まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

「おしん」のレースで学んだこと

2010年06月23日 | にこにこ
 6月20日、日曜日、山形県酒田市で開催された「みなと酒田トライアスロンおしんレース」行ってきました でも、残念ながら今回は、完走を断念しました まさに私にとっては「おしん」のように、辛くても耐えて、耐えて・・・のレース展開となりました。

 スイム1,5キロ、バイク40キロは完走しましたが、最後のランは、3周回する1周回を終えた時点で、もう1歩も足を前に出せない徐不況になり・・・リタイア でも、あー残念だあ!と思う反面、これが今の私の実力であったと素直に認められる充実感と、激痛の走る右膝をもう使わなくて良いんだという安心感とでも言うのでしょうか・・・夫や信頼する仲間達に囲まれ、労われ、やっぱり感動の私のレースのフィニッシュでした

 じつは、日曜日のレースは、無情の天候に翻弄される波瀾万丈の展開でした
朝8時、曇り。山形県酒田市北港のトランジッションエリア(スイムからバイク、バイクからランへ移るときに、その支度をするところ)ですべてのセッティングを終え、8時半スタートに向けてウエットスーツを着始めた頃からポツポツと雨が降り出しました。
 スタート時の天候は・・・雨
私は、泳ぎ始めた時点で、ちょっとした「違う感覚」を持っていました。1,5キロの完泳は出来ない、と感じたのです。日本海の海水は冷たく、20℃程度でしたが、昨年の夏の大雪山の忠別湖というダム湖の水温も同じく20℃。水に入った瞬間には「ヒャ~!!」という冷たさを感じましたが、泳いでいるうちにその冷たさにも慣れました。
 でも、何だか違うのですよねえ。うまく泳げない・・・ 透明度が悪い上に陽射しがなく、海が暗くて、無意識のうちに何となく不安になっていたのかもしれません。 また、女子選手達が最後に一斉スタートしたため、泳ぎの下手な私はどんどんと取り残されるし、後ろからやってくる人もいないし・・・だから、一緒に泳いだり、付いていったりすることができないために、コースが見えずに不安だったことも原因でしょう

 多くの大会では、スイムコースは浜からピザの1ピースのような3角形になっていて、その頂点にブイがあり、そこを回ってきます。石垣島大会でも、大雪山忠別湖の大会でも同様で、そのピザのまわりを1度まわって一旦浜にあがり、再度入水してもう1周まわる、というコースでした。
 今回は、浜のスタート地点から見ると、浜と平行して左方向にピザのな1ピースの長い辺があり、1つ目のブイがホールのピザの中心。ブイを回ってまたピザの長い1辺があり、2つ目のブイはピザの円周の部分の切り口になります。ですから、二つ目のブイから浜までの距離がピザの円周部分にあたり、一番短い・・・というわけです。

 ダメだあ・・・ダメだあ・・・と思いながらも、年長クラスの子ども達の顔を一人一人思い出しながら泳ぎ、やっとの思いで二つ目のブイをまわって浜の方向に向かう頃には、すでに2周目の人が私の横を泳いで抜いていきます。ああ、私はとんでもなく遅いんだ・・・気持ちも萎えていきました
 じつは、一般選手でも、スイムの早い人達は、1,5キロを25分くらいで泳ぎ切ります。ですから、私が浜に向かって必死に1周目の最後のがんばりをしている時点で、もう2周目を終えようとしている人達がたくさんいた、ということは、私はまだ半分の750メーターも泳ぎ切っていないのに、すでに20分が経過している、ということだったわけです。
 私は泳いでいて、初めて「無理だな」と思いました。1,5キロの制限時間は1時間でしたので、1周30分かかっても時間制限的には問題はありませんでした。ただ、今回は、制限時間の問題ではなく、体調と精神力の面で「まどかさん・・・どう考えても、あなた、今日は無理ですよ・・・」と、身体で全体からワーニングのサインが出ている気がしたのでした。
 とは言え、あと少し泳いで、とにかく、浜に上がるまでは何ともなりません。必死の思いで750メーターを泳ぎ、浜に上がると・・・そこにはコーチがカメラを構え、ひと言
  「まどかさん、マイペースを守りましょう 時間は十分。いいですよ!ファイト
 私は「今日はもう止めます」と言うつもりだったのに、何と私は笑顔で「はい」と答えて、フラフラとまた海に向かって砂浜を走っているではりませんか
 浜を走ると言っても、ほんの2,30メーターです。時間にすればわずか。私はその時の雨の粒、砂浜の色、暗い海、ゆっくりと廻る風力発電の風車を、まるで映画のワンシーンのように見ていたことをよく覚えています。
 
 そこで海に入り、また泳ぎだしてしまうと、結局は1,5キロを泳ぐことになる・・・ランやバイクで途中棄権をする場合は、そこで止まれば良いだけです。でも、スイムの場合は、溺れて助けられるか、泳ぎを止めて立ち泳ぎをし、近くにいるライフガードに声をかけ、ボードかジェットスキーに引き上げてもらわない限り、止めることはできません・・・
 でも、その時の私は、まさに意識は「無」の状態でしたねえ・・・

 私は泳ぎだしました。もう誰も泳いでいません。私はたった一人で30分近く、雨の中を泳ぐ・・・
 なるべくコースロープの真横を泳ごうと、透明度の悪い中を泳ぎます。
1つ目のブイを回った頃、やっと自分の「いつもの泳ぎ」になったように思いました。
 息継ぎで顔を上げると、真上に大きな風力発電のための風車が見えました。なぜか勇気が湧きました ついさっきまで「無理」と思っていたのに、この時やっと「大丈夫かも・・・今日も完走できるな・・・」と不思議に思えました。
 人の気持ちって、本当に不思議ですねえ。息継ぎをするたびに、大きな白い風車が見えるのです。ドン・キホーテのように、それが巨人に見えたわけではありません。ただの白い無機物。でもね、見えたのが暗い空だけではなく、そこにぐるぐる廻る風車が見えたことが、なぜか私に「大丈夫」と思わせる力になったのでした。こんな不思議な感覚を持てたことも収穫でした。

 ところが、2つ目のブイに向かって必死に泳いでいる時、海面を叩きつけるような雨になりました。もちろん、水の中を泳いでいるわけですから、雨なんてどーってことないのです ところが、なぜか雨が強くなった時から、どんなに泳いでもロープから離れていってしまったり、今度はロープにぶつかるほど流されたり・・・
 あとで聞いた話しですが、強い雨が降り出した時から、急に風が出てきたのだそうです。
 私はジグザグ・・・ジグザグ・・・無駄に距離を泳ぎます。浜から見ている人はおかしかったでしょうねえ。たった一人、泳いでいるピンク色のスイムキャップの選手は遅々として進まず・・・でも、止まることなく手を動かしていることだけは見えて・・・ちょっとずつ、ちょっとずつ、進む・・・
 
 その頃から、私の横にはライフセーバーの人や、ジェットスキーに乗った人達が近づいていました。私に異変があれば、すぐにストップをかけたり、助けたりする人達です
 でもね、私は必死に泳いでいたし、息継ぎをする右側の耳には水が入っていてボーンとしているので、クリアに声は聞こえないのですが、不思議だったのは、その人達がみな「がんばって ファイ!」とか「あと少し、時間はまだあります」と言ってくれていたことでした。
 だーれも「大丈夫ですか?」「泳げますか?」とは聞かれなかったのです。きっと、専門家が見れば、超遅いものの、危険な状態にいるような人の泳ぎではなかったのでしょうねえ

 2つ目のブイを回り、心を無にして泳いでいるうちに、海底が近づいて見えるようになってきました。そうです、浜が近づいてきたのです。
 やっと立ち上がり、フラフラになりながら浜に上がって砂浜を50メーターほど走ってトランジッションエリアに向かっている時、スイムフィニッシュのゲートの公式の時計を見たら、何と56分。(実際に公式の結果を見ると、52分ではありましたが)愕然としました。初めての大会だった去年の石垣よりも10分以上もかかっていたのです
 やっぱり「おかしいのかな・・・」と思いました。でも、せっかくこんなに苦労をして、必死の思いで泳ぎ切ったのだから、バイクに行きたい

 天気は、立派な「雨」です。トランジッションエリアに支度したバイク用のシャツやパンツ、バイクシューズもびしょ濡れです。でも、とにかく、おちついて支度をしました。
 まずはウエットスーツを脱いで、バイクパンツを履き、バイクシャツを着て、靴下をはきました。そしてシューズを履き、サングラス(色の濃い太陽光から目を守るためのものではなく、無色に近い風や虫から目を守るためのもの)をかけ、ヘルメットをかぶりました・・・
 準備をする私の前で、コーチは写真を撮りながら・・・
  「まどかさん、慣れたもんじゃないですか。慌てることなく、ちゃんと一つ一つ支度できて・・・立派ですよ
 いやー、彼はまだ30歳前のコーチなのですが、選手を上手に励ますツボを心得ています こういう時、信頼する身近な人に「どんな声をかけられるか?」は大きいですよね。

 すでにその時点では、気持ちは冷静だった私は、レースが終われば、絶対にこのことをお父様やお母様方にお伝えしよう!と思っていました
 我が子が本当にがんばった時(がんばっている時って、それが幼い子どもでさえ、いろいろと考えたり、感じたりしているものなのですから・・・そして私の風車のように、妙なものに勇気づけられたり、励まされたりもしているはず、なんですよね・・・)、私達親は、どんな労いをし、次のステップへと続くどんな勇気づけをしてあげているでしょうか???

 さあ、バイクです
トランジッションエリアからバイクを押しながらスタート地点へ。乗車位置と書かれたところでバイクに乗り、出発です。
 バイクは海沿いの平坦な道を3周回、40キロ。登り下りがないのはバイクの下手な私にはありがたいコースですが、途中、10回の直角に曲がるカーブ、3回のUターンがあります
 3周回ですから、合計30回の直角に曲がるカーブと9回のUターン。車体が軽く、タイヤの細いロードレーサーで、ある程度のスピードでターンをすることは、下手な私にとってはなかなか難しいことなのです。
 ですから、私は今までのレースでは危険を敢えて避け、無理をせず、折り返し地点のような急角度のターンでは、必ず手前で一度バイクを降り、曲がってからまたバイクに乗る・・・ということをしていました。

 1周回目は、まだたくさんの選手達と一緒に走りました。いえ、一緒に走ったのではなく、たくさんの選手が私を抜いていきました。反対側車線には、折り返してきた選手達が走っています。うちのチームの場合は、途中で仲間を見つけると、声を掛け合います。特に私の場合は、同じチームの仲間達が、私を見つけては「まどかさーん、ファイト!」とか「おー、まどかさん!」と言ってくれます。バイクですれ違うということは、少なくともスイムを泳ぎ切った、ということですからね

 1周目の途中からは豪雨になりました。まさに前も見えなくなるような豪雨、です。
平坦なコースとは言え、その頃からは道のあちこちに水たまりができ、地面に叩きつけられた雨は、水たまりからかなり跳ね返るほどの強い雨です。その中を走るとジャーーーと音がしました
 問題は・・・この雨の中でのターン。一度バイクを降りてしまうと、今度は水たまりに近い状態の中で、再度乗るほうが大変そうです。それに、乗り降りをすると、かなりタイムをロスしてしまいます。私は、結果としてのタイムを気にしたのではなく、一刻も早く雨の中でのバイク走行を終わりたい、と考えていました

 昨年夏の大雪山忠別湖のレースとは違い、今回のレースではほとんどコース上に応援やボランティアの人はいません。「この雨の中で、もし私が転倒して、動けない!というようなことになったら、どうなるのだろう?」と思うとそれはそれは恐ろしく、とにかく、早くバイクを終えたかったのです。
 私は覚悟を決め、ターンの前では注意して減速し、慎重に慎重にターンをしました。少しでも大回りをするように・・・
「出来た 曲がれた」この時の嬉しかったこと
 一度成功すると、人は不思議な力によってリードされます。
「同じようにすれば、きっと次の大丈夫」そう思えるのですね。

 こうして私は雨のお陰で、すべての急角度のターンを自転車を降りずにクリアできるようになりました
 上手な人、いえいえ、普通にバイクを乗りこなせる人からすれば、いったいこの人は何と幼稚なことで喜んでいるのだろう?!と思われるに違いありません。でもね、どんなことにも「出来るレベル」があるわけで・・・
 卵が割れなかった人が、上手に卵の殻をぐしゃぐしゃにすることなく卵が割れるようになれば嬉しいわけですし・・・
 茶碗蒸しに「す」が入らずに蒸せるようになって喜ぶ人もいるでしょうね。
 縄跳びで、縄にひっかかることなく、ちゃんと1回跳べるようになって大喜びをすることもあれば、2重跳びが100回できて喜ぶ人もいるわけです。
 私は3周回目、難なくすべてのターンをこなせた時、まさに「ヤッホー!ヒーホー!」と叫びたい気分でした

 そしてもう一つ、私が出来るようになったことがあります。
いつもは、手を離すことさえままならなかったバイクですが、あまりの豪雨でサングラスにも水滴がつき、頭を振っても水滴は落ちません。仕方なく、何度も何度も手動のワイパーのようにして、サングラスの水滴をとります。この作業のおかげで、手を離すことも怖くなくなりました

 それにしても・・・ひどい雨でした・・・
もし車に乗っていたとしても、一番速いワイパーにしなければ見えない・・・そんな雨でしたよ。もし、選手達がトランジッションエリアで支度をする時間帯にこの雨が降っていれば、きっとこの大会は中止を余儀なくされていたことでしょう。
 
 3周回目の途中で、もう私を追い越していく人もいなくなりました 当然ですが、すれ違う人はいません。そう、全員がバイクを終え、ランに移ったからです。
残り5キロくらいのところで、雨が止みました
 やっとのことでトランジッションエリアに辿り着く頃には、会場はすでに11時から開催されるエリート選手(私達、一般の選手は『エイジ別の選手、エイジのレース』と呼ばれ、エリート選手とは、トライアスロン協会で決められた一定のタイムをクリアした選手で、国体やワールドカップやオリンピックに出られるような選手達、ということです。昨日の大会には、東北大学、山形大学をはじめとする多くの大学のトライアスロン部員、湘南ベルマーレやヴェルディー、チームケンズのようなプロチームの選手達がいました)達のレースの準備で大わらわで、ビリッケツの選手のお世話どころではないようでした

 やっとの思いでバイクを追え、トランジションエリアでバイクを置き、バイクパンツを脱ぎ、ヘルメットを脱いで・・・走り出しました
 バイクを終えて走り出した瞬間から、いつもとは違う足の重さを感じ、1キロ時点ですでに右膝痛が始まりました。
 私は、ランのレースでも、「膝が痛い」ということは今までにはなかったことでした。何度も止まり、ストレッチをして気分を入れ替え、再スタートしましたが、1周回目の折り返しでは、もう1歩も痛みで走れなくなってしまいました
 そこで待ってくれていた夫やメンバー達の「無理は禁物!止めたほうが良いよ!お疲れ様!よくがんばった!」の声を受け、もう抗うことなく、素直に完走を諦めました。
 さすがに、根性や気力だけでは「痛み」には勝てませんでした。また、根性や気力で「痛み」に勝つ必要もない、とつくづく思った瞬間でした

 たくさんの方々に応援をしていただきながら、完走できませんでした。ごめんなさい でも、私はこのレースでいろいろと感じ、学びました
 決して負け惜しみではなく、何でも成功ばかりしていては、やっぱりこれだけのことを考えたり、学んだりは出来ないんですねえ。
 
 私はここ数年、母親としての立場で、我が子達の挫折を側で経験してきました。それを母として受け止め、受け入れ、すぐには無理でも、いつかは必ずその挫折を「生きる力」として生かしていけるように祈り、支え、こっそりサポートしてきました
 でも、思えば長い間、私は自分自身のことで大きな挫折をしたことがなかったのですねえ・・・
 3年前の夫の落車事故、奇跡の?!復活をきっかけに50歳の手習いとして始めたトライアスロン
 まさかクロールも出来ず、ママチャリにも乗ったことのない私が「トライアスロンができる」とも思っていませんでした。
 もちろん、コーチ達と仲間達のあたたかい指導と応援のもと、努力は惜しまなかったものの、とんとん拍子で初レースである石垣島大会で完走 続いて大雪山忠別湖のレースも完走 
 なめていたわけではありませんが、「トライアスロンとはこういうものだ」と、自分の中で「それなり」に完結し、納得をしていた・・・思えば、そうだったのですねえ。
 トライアスロンに出れば、ビリになったとしても、きっと完走はできる・・・そう思っていました。大きな間違いでした

 それに、人一倍、縁起を担ぐ私は、何でも「願掛け」をよくします。
じつは初レースの昨年の石垣島大会では、「秋に考査を迎える年長児達のために絶対完走しよう」と思いました。
 島の中心部、バイクでサトウキビ畑の中を走っているとき、強い横風が吹いていました。必死に落ち着こうとしてバイクをこいでいても、車体が揺れます。そんな時は、生徒達の笑顔と、一生懸命に何かに取り組んでいる時の真剣な眼差しを思い出し、自分を奮い立たせました。「この子達のために、絶対に完走する」と・・・今回も、やっぱり同じことを思っていたのです。
 そして、今回の大会はそれにプラスして、奇跡のように命を救っていただいた息子のことを思い、母親としての感謝の思いを最大限に表すために、完走して、それを天の神様?に「奉納」しよう!とも思っていたのです(頭がおかしくなったわけではありませんよ。でも、きっと感覚的には私の言っていることを理解していただけるでしょう)

 神仏に手を合わせ、感謝をしたり、祈ったりすることは絶対に必要なことだと私は考えています。それが決まった神仏でなくても、祈りや感謝は大切だと思っています
 宗教に無縁な人が多く、信仰心を持たない日本人は、ある意味、これからも国際化という名のもとに、どんどんと日本人としての古来の道徳心を忘れ、何事にも畏敬の念を持たない、恐れを知らない「自分中心の勝手者」になっていってしまう 私は真面目にそれを危惧しています。
 外国人のほとんどがキリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、その他、諸々の信仰を持っていることを日本人は知らないだけ、なんです。そう思いませんか?
 私には特別に帰依する宗教はありませんが、私が信心深いのは、私なりの「信仰心」があるから、です。

 でもね、レースでの願掛け・・・これは違うんだなあ・・・と実感しました
 根性や気力でできることと、絶対に無理をしてはいけないこと、があるのですねえ。あらためて、そのことを実感した思いです。

 今回のレースでは、完走は出来ませんでしたが、とても充実した思いでいっぱいです。バイクでターンできるようになったことも、手を離せるようになったという二つの大きな収穫もありますが、それ以上にたくさんの大切なことを学べたからです。

 スイムから・・・
 どんな時にもパニックにならずに、冷静沈着に行動すれば、かならず道は見つかる。ということ。
 本調子ではない、良い結果がすぐに出ないからといって、すぐに中止するのではなく、「もう少し」はやってみることも大切、ということ。

 バイクから・・・
 怖じけず、意志と心を強く持って、苦手と思われたことにも挑戦しよう!、ということ。(豪雨という条件がなければ、私はやっぱりバイクを降りてカーブを処理していたでしょうね)
 マイナスにぶつかっても、それをプラスに転じるだけの「心意気」を持つこと。
 マイナスをマイナスと捉えず、それを甘受し、そのことを神様からもらった「貴重なプラス」だと思える柔らかい心が必要だということ。

 ランからは・・・
 (当然のことながら)無理は禁物
 冷静な判断力
 心の中に宿る見栄?!を取っ払い、素直に「がんばったことを誉められるだけの落ち着きを持つこと

 いかがでしょうか?

 今回は、やはり「何かがおかしかった」らしく、ランを終えた時の私の顔は膨れあがり、ムーンフェイスのように腫れて、目もお岩さんのようになっていたのでした。自分の顔は見られないので気づきませんでしたが、スイムを上がった時点で、私の顔はそうなっていたのでしょうね。
 腫れは、レース後、お風呂に入り、恒例の「焼肉での打ち上げ」の頃にはかなり引いていましたが、レースから丸々2日が過ぎた今日も、まだ足がむくんでいます。顔と目の腫れは引き、別嬪さんに戻りましたが、ふふふ
お仲間達からは、「海水が合わなかったんじゃない?」と言われたのですが、ダイビングもしていましたし、初めて自転車に乗った宮古島での合宿でも、石垣島の大会でも泳いでいましたしねえ。あまり演歌が得意ではない私は、日本海に嫌われたのかもしれませんね

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