goo blog サービス終了のお知らせ 

令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

坂上郎女編(1)恋の奴の

2010年05月25日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年3月17日】

家にありし ひつにかぎさし をさめてし
           恋のやっこの つかみかかりて



〈とかくの噂ある  あの方じゃが
 いたしかた  あるまいか〉
安麻呂は 気の進まぬこころめをしていた

大伴安麻呂おおとものやすまろ 
大納言を拝命する 大伴家の総帥そうすい
朝廷軍事を預かる 伴造とものみやつこ意識は強い
かの壬申の乱 
天武天皇のもと  戦功を立て 
天武朝の重臣として活躍した  大伴家
天皇中心の  皇親政治が行われていた
しかるに  
持統天皇の御代 文武 元明と 時代がくだ
平城なら遷都 律令整備進み
世は官僚中心政治へと移る 
その中核は  藤原不比等 
あの大職冠たいしょくかん藤原ふじわら鎌足かまたりの子である

次第に  勢力地図の変わる中 
安麻呂は  今一度の 皇親政治復活を願っていた

安麻呂は  とある宴席を 思う
家にありし ひつにかぎさし をさめてし 恋のやっこの つかみかかりて
《家にある 箱にかぎかけ 封印とじこめた 好色心すきものごころ またぞろうずく》
                         ―穂積皇子ほづみのみこ―〈巻十六・三八一六〉

穂積皇子 
天武天皇  第八皇子
あの 但馬皇女たじまのひめみことの 熱愛 いまだに語り草だ
その皇女が亡くなられ  五年
〈我が家の末娘  郎女と なんとか成らぬものか〉

安麻呂は 坂上郎女いらつめの歌を 届けさせる
童女の域を  脱したばかりの 郎女
歌詠みいえの育ちが 幸いし 
年を思わせぬ歌を詠む 
〈この歌を添えての  婚結びの誘い
 皇子の気を引くやも知れぬ〉 

狩高かりたかの 高円山たかまとやまを 高みかも 出で来る月の 遅く照るらむ
《すぐそばに 迫る高円山たかまど 高いんで 月出て照るん 遅いんやなあ》
ぬばたまの 夜霧の立ちて おほほしく 照れる月夜つくよの 見れば悲しさ
《霧立って  ぼやっと照る月 見てたなら なんや悲しに なってきたがな》
山の端の ささら壮士をとこ 天の原 渡る光 見らくしよしも
《山のはし かかって光る お月さん 空渡るんを 見てたら楽し》 
                         ―大伴坂上郎女おおとものさかのうえのいらつめ―〈巻六・九八一~三〉

果たして  安麻呂の策 功を奏すか




坂上郎女編(2)塞きに塞くとも

2010年05月21日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年3月23日】

うつくしと 我がふ心 速川はやかわ
           きにくとも なほやえなむ




「お父さま 皇子みこ様 とてもお優しいの」
「きっと あの『恋のやっこの』お歌 但馬の皇女ひめさまのこと はばかかくみのだと 思うの」
坂上郎女いらつめの言葉に 安麻呂は 安堵していた

暗転が襲う 
和銅八年〈715〉 
前年の安麻呂を追うかの如く  皇子は世を去る

しかし  
皮肉にも 郎女の 恋のつぼみは 一挙花開く
穂積皇子ほづみのみことの 二年余りの生活
佐保大納言家での 深窓しんそうと打って変わり
宮廷中心の  社交世界
名家の才媛に 引く手数多あまたの 妻問い
恋のり取りに 生まれ出る歌

言ふ言の かしこき国ぞ くれなゐの 色になでそ 思ひ死ぬとも
うわさする 人の言葉は おそろしで 本心ほんね隠しや なんぼろても》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六八三〉 
今はは 死なむよ我が背 けりとも 我れに依るべしと 言ふといはなくに
《もううちは 死んで仕舞しもたる 生きてても あんたその気に ならへんさかい》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六八四〉 
人言ひとごとを しげみか君が 二鞘ふたさやの 家をへだてて 恋ひつつをらむ
《人の口  うるさいよって 別々の 家に分かれて 恋い焦がれてる》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六八五〉 
このころは 千年ちとせきも 過ぎぬると 我れやしかふ 見まくりかも
《近頃は うち思うんや 千年も うてへんなと ああ いたいな》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六八六〉 
うつくしと 我がふ心 速川はやかわの きにくとも なほやえなむ
《あんたはん 恋しと思う うちの気持は 抑え付けても 溢れ出てくる》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六八七〉 
青山を 横ぎる雲の いちしろく 我れとまして 人に知らゆな
《うちの顔 じっと微笑ほほえみ 見たあかん 他人ひとに知れたら 困るよってに》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六八八〉 
海山も 隔たらなくに 何しかも 目言めことをだにも ここだともしき
《海や山 隔ててへんに 逢うことも 声掛かるんも 少ないちゃうか》 
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六八九〉 
丁々発止ちょうちょうはっしの 歌の行き交い
恋の駆け引きの  長ずるにつれ
郎女の 歌技うたわざたくみを増す





坂上郎女編(3)言尽くしてよ

2010年05月18日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年3月26日】

恋ひ恋ひて 逢へる時だに うるはしき こと尽してよ 長くと思はば


訪ね来ては  去り
去った後には  また別のが通う
そのたびに 心ときめかせ
待つ楽しさ  待つ喜びが 
やがて  苦しみとなり
男の  不実を知る
妻問いが 結ばれごとの 習慣ならいとはいえ
傷つくのは  女
このたびこそはの 願い込めて
坂上郎女いらつめは ふみしたため続ける

我れのみぞ 君には恋ふる 我が背子が 恋ふといふことは ことなぐさ
《うちだけや  恋し思うん 決まってる あんた口先 ばっかりやんか》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六五六〉 
思はじと 言ひてしものを 朱華色はねずいろの うつろひやすき 我が心かも
《恋なんか もうせえへんで うてたが うちの決心 怪しいもんや》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六五七〉 
思へども しるしもなしと 知るものを 何かここだく 我が恋ひわたる
《うちの恋 なんぼ思ても かなわへん 分かってるのに し続けとるわ》 
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六五八〉 
あらかじめ 人言ひとごとしげし かくしあらば しゑや我が背子 奥もいかにあらめ
《初めから あれこれ言われ うっとしい これやと後が 思いやられる》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六五九〉 
をと吾を 人ぞくなる いで吾君あがきみ 人の中言なかごと 聞きこすなゆめ
《ふたり仲 こ思う人 てるから あんたそんなん 聞いたらあかん》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六六〇〉 
恋ひ恋ひて 逢へる時だに うるはしき こと尽してよ 長くと思はば
《恋い焦がれ やっと逢えたで いてたら 甘い言葉を いっぱいうて》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六六一〉 

誰彼だれかれなしに 呼び込みおって
 父上が 亡くなられ 目付のなくなったを これさいわいと〉
佐保大納言家当主 旅人は 苦虫にがむしを噛んでいた
〈なんとか 一廉ひとかどの男を 妻合めあわせねば
 おおそうじゃ〉 

思い立ったが  吉日
旅人の早馬は  藤原邸を目指す
藤原房前ふささき
藤原四兄弟の  どちらかいえば 皇親派
旅人 かねてからの昵懇じっこん
使いが  邸門をくぐっていく




坂上郎女編(4)黒馬来る夜は

2010年05月14日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年3月30日】

佐保川さほがはの 小石踏み渡り ぬばたまの
             黒馬くろま来る夜は 年にもあらぬか



坂上郎女いらつめ 眼が輝いている
〈あの  当世一の美男 麻呂さま
 いま  権勢の不比等様 四男
 どこで  私の名など
 たわむれかしら
 私も  大伴家も 捨てたものでは ないのね〉

むしぶすま なごやが下に せれども 妹とし寝ねば 肌し寒しも
あったかな 布団で寝ても 肌寒い お前と一緒 寝てへんからや》
                         ―藤原麻呂―〈巻四・五二四〉 
よく渡る 人は年にも ありといふを 何時いつの間にそも 我が恋ひにける
辛抱しんぼして 一年逢わへん 彦星ひとあるに 辛抱のできん 恋してしもた》
                         ―藤原麻呂―〈巻四・五二三〉 

小躍こおどりの郎女 隠せぬ喜びを 歌にする
佐保川さほがはの 小石踏み渡り ぬばたまの 黒馬くろま来る夜は 年にもあらぬか
佐保川さほ渡り あんた黒馬うま乗り 来るのんは 毎夜ずっとの 年中欲しで》

                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・五二五〉 
千鳥鳴く 佐保の川門かはとの 瀬を広み 打橋渡す と思へば
《千鳥鳴く  佐保の川の瀬 広いんで うち橋作る あんた来るなら》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・五二八〉 

逢瀬おうせ重なり 郎女の いぶかり心ごころ 本気ごころ
千鳥鳴く 佐保の河瀬かはせの さざれ波 む時もなし 我が恋ふらくは
《千鳥鳴く 佐保の川瀬の 細波なみみたい 寄せる思いが 止まれへんがな》 
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・五二六〉 
娘子をとめらが 玉櫛笥くしげなる 玉櫛の 神さびけむも 妹に逢はずあれば
《美しい 櫛箱みたい 上等な 人間ひとなって仕舞う 逢わんかったら》
                         ―藤原麻呂―〈巻四・五二二〉 
佐保河の 岸のつかさの 柴な刈りそね ありつつも 春しきたらば 立ちかくるがね
《佐保川の  土手に生えてる 草刈らんとき そしたなら 春来たときに 隠れ逢えるで》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・五二九〉 
でてなむ 時しはあらむを ことさらに 妻恋つまごひしつつ 立ちていぬべしや
《帰るんは  頃合いあるで 奥さんが 恋しなったて 言う人あるか》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・五八五〉 
〈あんなことを  おっしゃって
 冗談だわ  冗談に違いない
 私を かまっているのね
 これも  愛情の裏返し
 ・・・きっと〉 




坂上郎女編(5)来むとは待たじ

2010年05月11日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年4月2日】

むと言ふも ぬ時あるを じと言ふを
        むとは待たじ じと言ふものを



春もおぼろの夕暮れ
坂上郎女いらつめもとへ ふみが届く
郎女いらつめは 開こうともしない
文使ふみづかいが 待っている
返事をもらわないでは  帰れないのだ
文使いは 端女はしために 返しを
取りつく島もない 

「お願いです もう 半時も待っているのですあるじ麻呂様に 叱られます」
しびれを切らせた文使いに やっと返しが届いた
「これは! わたくしが あるじから預かったものでは ないですか」
「そうです これを持って帰しなさいとの 郎女さまのおおせです」

郎女は  おぼろな月の光を見やっていた
〈決まっているわ  『今宵は 行かれぬ』との文
 何度  受け取ったことやら
 それでも  『もしや』と待っている
 それを あの人は 見透みすかしているのだ
 もう  待つものですか〉
おぼろな光が  陰る
〈雲だわ  雲まで 私の心 見ているのね
 ああ  これで もう来ないかもしれない
 私としたことが はしたないことを・・・
 そうだわ  やはり 文だけは返さなくては〉

むと言ふも
  ぬ時あるを
    じと言ふを
      むとは待たじ
        じと言ふものを


うて
   ん時もある
     ない
       るの待たんで
         ない言うんを》
                         ―大伴坂上郎女おおとものさかうえのいらつめ―〈巻四・五二七〉

春の夜は更け  風もこころなしか寒い
郎女は  雲の晴れ間を 待っている


坂上郎女編(6)長くし言へば

2010年05月07日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年4月6日】

押し照る 難波なにはすげの ねもころに 君がきこして 
                   年深く  長くし言へば・・・



麻呂との恋  遠ざかり 消える
ほぞむ 坂上郎女いらつめ

押し照る 難波なにはすげの ねもころに 君がきこして 年深く 長くし言へば 
まそ鏡 ぎしこころを 許してし その日のきはみ 波のむた なびく玉藻の 
かにかくに 心は持たず 大船の 頼める時に 

こまやかな 心づかいで 声掛けて ずっと長うに 付きおと
 言うた言葉に 警戒心けっしんを ゆるめてしもた その日から
 あんた一人と 心決め 頼りに仕様しょうと 決めたのに》
ちはやぶる 神やくらむ うつせみの 人かふらむ 
かよはしし 君も来まさず 玉梓たまづさの 使も見えず なりぬれば

《神さん見放みはなし 世間ひと邪魔し てたあんたも 遠離とおざかり 使いの人も ん始末》
いたもすべみ ぬばたまの よるはすがらに 赤らひく 日も暮るるまで 
嘆けども しるしみ 思へども たづきを知らに
 
《どう仕様しょうて 夜は夜 昼は日中ひなかを 泣き暮らす
 嘆いてみても らちあかん 思案をしても 手弦てづる無い》
幼婦たわやめと 言はくもしるく 手童たわらはの のみ泣きつつ 
たもとほり 君が使を 待ちやかねてむ 

《か弱い女  そのままに 子供みたいに 泣き続け
 うろたえしつつ あんたから 使い来んかと 待ち続けとる》   
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六一九〉 
初めより 長く言ひつつ 頼めずは かかるおもひに 逢はましものか
《ずっとやの 言葉まともに 受けんときゃ つらい思いは せんかったのに》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六二〇〉 

まそ鏡 ぎし心を ゆるしなば のちに言ふとも しるしあらめやも
《張り詰めた 警戒けいかいごころ 緩めたら 後でいても もう遅いがな》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六七三〉 
真玉またま付く をちこち兼ねて ことは言へど 逢ひて後こそ くいにはありと
心地ここちえ 言葉並べて 口説かれて 許して仕舞たら 悔い残るだけ》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六七四〉 
ほうけたようなうつろな日が 続く





坂上郎女編(7)宮に行く児を

2010年04月30日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年4月9日】

うちひさす 宮に行く児を まがなしみ
             むれば苦し ればすべなし



大伴家いえを思うあまり 人選び間違うたか
 異母妹いもうとには 可哀想をした
 気晴らしを  させてやらねば
 そうじゃ 異母弟おとうと 宿奈麿が娘 田村大嬢たむらのおおいらつめ
 宮仕えに出るとの知らせ  届いておった
 そうか  十三にもなったか
 坂上郎女いらつめを伴い 祝いに行くか〉

旅人と大伴郎女おおとものいらつめ夫婦 
坂上郎女を連れての 訪問おとない 
宿奈麿邸は 大童おおわらわであった
先妻の子 
宿奈麿にとって  妻の忘れ形見
幼女とばかりに  接してきただけに
うろたえが先に出る 
「お父さま  しっかりなさい
 母のない子が  宮仕えに出るのです
 早いに越したことはないと みなが言われる
 私も  そう思い 決心したのです
 お父さまが  そんなでは 困ります」
父を  励ます 田村大嬢
「おやおや  これは 反対ではありませぬか」
坂上郎女は  あきれ返って 宿奈麿を見る

涙顔の  宿奈麿
「そうは 言っても こんな 幼女こどもを・・・」

うちひさす 宮に行く児を まがなしみ むれば苦し ればすべなし
宮処みやどこへ 幼気いたいけない子 出すのんは 行かせたいけど 行かせともない》
難波潟なにはがた 潮干しほひ波残なごり くまでに 人の見る児を 我れしともしも
いとに 見飽きるほども 逢える奴 うらやましいで ワシ複雑や》 
                         ―大伴宿奈麿―〈巻四・五三二~三〉 

うろうろして  役立たずの宿奈麿を尻目に 
坂上郎女は 甲斐甲斐かいがいしく 支度を手伝ってやる
見守る  旅人の眼が細い

〈ワシは  間違っていたやも知れぬ
 父安麻呂は  皇親派との 繋がりを求め
 ワシは  権勢派との 結びつきを 考えた
 係累けいるいの大きくなった 大伴家 
これの 固めこそ 今すべきことの大事〉

親戚縁者が  佐保大納言邸に 続々詰めかける
婚儀の席 
正面 内裏雛だいりびなぜんとして 並ぶは
新郎  大伴宿奈麿
新婦  大伴坂上郎女
時に  新郎五十 新婦二十七




坂上郎女編(8)継ぎて相見む

2010年04月27日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年4月13日】

そとて 恋ふれば苦し 吾妹子わぎもこ
             ぎて相見む ことはかりせよ



神亀じんき五年〈728〉夏 大宰府からの急使
旅人赴任同行の 妻大伴郎女おおとものいらつめ死去の知らせ
次いで 家持からの 要請ようせいぶみ
《父 旅人の  落ち込み 只事では ありませぬ
 叔母おば上の 下向 乞い願うばかり》
時に 家持十一歳 必死の願いぶみ
前年 宿奈麿を亡くし 寡婦かふの身の坂上郎女いらつめ
した 大嬢おおいらつめ 二嬢にのいらつめの 幼子おさなごを抱えていた
急遽きゅうきょのこと 田村大嬢たむらのおおいらつめの宿下がりを 願い出
二人を託し  筑紫へと急ぐ

留守宅を  預かる 田村大嬢
忠実忠実まめまめしい 世話のなか
同母妹とも見紛みまがう絆が この時生まれた

やがて 佐保邸家刀自いえとじとなった 郎女
大嬢おおいらつめ 二嬢にのいらつめは 引き取られる
田村邸に  一人残る 田村大嬢
大嬢への  募る思慕
そとて 恋ふれば苦し 吾妹子わぎもこを ぎて相見む ことはかりせよ
《別々の 暮らしはつらい ねえあんた 会える手だてを 考えてえな》
遠くあらば わびてもあらむを 里近く りと聞きつつ 見ぬがすべなさ
《遠いとこ るんやったら 仕様しょうないが 近く住んでて 会えんの淋し》
白雲の  たなびく山の 高々に 我が思ふ妹を 見むよしもがも
《首のばし  あんた会える日 待ってるが 会える手だては 無いもんやろか》
いかならむ 時にか妹を 葎生むぐらふの 汚なき屋戸やどに 入りいませてむ
《むさくるし このあばに あんたをば いつになったら 迎えられんや》
                         ―大伴田村大嬢―〈巻四・七五六~九〉 

係累けいるいの無いまま 生母実家 飛鳥奈良思ならし岡に 引き籠こもった田村大嬢
大嬢への  思慕は続く
茅花ちばな抜く 浅茅あさぢが原の つほすみれ 今盛りなり 我が恋ふらくは
《ツボスミレ  花がいっぱい 咲いとおる うちもいっぱい あんた会いたい》
                         ―大伴田村大嬢―〈巻八・一四四九〉 
故郷ふるさとの 奈良思ならしの岡の 霍公鳥ほととぎす ことりし いかに告げきや
奈良思ならし岡 さとホトトギス らしたが ちゃんとあんたに 伝えたやろか》 
                         ―大伴田村大嬢―〈巻八・一五〇六〉 

我が屋戸やどの 秋の萩咲く 夕影ゆふかげに 今も見てしか 妹が姿を
《夕暮れの  咲いた秋萩 見とったら あんたの姿 見とうなったわ》
我が屋戸やどに 黄変もみ鶏冠木かへるで 見るごとに 妹を懸けつつ 恋ひぬ日は無し
《庭先の 赤いかえでを 見るたんび あんたのことを いっつも思う》
                         ―大伴田村大嬢―〈巻八・一六二二~三〉 

老境  田村大嬢に なお大嬢への思慕は尽きない
沫雪あわゆきの ぬべきものを 今までに 流らへぬるは 妹に逢はむとぞ
《雪みたい 消えになって 生きてるは あんたに会おと 思うよってや》
                         ―大伴田村大嬢―〈巻八・一六六二〉 




坂上郎女編(9)誰とか寝らむ

2010年04月23日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年4月16日】

山菅やますげの 実成らぬことを 我れに
             言はれし君は たれとからむ


【大坂峠の道 右手が名児山の山裾】



ここ筑紫 
都の洗練才女の坂上郎女いらつめ
次々届く  相聞歌

旅人配下百代ももよも 声かける
事も無く 生きしものを おいなみに かかる恋にも 我れはへるかも
《平凡に  生きてきたのに 年取って こんなせつない 恋するかワシ》
恋ひ死なむ のちは何せむ ける日の ためこそ妹を 見まくりすれ
《恋狂い  して死んだかて 意味ないで 生きてるうちに 逢いたいもんや》
おもはぬを 思ふと言はば 大野おほのなる 三笠のもりの 神し知らさむ
《嘘ついて 愛してるやて 言うたなら 三笠の神さん ばち当てはるで》
〈嘘やないから 罰当たらんで〉
いとま無く 人の眉根まよねを いたづらに かしめつつも 逢はぬ妹かも
《人のまゆ しょっちゅかせて その気させ うてくれんと 悪いひとやで》
                         ―大伴百代おおとものももよ―〈巻四・五五九~六二〉

三十路みそじに乗った郎女 それとは無しの拒み
黒髪に 白髪しらかみまじり ゆるまで かかる恋には いまだ逢はなくに
《黒髪に 白髪しらがじる 年なって こんな恋した ことあれへんわ》
山菅やますげの 実成らぬことを 我れにせ 言はれし君は たれとからむ
《うちのこと  思てるなんて 嘘言いな あんた誰かと 寝てるくせして》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・五六三~四〉 

天平二年〈730〉そちの任解かれし旅人
前もっての  帰京の道を辿る郎女
宗像郡むなかたのこおり 名児山なごやま その名に誘われ 思わず詠う 恋の歌
大汝おほなむち 少彦名すくなひこなの 神こそば 名付けめけめ 
名のみを 名児山なごやまひて 我が恋の 千重ちへ一重ひとへも 慰めなくに

大汝おおなむち 少彦名すくなひこなの 神さんが 名前を付けた 名児山は
 名前倒れや うちの恋 万に一つも なごめへんがな》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻六・九六三〉 
我が背子に 恋ふれば苦し いとまあらば ひりひて行かむ 恋忘貝こひわすれがひ
《貝拾ろお  あんた思たら 胸苦し 恋を忘れる 片貝拾ろお》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻六・九六四〉 

帰京ののちも 筑紫が 偲ばれる
今もかも 大城おほきの山に 霍公鳥ほととぎす 鳴きとよむらむ 我れ無けれども
《ホトトギス 今も大城山おおきで 鳴いてるか うち平城こっちきて らへんけども》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一四七四〉 
何しかも  ここだく恋ふる 霍公鳥 鳴く声聞けば 恋こそまされ
《ホトトギス 鳴く声なんで 待つんやろ 聞いたら余計よけい 恋しなるのに》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一四七五〉 





<名児山>へ



<三笠の社>へ


坂上郎女編(10)田蘆(たぶせ)に居れば

2010年04月20日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年4月20日】

しかとあらぬ 五百代いほしろ小田をだを 刈りみだ
             田廬たぶせれば 都し思ほゆ



旅人が  没した
大宰府より帰還  大納言を拝命した翌年
享年六十七の 身罷みまかりであった
帰京後の半年ばかりは 
亡妻大伴郎女おおとものいらつめを 偲ぶ日々であった

異母兄あに旅人を亡くし さすがの坂上郎女いらつめも 気落ちのきわみを 味わっていた

鳴く鳥  咲く花 季節の移ろい
生まれる歌に  寂しさ漂う

霍公鳥ほととぎす いたくな鳴きそ ひとり居て らえぬに 聞けば苦しも
《ホトトギス そないに鳴きな 聞いてたら ひとり悶々もんもん 寝られへんがな》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一四八四〉 
咲く花も をそろはいとはし おくてなる 長き心に なほかずけり
見頃みごろ前 あわて咲く花 きらいやな おそに咲くんが うちええ思う》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一五四八〉 
妹が目を 始見はつみの崎の 秋萩は この月ごろは 散りこすなゆめ
《よう咲いた 始見はつみの崎の 秋萩よ ここ一月ひとつきは 散らんといてや》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一五六〇〉 
隠口こもりくの 泊瀬はつせの山は 色づきぬ 時雨しぐれの雨は 降りにけらしも
泊瀬山はつせやま 黄葉もみじの色に 染まってる 時雨しぐれも降って 秋くんやな》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一五九三〉 
吉隠よなばりの 猪養いかひの山に 伏す鹿の 妻呼ぶ声を 聞くがともしさ
猪養山いかいやま んでる鹿が 妻呼んで 鳴くの聞いたら けてくるがな》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一五六一〉 
沫雪あわゆきの この頃ぎて かく降らば 梅の初花はつはな 散りか過ぎなむ
沫雪あわゆきが 続き毎日 降って来る 咲いた梅花 散って仕舞まううがな》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一六五一〉 
松蔭まつかげの 浅茅あさぢの上の 白雪を たずて置かむ ことはかも無き
松蔭まつかげの かやに積もった 白雪を そっと置いとく すべないやろか》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一六五四〉 
しかとあらぬ 五百代いほしろ小田をだを 刈りみだり 田廬たぶせれば 都し思ほゆ
ひろもない 田圃たんぼ耕し 暮らしてる 田舎ったら 都懐かし》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一五九二〉 

故郷ふるさと 飛鳥の地
心安らぎはするが 
都慣れした郎女 平城ならにぎわいが 恋しい







坂上郎女編(11)平城の明日香を

2010年04月16日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年4月23日】

故郷ふるさとの 飛鳥あすかはあれど あをによし
         平城なら明日香あすかを 見らくし好しも



〈空気が違うわ 
 飛鳥のは  澄んではいるが 重苦しい
 平城ならの明日香は 華やぎの香り
 私は  やはりここがいい〉

故郷ふるさとの 飛鳥あすかはあれど あをによし 平城なら明日香あすかを 見らくし好しも
故郷ふるさとの 飛鳥ええけど ここ平城ならの 明日香もええな なんぼ見てても》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻六・九九二〉 
尋常よのつねに 聞けば苦しき 呼子鳥よぶこどり 声なつかしき 時にはなりぬ
《いつもなら 聞く気せえへん 郭公鳥かっこどり 気持ち聞ける 季節なったで》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一四四七〉 

平城風ならかぜに染まる 心に 
恋の奴が たわむれかかる
こころぐき ものにそありける 春霞 たなびく時に 恋のしげきは
《恋心 つのってるとき 春霞 ぼやっと棚引たなびき うっとしなるわ》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一四五〇〉 
いとまみ ざりし君に 霍公鳥ほととぎす 我れかく恋ふと 行きて告げこそ
ひまいて ん人に ホトトギス 恋しがってる 言うて来てんか》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一四九八〉 
五月さつきの 花橘を 君がため たまにこそけ 散らまく惜しみ
《散らすんが 惜しい橘 花つなぎ 薬玉たまにしてるで あんた思うて》 
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一五〇二〉 
夏の野の  繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ
《知られんで  ひとり思てる 恋苦し 夏の繁みで 咲く百合みたい》 
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一五〇〇〉 

ひさかたの あまの原より たる 神のみこと 奥山の 賢木さかきの枝に 
白香しらか付け 木綿ゆふ取り付けて 斎瓮いはひべを いはひほりすゑ 竹玉たかだまを しじき垂れ 
猪鹿ししじもの ひざ折り伏して 手弱女たわやめの 襲衣おすひ取り懸け
 
《雲分けて はるかな天の 高みから くだりこられた 神さんに 山からった 榊枝さかきえだ
 白髪しらが木綿ゆうと 取り付けて 清い酒壷 掘ってえ 竹玉いっぱい ぶら下げて
 けものみたいに ひれ伏して か弱い女が 祈布ぬのを掛け》
かくだにも 我れはひなむ 君に逢はじかも
《こんないっぱい  祈ります どうかあの人 逢わして欲しい》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻三・三七九〉 
木綿畳ゆふだたみ 手に取り持ちて かくだにも 我れはひなむ 君に逢はじかも
木綿布ゆうぬのを 手にし祈るよ 懸命に どうかあの人 逢わせて欲しい》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻三・三八〇〉 
男運の悪い郎女 
旅人も亡くし 
ない心の 置きどこを求め続ける




坂上郎女編(12)しましはあり待て

2010年04月13日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年4月27日】

恋ひ恋ひて 逢ひたるものを 月しあれば
           こもるらむ しましはあり待て



坂上郎女いらつめ 稲公いなきみ 駿河麻呂
郎女の従弟いとこ 安倍虫麻呂
居並び  平伏 
一同をめ付ける なき安麻呂正妻 石川内命婦いしかわのうちみょうぶ
佐保大納言家を取り仕切る大刀自おおとじ

「そなたら 先頃さきごろの 神祭り 何というざまじゃ
 神祭りといえば  
 天孫降臨をお導きした 家の祖 天忍日命あめのおしひのみことまつる神事
 事もあろうに その席で 拝礼装束しょうぞくでの 相聞詠み 如何なる所存じゃ 郎女 
 その他の者も  同罪じゃ」
「今より 外部男女相聞は法度はっと
 歌修練は  一族身内相聞のみとする」

~大伴稲公の田村大嬢への相聞〈郎女代作〉~ 
あひ見ずは 恋ひずあらましを 妹を見て もとなかくのみ 恋ひばいかにせむ
《せえへんで 逢わんかったら こんな恋 うたこの胸 どう仕様しょうもない》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・五八六〉 

~大伴駿河麻呂と坂上郎女との相聞~ 
大夫ますらをの 思ひびつつ たびまねく なげく嘆きを はぬものかも
わびしゅうに 男嘆くか 何べんも 女のあんた どうなんやろか》
                         ―大伴駿河麻呂―〈巻四・六四六〉 
心には 忘るる日なく おもへども 人のことこそ しげき君にあれ
《いついつも 心にかかる あんたはん 他人ひとうるそうて 逢われへんがな》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六四七〉 
あひ見ずて 長くなりぬ この頃は いかにさきくや いふかし吾妹わぎも
《この頃は なごう逢わんと るけども あんたどしてる ちょっと気になる》
                         ―大伴駿河麻呂―〈巻四・六四八〉 
くずの 絶えぬ使の よどめれば 事しもあるごと 思ひつるかも
《絶えず来た 使いこのごろ 来えへんな あんたに何か あったんちゃうか》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六四九〉 

~安倍虫麻呂と坂上郎女との相聞~ 
向ひて 見れどもかぬ 吾妹子わぎもこに 立ち別れ行かむ たづき知らずも
《一緒て 見飽きん お前別れるて そんな方法 思い着かんで》
                         ―安倍虫麿―〈巻四・六六五〉 
あひ見ぬは 幾ひささにも あらなくに ここだく我れは 恋ひつつもあるか
《このあいだ うたとこやに なんでまた 逢いたなるんや 恋しなるんや》
恋ひ恋ひて 逢ひたるものを 月しあれば こもるらむ しましはあり待て
《久し振り うたんやから ゆっくりし 夜明けまだやし 道暗いから》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・六六六~七〉 
一族内の身内相聞 
恋心の たかぶりは無いが ほのぼのと 心は通う





坂上郎女編(13)飲みての後は

2010年04月09日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年4月30日】

酒杯さかづきに 梅の花け 思ふどち
           飲みてののちは 散りぬともよし



坂上郎女いらつめは 厳しい説諭せつゆを受けていた
一同集められての訓戒くんかいあと
「大伴家本流は  今や 佐保大納言家 
 跡取りは家持じゃ 
 しかるに いまだ若年 後ろだてとて思うに任せず
 老いけたわしでは 如何いかんともし難い
 頼むは  そなたじゃ
 今後の 家刀自いえとじの役目 そなたに託す
 しかるべき人物とのよしみを築き 一族をたばねることが肝要ぞ」
石川内命婦いしかわのうちみょうぶの言葉に 身を固くする郎女

〈先ず  一族融和を図らねば〉
佐保大納言邸  
連日の 一族結束図りのえん
仕切るは 家刀自坂上郎女いらつめ

「さあ 皆の者 うたげじゃ えんじゃ 
一族縁者えんじゃの 固めのえんじゃ」
軽口を 飛ばして 郎女がうた

かくしつつ  遊び飲みこそ 草木すら 春は咲きつつ 秋は散りゆく
《草木かて 春に花咲き 秋は散る 飲んで遊んで たのしに暮らそ》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻六・九九五〉 

〈そうそう 大宰府での 梅花うめはなうたげにあったぞ
 『酒杯さかづき梅』に 『散りぬともよし』〉

酒杯さかづきに 梅の花け 思ふどち 飲みてののちは 散りぬともよし
梅花うめはなを 酒杯さかづき浮かべ 友どうし 飲んで仕舞しもたら 散ってええやん》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻八・一六五六〉 
つかさにも 許したまへり 今夜こよひのみ 飲まむ酒かも 散りこすなゆめ
《おかみかて かめへんてる 宴会や 酒のみ明かそ 梅散らさんと》
                         ―こたふる人―〈巻八・一六五七〉
〈よしよし 風紀紊乱びんらんにより 宴酒うたげざけは禁じられておるが 身内酒は 許されておる〉

「駿河麻呂殿 
 そなた  家持と同じ年ごろ
 友に 見込みある人物もの 誰ぞあるか
 後ろ盾無き家持のため  友を選んでおきたい」
「それならば 似つかわしい御仁ごじんが 
 葛城王かつらぎおう〈後の橘諸兄たちばなのもろえ〉の御子息 奈良麻呂殿
 若年ながら 才気さいき煥発かんぱつ人物ひと
「おお  橘三千代様のお孫か 高みじゃのう」
「何を 小母おば様なら
 虎穴に入らずンばですよ」 

山守やまもりの ありける知らに その山に しめひ立てて ひのはぢしつ
《山番が るの知らんと 山はいり しるし付けたで 恥ずかしことに》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻三・四〇一〉 
山主やまもりは けだしありとも 吾妹子わぎもこが ひけむしめを 人かめやも
《山番が ってもええで あんた来て 付けたしるしや 誰ほどくかい》
                         ―大伴駿河麻呂―〈巻三・四〇二〉 





坂上郎女編(14)新羅の国ゆ

2010年04月06日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年5月7日】

栲綱たくつのの 新羅しらきの国ゆ 人言ひとごとを よしと聞かして・・・ 


「橘三千代様か  先年お亡くなりになられたが
 不比等様とのお子 光明子こうみょうし様が 聖武帝皇后
 伝手つて辿たどるには 母上内命婦うちみょうぶさまのお仲立ちが無くてはかなわぬな」
「母上は  今 皆を連れ 有間の湯
 色々と  掛けた心労が災いしての療養旅
 帰られての  ご相談と致そう」
思案の坂上郎女いらつめに 下女が駆け込んできた
「郎女様 理願りがんさまが お倒れに・・・」

尼理願 
過ぐる  持統四年〈690〉
新羅より渡来  帰化した僧俗五十人の一人
多くは  関東へと送られたが
先に来朝の新羅使 金智祥きんちしょうよりの書状持参
世話になった  大伴安麻呂を頼れとの文面
特別のはからいを以って 佐保大納言邸に寄宿していた
その  尼理願が 倒れたという
駆け付ける  郎女
せめて石川内命婦の帰還まではとのねがいむなしく
あわただしいばかりの身罷みまか
急ぎの便りが  有間の湯へと飛ぶ

栲綱たくつのの 新羅しらきの国ゆ 人言ひとごとを よしと聞かして 問ひくる 親族うから兄弟はらから 無き国に 渡りまして
《新羅から 日本の国が ええ聞いて 親兄弟も れへんに 渡り来られた この国の》
大君の 敷きます国に うち日さす みやこしみみに 里家さといへは さはにあれども 
いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保さほ山辺やまへに 泣く児なす したまして 
敷栲しきたへの いへをも造り あらたまの 年の長く 住まひつつ いまししものを
 
《都に家は 多いのに どない思たか 縁もない この佐保山に したい来て
 家作られて 年月を 住まい暮らして 来られたが》 
生ける者 死ぬといふことに まぬかれぬ ものにしあれば 
たのめりし 人のことごと 草枕 旅なるほど
佐保河さほかはを 朝川あさかは渡り 春日野かすがのを 背向そがひに見つつ
あしひきの 山辺やまへをさして くれくれと かくりましぬれ
 
《世の中定め  人いつか 死ぬと決まった ことやけど
 頼りうてた 人みんな たまたま旅で 留守のうち
 佐保の川瀬を 朝渡り 春日かすがの野原 背ぇ向けて 山の闇へと 隠られた》
言はむすべ むすべ知らに たもとほり ただひとりして 
白栲しろたへの 衣手ころもでさず 嘆きつつ 我が泣く涙 有間山ありまやま 雲居たなびき 雨に降りきや

《何もでけへん 言われへん あちこち彷徨さまよい 一人して 
 喪服の袖を 泣き濡らす 流す涙は 雲となり 有間山へと 雨降らす》     
                         ―大伴坂上郎女―〈巻三・四六〇〉 
とどめ得ぬ 命にしあれば 敷栲しきたへの 家ゆはでて 雲隠くもがくりにき
《永遠の 命ちゃうから 住み慣れた 家を出ていき 雲なりはった》 
                         ―大伴坂上郎女―〈巻三・四六一〉 




坂上郎女編(15)むささびそこれ

2010年04月02日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年5月11日】

大夫ますらをの 高円山たかまとやまに めたれば
           里にる むざさびそこれ



宮中の見知りの女官から  便りが届く
《光明皇后お付きの女官  
 賀茂神社かものやしろ 四月第二のとり祭礼におもむく手筈
 よしみつなぎの好機とするは如何いかが
ねての手配が 功を奏す

お付き女官は 郎女かつて参内さんだい懇意こんい
渾身こんしんの作を ことづける
橘を 屋前やどおほし 立ちてゐて のちゆとも しるしあらめやも
《高級な 橘庭に 植えたんで 上手じょうず育てな 悔いが残るで》 
吾妹子わぎもこが 屋前やどの橘 いと近く ゑてしからに 成らずはまじ
貴女あんたはん 植えた橘 うち身近 きっと一緒に 実のらせましょや》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻三・四一〇~一〉 
昨天平八年〈736〉十一月  
臣籍降下を許され 橘宿禰すくねの氏姓称し 
橘諸兄たちばなのもろえとなった 葛城王への 献歌である

宿願を終え 郎女の足は 近江を目指す
近江  
かの壬申の乱で  敗れた近江朝旧都
この乱で 逼塞ひっそく大伴家が 息を吹き返した
吹負ふけい 馬来田まくた 御行みゆき 安麻呂の活躍である
今またも  衰運漂う 大伴家
これの  立て直しに力をと
乱ゆかりの湖水に  盛運を祈願すべく 
手向たむけの山の峠を越える
木綿畳ゆふたたみ 手向たむけの山を 今日けふ越えて いづれの野辺のへに いほりせむ我れ
木綿布ゆうぬのを 畳み手向ける 手向け山 越えて泊まりは どこの野辺やろ》 
                         ―大伴坂上郎女―〈巻六・一〇一七〉 

余勢をっての 策は続く
昔の 首皇子おびとのみことのえにしを頼りに 
聖武帝へと里苞さとづとに思いを託す
あしひきの 山にしをれば 風流みやびなみ 我がするわざを とがめたまふな
《山里で 無粋ぶすいな暮らし してるんで つまらんもんで 御免なさいね》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・七二一〉 
にほ鳥の かづ池水いけみづ こころあらば 君に我が恋ふる こころ示さね
《にほ鳥の もぐる水さん 知ってたら うちの気持ちを 天皇きみに伝えて》
よそに居て 恋ひつつあらずは 君がいへの 池に住むといふ 鴨にあらましを
《宮中の 外で恋しと 思うより 天皇きみ住む池の 鴨なりたいな》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻四・七二五~六〉 

やがてのこと  
郎女に 高円たかまどの野の遊猟みかりの誘いが届く
大夫ますらをの 高円山たかまとやまに めたれば 里にる むざさびそこれ
狩勇士ますらおが 高円山で 追うたので 里逃げりた むささびやこれ》
                         ―大伴坂上郎女―〈巻六・一〇二八〉 
郎女の快哉かいさい 歌ににじみ出る