昨夜、NHKのBSの番組予告を観ていると、「WATARIDORI」というフランスの映画についての短い解説が出てきました
監督は、飛んでいる鳥の視点で、一緒に飛ぶ鳥達、鳥達の眼下に広がる大地を撮影したい!と考え、鳥の「すりこみ」の習性を利用した、と言います
つまり、大自然の中の鳥を撮影するために、わざわざ撮影する鳥達が孵化するその瞬間からスタッフが立ち会い、それ以降40週間かけて、鳥と人間(カメラやマイクを含めて)を近い存在として会得させ、非常に臨場感あふれる、ダイナミックな映像を撮影することに成功した、と言うことでした
残念ながら、あまり生き物に深い興味のない私は、大変話題になって日本に入ってきたこの映画を観ることはありませんでしたが、それでも、公開された当時、「いったい、鳥になったように感じられるこの映像は、どのようにして撮ったのかなあ?」と疑問に思ったことは、よく覚えています
この解説付き宣伝の後は、カメラマンの話題でした
あるNHKのカメラマンは、自分の豊富な撮影経験から、もっともっと求める映像を撮影するために、さまざまな工夫を凝らしたカメラや、撮影補助機材を自ら設計し、それを利用して、日々すばらしい映像を撮影している、とのことでした
その中でも、今回番組の1シーンとして紹介された映像は、東南アジア原産の淡水魚「アロワナ」が、水面からはるか上の木の枝にとまった甲虫を食べる、というスローモーションのシーンです 確かに、ものすごく貴重な瞬間です
アロワナが水面から体をジャンプさせ、大きく口を開けて、静かにとまっている甲虫をパクリと口に入れ、再びバシャーンと水の中に姿を消すのです・・・
この映像は、どんな学者の解説よりもシュアで、インパクトがありました
映像が消えた後は、そのカメラマンへの短いインタビューが流れました。
「すごい瞬間を捉えることが出来ましたね!」の言葉に、
「ありがとうございます!待った甲斐がありました!」の返事
「こんな決定的瞬間を撮影するためには、どのくらい待つのですか?」と尋ねられると、
「思った映像が撮れるまで、ですよ」
私は、あらためて悟った気がしました
「自分は何がしたいのか?」ということを、しっかりと自分で理解できている人間には、とてつもなく大きなパワーがあり、そのパワーが成功へのパッションとなって、必ず良い方向に導かれ、結果が出せるのだなあ・・・と
我が子を含め、現代を生きる子供達には、こういう「自分は何がしたいか?」のところが、はっきりしません
だからこそ、何事に対しても「燃えない」んですね、きっと
そして、「だるい、疲れる、つまんない・・・」こういうネガティブな言葉が、安易に出てしまうのでしょう
いかがですか?
大人でも、したくてしたくてウズウズするようなことであれば、パパっと取りかかり、嬉々として出来ますよね
そして、それほどしたくないことをするから・・・当然のこととして、すべて中途半端な満足感しか得られない、そういうことなのだと実感しました。
これは、今の中高生の風潮ですが、もし、みなさんのお子さま達、幼稚園児、小学校低学年の子供達が、こんな「だるい、疲れる、つまんない」のような腐った大人のようなボキャブラリーを身につけ、普段、使うとしたら???
それは、とんでもない危険信号・・・
そう思うべきでしょう そして、その責任は、「いきいきと生きていない、親に責任がある」と、やっぱり認識すべきでしょうね