goo blog サービス終了のお知らせ 

まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

祈り・・・

2010年08月23日 | にこにこ
 私がちっともブログを更新しない間に、すっかり季節は「猛暑の夏」から「残暑厳しい夏」へと移り変わりました。
 日々の生活の中で見聞きするほとんどすべてのことにヒットし、あれこれとひらめいたり、考えたり、腹を立てたりする・・・ということは以前と全くかわりませんが、前回にブログを更新した山形県酒田市から帰ってきたあたりから、どうも「何かが本調子じゃない」という状態が続きました。
 常に前向き、いつも元気印という私が、なぜか「疲れたー・・・」という感じであり、またその疲労感がほとんど取れない・・・夕方になるとひどくむくむし、時には冷や汗がダラダラ。
 も、も、もしかして、何か深刻な病気が私の中に潜んでいるかもしれないと思った私は、友人でもあるホームドクターのところに行き、いろいろと検査をしていただきましたが、その結果は・・・

 「一時、太っているときに気になっていたところも問題なくなっているし、大丈夫 隠れた病もなし でもね、立派な更年期障害だって数値が出てるわよ。むくみも、冷や汗も、疲労感も、間違いなくそのせい 安心して
 というのが彼女の言葉でした。

 私と同じ年の彼女にとっても、更年期障害は身近な問題。いろいろと説明を受けましたが、とってもわかりやすく、更年期障害のメカニズムも手にとるように理解できて、確かに「安心して!」の意味が納得できました
 とはいえ、残念ながら、その症状は結構ひどく、ブログの更新ができなかったことをすべてそのせいにしてはいけませんが、思いばかりが先走り、行動が伴いませんでした
 大変失礼しました。元気印の私が初めて経験する「ダラーっとして、すっきりしない気分」です

 さて、そういう近況の私。
お盆の土曜日は、貴重な夏休みの週。ここ数年は、土曜日にお休みをいただくと「トライアスロンの遠征」をしていたために、せっかく連休になっても、何となく「休日・休暇」のイメージがありませんでした。
 ハードな運動は当分の間、慎みましょう!と言われている今回の夏休みは、めずらしく走ることも、泳ぐことも、自転車に乗る予定もない夏休み 夫と二人で、妙にウキウキと「何をしようか?どこに行こうか?」と考え・・・結局はマイルを使って福岡に行くことになりました
 というのも、太宰府天満宮に、お礼詣りに行くことが懸案となっていたのでした。
今から4年前。長い足踏みを終えた息子が、一念発起して「大学受験をする!」と決めた年。もともと、験を担いだり、信心深い私です。その年はいつも以上に「手を合わせる・祈る」思いが強く、急に思い立った私は、夫と子ども達を送り出した後、ぱっぱと羽田に向かい、福岡行きの便に飛び乗りました
 出かけにインターネットで調べ、福岡空港から太宰府天満宮へのアクセス方法を頭に入れ、福岡到着後は、いざいざ太宰府へ
 
 寒い冬でした。それでも時節柄、天満宮はお詣りの人が多く、絵馬が何重にも奉納されていました。冷たい本殿に座り、ご祈祷を受ける時、やはい同じく私くらいの年格好の男性がご一緒でした。その方も、お子様の大学受験に際し、親がお詣りをされているようでした。
 今まで何度、我が子達の受験のために、天満宮にお詣りをしたことでしょう。太宰府は初めてでしたが、娘の幼稚園、息子の小学校と受験の重なった年には湯島の天満宮へ。その後、息子の中学受験の時は、大阪の天満宮へ。第一志望校の2月1日には、息子を学校に送り、その足で湯島と亀戸、2つの天神様の「はしご」をしました。2日は、息子が試験を受けている間、鎌倉の荏柄天神社にも行きました
 そして、息子、娘の大学受験・・・京都の北野天満宮にもお詣りしましたねえ。その日は、奈良のお墓にお詣りをし、その足で京都に向かったのでした。

 私は仕事がら、毎年、天神社、天満宮には頻繁にお詣りをします。そして手を合わせる時・・・本当に心の底から・・・
 「ねえ、菅原道真様 どうぞお聞き入れください ウソは申しません 本当に、本当に私の生徒ちゃん達は、良い子なんです」とお祈りをするのです。

 そう、福岡に着いた翌日の日曜日、今回は神官の方に私達が夫婦でお詣りをすることにした事情を説明すると・・・
 「では、合格、病気治癒、就職決定・・・と、いろいろに感謝をし、お礼を申しあげる、ということで『神恩感謝』ということにいたしましょう」と教えてくださり、夫と私は、本当にあっという間に過ぎようとしている・・・でも、本当にいろんなことが起こったこの3年数ヶ月のことを思い出しながら、ご本殿に座りました。

 この日は、私達の他に大学生と思しき青年が一人。大学受験に臨む女の子とそのご家族。中学受験に臨む男の子とそのご両親、の3組が一緒にご祈祷を受けました。
 みなさん、受験の前の祈り、です。お礼という目的でそこにいたのは私達夫婦だけでした。
 私も夫も、真剣に祈り、感謝をし、手を合わせていました。・・・が、ふっと顔を上げた時に目に入った他の3組。
 中でも青年、高3の女の子、小学校6年生の男の子、その3人の姿から、私は目を離すことができなくなりました
 彼らの姿は、一つの絵のように私の目に映りました。もちろん、同行し、同じように手を合わせて座っている親御さんも、ご家族も、一生懸命に手を合わせ、頭を垂れ、真剣に祈っていらっしゃいました。
 けれど、やっぱり、ご本人3人の姿は、家族とは全く違う「気」のようなものが漂っていたのでした。
 何というのでしょうか・・・3人の真剣さは、圧倒感を持って迫ってくるようでした。真剣に祈る姿・・・私は、胸が熱くなりました

 苦しい時の神頼み、という言葉があります。
私達はお宮参りや七五三、初詣のような慣例化されたお詣りをしますね。そういうもの、も神頼み、ではありますが、むしろそれは日本の文化であり、同時に家族にとってのひとつのイヴェントのようなものになっています。
 それに対して、何か特別の「願い」があって社寺仏閣を訪れるときは、文化でもイヴェントでもなく、真剣そのもの。まさにそれは「祈り」なのです。
 これを御利益信仰だと言ってしまうと身も蓋もありませんが、そういう時の祈りの深さは、痛みを伴うほど真剣なものだと思います
 
 そう言えば・・・息子の中学受験の時の初詣を思い出しました。
小学生低学年の頃から、我が家の息子は、社寺仏閣や仏像が大好きでした しかし、それは歴史的遺産、芸術的価値として社寺仏閣や仏像を見ているのであって、彼は決してお守りやご祈祷など、そういう類のものには全く興味を示さない、超現実派でした
 ですから、彼が昨年に心臓の手術をするまでは、祖父母からお守りをもらったりしたら、さすがに粗末にしたりはしないものの、本当は「自分には必要のないもの」と豪語していたのです

 そんな息子ですが、中学受験を1ヶ月後に控えた小学校6年生の元日。
家族揃って湯島天神に初詣に出かけた時には、素直に合格祈願のご祈祷を受けなさい、という言葉にも反発せず、首からかけていただいたお袈裟をかけ、寒い中、ご本堂の外の廊下でコートを手に持って、長い間、順番を待っていましたねえ・・・
 その姿を遠くから眺め、「ああ、この子は本気で中学受験に向かっているんだなあ・・・人事を尽くして天命を待つ境地にあるんだなあ・・・」と思ったものでした

 適当なことをして、あとは神様に頼るしかない・・・というものでは神様も苦笑をなさるのでしょうが
 真剣に頭を垂れ、ひたすら手を合わせ、祈る姿・・・その姿は神々しく、本当に尊いものです

 神恩感謝・・・感謝の思いをこめてその場で手を合わせていた私は、あの日、真剣に祈る3人に一生懸命にエールを送りました
 3人の資格試験、中学受験、大学受験まで、あとしばらくはまだまだ準備の期間です。その数ヶ月が病気や怪我に見舞われることなく、最も良いかたちで大切な受験の時期を迎えられますように・・・
 そして、彼らのひたむきな努力と、尊い祈りが通じ、幸せな喜びの時が訪れますように・・・心からそう思い・・・彼らのためにも、手を合わせ、祈りました

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おしん」のレースで学んだこと

2010年06月23日 | にこにこ
 6月20日、日曜日、山形県酒田市で開催された「みなと酒田トライアスロンおしんレース」行ってきました でも、残念ながら今回は、完走を断念しました まさに私にとっては「おしん」のように、辛くても耐えて、耐えて・・・のレース展開となりました。

 スイム1,5キロ、バイク40キロは完走しましたが、最後のランは、3周回する1周回を終えた時点で、もう1歩も足を前に出せない徐不況になり・・・リタイア でも、あー残念だあ!と思う反面、これが今の私の実力であったと素直に認められる充実感と、激痛の走る右膝をもう使わなくて良いんだという安心感とでも言うのでしょうか・・・夫や信頼する仲間達に囲まれ、労われ、やっぱり感動の私のレースのフィニッシュでした

 じつは、日曜日のレースは、無情の天候に翻弄される波瀾万丈の展開でした
朝8時、曇り。山形県酒田市北港のトランジッションエリア(スイムからバイク、バイクからランへ移るときに、その支度をするところ)ですべてのセッティングを終え、8時半スタートに向けてウエットスーツを着始めた頃からポツポツと雨が降り出しました。
 スタート時の天候は・・・雨
私は、泳ぎ始めた時点で、ちょっとした「違う感覚」を持っていました。1,5キロの完泳は出来ない、と感じたのです。日本海の海水は冷たく、20℃程度でしたが、昨年の夏の大雪山の忠別湖というダム湖の水温も同じく20℃。水に入った瞬間には「ヒャ~!!」という冷たさを感じましたが、泳いでいるうちにその冷たさにも慣れました。
 でも、何だか違うのですよねえ。うまく泳げない・・・ 透明度が悪い上に陽射しがなく、海が暗くて、無意識のうちに何となく不安になっていたのかもしれません。 また、女子選手達が最後に一斉スタートしたため、泳ぎの下手な私はどんどんと取り残されるし、後ろからやってくる人もいないし・・・だから、一緒に泳いだり、付いていったりすることができないために、コースが見えずに不安だったことも原因でしょう

 多くの大会では、スイムコースは浜からピザの1ピースのような3角形になっていて、その頂点にブイがあり、そこを回ってきます。石垣島大会でも、大雪山忠別湖の大会でも同様で、そのピザのまわりを1度まわって一旦浜にあがり、再度入水してもう1周まわる、というコースでした。
 今回は、浜のスタート地点から見ると、浜と平行して左方向にピザのな1ピースの長い辺があり、1つ目のブイがホールのピザの中心。ブイを回ってまたピザの長い1辺があり、2つ目のブイはピザの円周の部分の切り口になります。ですから、二つ目のブイから浜までの距離がピザの円周部分にあたり、一番短い・・・というわけです。

 ダメだあ・・・ダメだあ・・・と思いながらも、年長クラスの子ども達の顔を一人一人思い出しながら泳ぎ、やっとの思いで二つ目のブイをまわって浜の方向に向かう頃には、すでに2周目の人が私の横を泳いで抜いていきます。ああ、私はとんでもなく遅いんだ・・・気持ちも萎えていきました
 じつは、一般選手でも、スイムの早い人達は、1,5キロを25分くらいで泳ぎ切ります。ですから、私が浜に向かって必死に1周目の最後のがんばりをしている時点で、もう2周目を終えようとしている人達がたくさんいた、ということは、私はまだ半分の750メーターも泳ぎ切っていないのに、すでに20分が経過している、ということだったわけです。
 私は泳いでいて、初めて「無理だな」と思いました。1,5キロの制限時間は1時間でしたので、1周30分かかっても時間制限的には問題はありませんでした。ただ、今回は、制限時間の問題ではなく、体調と精神力の面で「まどかさん・・・どう考えても、あなた、今日は無理ですよ・・・」と、身体で全体からワーニングのサインが出ている気がしたのでした。
 とは言え、あと少し泳いで、とにかく、浜に上がるまでは何ともなりません。必死の思いで750メーターを泳ぎ、浜に上がると・・・そこにはコーチがカメラを構え、ひと言
  「まどかさん、マイペースを守りましょう 時間は十分。いいですよ!ファイト
 私は「今日はもう止めます」と言うつもりだったのに、何と私は笑顔で「はい」と答えて、フラフラとまた海に向かって砂浜を走っているではりませんか
 浜を走ると言っても、ほんの2,30メーターです。時間にすればわずか。私はその時の雨の粒、砂浜の色、暗い海、ゆっくりと廻る風力発電の風車を、まるで映画のワンシーンのように見ていたことをよく覚えています。
 
 そこで海に入り、また泳ぎだしてしまうと、結局は1,5キロを泳ぐことになる・・・ランやバイクで途中棄権をする場合は、そこで止まれば良いだけです。でも、スイムの場合は、溺れて助けられるか、泳ぎを止めて立ち泳ぎをし、近くにいるライフガードに声をかけ、ボードかジェットスキーに引き上げてもらわない限り、止めることはできません・・・
 でも、その時の私は、まさに意識は「無」の状態でしたねえ・・・

 私は泳ぎだしました。もう誰も泳いでいません。私はたった一人で30分近く、雨の中を泳ぐ・・・
 なるべくコースロープの真横を泳ごうと、透明度の悪い中を泳ぎます。
1つ目のブイを回った頃、やっと自分の「いつもの泳ぎ」になったように思いました。
 息継ぎで顔を上げると、真上に大きな風力発電のための風車が見えました。なぜか勇気が湧きました ついさっきまで「無理」と思っていたのに、この時やっと「大丈夫かも・・・今日も完走できるな・・・」と不思議に思えました。
 人の気持ちって、本当に不思議ですねえ。息継ぎをするたびに、大きな白い風車が見えるのです。ドン・キホーテのように、それが巨人に見えたわけではありません。ただの白い無機物。でもね、見えたのが暗い空だけではなく、そこにぐるぐる廻る風車が見えたことが、なぜか私に「大丈夫」と思わせる力になったのでした。こんな不思議な感覚を持てたことも収穫でした。

 ところが、2つ目のブイに向かって必死に泳いでいる時、海面を叩きつけるような雨になりました。もちろん、水の中を泳いでいるわけですから、雨なんてどーってことないのです ところが、なぜか雨が強くなった時から、どんなに泳いでもロープから離れていってしまったり、今度はロープにぶつかるほど流されたり・・・
 あとで聞いた話しですが、強い雨が降り出した時から、急に風が出てきたのだそうです。
 私はジグザグ・・・ジグザグ・・・無駄に距離を泳ぎます。浜から見ている人はおかしかったでしょうねえ。たった一人、泳いでいるピンク色のスイムキャップの選手は遅々として進まず・・・でも、止まることなく手を動かしていることだけは見えて・・・ちょっとずつ、ちょっとずつ、進む・・・
 
 その頃から、私の横にはライフセーバーの人や、ジェットスキーに乗った人達が近づいていました。私に異変があれば、すぐにストップをかけたり、助けたりする人達です
 でもね、私は必死に泳いでいたし、息継ぎをする右側の耳には水が入っていてボーンとしているので、クリアに声は聞こえないのですが、不思議だったのは、その人達がみな「がんばって ファイ!」とか「あと少し、時間はまだあります」と言ってくれていたことでした。
 だーれも「大丈夫ですか?」「泳げますか?」とは聞かれなかったのです。きっと、専門家が見れば、超遅いものの、危険な状態にいるような人の泳ぎではなかったのでしょうねえ

 2つ目のブイを回り、心を無にして泳いでいるうちに、海底が近づいて見えるようになってきました。そうです、浜が近づいてきたのです。
 やっと立ち上がり、フラフラになりながら浜に上がって砂浜を50メーターほど走ってトランジッションエリアに向かっている時、スイムフィニッシュのゲートの公式の時計を見たら、何と56分。(実際に公式の結果を見ると、52分ではありましたが)愕然としました。初めての大会だった去年の石垣よりも10分以上もかかっていたのです
 やっぱり「おかしいのかな・・・」と思いました。でも、せっかくこんなに苦労をして、必死の思いで泳ぎ切ったのだから、バイクに行きたい

 天気は、立派な「雨」です。トランジッションエリアに支度したバイク用のシャツやパンツ、バイクシューズもびしょ濡れです。でも、とにかく、おちついて支度をしました。
 まずはウエットスーツを脱いで、バイクパンツを履き、バイクシャツを着て、靴下をはきました。そしてシューズを履き、サングラス(色の濃い太陽光から目を守るためのものではなく、無色に近い風や虫から目を守るためのもの)をかけ、ヘルメットをかぶりました・・・
 準備をする私の前で、コーチは写真を撮りながら・・・
  「まどかさん、慣れたもんじゃないですか。慌てることなく、ちゃんと一つ一つ支度できて・・・立派ですよ
 いやー、彼はまだ30歳前のコーチなのですが、選手を上手に励ますツボを心得ています こういう時、信頼する身近な人に「どんな声をかけられるか?」は大きいですよね。

 すでにその時点では、気持ちは冷静だった私は、レースが終われば、絶対にこのことをお父様やお母様方にお伝えしよう!と思っていました
 我が子が本当にがんばった時(がんばっている時って、それが幼い子どもでさえ、いろいろと考えたり、感じたりしているものなのですから・・・そして私の風車のように、妙なものに勇気づけられたり、励まされたりもしているはず、なんですよね・・・)、私達親は、どんな労いをし、次のステップへと続くどんな勇気づけをしてあげているでしょうか???

 さあ、バイクです
トランジッションエリアからバイクを押しながらスタート地点へ。乗車位置と書かれたところでバイクに乗り、出発です。
 バイクは海沿いの平坦な道を3周回、40キロ。登り下りがないのはバイクの下手な私にはありがたいコースですが、途中、10回の直角に曲がるカーブ、3回のUターンがあります
 3周回ですから、合計30回の直角に曲がるカーブと9回のUターン。車体が軽く、タイヤの細いロードレーサーで、ある程度のスピードでターンをすることは、下手な私にとってはなかなか難しいことなのです。
 ですから、私は今までのレースでは危険を敢えて避け、無理をせず、折り返し地点のような急角度のターンでは、必ず手前で一度バイクを降り、曲がってからまたバイクに乗る・・・ということをしていました。

 1周回目は、まだたくさんの選手達と一緒に走りました。いえ、一緒に走ったのではなく、たくさんの選手が私を抜いていきました。反対側車線には、折り返してきた選手達が走っています。うちのチームの場合は、途中で仲間を見つけると、声を掛け合います。特に私の場合は、同じチームの仲間達が、私を見つけては「まどかさーん、ファイト!」とか「おー、まどかさん!」と言ってくれます。バイクですれ違うということは、少なくともスイムを泳ぎ切った、ということですからね

 1周目の途中からは豪雨になりました。まさに前も見えなくなるような豪雨、です。
平坦なコースとは言え、その頃からは道のあちこちに水たまりができ、地面に叩きつけられた雨は、水たまりからかなり跳ね返るほどの強い雨です。その中を走るとジャーーーと音がしました
 問題は・・・この雨の中でのターン。一度バイクを降りてしまうと、今度は水たまりに近い状態の中で、再度乗るほうが大変そうです。それに、乗り降りをすると、かなりタイムをロスしてしまいます。私は、結果としてのタイムを気にしたのではなく、一刻も早く雨の中でのバイク走行を終わりたい、と考えていました

 昨年夏の大雪山忠別湖のレースとは違い、今回のレースではほとんどコース上に応援やボランティアの人はいません。「この雨の中で、もし私が転倒して、動けない!というようなことになったら、どうなるのだろう?」と思うとそれはそれは恐ろしく、とにかく、早くバイクを終えたかったのです。
 私は覚悟を決め、ターンの前では注意して減速し、慎重に慎重にターンをしました。少しでも大回りをするように・・・
「出来た 曲がれた」この時の嬉しかったこと
 一度成功すると、人は不思議な力によってリードされます。
「同じようにすれば、きっと次の大丈夫」そう思えるのですね。

 こうして私は雨のお陰で、すべての急角度のターンを自転車を降りずにクリアできるようになりました
 上手な人、いえいえ、普通にバイクを乗りこなせる人からすれば、いったいこの人は何と幼稚なことで喜んでいるのだろう?!と思われるに違いありません。でもね、どんなことにも「出来るレベル」があるわけで・・・
 卵が割れなかった人が、上手に卵の殻をぐしゃぐしゃにすることなく卵が割れるようになれば嬉しいわけですし・・・
 茶碗蒸しに「す」が入らずに蒸せるようになって喜ぶ人もいるでしょうね。
 縄跳びで、縄にひっかかることなく、ちゃんと1回跳べるようになって大喜びをすることもあれば、2重跳びが100回できて喜ぶ人もいるわけです。
 私は3周回目、難なくすべてのターンをこなせた時、まさに「ヤッホー!ヒーホー!」と叫びたい気分でした

 そしてもう一つ、私が出来るようになったことがあります。
いつもは、手を離すことさえままならなかったバイクですが、あまりの豪雨でサングラスにも水滴がつき、頭を振っても水滴は落ちません。仕方なく、何度も何度も手動のワイパーのようにして、サングラスの水滴をとります。この作業のおかげで、手を離すことも怖くなくなりました

 それにしても・・・ひどい雨でした・・・
もし車に乗っていたとしても、一番速いワイパーにしなければ見えない・・・そんな雨でしたよ。もし、選手達がトランジッションエリアで支度をする時間帯にこの雨が降っていれば、きっとこの大会は中止を余儀なくされていたことでしょう。
 
 3周回目の途中で、もう私を追い越していく人もいなくなりました 当然ですが、すれ違う人はいません。そう、全員がバイクを終え、ランに移ったからです。
残り5キロくらいのところで、雨が止みました
 やっとのことでトランジッションエリアに辿り着く頃には、会場はすでに11時から開催されるエリート選手(私達、一般の選手は『エイジ別の選手、エイジのレース』と呼ばれ、エリート選手とは、トライアスロン協会で決められた一定のタイムをクリアした選手で、国体やワールドカップやオリンピックに出られるような選手達、ということです。昨日の大会には、東北大学、山形大学をはじめとする多くの大学のトライアスロン部員、湘南ベルマーレやヴェルディー、チームケンズのようなプロチームの選手達がいました)達のレースの準備で大わらわで、ビリッケツの選手のお世話どころではないようでした

 やっとの思いでバイクを追え、トランジションエリアでバイクを置き、バイクパンツを脱ぎ、ヘルメットを脱いで・・・走り出しました
 バイクを終えて走り出した瞬間から、いつもとは違う足の重さを感じ、1キロ時点ですでに右膝痛が始まりました。
 私は、ランのレースでも、「膝が痛い」ということは今までにはなかったことでした。何度も止まり、ストレッチをして気分を入れ替え、再スタートしましたが、1周回目の折り返しでは、もう1歩も痛みで走れなくなってしまいました
 そこで待ってくれていた夫やメンバー達の「無理は禁物!止めたほうが良いよ!お疲れ様!よくがんばった!」の声を受け、もう抗うことなく、素直に完走を諦めました。
 さすがに、根性や気力だけでは「痛み」には勝てませんでした。また、根性や気力で「痛み」に勝つ必要もない、とつくづく思った瞬間でした

 たくさんの方々に応援をしていただきながら、完走できませんでした。ごめんなさい でも、私はこのレースでいろいろと感じ、学びました
 決して負け惜しみではなく、何でも成功ばかりしていては、やっぱりこれだけのことを考えたり、学んだりは出来ないんですねえ。
 
 私はここ数年、母親としての立場で、我が子達の挫折を側で経験してきました。それを母として受け止め、受け入れ、すぐには無理でも、いつかは必ずその挫折を「生きる力」として生かしていけるように祈り、支え、こっそりサポートしてきました
 でも、思えば長い間、私は自分自身のことで大きな挫折をしたことがなかったのですねえ・・・
 3年前の夫の落車事故、奇跡の?!復活をきっかけに50歳の手習いとして始めたトライアスロン
 まさかクロールも出来ず、ママチャリにも乗ったことのない私が「トライアスロンができる」とも思っていませんでした。
 もちろん、コーチ達と仲間達のあたたかい指導と応援のもと、努力は惜しまなかったものの、とんとん拍子で初レースである石垣島大会で完走 続いて大雪山忠別湖のレースも完走 
 なめていたわけではありませんが、「トライアスロンとはこういうものだ」と、自分の中で「それなり」に完結し、納得をしていた・・・思えば、そうだったのですねえ。
 トライアスロンに出れば、ビリになったとしても、きっと完走はできる・・・そう思っていました。大きな間違いでした

 それに、人一倍、縁起を担ぐ私は、何でも「願掛け」をよくします。
じつは初レースの昨年の石垣島大会では、「秋に考査を迎える年長児達のために絶対完走しよう」と思いました。
 島の中心部、バイクでサトウキビ畑の中を走っているとき、強い横風が吹いていました。必死に落ち着こうとしてバイクをこいでいても、車体が揺れます。そんな時は、生徒達の笑顔と、一生懸命に何かに取り組んでいる時の真剣な眼差しを思い出し、自分を奮い立たせました。「この子達のために、絶対に完走する」と・・・今回も、やっぱり同じことを思っていたのです。
 そして、今回の大会はそれにプラスして、奇跡のように命を救っていただいた息子のことを思い、母親としての感謝の思いを最大限に表すために、完走して、それを天の神様?に「奉納」しよう!とも思っていたのです(頭がおかしくなったわけではありませんよ。でも、きっと感覚的には私の言っていることを理解していただけるでしょう)

 神仏に手を合わせ、感謝をしたり、祈ったりすることは絶対に必要なことだと私は考えています。それが決まった神仏でなくても、祈りや感謝は大切だと思っています
 宗教に無縁な人が多く、信仰心を持たない日本人は、ある意味、これからも国際化という名のもとに、どんどんと日本人としての古来の道徳心を忘れ、何事にも畏敬の念を持たない、恐れを知らない「自分中心の勝手者」になっていってしまう 私は真面目にそれを危惧しています。
 外国人のほとんどがキリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、その他、諸々の信仰を持っていることを日本人は知らないだけ、なんです。そう思いませんか?
 私には特別に帰依する宗教はありませんが、私が信心深いのは、私なりの「信仰心」があるから、です。

 でもね、レースでの願掛け・・・これは違うんだなあ・・・と実感しました
 根性や気力でできることと、絶対に無理をしてはいけないこと、があるのですねえ。あらためて、そのことを実感した思いです。

 今回のレースでは、完走は出来ませんでしたが、とても充実した思いでいっぱいです。バイクでターンできるようになったことも、手を離せるようになったという二つの大きな収穫もありますが、それ以上にたくさんの大切なことを学べたからです。

 スイムから・・・
 どんな時にもパニックにならずに、冷静沈着に行動すれば、かならず道は見つかる。ということ。
 本調子ではない、良い結果がすぐに出ないからといって、すぐに中止するのではなく、「もう少し」はやってみることも大切、ということ。

 バイクから・・・
 怖じけず、意志と心を強く持って、苦手と思われたことにも挑戦しよう!、ということ。(豪雨という条件がなければ、私はやっぱりバイクを降りてカーブを処理していたでしょうね)
 マイナスにぶつかっても、それをプラスに転じるだけの「心意気」を持つこと。
 マイナスをマイナスと捉えず、それを甘受し、そのことを神様からもらった「貴重なプラス」だと思える柔らかい心が必要だということ。

 ランからは・・・
 (当然のことながら)無理は禁物
 冷静な判断力
 心の中に宿る見栄?!を取っ払い、素直に「がんばったことを誉められるだけの落ち着きを持つこと

 いかがでしょうか?

 今回は、やはり「何かがおかしかった」らしく、ランを終えた時の私の顔は膨れあがり、ムーンフェイスのように腫れて、目もお岩さんのようになっていたのでした。自分の顔は見られないので気づきませんでしたが、スイムを上がった時点で、私の顔はそうなっていたのでしょうね。
 腫れは、レース後、お風呂に入り、恒例の「焼肉での打ち上げ」の頃にはかなり引いていましたが、レースから丸々2日が過ぎた今日も、まだ足がむくんでいます。顔と目の腫れは引き、別嬪さんに戻りましたが、ふふふ
お仲間達からは、「海水が合わなかったんじゃない?」と言われたのですが、ダイビングもしていましたし、初めて自転車に乗った宮古島での合宿でも、石垣島の大会でも泳いでいましたしねえ。あまり演歌が得意ではない私は、日本海に嫌われたのかもしれませんね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学びは楽しい!

2010年06月04日 | にこにこ
 すっかりご無沙汰をしてしまいました たーくさん話題はあるのに・・・がんばってアップします

 じつは・・・中国語を学び始めました。きっかけは、突然、降って湧いたような話でした 
 ふた月ほど前でしょうか。教室のある学年の卒業生のママ達との夕食会で、和気藹々と楽しくお食事をしている時、ひょんなことから「これからは中国語が大事だ」という話題になりました。当然、中国語の勉強をするのは有意義に違いない、本当は習ってみたいねえ・・・などという話をしているうちに、「じゃあ、Iちゃんのママに教えていただきましょうよ」ということになったわけです。
 そこから先は、もうすっかりノリノリで話が進み、初級講座、中国語初歩の初歩講座をしましょう、と話が決まりました

 Iちゃんのママは、中国の河北省尊化市出身。同じく中国、遼寧省大連市出身のご主人様と一緒に、大学卒業後、日本に留学生としてやってこられました。その後は、日本企業に就職。現在は3人のお子様達と一緒に横浜に住んでいらっしゃいます。 
 「中国語講座を開講しますよ」の言葉かけに、「是非ぜひ!」と集まってこられたのも、やはり様々な学年の卒業生のパパ、ママ。上は高校2年生のお嬢さんのママから、下は小1の坊ちゃんのママまで、生徒達はみなバイタリティー溢れる面々 総勢8名の生徒は、まさに期待と緊張でいっぱいになり、初回のレッスンに臨みました。
 K先生も、生徒に負けず劣らず緊張をされていましたが・・・でも、授業を始めると、さすが先生
 「我是○○○。我住在横浜。・・・」にこやかに話し始められました。
 チンプンカンプンとは言うものの、きっと自己紹介に違いない。誰もがそう思いながらも、さっぱりわからない「音の羅列」に、ひきつった笑顔で応じました

 ひゃ~・・・えらいことになっちゃったよ やるやる!中国語やるよ!と挙手したものの、そして、本当にやる気になったからこそこうしてわざわざ日曜日の朝に、かつて我が子が通ったお教室にやってきたわけだし。それに、今日はこんな雨 「本気」じゃなかったら、休んでますよー・・・でもー、このむずかしい音はなんだあ??? あがったり、さがったり・・・・
 本当に聞き慣れない音で、真似をするのさえ難しい・・・正直、全員が冷や汗がタラ~リでした

 でもね、ホワイトボード上に書かれたちょっぴり妙に見える漢字をすかさず書き写し、何十年ぶりかで真面目にノートをとり、下手くそなリピートを先生に誉めてもらって学習を進めていくうちに・・・何ともいえないハッピーな気分 うきうき気分 になってきたのでした。
 
 新しいことを知るって、ものすごーく楽しい
 中国にいる13億人以上の人が、この言葉を話してるんでしょう?もしかしたら、まさに今、少数民族の人たちが、この北京語を今の私と同じように学んでるかもしれない・・・
 うわー、なんてすごい すっごく難しい音だし、あの漢字の下に先生が書かれたアルファベットに短いぼう線を付け足したような字って、どう発音するかってことなのね、きっと・・・
 何から何までおもしろいー

 私はしみじみと思ったのでした
18年間、私は4、5歳の子ども達の「学びの場」に立ち会ってきました。子ども達が「初めてのカリキュラム」を学習するとき、反応はいろいろです。でも、大きく分けると、子ども達の反応は2種類。
  一つ目のグループは、初めて見聞きする学習内容に緊張気味で、「自分がすんなりと理解できるか、できないか、がポイント」になっている子ども。
 このタイプの子達は、いつも学習時には笑顔なく、常に眉間にしわを寄せています。
  2つ目のグループは、「うわー!むっずかっしー!」とか言いながらも、楽しそうな子ども。
 このタイプの子ども達は、先生が教えてくれてるやり方をしたら、わかったよ!できるできる!のように、うきうきと明るく、笑顔です。

 じつは、今までの経験から、統計的にみると、後者の子ども達のほうが結果的に理解度は高くなり、いつまでも学習への興味も続きます。
 要するに、学習をする、ということのキーポイントは、学びをイキイキと捉えられる、良い意味での「遊び心、ワクワク感」があるかないか?なんですね
 
 ハナマルが欲しいから パパやママに誉められたいからガンバル というような子どもは、そのうちに「学び」への意欲は薄れていってしまいます。彼らがなぜ学んでいるか?の答えは、学びそのものに意義を見出しているのではなく、極端に言えば、誉められたいという欲求を満たすため、であって、学んで得たものは、たまたまゲットした副産物、のようなものなんですねえ・・・
 こういう子ども達には、しだいに「勉強をさせられている、仕方ないからやっている」という意識が育っていくものです。なぜなら、そのうちに親に誉められても嬉しくも何ともない、という年齢になっていくと、まさに「自分にとっては、意味がないことをしている」という意識しか残らないからです
 
 もちろん、中学生になって「ワクワク勉強している」という子どもは多くはないでしょう。でも、やはりそれでも、ワクワク心踊りはしないものの、新しい単元になると、ちょっと新鮮な気分で取り組め、興味を持って向かうことのできる姿勢は、「ワクワク感の成熟系」だと思うのです

 もし、親であるあなたが、新しいことを始めたとしたら、どうでしょう?
それが語学学習やダンスや体操、などという、学習的要素や技術的要素の高いものではなくてもよいのです。
 例えば、今まで作ったことのない献立に挑戦する!ということでも、十分に「新しいこと」です
 そんな時、失敗したり、手間取ったり、わからなかったりすることばかりに気を取られ、ワクワク感を持って楽しめなかったとしたら?
 きっと、あなたの子どもも「学びを楽しめない子ども」になっているかもしれませんよ

 本来、学びとは「うきうきする、楽しいもの」です
いかがです?あなたは、新しい学び、挑戦を楽しめていますか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が子のお誕生日

2010年04月29日 | にこにこ
 お誕生日、みなさんはどんなふうに迎えられますか?
ご自分のお誕生日は?夫や妻のお誕生日は?我が子のお誕生日は?お父様、お母様のお誕生日は?

 教室の子ども達に聞いてみると、「ケーキを食べる」「プレゼントをもらう」「ハッピバースデーのお歌を歌う」という答えが返ってきます。 みな、一様にとてもうれしそうに話してくれます。自分のお誕生日でも、パパやママ、兄弟、姉妹のお誕生日の時も・・・です。
 でも、どうしてハッピーな気分、なんでしょうね?ケーキが食べられるから?(現代では、ケーキを食べることそのものは、それほど貴重な体験ではなく、ある意味、日常茶飯事のことでしょうが、1ピースのものではなく、ホールのケーキを買って食べる、ということは、やはりウキウキすること、かもしれませんね)好きなご馳走だからでしょうか?それともプレゼントがもらえるから?
 きっと、どれもこれも「ピンポーン」でしょうね。そして、物心づいた頃から、「お誕生日は、どこのご家庭でもハッピーな気分、ハッピーな演出をして迎える」ようにしているから、それが幼い子どもであっても「うれしい気分になる日」なのでしょう。
 
 では、親であるみなさんにとって、我が子のお誕生日は、どんな日でしょうか?
毎年、何か決まったことをされるでしょうか?中には、必ず写真を撮る、という方もおいでになります きっと、何年か撮りためていかれると、それはそれは貴重な成長の記録であり、どんな様子で、どんなことを話してそのお写真を撮ったのか・・・など、すべてが尊い思い出になることでしょう

 我が家の場合も、大抵、ケーキの用意をして、お誕生日の主役の好物のご馳走を作り、ハッピーバースデイの歌を歌ってプレゼントを渡す・・という、とてもオーソドックスなスタイルです そして、それが子ども達のお誕生日の場合には、私は毎年必ず、彼らが生まれた日のこと、その前後の日のことを思い出します
 陣痛に耐えながら考えていたこと、その時の音、空気・・・すべてのものを思い出しますね・・・病院の匂いだったり、真夜中の真っ暗な陣痛室だったり、助産婦さんの声であったり、病室から見た陽射しだったり、花壇の花々だったり・・・(残念ながら、帝王切開だった息子の出産は、そういうドラマチックな出産の思い出ではなく、出産後の痛さに耐えて数えた天井の幾何学模様の数であり、2日目にしてやっと見た我が子の、しわくちゃのおじいさんのような顔・・・なのですが、はっはっは

 でも、それがお猿さんのような真っ赤な顔であったとしても、そんなふうに、毎年、誕生の頃のことを思い出しているうちに、自然に胸が熱くなり、必ず最後は一人でウルウルしながら「ああ、生まれてきてくれて、ありがとう」そういう思いでいっぱいになります。
 多くのお母様達も、きっと同じ思いを持たれるのではないですか?

 つい10日ほど前、息子がお誕生日を迎えました すでに成人もしている息子ですから、幼い頃のような「絵に描いたようなお誕生日」ではありませんが、それでもお誕生日は特別な日。誕生から今日までのさまざまなシーンを思い出していると・・・やっぱり、ウルウルします

 けれど、今年の息子のお誕生日は、今までとはかなり違う、さまざまな感覚、考えを持った日になりました
 すでにみなさまはご存知ですが、息子は昨年の11月に緊急入院をし、翌月の12月、心臓の弁置換手術をしました。(そういう一連のことは、ブログにも書かせていただきました)かなり重度の心不全の状態で手術を受けなくてはいけなかったため、普通の弁置換手術の何倍も命の危険性があり、夫も私も、無事に手術が終わり、息子の心臓が自力で動き出したことを知らされた時には、それは「奇跡」に思え、神様に大きな大きな感謝をしました
 感動、とか、安心、という言葉がありますが・・・そういう言葉は、まさに「この時」のために使う言葉だったんだなあ、と実感した瞬間でした。

 じつは・・・
私は息子の心臓病が発覚し、手術をすることになったあの時以来、ものの考え方や人生観というもの、すべてが、すっかり変わった・・・そう思います。上手く言葉で表現できませんが・・
 何というのでしょうか・・・人は「生きている」という事実だけで、すでに大きな価値がある そう思うようになった、とでも言えばよいでしょうか。

 とかく、人は「ああだったらいいのに」とか「こんなふうであって欲しいな」とか思うものです それを「欲」と言うのですね。
 もちろん、私にも「欲」はありますよ。おいしいものが食べたい、とか、一度は○○に行ってみたいな・・・とか。
 でも、あの時以来、息子や娘(娘は健康そのもの、ですが)に対しては、親として我が子に望む「欲」が、すっかり消え失せた・・・そんな気がしています。(案外、私は欲深く、彼らが幼い頃から、かなりいろいろと我が子に望むタイプの母親である自覚があったのですよ

 退院して3ヶ月以上が経過した今でも、私は入院時の息子の様子、手術後のICUでの姿を思い出すと、平常心ではいられません
 そして迎えた今年のお誕生日
病室を出て、看護師さんと一緒にエレベーターに乗り、自分で歩いて手術室に向かった息子。振り返り、私達に小さく手を挙げ・・・そして姿が見えなくなりました。
 私は何度も何度も手を挙げた息子の姿を思い出して・・・「あの子は無事に病室に戻ってこられるのだろうか・・・あたたかい春がやって来て、あの子は次のお誕生日を迎えられるのかな・・・」何て縁起でもないことを思っているんだ、と自分に腹を立てながらも、その不安を消し去ることができませんでした

 4月、東京に季節はずれの雪が降った日。息子はお誕生日を迎えました
今年のその日は、息子の誕生の頃や、歩き始めた頃、小学校の入学式、中学受験、中高の文化祭・・・そんな懐かしい胸キュンの成長の年月を振り返ることはありませんでした。母親の私が、ひたすら思っていたことは「生まれてきてくれて、ありがとう!」ではなく、「今、生きていてくれて、ありがとう」でした。

 それで・・・私は思ったのですよ
私の場合は、我が子が命の危険のある大病、大手術をしたから「今、生きていてくれて、ありがとう」と思ったわけですが、でも、そんな特別なシチュエーションではなくても、「子ども達の思い出、子ども達の過去」に思いを馳せるのではなく、「今」にスポットライトを当てることはできるはず

 我が子のお誕生日を祝うその日、5歳ならば誕生からの5年間、10歳ならば10年間の懐かしい胸キュンの成長を振り返り、「生まれてきてくれて、ありがとう」と思うのではなく、「今、まさに目の前にいる、そこにいる我が子をしっかりと眺め、あなたがこうして、今、ここにいてくれて、パパは、ママはうれしいよ」と、あらためて実感する日にすること・・・これも、お誕生日の大事な一面なのではないか?と思いました

 人はみな、よく「昔は良かった」と言います。案外、子育ての上でもそういうことを言っていませんか?
 「昔は、口ごたえも反抗なんかもせず、ママ、ママって私の後を追ってばかりいる、かわいい子だったんです・・・」
 「腕白で手を焼いたこともありましたけど、無邪気で、すごくいっぱいおしゃべりをしてくれる、明るい子だったのに・・・」とか。

 こういう親の言葉というものは、じつは、過去の我が子を今の我が子よりもかなり肯定し、現在の人柄等をどちらかと言えば否定的な目で見ている・・・ということですよね
「生まれてきてくれて、ありがとう」という気持ちは、決して誕生の瞬間のことを言っているわけではありませんが、それでも「今、存在していること」にポイントがあるわけではないでしょう

 お誕生日に、今の我が子をあらためて眺め、「今、こうしていてくれて、本当にうれしい・・・あなたは、私達のかけがえのない宝物」と思い、そう我が子に伝えてみませんか?
 「あなたが生まれた時はちっちゃくてねえ、本当にかわいかったのよ!」ではなく・・・
 「今、ママは幸せよ あなたのような子どもを持って、本当に幸せ 今日、こうしてあなたのお誕生日をお祝いできることに感謝するわ」・・・
 そんなふうに思うと・・・きっと、「今の我が子」がぐっと近くなると思います
 そして子どもも「自分に向けられている親の目」を感じ、「今の自分をしっかりと見てくれている安心感」が生まれるでしょう。それは、親の愛情を確かに感じられること、だと思います
 息子だって娘だって、幼稚園児であろうと、小学生であろうと、中学、高校生、いえいえい成人していても、我が子はみな「今」、この瞬間を、一生懸命に生きているんですものね・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花を買って帰りませんか?

2010年03月21日 | にこにこ
 三寒四温、まさに今の気候はその言葉通り。でも、吹く風のあたたかさは、確実に春本番に近づいていっているようです

 この時期、お花屋さんの店先には、色とりどりのお花がありますね
 いまどきの花屋さんの多くは、すでに大小さまざまな種類のブーケを作り、持ち帰ればそのままでぽんと活けられるようになっています。
 昔のように、花バサミで切ったり、水切りしなくてもよくなり、その手軽さが「お花を飾る」ことや、お花屋さんそのものの敷居を低くしました お花好きの私としては、この画期的な改革?改善?は、とってもうれしいことです
 こういう現代的な「フラワーアレンジメント」と、やはり区別されるべき芸術や文化としての「華道・生け花」は、当然、日本人として、もっともっと大事にすべきものだと実感していますが、それでもなお、まずは「花」という季節を感じられる美しいアイテムが、もっともっと日常生活の中で身近なものとして存在すること・・・それは人の感性を豊かにするためには、何より素敵なことだと思っています
 店頭のバケツに、無造作に入れられたお花達
つばき、水仙、梅・・・それが、桃、菜の花になり、今度はヒヤシンス、チューリップになり・・・ 今は春を感じさせるアネモネやスイートピーが加わりました。まさに色とりどり
 
 2月初旬から私は毎日、東急田園都市線のT駅で電車を乗り降りし、改札をでるとすぐに目に飛び込んでくるお花達を楽しみました。
 大好きなアネモネが小さなバケツに入れられているに気づいた日は、思わずうっとりと眺め・・・季節が変わっていっていることをあらためて感じ、あっという間に過ぎたこの半年という時間を振り返りました

 その日の帰り、私は赤、紫、白、3色のアネモネを12本買い求め、お気に入りのガラスの花器に生けました ぱっとその空間に春のあたたかさがやってきました!
 20年以上もリウマチを患い、痛さに耐え、暮らしていた叔母の病室に、是非、この空気を届けたい そう思ったのですが・・・
 今は、多くの病院では、お見舞いにお花を持っていくことができません 植物が運んでくる可能性のある感染症予防のため、病院へのお花の持ち込み、病室にお花を飾ることは禁止されているのです。

 私は毎日、叔母の病室に足を運び、すでに反応の低くなった叔母に、手を握りながらお花屋さんの様子を語り、ほんの少しでもお花の優しさ、たくましさ、季節が春にどんどんと向かっていることを知ってもらいたい そう考えていたのです。
 その叔母も、3月に入ってまもなく、故人となりました。今は微笑む叔母の遺影の前には、叔父が買い求めた美しい白のミニ胡蝶蘭が飾られています

 花は、人の心を癒してくれますよ
今ではすっかり大きくなった我が家の子供たちですが、彼らが幼い頃は、私はどんなにお花に助けられたかしれません 理不尽なほど、我が子達に厳しい母親だった私ですが、息子は昔から自我が強く、その上、ウルトラ級の腕白だったため、怒鳴ろうが諭そうが、全く効き目のないことが多々ありました
 そんな時には、私は躊躇することなく、バシっと体罰も与えました。(教育的体罰、正当な躾の範囲の体罰は『あるべき・ある』と私は今でも考えています)
 ここまで信念を持って加える体罰も、やはり、体の芯の本能的な「母性」が、自分の行為を許しません 
 なぜかわいい息子をぶったのか?
 なぜ、言葉で叱るだけでは済ませなかったのか?などなど・・・
そんな時はいつも、自分を責めたり、自分を弁護したり・・・苦しい母の葛藤でした。

 そんな時、いつも玄関や、洗面所や、お手洗いに飾った「ささやかなお花」たちに慰められました 豪華なバラでも、立派な胡蝶蘭でもなく、ほんの数輪の季節のお花です。
 時には、素敵な洋ランのこともありました。当時、マレーシアやシンガポールに出張をすることの多かった主人は、花好きである私のために、帰国するときに空港で簡単に買い求められるデンファレをおみやげにしてくれたからです

 育児を有意義で崇高な仕事と感じながらも、時間に追われ、自分の時間をほとんど持てない毎日では、心がかさかさになっていく思いでした。
 そんな私に、花々は潤いを与えてくれました

 子ども達がお昼寝をするわずかな自由な自由な時間・・・ささやかに飾ったお花を愛でると、天の声が聞こえてくるような気がしました。
 「かわいいあなたの大切な子ども達ではありませんか?今は大変かもしれないけれど、あなたの人生は長いんですよ。今は一生懸命、子育てをしましょうよ。手のかかる子育ての時間なんて、永遠に続くわけではありません。あと数年もすれば、どんなに手をかけたい!と思っても、子ども達のほうから、あなたの庇護の元を離れていくのですもの・・・母である幸せを感じてください!」

 今では子育ての終わった私です。ある意味、自分の自由な時間ばかりになりました そんな今では、お花は育児疲れを癒すアイテムではなく、私自身の心を豊かにする必需品になりました。

 生活の中のお花・・・きっと、さまざまなシーンで、それぞれの家族の潤い、癒しになるに違いありません
 育児に追われるママ達への癒し・・・お仕事と育児の両立に奔走するママへの癒し・・・働き盛りのパパへのエール・・・すべてがイライラの種になっている思春期を迎えた子ども達への潤いに・・・
 そしてもちろん、幼い子ども達には、四季を感じ、いろいろな行事にちなんだお花を愛でる機会となり、心を豊かにします
 
 今度、お花屋さんの前を通る時には、ちょっと足を止め、色とりどりの春のお花を眺めてください
 そして、たまにはお花を買って帰りませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする