【掲載日:平成23年12月30日】
大き海の 水底深く 思ひつつ
裳引き平しし 菅原の里
先ほどより 長い思いが続いている
文机前に 端座の家持
前に 歌一首
大き海の 水底深く 思ひつつ 裳引き平しし 菅原の里
《裾引いて 深うに心 思いつめ 行き来し待った 菅原の里》
―藤原宿奈麻呂妻―(巻二十・四四九一)
(何故に この歌 手元に
藤原宿奈麻呂殿といえば
先の 天平勝宝七年(755)二月
防人検閲の折 相模守として 引率
その時 交誼を得たが
藤原仲麻呂非難の舌鋒鋭く
相変わらずの 血気であった
過ぐる 天平十二年(740)藤原広嗣の乱
異母弟ながら 連座し 伊豆流罪
二年余りで 召還されたが
不遇を託っていた
『水底深く 思いつつ』か・・・)
《後年〈宝字七年(763)〉藤原仲麻呂が恵美押勝となり その権勢欲しいままを 憤り 押勝暗殺計画画策折 家持を誘うが この時 家持 知る由もない》
天平宝字二年(758)は 穏やかに明けた
明けるとすぐに 宴が待つ
【正月三日】玉箒を賜っての内裏宴
初春の 初子の今日の 玉箒 手に取るからに 揺らく玉の緒
《新春の 初子に貰う 玉箒 貰ろたら揺れる 玉飾り房》
―大伴家持―(巻二十・四四九三)
家持 用意するも 大蔵省関係任務で 奏せず
【正月七日の白馬節会のため作歌】
水鳥の 鴨羽の色の 青馬を 今日見る人は 限りなしといふ
《水鳥の 鴨羽色の 青い馬 この日見た人 長生き云うで》
―大伴家持―(巻二十・四四九四)
前日 宮中般若経講義儀式 酒宴あり 奏せず
【正月六日】その酒宴
うち靡く 春とも著く 鴬は 植木の木間を 鳴き渡らなむ
《待っていた 春とはっきり 分かる様に 鶯鳴けよ 木ぃ飛び移り》
―大伴家持―(巻二十・四四九五)
家持 これも 奏さず
【二月十日】紫微内相 藤原仲麻呂宅
渤海国派遣の大使ら派遣 餞宴
青海原 風波靡き 行くさ来さ 障むこと無く 船は早けむ
《海原は 良え風吹いて 往き帰り 恙無船は 早よに進むで》
―大伴家持―(巻二十・四五一四)
準備するも 吟ぜず
果たして 家持に 何が
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