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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・青春編(二)(12)多芸(たぎ)の野の上(へ)に

2010年10月29日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月15日】

田跡川たどかはの たぎを清みか
        いにしへゆ 宮仕みやつかへけむ 多芸たぎの野の



広嗣ひろつぐ蜂起ほうき 天平十二年〈740〉九月
攻め来たる皇軍に対し  
「朝命そむきの意思し 奸臣かんしん二人の処分が望み」
の広嗣奏上 
この物言い 士気喪失となり 十月末 乱鎮圧ちんあつ 

鎮圧の報 いまだの 十月十九日
ちん 関東へおもむく 乱最中さなかえど 
 鎮圧将軍 驚くなかるべし」とのちょく
軍装大部隊 車駕しゃがを固めて 伊勢へと向かう

突然の 行幸みゆき発令
右往左往の 従駕人じゅうがひとの誰もが 
御心みこころを 測りかねていた
内舎人うちとねり家持同行
河口頓宮とんぐう 十日もの滞在 気をます家持

河口かはぐちの 野辺のへいほりて 夜のれば 妹が手本たもとし 思ほゆるかも
《河口の 野宿のじゅくの夜が 続いたで お前手枕てまくら 恋してならん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇二九〉

行幸は  伊賀 伊勢 美濃 近江と巡る

妹に恋ひ あがの松原 見渡せば 潮干しほひかたに たづ鳴き渡る
《お前恋い あがの松原 見のぞむと 干潟へ鶴が 飛び鳴いて行く》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―〈巻六・一〇三〇〉
おくれにし 人をしのはく 四泥しでの崎 木綿ゆふ取りでて さきくとぞおも
《残し来た お前思うて 四泥崎しでさきで 木綿ゆう張り垂らし 無事祈ったで》
                         ―丹比屋主真人たぢひのやぬしまひと―〈巻六・一〇三一〉
天皇おほきみの 行幸みゆきのまにま 吾妹子わぎもこが 手枕たまくらかず 月そにける
天皇おおきみの 行幸みゆきお供で 日ィ過ぎた お前手枕 出けへんままで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇三二〉
御食みけつ国 志摩しま海人あまならし 真熊野まくまのの 小船をぶねに乗りて 沖漕ぐ見ゆ
供御くご作る 志摩漁師りょうしかな 熊野船 乗って沖へと 漕いでく見える》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇三三〉
いにしへゆ 人の言ひくる 老人おいひとの 変若つといふ水そ 名にたぎの瀬
《昔から わこなる水と 伝え言う 名前どおりの この滝の瀬よ》
                         ―大伴東人おおとものあづまひと―〈巻六・一〇三四〉
田跡川たどかはの たぎを清みか いにしへゆ 宮仕みやつかへけむ 多芸たぎの野の
かわの 激流みずきよいんで 多芸たぎの野で 行宮みやを作って ご仕え来た》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇三五〉
せきくは かへりにだにも うち行きて 妹が手枕たまくら きて寝ましを
《関いと とんぼ帰りの 馬飛ばし お前手枕 しに帰るのに》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇三六〉

二カ月近い長旅 一行はやましろ みかの原に
みかの原こそ 橘諸兄もろえ 所縁ゆかりの地
ここで きょう新都 発令
藤原根城ねじろの 平城ならみや 捨てられる運命さだめ


家待・青春編(二)(13)道の芝草

2010年10月26日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月19日】

立ちかはり  古き都と なりぬれば
             道の芝草 長くひにけり



元明げんめい天皇 明日香を離れ とうの都に 負けじと造る
平城ならの都は 咲く花匂う 永遠とわの都と 思いしものを
乱が呼んだか 都の移り 政略ゆえか 帝気まぐれか

やすみしし わご大君おほきみの 高敷かす 日本やまとの国は 
皇祖すめろきの 神の御代みよより 敷きませる 国にしあれば
 
天皇おおきみの 治めなされる 大和国やまとくに ご先祖せんぞかみの 御代みよからも ずっと治めて 来た国や》 
れまさむ 御子みこぎ あめした 知らしまさむと 
八百万やほよろづ 千年ちとせをかねて 定めけむ 平城なら京師みやこ
 
《お生まれなさる 御子おこさんが 次々天下てんか 支配され
 八百年も 千年も 続くにした 平城ならみやは》 
かぎろひの 春にしなれば 春日山かすがやま 三笠の野辺のへに 
桜花 くれごもり かほとりは なくしば鳴く
 
《春になったら 春日山かすがやま 三笠の野辺のべ
 桜花 そこの木陰こかげで 郭公かっこどり 休むことう 鳴き続け》
つゆしもの 秋さり来れば 駒山こまやま 飛火とぶひたけに 
はぎを しがらみ散らし さ男鹿をしかは 妻呼びとよ
 
《秋が来たなら 生駒山 飛火とぶひの丘に
 萩枝を からみ散らして 牡鹿おすしかが 連れ呼ぶ声を 響かせる》 
山見れば 山も見がし 里見れば 里も住みよし 
もののふの 八十やそともの うちへて 思へりしくは 
天地あめつちの ひのきはみ 万代よろづよに 栄え行かむと 
思へりし 大宮すらを たのめりし 奈良の都を
 
《山を見たなら え眺め 里見てみたら 住みうて
 つかえる人は 誰もかも 天と地ぃとが 一緒なり 
 くっ付く日まで 栄えると 思うておった 大宮や 心たよりの 奈良みやや》 
新世あらたよの 事にしあれば 大君おほきみの ひきのまにまに 
春花の うつろひかはり むらとりの 朝立ちゆけば 
さす竹の 大宮人おほみやびとの ならし 通ひし道は 
も行かず 人もかねば 荒れにけるかも

《そやのに時代 打ち変わり 天皇おおきみさんの お指図さしず
 花散るみたい みや移り 鳥飛ぶように 人影かげ消えて
 仕えてた人 とおってた 道には馬も 通らんで 人も行かんで 荒れてしもてる》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇四七〉

立ちかはり  古き都と なりぬれば 道の芝草 長くひにけり
《世の中が 変わり古都ふるみや なって仕舞て 道の雑草 えらい伸びとる》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇四八〉
なつきにし  奈良の都の 荒れゆけば 出で立つごとに 嘆きしまさる
《親しんだ 奈良の都が 荒れてくで ここ来るたんび 嘆きが募る》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇四九〉


家待・青春編(二)(14)京師(みやこ)となりぬ

2010年10月22日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月22日】

をとめが うみくといふ 鹿背かせの山
             時のければ 京師みやことなりぬ



時代移りの 悪戯いたずらなのか ていの思いの たわむれなのか
恭仁くにの都に 賑いあれど 旧都平城宮ならみや 夕日に沈む

くれなゐに 深くみにし こころかも 寧楽なら京師みやこに 年のぬべき
《こんなにも 心馴染なじんだ 奈良みやこ 荒れたまんまで 日ィつのんか》
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇四四〉
世間よのなかを 常無きものと 今そ知る 平城なら京師みやこの 移ろふ見れば
《世の中は むなしいもんと よう分かる 奈良のみやこの さびれん見ると》
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇四五〉
岩綱いはつなの また変若ちかへり あをによし 奈良の都を またも見むかも
つたの葉は またあおなるで 奈良みやも またあおよし ならんやろうか》
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇四六〉
―――――――――――――――
甕原みかのはら宮 名前を替えて 恭仁くにみやこと 位が上がる
又の元の名 布当ふたぎの原は 今や帝都と 花咲き誇る

わご大君おほきみ 神のみことの 高知らす 布当ふたぎの宮は 
百樹ももきなし 山は木高こだかし 落ちたぎつ 瀬のも清し

天皇おおきみの お治めなさる 布当宮ふたぎみや 木々が茂って 山高い 激流ながれ瀬音せおと 清らかや》 
鴬の 来鳴く春べは いはほには 山下光り 錦なす 花咲きををり 
さ男鹿の 妻呼ぶ秋は あまらふ 時雨しぐれをいたみ さつらふ 黄葉もみち散りつつ
 
《鶯鳥が 鳴く春は 山裾いわは 照り光り 錦きらめく 花が咲く
 男鹿おじか連れ呼ぶ 秋来たら 空をおおって 時雨しぐれ降り 黄葉もみじほんのり 色づくよ》 
八千年やちとせに れつがしつつ 
天の下 知らしめさむと 百代ももよにも かはるましじき 大宮所おほみやどころ

八千年はっせんねんの のちまでも 世ぎ次々 まれられ
 この国ずっと 治めはる 百代ひゃくだいまでも 変わらんと 続いて行くよ ここの大宮所みやどこ
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五三〉

泉川 ゆく瀬の水の 絶えばこそ 大宮所おほみやどころ 移ろひかめ
《大宮が さびれる時は 泉川 流れの水が 枯れる時やで〈いでそんなん〉》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五四〉
布当ふたぎ山 山並やまなみ見れば 百代ももよにも かはるましじき 大宮所おほみやどころ
布当山ふたぎやま つらなっとるで 百代ひゃくだいも つらなり行くで ここの大宮所みやどこ
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五五〉
をとめが うみくといふ 鹿背かせの山 時のければ 京師みやことなりぬ
少女おとめらが あさかせの 鹿背の山 時が来たんで みやこになった》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五六〉
鹿背かせの山 樹立こだちしげみ 朝らず 来鳴き響もす うぐひすの声
鹿背山は  木ィいっぱいや 鶯が 毎朝来ては 賑やか鳴くよ》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五七〉
狛山こまやまに 鳴く霍公鳥ほととぎす 泉川 わたりを遠み 此処ここに通はず
狛山こまやまで 鳴く鶯は 泉川かわひろて よう渡れんで ここへよらん》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五八〉


家待・青春編(二)(15)布当(ふたぎ)の野辺(のへ)を

2010年10月19日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月26日】

三日みかの原 布当ふたぎ野辺のへを 清みこそ
              大宮所おほみやどころ 定めけらしも



泉の川に 橋打ち渡し 築く京師みやこは 永遠とわ恭仁宮くにみや
布当ふたぎの山は 連綿れんめん続き 鹿背かせの山には 鶯鳴くよ

あきつ神 わご大君おほきみの あめの下 八島のうちに 
国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども
 
《神さんで あらせられます 天皇おおきみが お治めなさる もと
 くにがいっぱい ある中で 里も仰山ぎょうさん ある中で》 
山並やまなみの よろしき国と かはなみの たち合ふさとと 
山城やましろの 鹿背山せやまに 宮柱みやばしら ふとまつり 高知らす 布当ふたぎの宮は
 
《山並み綺麗きれえ くにやとて 川の集まる 里として
 ここ山城やましろの 鹿背山せやまの 麓に宮柱はしら お立てなり 高々造る 布当宮ふたぎみや》 
川近み 瀬のぞ清き 山近み 鳥がとよむ 
秋されば 山もとどろに さ男鹿は 妻呼びとよめ 
春されば 岡辺おかへしじに いはほには 花咲きををり
 
《川はちこうて 瀬音せおとえ 山もちこうて 鳥音とりね
 秋になったら 山で牡鹿しか 連れ呼び鳴いて 声ひび
 春が来たなら あちこちの 岡の岩辺いわべで 花が咲く》 
あなあはれ 布当ふたぎの原 いとたふと 大宮所おほみやところ 
うべしこそ わご大君は 君がまに きかかし給ひて 
さす竹の 大宮此処ここと 定めけらしも

《なんとえとこ 布当原ふたぎはら なんと貴い 大宮所みやどころ
 天皇おおきみさんが 諸兄殿とのさんの 勧め聞かれて 大宮を ここに決めたん もっともや》
                      ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五〇〉

三日みかの原 布当ふたぎ野辺のへを 清みこそ 大宮所おほみやどころ 定めけらしも
みかの原 布当ふたぎの野辺が 清いんで 大宮所おおみやどこを ここ決めたんや》
                      ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五一〉
山高く 川の瀬清し 百世ももよまで かむしみ行かむ 大宮所おほみやどころ
《山たこて 川瀬きようて 百年も ずっと続くで 大宮所おおみやどころ
                      ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五二〉

山背やましろの 久邇くにの都は 春されば 花咲きををり 秋されば 黄葉もみちばにほひ 
おびなせる いづみの川の かみつ瀬に うちはし渡し よどには 浮橋うきはし渡し 
ありがよひ 仕へまつらむ 万代よろづよまでに

恭仁くにみやは 春が来たなら 花咲いて 秋になったら 黄葉こうよする
 帯のびる 泉川いずみがわ 上の流れに 橋架けて 淀のぇには 浮橋うきはし
 渡しかようで ずううっと 何時いついつまでも ずううっと》
                         ―境部老麻呂さかひべのおゆまろ―〈巻十七・三九〇七〉

たためて 泉の川の 水脈みを絶えず 仕へまつらむ 大宮所おほみやどころ
泉川いずみがわ 川の流れの 続くに ずっと仕える この大宮所みやどこに》
                         ―境部老麻呂さかひべのおゆまろ―〈巻十七・三九〇八〉


家待・青春編(二)(16)萌(も)えし楊(やなぎ)か

2010年10月15日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月29日】

春雨に えしやなぎか 梅の花 友におくれぬ 常の物かも


家持 関東行幸みゆきの留守
書持ふみもちが 当主代役
家の取り仕切りは 大刀自おおとじ坂上郎女さかうえのいらつめ
書持ふみもちは 名ばかり当主
しかし 気弱書持ふみもちは 
せずもがなの気遣いに  心を痛めていた

気疲れ書持ふみもち
けともなると 一日の気重きおもしかかる
うつらしにと 旅人たびと残せし 歌びかえを開く

正月むつき立ち 春のきたらば かくしこそ 梅をきつつ たのしきを
《正月の 新春来たぞ 今日の日を 梅呼びめて 楽しゅう過ごそ》
                         ―大弐だいに紀卿きのまえつきみ―〈巻五・八一五〉

〈おお これは 大宰府での梅花うめはなうたげ
紀卿きのまえつきみ殿の 発句ほっく
 あの方が  梅を招かれたか〉

み冬つぎ 春はきたれど 梅の花 君にしあらねば く人もなし
《冬過ぎて 春なったけど 梅花うめはなを 紀卿あんた以外に 招く人ない》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九〇一〉
梅の花 み山としみに ありともや かくのみ君は 見れど飽かにせむ
梅花うめはなが 山といっぱい 咲いたかて あのうたげほど められへんわ》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九〇二〉
春雨に えしやなぎか 梅の花 友におくれぬ 常の物かも
《春雨が 呼んだ楊か いつもり 梅と一緒に 芽吹めぶやなぎか》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九〇三〉
梅の花 何時いつは折らじと いとはねど 咲きのさかりは 惜しきものなり
梅花うめはなは 何時いつに折っても 構へんが 咲き誇る時 折るのは惜しで》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九〇四〉
遊ぶうちの 楽しき庭に 梅柳 折りかざしてば 思ひ無みかも
遊呆ほうけてる 楽しい庭で うめやなぎ 折り髪挿かざしたら 思うことない》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九〇五〉

わがそのに 梅の花散る ひきかたの あめより雪の 流れ来るかも
《梅の花 空に舞うに 散って来る 天から雪が 降ってきたんか》
                         ―主人あるじ―〈巻五・八二二〉

〈おう 第壱組結句けっくは 父上か〉

御苑生みそのふの 百木ももきの梅の 散る花の あめに飛びあがり 雪と降りけむ
御苑生みそのうを 埋める梅の木 散る花が 天まで飛んで 雪になったか》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九〇六〉

歌作り 全てを忘れ 書持ふみもちの心安らぐ時 


家待・青春編(二)(17)木(こ)の間(ま)立ちくき

2010年10月12日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年11月2日】

あしひきの 山れば
      ほととぎす 立ちくき 鳴かぬ日はなし



恭仁くにきょうでは 新都の建設が進んでいた
内舎人うちとねり家持 恭仁に 仮居やしき構えて 帰らず

書持ふみもち 庭での 草花手入れに余念がない
心優しい書持ふみもち 幼少よりの 花で心
家持留守の 鬱屈うっくつ
ごもりの 歌作りばかりではと
庭いっぱいの草花世話に  精を出す

遷都令明けての 天平十三年〈741〉四月
恭仁京家持に 書持ふみもちからの歌が届く

たちばなは 常花とこはなにもが ほととぎす 住むとかば 聞かぬ日けむ
《橘が 年中ねんじゅうばなで あって欲し 鳴くほととぎす 毎日聞ける》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九〇九〉
たまく あふちを家に 植ゑたらば 山霍公鳥ほととぎす れずむかも
薬玉たま作る 栴檀せんだんばなを 植えたなら 山ほととぎす ずっと来るかな》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九一〇〉

書持ふみもちが 季節を教えてくれたか
 彷徨さまよい続ける みかどに従い 
 その挙句あげくが 恭仁遷都
 山深い地での生活くらし
 なるほど  花とほととぎす か〉
鬱屈中うっくつなかの 歌便り 
ほっとの家持  その日のうちの返し歌

あしひきの 山れば ほととぎす 立ちくき 鳴かぬ日はなし
《山裾で 暮らしてるんで ほととぎす くぐって 毎日鳴くよ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻十七・三九一一〉
ほととぎす なにの心そ 橘の たまく月し 来鳴きとよむる
《ほととぎす どんな積りか 花時期どきと ごて実時期みどきに 来て鳴くのんは》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻十七・三九一二〉
ほととぎす あふちの枝に 行きてば 花は散らむな 珠と見るまで
《ほととぎす 栴檀せんだん枝に 居ついたら 花散るやろな 玉散るみたい》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻十七・三九一三〉

自らの 気鬱きうつに沈む家持に
書持ふみもちの訴えは 届かない

たちばなは 常花とこはなにもが ほととぎす 住むとかば 聞かぬ日けむ
《兄上が 年中ねんじゅうばなで あって欲し 傍にったら 毎日逢える》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九〇九〉
たまく あふちを家に 植ゑたらば 山霍公鳥ほととぎす れずむかも
薬玉たま作る 栴檀せんだんばなを 植えたなら 兄上ずっと てくれるかな》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻十七・三九一〇〉


家待・青春編(二)(18)咲ける秋萩

2010年10月08日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年11月5日】

秋の野に 咲ける秋萩
         秋風に なびけるうへに 秋の露置けり



新京しんきょうでの 独り暮らし
旧都となった 平城ならなつかしい

大嬢おおいらつめとのふみり取り 
それでも いやしきれないうつごころ
ふと 見つけし 紀郎女きのいらつめ 
もどし策との 相聞送付
奇遇出合いの 宮中振られの娘子おとめ
千載せんざい一遇いちぐう 今ぞの誘い

ことごとくに 敗れ去り
家持は  天平十五年〈743〉の 秋を迎えていた
〈友は  男が良い 女は もうこりごり〉
同じ内舎人うちとねり 石川広成いしかわのひろなり
権勢とは縁遠い  立ち居振る舞い
父を  故文武天皇とし 
聖武帝の兄に当たるとうも
当人は  首を振る

家人いえひとに 恋過ぎめやも かはづ鳴く 泉の里に 年の経ぬれば
《泉川 蛙鳴く里 なごて 家にる人 恋しいこっちゃ》
                         ―石川広成いしかわのひろなり―〈巻四・六九六〉

そんな  広成に 家持は 親近感を覚えていた
今日も 独り身のすさびに 創りし歌を 広成へ

秋の野に 咲ける秋萩 秋風に なびけるうへに 秋の露置けり
《秋の野に 咲くあきはぎは 秋風に 靡く花先 秋露つゆ置いとおる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五九七〉
男鹿をしかの 朝立つ野辺の 秋萩に 珠と見るまで 置ける白露しらつゆ
男鹿おすしかの 朝立つ野原 咲く秋萩はぎに 白露置いて まるでたまやで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五九八〉
さ男鹿の 胸別むなわけにかも 秋萩の 散り過ぎにける さかりかもぬる
男鹿おすしかが 分け通ったで 散ったんか 秋萩はなの盛りが 過ぎたんやろか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五九九〉

広成からは なぞらえた返しが来る

妻恋ひに 鹿鳴く山辺の 秋萩は 露霜つゆしも寒み さかり過ぎ行く
《連れ求め 鹿しか鳴く山の 秋萩は 露霜さむて 盛り終わるで》
                         ―石川広成いしかわのひろなり―〈巻八・一六〇〇〉
めづらしき 君が家なる はなすすき 穂に出づる秋の 過ぐらく惜しも
風情ふぜいある あんたの家の 薄花すすきばな 穂ぉ出る秋が 仕舞う惜しい》
                         ―石川広成いしかわのひろなり―〈巻八・一六〇一〉

広成の歌を得て家持 独りをかこってうた

山彦やまびこの 相とよむまで 妻恋ひに 鹿鳴く山辺やまへに 独りのみして
《山彦が こだまするまで 連れ呼んで 鹿しか鳴く山に わし独りやで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一六〇二〉
この頃の 朝明あさけに聞けば あしひきの 山呼びとよめ さ男鹿鳴くも
《今頃の 夜明け男鹿おじかの 声聞くと 山ひびかして 鳴いとおるがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一六〇三〉


家待・青春編(二)(19)久邇(くに)の都は

2010年10月05日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年11月9日】

つくる 久邇くにの都は
        山川の さやけき見れば うべ知らすらし



恭仁くにの都 建設が着々すすみ 
帝都の様相  整えつつあった
聖武帝は 四月に続き八月にも 近江紫香楽しがらき行幸みゆき
家持は  恭仁に残っていた

気ごころ知れた  友との逢瀬おうせが 重なる

つくる 久邇くにの都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし
《新らしに 造る久邇宮くにみや 山川が 清々すがすがしいて 成る程思う》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇三七〉
故郷ふるさとは 遠くもあらず 一重ひとへ山 越ゆるがからに 思ひそあが
奈良なら旧都みやこ とおもないのに 山一つ 越えるよってに 遠い思てた》
                         ―高丘河内たかおかのかふち―〈巻六・一〇三八〉
わが背子せこと 二人しれば 山高み 里には月は 照らずともよし
《二人して ればこの里 山こて 月照らへんが それでもええで》
                         ―高丘河内たかおかのかふち―〈巻六・一〇三九〉

あれほど 恋しく思っていた 奈良の旧都みやこ
しみじみと  思われるが 
新都の輝きが  思いを過去へと押しやる

秋されば 春日かすがの山の 黄葉もみち見る 奈良の都の 荒るらく惜しも
《秋きたら 春日の山は 黄葉もみじする そんな奈良宮ならみや 荒れるん惜しな》
                         ―大原おおはらの今城いまき―〈巻八・一六〇四〉
高円たかまとの 野辺の秋萩 このころの あかとき露に 咲きにけむかも
高円の  野辺の秋萩 今頃は 夜明けの露で 咲いたやろうか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一六〇五〉

親しの友 八束やつかの屋敷で開かれた
安積皇子あさかのみこを迎えてのうたげ 

時に  とみに力を付け始めた 
藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ 
藤原氏政権再興を願う  光明皇后の引きにより
この年天平十五年〈743〉五月  参議昇進
光明・聖武との子  
阿部内親王を  皇太子に立てたとはいえ
安積皇子あさかのみこは 聖武帝ただ一人の皇子
ためにする 担ぎ勢力
しゅつげんせぬかに 神経を尖らせていた
一方 橘諸兄たちばなのもろえ 奈良麻呂父子おやこ
徐々の圧迫に  焦燥の念を深めている

八束やつかと共に 政治まつりごとの平穏を望む 家持
頼りとする安積皇子あさかのみこの同席を得
珍しく 酩酊めいていしていた

ひさかたの 雨はりしく 思ふ子が 宿やど今夜こよひは あかして行かむ
《雨降って 帰られんけど かまへんで あの児の家で 夜明かしするわ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇四〇〉


家待・青春編(二)(20)一つ松

2010年10月01日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年11月12日】

一つ松 幾代か経ぬる
       吹く風の 声のきよきは 年深みかも



「おお 恭仁くにみやこが一望だ」
うたげは この一本松の場所が良い」
天平十六年〈744〉新春 
展望良い丘に うたげは張られた

聖武帝が 東国行幸みゆきたれ
諸国を巡り 
ここ恭仁京くにきょうに都され 足掛け五年を数える

帝の御心みこころは 如何いかがであったろうか
「咲く花のにおうがごとき」 
たたえられた平城ならの都
宮廷は爛熟らんじゅく頽廃たいはいの度を加え
貴族の権謀けんぼう術数じゅっすうは極に向かい
社会不安は増すばかり 
加えて 
悪疫あくえき流行 
藤原氏四兄弟の死  
藤原広嗣ひろつぐ九州挙兵
乱平定待たずの行幸みゆき
不安募る平城帝都には  とても戻れぬと
山青く水清い  この地に留まられた・・・か

市原王おおきみ 
 この眺め  新たな年にふさわしいではありませぬか
 ぜひともの  一首を」
家持は 市原王いちはらおうに 歌を請うた

一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声のきよきは 年深みかも
《風の音 爽やかなんも そのはずや この一本松まつのきの 年輪とし見た分かる》
                         ―市原王いちはらのおおきみ―〈巻六・一〇四二〉

「これは お見事な寿ことほぎ」
「では わたしも みやこ永遠とわを願って」

玉きはる 命は知らず 松が枝を 結ぶ心は 長くとそ思ふ
《限りある 人の命は 分からんが 枝結ぶんは 永遠とわ思うから》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇四三〉

たび重なる 紫香楽しがらき離宮への行幸みゆき
昨年十月には 紫香楽の地での大仏造立ぞうりゅうみことのり
追うかの様に  
十二月 恭仁造作ぞうさく停止の令
恭仁宮の前途に  暗雲立ち込める