goo blog サービス終了のお知らせ 

まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

香道体験 自分を見つめる時間

2010年12月05日 | にこにこ
 「香道」体験してきました
仲良しのトライアスロン仲間からのお誘いで、銀座のビルの中にある香席(日本香堂の本社内にありました)に出向き、志野流の若師匠(第二十世家元 蜂谷宗玄のご長男)のご指導の元、とても優雅で、有意義な時間を過ごしました。

 ここ数年は、日本でも「香り」がブームになってきていますね あちこちで耳にする(目にする)「アロマ」がそうです。アロマキャンドル、アロマディフューザー、アロマランプ等、さまざまなものが販売されていますね。
 世の東西を問わず、良い香りには人の心、気持ちを落ち着かせる効果がある、ということがわかっていて、紀元前の昔から、高貴な人々の間では非常に珍重されてきました。
 幸いなことに今では、高貴な階層の方のみならず、万人がその効果を知り、楽しめるようになっています
 ただ、ここ数年、今までにないブーム到来で、その「香りの癒し効果」のニーズが高まっていること自体、人の心がストレスに苛まれている?!ということなのでしょうが・・・

 さて、その「良い香り」ですが、日本の「香道」は、西洋の「香りの癒し効果」とは少し趣を異にしているようです。
 日本の香りのルーツは、仏教とともに伝来し、1000年以上の歴史があるそうで、最初は平安の頃、人口の約1%に満たなかった貴族達が「自分を表現する(認識させる)印」として、一人一人が香りを持っていたのだそうです
 たとえば、あるプレイボーイである「Aの君」が、自分だけの香りをブレンドしてもらい、その香りを着物に移しておくと・・・「Aの君」がお部屋に入ったり、廊下を歩いただけで、御簾の向こうから、「ああ、Aの君がおいでになったのだわ」などと認識された・・・そんな風流でもあったそうです。

 しかし「香道」として、一つの高貴な方々の一つの「たしなみ、芸道」になったのは室町時代になってからのこと。
 京都の銀閣寺を舞台にした東山文化の中で育まれました。そのリーダーが足利八代将軍の義政。彼を取り巻く文化人や武将の中で、「香りを表現するために用いた和歌の知識」「それをしたためるための書道」とともに、雅であり、かつ高い教養を必要とする芸道でした。それが、500年以上の時を経て、今日に至っているのだそうです
 西洋の香り文化が、人の「癒し」に役立ったことに対し、日本の「香道」は、あくまでも「自分を見つめるための時間」「無となり、自分を高めるための芸道」となっているのだとか・・・

 体験の日は、合計3つの香りを「聞き」(香道では、香りを嗅ぐことを「聞く」と言います)、それを当てる、というゲーム的な遊び?をしたのですが、確かに、心を静めて、邪念を払わなければ、なかなか香りを聞き分ける・・・ということは難しかったですよ
 この日は、何と言っても初めての体験で、いきなり「香りを当てましょう!」と言われ、ルールをお聞きし、何十年ぶりかで墨をすり、筆で字を書く・・・ということになり、すっかり舞い上がってしまい、到底「自分を見つめる」ところまではいきませんでした


 体験を終えたあと、先生がおっしゃったひとことが、とても心に残りました・・・
 「香木は非常に貴重です。自然の中での偶然によって、香木は誕生します。しかし、それ自体が偶然を待つような稀なものであるものなのに、今ではそれに拍車をかけるように、原産国であるマレーシアやインドネシアの熱帯樹林開発が進み、木々、森々そのものがなくなろうとしています
 でも、何としても私はこの「香道」を守りたいと思っています。500年前の武将、貴族達が楽しんだ香木の中には、いまだに残っている、非常に貴重なものがあります。たとえば、その香りを聞けば・・・私達のお隣に、まさに織田信長や徳川家康が座っている・・・同じ香りを聞くことができるのです 時代を超えて、香りは存在しているのですね・・・」
 むー・・・驚きましたでも、そうなんですねえ。きっと、戦国武将も、貴族も、豪商も、聞いた香りを、私達も聞くことができる・・・すごいことです

 なかなか、こういう機会には恵まれませんが、何とか上手に、「自分を見つめる時間」を作り、心を静めて自分と対話する・・・きっと必要だなあ、と思いました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知っているつもり?!

2010年11月28日 | にこにこ

 A太郎さん、ある日の帰り道、ご近所のおばあさんから呼び止められます。
「おかえりお疲れ様。今、帰りかい?これ、持って帰りなさいよ うちの庭で咲いたから・・・」
 手渡されたのは、小さな「ひまわり」でした
 別段、お花が好きなわけでもなく、突然にいただいたお花に戸惑うばかりでしたが、せっかくの「ひまわり」だし・・・ということで、帰宅したA太郎さんは、手近にあった瓶に生けました
 よく見ると、そのひまわりは少し変わった品種だったのか、全体的に花びらがオレンジっぽくて、「ひまわりは、大きい花を咲かせるもの」というイメージのあったA太郎さんからすると、それはちょっと小ぶりの花でした。
 
 その日から、A太郎さんは小さな部屋の中、見るともなくその「ひまわり」を愛で、数日間を過ごします。
 へえ・・・今日は花が大きくなった気がするなあ・・・
 あれ?これって、黄色い花びらじゃなくって、オレンジに近いよなあ・・・
 おお、立派な花になったぞ・・・
 むー、ちょっと下向いてきたよなあ、花はもう終わりかなあ・・・
 う゛―、すっかり下を向いて、お辞儀してるって感じになってしまったなあ・・・
そして、とうとう枯れてしまった「ひまわり」は、捨てられました。

 その次の日、目が覚めたA太郎さんは、お部屋の変化、そして自分の気持ちの変化に気づいた、と言います
 あるべきところに、「ひまわり」がない・・・ 何だか、急にお部屋が寒々としてしまった・・・
 ああ、僕は、毎日「ひまわり」を眺めては、いろんな変化に気づき、それを楽しんでいたんだなあ・・・心が和み、そして、一日の疲れを癒してもらっていたのだなあ・・・

 A太郎さんはこの時、生まれて初めて「花」をいうものを意識した、と話していらっしゃいました。知らず知らずのうちに、A太郎さんは「ひまわり」から穏やかで豊かなパワーをもらっていたことに気づいた、と言います

 この後、すっかりその心、その気持ちの変遷、感覚を忘れられなかったA太郎さんは、それまでの仕事を辞め、「花こそが僕の天職かもしれない」と感じ、いろいろとご苦労をされた後、現在は都心からスタートした有名なお花のチェーン店の一部門を任され、毎日、お花を愛で、お花と会話をし、花のすばらしさを多くの人に伝える仕事をなさっています

 もし、A太郎さんが、ご近所のおばあちゃまから「ひまわり」をもらっていなかったら?きっと、人生は 大きく違ったものになっていたでしょうね。
 
 どんなことでも、「触れる」「経験する」ことによって、スタートします。実際にさわったり、身近に置いたり、やってみたりすることよって、初めて「感性が動かされる」のですよね
 幼い子ども達は、よく何でも「ああ、それ、知ってる」「うん、これ、知っているよ」と言います。
 でも、本当に「知っている」というのは、もっともっと深いことのように思えてなりません。そんなに安易に「知っている!」という気分にさせるよりも(きっと、知っている、ということが、とても自慢なのだと思います)、知らないことがいっぱいだから、もっともっと知ってみたいな!と思えるほうが、素敵だと思うんですよねえ

 私は、52歳になった今も、機会があれば新しいことを「知りたい」「触れたい」「経験してみたい」と思って暮らしています
 私はA太郎さんのお話しをお聞きし、何だかとってもほのぼのとした気分になりました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学習の記憶

2010年11月17日 | にこにこ
 先週の土曜日、マナーズ卒業生のお母様達と夕食をご一緒しました
今ではすっかりお兄さん、お姉さんになったお子ちゃま達。話題は中学受験のための塾通いや高学年の学校でのお勉強の話しになりました
 ママ達から語られるお子ちゃま達が発する「憎まれ口」。私の袖を引っ張り、モジモジしていたこと・・・やっとシーソーの問題が解けて、放心したように安堵した顔・・・そんなことを思い出しながら、すでに背の低い私に追いつきそうになっている姿を想像しましたが・・・ははは、想像できません
 でも、憎まれ口もありますが、ママ達が話されるお子ちゃま達の言葉を聞いていると、心根はちっとも変わっていないんだな・・・ということがわかり、とても嬉しく思いました

 じつは、つい半月ほど前、プレジデント社の方からお電話がありました プレジデントファミリーの企画に協力していただける人をご紹介ください、というご連絡でした。私はすぐに、A高校の1年生になっているマナーズ卒業生の坊ちゃんに連絡をとろうと、お母様にご連絡をしました
 お母様から聞くA校生のH君は、すでに私の知っている穏やかではにかみやさんのH君とは別人になっているようで・・・まさに「うっせーなー・・・」「ああ、ウゼッ」なんてセリフをお母様に連発する、ギャング高1生になっているんですよね。
ここまで大きくなると、今度はかえって「ヒュ~~~~~ッ」って感じです。

 さてさて。
その夕食での話題に戻りますが・・・昔、子ども達がマナーズのお教室で学んだこと、という話題になりました すると、何とそこにおいでになった方全員が、理科の実験時の「アルコールランプ」の話題を持ち出されました。
 それが、すこぶるおもしろいお話しなんです
私もよく覚えているのですが、私はその子達が年長の時のクラスで、「マッチの話し」をしたのです。
 その年は、とても穏やかな子ども達が多い学年でね・・・私が一つのカリキュラムとして、マッチ棒を使って形を作る・・・という課題のために、マッチの小箱を一人ずつに配りました
 すると、ほとんどの子ども達は、わっと言って身体を後ろに引き、「先生、マッチって、すんごくあぶないんだよ」と神妙な顔をして言うのです。
 私は、その様子があまりにおもしろく、ちょっとここで「別の角度から、別の学習」をさせてみよう、という気持ちになりました
 あまりに怖がっているので、一層、子ども達の目の前にマッチの箱を付きだし、「なんで危ないの?」とたずねてみました。
 すると、どんどんと身体を後ろに引いていきながら・・・口々に言い出しました。
 「だって先生、マッチって火がつくんだもん
 「マッチは、やけどするんだよ
 「マッチを持ってると火事になるって」etc.
 むー・・・私は子ども達の反応、子ども達の言葉を聞いて、「ちょっと違うぞ!」と、俄然、張り切ってしまいました
 さすがに、お母様達の教育が良かったので、子ども達全員が、「マッチがどういうものであるか?」を知り、それが「危険なものである」という認識がありました

 けれど、本当にそうでしょうか?子ども達が、マッチ箱を差し出しただけで、のけぞってしまうほど、マッチは危険でしょうか?

 私は、その時、子ども達に言いました。
 「マッチって、危ないの?(そう、そう!ママに教えてもらったよ、すんごく危ないヤツなの)どんなふうに危ないのかしら?今、先生がこうして持ってるだけでも危ないの?(そうだよー、だってマッチなんだもん、火がつくヤツなんだってばー!)」

 そこで、意地悪な私は、再度、聞いてみたのでした
 「本当にマッチって危ないの?先生はね、ずっとこのお教室に、これと同じマッチを、あと10個ほど置いているよ。」と言うと・・・
「えっ?・・・・え~?・・・そんなの、絶対にあぶない・・・あぶ・・・ない・・・よ うん、あぶないよ、先生・・・」と段々と自信喪失
 
 そこで私は話しました
 「マッチはね、この棒のままだったら、危ないものではないのよ この色つきのドングリみたいなヤツと、この箱の外の茶色のザラザラしたところを、ザーってこすり合わせたら、初めて火がつくのよ 棒のままだったり、箱のままだったりしたら、いつまでたっても、いっこうに危なくはないのよ ただの、ちょびっとの火薬がついた棒、なんだから。だって、考えてみてよー。あなた達が言うように、マッチが危なくて、火事になるものなんだったら、今ごろ、教室は大火事でなくなっちゃってるわよー そう思わない?」
 子ども達にとっては、驚愕だったようです。彼らは、ひたすら、「マッチは危ない」「マッチは危険」「マッチをさわっちゃダメ」「マッチは火事になる」と教えられていたようで、何がどう怖いのか?さえ、全くわかっていなかったのでした
 
 そこで、私は「マッチの使い方」を十分に話し、ゆっくりとマッチを擦ってみせました シュッと音がして・・・火がつきました
 子ども達は、タメイキのような、低く唸るような声で、「おーーー」と言いました。まるで、道具の使い方を会得した猿人?のように、その声は、感歎の声でした
 マッチを擦ったのは私、マッチに火をつけたのは私ですが、あたかも子ども達は、自分が教えられたようにマッチを擦り、火を付けたかのように感じたようでした 指でマッチを持つ格好をして、箱を持って「シュッ」とする真似をして・・・ニコッと満面の笑顔を見せている子もいました

 あの時から4年。
子ども達は理科の時間に、「アルコールランプの使い方」を習ったのだそうです。
他の生徒達は、先生がマッチを出して、火を付ける話しをしたとたん、何となく腰が引けたような状態だったそうですが・・・ 彼らは違いました
  「ああ、あの時の『アレ』だ!マッチは、それだけでは危ないものじゃないんだ。マッチ棒を斜めに持って、シュッと滑らせるように箱の茶色の部分にこすりつける・・・そしたら・・・ほらっ こんなふうに火がつく 上手に使えば、危ないものじゃないんだから・・・」

 子ども達は家に帰り、そして理科の授業の時の話しをして、語ってくれたのだそうです。
  「ママ、あのね。今日はアルコールランプの使い方の話しをしたんだ。みんなは怖いっていって、なかなかマッチで火をつけようとしなかったんだけど、僕はちっとも怖くはなかったんだよ だって、まどか先生がね、昔、僕の目の前で、火を付けてくれたことがあったんだ。こんなふうにして火をつけるのよ、って その時、ちゃんと見てて、覚えてたからね。簡単、簡単

 嬉しかったですねえ・・・そのお話を聞いて
学習の記憶。印象の残るような、感歎、感動を伴った学びの記憶・・・その記憶がマナーズでの貴重な経験だったとしたら、こんなに嬉しいことはありません

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お母さんは、きれいでいましょう!

2010年09月29日 | にこにこ
 じつは。
私は今、歯列矯正をしています ここ7,8年でしょうか、歯列矯正は子どもだけではなく、大人、特に母親になった年齢の女性の多くが、取り組むようになりました。
 ひと時代前であれば「今さらあなたの年になって、歯列矯正をしてどうするの?」と思われるような年齢の女性です
 もちろん、私などはすでに52歳ですから、まさに「あなたが矯正をして、何がしたいの?」と仰天されるような年齢でしょう。
 すでに、このブログには何度も登場している医療関係者である私の大の仲良し2人 一人は私達家族のホームドクターで、もう一人は歯科のホームドクターです。この2人のおかげで、私は門前の小僧さながら、結構、いろいろな医療関係のこと、特に歯科についてコンサルタントになれるほど?!かなり詳しいですよ
 私の場合は非常に幸いなことに、この仲良しの歯科医のおかげで、歯の治療、歯のチェック等、恵まれた環境の中で暮らしています。
 彼女の言い分は、「あなたは人前に出る仕事をしている人。私が友人でありながら、もしあなたの歯に不都合があれば、私が格好悪い思いをしてしまうわ」というもので・・・確かにそうですねえ・・・一理あります。

 ということで。
上顎が前に出ている遺伝(要するに、出っ歯、です)という私の長年の懸案が、友人の強い勧めもあって、歯列矯正によって改善させましょうということになり、昨年の7月から歯列矯正を始めました。
 年齢を重ねれば重ねるほど、歯周病のような病気が出てきて、人の歯は出っ歯、隙っ歯になる傾向にあるわけですから(みなさん、ご存知でしたか?)もともと出っ歯の私の場合は、より一層、年をとると醜い出っ歯になってしまう・・・わけですよね
 そんな私だからこそ、よけいに彼女は私の口元を心配し、ずっと「この年齢だからこそ」歯列矯正をして、きれいに年をとること・・・を勧めてくれていたのでした。

 私の矯正は、夜寝るときにだけ、矯正のための矯正具をはめる・・・というものです。
ですから、日中は普通生活のまま。この矯正だと、24時間装着する矯正よりも歯の動きはゆっくりですから、トータルにすれば長い時間かかってしまいます。
 けれど、日中に矯正具が原因で話しづらいとか、矯正具に歯垢がたまりやすくなり、虫歯になる可能性が高い、とか、そういう心配がありません
 始めてから1年2ヶ月。まさに、私の口元は、目に見えて改善されてきました 懸案の出っ歯は、ぐっと引っ込んできましたし、ガタガタだった歯並びも良くなって、少しずつではありますが、きれいに並ぶ歯が見えるようになりました。
 歯並びのために健康な歯を抜くこともなく、矯正具で日中イライラすることもなく、ひたすら、夜の間、マウスピースのように矯正具を装着するだけで、私は出っ歯から「普通の歯」に昇格しました。
 もちろん、まだまだ「夜だけの矯正」を続け、時間をかけてきれいな歯並びの歯を手に入れようとしています。これによって咀嚼(噛むことですね)も良くなり、口呼吸で口の中が乾くことからも解放されます。そうなれば、口臭もなくなるし、良いこと尽くめです

 じつは。
私には、忘れられない息子のひと言、があります。
 昨年の12月、息子が心臓の弁置換手術を終えた時のこと。手術室からICUに戻った直後、面会が許されました。その時は、まだ息子の意識は戻っておらず、口には太い管が入ったままで、身体中、管だらけでした。普通の精神状態ならば、そんなサイボーグのような姿にかなりのショックを受けたでしょうが、その時の私は、ひたすら息子が生きている、ということが感激でした
 息子のベッドの横の機械では、息子の心拍数が数値で出ています。息子の心臓が動くたびに、ポーン、ポーンという音が聞こえ、ハート形の光がピカピカ・・・息子の心臓が自力で動いている証拠です。
 手術が上手くいっても、人工心肺から息子自身の心臓に切り替えた時、果たして自力で心臓が動くかどうか・・・手術前日、主治医の先生にそう言われていたことを思えば、その「ポーン、ポーンの音 ハート形のピカピカ」は奇跡に思えました。息子はチューブだらけだけれど、間違いなく、心臓は動いている!!そう思うと、サイボーグのような姿とは裏腹に、まさに生きているという実感を伴った姿で、嬉しくてなりませんでした。
 それから2時間近く経ってからの面会、3時間後の面会、息子の意識は戻り、不思議な躁状態の息子はひたすらひたすらしゃべりまくって(実際の息子は、非常に寡黙です)いましたが、その半分以上は声がかすれていて、何を言っているのか聞き取れませんでした 
 日頃は、話すときも言葉を選び、決してノリノリで話す子ではないことを思えば、その時の息子は、幼児期以来の「おしゃべりくん」でした
 あとになって判明することですが、あの日、ICUで話したことのすべては、息子の記憶にはありませんでした。手術後、彼の意識は戻ったものの、話している時は意識下の意識での会話。あの「ペラペラ」は、彼の心の中の言葉だったんですねえ。だから、いつもはポーカーフェイスで、決して心の内を見せることのない息子のあの時の会話こそ、彼の本心。半分以上聞けなかったことは残念でなりませんが、さすがにそれは可哀想だと思った神様の息子へのお計らいだったのでしょう

 おっと失礼しました。話が横道に逸れました そうです、忘れられない「息子のひと言」です
「息子のひと言」の意味を、より実感を持ってご理解いただくために、これだけ長々と説明をしたのですが・・・いつもは本心を絶対に見せない息子が、私が2度目の面会にICUに入った時、言った言葉がこれでした。
 「お母さん、お化粧、直して来なかったの?髪もバサバサだよ」何度も言いますが、彼には、母親にこう言った記憶は残っていません。けれど、この言葉は、彼の心の中から出た本心だった、ということです。
 
 あの時の私は、「自分をきれいに見せる」という思いなど、微塵もありませんでした。
確かに、あの手術の日の朝、6時に家を出発をした時には、一応はきちんと「素敵なお母さん」の装いでした。厚化粧ではありませんが、いつもの私の顔。朝、着替えをしながら、万が一、その姿が息子が私を見る最後の姿だったら・・・そんなことをぼんやりと思ったのですから。
 けれど、長い手術の時間中、何度もお手洗いには行きましたが、かと言って、そこでお化粧を直したり、鏡を見たりする気にはなりませんでした。
 ですから、手術が終わってICUに入った時の私は、素顔というよりも、一度はしたお化粧がはげ落ち、髪は、手術前には長くしたままだったものを、手術後は簡単にシュシュで束ねていたのでした
 その姿が、息子には何とも言えない「情けない、やつれた母親の姿」に映り、とても情けなかったのかもしれません

 みなさまもご存知の通り、私は常に「元気印」です それは家庭でも同じで、滅多に「疲れたー」を言わないお母さんなんですね。
 ましてや、50歳になってからトライアスロンを始め、溌剌と父親と一緒に走りに行ったり、リビングにトライアスロンのレース中の写真なんかを飾ったりしている若々しい母・・・少なくとも、いつも元気で溌剌としていたいと、誰よりも考えている母が、幽霊のように、魂が抜け落ちたかのように息子のベッドの側に立ち、息子の手を握って涙を流している・・・きっと意識下の意識で、息子は「いったいこの人は何?僕の母親ではないでしょう?何ですか、この醜い人は・・・」と思い、思わずそう言っていたのだろうなあ・・・そう思いました。

 私はこの時のことから、ずっと考えています
 「母親は、いくつになっても、きれいでいなければならない
成人した子どもでさえ、心の中ではそう思っている、ということです 母親が40歳になっても、50歳を過ぎても、「きれいでいようとする姿勢」は本当に大切であり必要である、と最近、痛感しています。

 女性は、年を重ねれば味が出て、本当は素敵になっていきます でも、容姿に関しては、衰える一方 それは仕方がありません。若い頃は、「若い」というだけで価値がありますものね。
 
 でもね、私は思うのです。女性は、いえいえ「母」は、老けていくに任せてはいけません 
 母だからこそ、いつまでも若々しく、きれいでいよう きれいでいたい そういう意識を持って日々暮らしていかなくてはいけない、そう思います
 百歩譲って、きれいになるために「何か」をしないまでも、きれいでいなければいけないな、という思い、意識だけでも持っていなければ、ひたすら子どもにとってはもう価値のない存在になっていくのではないか?そう思うのです。
 だってね、子どもが小学生になれば、毎日は無理でも、きっとちょっとがんばればお腹がすけば目玉焼きも自分で焼けるし、納豆ご飯なら自分で食べられるでしょう?
 2,3日は、洗濯しなくても、そのくらいの洗い替えの下着はあるでしょうし。
 お風呂だって、シャワーくらいなら自分で何とかなる・・・
じゃあ、お母様の価値は?お母様がいる意味は?
 
 ママは、パパとは違うのです
子どもにとって、一番身近なママ、お母様は「素敵な人」でなければ、きっと意識の中では捨てられてしまうでしょうね。

 さあ、今日の余暇の時間には、どんなことをして、素敵でいる努力をしましょうか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋を感じてみませんか?

2010年09月16日 | にこにこ
 今年は本当に残暑が厳しかったですね いやいや、もしかしたら、まだ「残暑が厳しいですね」と、現在進行形で書かなければならない日が突如、やってくるかもしれません
 9月に入っても、つい2、3日前までは、モワーッと暑くて湿度の高い日や、刺すような陽射しが夏と何ら変わらない、という日が続きました。9月に入ってからの暑さは、夏バテした身体に堪えました

 でも・・・そんなふうに残暑が厳しくても、やっぱり夜になると、「秋の虫の声」が次第に賑やかになってきていたものです スズムシ、コオロギ・・・我が家のベランダ前の桜の根っこの下草からも、反対側のケヤキの根っこの下草からも、9月に入ると秋の虫の大合唱が聞こえていました。
 今年はね、8月26日の夜、初めて秋の虫が鳴き出したのですよ

 このブログを始めて、幾度となく「秋のおとずれを感じていますか?」と書いたことを覚えています。
日本には四季があります。今年のように、ラニーニャ現象で「いったい、地球はどうなっているのだろう!」と、真剣に議論されている中でも、やっぱり秋の虫が鳴き始めるのですよね
 日本の四季・・・その季節、季節でおいしい実りがあり、目にうるわしい木々、花々があり、北から南まで、さまざまな行事がニュースで放映されます そういうものを、本当にみなさんは見落としてはいないでしょうか?

 まどか先生ったら、ホント、毎年、同じことばっかり書くんだから・・・老化じゃない?などと言う声が聞こえてきそうですが、やっぱり今年も言いたいのです
 私は8月の終わりから約1ヶ月、9月、10月の出願を控え、お父様やお母様が一生懸命に書かれた願書を見せていただいています。
 願書には、名前と住所を書くだけの、まるでお役所で住民票を取るときの事務的書類のようなものがあるかと思えば、何日間もご両親で過去数年間の子育ての日々を振り返り、いろいろと思い出したり、考えたりしなければ書き上げられないような一大巨編的な願書もあります しかし、極々一般的な願書の場合は、質問の定番は「志望理由」と「家庭教育の中で大切にしてきたこと」この2つでしょうか。

 この2大質問について答える時、必ずと言ってよいほど使われる言葉に「感性豊かな子ども(人)」というものがあります。そうですね・・・我が子が幼い頃、もし「どんな子どもに、どんな人に育って欲しいか?」と問われれば、きっと私自身も答えたと思いますねえ・・・「はい、人の痛みのわかる、感性豊かな人に育って欲しい・・・」と 
 先ほど書いた質問が、2大質問だとするならば、この「人の痛みのわかる」と「感性豊かな」の二つは、2大答え、と言えるでしょう
 でも・・・人の痛みがわかるようになるためには・・・感性豊かになるためには・・・いったい、どういうことをしてやれば、そういう子どもになるのでしょうね。
 きっと、学校の先生方は、本当は「そこの部分」をお聞きになりたい、と思っているだろうなあ・・・と、私は毎年、苦笑しながら考えます

 おっと失礼!お話しが、脱線してしまいました
人の痛みのわかる・・・については、また別の機会にお話しをするとして、「豊かな感性」を育てるために必要なことの一つに、私は「日本の貴重な季節を五感で感じる」というものがある、と思っています。
 では、いったい、感性とは何か?を、漠然としてではなく、もっと知りたい!と思い、辞書を引いてみました
すると、こんなふうに書かれていましたよ。

  1. 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「―が鋭い」「豊かな―」
  2. 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。
 むー、1番は理解できますが、2番は私の頭では無理なようです ということで、ここでは、「感性とは・・・物事を心に深く感じ取る働き。感受性」として理解しましょう
 とすれば、この「物事を心に・・・」の「物事」のところに、いろいろな言葉を入れれば良いわけですね。例えば、「花々を心に深く感じ取る働き」「吹く風を心に深く感じ取る働き」「季節の恵みを心に深く感じ取る働き」etc. etc.
なるほど 何だかわかってきましたよね。

 幼い我が子が、さまざまな事象や、さまざまなものを心に深く感じ取るためには、間違いなく、子どもが感じ取れるような働きかけ、言葉かけをしないといけませんよね じゃあ、常に子どもの身近なところにいる親こそが、「物事を心に深く感じ取れないといけない」ということでしょう

 空の高さ、雲の形、八百屋さんの店先(スーパーであっても、季節の恵みは、前面に出ているものですよね)、花屋さんのバケツの中・・・そんな生活の中に、普通にあることに目も気も留めず、ひたすら知育やお稽古事にばかり躍起になる・・・私は違うと思うのですよねえ・・・

 そういう私も、子どもの頃は大のお稽古好きで、小学校1年生の頃は、「月曜日はピアノ」「火曜日はお勉強」「水曜日はお絵描き」「木曜日はお習字」「土曜日は英語」そして、毎日そろばん教室に通っていました
 ただね、自慢をしてしまいますが、私の母は、とても素敵な女性だったのです
 祖母や叔父、叔母との大所帯のお台所を切り盛りしながら、父の会社の経理をするという八面六臂の活躍ぶりで、もちろん、私の母として、学校の役員なども引き受けてくれていました。そして何より、玄関だけではなく、小さな出窓やお手洗い、ちょっとしたスペースには、季節、季節の小物を飾り、一輪挿しには花が生けられ、食卓にはその時々の実りが並びました
 
 多忙を極めた母は、残念ながら大きくなった私を相手にも、わざわざ時間を割いて何かを教えてくれる、ということはありませんでしたが、私はいつも「母を見て」育ったのでした
 超高層マンション暮らしになった両親の鉢やお皿には、庭の葉っぱや花が添えられることはなくなりましたが、今でも季節を感じられるお献立が並び、そういう話題には事欠きません。そうそう・・・思えば、最近の母の話題には、「母が見習ったという素敵な女性、祖母の姿」もよく登場します
 
 ああ・・・子どもは、親の背中を見て育つ、というのは、本当だなあ、と実感します。(どうしましょう・・・私の娘は、私の走る姿や、パソコンに向かっている姿だけを見ていたら・・・

 感性豊かな子どもに育てるために・・・まずは、秋を感じてみませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする