令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・政争の都編(28)爪弾(つまび<)夜音(よと)の

2011年11月29日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年11月29日】

梓弓あづさゆみ 爪弾つまびの とほにも
            君が御幸みゆきを 聞かくししも




後宮こうきゅうの方々との むつまじい
  ほんに 楽しげが 伝わるようじゃ)
赤駒あかごまの 越ゆる馬柵うませの 結びてし 妹が心は うたがひも
赤駒うまさく と結ぶように ちかた お前の心 信じておるぞ》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―(巻四・五三〇)
梓弓あづさゆみ 爪弾つまびの とほにも 君が御幸みゆきを 聞かくししも
《お出ましの うわさほのかに 聞こえる 心ときめく このうれしさよ》
                         ―海上女王うなかみのおおきみ―(巻四・五三一)

(これは 酒人女王さかひと様へのお歌
 帝の 回りには お花が満々いっぱいじゃ)
道にひて まししからに 降る雪の なばぬがに 恋ふといふ我妹わぎも
《道でて 笑顔えがお見せたら 「おそて 身ぃちじまして しとてる」言うか》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―(巻四・六二四)

 なになに また これは
 八代女王やしろ様は 帝のご寵愛ちょうあい ただならぬにより 色々な 悪戯わるさわれたやに 聞き及びしに 
 何のみそぎぞ 
  自らのでは あるまい
 かかりしわざわいの けがれ落としやも)
君により ことしげきを 故郷ふるさとの 明日香の川に 禊身みそぎしに行く
大君おおきみの ことでやかまし 言われるで 故郷くに明日香川あすかで きよめてます》
                         ―八代女王やしろのおおきみ―(巻四・六二六)

皇太后こうたいごう様をしての このお歌
  帝の お人柄であろうや)
我が背子と 二人ふたり見ませば 幾許いくばくか この降る雪の 嬉しくあらまし
二人ふたりして この降る雪を 見るのなら さらに一層いっそう 嬉しいやろに》
                         ―光明皇后こうみょうこうごう―(巻八・一六五八)

しみじみと 歌作かさくる 家待
ふと 気付くに
そこには 帝近時きんじの歌は 

家持 は 改めて 帝の苦悩の日々を 見る思いと共に
緊迫きんぱく深める 政局動向に 思い戻され
 を固くした

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家待・政争の都編(27)造れる室(むろ)は

2011年11月25日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年11月25日】

はだすすき 尾花をばなさか
      黒木もち 造れるむろは 万代よろづよまでに




(おう これは 節度使せつどし派遣の折の お歌
 帝王ていおうとしての りんとしたお姿が 浮かぶ
 それにしても しんいたわりの 心持ち
  お人柄じゃ)

す国の とほ朝廷みかどに いましらが かくまかりなば たひらけく 我れは遊ばむ むだきて 我れはいまさむ  
ちんおさめる 地方ちほうの国に 汝等なんじらみなが おもむくからに ちんの心は 平穏へいおんなるぞ 手をこまねいて 安らぎるぞ》
天皇すめらわれ うづの御手みてもち かきでぞ たまふ うちでぞ たまふ 帰りむ日 あひまむぞ このとよ御酒みき
ちんみずから この手でもって 髪でて ねぎらいするぞ 頭さすって ねぎらいするぞ 無事の帰りを いたした日には またも飲もうぞ この祝い酒》 
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―(巻六・九七三)
大夫ますらをの 行くといふ道ぞ おほろかに 思ひて行くな 大夫ますらをとも
《行く道は 勇士ゆうしおとこの 行く道ぞ あだおろそか 思うなよいか》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―(巻六・九七四)

(おお こうして 皆も ていを称えておる)
たみ我れ 生けるしるしあり 天地あめつちの 栄ゆる時に あへらく思へば
《この国の たみまれて がたや さかえの御代みよに 生まれ合わせて》
                         ―海犬養岡麻呂あまのいぬかいのおかまろ―(巻六・九九六)

(ここにも しんを思われるお歌 残ってる)
九月ながつきの その初雁はつかりの 使つかひにも 思ふ心は 聞こえぬかも
九月あき来たら 飛び初雁かりが 使者つかいなり しとてる心 つたわらんかな》
                         ―桜井王さくらいのおおきみ―(巻八・一六一四)
おほうらの その長浜に 寄する波 ゆたけく君を 思ふこのころ
おおうら 長浜ながはま寄せる 波みたい お前たのもし 思うておるぞ》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―(巻八・一六一五)

(これは 長屋ながやおう様 邸宅ていたくでのうたげ
  かようなことも あらせられたか)
はだすすき 尾花をばなさかき 黒木もち 造れるむろは 万代よろづよまでに
すすきばな さかさにいて 黒木くろきえ 造った家よ 栄えよはるか》(黒木=皮のままの丸木)
                         ―元正天皇げんしょうてんのう―(巻八・一六三七)
青丹あをによし 奈良の山なる 黒木もち 造れるむろは せど飽かぬかも
《奈良山の 黒木くろき使こうて 普請ふしんした この家ると くつろぎ出来る》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―(巻八・一六三八)


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家待・政争の都編(26)雁が音(ね)寒く

2011年11月22日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年11月22日】

今朝けさ朝明あさけ 雁が寒く 聞きしなへ 
            野辺のへ浅茅あさぢぞ 色づきにける





運命さだめを背負っての誕生であらせられた
奇しくもの 同年 光明こうみょう皇太后こうたいごう様 ご生誕
父君 文武もんむ帝は
天武大帝たいてい 皇子らとの 後継争いに
祖母持 統帝・義父藤原不比等殿の支え得ての
帝位継承けいしょう 
その父君を よわい七才にして亡くされ
後を継ぐべくの 運命責務せきむ
帝位は 祖母げんみょう帝 伯母げんしょう帝と渡り
やがて  即位
即位間 なしには 
夫人ぶじん光明子との子 もといおう 一歳待たずの身罷みまか
追うように 長屋ながやおうの変事
治世は 律令制度下での 藤原氏専横せんおう
国のあるじたる者として 懊悩おうのうの日々

やがて 襲い来たった 疱瘡いもがさの大嵐
藤原四 兄弟の 相次ぐ死去
廟堂びょうどう中心に おどり出られた 橘諸兄もろえ
帝の信任厚く 皇親こうしん政治復活のきざ
突如とつじょ起こった 藤原広嗣ひろつぐ蜂起ほうき
彷徨ほうこう五年の流浪るろう
藤原仲麻呂なかまろ台頭で くすぶる政情不安
安積あさか皇子みこの 不審死
大仏開眼かいげん
橘諸兄もろえ様失脚と 帝の崩御ほうぎょ

家持は 父大伴旅人たびとから聞かされ
自ら の 目で見 耳に聞いた
帝位を廻る 権謀けんぼう術数じゅっすうの数々を思い
暗澹あんたんたる 思いでいた

づくえの上
  並びに 関わりの人々の 歌が並んでいる

(これは これは 何ともさわやかなお歌
 いまだ 帝にお着きになられる前であろうか
  伸び伸びとして 
 心 おだやかで あらせられたか)

秋の田の 穂田ほだを雁がね くらけくに のほどろにも 鳴き渡るかも
《朝まだき まだ暗いのに 秋の田の 穂の上かりが 鳴き飛んで行く》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―(巻八・一五三九)
今朝けさ朝明あさけ 雁が寒く 聞きしなへ 野辺のへ浅茅あさぢぞ 色づきにける
がたに かり寒々さむざむと 聞いたあと 野辺のべ浅茅あさじの 色付いろづき見たよ》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―(巻八・一五四〇)


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家待・政争の都編(25)水脈(みを)早みかも

2011年11月18日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年11月18日】

堀江ぐ 伊豆手いづての船の かじつくめ
             音しば立ちぬ 水脈みを早みかも




やまい 重患じゅうかんに至らず 回復の 聖武上皇
光明皇太后こうたいごうを 伴い 河内難波行幸みゆき
橘諸兄もろえ引退を 寂しく思う 異父妹いもうと皇太后を
ゆかり多い 難波のうたげで 晴らし差し上げる お積りか
 に 天平勝宝八年(756)三月

【河内国 馬国人うまのくにひと宅宴】
住吉すみのえの 浜松が根の したへて 我が見る小野をのの 草な刈りそね
《ここの庭 ひそかなわしの 気に入りや このままそっと 手ぇ付けんとき》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四五七)

鳰鳥にほどりの 息長おきなが川は 絶えぬとも 君に語らむ 言尽ことつきめやも
息長おきながの 川みずれて 仕舞しもうても あんたと話す 言葉尽きんで》
                         ―馬国人うまのくにひと―(巻二十・四四五八)

あしりに 堀江ぐなる かじおとは 大宮人おほみやびとの 皆聞くまでに
《葦刈りに 堀江いでる かじの音 よう聞こえてる 大宮じゅうに》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―(巻二十・四四五九)
                           (大原今城おおはらのいまきが少し前に作った歌を池主読む)
                                    【三月七日】

 難波 堀江浜】
堀江ぐ 伊豆手いづての船の かじつくめ 音しば立ちぬ 水脈みを早みかも
《堀江行く 船かじしむ 音響く 水の流れが 早いみたいや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四六〇)
堀江より 水脈みをさかのぼる かじの 無くぞ奈良は 恋しかりける
《堀江から のぼる船かじ 音ずっと ずっと奈良宮ならみや 恋しいこっちゃ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四六一)
ふなぎほふ 堀江の川の 水際みなきはに つつ鳴くは 都鳥かも
きそう 堀江の川の 水際みずぎわに 来て鳴く鳥は みやこどりかな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四六二)

霍公鳥ほととぎす まづ鳴く朝明あさけ いかにせば 我がかど過ぎじ 語りぐまで
《初鳴きの ほととぎすめ 鳴かすすべ 無いもんやろか 自慢するのに》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四六三)
霍公鳥ほととぎす けつつ君が 松蔭まつかげに ひも解きくる 月近づきぬ
《ほととぎす 心待ちして あんた待つ くつろぎ遊ぶ 月もうすぐや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四六四)
                                   【四月二十日】

行幸みゆき途中 上皇 病状悪化
都へ取って返すも 五月二日 崩御ほうぎょ


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家待・政争の都編(24)吹き扱(こ)き敷ける

2011年11月15日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年11月15日】

秋風の 吹きき敷ける 花の庭
          清き月夜つくよに 見れどかぬかも




  勝宝七年(755)八月 
大極殿南院 孝謙天皇催しの 内裏だいり
群臣 列席の中
安宿王あすかべおう 女官のきらびやかを詠う

娘子をとめらが たま裾引く この庭に 秋風吹きて 花は散りつつ
娘子おとめ達 すそを引いて 歩く庭 秋の風吹き 萩花はな散っとおる》
                         ―安宿王あすかべのおおきみ―(巻二十・四四五二)

家持  歌作るも 用向きあって中座 奏さず

秋風の 吹きき敷ける 花の庭 清き月夜つくよに 見れどかぬかも
《秋風が 吹き飛ばしした 花庭はなにわは 月さわやかで おもむき深い》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四五三)
                                   【八月十三日】

十一月 
さて 問題のうたげ 奈良麻呂邸

高山の いはほふる すがの根の ねもころごろに 降り置く白雪
《高山の 岩にえてる 菅根すがねやで びっしり白雪しらゆき 積もってるがな》
                         ―橘諸兄たちばなのもろえ―(巻二十・四四五四)
                                 【十一月二十八日】

この 
先月 よりの 聖武上皇 病状深刻に
 もしやのこと 有りし時 云々』
の 憂慮ゆうりょ言の葉 発せし 橘諸兄もろえ
これが 曲解きょっかい生み 策に利用されしか

上皇侮蔑ぶべつが件 経緯いきさつ聞いた 家持 
筑紫 で見た 苦悩旅人の顔 思い出す
(あれは 確かじん六年(729)二月
 藤原氏陰謀により 長屋ながやおう追い込まれ自害
 長屋王おうも左大臣であられた
  なんたる因縁 
 ひそかに聞くところ
 奈良麻呂殿 画策かくさくの 盟主候補
 黄文きぶみおう 安宿あすかべおうは 長屋王の御子おこ
  これまた 因縁)

もしやと家持 歌綴りを
(おう あったぞ あの頃の橘諸兄もろえ様の歌
 八月 改元の 天平元年(729)か
 なん と 長屋王様事件と 同年ではないか)
  
あかねさす 昼は田びて ぬばたまの よるいとまに めるせりこれ
昼間ひるまには け仕事で いそがして よるひま見付け 摘んだせりやで》
                         ―橘諸兄たちばなのもろえ―(巻二十・四四五五)

大夫ますらをと 思へるものを 大刀たちきて 可尓波かには田居たゐに せりぞ摘みける
《役人の くせしてからに 大刀たちいて かには田んぼで せり摘んだんか》
                         ―薩妙觀せちみょうかん―(巻二十・四四五六)

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家待・政争の都編(23)花に擬(なそ)へて

2011年11月11日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年11月11日】

うるはしみ ふ君は
        なでしこが 花になそへて 見れどかぬかも





橘諸兄たちばなのもろえ 
左大臣として 政界首班しゅはんの地位にあるも
すでに よわい七十二
政治は 紫微しび中台ちゅうだいを中心に 動き
藤原 仲麻呂の実権は 
 たるものに なりつつある

天平 勝宝七年(755)十一月
一つ の事件が起こる
『左大臣橘諸兄たちばなのもろえ 上皇様侮蔑ぶべつ 反意あり』
 密告 聖武上皇へ
上皇 の信頼揺るがず 不問
恥じ入った 橘諸兄もろえ 翌年二月 辞任
これにより 橘奈良麻呂たちばなのならまろ 謀略ぼうりゃく加速
一挙殲滅せんめつ狙う 藤原仲麻呂陰謀いんぼう

事件 に先立つ 五月
橘諸兄 丹比国人たじひのくにひとたずねての うたげ
奈良 麻呂事件に 
丹比国人・たかぬしいや麻呂まろ犢養うしかいら関与
果たして  この時 取り込まれしや

我がやどに 咲けるなでしこ まひはせむ ゆめ花散るな いやをちに咲け
《庭咲いた 撫子なでしこ散るな 礼するで 若いまんまで 咲き続けてや(益々わこう って下さい)》
                         ―丹比国人たじひのくにひと―(巻二十・四四四六)

まひしつつ 君がほせる なでしこが 花のみはむ 君ならなくに
《礼やって 国人あんた育てた 撫子なでしこの 花見るだけに ここちゃうで(国人あんた見とうて 来るんやで)》
                         ―橘諸兄たちばなのもろえ―(巻二十・四四四七)

紫陽花あじさゐの 八重やへ咲く如く にを いませ我が背子せこ 見つつしのはむ
紫陽花あじさいは 花なご咲くで 見るたんび 国人あんた長生き してやと思う》
                         ―橘諸兄たちばなのもろえ―(巻二十・四四四八)
                                   【五月十一日】

七日後 橘諸兄もろえ主催のうたげ 奈良麻呂邸

なでしこが 花取り持ちて うつらうつら 見まくのしき 君にもあるかも
撫子なでしこの 花に持って 見るみたい ずっと逢いたい 橘卿あんたさんです》
                         ―船王ふねのおおきみ―(巻二十・四四四九)

家持不参 のち追和ついわは 橘諸兄もろえへの敬意か
不参は 巻き込まれ 忌避きひ

我が背子せこが やどのなでしこ 散らめやも いや初花はつはなに 咲きは増すとも
《この庭の 撫子なでしこ花は 散らへんと 咲きめ花に 負けんと咲くで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四五〇)

うるはしみ ふ君は なでしこが 花になそへて 見れどかぬかも
《素晴らしと 思う橘卿あんたは 撫子なでしこの 花と一緒や 見るたび嬉し》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四五一)
                                   【五月十八日】

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家待・政争の都編(22)染(し)みにし心

2011年11月08日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年11月8日】

うぐひすの 声は過ぎぬと 思へども
         みにしこころ なほ恋ひにけり




きょう以来の友 大原今城おおはらのいまき 今 上総かずさこくじょう
役目終えて 任地へ戻る うたげ 家持邸

「家持殿 防人検閲けんえつ ご苦労に御座った
  東国の歌 収集怠り無しと お見受けいたす
  これも中に 加えられたらと 持参
 任国 出る折 郡司妻女さいじょが はなむけうた

足柄あしがらの 八重やへ山越えて いましなば たれをか君と 見つつしのはむ
《足柄の 山々えて 行かれたら した今城あんたの わりれへん》
                         ―上総国郡司妻等かみつふさのくにのぐんじがつまたち―(巻二十・四四四〇)
 b>立ちしなふ 君が姿を 忘れずは 世の限りにや 恋ひ渡りなむ
《しなやかな 今城あんたの姿 忘れんと 命の限り おしたいするわ》
                         ―上総国郡司妻等かみつふさのくにのぐんじがつまたち―(巻二十・四四四一)

「先ほど 拝聴はいちょうの 防人任務の折 作られし
 そのかみ 難波宴 思われし歌
  これは それのお礼 としましょうや」
 元正太上天皇 御製歌】
霍公鳥ほととぎす なほも鳴かなむ もとつ人 かけつつもとな し泣くも
《ほととぎす もっと鳴け鳴け った人 思い出しして 泣きとなったで》
                         ―元正天皇げんしょうてんのう―(巻二十・四四三七)
薩妙觀せちみょうかん 元正太上天皇の詔に応えての奏上歌】
霍公鳥ほととぎす 此処ここに近くを 鳴きてよ 過ぎなむのちに しるしあらめやも
《ほととぎす もっとこ来て 鳴いとくれ 今鳴かへんと 意味無いやんか》
                         ―薩妙觀せちみょうかん―(巻二十・四四三八)
石川邑婆いしかわのおおば 元正太上天皇の詔に応えた 歌】
松がの つちに着くまで 降る雪を 見ずてや妹が こもるらむ
《松の枝 地ぃに着くまで 雪降った この雪見んと こもっとるんか》
                         ―石川邑婆いしかわのおおば―(巻二十・四四三九)

思わぬ  土産を得て 家持 
大原今城いまきとの 旧交温めの 歌がはず

我が背子せこが やどのなでしこ ならべて 雨は降れども 色も変らず
《この庭の 撫子なでしこ花は 引き続き 雨降るけども しおれまへんで》
                         ―大原今城おおはらのいまき―(巻二十・四四四二)
ひさかたの 雨は降りしく なでしこが いや初花はつはなに こひしき我が背
《雨濡れて 咲く撫子なでしこは 咲きめや まるで今城あんたや わしかれるで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四四三)
我が背子せこが やどなる萩の 花咲かむ 秋のゆふへは 我れをしのはせ
《この庭に 植えた萩花 咲く秋の よいにまたわし しのんで欲しな》
                         ―大原今城おおはらのいまき―(巻二十・四四四四)
うぐひすの 声は過ぎぬと 思へども みにしこころ なほ恋ひにけり
《鶯の 声終わりやと 思うけど 心みてて まだ聞きたいで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四四五)
                                    【五月九日】
防人 検閲任務 無事終え 心穏やか家持
この 年暮に起こる 思わぬ事態 知る由もない
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家待・政争の都編(21)都も見えず

2011年11月04日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年11月4日】

雲雀ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば
              都も見えず  霞たなびく




難波 での務め 前準備含め 二ヶ月になっていた
次々訪れる防人さきもり兵士差配さはい
慣れぬ 任務の多忙に
疲れが 気をませていた
 越を 除けば 長期の都離れは
聖武みかど 関東行幸みゆき以来か
 あのあと きょうでは
 大嬢おおいらつめありながら
 紀郎女きのいらつめ 宮中娘子きゅうちゅうおとめを 追うておった
  わしも 若かった)
家持 に 都 佐保邸 大嬢が浮かぶ

竜田たつた山 見つつ越え来し 桜花さくらばな 散りか過ぎなむ 我が帰るとに
桜花さくらばな 見ながら越えた 竜田たつた山 わし帰るとき 散り果てとるか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三九五)

堀江より 朝しほ満ちに 寄る木屑こつみ 貝にありせば つとにせましを
《朝しおが 堀江に寄せる 木のくずが もしも貝なら 土産みやげにするに》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三九六)

見わたせば むかの 花にほひ 照りて立てるは しきが妻
《見はるかす 向かいの丘に 花咲いて 花にえてる 誰や》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三九七)
                          【二月十七日】

やがて  防人任務も 終局迎え
紫微しび中台ちゅうだい派遣の役人共々
打ち上げうたげが 催される
解放 の任務納めに 皆 都が恋しい

あさな 上がる雲雀ひばりに なりてしか 都に行きて 早帰り
《毎朝に 上がる雲雀ひばりに なりたいな 都に行って すぐ戻れるに》
                         ―安倍沙美麻呂あべのさみまろ―(巻二十・四四三三)

雲雀ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞たなびく
《ほんにまあ 雲雀ひばりの上がる 春なった けど霞出て 都見えんで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四三四)

ふふめりし 花の初めに し我れや 散りなむのちに 都へ行かむ
《わし花の つぼみ時分に 出て来たが 散って仕舞てから 帰るんやろか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四四三五)
                                    【三月三日】
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家待・政争の都編(20)押し照る宮に

2011年11月01日 | 家待・政争の都編
【掲載日:平成23年11月1日】

桜花さくらばな 今さかりなり 難波なにはの海
           押し照る宮に きこしめすなへ




防人さきもり検閲けんえつ 一段落の合間
思わずに 思い浮かべし 田辺福麻呂さきまろ
 図らずも 今 ここ難波
 さき麻呂まろ殿 もたらしの 歌綴り
 あれも 難波なにわうたげであった
  もう 十一年が経ったか
  あの時 都には成れなんだが
 この にぎわい 昔と変わらずじゃ)

天皇すめろきの とほ御代みよにも 押し照る 難波なにはの国に あめの下 知らしめしきと 今のに 絶えず言ひつつ  
いにしへの 天皇すめらみことが 開かれて おおさめされた 難波なにわだと 伝え言われて 言いがれ》
けまくも あやにかしこし かむながら 我が大君おほきみの うちなびく 春の初めは 八千種やちくさに 花咲きにほひ 山見れば ともしく 川見れば 見のさやけく ものごとに 栄ゆる時と し給ひ あきらめ給ひ 敷きませる 難波なにはの宮は 
《今の御代みよなり 天皇おおきみが 霞棚引く 春始め 色とりどりの 花咲いて 見れる山は 青々と 見とれる川は きよらかで 物それぞれに さかえてて ご覧なされて 晴れ晴れと おおさめなさる 難波なにわ宮》
聞こしす 四方よもの国より たてまつる みつきの船は 堀江より 水脈みを引きしつつ 朝なぎに かじ引きのぼり ゆふしほに さをさしくだり あぢむらの さわきほひて 
《支配の及ぶ 国々が みつぎの物を 船乗せて 堀江浜から ぎ進み 朝のなぎには さかのぼり 夕のなぎには 差しくだる まるで味鴨あじがも さわや》
浜に出でて 海原うなはら見れば 白波の 八重やへ折るがうへに 海人あま小舟をぶね はららに浮きて 大御食おほみけに つかまつると 遠近をちこちに いざり釣りけり 
《浜を出てみて 海見たら 幾重かさなる 波の上 漁師小舟こぶねが 浮かんでて 差し上げ奉る 供御くごのため 海のあちこち 漁してる》
そきだくも おぎろ無きかも こきばくも ゆたけきかも 此処ここ見れば うべし神代かみよゆ はじめけらしも
《なんと広々 してるんや なんと豊かな 眺めやろ なるほどそうか 神代かみよから ここみやこした もっともや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三六〇)

桜花さくらばな 今さかりなり 難波なにはの海 押し照る宮に きこしめすなへ
難波なにわ海 光る海辺の 大宮は 桜の花が 今盛りやで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三六一)

海原うなはらの ゆたけき見つつ あしが散る 難波なにはに年は ぬべく思ほゆ
海原うなばらは ゆたか波打ち 葦の散る ここ難波なにわ宮 末なごあるよ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻二十・四三六二)
                                   【二月十三日】
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