赤人　
やがて　
胸深く　思いがあふれ　調べとなる　
田児の浦ゆ　うち出でて見れば　ま白にぞ　不尽の高嶺に　雪は降りける　
《田子の浦　回って見たら　パッと富士　山のてっぺん　雪降ってるで》　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―（巻三・三一八）
生まれたばかりの歌を　反芻はんすうする赤人
（思わず出来てしまった歌だ　
　気持　そのままではないか　
　この歌を生かすには　讃たたえる長歌が必要だ）
赤人は　崖縁がけふちの道に立ちつくしたまま　筆を取る

天地あめつちの　分わかれし時ゆ　神かむさびて　高く貴き　
駿河なる　布士ふじの高嶺を　天あまの原　ふり放さけ見れば　
渡る日の　影も隠かくらひ　照る月の　光も見えず　　
白雲も　い行きはばかり　　時じくぞ　雪は降りける　　
語りつぎ　言ひつぎ行かむ　不尽ふじの高嶺は
《天地てんちのできた　その昔　神が作った　その山は　
　駿河の国の　富士の山　　振り仰いでも　高過ぎて　
　お日さん隠れ　よう見えん　　月の光も　届かへん　
　白雲漂い　よう行かん　　雪はいっつも　降っている　
　威容すがた尊い　この山は　国の誇りや　富士の山》　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―（巻三・三一七）

（先の短歌を「反歌」とするのは　どうか　
「反歌」では　出会いの感動が伝わらん）　

山部赤人を歌うたの上手じょうずとする　長・短歌の誕生であった



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赤人編（15）真間の手児名が

【掲載日：平成22年3月9日】

われも見つ　人にも告つげむ　葛飾かづしかの　真間ままの手児名てこなが　奥おくつ城き処どころ

【市川市真間町　亀井院横「真間の井」】

葛飾かづしかの　真間ままの手児奈てこなを　まことかもわれに寄すとふ　真間の手児奈を
《ほんまかな　真間の手児名が　わしのこと　思てる言うが　うそ違ちゃうやろか》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―下総国歌―〔巻十四・三三八四〕　
葛飾かづしかの　真間ままの手児奈てこなが　ありしばか　真間の磯辺おすひに　波もとどろに
《葛飾の　真間の手児名が　生きてたら　波騒ぐよに　男ひと騒ぐやろ》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―下総国歌―〔巻十四・三三八五〕　
鳰鳥にほどりの　葛飾かづしか早稲わせを　饗にへすとも　その愛かなしきを　外とに立てめやも
《新嘗にいなめの　男子おとこ禁制はっとの　最中さなかやが　外であんたを　待たすのでけん》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―下総国歌―〔巻十四・三三八六〕　
足あの音おとせず　行かむ駒もが　葛飾かづしかの　真間ままの継橋つぎはし　やまず通かよはむ
《足音の　発たてん馬欲し　知られんと　真間の継橋　ずっと来れるに》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―下総国歌―〔巻十四・三三八七〕　

〔ついに来た　
　念願の真間だ　
　下総国歌に　
　高橋蟲麻呂殿の歌に　
　詠うたわれし真間　手児奈の里〕
　
古いにしへに　在ありけむ人の　倭文幡しつはたの　帯解ときかへて　伏屋ふせや立て　
妻問つまどひしけむ　葛飾かづしかの　真間ままの手児名てこなが　奥おくつ城きを　
《その昔　ここに住んでた　男ども　一緒に住すもと　小屋立てて
　次から次と　結婚えんぐみを　申し出た言う　葛飾の　真間の手児名の　墓処はかどころ》
こことは聞けど　真木まきの葉や　茂りたるらむ　松の根や　遠く久しき　
言ことのみも　名のみもわれは　忘らえなくに
《ここと聞いたが　何処どこやろか　真木まきの葉茂り　松の根も　古びてしもて　分かれへん
　分からんけども　真間の地の　伝え話や　この名前　心掛かって　忘れられん》　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・四三一〕　
われも見つ　人にも告つげむ　葛飾かづしかの　真間ままの手児名てこなが　奥おくつ城き処どころ
《わし見たで　皆に教おせたろ　葛飾の　真間の手児名の　墓ある辺あたり》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・四三二〕　
葛飾かづしかの　真間ままの入江いりえに　うちなびく　玉藻刈りけむ　手児名てこなし思ほゆ
《葛飾の　　真間の入江で　藻ぉ刈った　手児名のことが　偲ばれるがな》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―山部赤人―〔巻三・四三三〕　
長年の思いも適かない　
遠い　　歌の旅路を
しみじみ思う　　赤人




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