まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

脳の力

2008年06月22日 | にこにこ
 私の教室のご近所に、有名な知育の教室があります そこに通う子ども達には、3歳児弱くらいに見える「未だオムツ?」と思えるようなお子さんもおいでになって、日本の家庭の教育熱の強さを実感します
 独特のメソッドで、本当に小さい頃から脳を鍛えるトレーニング法。決して揶揄するのではなく、一つの実験として、そのトレーニングをした子と、しなかった子に、それ以降、全く同じ教育環境のもと、同じ教育を施した時、成長の段階でどんな違い、どんな差が出てくるのだろう?と、とても興味があります

 私は、自分の子どもの成長過程で、さまざまなことにこだわりを持って育ててきましたが、それらすべては「基本は家庭である」という思いに基づいたこだわりだったため、今思い返せば、あまりまわりに影響されることがありませんでした
 そういう意味では、世の中の当たり前のお母さん達のように、「頭を良くするためには○○法が良い」とか「賢い子に育てるためには、○○教室が有効」というような情報に耳を傾けることがなく・・・果たして、それが我が子に吉だったのか?凶だったのか?時々、その教室の幼い生徒さん達の登塾、降塾風景を見ながら考えることがあります

 ただ、先日、ちょっと印象的な光景を目にしました
 教室の最寄り駅の改札口は2階にあり、改札前にはスーパーやパン屋さん、コーヒーショップなどがあって、そのスペースは、都合の良い待ち合わせ場所になっています。常に大勢の人が行き交うところです。
 平日の午前中は、小さな子どもを抱っこしたり、ベビーカーを押しながらお買い物にいくお母さま方の姿あり・・・
 午後になると、電車通学の我が子を待つ母親達の姿も多く見られます。深夜になると、今どきの格好をした若者達がしゃがんでしゃべっていたり・・・
 そのスペースには、その時間によって、いろいろな顔があり、私はよく、そんな光景を、わざわざ人間観察のように眺めることがあるくらいです

 その日は雨で、そのスペースの床面は、閉じた傘からしたたり落ちる水のしずくで滑りやすくなっていました
 私は郵便局で用を済ませて、そのスペースに登っていきました。まだ2階まで上りきらず、スペースが見えない階段の途中から、すでに、かなり大きな「子ども達の嬌声」が聞こえていました それも、言葉にならない声?とでも言うのでしょうか。
 たとえば、小学生が「おい、待てー!」とか「何やってんだよー!」みたいな声ではなく、単なる「キャー!」とか「キャキャキャ!」とか・・・なのです。
 2階に上りきると、その声は、コーヒーショップの前で、ずらりと腰を下ろした3歳児くらいの声であることがわかりました
 ベンチもなければ、椅子もない、単なる「段差」しかないスペースに、小さな子ども達が7,8人、ずらっと並んで座っているのです
 そこは、まさにコーヒーショップの入り口で、その段差のところには、ショップの出入り口である自動ドアがありました。当然、子ども達が動くたびに、その自動ドアは開いたり、閉まったりしています

 その子ども達の端に、一人のお母様が立っていました 子ども達、それも、かなり小さな子ども達が店の前に並んで座った光景は、ちょっと異様だったので、嬌声もさることながら、その整列着座?!に、行き交う人達もみな目を留めて通っていくようでした。
 
 きっと、子ども達の横に立っているお母様が、あまり頓着なさらない方だったのでしょう。子ども達の声にもあまり気を留められることもなく、走り回って滑り、転んだ子どもを見ても笑っていらっしゃるだけで、「ごーん」とかなりの音がして頭を打ったようでしたが、ご心配をなさる様子もありませんでした
 私のように、人の目をかなり気にするタイプの人間にとると、好奇の目?非難の目?にさらされることが最も辛いことですが、あの時ばかりは、本当に人は(母親は)それぞれなんだなあ・・・と、あらためて実感したものでした
 あまりに子ども達の声や様子にばかり目がいき、はじめは気づかなかったことでしたが、どうも、その子ども達は、お稽古の帰りで(全員が、同じ色、同じ大きさのリュックサックを背負っていました)、同じ班?同じクラス?の子ども達が同行されたママ達と一緒に駅まで来ていたようです。そして、一人のお母様が子ども全員を預かり、他のお母様方は、スーパーにお買い物にいらした・・・ということのようでした。

 帰り道。
私は、一人の教育者のはしくれ、として、真剣に考えてしまいました
「知育って何なんだろう?」「幼い時期から始める脳トレーニングとは?」そんなことが、頭の中をぐるぐるとまわりました。
 いつもの私なら、この話題を提供し、暗に「知育も良いですが、『お行儀』『躾』『公共でのマナー』を教えるのも大事で、それも大きな親の役目ですよ」と、少々批判的にこの出来事を読者のみなさんに提供するのですが、これは、全くそういうことを意図した話題ではありません
 今回は、まさに自分の頭の中で、「それと、これとは区別して考えたい」という気分なのです。

 昔から、多くの研究者、教育者が、決して大袈裟ではなく、国を超えた人類の進化、文化の向上のために研究を重ねてきた「脳の力」
 脳の力を向上させることは、人が生きていく上で、どんな意味を持っているのでしょうか?
 また、子どもの成長過程で、どういう方面に、どのように影響していくのでしょうか?
 人としての力「人間力」と、脳の力との関係は???
 「能力」と「脳力」はどこまで関係しているのか??

 あの日から、私は、ずっとずっと考えています・・・

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