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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

「大雪山忠別湖トライアスロン-in ひがしかわ」を終えて

2009年08月15日 | にこにこ
 大雪山国立公園は、日本一の広さを誇る・・・ということを習ったのは、確か小学校の社会科の時間でした
 でも、関西で生まれ育った私にとって、北海道は遙かかなたの地。夫の名護での入院があって以来、北海道と同様に遠くて縁遠かった沖縄が、我が家にとってぐーんと身近な地となってからはよけいに、北海道は遠い遠い地でした
 そんな北海道、旭川に行くことになったのは、トライアスロンのお仲間の一人が、「あんなに話題になっている旭山動物園・・・やっぱり行ってみたいわよね!」という鶴の一声でした

 今回のトライアスロンは、大雪山系の最高峰「旭岳」の麓、忠別湖というダム湖をスイム会場とした「大雪山忠別湖トライアスロンin ひがしかわ」という大会。
 8月9日、朝から快晴 比較的、標高の高いところとは言え、気温はぐんぐんと上がり、澄んだ空気のせいか、陽射しは刺すように強く、観光には絶好の日和ではあっても、トライアスロンには決して快適なコンディションとは言えません
 大雪山を水源とする、忠別湖の低い水温を気に病んでいた私たちではありましたが、さすがに雲一つない空を見上げて、今度はこの陽射しが気にかかりました。
 
 いよいよスタートです
私にとっては石垣島に続き、2回目の大会。まるでトライアスロンのお祭りのようで、参加者も1800名という石垣島トライアスロンとは違い、この大会はリレー参加者も含めて参加者は400名弱。
 北海道で唯一の大会ということもあってか、トランジションエリアで支度をしている時に一緒になった、ゼッケン番号の近い女性参加者たちは、どう見ても強者ばかり。真っ黒に日焼けしたオバサンたちの中にあって私は、どう見ても場違いの軟弱選手でした
 5、4、3、2、1、のカウントダウン・・・そしてスタート。
湖に入ると、本当に冷たい ちょうど、サウナの後で入る水風呂の感覚です。ウェットスーツを着ていても、冷たさが伝わってきます。でも、行くしかありません。
 前回の石垣では、あまりの緊張で、格好悪くも「クロールの泳ぎ方を忘れてしまった」私でした 今回は、ちゃんとクロールで前に進まなくては

 水は冷たいものの、とても澄んだ水で、水面は強い陽射しに照らされてキラキラしています そのうちに私は気持ちよくなってきました。
 私はちゃんと泳いでる・・・確かに前に進んでる・・・ どんどん追い抜かされてはいきますが、1周目を終えて一旦湖からあがった時には、コーチから「まどかさん、石垣よりもずっと早いタイムですよ ナイス、ナイス」と声をかけてもらいました。
 ひたすら泳ぎ・・・泳ぎ・・・途中何度も「なんで私はこんなことをしているのだろう???」と何とも言えない妙な気分に襲われましたが、何とか無事に2周目も泳ぎきり、1,5キロのスイムを終えました
 水からあがった時には、とてもすがすがしい気持ちでした

 とは言え、トランジションエリアには自転車はまばら そうです、私が遅いからです
 でも、石垣よりも少しは効率よく自転車の準備をして、今度はバイクにスタート。乗車位置までバイクを押していくと、たーくさんのレース関係者や観客から「がんばれー!」の声をかけてもらいました。
 今回のバイクコースは、片道6,5キロ地点で折り返し戻ってくる、というコース。それを3回、周ります。
 石垣島は、スタート地点から40キロ、島の南側をぐるっと回るコースでしたので、その経験しかない私は、同じところを3周回する、ということが吉となるか凶となるかわかりません・・・

 今回、競技説明会の席上で、何度も注意を受けたのがバイクコースの「行きの6,5キロ」でした。
 というのは、その半分の距離近くがダラダラの下り坂。つまり、ダラダラと下るということは、どんどん加速度が増し、スピードが出てしまう、ということであり、細心の注意を払わなければちょっとしたことで転倒して、大きな事故につながる・・・というのです
 実際、私のようなバイク初心者でも、今回は時速46キロを経験したのですから、上級者になれば60キロはざらにでるスピードでしょう。(私がやっと1周回目の下り坂を下っていたところ、救急車がコース上に停車し、まさに発進しようとしていました。あとで夫やチームのお仲間に聞いたところ、2周回目で一人の選手が転倒していたのを見た、ということでした

 いやー、怖かったですよ 
過度の緊張は肩や腕にかえって力が入ってしまうため、気持ちはリラックス、リラックス・・・基本に忠実に、お尻をぐっと後ろに引き、サドルの後方にどっかと座り、ぎゅっとサドルを両ももで鋏み、足首を曲げて両足のかかと側を意識してペダルを踏む・・・でも、スピードメーターで、40、41、42、43・・・とどんどんと上がっていく数値を見ていると、背筋がすーっと寒くなりました かと言って、怖くなって急にブレーキをかけるということは、もっともっと怖いことです 坂を下り終え、折り返し地点が見えてきた時には、本当にほっとしました

 でも、本当の地獄は、それほど心配をしていなかった折り返し後の「登り坂」でした
 ダラダラと下ったということは・・・当然ではありますが、ダラダラと登らなければならない、ということだったのですね
 石垣島のバイクコースでは、視聴率アップ?!のためかテレビ番組では、「死の登り坂」などとテロップが流れましたが、思えば、あれはたった1回限り。今回は、3周回しなければならないため、この地獄のダラダラ坂も、3回、経験しなければならない、ということでした。まさに、「行きはよいよい、帰りはコワイ」です。どんなにギア調節をしても、もう楽にはならず、あとは技術、脚力、体力、気力の勝負です。 
 技術の未熟な私は、とにかくあきらめずに、こいで・・・こいで・・・スピードメーターの「時速8キロ」という超低速走行に情けなくなりながらも、がんばる・・・がんばってこぐ・・・

 スイムに時間がかかり、バイクスタートが遅い私の1周回目は、多くの選手の2周回目。早い選手は、すでに最終周の3周回目。どんどん、私のまわりには選手がいなくなっていきます。反対のコースですれ違う夫やチームメイトの姿もなくなり、完全な一人旅になってしまいました
 やっとの思いで2周回目の登りを終えて、3周回目の下り坂を下りきり、ギアチェンジをしたとたん、急にカラカラと大きな音がして、足が軽くなりました。そう、チェーンがはずれたのでした。私にとっては、初めての経験
 口に出して、何度も「落ち着いて・・・さあ、バイクを止めて、降りて・・・焦らないで、教えてもらった通りにチェーンをはめよう・・・」そうつぶやきました。

 バイクを降りると、急に静かになった気がしました。だらだらと流れる汗・・・はじめて小鳥の声、蝉の声が聞こえました。誰もまわりにいない中、トラブルで停車した独りぼっちの私を感じました
 落ち着いて・・・落ち着いて・・・後ろのタイヤを持ち上げ、ペダルをくるくると回していると、「最後尾」のゼッケンをつけた大会関係者の自転車が近づいてきました
 「どうしましたか?大丈夫ですか?」
 「はい、チェーンがはずれました。チェーンがはずれたのは初めてですけれど・・・大丈夫です。」
 「・・・そうそう、くるくるまわして・・・そうです、そうです。そうすれば、きっと自然に入っていきますよ・・・ああ、入りましたね。良かった
 レース中は、選手には誰もさわってはいけない規則になっているのです。このマーシャルの方も心配そうに私をのぞきながら、声をかけてくださったのでした。
 「体調は大丈夫ですか?もうすぐそこが最後の折り返しです。あとは、もう1回登るだけ。がんばってください 時間は十分にありますよ。自分のペースで、慌てずに、がんばって
 
 そうなんですよね・・・「自分のペースで、慌てずにがんばる」ことは、なかなか難しいことです
 人は、どんなことでも「自分のペース」というものを持っているものだと思います
 トライアスロンの場合は、自分の泳ぐペース、こぐペース、走るペース、です。家事であれば、起きてからお掃除やお洗濯を効率よく上手にこなすペース。
 これが学生時代であれば、まわりのペースに惑わされず、淡々と自分が一番さまざまな力を発揮できるペース・・・
 ところが、人というものには見栄があったり欲があったりで、どうしてもまわりのペース、まわりのスピードが気にかかり、慌てたり、焦ったりしてしまい、結果的にそれが悪い結果を招いてしまう 
 これは子育てでも同じこと。親の見栄、親の欲がわが子のペース以上を要求し、かえって子どもの持つ力を台無しにしてしまうこともあるのですねえ・・・

 今回の大会では、何度も何度も「自分のペースで」という声がけをしていただき、そのたびに自分にあらためて「ペースを守れ!慌てるな!」と言い聞かせ、進みました。それが完走を果たせ大きな力になったと実感しています

 今回は、3種目の中でも比較的得意のランも辛い辛い10キロでした バイクの登りですっかり脚力を使い果たしてしまった私は、心肺機能と気力だけで足を動かしていたように思います。
 ランもバイクと同様、3周回。私がバイクを終え、トランジッションエリアからランに出発した時には、すでに3周目で同じコース上を走り、まもなくゴールをする・・・という人がほとんどで、腕に巻かれた3本の色ゴム(1周するごとに、折り返し地点でゴムをもらって手にはめます)を見るたびに、さすがに私は絶望的な気分になりました

 私は、比較的、意志の強い人・・・だと思います
安易には諦めず、言い訳をせず、何とか最後までがんばりたい!と思う人です。もしかしたら、がんばっている自分が好きだ、と思うナルシストであるのかもしれません
 でも、さすがに今回は、朦朧とするような暑さと陽射し、力を無くした足の筋肉・・・エイドステーションでお水を飲み、差し出されるスポンジを2個もらって、ジャージャーと首筋から水をかけ、絞りきって顔をぬらし・・・それでも吹き出してくる汗・・・ 思うように足は前に進まず、気持ちは焦ってきます・・・

 そんな私を癒し、勇気づけ、やる気を奮い立たせてくれたのが、真っ青な空にそびえ立つ大雪山系の最高峰「旭岳」の姿でした
 バイクでも、長い登りをあがりきり、暗くひんやりとする不気味なトンネルを過ぎると、目の前に旭岳が見えました。
 ランでも、どんどんとゴールして、人が少なくなっていくコースの真ん前に旭岳の勇姿です。
 折り返しても、まだまだゴールできない情けない思いの私に、「あともう少しがんばろう!あと少しがんばって、もう1度、あの旭岳を見よう。そうすれば、またちょっと元気になれる」そう思わせてもらえました。

 人は、「1歩1歩がんばる」とか「ひたむきに、わずかずつでも進む」とか、こういう形容を使い、たとえゆっくりでも進んでいくことの大切さを表現しますね そして、その尊さも十分に理解しています。
 でも、実際には、1歩1歩では大きな成果や効果は実感できず、頭ではわかっていても、こういう「牛の歩み的な努力」を積み重ねることは辛く苦しいものです
 けれど、私は今回、この「旭岳が見える」ということに救われ、それを大きな励みとして前進することができました
 旭岳が見えても、バイクやランの距離が短くなるわけではありません。その勇姿を見たとたん、私のスピードが飛躍的に速くなるわけでもないのです
 けれど、確かに、旭岳が見えることががんばった私へのご褒美になり、次に折り返して旭岳が見えるところまで、またがんばろう!そういう勇気が湧いてくる気がしたのでした
 
 最後の種目、得意のはずのランでしたが、長い坂の上り下りで脚力を使い果たした私には、すでに「がんばって走る」だけの意志は残ってはいない気がしました
 バイクで登ることに気持ちを奪われていた時には意識していなかったエネルギー切れも、思った以上に深刻だということにも、ランスタートをしてから気づきました。
 でもね・・・遅い選手には、さまざまな意味での「余裕」はないのですね、とても悲しいことに・・・

 じつは今回、少しはトライアスロンを経験したことで重要性を認識した「トランジションエリアでのサプリメント」をたくさん用意していたのです 
 塩分の補給、糖分の補給、そして速攻でエネルギーになるサプリメントなど。
 けれど、いくら「マイペースでがんばれ!」と言ってもらっても、ガランとしたトランジションエリアで注目をあびるビリの私が、悠々とサプリメントを食べたり飲んだりするまでの「勇気」はありませんでした

 ランをスタートしても、今回は石垣大会のように「魔法の力」となった黒糖の手渡しはありません。エイドステーションで渡される水分も、スポーツドリンクはなくなり、すでに水だけになっていました。どんどんと消耗し、エネルギー切れを実感しましたが、走るしかありません。足が勝手に動いているだけ・・・そんな状態でした

 私は、旭川からの帰りの飛行機の中でしみじみと思ったものです。
オリンピックでも、ワールド○○でも、スポーツに限らずさまざまなシチュエーションでも、「トップの人達」への評価は非常に高く、当然の如く、そういう人達がベストコンディションで活躍が出来るようにと、至れり尽くせり・・・手厚く優遇されますね
 これって、家庭でも同じなのではないでしょうか?

 私がビリなのは、確かに練習不足、という大きな問題があります。きっと、もっともっと熱心に練習を積めば、技術もタイムも上がるに違いありません 
 けれど、私にとってのトライアスロンはあくまで趣味です 趣味として楽しむためには、決して無謀なことはしないこと。そして同時に、私の出来る限りの最大限の努力をし、大会当日も、真面目に、一生懸命にレースに向かうこと・・・これがモットーです
 ただ、それでも上位選手と同じ結果を納めることができない、という事実がそこにります

 たとえば・・一生懸命に、ひたむきにがんばっている子どもがいるとしましょう。その子は本当に真面目で、自分の持てる力をいつもすべて使って物事に取り組む良い子です でも、結果としては、目から鼻に抜けるような結果は出せない・・・こういう子どもを、私はたくさん見てきています。
 その一方で、理解力が高く、どんなことも器用にこなし、結果的に小さな努力で大きな成果を生む子がいたとします。
 こんな対照的な両者を見ていると、必ず、前者のご両親は、「わが子のふでき」を嘆かれます そして、無意識のうちに、「どうしてあなたは出来ないの?」「どうしてわかんないの?」「何度やっても一向に良くならない・・・」などと、平気でネガティブな評価をわが子にくだします

 今回のトライアスロン・・・私はまさに、この「不出来な子」と、両親に思われてしまう子どもでした
 でもね、私は、石垣島の大会と比較すると、スイムは8分速くなりました。バイクも苦労はしましたが、やはり石垣よりも8分もタイムを縮めたのですよ。ランは残念ながら石垣のタイムを6分オーバーしてしまいましたので、総合の時間では、10分タイムを縮めたことになります
 これが私の精一杯であり・・・必死にがんばり、真面目に取り組んだ結果でした。
 そんな私でしたが、結果は・・・ビリでした
もし、私が子どもだったとしたら???私は、両親から、どんな評価を得て、どんな言葉をもらったのでしょう?
 家族連れで賑わう機内で、私は小さな子ども達の話し声や泣き声を聞きながら、そんなことを考えていました

 さて。
ランも3周目の折り返しを終えて、あと1キロほどでゴールというところまで来たとき、まだ見えない林の向こうのフィニッシュ地点から、大きなマイクの声が聞こえてきました
 「今、最新の情報が入ってきました。現在、コース上でレースを続けている選手はたった1名。神奈川県から初参加の南坊まどかかさん、51歳です。今、最終のランナー、南坊まどかさんが、一生懸命にゴールを目指して走り続けています
 ひや~~~~ えらいことになっていました。
私は、本当にビリなんですね。ビリであることは何となくわかってはいましたが こんなふうに、名前まで呼ばれ、全員で私のゴールを待たれている・・・ものすごく焦りましたが、足はなかなか速まりません 流れる汗・・・私の足音・・・
 やっと、本当にやっとフィニッシュ地点に向かって右折するコーナーが見えてきました
 「お疲れ様 さあ、やっと3周終わりましたね。もうここを曲がったらフィニッシュ地点ですよ
 心配そうに1周目、2周目を見送ってくださっていた大会関係者のおじさんが声をかけてくださいました。
 
 いよいよゴールです夫とチームメイトのUさんが一緒に走ってくれました。スピーカーからは・・・
 「さあ、最終の選手、南坊まどかさんがゴールをします」の声・・・

 ゴールで足を止めたとたん、前に足が進まなくなりました。足ががくがくして、思うように足が動きません。こんなことは初めてでした
 そのあとは、北海道新聞の取材や、マイクを持った女性からのインタビュー、たくさんのフラッシュ・・・ビリなのに、えらーく褒め称えていただきました。
 決して諦めることなく、最後まで走り抜いたこと・・・制限時間を22分残して完走したこと・・・それを誉めていただけたようです

 あれから1週間。
最後まで声援を送り続けてくださった大会関係者の方々、ボランティアの方々、陸上自衛隊の方々・・・そして、自分の完走後、わがことのように応援してくださった選手の方々の「がんばれ」の声。
 私にはまだ聞こえています

  忠別湖トライアスロンの「ブログ」に、私のお礼状が掲載されました 

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気が利く子、気遣いのできる子を育てるのは・・・

2009年08月02日 | にこにこ
 デパ地下でお買い物をしていると、小さな袋が増えていきます お豆腐、乾物、お総菜、パン・・・もし、これだけのものをそれぞれの専門連で買ったとしたら、袋は4つになります
 もちろん、自分で大きめのエコバッグを持参すれば、すべて一つにまとめることができるわけですが、デパ地下でのお買い物がメインではなく、あくまで食料品売り場に「ついで」に立ち寄った場合には、どうしてもデパートで入れてくれる袋を頼ることになります
 帰りは・・・それプラス、メインのお買い物の紙袋があり、ハンドバッグがあり・・・ もう、右手も左手も袋だらけ。これで駅の改札でスイカやパスモをタッチするとなると、ああ、もう気が遠くなりますねえ。

 先日も、私は「ついで」のデパ地下でついつい調子に乗ってお買い物をし、まさに荷物の袋が4つ、5つ・・・という状態でした。
 夕方のラッシュの電車に乗るわけではありませんでしたが、それでもやはり、この細々とした袋を一つにまとめることができれば、どんなに楽だろう・・・そう思っていたのです
 そんな思いで最後に立ち寄ったコロッケの専門店。買ったコロッケは2種類、合計4つ。わずかのお買い物です。
 ところが、私が支払いのためにお財布をバッグからごぞごぞと出していると、若いお店の女性が声をかけてくださいました
 「お荷物、一つにおまとめになられますか?少々お待ちください。大きめの紙袋をご用意いたします
 私にとっては、とてもありがたいお申し出ではありましたが、ささやかなお買い物しかしなかった先で、こんなご厚意を受けて良いのだろうか、と、本当に申し訳なく思いました

 別の場所にまで袋を取りに行ってくださり、走って戻って来られた女性は、笑顔で・・・
 「お手伝いいたしましょうか?」
と言ってくださいます。私のすぐ側では、次のお客様が注文をしようとコロッケを眺めていらっしゃいます。
 私は、これ以上このお嬢さんにご迷惑をかけてはいけないと思い、「大丈夫です。本当に助かりましたありがとうございました」と、やはり笑顔でお礼を申しあげて、その場を立ち去りました。
 振り返ってみると、そのお嬢さんは、次のお客様にも気持ちの良い笑顔で、対応されていました

 よく気のつく人、気が利く人・・・今も昔も、こういう人の評価は高いですね けれど、実際にはこう表されるような人は、それほどたくさんはいないものです
 たとえば。
二人連れで電車に乗ります つり革を持って立っていると、前の席が空いたので、年長の私の友人に座ってもらいました。
 次の駅で、友人のお隣ではなく、もう一人おいて次の席の方が立ちました。
 もし私達が二人連れである、ということを認識していれば、友人のお隣の方が空いた席のほうにご自分が1席分移動をし、友人の真隣のスペースを私に空けてくださるでしょうね
 もちろん、私達二人がとっても人に不愉快な思いをさせるようなオバサン達であれば、「おまえ達に座らせる席なんてないぞ」とばかりに、意地悪をされるかもしれませんが・・・

 けれど、案外、そういう気遣いをされる若い方は少ないですねえ 私達のことがわかっていても、意地悪をするような感じでもなく・・・ただ、ぼんやりと座っているだけ

 気がつく、気が利く、心遣いのできるという人は、きっと、どんな時にも、人のことをよく見ていて、さまざまな人を自分に置き換えて考えることのできる人・・・そういう人だと思います
 「ああ、たくさんの袋を両手に持って・・・歩きにくそうだわ・・・一つの袋にまとめてしまったら、きっと私なら歩きやすくなるわね
 「あっ、私のお隣のお席が空いたわ。そう、私が一つ積めれば、前の方が並んでお友達と座ることが出来る・・・私なら、並んで座れたほうがおしゃべりもしやすくなるって思うでしょうね

 そして、もう一つ私は思うのです。
そういう気遣い、心遣いのある家庭、そういう親に育てられた子どもは、自然に自分も同じようにできるようになっていくのだろうと・・・
 幼い頃から自分の身のまわりで当然のことのように、さまざまな気遣いが行われるのを目にしたら・・・実際に、親やまわりの大人から心遣いを受けていると・・・うれしいなあ、ありがたいなあ、と極々自然にあたたかい気持ちになるでしょうね
 
 そして、自分が見たり、受けたりしている心遣い、気遣い、心配りというものは、理屈で教えられなくても、毎日の生活の中で会得していける・・・ (気の利かない親に育てられた子どもが、親の姿を反面教師にし、社会の中で経験を積んで、気遣いのできるステキな人になるためには、かなり多くの、それ相応の経験が必要になるでしょう。)
 躾と称し、どんなに口うるさく教えても、ご両親(特に、子どもと関わる時間の長いお母様)自身が気の利かない人であったとしたら?
 「生きた教材にまさるものなし」家庭生活は、24時間体制の教養を身につける学びの場です
 
 気の利く、気遣い、心遣いのできる人に出会うと、私は、その人を育てた素晴らしいご両親をその人の後ろに見る気がします

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わが子中心に考えているばかりでは・・・

2009年07月21日 | にこにこ
 すっかりご無沙汰してしまいました

 さてさて。私が日頃お母様方とお話をする時、小学校受験のことばかり、お話をしているわけではありません それに、私が子育てに関係する仕事をしている、と聞くやいなや、教室以外のところでは、お母様方の質問攻めに合うこともしばしばです

 そんな質問の中でも、意外と多いのがこういう質問
 『うちの子はとても優しい子で・・・お友達と遊んでいる時、遊んでいる相手にイヤな事をされても、はっきりイヤだ、とか、やめて!とか言えないんです。わが子の不甲斐なさにもイライラしますし・・・正直、相手の子どもには腹が立ちます。どうしたら良いのでしょうねえ?』
 『先生、うちの子ったら、幼稚園でも近所の公園でも、お友達と遊んでいる時、いつも自分の思ったことが言えずに、やられっぱなし、言われっぱなしになってるんです。相手の子を怒鳴りつけたい気持ちになります!』
 そうでしょうねえ。私も二児の母親ですから、お母様方のこういうお気持ちは、よくよくわかります。見ているだけ・・・という親は、本当に辛いですよね

 でもね、私はそんなお母様方のお話を聞いていて、よく思うのです。
そういうわが子の様子を、とても歯がゆく感じて見ていらっしゃるお母様は、きっとご自分が子どもの頃には、はっきりと「イヤ」とか、「止めて」を言えるお子さんだったのだろうなあって。
 もしくは・・・ご自分も子どもの頃には「やられっぱなし、言われっぱなし」のわが子と同じタイプの子どもで、イヤな思いや辛い思い、損な思いをたくさん経験し、何とかわが子には、自分と同じ思いをさせたくないと切に願ってしまう、とか
 いずれにしても、一番大事なことは、「親がそういうわが子にどうさせたいか?」ではなく、子ども本人が「本当は、自分はどうしたいのか?」という思いをきちんと整理して、自らの「本当の思い」を、しっかりと知ることでしょうね

 たとえば、4歳のAちゃんの場合。
 「あのね、先生。私はお友達に~~~されるのはとってもイヤだけど・・・ここでイヤって言っちゃったら、大好きな○○ちゃんは怒っちゃうかもしれないでしょう?私はね、○○ちゃんが好きだから・・・嫌われたくないから・・・何も言わないの・・・」
 私は、このAちゃんの気持ちを聞き、ぐっときてしまいました。
こういう考えを持っている子は多いものですよ。たまたま、例に挙げたAちゃんは4歳ですが、私の娘は4歳どころか、小学校3、4年生の頃も、中高生になってからも、多少、似たような気持ちを持って自分の思いを内に閉じこめ、自家中毒のような症状になったことが何度もありました

 5歳、Bくんの場合。
「ぼくは、泣くほど~~されるのはイヤ ~~されると、すっごく悲しいし、なんで○○くんは、そんなことをするのかあ・・・また明日幼稚園で会ったら、きっと○○くんはぼくに~~するのかなあって思う・・・そう思ったら、幼稚園に行きたくなくなるんだ
 この子の場合は、まさにお母様の心配が的中、ですね。なすがまま、されるがままになっていることに、何の意味も理由もなく、ただひたすら辛い思いをしているだけ、というわけです

 ・・・という具合に。
状況としては、同じように見える「されるがままになっている子ども」でも、実際には「それぞれの思い」があるものです。
 だからこそ親は、「自分の感情」としての思いを押し付けず、ますは・・・

  途中で口をはさみ、親としての意見を言わず、子どもの思いをしっかりと聞いて、最後まで話させてあげること。
  状況がわかったら、「あなたは、○○ちゃん(○○くん)にそうされることを、どのように思っているの?」とたずねてみて、子どもが落ち着いて気持ちを整理し、自分の本心を言葉で表せるような、穏やかな気分にさせてあげること。この2点がとても大切です

 そして、その子どもの思いによっては・・・
 「そっかあ。あなたの大好きな○○ちゃん、なんだもんねえ。確かに、嫌われちゃうのは悲しいかもしれないよねえ。でも、一度、きちんとあなたが、『そんなふうにされることはイヤなのよ!』ってことを伝えてみたらどうかな?そして、『○○ちゃんが大好きだから、我慢をしてたのよ・・・』って、正直に言ってみるのも良いかもしれないわよ。」
 「幼稚園に行くのがイヤになるほどなのねえ・・・今はまだ我慢できても、ずっとこのままだったら、きっとあなたが辛くなってくると思うよ。だから、お母さんは、あなたが辛くなってしまう前に、○○くんに言ったほうが良いと思うよ。『○○くん、ぼく、本当は~~されるのがイヤなんだよ・・・』ってね。あなたがどんなふうに思っているか?どんなふうに感じているかを、まずは○○くんにときちんと伝えるほうが良いと思うわよ。黙っていては、何も通じないもの・・・」
 と、穏やかに話してあげると良いでしょう。

 ただ、中には、「ぼく(わたし)は、ぜんぜん気にならないよ。別にイヤじゃないもん。」
 というような子もいるものです
少々の意地悪をされても、「暖簾に腕押し」状態で、一向に気にならない・・・という子
 こんな子の場合には、わざわざ大人の思いを持って、事を荒立てる必要はないでしょうね そして、もし近い将来、わが子が「気になり始めたら」、その時に「やっぱり、イヤだって伝えるほうがいいわよ。」と教えてあげれば良いでしょう。

 4歳児、5歳児ともなれば・・・親からみると、ただただ無邪気で、普段はあまり何にも考えていないように見える子ども達でも、じつはいろいろと考えているものです
 1歳の世界では1歳なりに、4歳の世界では4歳なりに、6歳は6歳なりに、子ども達は「感じ」「考えて」います。
 その「考えていること」を、きちんと引き出してあげることは、お母様方が思っていらっしゃる以上に重要なことなんですね

 「考える」という行為は、頭の中で行われるものですが、それを表現する時には、「言葉」を使います。自分の感情を整理し、親に伝えるという行為は、言語力の向上、という意味でも、有意義なことなんですね。
 そして、言語力の向上が、子どもと言えども、「上手に世界を生きていく上での大事な手段」となります なぜなら、人が生きていくということは「人と関わり、人付き合いをしていく」ということですからね。

 ここからは、このお話の中では余談ですが・・・
私は、しばしば、クラスが始まる前や、ちょっとした雑談中に、子ども達から「相談を受ける?!」ことがあります。時には、相談というよりも、切実なつぶやき・・・の場合もあります

 「○○ちゃんは、この頃は私と遊ばずに、△△ちゃんと遊ぶようになったの。私、何も意地悪もしていないのに・・・△△ちゃんは意地悪な子で、私が「入れて!」って言ったら、○○ちゃんと二人で遊ぶからダーメ、なんて言うんだよ。○○ちゃんは好きだけど、△△ちゃんはあんまり好きじゃないから・・・どうしたらいいと思う、先生?」とか・・・
 「Aくんは強くて怖い子なんだ。いつもお砂場で砂をかけるんだ。先生に言ったら、Aくんは叱られたの。でも、Aくんは、ぼくが先生に言ったせいで叱られたんだって、すごくぼくに意地悪するんだよ。意地悪すること、先生にいったらダメかなあ?」
 こういう話しをする時には、私はすこぶる真剣に、そこ子達の言い分を聞き、その状況に応じた策を一緒に考えます
 すると、一様に子ども達は、「なるほど・・・」とか「わかった」などと、晴れた顔をしてくれるんですね。

 そして、私はちょっぴり興味があって私があって・・・
「ねえ、今、話してくれたあなたのお話・・・ママにも話したの?」
と聞くと、「話した」という子もいれば「話してない」という子もいます。

 おもしろいことに
大抵、アグレッシブなパパやママのお子さんは、「話していない」というグループの場合が多いのですよ
 子どもはね、とっても自分の親をよく観察しているものです。
だから。アグレッシブな親、批判的な親には、自分のお友達の「マイナス」を話したとたん、すっかり話しが大きくなるに違いないということを、何となく感覚として理解しているのですね
 そして、イヤだなあ・・・と思う事があった場合も「今は、きっとママには言わないほうが良いだろうな・・・」などと判断しているのでしょうね。

 まっ いずれにしても、です。
是非、親がわかっているべきことは・・・
 「子どもにも子どもなりの世界があり、彼らは日々その中で、幼いなりにいろいろと考えて生きているのだ」という事です。
 
 親は、ついついわが子を中心に考え、当然のことながら、わが子がイヤな思い、痛い思い、辛い思いをしないように!という観点から、最善と思われるアドバイスをします。
 けれど、すでに4歳児以降は、子ども達も「大人の世界とさほど違わない問題」等を抱えて暮らしているものですね。
 単純に「善悪」だけでは判断できない場合があったり、善悪だけで判断してしまうと、みながギクシャクしたり、みなが不幸になる場合もある・・・大人社会と同じ・・・まさに大人社会の縮図ですよ

 子どもも、保育園や幼稚園のような集団生活が始まると、わが子の「公園デビュー」のことで悩んでいた頃とはもう違うのです。
 子どもは、すでに「母と子」「親と子」という世界の外で、確かに「自分の世界」を持って暮らしています。
 何でもかんでも親が「すべてを」知りたがり・・・知ることによって何にでも首を突っ込みたくなり、「わが子を中心にして考える」クセは、そろそろ終わりにしなければ・・・わが子が不幸になりますよ、お母さん

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お花の先生との会話の中で・・・

2009年06月18日 | にこにこ
 先日、生け花「草月流」の展覧会に行って来ました
年に2度開催されるこの草月展には、必ずもお声をかけていただき出かけます。今までにも、何度かこのブログに登場している草月展。何を隠そう、「お声をかけてくださっている方」こそが、私にトライアスロンを強力に勧めてくださった今年66歳の女性、Sさんです
 お弟子さん相手のおけいこや、海外でのお仕事のほかに、渋谷のホテルのロビーや、レストランのお花を担当なさっているため、夜中に活け込みをなさったり、手入れをなさったりすることも多く、お弟子さんやスタッフはおいでになっても、いったい睡眠時間はどのくらいなのだろう?あのバイタリティーはどこに源があるのだろう?といつも驚かされます
 Sさんは、国内外で活躍される、お忙しい女性ですが、世に言う「バリバリタイプの女性」とは醸し出される空気が違い、しなやかで、たおやかで、とても女性らしい柔らかさの溢れる方で 私が常々尊敬している方です
 Sさんとお目にかかってお話をする時には、今ではほぼ7割がトライアスロンや仲間達の話しで盛り上がってしまいますが、残りの3割の「濃くて深い」お話・・・今回も大変興味深いお話をお聞きしました

 Sさんが教室で、会社帰りの女性達にお花を教えていると、ここ数年はびっくりするようなことが、とても多いのだそうです
 総じて高い教育を受けられ、立派なお仕事をなさっている方々、今で言う「アラフォー」の生徒さん達は、会社では重要なお仕事を任されていたり、それなりのポストに就いていらしたり・・・
 ところが、「今日の花材は、○、△、□です。お店の中で、それぞれご自身でお好きなお花や木を選んで、ご自分のお席にお持ちになってね。」と声をかけると、お花のバケツの前で、もじもじとする方・・・
「どうなさったの?」とたずねると・・・
 お花のどこを、どのように持ったら良いのかがわからない・・・と言われる・・・
 先生は、その言葉にまずはハテナが飛び・・・その言葉の意味を理解するまで時間がかかった、ということでした

 「好きなお花がいくつもあって・・・どれにしようかと悩んじゃいます!」
 「先生、どのお花が活けやすいでしょうか?」
という質問や言葉は想像できても、「お花のどこを持ったら良いのか?」と言われるとは、夢にもおも思わなかった、と話していらっしゃいました

 驚愕の表情を必死に隠し、「あなたは今まで、好きなお花を買って帰ったり、活けたりしたことはないの?」とたずねると、「そんなことがあったら、習いには来ないですよ。未経験だから、お稽古に来たんです!」と少々ムッとされ、またまた驚愕・・・理屈は通っているようでも、やはり、こういう現象は「時代が変わったんだ」と納得はしたくないですよね、とおっしゃっていました
 
 また、お花の関連の講演会に出向かれ、最後の質疑応答の時間に・・・
 「仕事帰りに、いつも通る駅のターミナルで、ラッピングしたお花を毎週買って帰るのですが、あのラッピングはとったほうが良いのでしょうか?」
とよく質問される、というのです。
 要するに、ここ数年で一般的になった、すでにブーケにして、きれいにラッピングをして売っているお花を買って帰り、そのままでずぼっと花瓶(ビールのジョッキ、洒落たバケツ等)に入れている人も多いらしい・・・

 生活の中にいつもお花があり、それを愛でて潤いのある時間を過ごす・・・やっぱり、本当にステキなことですね
 「お花?そんなもん、別にいらないでしょう!」と唾棄される方よりも、ずっとずっとすばらしいですね
 そして、自分でいろいろとお花を選ぶのが当然だった頃よりも、ああしてきれいなブーケになっているほうが求めやすく、あの方式が町にお花屋さんを増やし、お花ファンを増やしたことは確かです。(駅構内や小さなスペースにお花屋を開設し、ブーケ状態でお花を販売する方法をひろめたA店も、じつは、同じトライアスロンチームのメンバーなのですが

 ただ、Sさんはおっしゃるのです。
お花はペットのように動き回ったり、鳴いたりはしないけれども、やはりそれは生き物であり、「置物」ではないのですよ、と。
 同じお花でも、生花を飾るのは、お花の絵を飾るとは意味が違う・・・
本来は(あくまで本来は、ベストは、と言っているわけではありません)、たくさんのお花の中から、自分の好きなお花やその日、ぜひ欲しいと思ったお花を選び、大切に持ち帰り、どうぞ私の部屋に居心地よく咲いていてくださいねという心を込めて水切りをしてやり、お気に入りの花瓶や花入れに活けてやる・・・
 毎日、生き物である花と語り、水を替え、時には水あげをして・・・そして、枯れていくお花に愛情を持ってお別れをする・・・
 絵や、造花や、プリザーブドフラワーとの違いは、こういう「お世話」のあるなし、でしょうね 切り花ではない鉢植えやプランターのお花の場合も、毎日水をやり、終わったお花を摘み、除虫をしてやる・・・

 今、こうして文章を書きながら、私は急に「なんちゃって○○」という、ここ6,7年で使われるようになった言葉を思い出しました
 「なんちゃって○○」とは、正真正銘の○○ではないけれど、それに近いもの、○○のようなもの、という意味です。
「なんちゃってお花好き??」すでにブーケにしたお花のことを考えていて・・・思わず、そんな言葉を思い浮かべました。
 でも、確かに心優しい「お花好き」ではあるのですね

 やはり、このSさんとしたお話ですが、今、様々な国の優秀と言われる若者達(大学生向けの調査のようでしたが)に、「あなたの国の文化について語ってください」という課題を与えたところ、時間をいっぱいいっぱい使って自国の文化について語る外国人の中にあって、ほとんど何も語れなかったのは日本人だった、という話題もありました
 日本には、固有の多くの文化があります。何も茶道や華道のような伝統文化だけが日本の文化ではありません。
 しかし、今、私達を取り巻く状況は、どんどんと文化を軽んじ、数値で表すだけの「優秀さ」を求める社会になっていこうとしています。無機質な優秀さ・・・
 21世紀を生きる子ども達を育てていく私達が、時には「何を大切にして子どもを育てるのか?」「どんな子どもに育てていくのか?」という根本から、考える時間も必要なのではないでしょうか。
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子どもに残る「感覚」

2009年06月10日 | にこにこ
 すでにみなさんはご存知ですが、私は、月に1度、介護帰省として大阪の実家に行っています。諸々の雑用をすること、車椅子の父と一緒に、両親のお気に入りのお店で外食をすること・・・これが私の大きな帰省時の役目です 電球を替える、大きなゴミ出しの段取りをする・・・私達にとっては簡単なことですが、高齢者にとっては難解で大儀なことなんですねえ
 また、たとえ5分程度で行ける近所にあるレストランでも、段差の多い町中の道を80歳近い母が父の車椅子を押して行く・・・こちらも至難の業なのです

 帰省時には、私はほぼ毎回、飛行機を使います 単純に計算して、帰省だけで年に24回。ビジネスマンであれば、頻繁に出張で飛行機を使うのは珍しいことではありませんが、50歳を過ぎたオバサンとしてはめずらしい部類にはいるでしょう。
 そんな私。先だって、石垣島に行く飛行機に乗った時のことです
その直行便が離陸して、高度が安定したころ・・・私は何気なく窓の外を見て、ちょっといつもの羽田-伊丹便に乗った時とは違う「感覚」を覚えました。
 窓から見える景色とか(実際、景色と言ってもまわりは空と雲なのですが)そういうものではありません。あくまで、なにかが違う、という身体が感じる「感覚」です
 しばらく雲を眺めていたのですが、それが何だかわかりません。考えることを諦めて本に目を落とすと、やっぱり「身体が感じる」のです。

 なにかが違う・・・いつもの大阪便に乗った時とは、あきらかになにかが違う・・・

 そんないつものとの違いを感じながら、それでも静かに本を読んでいたら・・・その感じる「何か」が、確かに以前に体験したことがある感覚である、と思い出しました
 そう・・・そうなんです その「感覚」は、2年前の夏、主人が骨盤骨折をして沖縄県名護市の県立病院に入院していた時、私が主人を見舞うために何度も往復した那覇-羽田間の便の中で感じた感覚
 そうだったんですねえ。同じように飛行機に乗って空を飛んでいるのに、このいつもと違う・・・そう身体全体で感じた感覚は、「高度の差」によるものだったのす。気分が悪くなるとか、目眩がする、とか、そういうものではありません。単なる「違いを感じる感覚」です
 いつもの慣れた羽田-伊丹便は、2都市の距離が500キロ。たった45分で到着する距離です。
 つまり、大阪便は、とても低い高度を飛んでいくのですね。その一方で、羽田-那覇は約1500キロ。羽田-石垣は、約2000キロ 羽田から飛んでいく直行便の国内便の中では、一番長い距離を飛ぶ便でしょう。
 この石垣便は、大阪便の4倍ものを距離を行くために、羽田を離陸した飛行機はどんどんと高度を上げていったのでしょう
 
 私は、おもしろいなあ・・・と感じました。
こうして「長距離を飛ぶから、高い高度を行くのです」と理屈を書けば、「なるほど。確かに!」と頭で理解しますが、私が石垣便に乗り、ぼーっと座っていただけで「身体が感じた」ことは、理屈ではありません すぐに、高度の差、いつもよりもはるかに高いところを飛んでいるから、違う感覚を覚えたのだ!とは気づかなかったものの、確かに「違い」は感じ、「なるほど」などという頭での理解以上に、強く強く身体が悟った「違いの感覚」でした。

 私はその時、ぼんやりとこんなことを思いました。
子ども達は、大人よりも知識や経験が少ない。だからこそ、いろいろと体感をしたことを、感覚として意識の中に残し、身体や心の記憶として、強く残していくだろうな』と。

 みなさんは、こんなことはありませんか?
私の父は、非常に厳しい人でした。スパルタ教育パパであり、昭和の時代によくいた暴君的父親だったわけです。教育的見地からも厳しかったのですが、ある意味もっと、自分の気分に左右されてわが子を叱りつけたり、怒鳴ったりするタイプ・・・と言えばおわかりいただけるでしょうか
 そんな人でしたので、パシッと叩かれたり、怒鳴られたりした時、「ああ、私が~~~ないけないことをしたからだ。しまった!」とか「やっぱり~~~は言ってはいけないことだったのだな。私が悪かった!」と即座に反省できる時もあれば、「あれ?私はどうして今、叱られてるのかな?」「げげげ・・・これはいったい何だろう??」のような時も多々ありました
 まあ、いずれにしても、私は51歳になった今でも、私を叱りつけたり、怒鳴ったりした時の父の「冷酷とも言える形相」を覚えていますし、その時の「空気」を思い出せます
 もちろん、こういうマイナスの感覚ばかりではなく、うれしかった時や、幸せだなあと感じた時のことや、プラスの記憶にまつわる「感覚」だってありますよ

 子ども達がおままごとをしているのを側で見ていると、その子の母親や父親と全く同じような話し方や叱り方をしていて、思わず笑ってしまう・・・というようなことがありますよね
 あれは、子ども達が両親の語り口を記憶しようとして学習していることではなく、あくまでも耳から聞き、身体で覚えている「感覚」から身に付いているものだろうと私は思えてなりません
 このことと同じように、子ども達も私達も、「記憶」とはまた違うところで、さまざまなことを「感覚」で覚えているのだと思うのです。そして、感覚で覚えていることのほうが強く、深く心の中に残っていく・・・

 こんなふうに考えてみると・・・
子ども達には、どんな親にまつわる「感覚」が残っているのでしょうね?できることなら、何歳になっても、喜びや感激の思いを伴ってよみがえるような「プラスの感覚」を、たくさん与えてあげていたいものです。
 そして自分自身も、それがプラスであれマイナスであれ、「感覚」として自分の中に残せるような、敏感な柔らかい心の持ち主でありたいですね

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