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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・越中編(二)(01)心隔(へな)てつ

2011年08月19日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年4月日】

あしひきの 山は無くもが
          月見れば おなじき里を 心へなてつ



越前国のじょう 池主から 便りが届く
《先日のお便り 
「独り  晩春の名残りを惜しみ
 いつの日か  共の楽しみを」拝見
 たまさか 公用にて 国境くにざかいに参り
 北のかた かみ殿どのおられる 越中国府 望み
 遭いたさしきり 懐かしさ込み上げ
 矢も楯もたまらず ふみ送る次第
 意尽くせませぬが  お読み下されたく》

月見れば 同じ国なり 山こそば 君があたりを へだてたりけれ
《月見たら どこもおんなじ 国やのに あんたるとこ 山へだてとる》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四〇七三〕
桜花さくらばな 今ぞ盛りと 人は言へど 我れはさぶしも 君としあらねば
桜花さくらばな 今盛りやと みな言うが あんたらんで わしさみしいわ》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四〇七四〕
相思あひおもはず あるらむ君を あやしくも 嘆き渡るか 人の問ふまで
《こっち程 思てもらん 守殿ひとやのに なんで恋しと みな聞くんやで》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四〇七五〕
                              【天平二十一年三月十五日】 
《追伸 
 先の便りによりますと 
 昨年四月 上皇お亡くなりののち おおよそ一年ひととせ
 歌作り 停止ちょうじとのこと
 また 我輩それがし 越前転任この方 長歌ちょうか無作とか
 そこここ  お気持ち 察するものの
 歌作りは かみ殿どのが天職
 かつての 漢詩り取りの折
 「とても  人麻呂殿 赤人殿には 及びつかず」
 との 申され条 我輩それがし かねて不承知
 かみ殿どのこそ ご両所を継ぐに相応ふさわしい歌詠み
 いや むしろ はるかしのぐと 思うにより
 何卒なにとぞの 歌作り再開を
 凡夫ぼんぷの 申すところではありますれど
 お聞き入れの段  伏して願う次第》

〔それほどまでに この家待 うてくれるか
 友なればこその 諫言かんげん 無碍むげには出来ぬな〕
家持は  ようやくに 重い筆を執る

あしひきの 山は無くもが 月見れば おなじき里を 心へなてつ
《この山が 無いとえなあ 月見たら 同じ里やに 思い届かん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七六〕
我が背子せこが 古き垣内かきつの 桜花さくらばな いまだふふめり 一目ひとめ見に
《あんたた 元の屋敷の 桜花さくらばな 今つぼみやで 見にえへんか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七七〕
ふといふは えも名付けたり 言ふすべの たづきも無きは が身なりけり
《「恋しい」は え言の葉や その他は 思い付かんわ わしの気持は》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七八〕
三島野みしまのに 霞たなびき しかすがに 昨日きのふ今日けふも 雪は降りつつ
三島野みしまのに 霞棚引く 春やのに 昨日も今日も 続いて雪や》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七九〕
                                   【三月十六日】 


家待・越中編(二)(02)後(ゆり)も逢はむと

2011年08月16日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年4月26日】

百合ゆり花 ゆりも逢はむと 思へこそ
           今のまさかも  うるはしみすれ



年号が  改められた
天平二十一年〔749〕は  
四月十四日をって 天平かんぽうとなった
改元は 大仏鋳造ちゅうぞうに不足していた 黄金きん
陸奥むつの国 小田郷おだのこうりで出土 朝廷献上
みかど いたく感じ入り 感宝とされた
黄金こがね出土 改元の報に 
家待  さしたる感慨を覚えなかった
橘諸兄たちばなのもろえこころよしとしない 大仏造立ぞうりゅう故か

五月五日 家持は 東大寺僧平栄へいえいを 迎えた
東大寺に与えられた 開墾かいこん田地見聞けんぶん使いである
宴席  家持は 平栄から 
帝の 盧舎那佛るしゃなぶつへの傾倒振りを 耳にする
四月一日 
帝 東大寺におもむ
皇后 皇太子 ぐんしんひゃくりょう列し たみ参集のもと
橘諸兄もろえに大仏への詔書しょうしょを 読ませた
三宝ほとけやっこと仕え奉る天皇すめらみこと・・・』
帝の 政治動乱 天変地異を 畏怖いふ
自らの  安らぎ求めが ひしひし伝わる

うたげにおいて 酒を献じての歌詠み
今ひとつ  気に添わぬ家持 儀礼的

やき大刀たちを 砺波となみの関に 明日あすよりは 守部もりへり添へ 君をとどめむ
明日あしたから 砺波となみの関に 番人ばん置いて あんた帰るん 見張らしするわ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇八五〕
                                    【五月五日】 
平栄へいえいを 見送った数日後
さかん 秦石竹はだのいわたけの館 
百合ゆりばなかずらうたげ
夏の山百合を 豪華に飾り立てたかずらが用意
それぞれが 頭にせての宴
主人の粋な計らいが  集い面々の 陽気を誘う

あぶらの 光りに見ゆる 我がかづら さ百合ゆりの花の まはしきかも
あかりに くっきりえる このかづら 微笑ほほえみかける 百合ゆりはなかずら
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇八六〕

燈火ともしびの 光りに見ゆる さ百合ゆり花 ゆりも逢はむと 思ひそめてき
あかりに 浮かんで見える 百合ゆりの花 またまた次も 逢いとなったで》
                         ―内蔵縄麻呂くらのつなまろ―〔巻十八・四〇八七〕

百合ゆり花 ゆりも逢はむと 思へこそ 今のまさかも うるはしみすれ
《次にまた 逢いとう思う それやから 今日のうたげを 楽しゅう過ごそ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇八八〕
                                   【五月九日】 


家待・越中編(二)(03)あはれの鳥と

2011年08月12日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年4月29日】

・・・聞くごとに  心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし


霍公鳥ほととぎす
夏のおとずれ告げる 鳥
それ は 家持 心ときめかせの鳥
 主の励ましに 力を得て 詠う
 に 一年八カ月ぶりに詠む 長歌

高御座たかみくら あま日嗣ひつぎと 天皇すめろきの 神のみことの きこす 国のまほらに 
山をしも さはに多みと ももとりの て鳴く声 春されば ききかなしも
 
《天おさむ 日の神いだ 天皇おおきみの おおさめなさる え国に
 山仰山ぎょうさんに あるのんで いろんな鳥が 可愛かいらしに 春になったら 来て鳴くよ》
いづれをか きてしのはむ の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴く霍公鳥ほととぎす
《特にどれとは わへんが の花開く 月なると え声で鳴く ほととぎす》
菖蒲草あやめぐさ たまくまでに 昼らし わたし聞けど 
聞くごとに  心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし

菖蒲あやめの草を 薬玉たまにする 五月来るまで 鳴き続け 昼は日中ひなかじゅ 夜通よどおしで
 聞き続けても 胸おどり こころ満足 する鳥や 風心ええ鳥やなと いっつもおもう》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇八九〕

行方ゆくへ無く あり渡るとも 霍公鳥ほととぎす 鳴きし渡らば かくやしのはむ
《ほととぎす 浮き世のさに 暮らしても 鳴き飛ぶ声で さ忘れるわ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇九〇〕
の花の ともにし鳴けば 霍公鳥ほととぎす いやめづらしも 名り鳴くなへ
の花の 咲く同時ときに鳴く ほととぎす ここぞの声に 心かれる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇九一〕
霍公鳥ほととぎす いとねたけくは たちばなの 花散る時に とよむる
《ほととぎす なんと小憎こにくい たちばなの 花散る好機じきに 声響かすん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇九二〕
                                    五月十日】

霍公 鳥の声に 心動かされた 家持
初夏 の薫りに誘われ
渋谿しぶたに 松田まつだ に 馬をらせて
の浜辺にと立つ
じょうが崎の断崖が 海にせり出す この浜
 からの風 まともに受け 白浜伸びる
夏吹く 東風あゆが 白波を 寄せている
家持 の胸に 湧く歌心と同じに 次々と 

英遠あをの浦に 寄する白波 いや増しに 立ちき寄せ 東風あゆいたみかも
英遠あを浦に 寄せて来る白波なみ 次々や 立ってかさなる 東風かぜ激しんや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇九三〕
                                    五月十日】



家待・越中編(二)(04)小田(をだ)なる山に

2011年08月09日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年5月3日】

・・・とりが鳴く あづまの国の 陸奥みちのくの 小田をだなる山に 黄金くがねありと・・・


歌作りの心は 高揚こうよう芽生めばえを見ていた
 人麻呂殿 赤人殿の名を 
 確固たるものとした長歌ちょうか
 その長歌 何としても おのれのものとせねば〕 
思いにふける家持のもと
感涙 の 文書が届く

先の 僧へいえいらいえつ時には もたらされなかった
天下公民に発せられた『黄金こがね出土』の詔書しょうしょ
大伴おおとも佐伯さえき両氏に 言葉及び
《・・・その祖先 朝廷親衛軍として つかえ来たり
 功績甚大じんだいにして 今に及ぶ
 子孫 たるもの
 同じ の心もて 仕え奉るを旨とし・・・》

大伴家の本領とする 伴造とものみやつこのその名
帝の 詔書しょうしょに 麗麗れいれいしく記載
家持 感奮かんふん極に達し
ほとばし胸中むねなか 口をいて 歌となる

葦原あしはらの 瑞穂みづほの国を 天降あまくだり らしめしける 
皇御祖すめろきの 神のみことの 御代みよかさね 天の日嗣ひつぎと らしる 君の御代みよ御代みよ
 
あし育ち みのり豊かな この国を 天下あまくだられて おさめ来た
 ご先祖せんぞかみは だい重ね 後をがれて おさめらる 天皇すめらみことの 御代みよ御代みよに》
きませる 四方よもの国には 山川を 広みあつみと 
たてまつる 御調みつき宝は 数へえず くしもかねつ
 
《おおさめなさる 卿々くにぐには 山川おおて 豊かやで
 献上けんじょうされる 宝物 数え切れんに 多数ようけある》
しかれども 我が大君おほきみの 諸人もろひとを いざなひ給ひ 善き事を 始め給ひて 
黄金くがねかも 確けくあらむと 思ほして した悩ますに
 
《そうした中で 聖武帝おおきみが 民に呼び掛け 導かれ 大きな事業 起こされて
 黄金こがねの量が りるかと 心ひそかに なやまれた》
とりが鳴く あづまの国の 陸奥みちのくの 小田をだなる山に 黄金くがねありと 
申し給へれ 心を あきらめ給ひ
 
《丁度その時 陸奥みちのくの 小田おだの山から 黄金こがね出て
 知らせを受けた 天皇おおきみは 心晴れ晴れ なさられて》
天地あめつちの 神あひうづなひ 皇御祖すめろきの 御霊みたま助けて 
とほき代に かかりし事を 御代みよに あらはしてあれ  す国は 栄えむものと
 
《「起こした事業 たふといと 天地神々かみがみ 思われて ご先祖御霊みたま ご加護
 遠い昔に 起きたのと おんなじことを 我れに 起こされたんは この国が 栄える証拠あかし 違いない」 
かむながら 思ほしめして 物部もののふの 八十やそともを 衣従まつろへの 向けのまにまに 
老人おいひとも をみな童児わらはも が願ふ 心だらひに で給ひ おさめ給へば・・・・・・
 
おおせなされて 諸々の 臣下の心 まとめられ
 おいわかきも おんなも 願うところの 安らぎを 得られする様に 申された・・・》
                              【「にこそ死なめ」へ続く】


家待・越中編(二)(05)辺(へ)にこそ死なめ

2011年08月05日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年5月6日】

・・・海行かば かばね 山行かば 草かばね 
                 大君おほきみの にこそ死なめ・・・



【「小田をだなる山に」続き】

・・・・・・此処ここをしも あやにたふとみ うれしけく いよよ思ひて 
大伴の 遠つ神祖かむおやの その名をば 大来目主おほくめぬしと ひ持ちて 仕へしつかさ
 
《・・・なんととおとい 有難い そこで思うで 大伴は
 遠い祖先を 大来米おおくめの ぬしと云う名を 自負じふしつつ つかえ来たった つわもので》
海行かば かばね 山行かば 草かばね 
大君おほきみの にこそ死なめ かへり見は せじと言立ことだ
 
《「海をったら 水にき 山をったら 草の中
 しかばねなろと 大君おほきみの 足元死ぬぞ 後悔は せん」と宣言うそぶき》
大夫ますらをの 清きその名を いにしへよ 今のをつつに ながさへる おや子等こどもぞ 
大伴と 佐伯さへきうぢは 人のおやの 立つる言立ことだて 人の子は おやの名絶たず 
大君おほきみに 奉仕まつろふものと 言ひげる ことつかさ
 
大夫ますらをの 由緒ゆいしょある名を 昔から 今に伝えた 末裔まつえい
 大伴佐伯さえき 氏の子は ご先祖様の 言葉り 氏の名前を 絶やさんと
 天皇すめらみことに おつかえし 奉仕一途いちずの 家柄と 言いがれ行く 氏族しぞくぞよ》
梓弓あづさゆみ 手に取り持ちて つるぎ大刀たち 腰に取りき 
朝守り ゆふの守りに 大君おほきみの 御門みかどの守り 我れをおきて 人はあらじと
 
あずさの弓を 手に持って つるぎ大刀たちを 腰に
 朝に守護しゅごして よるで 警護固めて 大君おほきみの 御門ごもん守るは わし以外 人はらんと》
いや立て 思ひしまさる 大君おほきみの 御言おことさちの 聞けばたふと
 《ふるい立ち たかぶりおるぞ 大君おほきみの 寿ことほぎ言葉 とおとに聞いて》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十八・四〇九四)

大夫ますらをの 心おもほゆ 大君おほきみの 御言みことさちを 聞けばたふと
大夫ますらおの 心沸々ふつふつ 湧いてきた 大君おほきみ尊語ことば とおとに聞いて》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十八・四〇九五)
大伴の とほ神祖かむおやの 奥津城おくつきは しるしめ立て 人の知るべく
《大伴の 遠い祖先の 存在ありどこを 立派に示せ 人知れるに》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十八・四〇九六)
天皇すめろきの 御代みよ栄えむと あづまなる 陸奥みちのく山に 黄金くがね花咲く
天皇おおきみの 御代みよの栄える 兆候しるしやな 東国山とうごくやまで 黄金こがね出たんは》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―(巻十八・四〇九七)
                                 五月十二日】


家待・越中編(二)(06)八十(やそ)氏人(うぢひと)も

2011年08月02日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年5月10日】

物部もののふの 八十やそ氏人うぢひとも 吉野川
             絶ゆることなく  仕へつつ見む



帝の詔書しょうしょに 精神の高揚こうよう覚えた 家持
湧き上がる 制作意欲は 
次々 と 長歌の群れを生む
〔いまは こここしにこうして
 役目果たしに いそしみおるが
  やがてのこと 帰京がなれば
 ていによる 吉野行幸みゆきの 従駕じゅうがもあろう
 その折には 従駕歌 うたわねば〕

高御座たかみくら あま日嗣ひつぎと あめの下 知らしめしける 皇祖すめろきの 神のみことの 
かしこくも 始め給ひて たふとくも 定め給へる み吉野の この大宮に ありがよひ し給ふらし

《天おさむ 日の神いで この国を おおさめされた ご先祖が
 始めなさって 造られた このみ吉野の 大宮に 天皇おほきみ様が かよわれて ご覧なされる ここの宮》
物部もののふの 八十やそともも おのへる 己が名負なおひて 大君おほきみの けのまにまに 
この川の 絶ゆることなく この山の いやぎに かくしこそ 仕へまつらめ いやとほなが

《お仕え申す 我々も それぞれの 家名かめいち 天皇おほきみ様に 従って
 この川のに 有り続け 山の峰々 続くに 仕え続け ずうっとずっと》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇九八〕

いにしへを 思ほすらしも 我が大君おほきみ 吉野の宮を ありがよ
《その昔 しのばれるか 大君おほきみは 吉野の宮に おかよいなさる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇九九〕
物部もののふの 八十やそ氏人うぢひとも 吉野川 絶ゆることなく 仕へつつ見む
《大勢の つかえの人も 吉野川 したがい続け 見続けするで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇〇〕
                               五月十二日】

しょうむのみかどが 最後に吉野へ行かれたは
 確か  天平八年〔736〕
 あれ から 十三年 早いものだ
 わしは 内舎人うちとねりにも なってらなんだ
 藤原きょうの疫病死 橘諸兄 もろえ様左大臣
 広嗣ひろつぐが乱
 関東行幸みゆき に   京 紫香楽しがらき いろいろあった
 その後 の 朝廷は ごたごた続き・・・
 ああ 昔の 君臣しての 行幸みゆきうたげ 
 今一度 かなわぬものか〕
皇親こうしん穏健おんけん派 家持 思いに沈む
        ――――――――――――――
のち 天平勝宝二年〔750〕十月
河辺東人かわべのあずまひとから 入手の 天平八年吉野行幸みゆき時歌

朝霧の たなびく田居たゐに 鳴く雁を とどみ得むかも 我がやどの萩
《庭萩よ 朝霧なびく 田ぁで鳴く 雁のくんを められんかな》
                         ―光明皇后こうみょうこうごう―〔巻十九・四二二四〕


家待・越中編(二)(07)左夫流(さぶる)その児に

2011年07月29日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年5月17日】

・・・左夫流さぶるその児に ひもの いつがり合ひて 
                  鳰鳥にほどりの 二人・・・



 嘆かわしい限りじゃが これも 世の流れか
 書記官 尾張少咋おわりのおくいの奴 
 いくら 妻女さいじょ殿 くにに置きしとはいえ
 新しきとの たわむ
 それも 屋敷うちに入れての ていたらく
 かみとして 説諭せつゆ行うべしじゃが
 じかには いかにも 大人げ無い〕

大汝おほなむち 少彦名すくなひこなの 神代かみよより ぎけらく
大汝おおなむち 少彦名すくなひこなが ったう 神のからの 言い伝え》
父母ちちははを 見ればたふとく 妻子めこ見れば かなしくめぐし 
うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを
 
《「父母ちちはは見たら 尊いで 妻子つまこ見たなら 可愛かいらしで
 それが世間 ことわりや」 それはそうやで ホンマやで》
世の人の 立つる言立ことだて ちさの花 咲ける盛りに 
しきよし その妻の児と 朝夕あさよひに みみまずも うち嘆き 語りけまくは
 
みなそう思い 誓いして ちさ咲く花の さかりどき
 いとしい妻と 朝夕に 嬉し悲しを かち合い 嘆きながらも うのんや》
永久とこしへに かくしもあらめや 天地あめつちの 神こと寄せて 
春花の  盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ
 
《「苦しいのんは  続かへん 神さんちゃんと 見てはって
 春の花咲く 時来るで」 そうて待った 春いまや》
はなれ居て 嘆かす妹が いつしかも 使のむと 待たすらむ 心さぶしく 
《離れて暮らす 奥さんが 使いは何時いつに るんかと 心さみしに 待ってるに》
南風みなみ吹き 雪消ゆきげはふりて 射水川いみづかは 流る水泡みなわの 寄るなみ 
左夫流さぶるその児に ひもの いつがり合ひて 
鳰鳥にほどりの 二人 奈呉なごの海の おきを深めて さどはせる
 
《春風吹いて 雪溶けて 射水川かわに流れる あわみたい
 流離さすらびとの 左夫流さぶると ひもみたい からまって
 鳰鳥におどりみたい 連れ立って 奈呉なご海みたい おきふこう はまって仕舞しもて 女狂くるうてる》
君が心の すべすべなさ
《あんたの心 救いないな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇六〕

青丹あおによし 奈良にある妹が 高々たかだかに 待つらむ心 しかにはあらじか
奈良ならみやで 家まもる妻 伸びして 待ってる気持ち それが夫婦みょうとや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇七〕
里人の 見る目づかし 左夫流さぶるに さどはす君が みや後姿しりぶり
里人さとびとの 見る思うと 恥ずかしい まかどきの いそいそ姿》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇八〕
くれなゐは うつろふものぞ つるはみの 馴れにしきぬに なほかめやも
くれないは すぐ色あせる 地味じみ色の 着なれたふくに まさるもんない》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇九〕
                               五月十五日】

左夫流さぶるが いつきし殿に 鈴けぬ 駅馬はゆま下れり 里もとどろに
左夫流さぶるが 着く屋敷に 駅鈴すずなしの 早馬来たで 騒動そうどう連れて》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一〇〕
                               五月十七日】


家待・越中編(二)(08)香(かく)の木(こ)の実を

2011年07月26日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年5月20日】

・・・ほこ持ち し時
         時じくの かくの実を かしこくも のこし給へれ・・・



聖武ていの 詔書しょうしょを思うたび
家持 の胸は 熱くなる
天皇おおきみの御代 栄えのいしずえ
 橘諸兄もろえ様をいて無い
 我ら大伴 伴造とものみやつこの役目 果たす言えど
 かなめとなるは 「きつ
 いかな 権勢けんせいとはいえ 「とう」はかなわぬ〕

けまくも あやにかしこし 皇神祖すめるきの 神のおおに 田道間守たぢまもり 常世とこよに渡り 
ほこ持ち し時 時じくの かくの実を かしこくも のこし給へれ 

天皇おおきみの ご先祖さんの その昔 田道間守たじまもりさん 常世とこよ行き
 ほこささげて 戻りて かおえ実の たちばなを 持って帰られ 伝え来た》
国もに ひ立ち栄え 春されば 孫枝ひこえいつつ 
霍公鳥ほととぎす 鳴く五月さつきには 初花はつはなを 枝に手折たをりて 娘子をとめらに つとにもりみ
 
《今は国中くにじゅに 植えられて 春になったら 枝伸ばし
 ほととぎす鳴く 五月咲く 初花枝を 手に取って 乙女ら贈る 土産みやげにと》
白栲しろたへの 袖にも扱入こきれ かぐはしみ 置きて枯らしみ 
あゆる実は たまきつつ 手に巻きて 見れどもかず
 
《袖入れ香り 楽しんで 花散ったあと 落ちた実に
 糸とおしして 手に巻いて きもせんとに で遊ぶ》
秋づけば 時雨しぐれの雨降り あしひきの 山の木末こぬれは くれなゐに にほひ散れども 
たちばなの 成れるそのは ひた照りに いや見がしく

時雨しぐれの秋は 山の木々 紅葉あこうになって 散ってゆく
 けどたちばなの 成った実は つやと輝き 人目引く》
み雪降る 冬に至れば しも置けども その葉も枯れず 常磐ときはなす いやさかえに 
しも置く冬が 来たとても その葉枯れんと 常緑みどりまま》
しかれこそ 神の御代みよより よろしなへ このたちばなを 時じくの かくの実と 名けけらしも
《それやからこそ 神代かみよから このたちばなを いつまでも かおり続ける 木の実やと 言われるのんは もっともや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一一〕

たちばなは 花にもにも 見つれども いや時じくに なほし見が
たちばなは はなどきどき えけども どんな時でも また見となるで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一二〕
                                五月二十三日】

京にのぼれば 是非にも橘諸兄もろえ様にと 家持うた

見まくり 思ひしなへに かづらけ かぐはし君を 相見つるかも
《逢いたいと おもてた橘卿あんた かずらつけ 素敵な姿 見かけましたで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一二〇〕
朝参まゐいりの 君が姿を 見ずひさに ひなにし住めば れ恋ひにけり
《朝廷の 橘卿あんたの姿 久しぶり 田舎いなかって 焦がれてました》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一二一〕
                               五月二十八日】



家待・越中編(二)(09)さ百合(ゆり)引き植ゑて

2011年07月22日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年5月24日】

百合ゆり花 ゆりも逢はむと
         下延したはふる 心し無くは 今日けふめやも



ていを 思い
橘諸兄もろえを 思い
都を思う家持に おのずとに 大嬢おおいらつめの面影

大君おほきみの とほ朝廷みかどと き給ふ つかさのまにま み雪降る 越に下り 
あらたまの 年の五年いつとせ 敷栲しきたへの 手枕たまくらまかず ひも解かず まろをすれば
 
《この国の  遠い政府に 任受けて 雪降る越に やって来て
 五年になるが その間 柔らか手枕まくら もせんと ひもも解かんと 着衣まる日々》
いぶせみと こころなぐさに なでしこを やどにほし 夏の野の さ百合ゆり引き植ゑて 
うっし気持ち 晴らそうと 撫子なでしこ花を 庭に植え 夏野の百合ゆりを 移し替え》
咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻はなづまに さ百合ゆり花 ゆりも逢はむと 
《花見よ思て 庭出ると 撫子なでしこ妻に 似てるがな 百合ゆりばな見ると 逢いとなる》
なぐさむる 心し無くは 天離あまざかる ひな一日ひとひも あるべくもあれや
《心なぐさみ 出けへんで 都の遠い このこしで 一日たりと 暮らすんつらい》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一三〕

なでしこが 花見るごとに 娘子をとめらが まひのにほひ 思ほゆるかも
撫子なでしこの 花見るたんび 可愛かいらしい お前の顔 思い出すがな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一四〕
百合ゆり花 ゆりも逢はむと 下延したはふる 心し無くは 今日けふめやも
百合ゆりを見て きっと逢えると 思わんと 今日一日を 過ごされへんわ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一五〕
                               五月二十六日】



家待・越中編(二)(10)面(おも)やめづらし

2011年07月19日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年5月27日】

去年こぞの秋 相見しまにま 今日けふ見れば
                  おもやめづらし 都方人かたひと



じょう 久米広縄くめのひろつなが 帰ってきた
足掛け  八ヶ月に及ぶ 任務であった
朝集使ちょうしゅうしとしての任
国司 ・郡司ら 勤務状況の報告
大役 を終えての帰還に 
長官家持 自邸でのうたげに 慰労ねぎらいを表す

大君おほきみの まきのまにまに り持ちて つかふる国の としの内の 事かたね持ち 玉桙たまほこの 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺みやこへに ゐし我が背を 
天皇おおきみの 任命受けて 政務い おつかえしてる こしこくの 一年間に した仕事 取りまとめして ここって いわみち踏んで 野山越え 都行かれた 広縄おまえ様》
あらたまの 年がへり 月かさね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 
《年も変わって 月日ち 逢われん日ィが 続いてた 恋しさつのり 気ィ滅入めいり》
霍公鳥ほととぎす 鳴く五月さつきの 菖蒲草あやめぐさ よもぎかづらき 酒宴さかみづき 遊びぐれど 
《ほととぎす鳴く 五月には 菖蒲あやめよもぎ かずらにし 酒のうたげで 遊んだが》
射水川いみづかは 雪消ゆきげはふりて く水の いや増しにのみ 
射水いみずの川の 雪解けの あふれ流れる 水みたい 恋しさ余計よけい つのるだけ》
たづが鳴く 奈呉なご江のすげの ねもころに 思ひむすぼれ 嘆きつつ が待つ君が 
《鶴鳴く奈呉なご はえすが その心根は ふさがって 溜息ためいきついて 待つ広縄あんた
をはり 帰りまかりて 夏の野の さ百合ゆりの花の 花ゑみみに にふぶにみて 逢はしたる 
《任務を終えて 帰られて 夏の野に咲く 百合ゆりはなの にこやか笑顔 見られたな》
今日けふを始めて 鏡なす かくしつね見む 面変おもがはりせず
 よし今日からは その笑顔 ずっと見ましょう その笑顔》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一六〕

去年こぞの秋 相見しまにま 今日けふ見れば おもやめづらし 都方人かたひと
《去年秋 別れたままで 今日見たら これは晴れやか みやこがおやで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一七〕
かくしても 相見るものを すくなくも 年月としつきれば 恋ひしけれやも
《こないして また逢えるのに 逢えん日々 えろう恋して つらかったんや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一八〕
                               五月二十七日】

ながの 帰還きかんびを 霍公鳥ほととぎすに託して

いにしへよ しのひにければ 霍公鳥ほととぎす 鳴く声聞きて こひしきものを
《昔から 人しのう ほととぎす 鳴く声聞くと 恋がれるで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一一九〕
                               五月二十七日】



家待・越中編(二)(11)雨も降らぬか

2011年07月15日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年5月31日】

この見ゆる 雲ほびこりて との曇り 
            雨も降らぬか 心だらひに



国守こくしゅ 家持にとって
事の第一は 徴税ちょうぜい
なれば こそ 税の元となる 農作物の出来
これが成否は 気懸り一途いちず

この 年 天平感宝元年〔749〕は
 五月六日より 日照り続き
この 月も 終わろうとしているに
いまだ 雲さえ見ない

六月一日 峠あたりに かすかな雲の影
 守 家持
懸命 の 雨乞い歌

天皇すめろきの 敷きます国の あめの下 四方よもの道には 馬のつめ いくすきはみ ふなの いつるまでに 
天皇おおきみの おおさめされる この国は 馬の駆け行く 道の果て 船のぎ着く 海の果て》
いにしへよ 今のをつつに 万調よろづつき まつつかさと 作りたる そのなりはひ 
いにしえ今に 到るまで みつぎ物なか 一番の 作物さくもつ作る 農作業》
雨降らず 日のかさなれば 植ゑし田も きし畑も 朝ごとに しぼみ枯れゆく 
《雨の降らん日 続いたで 植えた稲田いなだも 種いた 畑も日に日 枯れしぼむ》
そを見れば 心を痛み 緑児みどりごの ふが如く あまつ水 あふぎてぞ待つ 
《それを見てると 情けて 乳をしがる 赤児ぉみたい 雨おもて 天仰ぐ》
あしひきの 山のたをりに この見ゆる あま白雲しらくも 海神わたつみの おき宮辺みやへに 立ち渡り とのぐもり合ひて 雨もたまはね
《おおあの山の 尾根あたり 白雲しらくも立った その雲よ 海越えおきの 果てまでも 空一面を い尽くし 雨降らせてや 頼みます》 
大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一二二〕

この見ゆる 雲ほびこりて との曇り 雨も降らぬか 心だらひに
《見えとおる 雲よ広がれ 一面に 雨よ降れ降れ あふれる程も》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一二三〕
                                    六月一日】

じりじり と待つ 一日 また一日
三日目  待望の雨粒 天より地へと

我がりし 雨は降りぬ かくしあらば 言挙ことあげせずとも としは栄えむ
《ああ降った 願いかのうた これでもう 言うことないで 秋は豊作みのりや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一二四〕
                                    六月四日】



家待・越中編(二)(12)妻問(つまどひ)の夜ぞ

2011年07月12日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年6月3日】

やすの川 い向ひちて 年のこひ
             長き子らが 妻問つまどひの夜ぞ




畏れていた 旱魃かんばつも 恵みの雨で 避け終え
 の育ちも 順調な 夏が過ぎていく
やがて  秋
待ち焦がれ の 七月七日を 迎えた
〔地上の ひとみな 雲の動きに 一喜一憂
 天上てんじょう
 天の川の 増水に 牽牛けんぎゅう織姫おりひめ 一喜一憂
  さもあろう
 なにせ 年に一度の逢瀬おうせ
  叶うか叶わぬのかの 一夜なれば・・・〕

あまらす 神の御代みよより やすの川 中にへだてて 
向ひ立ち 袖振りかはし いきに 嘆かす子ら
 
天照あまてらす おお御神みかみの 昔から やすの流れを 中にして
 向かい合わせで 袖振って 嘆きうてる お二人よ》
渡り守 船もまうけず 橋だにも 渡してあらば そのゆも い行き渡らし 
たづさはり うながけりて 思ほしき 言も語らひ なぐさむる 心はあらむを
 
わたしの人も 船もて せめて橋でも あったなら その上行って 川越えて
 手ぇを繋いで 肩抱いて 思いのたけを 述べうて 心なぐさめ 出来るのに》
何しかも 秋にしあらねば 言問ことどひの ともしき児ら 
《なんで七夕たなばた ちゃう時は 声掛けすらも 出けんのや》
うつせみの 世の人我れも 此処ここをしも あやにくすしみ 
かはる 毎年としのはごとに あまの原 振りけ見つつ 言ひぎにすれ

《地上のわしは 思もてみる なんと数奇すうきな 言い伝え
 来る年毎に 空仰ぎ 伝え行こう ずううっと》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一二五〕

あまの川 橋渡せらば そのゆも い渡らさむを 秋にあらずとも
《天の川 橋があったら その上を 渡れるのんに 七夕あきちごても》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一二六〕
やすの川 い向ひちて 年のこひ 長き子らが 妻問つまどひの夜ぞ
安川やすかわに 向きて立って 一年も なごがれた 出合いの晩や》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一二七〕
                                   七月七日】
        ――――――――――――――
心置きなく  詠える日々に
家持 は 満足を得ていた
しかし  都では
歌作り に 水差す事態が・・・

七月 四日 健康不安の 聖武帝退位



家待・越中編(二)(13)針ぞ賜(たま)へる

2011年07月08日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年6月7日】

まくら 旅のおきなと 思ほして 
               針ぞたまへる はむ物もが



てい聖武 退位の報に接し
一挙の虚脱感きょだつかん
ない 胸のたゆたい
 穏やか ならざるの日々
ついにたまらず
家持は 大嬢おおいらつめを こしへと招き寄せる

心 安寧あんねい得たれど 
歌心 開かず 四月よつきの中断
再開 に 手差し伸べるは
また しても 池主

越前国のじょう 池主から 告発状こくはつじょうが届く
たまわり物確かに受領 有難き限り
 喜び勇み 心おどらせ開くに
  何と 上書き中身相違したり
 さては 例のたばかぐせかと憤慨ふんがい
 しん取り替えの罪 軽からず》
  
まくら 旅のおきなと 思ほして 針ぞたまへる はむ物もが
《わしのこと じじいおもて この針を 贈ったんかい ならぬの寄越よこせ》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四一二八〕
針袋 取り上げ前に 置きかへさへば おのともおのや 裏もぎたり
《針袋 出して前置き う見たら 裏地付いてる ご丁寧ていねいにも》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四一二九〕
針袋 つつけながら 里ごとに らさひあるけど 人もとがめず
 針袋 腰にぶら下げ あちこちと 見せ歩いたが 誰も気にせん》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四一三〇〕
とりが鳴く あづまを指して ふさへしに 行かむと思へど よしさねなし
《この袋 似合う東国あずまに 行こしたが ついで切っ掛け なんにも無いわ》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四一三一〕
                                    十一月十二日】

《先日の一件 たばかりのことわり 了解
 願い品 上品じょうしなに替りしに 難詰なんきついたし
 当方ひがみによる誤解 只々ただただ陳謝》

たたにも かにもよこも やっことぞ れはありける ぬし殿門とのど
《表から 見ても裏から かしても わし阿呆あほやった 主人あんた相手に》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四一三二〕
針袋 これはたばりぬ すり袋 今は得てしか おきなさびせむ
《針袋 これもらいます すり袋 次に下さい じじい似合いの》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四一三三〕
                                    十一月十五日】

果たして家持たばかりは?
真のたまわり物は?
何故なぜに 東国?
はたまた 池主 独り芝居?





家待・越中編(二)(14)妹に告げつや

2011年07月05日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年6月10日】

薮波やぶなみの 里に宿借り
         春雨に こもつつむと 妹に告げつや



聖武帝詔書しょうしょに受けた 感懐かんかい
長歌 多産
天平  天平感宝 天平勝宝と改元
 武帝 退位
多事たじ多端たたん一年ひととせは 暮れていく

大嬢おおいらつめを 手元した 家持
 から 新年に掛けての宴席
風情ふぜい薫る 歌が生まれる

 宴席 雪 月 梅を詠む】
雪の上に 照れる月夜つくよに 梅の花 折りて贈らむ しき児もがも
《雪の上 月も照ってる このよいに 梅花はな贈るな 児ぉしな》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一三四〕

さかん 秦石竹はだのいわたけ館 宴】
我が背子せこが 琴取るなへに 常人つねひとの 言ふなげきしも いやすも
石竹あんたはん 琴上手じょうずやな いわり 聴いたらぐに しみじみするよ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一三五〕

                                    正月二日 国庁饗宴】
あしひきの 山の木末こぬれの 寄生木はよ取りて 插頭かざしつらくは 千年ちとせ寿くとぞ
寄生木やどりぎを 梢から採り 插頭かざすんは 千年長寿ちょうじゅ 祈るまじない》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一三六〕

【正月五日 久米広縄くめのひろつな館 宴】
正月むつき立つ 春の初めに かくしつつ あひみてば 時じけめやも
あたらしい 春の初めに こんなして 笑顔かわわすん 春に相応ふさわし》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一三七〕

新年うたげが 終われば 公務が待っている
家持 砺波郡となみのこおりへ こんでん検索に出向く
雨に降りめられ 書記役宅での宿り
大嬢を おもんばかっての歌

薮波やぶなみの 里に宿借り 春雨に こもつつむと 妹に告げつや
藪波やぶなみの 里で宿借り 春雨を しのぐて妻に 伝えれたか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一三八〕





家待・越中編(二)(15)下(した)照(で)る道に

2011年07月01日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年6月14日】

春のその くれなゐにほふ 桃の花 したる道に 出で立つ娘子をとめ


こしは 四年目の春を 迎えた
天平 勝宝二年〔750〕
思えば 
やみせの春 
大黒おおくろ」・池主・長歌失くしの春
池主諫言かんげんにより 一年の歌停止ちょうじかれたは 
昨年 の春であった

 今年の春の 穏やかなこと
 なん と 心躍る 春であることか〕

春 三月を迎え 短日たんじつの連作
その 歌は 新しい気に満ち
どこか みやこ風情ふぜいただよ
大嬢おおいらつめが 運んでしか

【三月一日 暮れ】春の苑のももすももの花見て 二首
春のその くれなゐにほふ 桃の花 したる道に 出で立つ娘子をとめ
はるそので あこうにえる 桃の花 その下道したみちに 立つ乙女児おとめごよ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十九・四一三九〕
我が苑の すももの花か 庭にる はだれのいまだ 残りたるかも
《庭散るは すもも落花はなか っとった 雪がまだらに 残っとるんか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十九・四一四〇〕

【  〃  夜】飛びかけしぎを見て
けて ものがなしきに さ夜けて 羽振はぶき鳴くしぎ が田にか
《春なって 物憂ものうよるに 羽ばたいて 鳴いてるしぎは 何処どこの田やろか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十九・四一四一〕

 三月二日】柳を折取り 都偲んで
春の日に れる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路おほぢし思ほゆ
《春の日に 芽吹く柳を 眺めたら 奈良の大路おおじの 柳なつかかし》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十九・四一四二〕

【 〃 】堅香子草かたかごを折取りて
物部もののふの 八十やそ娘子をとめらが まがふ 寺井てらゐうへの 堅香子かたかごの花
《乙女らが 多数よけ集まって 水を汲む 湧水わきみず場所に 咲く堅香子かたかごよ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十九・四一四三〕

  〃 】帰る雁を見て 二首
つばめ来る 時になりぬと 雁がねは 本郷くにしのひつつ 雲がくり鳴く
つばめ来る 季節なったと 雁の奴 故郷くにしのんで 雲なか鳴くよ》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十九・四一四四〕
けて かく帰るとも 秋風に 黄葉もみちの山を 越えざらめや
《春になり 帰って仕舞ても 秋風の 黄葉もみじの山を 越えまた来るで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十九・四一四五〕