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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・青春編(二)(01)あさる雉(きぎし)の

2010年12月07日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月3日】

春の野に あさるきぎしの つまごひ
             おのがあたりを 人に知れつつ



旅人たびとが明けた
佐保さほ大納言家の当主となった 家持やかもち
時に まだよわい十五
旅人の資人しじん 余明軍よのみょうぐんは 
一年の明けと共に その任が解かれる

まつりて いまだ時だに かはらねば 年月のごと 思ほゆる君
《お仕えし 日ィ浅いのに 長いこと つかえた思える 家持あなた様です》
                         ―余明軍よのみやうぐん―〈巻四・五七九〉
あしひきの 山にひたる すがの根の ねもころ見まく しき君かも
《出来るなら すがの根みたい 長々と お仕えしたい 家持あなた様です》
                         ―余明軍よのみやうぐん―〈巻四・五八〇〉

別れに際し 余明軍よのみょうぐん
かねての  旅人から預かった 書状を差し出す
「大殿さま 身罷みまかりの折 お預かりのものです」

 さとしのこと―
一、大伴家 伴造とものみやつことしてのいさおし忘れず 
  天皇おおきみへの仕え一途いちずに励むこと
一、政治まつりごとがこと 関わり浅きが 上策 
  扇動やからに付き従うは げんに避くるべきこと
一、人付き合い 世渡りが為 うたつくりがかなめ
  切磋琢磨せっさたくまし 一廉ひとかど歌人うたびと目指すべきこと
一、歌修錬は 我が遺稿いこう 並びに筆録ひつろく先人せんじん
  人麻呂殿 赤人殿 憶良殿らの筆にまねぶこと

〈かねがね  父上が 仰せのこと
 大伴家いえ守り 盛運せいうん得るに 心せねばなるまい
 それにしても 
 父上 我が歌の稚拙ちせつを ようくご存知
 励まねばならぬが 今ひとつしょうに合わぬわ〉

家持は  
作り置いた  真似ごと歌を 思い出していた

うちらし 雪は降りつつ しかすがに 吾家わぎへの園に うぐひす鳴くも
《空おおい 雪降るのんに 鶯が もう来てからに 庭で鳴いとる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四四一〉
春の野に あさるきぎしの つまごひに おのがあたりを 人に知れつつ
《春の野で えさきじは 連れ呼んで 居場所猟師りょうしに 教えとるがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四四六〉


家待・青春編(二)(02)なにか来鳴かぬ

2010年12月03日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月7日】

霍公鳥ほととぎす 思はずありき くれ
              かくなるまでに なにか来鳴かぬ



家持は 書持ふみもち相手に 歌作り錬磨れんまに余念がない
「兄上 夏も近いゆえ 題材を『ほととぎす』とし
 場面は  『鳴き待ち』としましょう」

霍公鳥ほととぎす 待てど鳴かず 菖蒲あやめぐさ 玉にく日を いまだ遠みか
《ほととぎす 待ってるのんに まだ鳴かん 菖蒲あやめ薬玉たまする 日ィんからか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四九〇〉

わが屋戸やどに 月おし照れり 霍公鳥ほととぎす 心あらば今夜こよひ 来鳴きとよもせ
うちの庭 月照っとるで ほととぎす せっかくやから 鳴きにんかい》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻八・一四八〇〉

霍公鳥ほととぎす 思はずありき くれの かくなるまでに なにか来鳴かぬ
《なんでまた 木ィの茂みが なるまで 鳴きにんのや なあほととぎす》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四八七〉

歌づくりは 書持ふみもち一日いちじつちょうがある
「わしのは  どうも見劣りがしてならぬわ
 そちの書持ふみもちの名 あながちでは ないのう
 ひとかど歌人うたびとには そちがなったらどうじゃ」
「何を  言われます
 大伴家いえを 背負しょって立つは 兄上
 始めたばかりの  修錬
 弱音を吐いて 如何いかがなされます」

「さあ  ほととぎすも 鳴きたく思うておりますぞ」

あしひきの 立ちく 霍公鳥ほととぎす かく聞きそめて のち恋ひむかも
《初聞きは 木の間くぐりの ほととぎす 聞いたその声 忘れられへん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四九五〉
何処いづくには 鳴きもしにけむ 霍公鳥ほととぎす 吾家わぎへの里に 今日のみそ鳴く
他所よそでもう 鳴いてたんやろ ほととぎす やっと此里ここ来て 鳴いてくれたな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四八八〉
の花も いまだ咲かねば 霍公鳥ほととぎす 佐保さほ山辺やまへに 来鳴きとよもす
の花が まだ咲かへんで ほととぎす 佐保の山来て 咲けて鳴いてる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四七七〉
の花の 過ぎば惜しみか 霍公鳥ほととぎす 雨間あままもおかず 此間ゆ鳴き渡る
の花の 散るんしいか ほととぎす 雨降る中を 鳴き渡りよる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四九一〉
夏山の 木末こぬれしげに 霍公鳥ほととぎす 鳴きとよむなる 声のはるけさ
《夏山の 繁るこずえで ほととぎす 鳴き響くんが はるか聞こえる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四九四〉

家持・書持ふみもち 兄弟のきずな
歌のり取りが 深めて行く


家待・青春編(二)(03)今こそ鳴かめ

2010年11月30日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月10日】

わが屋前やどの はなたちばなに 霍公鳥ほととぎす
             今こそ鳴かめ  友に逢へる時



書持ふみもちに せっつかれての 歌作り修行
連日の 琢磨たくまが続く
「今日は  『橘』に 致しましょう」

わが屋前やどの はなたちばなを 霍公鳥ほととぎす 来鳴かずつちに 散らしてむとか
《庭咲いた たちばなはなを ほととぎす 鳴きに来んまま 散らすんかいな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四八六〉

わが屋前やどの はなたちばなに 霍公鳥ほととぎす 今こそ鳴かめ 友に逢へる時
《庭に咲く たちばなはなに ほととぎす 今鳴かんかい 友と居るのに》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻八・一四八一〉

「さすが 書持ふみもち 思い付きが違う
 わしのは  見たまま そのままじゃ」

わが屋前やどの はなたちばなの 何時いつしかも 珠にくべく そのなりなむ
《庭植えた はなたちばなは いつ頃に 糸しできる ぃ成るんやろ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四七八〉
わが屋前やどの はなたちばなは 散り過ぎて 玉にくべく になりにけり
《庭咲いた 橘の花 散って仕舞い 糸とおしする になって仕舞た》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四八九〉

「兄上  今度は 橘を離れ
 ほかの何かに 気を転じられての歌を」

夏まけて 咲きたる唐棣はねず ひさかたの 雨うち降れば うつろひなむか
《夏待って 咲いたハネズは 雨来たら やっと咲いたん 色せるがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四八五〉
こもりのみ ればいぶせみ なぐさむと 出で立ち聞けば 来鳴く晩蝉ひぐらし
こもってて 沈んだ気ィを 晴らそうと 出たらひぐらし 来て鳴いたがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四七九〉
わが屋前やどの 瞿麦なでしこの花 さかりなり 手折たをりて一目ひとめ 見せむ児もがも
《庭で咲く 撫子なでしこの花 今盛り って見せる児 らんもんかな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一四九六〉

「見るの上達 さすがでございます
 こもりの慰みと ひぐらしセミの取り合わせ
 相聞そうもん色合いろあい備えた 撫子なでしこ
 どうして  どうして かなりの歌上手」

導き上手の書持ふみもち めることを忘れない


家待・青春編(二)(04)消(け)たずて玉に

2010年11月26日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月14日】

我が屋戸やどの 草花をばなが上の 白露を
             消たずて玉に くものにもが



「どうじゃな  家持
 歌修錬 積んでるかな」
秋深いよい 叔父 大伴稲公おおとものいなきみが 訪ねてきた
書持ふみもちから聞いたが なかなかの上達振りとか
 今日は ひとつ わしの歌に してみぬか」

時雨しぐれの雨 無くし降れば 三笠山 木末こぬれあまねく 色づきにけり
時雨しぐれ雨 降り続いたで 三笠山 梢全部ぜえんぶ 色づいて仕舞た》
                         ―大伴稲公おおとものいなきみ―〈巻八・一五五三〉
大君おほきみの 三笠の山の 黄葉もみちばは 今日の時雨しぐれに 散りか過ぎなむ
《三笠山 山のもみじ 降る雨に 今日あたりもう 散るんとちゃうか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五五四〉

「やるではないか 
 秋も深まると やがて 雪がよう
 その時を  思うての歌 どうじゃな」

我が屋戸やどの 草花をばなが上の 白露を 消たずて玉に くものにもが
《庭にある ススキにりた 玉露を 消さんと糸に とおしてみたい》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五七二〉
今日けふ降りし 雪にきほひて わが屋前やどの 冬木の梅は 花咲きにけり
《今日降った 雪に負けんと 庭の梅 枯れ木やけども 白花はな咲いたがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一六四九〉
沫雪あわゆきの 庭に降りしき 寒き夜を 手枕たまくらかず ひとりかも寝む
淡雪あわゆきが 庭にみ 寒い夜 手ぇつなげんと 独り寝るんか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一六六三〉

「よくできた よし 次は相聞歌そうもんうたを ひとつ」

あしひきの いはこごしみ すがの根を 引かばかたみと しめのみそ
《山の岩 ごつごつしてて すがの根を 抜かれへんので しるししといた》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻三・四一四〉

「よしよし 憶良殿の この歌に なぞらえての一首を 所望しよう」
牽牛ひこぼしの つま迎へぶね 漕ぎらし あま川原かはらに 霧の立てるは
《彦星の 迎えの船が 出たんやな あま川原かわらに 霧出てるがな》
                         ―山上憶良やまのうえのおくら―〈巻八・一五二七〉

織女たなばたし 船乗ふなのりすらし 真澄まそかがみ 清き月夜つくよに 雲立ち渡る
織姫おりひめが 迎船ふね乗ったや 波しぶき 澄んだ月夜つきよに 雲起してる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻十七・三九〇〇〉

「ふうむ」 
感じ入る稲公いなきみ
書持ふみもちのやつ「上手になられた」と申しておったが おべっかと 思いきや なんのなんの〉 


家待・青春編(二)(05)秋田の穂立(ほたち)

2010年11月23日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月17日】

雲隠くもがくり 鳴くなる雁の きて
              秋田の穂立ほたち しげくし思ほゆ



家持に友がいた 
藤原八束ふじわらのやつか 
父は 藤原房前ふじわらのふささき
旅人たびと 大宰だざいそち在任中 梧桐あおぎり日本やまと琴を送り 
親交を得んとした方 

家持と八束やつか
き合いは 言うに及ばず 
軽口かるくちの応酬も気楽な仲

少しは 歌らしくなった 手慰てなぐさ
時雨しぐれの雲に ごもりを余儀なくされたよい
雁の声 穂立ち 黄葉もみじ 月の出
つくってみると 見せたくなる

ひさかたの 雨間あままも置かず 雲隠くもがくり 鳴きそ行くなる 早稲田わさだ雁がね
《雲のかげ 雨降るぁも 休まんと 雁鳴き飛ぶよ 早稲わせの田の上》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五六六〉
雲隠くもがくり 鳴くなる雁の きてむ 秋田の穂立ほたち しげくし思ほゆ
《雲かくれ 鳴き飛ぶ雁の 行き先の 秋田のぉは たわわやろうか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五六七〉
雨隠あめごもり こころいぶせみ 出で見れば 春日かすがの山は 色づきにけり
《雨降りが うっとしいんで 出てみたら 春日の山は 色づいてたで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五六八〉
雨晴れて 清く照りたる この月夜つくよ またくたちて 雲な棚引き
《雨んで 月さわやかに 照っとるで もうこれからは 雲出んときや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五六九〉

早速に 八束やつかからの 返し歌

此処ここにありて 春日かすが何処いづく 雨障あまつつみ 出でて行かねば 恋ひつつそ
《この雨に 降り込められて 春日山 足とおのいた 行ってみたいで》
                         ―藤原八束ふじわらのやつか―〈巻八・一五七〇〉
春日野かすがのに 時雨しぐれ降る見ゆ 明日あすよりは 黄葉もみち插頭かざさむ 高円たかまとの山
《春日野に 時雨しぐれ降ってる 黄葉もみじやな 明日あした髪挿かざしに 高円山たかまど行こか》
                         ―藤原八束ふじわらのやつか―〈巻八・一五七一〉

雨後あまあとの けゆく 秋のよい
遠く  鳴き交わす 雁の声に 
親しみ覚える  家持




家待・青春編(二)(06)鰻(むなぎ)捕り食(め)せ

2010年11月19日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月21日】

石麿いはまろに われものまを
      夏やせに しといふ物そ むなぎ捕り




家持は  待っていた

高円山たかまどやまの 黄葉もみじ
雨上がりの き通った空
空の青 
空隠すかに 深紅の黄葉もみじ

〈来ない  あれほど固く約束したに・・・〉

けだしくも 人の中言なかごと きかせかも ここだく待てど 君がまさぬ
悪噂ちゅうしょうを きっと聞いたに 違いない こんだけ待って 八束あんたんのは》

                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻四・六八〇〉
なかなかに ゆとし言はば かくばかり いきにして わが恋ひめやも
縁切えんぎりや 言われたほうが 気ィ楽や こんな思うて 気に懸けるより》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻四・六八一〉
思ふらむ 人にあらなくに ねもころに こころつくして 恋ふるわれかも
《思うても 呉れへん人に 一生懸命いっしょけめ 心尽くすん アホやでうちは》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻四・六八二〉

八束やつかから 返事が来た
〈謹啓 
 すっかりの お冠かんむり 返す返す申し訳なし
 拠所よんどころない仕儀しぎ出来しゅったい ひらにお許しの程を
 このような 軽口かるくち
 わしは 一向に構わぬが 相手にもりますぞ
 例の 吉田連よしだのむらじおゆ〈通称石磨いわまろ〉の一件
 尊父 旅人殿と おゆてて よろし殿 
いかな昵懇じっこんであったとはいえ あれはいただけぬ
 
石麿いはまろに われものまをす 夏やせに しといふ物そ むなぎ捕り
《言うたろか 石麿いわまろさんよ 夏痩せに ようく言うで 鰻食たどや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻十六・三八五三〉
すも けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな
《痩せてても 生きてる方が まだえで 鰻捕ろして おぼれたあかん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻十六・三八五四〉

 おゆ殿は 謹厳きんげん実直じっちょくの士
 ひょいと受け流せずにより 暫く寝込んだよし
 今後は 家持殿の軽口かるくち
 相手を見ての上と  なされること
 ここに しかと申し




家待・青春編(二)(07)いや常葉(とこは)の樹(き)

2010年11月16日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月28日】


橘は さへ花さへ その葉さへ
           に霜降れど いや常葉とこはの樹



葛城かつらぎおう 
美努王みぬおう 母橘県たちばなのあがた犬養三千代

光明子こうみょうし
藤原不比等の娘  
今は皇后となってはいるが  三千代の子
葛城王の妹に当たる 

すでに 廟堂びょうどうに昇っていた葛城王おう
より自由な活動を望み 臣籍しんせき降下を願い出
天平八年〈736〉  十一月 その許可を得た
橘諸兄たちばなのもろえ誕生である

その日  皇后の宮殿
聖武天皇しょうむてんのう 光明皇后
そして 葛城王を庇護ひごし来たった 元正上皇げんしょうじょうこう
列する中での  酒宴
帝ことのほかの喜び   歌を給う

【葛城王  姓橘氏を賜いし時の御製歌】
橘は さへ花さへ その葉さへ に霜降れど いや常葉とこはの樹
《橘は ぃ立派やで 花も葉も えだても 緑のままや》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―〈巻六・一〇〇九〉
【橘宿禰奈良麻呂  詔に応えたる歌】
奥山の 真木まきの葉しのぎ 降る雪の 降りはすとも つちに落ちめやも
《奥山の 立派なの葉 押しつぶす 雪降ったかて 橘実は落てへんで》
                         ―橘奈良麻呂たちばなのならまろ―〈巻六・一〇一〇〉

  天平九年〈737〉 折からの天然痘大疫は 
政権中枢藤原きょうを 死に追いやり 
藤原氏勢力伸長頓挫とんざを もたらす
執政者失くした 廟堂びょうどう
白羽の矢を 橘諸兄もろえに立てた

温厚篤実とくじつ 台閣だいかく諸侯との摩擦まさつはない
皇族有力者でもあり 
なにより 藤原氏とのつながりも深い
再起藤原政権 つなぎの思惑を込めてか
異父妹いもうと 光明皇后の押しも 
まして 
元正上皇 聖武天皇しょうむてんのうの 信望厚いとなれば
まさに  打ってつけ

急遽きゅうきょ抜擢ばってきは 
橘諸兄もろえに 大納言 右大臣の地位を与える

しかし  
橘諸兄もろえ温雅おんがな性格が
聖武帝の 気儘きまま放縦ほうじゅうを助長
皇籍出自しゅつじ
藤原氏との確執かくしつ生む火種
時代は  新たな 風雲世界へ


家待・青春編(二)(08)わが思ふ君は

2010年11月12日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月1日】

長門ながとなる 沖つかりしま 奥まへて
           わが思ふ君は 千歳ちとせにもがも



政権の中核をになう 橘諸兄もろえ
着々と その地歩じほを固めつつある
邸をおとなうは 引きも切らない
天平十年〈738〉秋八月 山背やましろ相楽さがら別荘
今日も今日とて  酒宴が続く

長門ながとなる 沖つかりしま 奥まへて わが思ふ君は 千歳ちとせにもがも
《沖の借島しま こころ奥底 思う橘卿きみ 長生きされて としの千まで》
                         ―巨曽倍津嶋こそべのつしま―〈巻六・一〇二四〉
奥まへて われを思へる わが背子は 千年ちとせ五百歳いほとせ 有りこせぬかも
《心から 慕うてくれる 津嶋あんたこそ 千も五百も 長生きしてや》
                         ―橘諸兄―〈巻六・一〇二五〉 

「これは右大臣様 見事なかさね句 
 今日の趣向は  決まりじゃ」
高橋安磨たかはしのやすまろが はしゃぐ

さを鹿の 来立ち鳴く野の 秋萩は 露霜つゆしもひて 散りにしものを
男鹿おじか来て 鳴く野の萩は 露浴びて 散って仕舞しもてる わびしいこっちゃ》
                         ―文馬養あやのうまかひ―〈巻八・一五八〇〉
このをかに 小牡鹿をしかし 窺狙うかねらひ かもかもすらく ゆゑにこそ
《あれこれと 鹿とらえ策 る様に 心尽くすん 橘卿あんたの為や》
                         ―巨曽倍津嶋こそべのつしま―〈巻八・一五七六〉
秋の野の 草花をばなうれを 押しなべて しくもしるく 逢へる君かも
《秋の野の すすきの穂ぉを 押し倒し 来た甲斐あって 橘卿あんたに逢えた》
                         ―阿倍虫麻呂あへのむしまろ―〈巻八・一五七七〉
雲のうへに 鳴くなる雁の 遠けども 君に逢はむと たもとほ
《雲の上 鳴く雁遠い 遠い道 橘卿あんたに逢おと はるばる来たで》
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻八・一五七四〉
雲の上に 鳴きつる雁の 寒きなへ 萩の下葉は 黄変もみちぬるかも
雲上くもうえで 鳴く雁の声 寒々さむざむし 萩の葉先が 黄葉こうようしてる》
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻八・一五七五〉
今朝けさ鳴きて 行きしかり 寒みかも この野の浅茅あさぢ 色づきにける
《今朝鳴いて 飛んでた雁の 声寒い 野原の浅茅あさじ 色づいとおる》
                         ―阿倍虫麻呂あへのむしまろ―〈巻八・一五七八〉
朝戸開けて  物思ふ時に 白露の 置ける秋萩 見えつつもとな
《朝戸開け 別れつらいに 白露の 置く秋萩はぎ見たら 余計よけつらいがな》
                         ―文馬養あやのうまかひ―〈巻八・一五七九〉
〈高橋安磨〉
橘の もとに道む 八衢やちまたに 物をぞ思ふ 人に知らえず
《橘の  並木続きの 分かれ道 うちの悩むん 誰知ってんや》
                         ―豊島采女としまのうねめ―〈巻六・一〇二七〉
〈橘諸兄〉
ももしきの 大宮人おほみやびとは 今日もかも いとまみと 里にかずあらむ
《大宮に 仕える人は 暇うて 今日もまたうち 帰られんのか》
                         ―豊島采女としまのうねめ―〈巻六・一〇二六〉

「右大臣様 かさね句が ございませぬ」 
責める安磨に 橘諸兄もろえすかさず
「安麻呂殿が 故豊島采女としまのうねめの歌 借用したにより
 わしも 采女が歌 借りたまで 作り手かさねじゃ」
笑いのうち 座に なごみが 流れて行く


家待・青春編(二)(09)明けずもあらぬか

2010年11月09日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月5日】

黄葉もみちばの 過ぎまく惜しみ
         思ふどち 遊ぶ今夜こよひは 明けずもあらぬか



相楽さがら別荘での 酒宴二ヶ月のち
若手官人が つどうていた
天平十年〈738〉十月 
場所は橘諸兄もろえ旧宅
黄葉もみじうたげ
主催者は 橘諸兄もろえ長子 奈良麻呂
この年うち舎人とねりとなった 家持も れっしていた

手折たをらずて 散りなば惜しと わが思ひし 秋の黄葉もみちを かざしつるかも
手折たおらんと 散らすんしと 思うてた 秋のもみじを 髪挿かざしにでけた》
                         ―橘奈良麻呂たちばなのならまろ―〈巻八・一五八一〉
めづらしき 人に見せむと 黄葉もみちばを 手折たをりそあがし 雨の降らくに
《珍客に 見せよとおもて もみじ葉を 手折たおってきたで 雨降る中を》
                         ―橘奈良麻呂たちばなのならまろ―〈巻八・一五八二〉
黄葉もみちばを 散らす時雨しぐれに 濡れて来て 君が黄葉もみちを かざしつるかも
《もみじを 散らす時雨しぐれに 濡れ来たが その甲斐あって もみじ髪挿かざせた》
                         ―久米女王くめのおほきみ―〈巻八・一五八三〉
めづらしと わがふ君は 秋山の 初黄葉はつもみちばに 似てこそありけれ
したわしい 奈良麻呂あんた似てはる 秋山の 初もみじ葉に 初々ういういしいて》
                         ―長忌寸娘ながのいみきのをとめ―〈巻八・一五八四〉
奈良山の 峯の黄葉もみちば 取れば散る 時雨しぐれの雨し 無く降るらし
《奈良山の 折取ったもみじ葉 すぐに散る 時雨しぐれずうっと 降ってるからや》
                         ―縣犬養吉男あがたのいぬかひのよしを―〈巻八・一五八五〉
黄葉もみちばを 散らまく惜しみ 手折たをり来て 今夜こよひかざしつ 何か思はむ
《もみじ葉を 散らすんして ってきて 髪挿かざせたよって 悔いはあらへん》
                         ―縣犬養持男あがたのいぬかひもちを―〈巻八・一五八六〉
あしひきの 山の黄葉もみちば 今夜こよひもか 浮かびゆくらむ 山川やまがはの瀬に
《山もみじ 今晩あたり 散って仕舞て 浮いて行くんか 山の川瀬を》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〈巻八・一五八七〉
奈良山を にほはす黄葉もみち 手折たをり来て 今夜こよひかざしつ 散らば散るとも
《奈良山を いろどるもみじ ってきて 髪挿かざせたよって 散ってかまへん》
                         ―三手代人名みてしろのひとな―〈巻八・一五八八〉
露霜つゆしもに あへる黄葉もみちを 手折たをり来て 妹にかざしつ のちは散るとも
霜露しもつゆで 色づくもみじ ってきて お前に髪挿せた もう散ってええ》
                         ―秦許遍麿はだのへこまろ―〈巻八・一五八九〉
十月かむなづき 時雨しぐれに逢へる 黄葉もみちばの 吹かば散りなむ 風のまにまに
十月じゅうがつの 時雨しぐれうた もみじ葉は 散って仕舞うやろ 風に吹かれて》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〈巻八・一五九〇〉
黄葉もみちばの 過ぎまく惜しみ 思ふどち 遊ぶ今夜こよひは 明けずもあらぬか
《もみじ葉の 散るのしんで 友同士 遊ぶこのよる 明けて欲しない》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻八・一五九一〉


家待・青春編(二)(10)百種(ももくさ)の 言(こと)そ隠(こも)れる

2010年11月05日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月8日】

この花の 一枝ひとよのうちに
         百種ももくさの ことこもれる おほろかにすな



内舎人うちとねりとなり 右大臣橘家に近づき得た家持
旅人たびとという 後ろ楯を失い 
これといった 庇護者ひごしゃないまま 
七 八年を過ごした  家持に 
ようやく開けた  中央政界への道であった

同じころ 放浪極めた 相聞そうもん遍歴も落ち着き
初恋 坂上大嬢さかうえのおおいらつめとの 交わり復活

家持に  心穏やかな日々が 続いていた

このころから  
政界は  少しずつ 混迷の度を 深めていく

藤原氏の  それとは無しの圧迫
それから解き放たれたかの  
聖武帝 遊行ゆうこう行幸みゆきの繰り返し
天平十一年〈739〉三月始め みかはら離宮
  三月下旬 元正上皇同道の甕の原離宮
天平十二年〈740〉二月  難波宮
天平十二年〈740〉五月 右大臣諸兄もろえ相楽さがら別荘

世の中  さながら写し鏡
宮廷世界退廃を  象徴するかの事件が起こる
先の元正げんしょう朝での左大臣
石上いそのかみ麻呂まろの息子 おと麻呂まろ
藤原宇合うまかい未亡人 久米若売くめのわかめと相聞沙汰ざた
これがため 乙麻呂土佐へと配流はいる
                 〈天平十一年〈739〉〉 
また 
中臣宅守なかとみのやかもり 蔵部くらべ女官狭野弟上娘子さののおとがみのおとめとの恋愛騒ぎ
宅守やかもり 越前配流
        〈天平十二?年〈740〉〉 
これら共に 冤罪えんざいめくが 
時代の風紀紊乱びんらん背景が 起こしたもの

そして  
世の中を震撼しんかんさせる事件が 西に起こる
大宰小弍しょうに藤原広嗣ふじわらのひろつぐ 大宰府にって叛旗
政治まつりごとの乱れ 災害疫病頻発ひんぱつ 
 せきは 重鎮 玄げんぼう 真備まきびにあり 
 これら君側くんそくかん 除くにかず
 もちいし橘諸兄もろえとがあり」の
意見受け入れられず  筑紫左遷
しからずんばの義憤ぎふん蜂起ほうき

この 若くげきしやすい性格たちの広嗣
かつての大宰のそち 藤原宇合うまかいの長子
それだけに  
中央の受けた驚愕きょうがく 想像を絶するものであった

藤原広嗣ひろつぐの桜の花を娘子おとめに贈る歌】
この花の 一枝ひとよのうちに 百種ももくさの ことこもれる おほろかにすな
粗略ざつにすな この花枝に ぎっしりと わしの思いが 入っておるぞ》
                         ―藤原広嗣ふじわらのひろつぐ―〈巻八・一四五六〉
娘子おとめこたえたる歌】
この花の 一枝ひとよのうちは 百種ももくさの こと待ちかねて 折らえけらずや
《折れてるで  この花枝に 詰め過ぎた あんたの思い 支え切れんで》
                         ―娘子おとめ―〈巻八・一四五七〉


家待・青春編(二)(11)布留(ふる)の尊(みこと)は

2010年11月02日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月12日】

いそかみ 布留ふるみことは 手弱女たわやめの まとひによりて・・・

【「神の小浜」大崎港湾奥】


元正げんしょう天皇 その御代みよに 左大臣をば つとめしし
石川麻呂いしかわまろの ご三男 おと麻呂まろ殿が 御災難
宇合うまかい妻の 久米若売くめわかめ 通じた罪で 土佐配流はいる
ちまた噂は 政権の 陰謀なりやの 沙汰しき

ちまたうわさは 見送る人の 立場に立って しみじみうた

いそかみ 布留ふるみことは 手弱女たわやめの まとひによりて 
馬じもの 縄を取り付け 鹿猪ししじもの 弓矢かくみて 
大君おほきみの みことかしこみ あまざかる ひな退まかる 
古衣ふるごろも 又打まつちの山ゆ 帰りぬかも

石上いそかみの 布留ふるの殿さん 哀れにも 女にまどて 罪問われ 縄でくくられ 見張り付き
 国の仕置しおきの ばつ受けて 辺鄙へんぴの国へ 配流ながされる
 紀和きわ国境くにざかい 土山つちやま 越えて行くけど かえれるやろか》
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇一九〉

ちまたうわさは 身に詰まされて 妻の心を かわってうた

大君おほきみの みことかしこみ さしならぶ 土佐の国へと 出でますや わがの君を 
かけまくも ゆゆしかしこし 住吉すみのえの 現人神あらひとがみ
 
《国からの おとがめ受けて 海この 土佐の国へと 配流ながされる
 あの人の為 住吉すみのえの 海の神さん 頼みます》 
ふねに うしはたまひ 着きたまふ 島の崎々さきざき 寄りたまふ 磯の崎々 
荒き波 風にはせず つつみく やまひあらせず 
すむやけく 帰したまはね もとくに

《船の舳先へさきに 座られて 行く先々の 島や磯 大っきい波や 強い風
 出合うことう 無事着いて 病気もせんと 早いこと 帰したってや ここの大和へ》  
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇二〇〉

ちまたうわさは 同情しきり 当人代わり 悔しさうた

父君ちちぎみに われは愛子まなごぞ 母刀ははとに われは愛子まなごぞ 
まゐのぼる 八十やそ氏人うじびとの 手向たむけする かしこの坂に ぬさまつり われはぞおへる 遠き土佐

《父上の 大事な子やで 母上の いとしい子やで
 そのわしが 都へのぼる 人みんな 手向たむけするう この峠
 ぬさまつって 行くのんか 遠いあの土佐 みちはるばると》  
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇二二〉
大崎の 神の小浜をばまは せばけども もも船人ふなびとも ぐと言はなくに
《大崎の 小浜おばま狭いが どの船も 寄るてうのに わし素通りや》 
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇二三〉

天平十三年〈741〉の大赦で  乙麿許され
のち 中納言まで昇進
果たして 冤罪えんざいあかしなりや



<大崎>へ


家待・青春編(二)(12)多芸(たぎ)の野の上(へ)に

2010年10月29日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月15日】

田跡川たどかはの たぎを清みか
        いにしへゆ 宮仕みやつかへけむ 多芸たぎの野の



広嗣ひろつぐ蜂起ほうき 天平十二年〈740〉九月
攻め来たる皇軍に対し  
「朝命そむきの意思し 奸臣かんしん二人の処分が望み」
の広嗣奏上 
この物言い 士気喪失となり 十月末 乱鎮圧ちんあつ 

鎮圧の報 いまだの 十月十九日
ちん 関東へおもむく 乱最中さなかえど 
 鎮圧将軍 驚くなかるべし」とのちょく
軍装大部隊 車駕しゃがを固めて 伊勢へと向かう

突然の 行幸みゆき発令
右往左往の 従駕人じゅうがひとの誰もが 
御心みこころを 測りかねていた
内舎人うちとねり家持同行
河口頓宮とんぐう 十日もの滞在 気をます家持

河口かはぐちの 野辺のへいほりて 夜のれば 妹が手本たもとし 思ほゆるかも
《河口の 野宿のじゅくの夜が 続いたで お前手枕てまくら 恋してならん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇二九〉

行幸は  伊賀 伊勢 美濃 近江と巡る

妹に恋ひ あがの松原 見渡せば 潮干しほひかたに たづ鳴き渡る
《お前恋い あがの松原 見のぞむと 干潟へ鶴が 飛び鳴いて行く》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―〈巻六・一〇三〇〉
おくれにし 人をしのはく 四泥しでの崎 木綿ゆふ取りでて さきくとぞおも
《残し来た お前思うて 四泥崎しでさきで 木綿ゆう張り垂らし 無事祈ったで》
                         ―丹比屋主真人たぢひのやぬしまひと―〈巻六・一〇三一〉
天皇おほきみの 行幸みゆきのまにま 吾妹子わぎもこが 手枕たまくらかず 月そにける
天皇おおきみの 行幸みゆきお供で 日ィ過ぎた お前手枕 出けへんままで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇三二〉
御食みけつ国 志摩しま海人あまならし 真熊野まくまのの 小船をぶねに乗りて 沖漕ぐ見ゆ
供御くご作る 志摩漁師りょうしかな 熊野船 乗って沖へと 漕いでく見える》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇三三〉
いにしへゆ 人の言ひくる 老人おいひとの 変若つといふ水そ 名にたぎの瀬
《昔から わこなる水と 伝え言う 名前どおりの この滝の瀬よ》
                         ―大伴東人おおとものあづまひと―〈巻六・一〇三四〉
田跡川たどかはの たぎを清みか いにしへゆ 宮仕みやつかへけむ 多芸たぎの野の
かわの 激流みずきよいんで 多芸たぎの野で 行宮みやを作って ご仕え来た》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇三五〉
せきくは かへりにだにも うち行きて 妹が手枕たまくら きて寝ましを
《関いと とんぼ帰りの 馬飛ばし お前手枕 しに帰るのに》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〈巻六・一〇三六〉

二カ月近い長旅 一行はやましろ みかの原に
みかの原こそ 橘諸兄もろえ 所縁ゆかりの地
ここで きょう新都 発令
藤原根城ねじろの 平城ならみや 捨てられる運命さだめ


家待・青春編(二)(13)道の芝草

2010年10月26日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月19日】

立ちかはり  古き都と なりぬれば
             道の芝草 長くひにけり



元明げんめい天皇 明日香を離れ とうの都に 負けじと造る
平城ならの都は 咲く花匂う 永遠とわの都と 思いしものを
乱が呼んだか 都の移り 政略ゆえか 帝気まぐれか

やすみしし わご大君おほきみの 高敷かす 日本やまとの国は 
皇祖すめろきの 神の御代みよより 敷きませる 国にしあれば
 
天皇おおきみの 治めなされる 大和国やまとくに ご先祖せんぞかみの 御代みよからも ずっと治めて 来た国や》 
れまさむ 御子みこぎ あめした 知らしまさむと 
八百万やほよろづ 千年ちとせをかねて 定めけむ 平城なら京師みやこ
 
《お生まれなさる 御子おこさんが 次々天下てんか 支配され
 八百年も 千年も 続くにした 平城ならみやは》 
かぎろひの 春にしなれば 春日山かすがやま 三笠の野辺のへに 
桜花 くれごもり かほとりは なくしば鳴く
 
《春になったら 春日山かすがやま 三笠の野辺のべ
 桜花 そこの木陰こかげで 郭公かっこどり 休むことう 鳴き続け》
つゆしもの 秋さり来れば 駒山こまやま 飛火とぶひたけに 
はぎを しがらみ散らし さ男鹿をしかは 妻呼びとよ
 
《秋が来たなら 生駒山 飛火とぶひの丘に
 萩枝を からみ散らして 牡鹿おすしかが 連れ呼ぶ声を 響かせる》 
山見れば 山も見がし 里見れば 里も住みよし 
もののふの 八十やそともの うちへて 思へりしくは 
天地あめつちの ひのきはみ 万代よろづよに 栄え行かむと 
思へりし 大宮すらを たのめりし 奈良の都を
 
《山を見たなら え眺め 里見てみたら 住みうて
 つかえる人は 誰もかも 天と地ぃとが 一緒なり 
 くっ付く日まで 栄えると 思うておった 大宮や 心たよりの 奈良みやや》 
新世あらたよの 事にしあれば 大君おほきみの ひきのまにまに 
春花の うつろひかはり むらとりの 朝立ちゆけば 
さす竹の 大宮人おほみやびとの ならし 通ひし道は 
も行かず 人もかねば 荒れにけるかも

《そやのに時代 打ち変わり 天皇おおきみさんの お指図さしず
 花散るみたい みや移り 鳥飛ぶように 人影かげ消えて
 仕えてた人 とおってた 道には馬も 通らんで 人も行かんで 荒れてしもてる》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇四七〉

立ちかはり  古き都と なりぬれば 道の芝草 長くひにけり
《世の中が 変わり古都ふるみや なって仕舞て 道の雑草 えらい伸びとる》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇四八〉
なつきにし  奈良の都の 荒れゆけば 出で立つごとに 嘆きしまさる
《親しんだ 奈良の都が 荒れてくで ここ来るたんび 嘆きが募る》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇四九〉


家待・青春編(二)(14)京師(みやこ)となりぬ

2010年10月22日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月22日】

をとめが うみくといふ 鹿背かせの山
             時のければ 京師みやことなりぬ



時代移りの 悪戯いたずらなのか ていの思いの たわむれなのか
恭仁くにの都に 賑いあれど 旧都平城宮ならみや 夕日に沈む

くれなゐに 深くみにし こころかも 寧楽なら京師みやこに 年のぬべき
《こんなにも 心馴染なじんだ 奈良みやこ 荒れたまんまで 日ィつのんか》
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇四四〉
世間よのなかを 常無きものと 今そ知る 平城なら京師みやこの 移ろふ見れば
《世の中は むなしいもんと よう分かる 奈良のみやこの さびれん見ると》
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇四五〉
岩綱いはつなの また変若ちかへり あをによし 奈良の都を またも見むかも
つたの葉は またあおなるで 奈良みやも またあおよし ならんやろうか》
                         ―作者未詳さくしゃみしょう―〈巻六・一〇四六〉
―――――――――――――――
甕原みかのはら宮 名前を替えて 恭仁くにみやこと 位が上がる
又の元の名 布当ふたぎの原は 今や帝都と 花咲き誇る

わご大君おほきみ 神のみことの 高知らす 布当ふたぎの宮は 
百樹ももきなし 山は木高こだかし 落ちたぎつ 瀬のも清し

天皇おおきみの お治めなさる 布当宮ふたぎみや 木々が茂って 山高い 激流ながれ瀬音せおと 清らかや》 
鴬の 来鳴く春べは いはほには 山下光り 錦なす 花咲きををり 
さ男鹿の 妻呼ぶ秋は あまらふ 時雨しぐれをいたみ さつらふ 黄葉もみち散りつつ
 
《鶯鳥が 鳴く春は 山裾いわは 照り光り 錦きらめく 花が咲く
 男鹿おじか連れ呼ぶ 秋来たら 空をおおって 時雨しぐれ降り 黄葉もみじほんのり 色づくよ》 
八千年やちとせに れつがしつつ 
天の下 知らしめさむと 百代ももよにも かはるましじき 大宮所おほみやどころ

八千年はっせんねんの のちまでも 世ぎ次々 まれられ
 この国ずっと 治めはる 百代ひゃくだいまでも 変わらんと 続いて行くよ ここの大宮所みやどこ
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五三〉

泉川 ゆく瀬の水の 絶えばこそ 大宮所おほみやどころ 移ろひかめ
《大宮が さびれる時は 泉川 流れの水が 枯れる時やで〈いでそんなん〉》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五四〉
布当ふたぎ山 山並やまなみ見れば 百代ももよにも かはるましじき 大宮所おほみやどころ
布当山ふたぎやま つらなっとるで 百代ひゃくだいも つらなり行くで ここの大宮所みやどこ
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五五〉
をとめが うみくといふ 鹿背かせの山 時のければ 京師みやことなりぬ
少女おとめらが あさかせの 鹿背の山 時が来たんで みやこになった》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五六〉
鹿背かせの山 樹立こだちしげみ 朝らず 来鳴き響もす うぐひすの声
鹿背山は  木ィいっぱいや 鶯が 毎朝来ては 賑やか鳴くよ》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五七〉
狛山こまやまに 鳴く霍公鳥ほととぎす 泉川 わたりを遠み 此処ここに通はず
狛山こまやまで 鳴く鶯は 泉川かわひろて よう渡れんで ここへよらん》
                         ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五八〉


家待・青春編(二)(15)布当(ふたぎ)の野辺(のへ)を

2010年10月19日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年10月26日】

三日みかの原 布当ふたぎ野辺のへを 清みこそ
              大宮所おほみやどころ 定めけらしも



泉の川に 橋打ち渡し 築く京師みやこは 永遠とわ恭仁宮くにみや
布当ふたぎの山は 連綿れんめん続き 鹿背かせの山には 鶯鳴くよ

あきつ神 わご大君おほきみの あめの下 八島のうちに 
国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども
 
《神さんで あらせられます 天皇おおきみが お治めなさる もと
 くにがいっぱい ある中で 里も仰山ぎょうさん ある中で》 
山並やまなみの よろしき国と かはなみの たち合ふさとと 
山城やましろの 鹿背山せやまに 宮柱みやばしら ふとまつり 高知らす 布当ふたぎの宮は
 
《山並み綺麗きれえ くにやとて 川の集まる 里として
 ここ山城やましろの 鹿背山せやまの 麓に宮柱はしら お立てなり 高々造る 布当宮ふたぎみや》 
川近み 瀬のぞ清き 山近み 鳥がとよむ 
秋されば 山もとどろに さ男鹿は 妻呼びとよめ 
春されば 岡辺おかへしじに いはほには 花咲きををり
 
《川はちこうて 瀬音せおとえ 山もちこうて 鳥音とりね
 秋になったら 山で牡鹿しか 連れ呼び鳴いて 声ひび
 春が来たなら あちこちの 岡の岩辺いわべで 花が咲く》 
あなあはれ 布当ふたぎの原 いとたふと 大宮所おほみやところ 
うべしこそ わご大君は 君がまに きかかし給ひて 
さす竹の 大宮此処ここと 定めけらしも

《なんとえとこ 布当原ふたぎはら なんと貴い 大宮所みやどころ
 天皇おおきみさんが 諸兄殿とのさんの 勧め聞かれて 大宮を ここに決めたん もっともや》
                      ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五〇〉

三日みかの原 布当ふたぎ野辺のへを 清みこそ 大宮所おほみやどころ 定めけらしも
みかの原 布当ふたぎの野辺が 清いんで 大宮所おおみやどこを ここ決めたんや》
                      ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五一〉
山高く 川の瀬清し 百世ももよまで かむしみ行かむ 大宮所おほみやどころ
《山たこて 川瀬きようて 百年も ずっと続くで 大宮所おおみやどころ
                      ―田辺福麻呂歌集たなべのさきまろがかしゅう―〈巻六・一〇五二〉

山背やましろの 久邇くにの都は 春されば 花咲きををり 秋されば 黄葉もみちばにほひ 
おびなせる いづみの川の かみつ瀬に うちはし渡し よどには 浮橋うきはし渡し 
ありがよひ 仕へまつらむ 万代よろづよまでに

恭仁くにみやは 春が来たなら 花咲いて 秋になったら 黄葉こうよする
 帯のびる 泉川いずみがわ 上の流れに 橋架けて 淀のぇには 浮橋うきはし
 渡しかようで ずううっと 何時いついつまでも ずううっと》
                         ―境部老麻呂さかひべのおゆまろ―〈巻十七・三九〇七〉

たためて 泉の川の 水脈みを絶えず 仕へまつらむ 大宮所おほみやどころ
泉川いずみがわ 川の流れの 続くに ずっと仕える この大宮所みやどこに》
                         ―境部老麻呂さかひべのおゆまろ―〈巻十七・三九〇八〉