まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

親の感性

2009年05月28日 | にこにこ
 現代では、さまざまなシーンで「感性」という言葉をよく使います。子育ての話しの中然り、仕事の上でも「感性」は大きな意味を持っているようです
 何事に対しても「行け行け、GO!GO!」の昭和の時代は、「感性」や「心」などという比較的「静」に位置づけられることには、あまり価値は見出されていなかったのでしょうね。それよりも、「パワー」だとか「勢い」とか「馬力」などという言葉に象徴されるような「動」が重要視された・・・
 
 しかし。この感性とは・・・なかなか、説明のむずかしいものであるかもしれません。
 ただ、私の考えでは、「感性」とは、「理屈とか理論」とか、そういうものの対極にあるもの・・・見たもの、聞いたもの、経験したこと、そういうことを素直に、柔らかい心で感じたままを大事にすること・・・だと思っています
 きれいな花を見た時、「何という花なんだろう?」と疑問に思い、是非、その花について知りたい!と思うことも、とても大事だと思います。年齢に関係なく、「知る」ことは、人を大きく豊かにしてくれますからね
 でも、そういうこととは全くちがった次元で・・・その花の名前を知らなくても、原産地や品種や開花時期を知らなくても、単純に「ああ・・・きれいだあ・・・」と感動し、その花に見とれる時間、その時間の心のあたたかさ・・・などが、その人の「感性」なのでしょう
 1+1=2、2+2=4・・・それこそが真理だ、と感じて生きている人が相手では、話していても面白みや潤いがないように、「感じる心」を持っていなければ、その人の幅は狭く、心が固く感じてしまうのではないでしょうか?

 またまたスポーツ関連の話題で恐縮ですが。
4月の石垣島トライアスロンでご一緒した方に、あるお父様がいらっしゃいました。年長児のお嬢様をお持ちのお父様で、この秋に小学校受験を控えていらっしゃいます。
 レースの前日、受付の手続きをしに体育館に行った後、説明会までの長い待ち時間をご一緒し、いろいろとお話をしました。
 そのパパのご自身の大学時代の経験、現在のお仕事への思い、父親としてのお嬢様への思い等、語られるお話がどれもこれもイキイキとしているのです
 さまざまなお話から、この方は頭だけではなく、心で物事を捉えて、毎日を楽しく豊かにご家族と過ごしておられるのだなあ、と感じ、私までがほのぼのとした気分になりました。同時に、そういうお父様のもので暮らすお嬢様のお幸せも感じてたのでした
 教室の仕事をしながらも、時折、そんな「父親像」として、その方のことを思い出していると・・・たまたまレースの後、その方がご自分の思いを現地の新聞に投稿され、その記事がその地方紙に大きく掲載されたことを知りました。その一部を、ここでご紹介しましょう。



 「昨年10月、トライアスロンをしていた知人から何気なく「やってみない?」と誘われ、その場で「デビューは来年4月の石垣島ね」と勝手に決められてしまったところから私の石垣島トライアスロンは始まりました。何しろ「石垣島」とは聞いたことはあっても沖縄本島から一体どれくらい離れていて、どんな形をした島なのかさえもわからない状態でした。
 それからはホームページに載っている大会の写真を何度も見ながら「ああやって石垣島の皆さんに応援してもらえたら気持ちいいだろうな」と思いながら練習してきました。
 大会当日は何とも言えない緊張感の中で私の初挑戦はスタートしました。海では何度も人とぶつかりながらやっとの思いで陸に上がり、自転車のある場所まで数百メートルを走った訳ですが、既に多くの石垣島の皆さんが応援してくれ私は「ああこれだ、これこれ!」とホームページで見た写真を思い出しながら嬉しくて仕方がありませんでした。自転車で走り始めてからも、沿道から応援してくれる皆さん一人一人の顔が見たくて「ありがとー!ありがとー!」と手を振り大きな声で叫びながらレースをしていました。
 最後のランニングでも皆さんからの応援は変わらず本当に心強かったです。そして沿道からの水やポカリ、塩やバナナにどれだけ助けられたことか。今までに食べたり飲んだりした何よりもおいしく感じました。迎えたゴールの瞬間、私はガッツポーズをしながら大きな声で「ありがとー!」と叫んでいました。これはこのチャレンジへの自分の気持ちと、応援して下さった石垣島の皆さんへの気持ちから出てきた素直な感情でした。
 完走者メダルをもらい、レースを振り返りながらタオルで汗を拭っていた時、何故か大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちてきました。小さな子供からおじいちゃん・おばあちゃんまでが鍋や太鼓を叩きながら「ガンバレー!」と言ってくれた一声一声、その情景を思い出すと自然に涙が溢れてきました。

 あの感動から約一週間、名古屋に戻った私は通常どおりの生活を送っていますが、石垣島で自然に出た涙の理由が今になってよくわかってきました。それは久しぶりに「本物の人の優しさ」に触れることができたからだったからだと思います。どこの誰かもわからない。けれどとにかく温かい心で人を包みこむ。「遠いところをよく来てくれたわね」と島中から歓迎されたかのようなここち良さ。まさに人としての原点を垣間見た気がしました。
 今の日本にこれだけ純粋な心の人が多くいるところは少ないと思います。石垣島には素晴らしい自然と共に「素敵な人々」がいます。石垣島の皆さんにはそうした雰囲気や文化をいつまでも大切にしていただき、これからも多くの人々を感動させていって欲しいです。私は来年も絶対に出ます。だって私にとって石垣島は心の故郷になってしまいましたから。
 来年もまたたくさんたくさん応援して下さいね。それを楽しみにまた頑張って練習します。
 石垣島の皆さん大変お世話になりました。そして本当にありがとうございました。



 いかがでしょうか?
この方が「お嬢様のパパ」として、どんなことをわが子に語り、どんなふうにそれを伝えようとなさったか・・・きっと、そのお嬢さんの心には「いしがきじま」「がんばるパパ」「パパを応援してくれた人達」「うれしくて、おとななのに、泣いちゃったパパ」等、印象として残ったのではないでしょうか
 親の感性・・・親の豊かな心・・・それは、間違いなく、わが子のまだまだ柔らかい心に直に響いていくものだと実感しています。

 ちゃんと部屋を片づけない・・・ 大きな声でごあいさつをしない・・・ 何度注意してもいっこうに治らないわが子の態度には、本当に腹が立ちますよね。
 でも、お母様の「口」を、ガミガミ、ぶつぶつと文句を言うために使うのではなく、時には、ご自分が感じたことや思いを、心を込めて言葉を発することに使ってみませんか?
 スポーツなどに挑戦しなくても、何か特別のことをしなくても、ちょっとご自分の発想を意識的にかえてみると・・・日頃の生活の中でも、いろいろと感じることは多いものですよ
 今日の雨も、眺めていると、心を落ち着かせてくれる素敵な自然の恵みです
 こんな穏やかな心で眺めてみると、日頃は感じることのできなかったことも、見えたり、感じたりできるものです。
 親の「感性」が、まさに子どもの感性を育てる手だてとなる・・・間違いありません


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