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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

赤人編(5)野島の海人の

2010年02月26日 | 赤人編
【掲載日:平成22年2月2日】

朝凪あさなぎに かぢおと聞ゆ 御食みけつ国 野島のしま海人あまの 船にしあるらし

紀伊国行幸みゆきの場で
宮廷歌人第一の地位を得た赤人 
しかし  官人らの視線は 冷たい
歌人うたびとたちの態度も よそよそしい
〔なぜだ これほど 気遣い専一せんいつ努めておるに
 新境地を開いた 我輩それがしを 嫉妬やっかんでいるのか〕

時に 神亀じんき二年〔725〕冬十月
難波長柄宮なにわながらのみや 行幸
西に開けた 難波御津みつの浜
続々と集まる  淡路野島の漁師船

天地あめつちの 遠きがごとく 日月ひつきの 長きが如く 押し照る 難波なにはの宮に わご大君おほきみ 国知らすらし
《いつまでも 遠くなごうと 続いてく 難波の宮に 天皇おおきみが 行幸みゆきなされる その時に》
御食みけつ国 日の御調みつと 淡路あはぢの 野島のしま海人あまの わたの底 
おく海石いくりに 鰒珠あわびたま さはにかづ 船めて 仕へまつるし 貴し見れば

供御くごを生み出す 淡路あわじくに お上がり召せと 野島漁師あま
 海に潜って 鮑貝あわびがい いっぱい取って 船並べ みつぐ様子を 見る見事さよ》
                         ―山部赤人―〔巻六・九三三〕 
朝凪あさなぎに かぢおと聞ゆ 御食みけつ国 野島のしま海人あまの 船にしあるらし
《朝の海 梶音してる 供御くごくにの 野島漁師の 船やできっと》
                         ―山部赤人―〔巻六・九三四〕 
明るくうたう赤人  
ふと感じると 笠金村かさのかなむらが 近づいてくる
「赤人殿 なにやら 気分げにお見受けする
 ご自身のうたいたいように うたわれて
 聞いていて清々すがすがしい
 ところで わしは 赤人殿の 寿ことほぎ歌 もう飽いてしもうた
 どうであろう 
 ひとつ  恋の歌でも聞かせてくれぬか」
苦笑いする赤人 
「ハハハ 戯言ざれごと 戯言ざれごと

〔何を  おっしゃろうとしたのか 
 寿ぎ歌には  飽いたと
 さてこそ  恋歌などと
 合点がてんがいかぬ〕

人麻呂の呪縛じゅばくを脱した胸に
金村の謎掛けが  残る



赤人編(6)藤江の浦に

2010年02月23日 | 赤人編
【掲載日:平成22年2月5日】

沖つ波 辺波へなみを安み いさりすと 藤江の浦に 船そさわける

神亀じんき三年〔726〕秋九月
印南野いなみの 浜辺の遊覧を旨とした 行幸みゆき
女官たちの 歓声こえが響いている
晴れ晴れとした空気に  赤人の気が 軽い

やすみしし わご大君おほきみの かむながら 高知らしめす 印南野いなみのの 大海おほみの原の 
荒拷あらたへの 藤井の浦に しび釣ると 海人船あまふね散動さわき 塩焼くと 人そさわにある
 
天皇おおきみが おおさめなさる 印南国いなみくに 大海原の 藤井浦
 まぐろ釣ろうと 船出てる 塩を焼こうと 人出てる》
浦をみ うべつりはす 浜をみ うべも塩焼く 
ありがよひ 見ますもしるし 清き白浜しらはま

《浦がえんで 釣りをする 浜がえんで 塩を焼く
 絶えず来なさる もっともや 見るに綺麗きれえな この白浜よ》
                         ―山部赤人―〔巻六・九三八〕 
沖つ波 辺波へなみを安み いさりすと 藤江の浦に 船そさわける
《沖と岸  波穏やかや 藤江浦 漁に出ている 船いっぱいや》
                         ―山部赤人―〔巻六・九三九〕 
印南野いなみのの 浅茅あさぢ押しなべ さの 長くあれば 家ししのはゆ
《印南野の 茅萱ちがやを敷いて ねむが 続いたよって 家恋しいわ》
                         ―山部赤人―〔巻六・九四〇〕 
明石潟あかしかた 潮干しほひの道を 明日あすよりは 下咲したゑましけむ 家近づけば
明日あしたから 干潟の道も 楽しいで お前待つ家 ちこなるよって》
                         ―山部赤人―〔巻六・九四一〕 
「これは これは 赤人殿が 家人いえひとのことをうたわれる 雨が降らなければ良いがのう」
幾人もの歌人うたひとが 寄ってきた
輪の中の赤人 思わずに 微笑ほほえ
「いや 皆様方の くつろぎが うたわせたのです」
「第一人者に 余裕が出たら かなわぬ かなわぬ」
「そうじゃ  そうじゃ ハハハハ ハ」
歓談の様子に  目を細める金村

その夜 波寄る浜辺 独りたたずむ 赤人
のぞかれはせぬかとの 伏せ心
 かせを解くことの 爽やかさよ
 己をさらすことで 他人ひとが寄ってくる〕
そこに  
おおやけとしての人付き合いに 
わたくしの出るを恐れていた赤人の 
一皮けた姿があった




赤人編(7)敏馬の浦の

2010年02月19日 | 赤人編
【掲載日:平成22年2月9日】

御食みけむかふ 淡路あはぢの島に ただ向ふ 敏馬みぬめの浦の
 沖辺おきへには 深海松ふかみるり 浦廻うらみには 名告藻なのりそ刈る・・・

赤人は  旅の空にいた
〔重しが取れた今 
 もう一度  人麻呂殿の歌 深く味わい
 研鑽けんさんを積むことが 肝要じゃ
 そのため あの方が 辿たどった道筋
 そこでのまれた歌
 実感するに くはない〕

たま刈る 敏馬みぬめを過ぎて 夏草の 野島のしまの崎に 舟近づきぬ
《にぎやかな 藻を刈る敏馬みぬめ 後にして 草ぼうぼうや 野島の岬》
                         ―柿本人麻呂―〔巻三・二五〇〕 
〔これは 確か 人麻呂殿が 石見いわみの国に下られた時の歌 宮廷歌人としての 人麻呂様では 無かった時かも知れぬ〕 

御食みけむかふ 淡路あはぢの島に ただ向ふ 敏馬みぬめの浦の 
沖辺おきへには 深海松ふかみるり 浦廻うらみには 名告藻なのりそ刈る
 
供御くごを生み出す 淡路の島の 真向いにある 敏馬みぬめの浦の
 沖の海底うみでは 海松みる採っとおる 浦の浅瀬で 名告藻なのりそ刈るよ》
深海松の 見まくしけど 名告藻なのりその おのが名惜しみ 
間使まつかひも らずてわれは けりともなし

海松みると聞いたら お前が見たい 名告藻なのりそ〔なりそ=名を言うな〕言うに 名前は言えん
 言うたら他人ひとに 知られるよって 使い出せんで わし気ィえる》
                         ―山部赤人―〔巻六・九四六〕 
須磨の海人あまの 塩焼衣しほやきぎぬの れなばか 一日ひとひも君を 忘れておもはむ
《身に馴染なじむ 塩焼き海人あまの 服みたい 心馴染なじんだ あんた忘れん》
                         ―山部赤人―〔巻六・九四七〕 

〔なんと気持の良いことか 
 これほど 屈託くったくなく 女房殿のことが うたえるとは わしも 変わったものだ〕
赤人は  改めての思いに 感を深くしていた



赤人編(8)繩の浦ゆ

2010年02月16日 | 赤人編
【掲載日:平成22年2月12日】

なはの浦ゆ 背向そがひに見ゆる 沖つ島 漕ぎる舟は つりしすらしも

船は 内海うちうみを行く
人麻呂の  歌の数々
思い出し  反復し
うたいし 人麻呂の心を思う航海が続く

〔島が  舟が 釣り人が 見える〕
なはの浦ゆ 背向そがひに見ゆる 沖つ島 漕ぎる舟は つりしすらしも
《縄の浦 そのこ見える 沖の島 漕いでる船は 釣りしてるらし》
                         ―山部赤人―〔巻三・三五七〕 
〔あの船  都へ戻るのであろうか〕
武庫むこの浦を 漕ぎ小舟をぶね 粟島あはしまを 背向そがひに見つつ ともしき小舟
《武庫の浦 漕いでく小船こぶね うらやまし 淡路背にして 都へ行くよ》
                         ―山部赤人―〔巻三・三五八〕 
旅心たびごころ 懐かしごころ
阿倍あべの島 の住むいそに 寄する波 なくこのころ 大和やまとし思ほゆ
《阿倍島で  磯にしょっちゅう 波寄せる ひっきりなしに 大和が恋し》
                         ―山部赤人―〔巻三・三五九〕 
潮干しほひなば 玉藻め いへの妹が 浜づとはば 何を示さむ
《潮たら 綺麗な藻刈り 持ち帰ろ 家で待つ妻 土産はたら》
                         ―山部赤人―〔巻三・三六〇〕 

陸路おかみちなら 泊まり先で こう云うことに 出くわしたやもしれぬ〕
秋風の 寒き朝明あさけを 佐農さぬをか 越ゆらむ君に きぬさましを
《佐野の岡  越えてくあんたに 服貸そか 秋風寒い 夜明けやよって》
                         ―山部赤人―〔巻三・三六一〕 
名乗藻なのりそか 浜娘子おとめに うたいかけるも一興〕
みさごゐる 磯廻いそみふる 名乗藻なのりその 名はらしてよ 親は知るとも
海草かいそうも 言うてるやんか 名告なのりやと あんたも名告り 親に露見ばれても》
                         ―山部赤人―〔巻三・三六二〕 
みさごゐる 荒磯ありそふる 名乗藻なのりその よし名は告らせ 親は知るとも
荒磯あらいその なのりそみたい 名告ってや 親知ったかて かめへんやんか》
                         ―山部赤人―〔巻三・三六三〕 

〔昔は 意識のかたまりの末 歌が生まれた
 今は かくも 冗談めかしに 気楽にうたえる〕



赤人編(9)辛荷の島に

2010年02月12日 | 赤人編
【掲載日:平成22年2月16日】

たま刈る 辛荷からにの島に 島廻しまみする にしもあれや 家おもはざらむ

【唐荷島三島 遠景家島 室津賀茂明神より】



韓泊からどまりを出た船 
次の停泊地 室津むろつへと向かう
沖合い  家島群島の島影
行く手に 三っつの唐荷島からにじま
地ノ唐荷  中ノ唐荷 沖の唐荷
暗礁多い  陸寄りを避け 
船は 地と中のあいだを進む
夕日に染まる西空  
振り返る 大和島嶺しまねは はるか 霞の彼方

あぢさはふ いもれて 敷栲しきたへの まくらかず 
桜皮かにはき 作れる舟に 真楫まかじき わがれば
 
《お前の顔も  見られへん 安らか眠りも 出けん旅
 桜の皮を 張った船 梶いっぱいに 漕いできた》 
淡路あわじの 野島のしまも過ぎ 印南都麻いなみつま 辛荷からにの島の 島のゆ 吾家わぎへを見れば 
青山の 其処そことも見えず 白雲も 千重ちへになり
 
《淡路の島の 野島過ぎ 印南都麻島いなみつましま 後にして 唐荷の島の 間から 家のあるほう 見たけども
 山つらなって 分かれへん 雲重なって 見えやせん》
むる 浦のことごと 行きかくる 島の崎々 くまも置かず 思ひぞわが来る 旅の長み
《漕ぎまわり行く 浦々や 通りすぎてく 島々で お前のことを 思い出す 旅の日数ひかずが なごなったんで》
                         ―山部赤人―〔巻六・九四二〕 
たま刈る 辛荷からにの島に 島廻しまみする にしもあれや 家おもはざらむ
辛荷島からにしま エサ捕る海鵜うみう 島めぐる 呑気でええな わし家恋し》
                         ―山部赤人―〔巻六・九四三〕 
がくり わがれば ともしかも  大和やまとへのぼる 熊野くまのふね
《島伝い 船で来たなら 熊野くまのぶね 大和行くんや うらやましいで》
                         ―山部赤人―〔巻六・九四四〕 
風吹けば 浪か立たむと 伺候さもらひに 都太つだ細江ほそえに うらがく
《風が出て  浪立ってくる 風待ちに 細江の浦で 船足止めや》
                         ―山部赤人―〔巻六・九四五〕 

赤人の歌に  景が 同化していく 
心は おおやけしがらみから 自由となり
わたくしの執着からも 解きはなたれていく
さながら  景と遊ぶかの歌心





<からにの島①>へ



<からにの島②>へ



<都太の細江>へ



赤人編(10)伊予の高嶺の

2010年02月09日 | 赤人編
【掲載日:平成22年2月19日】

・・・島山の よろしき国と こごしかも
       伊予いよ高嶺たかねの 射狭庭いさにはの 岡に立たして・・・

【伊佐爾波神社 登り口】



ここ 伊予 伊佐爾波いざにわの岡
古来 多くの天皇すめらみことが 行幸みゆきされた地
赤人は  思いやっていた
〔この地に  立たれたのだ
 古くは 景行けいこう天皇と その皇后
 仲哀ちゅうあい天皇と神功じんぐう皇后
 聖徳太子も  来られた
 さらに 舒明じょめい天皇と皇后
 斉明さいめい天皇は 五度の行幸
 その度に 歌をささげられたと聞く
 また  近くの湊 熟田津は 新羅征討の折
 額田王が「船乗りせむと」の歌を うたわれた所
 まさしく 古くして生まれた歌の 揺籃ようらんの地
 連綿れんめんたる 歌の流れ 
 ここに みなもとを発していたやも知れぬ〕

皇神祖すめろきの 神のみことの きいます 国のことごと はしも さはにあれども 
《神であられる 天皇おおきみの お治めなさる この国に で湯仰山ぎょうさん あるけども》
島山の よろしき国と こごしかも 伊予いよ高嶺たかねの 射狭庭いさにはの 岡に立たして 
おもひ 辞思ことおもはしし み湯のうへの 樹群こむらを見れば
 
《島山立派な 伊予国いよくにの けわしい峰に うち続く  射狭庭いさには岡に その昔 天皇すめらみことが お立ちなり
 かつての昔 みし歌 捧げし言葉 思われた で湯の木立ち 眺めたら》
おみの木も ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず とほき代に かむさびゆかむ 行幸処いでましどころ
もみの木ずっと え続け 鳥鳴く声も 変わらへん 後の世までも 神秘やで 天皇おおきみられた この地こそ》
                         ―山部赤人―〔巻三・三二二〕 
ももしきの 大宮人おほみやびとの 飽田津にきたつに 船乗ふなのりしけむ としの知らなく
何時いつやろか 大宮人が 飽田津にきたつを 船出ふなでしたんは はるか昔や》
                         ―山部赤人―〔巻三・三二三〕 

ここに こうしてることの不思議
それを  感じざるを得ない 赤人




<いざにはの岡>へ


赤人編(11)川淀さらず

2010年02月05日 | 赤人編
【掲載日:平成22年2月23日】

明日香あすか河 川淀かはよどさらず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに

赤人は  明日香の地にいた
歌の祭神さいじんが 呼んだに違いない
ここは 柿本人麻呂 その人の行住坐臥ぎょうじゅうざがの地

三諸みもろの 神名備かむなび山に 五百枝いほえさし しじひたる つがの木の いやぎに 
玉かづら 絶ゆることなく ありつつも まず通はむ 明日香あすかの ふる京師みやこは 山高み かは雄大とほしろ
 
神名備かんなび山に 生えとおる 枝次々と やすつが つる長々と 伸ばすつた
 次々長々 通いたい ふるい都の 明日香宮 山は高こうて 河広い》
春の日は 山し見がほし 秋のは 河しさやけし 朝雲あさぐもに たづは乱れ 夕霧ゆふぎりに 河蝦かはづはさわく 
見るごとに のみし泣かゆ いにしへ思へば

《春の日ィには  山見たい 秋の夜には 河清い 朝立つ雲に 鶴飛んで 夕霧立つと 蛙鳴く
 こんな景色を 見るたんび しきりと泣けて しょうがない 昔栄えた この都》
                         ―山部赤人―〔巻三・三二四〕 
明日香あすか河 川淀かはよどさらず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに
《立ち淀む 明日香の川の 霧みたい ずっと思うで 旧宮あすかへの恋》
                         ―山部赤人―〔巻三・三二五〕 
〔古い都はい 山に 川に 歌が宿ってる〕
〔おお  ここは 藤原不比等殿の 屋敷跡
 その昔  お世話になったこともあった
 全ては いにしえに なってしまうのか〕
いにしへの ふるき堤は 年深としふかみ 池のなぎさに 水草みぐさ生ひにけり
《昔見た 古い堤は 年たで 池に水草 生えてしもてる》
                         ―山部赤人―〔巻三・三七八〕 

赤人は  人麻呂に報告する
歌跡うたあと辿たどってきました
 ここ 明日香が あなたの 心のり所
 人移り 世移り あなたと同じにうたえません
 でも  私なりの 景の歌
 景に 胸の内を秘め うたえるようになりました
 人麻呂様の  足許 寄れた心地が致します〕
歌は 誰にうたうでなく おのれの心にうた
そのことを知った  赤人であった



赤人編(12)清き浜廻を

2010年02月02日 | 赤人編
【掲載日:平成22年2月26日】

大夫ますらをは 御猟みかりに立たし 少女をとめらは 赤裳あかもすそ引く 清き浜廻はまび

天平六年〔734〕春三月 
難波宮行幸みゆき
歌の みなもと訪ねの旅から戻った 赤人
久方ぶりの  従賀であった
この行幸では 
みかどからの 儀礼歌の お召しはなかった
従賀人じゅうがひとそれぞれの 楽しみ 
それが  新しい行幸の姿となりつつある

大夫ますらをは 御猟みかりに立たし 少女をとめらは 赤裳あかもすそ引く 清き浜廻はまび
《男らは 狩りに行ったで 女官おとめらは 赤い裳裾すそ引き 浜辺遊びや》
                         ―山部赤人―〔巻六・一〇〇一〕 

住吉の  粉浜のしじみ 開けも見ず 隠りてのみや 恋ひ渡りなむ
《殻閉めた 粉浜シジミの 貝みたい わしめ恋を し続けるんか》
                         ―作者未詳―〔巻六・九九七〕 

まよごと 雲居くもゐに見ゆる 阿波あはの山 かけて漕ぐ舟 とまり知らずも
《眉のな 雲の向こうの 阿波山あわやまを 目指し漕ぐ舟 何処どこ泊まるやろ》
                         ―ふなの おほきみ―〔巻六・九九八〕

血沼廻ちぬみより 雨そ降りる 四極しはつ白水郎あま 網手あみてしたり 濡れにあへむかも
血沼浦ちぬらから 雨降ってきた 網を干す 四極しはつの漁師 濡れたんちゃうか》
                         ―守部王―〔巻六・九九九〕 

子らがあらば 二人聞かむを 沖つに 鳴くなるたづの あかときの声
ったなら おまえと二人 聞きたいな 沖鳴く鶴の 夜明けの声を》
                         ―守部王―〔巻六・一〇〇〇〕 

馬のあゆみ おさとどめよ 住吉すみのえの 岸の黄土はにふに にほひて行かむ
手綱たづな引き 馬止めてんか 住吉の 岸の黄土はにゅうを 服に付けてこ》
                         ―安倍豊継―〔巻六・一〇〇二〕 

しんへの近づきが
ていへの うやまいを深める
今日の行幸に 春の長閑のどかさが加わり
従駕人の歌に  伸びやかな 明るさが宿る