まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

「赤」への思い

2013年09月15日 | にこにこ
 「先生、そろそろ赤色のお洋服、お召になっています?」9月に入ると、卒業生のお母様からのメールには、よくこのフレーズがあります 神奈川県下の私立小学校の出願が始まる9月、私はタンスの引き出しやクローゼットを開け、さあ、今年は「赤色の服は十分にあるかなあ?」と考えます。

 「赤」は、私の勝負の色であり、同時に縁起の良い色なんですね
お預かりしている教室のお子様達、ご両親達の最上の幸せをひたすら祈り、私は毎年、8月の終わりから12月中旬までの約4ヶ月を送ります。その4ヶ月間、10年ほど前までは、何かしら「赤」を身につけて過ごしました どうしても赤のお洋服が無理な時は、赤いハンカチ、赤いバッグを持つように・・・

 でも、この10年、幸いなことに「ネイルアート」が一般的になり、私はとても救われました 50歳を過ぎ、四捨五入をすれば60歳になる今の年齢になると、さすがに毎日のように「赤」のお洋服を着たとしたらチンドン屋 ご近所の方に「むー、何かお心に闇でもおありかしら?」と思われかねません
 ここ数年は、9月中はネイルアートで赤を、10月に入ってから、本格的に「赤」を意識するようになりました

 先週の日曜日の早朝、2020年のオリンピックの開催地が東京に決まりました。
株価やマスメディアを始め、あちこちが活気づきました。すべてがあの日以来、すっかり勢いを持つようになったように思います 素晴らしいですよねえ・・・
 そして先週からはユーチューブでも、1964年の東京オリンピックの様々な映像が見られるようになりました。
そんな中で、私はふっと、いったいいつから私にとって赤色が縁起の良い色、勝負の色になったのかな?と考えたのです・・・

 そうなんです それは、思えば「東京オリンピック」のときから、なんですよねえ・・・
当時、私は6歳。小学校1年生でした。まだまだヒヨっ子の、幼なさの殻をつけた頃でしたが、私の父は「社会派」で、ニュースや新聞等、頻繁に世界の情勢について私にわかる言葉で話してくれる人でしたので、東京オリンピックが開催されるにあたっては、当時はまだまだ高価だった「全ページカラー、カラー写真掲載」のオリンピックのガイドブックを買い与えてくれていました チャスラフスカ、チェコスロバキア、アベベ、エチオピア、ヘーシンク、オランダ、USA、USSR・・・今では姿を消した国名もありますが、本が破れるほどそのガイドブックを持ち歩き、人の名前、国名、国旗などを覚えました

 その東京オリンピックの日本選手団が開会式で着たユニフォームが「朱色のブレザーに白いボトム」でした。入場式、開催国である日本は、一番最後の入場行進でした。私は、「さあ、いよいよ日本の大選手団が入場してまいります」というNHKのアナウンサーの声とともに選手団がスタジアムに姿を現した時の感激を、今でも忘れることができません

 一人っ子の私は、よく部屋でひとり遊びをしたのですが、東京オリンピック開催の期間、私はこっそりと「お出かけ用のよそ行きの服」として買ってもらった金ボタンがついた朱色のブレザーと、白いウールのプリーツスカートを着て、母の三面鏡を広げ、一人で畳の部屋をぐるぐると行進しました 鏡の前を歩くときには、右手を斜め上にあげて敬礼を忘れません。
 
 赤いブレザー、入場行進、東京オリンピック・・・たった6歳、小学校1年生の私でしたが、「それは、私の国の夜明け」のように感じていましたし、「これが、発展していく日本の象徴の色」とも思っていました。あの時、大選手団が着たジャネットの「赤」は私にとって「強くて、とても勢いのある色」として心に刻まれ、50年近くの年月が流れた今も、何ら変わりなく縁起の良い色、として感じています

 2020年の東京オリンピック。今年、これから考査を迎えようとしている私のかわいい子ども達は、中学1年生になります。私は?と言えば62歳です。
 夜明けの色、発展の色。私は今年も「赤」の縁起の良い装いで、子ども達をサポートします



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