【掲載日:平成21年10月8日】
遠妻し 高にありせば 知らずとも
手綱の浜の 尋ね来なまし
【高萩海岸 関根川河口付近】

藤原宇合は 常陸国守に任じられ 合わせて「常陸風土記」編纂の役目も担っていた
養老三年〔719〕のことである
高橋虫麻呂
宇合の配下にあって 記載に見合う 説話伝承の収集を命ぜられ 各地歴訪に奔走していた
〔宇合殿のため 精一杯の働きをせねば〕
思えば 親兄弟を 流行り病で亡くした 虫麻呂
「年端も行かぬに 文才がありそうだ」と
引き取り 育ててくれたは 父君不比等様
時に 虫麻呂五歳
召使い同様の身ではあった
説話伝承集めは 思うに任せない
武蔵の国は 埼玉の小埼沼のほとり
虫麻呂は ひとり 霜立つ岸に佇んでいる
埼玉の 小埼の沼に 鴨そ翼きる
己が尾に 降り置ける霜を 掃ふとにあらし
《小埼沼 鴨が翼を 震わしとおる
尻尾から 積もった霜を 落としとるんや
〔鴨も寒いんや〕》
―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四四〕
〔こうしては 居れぬ この月の中に 那賀郡の曝井 多賀郡手綱を回らねばならぬのだ〕
【「曝井」水戸市愛宕町滝坂】

虫麻呂は 覚え帳に 認める
『曝井 坂の中程 清い水の噴き出す泉 村落の婦女集い 布を洗い曝す故 その名あり』
ふと 歌心が 芽生える
三栗の 那賀に向へる 曝井の 絶えず通はむ そこに妻もが
《曝井の 水絶えへんと 湧いとおる ええ人居ったら 絶えず通たる》
―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四五〕
〔よく 詠うよ 妻も 居ないに〕
〔おお 絶景だ 今日の 伝承収穫は 芳しくなかったが この景色を見せてもらったので よしとするか〕
遠妻し 高にありせば 知らずとも 手綱の浜の 尋ね来なまし
《留守居妻 もしも居ったら ここ多賀に 道知らんでも 尋ねて来たる
〔ここはタヅなの浜や〕》
―高橋虫麻呂歌集―〔巻九・一七四六〕
〔手綱の浜 景勝美が詠ませる歌か
留守居妻 か
そんなもの・・・〕
独り身の虫麻呂
妻を求めぬ生きざま
そこには 譲れぬ 心決めが あった

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