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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

親の感性

2009年05月28日 | にこにこ
 現代では、さまざまなシーンで「感性」という言葉をよく使います。子育ての話しの中然り、仕事の上でも「感性」は大きな意味を持っているようです
 何事に対しても「行け行け、GO!GO!」の昭和の時代は、「感性」や「心」などという比較的「静」に位置づけられることには、あまり価値は見出されていなかったのでしょうね。それよりも、「パワー」だとか「勢い」とか「馬力」などという言葉に象徴されるような「動」が重要視された・・・
 
 しかし。この感性とは・・・なかなか、説明のむずかしいものであるかもしれません。
 ただ、私の考えでは、「感性」とは、「理屈とか理論」とか、そういうものの対極にあるもの・・・見たもの、聞いたもの、経験したこと、そういうことを素直に、柔らかい心で感じたままを大事にすること・・・だと思っています
 きれいな花を見た時、「何という花なんだろう?」と疑問に思い、是非、その花について知りたい!と思うことも、とても大事だと思います。年齢に関係なく、「知る」ことは、人を大きく豊かにしてくれますからね
 でも、そういうこととは全くちがった次元で・・・その花の名前を知らなくても、原産地や品種や開花時期を知らなくても、単純に「ああ・・・きれいだあ・・・」と感動し、その花に見とれる時間、その時間の心のあたたかさ・・・などが、その人の「感性」なのでしょう
 1+1=2、2+2=4・・・それこそが真理だ、と感じて生きている人が相手では、話していても面白みや潤いがないように、「感じる心」を持っていなければ、その人の幅は狭く、心が固く感じてしまうのではないでしょうか?

 またまたスポーツ関連の話題で恐縮ですが。
4月の石垣島トライアスロンでご一緒した方に、あるお父様がいらっしゃいました。年長児のお嬢様をお持ちのお父様で、この秋に小学校受験を控えていらっしゃいます。
 レースの前日、受付の手続きをしに体育館に行った後、説明会までの長い待ち時間をご一緒し、いろいろとお話をしました。
 そのパパのご自身の大学時代の経験、現在のお仕事への思い、父親としてのお嬢様への思い等、語られるお話がどれもこれもイキイキとしているのです
 さまざまなお話から、この方は頭だけではなく、心で物事を捉えて、毎日を楽しく豊かにご家族と過ごしておられるのだなあ、と感じ、私までがほのぼのとした気分になりました。同時に、そういうお父様のもので暮らすお嬢様のお幸せも感じてたのでした
 教室の仕事をしながらも、時折、そんな「父親像」として、その方のことを思い出していると・・・たまたまレースの後、その方がご自分の思いを現地の新聞に投稿され、その記事がその地方紙に大きく掲載されたことを知りました。その一部を、ここでご紹介しましょう。



 「昨年10月、トライアスロンをしていた知人から何気なく「やってみない?」と誘われ、その場で「デビューは来年4月の石垣島ね」と勝手に決められてしまったところから私の石垣島トライアスロンは始まりました。何しろ「石垣島」とは聞いたことはあっても沖縄本島から一体どれくらい離れていて、どんな形をした島なのかさえもわからない状態でした。
 それからはホームページに載っている大会の写真を何度も見ながら「ああやって石垣島の皆さんに応援してもらえたら気持ちいいだろうな」と思いながら練習してきました。
 大会当日は何とも言えない緊張感の中で私の初挑戦はスタートしました。海では何度も人とぶつかりながらやっとの思いで陸に上がり、自転車のある場所まで数百メートルを走った訳ですが、既に多くの石垣島の皆さんが応援してくれ私は「ああこれだ、これこれ!」とホームページで見た写真を思い出しながら嬉しくて仕方がありませんでした。自転車で走り始めてからも、沿道から応援してくれる皆さん一人一人の顔が見たくて「ありがとー!ありがとー!」と手を振り大きな声で叫びながらレースをしていました。
 最後のランニングでも皆さんからの応援は変わらず本当に心強かったです。そして沿道からの水やポカリ、塩やバナナにどれだけ助けられたことか。今までに食べたり飲んだりした何よりもおいしく感じました。迎えたゴールの瞬間、私はガッツポーズをしながら大きな声で「ありがとー!」と叫んでいました。これはこのチャレンジへの自分の気持ちと、応援して下さった石垣島の皆さんへの気持ちから出てきた素直な感情でした。
 完走者メダルをもらい、レースを振り返りながらタオルで汗を拭っていた時、何故か大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちてきました。小さな子供からおじいちゃん・おばあちゃんまでが鍋や太鼓を叩きながら「ガンバレー!」と言ってくれた一声一声、その情景を思い出すと自然に涙が溢れてきました。

 あの感動から約一週間、名古屋に戻った私は通常どおりの生活を送っていますが、石垣島で自然に出た涙の理由が今になってよくわかってきました。それは久しぶりに「本物の人の優しさ」に触れることができたからだったからだと思います。どこの誰かもわからない。けれどとにかく温かい心で人を包みこむ。「遠いところをよく来てくれたわね」と島中から歓迎されたかのようなここち良さ。まさに人としての原点を垣間見た気がしました。
 今の日本にこれだけ純粋な心の人が多くいるところは少ないと思います。石垣島には素晴らしい自然と共に「素敵な人々」がいます。石垣島の皆さんにはそうした雰囲気や文化をいつまでも大切にしていただき、これからも多くの人々を感動させていって欲しいです。私は来年も絶対に出ます。だって私にとって石垣島は心の故郷になってしまいましたから。
 来年もまたたくさんたくさん応援して下さいね。それを楽しみにまた頑張って練習します。
 石垣島の皆さん大変お世話になりました。そして本当にありがとうございました。



 いかがでしょうか?
この方が「お嬢様のパパ」として、どんなことをわが子に語り、どんなふうにそれを伝えようとなさったか・・・きっと、そのお嬢さんの心には「いしがきじま」「がんばるパパ」「パパを応援してくれた人達」「うれしくて、おとななのに、泣いちゃったパパ」等、印象として残ったのではないでしょうか
 親の感性・・・親の豊かな心・・・それは、間違いなく、わが子のまだまだ柔らかい心に直に響いていくものだと実感しています。

 ちゃんと部屋を片づけない・・・ 大きな声でごあいさつをしない・・・ 何度注意してもいっこうに治らないわが子の態度には、本当に腹が立ちますよね。
 でも、お母様の「口」を、ガミガミ、ぶつぶつと文句を言うために使うのではなく、時には、ご自分が感じたことや思いを、心を込めて言葉を発することに使ってみませんか?
 スポーツなどに挑戦しなくても、何か特別のことをしなくても、ちょっとご自分の発想を意識的にかえてみると・・・日頃の生活の中でも、いろいろと感じることは多いものですよ
 今日の雨も、眺めていると、心を落ち着かせてくれる素敵な自然の恵みです
 こんな穏やかな心で眺めてみると、日頃は感じることのできなかったことも、見えたり、感じたりできるものです。
 親の「感性」が、まさに子どもの感性を育てる手だてとなる・・・間違いありません

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パラカップ2009 - 子ども達の成長

2009年05月12日 | にこにこ
 チーム・マナーズ、総勢30名!元気に完走
4月29日、爽やかな青空のもと、今年も「パラカップ2009」が開催されました。「世界の子ども達に贈る~RUN~」この主旨にご賛同くださったみなさんと、当日は元気に身体を動かしました

 この日は・・・
走ることによって、子どもに何か伝えられるか?と重い腰を上げてくださったお父様・・・
 私がご紹介したチャリティーラン「パラカップ2009」出場を決め、それを動機に初めてランニングを始めたお母様・・・
 ちょっぴり大きくなったわが子と、熱い時間を共有するためにとエントリーされたご両親・・・
 そして、すっかりお兄さん、お姉さんになり、颯爽と10キロを走った卒業生の子ども達・・・
 在学している学校も、学年も違う子ども達とそのご家族が、このチャリティーランに同じ思いを持って集い、「チーム・マナーズ」として友好を深め、気持ち良く汗を流す・・・私は本当に感激でしたし・・・パラカップ主催者のみなさまや協賛した各種団体の方々からは、そのパワーと結束力の強さに感動した、とお話しいただきました
 10キロウォーク、10キロラン、と出場する種目は違っても、出場者全員が完走し、お一人お一人がこの日にあらためて、多くのことを考え、感じてくださったことを本当に本当にうれしく思いました

 ほんの一部ですが、パラカップの後にいただいた保護者のみなさまからのお声をご紹介させてください。
 「息子と二人、とても良い経験をさせて頂きました。歩くことは生活の中でもありますが、景色や空を眺め、その綺麗なことを楽しみながら、またたくさんの方に声援を頂き、楽しく10キロ歩くこと・・・こんなことはなかなかできません。途中、少し疲れて休みたいと言った息子でしたが、ゴールできると、まどか先生に『次回はMちゃんと一緒に走りたい!』と言っていましたので、とても楽しかったのだと思います。」
 「10kmなど、今までの生活では車での移動しかありえなかった私ですが、こうして走れるようになるきっかけを作ってくださって本当にありがとうございます。子供も10km完歩でき、帰り道では、ママがんばったね、僕も頑張った、走っている人はみんながんばったよね・・・と話していました。いつの間にか、自分中心の世界だけでなく、周りの人々をねぎらうことができるようになったのかな? 大人と同じ土俵に立ってのいろいろな経験が、子供たちを成長させてくれることを実感しました。」
 「このような経験をさせて頂きましてどうもありがとうございました。皆さんと一緒に参加できてこその楽しさを味わいました。お天気と、自然の景色と、沿道に立つボランティアの方々の声援と、いずれもすばらしいと感じました。すべて良い思い出となります。来年はウォークではなく、是非ランナーとして参加できるよう準備していきたいと思いました。応援組だった次女は、来年は 「私も走る」と寝るまで話しておりました。今日をきっかけに家族皆で「スポーツ」に興味が持てたら良いな、と思いました。」
 「先ずは親子3人、完走できたことに心から感謝です。マナーズでも、姉の影に隠れがちだった息子が快挙をあげ、びっくり!まわりのみなさまに「がんばったね~」「凄いね!」と声をかけて頂き満面の笑み。息子にとって、大きな自信になったことが何よりの収穫でした。こんな体験が子どもの精神的な成長に繋がることを、改めて感じました。」
 「今日は、ばりばりの筋肉痛ですが、昨日は天候にも恵まれましたし、ひとりではなかなかできない運動もでき、とてもよい休日を過ごすことができました。改めてこのチャンスに感謝です。あの後、GW中に訪問する知人宅へのお土産の買出しへ行ったのですが、どういうわけか主人はトレーニングパンツを購入していました・笑」
 「今年は2度目の参加でしたが、娘はパパも一緒に参加できたことが何よりも嬉しかったようです。太陽の下でのランニング、とっても気持ちのいいものですね!主人は「来年はしっかり練習して、ハーフに出る!!」と今から息巻いております。」

 きっかけは何であれ、終わった後に「ああ、やって良かった!」と感じることのできることに出会うことは、とてもすばらしいことだと思います
 今回は、たまたま走る、とか歩く、というスポーツでしたが、それがどんなものであったとしても、とにかく「行動を起こす、ACTION」なくして、何も始まりません
 このアクションから、人は間違いなくさまざまなことを感じ、考えるものです。そして決して大袈裟ではなく、そこで感じ、考えたことは、その後の生き方に大きな影響を与えることになるでしょう

 とは言え・・・
子ども達はいとも簡単にアクションを起こせるのに対して、年を重ねるごとに、人はみな、上手な理由を見つけて、新しいものへのアクションを回避していくようになります 心の中には「アクション」への憧れと期待を感じていながら・・・
 今回、そのアクションを起こしてくださったお父様、お母様、本当にありがとうございました そして、そんなステキな大偉業を成し遂げる時間を共有できたことを、とってもうれしく思っています

 さて、このレースですが。
私の何よりの大きな感動は、卒業生達が着実に成長していっている姿をこの目で確かめ、実感できたことでした
 昨年のパラカップでは、新1年生ながら、汗びっしょりになりながらも一生懸命に歩き、お母様と一緒に10キロウォークを達成したお嬢さんは、2年生になった今年もちゃんとやり遂げてくれました やはり今年も、汗ダラダラの顔まっか。ゴールして戻ってくると、にこにこと私の前を通り過ぎ、自分のバッグをゴソゴソとやっているかと思うと・・・おもむろにタオルを取りに出し、顔をごしごし・・・その姿は何とも愛らしく見えました
 すっかり私の身長を追い越した中2ちゃんも、パパと一緒にゴール 私の容赦ないハグをいやがらずに受け、昔と変わりない笑顔を見せてくれました
 昨年に引き続き10キロランに挑戦した3年生お嬢さんは、今年はタイムを1時間も縮めましたよ パパもご一緒された今年は、家族パワーが溢れたのでしょうね
 あの悪天候の三浦マラソンで転んでケガをしてしまった2年生 今回はご家族で10キロウォークにエントリーされましたが、結局はほとんどの距離を走りきりました
 つい半年前にマナーズを卒業した新1年生も、お母様と一緒に一生懸命歩き、しっかり10キロ歩き、ゴールを果たしました

 そして、ちょっぴりオマケの話しですが・・・私は、ほんの30秒ですが、10キロで念願の1時間切りを達成しました
 石垣島のトライアスロンの3日後ということで、多少、満足に走られるかどうか心配でしたが、案ずるより産むが易し 走り出したとたん、いつもより足はかなり重く感じたものの、多くのランナー、ボランティアの方々の声援に後押しされ、本当にステキなランをすることができました
 それに、この私の10キロ1時間切り達成の原動力になった「私のペースメーカー(ペースを落としてしまったりすることのないように、自分より少し前をペースを保って走る人のことです)」は、何と、4年生の卒業生でした
 私は、5キロの折り返し以降、彼が脱落していかないように要所要所で声をかけ、すっかり私がリードしてあげているつもりでした。
 ところが、6キロを過ぎても、7キロを過ぎても、彼のスピードはいっこうに落ちてきません いつしか、私が彼をリードするのではなく、私のほんの少し先をちょこちょこと、軽やかに、楽しそうに同じペースで走っていく彼を、追いかける立場になっていました
 間違いなく、彼というペースメーカーがいなかったら、私はもっと、ペースダウンして走っていたことでしょう。

 このペースメーカーWちゃん・・・心根がやさしく、いつも笑顔を絶やさなかった彼は、私の中では「いつもニコニコと機嫌良く笑い、穏やかに話し、2歳年上の大好きなおねえちゃまの後ろをちょこちょことついて歩く男の子」でした 
 ところが・・・です。今回彼は、スタート以降ずっと、ママやおねえちゃまから離れ、ずっと自分のペースを崩さずに走り抜いたのでした
 中学受験を目指す彼は、帰宅後、少しおやつを食べた後で、塾も休まずに行ったそうです・・・

 子どもの成長には、目を見張るものがあります。
親は、わが子の成長に手を貸すつもりで、実際には、あまりに手をかけ目をかけすぎて、その力強い成長の足を引っ張っている時さえあるのかもしれません
 本来、子どもは逞しい者、なんですね
 私のしつこいハグを受けて、ニコニコと笑顔で多摩川河川敷を去っていった子ども達・・・今日も、この瞬間も、どんどんと成長していっているのでしょう

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前向きに捉える!

2009年04月14日 | にこにこ
 前向きに捉える ― よく言われる言葉ですね
さまざまなことが起こっても、良いこと、悪いこと、起こったことのすべてのことを「あって良かったこと」として甘受し、それを肥やしとして成長していくこと、とでもいうのでしょうか。
 しかし、なかなかそれを上手にできる人は少ないように思います 特に子育て中のお母様方の場合は、「前向きに捉えられない、悲観的に感じてしまう」人が圧倒的に多いですねえ。なぜそうなんだろうか?と考えてみると・・・答えは簡単
 わが子の成長がスムーズに、効率良く、かつ効果的であることを心から願い、とにかく大小を問わず、トラブルは避けたい!と願っている・・・ということでしょう
 
 障害は、自分達親子の行く手を阻む大きな敵 わが子にとって不幸であるばかりか、わが子に降りかかったその不幸を排除するために、親も心身ともに奔走しないといけない、という「よけいな手間」が課せられてしまう・・・これは、親にとっても辛く、面倒なことに違いありません(ただ、この「親にとっても鬱陶しく厄介なもの」であるから、困難を回避したいと考えている自分、を認識している親は多くはありませんが

 じつは、私は「何事も前向きに捉えることが、非常に上手な人」である、と思っています。
 いつからこうなったのか?は定かではありませんが、少なくとも結婚をし、自分の両親の傘下から出て、人の妻、わが子達の母親となってからは、「どうあがいても、物事は自分の思い通りにはならない」「自分の努力だけでは、どうにもならないことはあるのだ」ということを悟ったからなのではないか?と考えています
 結婚前は、たとえば「こんな親の元に生まれた私の不幸」なーんて考えられたわけですが、夫は自己責任で自分が選んだ人、わが子は自分のDNAと、自分が選んだ夫のDNAを受け継いで生まれてきている上に、私が良しとする教育方法で育ててきているわけですものね。
 だから、夫や子どものことに文句を言うことは、天に唾すること、なわけで・・・
 そういう私たちに降りかかることは、結局は必然のことである、と思えるようになったのでしょう
 ・・・などと書きましたが、誤解を避けるために敢えて!
現在、私は幸せに暮らしていますよ そして何よりも、何事をも前向きに捉えるからこそ、流れに逆らわず、自分に与えられたことすべては「起こるべくして起こったこと」として、ありがたく受け止めていられるのです

 50歳を過ぎてから本格的に始めたスポーツ・・・すっかりはまっています
2年前の夏の夫の自転車事故の後、夫が無事に生活に復帰できたら、今度は一緒に楽しもう!と決めた思いと、常に教室で「がんばれ!がんばれ!がんばることは尊いことですよ!」と教えている私だからこそ、今度は私が誰よりも一番「がんばろう!」と誓った思い・・・
 今は、それがどんなに小さなことであっても、新しいことに挑戦するたびに、私は教室の生徒達の気分です
 教室を開いて16年。本当にたくさんの子ども達の「表情」を見てきました。
 今日はどんなことをするんだろう?と、ウキウキ気分で私を見上げる明るい顔。
 新しいカリキュラムの説明を聞いたとたん「うっ、わかんない・・・」と、狼狽でこわばった顔。
 何度も何度も説明を受け、「ああ!」とひらめいたり、つながったりして、理解できた時に輝くような表情
 スポーツをしている時の私は、まさに彼ら、そのものなんですよ

 ここ2か月の目標は、バイク用シューズを履いて、スムーズに自転車をこぎ、問題なく自転車の乗り降りができるようになること、でした
 レース用自転車のペダルにはアタッチメントのような金具がついていて、専用のシューズをカチャンとはめ込むようになっています。こうしてシューズとペダルを固定することによって、高速での走行がスムーズになり、「ペダルをこぐ」だけではなく「ペダルを引く」力も利用できるようになる、というわけなんですね
 ただ、不慣れな人にとっては、このペダルの金具へのシューズのはめ込み、はずし・・・が、なかなかネックになります(ペダルとシューズが固定されていますので、自転車を止めたとき、上手に金具を外していないと、そのままで転んでしまう危険性があるのです)
 もちろん、このペダルとシューズを使わずにレースに参戦しても問題ありません。ただ、やはりこれを使ったほうが効率良くペダリングができるので、40キロの距離をこぐことを考えれば良いに違いないですし、下り坂での安定性も断然良くなります。ということで、コーチからもお仲間達からも「練習!!」の命令が下っていました

 この間の日曜日にあった大井埠頭での練習では、やっと落ち着いて金具の着脱もできるようになり、走行にも自信が持てるようになりました
ところが、いよいよ走り終えて自転車を降りるときになって、ドッテーン お仲間達の間で言われる「立ちこけ」というやつを経験したのでした
 自転車を止めて降りるときには、ブレーキをかけながら、サドルからお尻を落とし(サドルが高いので、サドルに座ったままでは足が地面につかないのです)、左足だけペダルの金具からカチャンとシューズの固定を解きます。
 そして、止まると左足を地面について、やっと右足のシューズをペダル金具からはずすんですね。
 ところが・・・です
無事に練習を終えた私は無事に自転車を止め、左足を金具からはずしたのですが、そのとたんに気が緩んだんですねえ。先に到着していたお仲間達の「お疲れ様!上手になったね」の声にうれしくなって、満面の笑顔で応え・・・右足のシューズがまだペダルにくっついたままであることをふっと忘れてしまっていて・・・
 「あれれ?なんで私、右足が地面につかないの???」と思っているうちに、止まった状態で、ドッテーン
 
 笑えました
もちろん、止まっていますので、たんに、どったんと転んだだけですから、右手右足の軽い打ち身だけです
 「まどかさん、立ちこけは結構するわよ。でも、自分で勝手に転ぶだけだから、人に迷惑はかけないし、かなり恥ずかしくて格好悪いけれど、それだけのこと、問題なしよ」と言われてはいたものの、あの高さ(サドルまたがっていると、かなり高い気がします)からこけると、どうなるんだろうか?とか、どんな状況でその立ちこけが起こるのだろうか?など、想像しているだけはやっぱり不安でした

 そんな思いの中、私はめでたく「ドッテーン」と立ちこけをしたのでした。
どうして立ちこけが起こるのだろうか?という疑問にも答えがでました。私の場合、左の靴を上手くはずしたにも関わらず、右側の人たちに気を取られ、左側に降りようとせず、思わず右側に降りようとしてしまった・・・
 どうなるんだろう?との疑問の答えは、まるでスローモーションのように右側に倒れていき、なかなかその間に首尾よく右側のペダルの金具を外すのは難しい、ということ・・・
 決して負け惜しみではなく、「ああ、レースまでに立ちこけも出来て良かった」と思いました。もちろん、倒れないのが一番良いのですが、「知らないこと」があるのは不安なんですね。

 私は、今回のバイクシューズに挑戦した練習では、たくさんの「問題、不都合」を経験しました。
  シューズを履いてみると、靴裏の前の部分に金具がついているため、とても歩きにくくて、つるんと滑りやすいこともわかりました。
  初めてシューズをはき、まずは右側をペダルの金具にはめようと焦ると、ペダルの表裏を考える余裕がなくて、かえって上手くいなかいことを知りました。
  右足でこぎ始め、焦って左側を入れようとしたとたん、ペダルがつるっと滑って、しこたま左足の弁慶の泣き所をぶっつけてしまいました。
  右側に気を取られると、足がはずれていないことを思わず忘れてしまうことも学習しました。
  立ちこけしても、案外痛くないこともわかりました。
 ぜんぶ、知っていて、経験して、本当によかったと思います

 つい先日、就職活動をしていた娘が、やっと内定をいただきました
大学受験を思うように終えた娘にとって、今回の就職活動は、競争をする機会の少ない彼女の人生の中で、初めての辛い試練の毎日だったようです。
 でも、暗い顔をしながら遅くまでエントリーシートを書いている(のであろう)娘の重い空気を感じながら、私は思ったものです。
「無駄な経験なんて、なーんにもない 転んでも、泣き笑いをしながら立ち上がりなさい!辛い経験も、ぜんぶぜんぶあなたの生きる肥やしになるのだから」と。
 
 これから先、長い長い人生を歩いていくわが子に、前向きに生きていくことのすばらしさ、大切さを教えてあげられるのは両親です。
 その両親が目の前の事象に一喜一憂していては、きっと子どもは大きな人間には育たないのではないでしょうか ねえ・・・

 
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桜も共演者

2009年03月27日 | にこにこ
いよいよ関東では、桜が咲いてきましたね
ここ数日の寒さのおかげで、きっと、入学式まで持ってくれるのではないでしょうか。

 先日、卒業生のお母様からメールを頂戴しました まもなくうれしい入学式を向かえるそのご家庭・・・今年の春は、きっと思い出深い春になるはず。
 
 「先生お元気でいらっしゃいますか。昨年、子どもと一緒に、つぼみの時からずっと観察していた桜を見に行きました 坂を下ったところにあるその桜の古木は、まだお花はちらほら。その桜のつぼみや、咲いた僅かの花を見て、わが子が一生懸命に話す姿 ママ、こちらの花びらの色は薄いね、とか、こっちの枝には咲いたお花が一杯あるのはなぜだろうね、とか・・・とっても熱心に見入り、何よりも楽しそうでした 
 私は昨年のことをいろいろと思い出しました。先生からの「ご指示」があり、少々気が重く、小学校以来の「観察」の思いで始めた「桜の木 通い」 ところが、毎日続けているうちに、古木への愛着とでも言うのでしょうか。愛しい思いが生まれ、桜が散っていく時には涙が流れ、緑の新芽で一杯になった時には、新しい活力に元気づけられました (中略)きっと、来年も私は、子どもと一緒に、この時期から、ここに通うことでしょう。いつまでこの子が、今と同じ目で、私と一緒にこの木を眺めてくれるかはわかりませんが、間違いなく、この桜の古木は、わが子の成長の中には欠かせない思い出の木となることと思います(後略)」

 私はこのメールを読ませていただき、本当にうれしく思いました
このお母様が書いてくださったように、私は毎年、年長児クラスの保護者の方々に・・・
 「1本の桜を決めて、毎日、完全な葉桜になって、青々と枝を茂らせるまで、親子で桜を愛でてください!」
 とお願いをします。まさに、それは、保護者の方々にとれば、この卒業生ママが書かれたように「先生からの指示」でしょうね

 いつもは、「ああ、咲いたのね。」「わー、きれいね。」「あら、もう散り始めたわ。」「いやだあ、いつの間にか葉桜になっちゃって・・・」ということでしょう。
 テレビでも、咲き始めからは、2分咲き、5部咲き、8部咲き・・・などと、カウントダウンするように楽しむ桜も、散ってしまえば、まるでそこにあることも忘れてしまう・・・年に1度、決められた季節に近くの県や市の施設にやってくる「有名な絵画」のようです
 けれど、桜は、じつは冬の寒い寒い時期から、花を咲かせるべく少しずつ様子を変えているものです。桜は、生きているのですもの・・・

 「自然の営みを感じる」とはよく言われる言葉ですが、自然を撮影なさるカメラマンだったり、気象関係のお仕事だったり、お天気に大きく左右されるお仕事だったり・・・そういうことでもない限りは、自然とは、私達の生活の身近なところにありながら、なかなか「感じる」ことのないものでしょう
 けれど、私は思うのです
自然の営みを感じるということは、決して特別なことではなく、自分の生活、家族の時間、わが子の成長・・・そういうものの「そば」にあるものを、愛情を持って感じる、ということだと

 幼稚園のお迎えの時、バスから降りてくるわが子、駆け寄ってくるわが子の「そば」にある木々や花壇にふっと目をやって、「ああ・・・」と意識して眺める目。 いってらっしゃいと夫を送り出す時に、ふっと聞こえた鳥の声。「あれ?町中でも、鳥の声って聞こえるのね・・・」
 私達の身も回りのすべてを、自分達の生活の「背景」「張りぼての絵」として邪険にするのではなく、私達の生活を、よりステキにしてくれる「貴重な共演者」として愛情を持って眺めたり、耳をすましたりしていると、私達自身が、とっても豊かになります

 みなさん、よくご存知の私の日課。
子ども達や夫を送り出す時、私は必ず、玄関先で「いってらっしゃい」と送り出した後、リビングのベランダに出て、マンションの中庭から出口に歩いていく家族を見送ります
 別に、頼まれたわけではありませんし、送られる家族にしても、いちいち、ベランダのほうを振り返り、わざわざ再度手を振るというのは面倒なことかもしれません けれど、長年の習慣・・・なんです。
 その時、彼らが手を振る姿は、必ず我が家のベランダ前の桜の大木越しに見えるのですよ。

 今朝も、私は娘を送り出し、ベランダから手を振りました
黒のスーツ姿の娘は、いつものように振り返り、小さく手を振って出かけていきました。就職活動中の娘・・・その娘の今を象徴するかのように、いつもの年よりも、早く満開になるという予想された桜は、まだまだ花を咲かせていません
 
 しばらく桜の枝々を眺めながら、スキップするようにランドセルを揺らせ、バイバイをして登校していた頃の娘の姿を思い出していました
 今ではすっかり大きくなったこの桜の木々も、息子や娘が幼かった頃は、まだまだ貧弱な桜の木だったのです。この桜達は、わが子達と共に成長し・・・そして、わが子達の成長の中には欠かせない、たくさんの思い出のつまった「共演者」です

 ほんの少し自分が優しくなるだけで、家族の身のまわりには、わが子の人生の「共演者」がたくさんあるのではありませんか?
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大人にも、無限の可能性あり!

2009年03月22日 | にこにこ
 午前9時10分、曇天の中、2009年の東京マラソンがスタート。ちょうどその時間、私は、横浜のみなとみらいのカフェに到着しました
 今日は、チーム・マナーズのハッピーランニングの日、です 4月26日、多摩川で開催されるチャリティーマラソン「パラカップ」を一つのきっかけに、ランニングの企画をたててみました
 初めてランニングをしようと決めたママ達 ただ走るだけではなく、ランニングの基礎、知識を学んで走ろう!というママ達 集合時間にはまだかなり時間がありましたが、すでに「ウキウキ、やる気」のママ達が集まり始めました

 心拍数や心肺機能の話し、血液の循環の話し、無酸素運動、有酸素運動の話し、LSD走法の話しなど、ランニングをするにあたり、知っていれば役に立つ話し、わかっていれば安心な話しなど、30分のランニングドリルのあと、しっかりと準備体操をしました
 いよいよランニング開始 大観覧車のコスモクロックを見上げると、10時30分でした。今日は風が強く、海のそばの公園を走る時には向かい風 一人であれば、かなり気分の萎える強風でしたが、初めてのランニングは笑顔がいっぱい
 若い頃は、箸が倒れてもおかしい・・・と言われますが、今日の私達は、向かい風であっても、今にも雨が降り出しそうであっても、何だかとても楽しい・・・ランニングに挑戦!みな、同じ思いを持ってこの「挑戦」をしている・・・その興奮が、すべてをハッピーにしてくれるのでした

 1キロ8分強という「ゆっくり」のペース。ハーハーゼーゼーしないランニング おしゃべりをしながら、冗談を言って笑って走れるペースは、心拍数から見てもまさに有酸素運動。
 みなとみらいホール前を出発した私達は、強烈な向かい風の中、新港パーク、赤レンガ倉庫を通り、できたてホヤホヤの象の鼻地区を左に見て大桟橋へ。そこでUターン。
 くるりと方向を替えたとたん、みなとみらいホールのある建物がはるか遠くに見えました 私達がどれだけの距離を走ってきたのかがよくよくわかりました
 「わあ、パシフィコがあんなに遠くに見える」そうなんですよね。じつはすでに2キロ以上も走っていたのです・・・
 帰りは、開港博会場の横を通り、コスモワールドを左手に見て、もとの場所へ。残り500メーターあたりでポツポツと雨が降り出しました。
 中学の新1年生になる卒業生のお嬢さんは「わー、私、こんなに走れると思わなかった!こんなに走れちゃった」と感激。ママ達もじんわりと汗をかき、爽快な気分・・・と話してくださいました
 スタートしてから40分間。私達は4.8キロを走りました
 ランチを済ませて帰ってくると、すでにメールが入っていました。
楽しかった あんなに走れてうれしかった また、絶対に走りたいと思った・・・私はうれしかったですねえ

 私は本当に思うのです
若い子ばかりではなく、大人の私達にも、実際には可能性がいっぱいあるのだ、ということ そのことを大人が実感できないのは、本当は「実感できない」のではなく「実感しようとしない」だけなのではないのかな?

 ランニングでなくても良いのです。他のどんなことでもいい・・・それがどんなことであっても、「到底、私にはできない」「そんなことは絶対に無理」「できるわけないじゃないか」こんなふうにさえ考えなければ・・・
 いつか重い腰を上げれば・・・必ず、新しい大きな可能性は生まれる きっとそうだと思います 要するに、限界を作っているのは、案外、自分自身なのかもしれません

 初めて4.8キロを走り終えたママ達の笑顔・・・その笑顔は、わが子がペーパーでたくさんの花丸をもらった時、成長を実感した時の笑顔とはまた違う、イキイキとした達成感に満ちた女性の笑顔でした
「無理」「できない(させられない)」「やれるわけない(させられるわけがない)」・・・そういう思いこみが、じつは可能性への道を閉ざし、自ら限界を作り、新しい世界を見るチャンスを奪っているのでしょう

 さまざまな学年の子どもを持つママ達 走っている時には、立派な「ランナーの卵」だったママ達も、ランチの時間にはすっかり「母親」の顔に変身し、いろんな子ども話し、子育て話しに花を咲かせました
 今夜ママ達はきっと、東京マラソンで完走したランナー達とまったく変わりない達成感を味わってくださっていることでしょう

 5月には、皇居ランニングを楽しみましょうね さあ、ランニングだけではなく・・・次なる「輝くママ」の挑戦は、何にしましょうか?
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