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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

感動は、その人しだい

2009年03月03日 | にこにこ
 3月1日、三浦国際市民マラソンが開催されました
天気予報では「曇り」。早朝、横浜を出発する時には、確かに「曇り」でした。横浜駅から京浜急行に乗り込むと、すでにランナーと思しき人達がたくさん乗っていて、みなさん、6時台という早朝にも関わらず、どこか興奮気味・・・
 ところが・・・横須賀を過ぎたあたりで、誰かが大きな声で言いました。
 「げーっ!路面が濡れてるー 雨、降ってるよ
ほぼ全員が窓の外を見ました。確かに、雨が降っています

 三浦海岸駅に到着した時には、すでに空は暗く、雨も本降りです。主人も私も、走るための「いろいろ」は考えてしたくはしたものの、どこにも「雨」の予報がなかったため、雨用の備えは何もありません コンビニでは、すでに傘は売り切れ。
 仕方なく、ランニングキャップをかぶって海岸の会場へ移動しました。すでに、参加賞の「三浦大根」を手に、駅のほうに歩いて戻ってくる人もたくさんいました。走ることを断念し、大根だけをもらって帰ることに決めた人達です。

 けれど、会場に到着すると・・・
そこではすでに、陸上部の中学生や高校生が、雨の中、アップを始めていました 5キロのレースに出場するランナー達です。気持ちは、立て直されました
 私も主人も、レースに出ない、という選択肢は考えてはいませんでしたが、ひたすら気になったのは、今年初めて開催される「800メーターのキッズのレース」にエントリーした卒業生ちゃん達のことでした。そして、三浦マラソンが初レースとなる卒業生のパパ、ママ達・・・

 雨は上がる気配もありません 空は真っ暗・・・そろそろ集合の時刻です。パパやママ達は、「大根を持って帰る人達」とすれ違いながら、とっても複雑な思いをしながら歩いていらっしゃるに違いない、と思いました 私がお誘いしたのではなく、個人で出場をお決めになっていたなら、きっと、誰に気遣うこともなく、さっさと駅から「回れ右」をなさるだろうなあ・・・そう思いました
 大事な大事なお子さん達です。日頃は、傘なしで歩くことなどなく、寒ければ風邪を引かせないように着込ませ・・・こんなザーザー降りの中で、走らせる???こんな寒い日に、雨に濡れさせる???

 天候「雨」 気温「5℃」 風速「平均8.5メートル」
これが、完走証に記載してあった当日のお天気です 私は、これをあらためて見て、完走されたパパ、ママ達、子ども達に手を合わせる思いでした

 でもね。
私はあの日、あらためて実感したことがあるのです。「子ども達って、ものすごく素敵」って。
 
 集合場所にしていたテントに現れた子ども達は、みな、ビニール傘をさしながらも、笑顔なんです
 「久しぶりねえ、元気だった?」
の私の言葉に、ちょっぴりはにかんで「うん
 4年生が1人、2年生が1人、1年生が6人。寒い寒いザーザー降りの雨の中・・・これから、その中を走ろうというのですよ。日頃は、大事に育てられている子ども達が・・・

 確かに、子どもというものは「非日常」が大好きです
「いつもと同じこと」は、ローテーション化し、すでに7,8歳ともなれば、だんだんとダレてもくるもの けれど、この日の非日常がいっぱいには、興奮気味だったかもしれません

 たとえば・・・いつになく早起き・・・運動会でもないのに「走る」ということ・・・それが、大人も出場する大きなレースだということ・・・日頃はあまり走ったりしないパパやママも走るらしいこと・・・会場には、いかにもランナーという、テレビで観るような格好の人達がすでに練習していること・・・そして、運動するというのに、雨だということ(運動会は、雨天順延か雨天中止と相場が決まっているわけで)・・・

 そのうちに、準備体操が始まりました。本来ならば、もっともっと入念にストレッチや準備運動をするわけですが、とにかく、ザーザーと降る雨のなか。これからその中でレースを走ることを考え、コーチはいつもの時間の3分の2程度で終えました
 子ども達も、しっかり体操をしています。もちろん、パパもママも真剣です
 そのうちに、5キロレースの集合がかかりました。パパやママが移動です。
これが晴天であれば、かなりここでドラマチックな「いってらっしゃい がんばれー」などが親子で繰り広げられ、写真もパチパチ・・・だったでしょうね でもこの日は、何がなんだかわからない状況の冷たい雨の中では、それもなし、です
  
 そのうちに、ファンファーレが鳴り・・・スピーカーからはMCの方の声・・・そしてパーン 沿道の人垣の向こうで、3000人以上の人がスタートを切りました
 いよいよ子ども達が集合場所に移動。ママや、コーチに誘導され、子ども達が人、人、人の中を傘をさして進みます
 集合場所に並ぶと、おねえさんがゼッケンと、靴に付けられたタイム計測チップの確認。本格的です!子ども達のかなり神妙な顔。
 コーチのはからいで、スタート時間までは、小さなテントの下で雨に濡れずに待つことになりました それでも寒いし・・・雨のしずくがポタポタと落ちる中、子ども達は興奮している様子でした
 
 「そろそろ、先生は一度戻るね。先生も、もうすぐ10キロのスタートなのよ。じゃあ、がんばれ」そう言ってハイタッチをしました
 昔に比べて、子ども達は背も伸び、確実に成長しています でも、そのハイタッチの時の顔は、昔と一緒です

 未知のもの、新しいものに向かう時の前のめりの姿勢、興奮・・・
 沸き立つ思い、心地よいドキドキ感・・・

 子どもには、そういうすばらしい感性があります 彼らの様子から、寒さや雨へのブルーな気持ちは微塵も感じられませんでした

 実際には、濡れた路面で転んでしまってスタートできなかった子や、転んでケガをしてしまった子もいて、かわいそうでなりませんでしたし、パパやママに本当に申し訳なく思いました
 けれど、私が10キロのレースを終えて彼らと顔を合わせた時の様子は・・・やっぱり「イキイキ」だったのです
 大人の私は、あまりの寒さで手がかじかんでしまい、計測チップが靴からはずせないほどだったのに・・・ゴールをしたとたん、急に濡れた身体がガタガタと震えて寒かったのに・・・

 子どものピュアな好奇心、子どものピュアな挑戦への思い。これらは、本当にスゴイと思いました
 そして何より、どうぞ少しでも長く、このすばらしい思いが続いていきますように!と願いました。

 強い海風の吹く、冷たい雨の中のレースを経験し、もう、どんな悪コンディションでも走れるなあ、と苦笑しました
 そしてもう一つ。初レースを終え、完走したパパやママの笑顔も、子ども達に負けず劣らず素敵だったことも心に残りました

 私はこれまで、人は年齢を重ねると、自然の成り行きとして、「感動する心」が退化していくものだと思っていました。
 でも、本当はそうではないのですね。「感動する心」は、本当は大人にも子どもにも、ちゃんと備わっている
 それを年齢のせいにして、自ら退化させてしまっているのは、その人の「どんよりとした意識」なのだと実感した日でした
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方言は、その人の柱になっている?!

2009年02月22日 | にこにこ
 軽いお話をひとつ
私は今までブログの中に、何度か「大阪弁」の話しを登場させました。そのたびに、読んでくださった方々からの「笑えました」「なるほど・・・と、あらためて大阪出身の友人のことが理解できた」等、ニマッとするような感想をいただきました。
 最近は、テレビの番組で、すべての都道府県から十数名の出演者を選び、その県独特の風習や食べ物、方言などを紹介する、というものがありますね 私はその番組を見るたびに、ひえーっと驚いたり、手を叩いて笑ったり・・・
 その中でも、なぜか毎回登場する「大阪の話題」を見ては、大爆笑をしてしまいます
 
 関東暮らしになって、すでに26年。
同じく大阪出身の夫とともに、毎日の家庭生活では「大阪弁」を使い暮らしていますが、さすがに主人も18歳で大阪を出てから36年。
 私たちの大阪弁は、イントネーションこそ大阪弁ですが、この番組の「いかにも大阪」というトピックスを見ていると、今ではすっかり使わなくなった言葉や言い回しなど、かなり多いことにあらためて気づかされます。
 きっとそれは、自分達では話していても、ほとんど耳からは大阪弁が入って来ない、という環境だからなのでしょう。
 そして、私達は知らず知らずのうちに、ほぼ標準語に近い言葉を、イントネーションだけ大阪弁形式?!に変換して話しているのでしょう

 たとえば・・・私が大阪にいる頃は・・・
 「○○とちゃうん?(○○じゃないの?)」と話した言葉も、今は「○○とちがうの?」と言っていますし。
 「そんなこと、ゆうてへんよ!(そんなこと、言ってないわよ!)」も、「そんなこと、言ってないよー!」と言いますし・・・
 「べつに、かめへん、かめへん!(べつに、かまわないよ!)」も言わなくなりました。

 言葉は、「心のあらわれ」でもあります
関東での生活、26年。自分では、私は根っからの大阪人だなあ・・・と思いながらも、関東生まれ、関東育ちの2人の子ども達の母として暮らし、毎日、関東人という各地方からの集合体が使う標準語を聞きながら、私も主人も、どこかで「生粋の大阪人」とは違う人間になってきているのでしょう。

 そんな私が、とっても愛情を持って使ったり、聞いたりする「大阪弁」の中に、「○○ちゃん、○○さん」という表現があります この○○の中に入るのは、人の名前、ではありません。
 たとえば・・・飴ちゃん。飴、キャンディーです。おかい(おかゆ)さん、お粥。おいもさん、お芋、ですね。おまめさん、もちろん、煮豆や炒り豆等の「豆」です。スーパーなどでパックされて売られている大手総菜メーカーに「おまめさん」という製品がありますが、大阪では、昔から豆は「おまめさん」と呼んだものでした

 他にも・・・天神さん、大黒さん、弁天さん、えべっさん(戎さん)、愛染(あいぜん)さん、お不動さん、大仏さん。これらは、まさに神様のお名前です。けれど、大阪では、「天満の天神さんに行こか!」のように、まるで「渋谷の佐藤さんのところに行こうか!」と同じように言います。神様も、妙に近しい存在です。
春日さん(春日大社)、すみよっさん(住吉大社)、おおとりさん(大鳥大社)、いくたまさん(生國魂神社)・・・等、神社も「さん付け」で呼びます

 私は、ものを大切にする心を育てる・・・という話しをする時に、八百万の神(やおよろずのかみ)の話しをします。
 ブログにも、2、3、その話しを書いていますが、私のこういう考え方、物事の捉え方の原点には、こういう大阪人独特の思想があるのではないか?と、最近は考えています
 つまり、幼い頃から、「人以外のもの中にも、魂が宿ったように尊んで表現してきた」ことや、「特別、何かの宗教に帰依するわけでないのに、神様を身近に感じ、手を合わせ、感謝していたこと」が、私のベースにあるように思うのです。

 こんなふうに考えてみると・・・いろいろとおもしろいですよ。
きっと私が知らないだけで、生粋の江戸っ子にも、横浜っ子にも、そういう気質や考え方を育てる「何か」があるのでしょう。
 そして、もちろん、それぞれの都道府県によって、日頃は意識していなくても、あらためて「使っている(使っていた)言葉」を検証してみると、自分の人間形成の柱となっている「何か」が見つかるかもしれませんよ
 こんなことを考えながら、言葉、方言を大切に考えてみてください

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食生活と子ども

2009年02月06日 | にこにこ
 昨日、都心のデパ地下のパン屋さんで、会計をするために並んでいる時のことです
 真後ろに並んでいた人の携帯電話が鳴りました すぐに「もしもし」と電話に応える声が聞こえました。若い男の人?男の子?の声です。
 ちょうど、列が曲がり角にかかったため、少し振り返ってみると、20歳そこそこ・・・というあたりでしょうか。大学生のようでした。
 彼のトレイの上には、小型のバケットとフォカッチャが乗っていました。どちらも「焼きたて」の札が立っていたものです。

 「もしもし・・・今?○○○でキャッシャーに並んでるよ。・・・うん、これから、歩きながらパンを食べるの。・・・焼きたてなんだよ。早く喰いてー。・・・わかってるって!ママはいつもしつこいからな・・・はいはい、・・・うらやましいって?はっはっは、焼きたてだからね。・・・了解!じゃあね。」

 真後ろで話すわけですから、男の子の言葉ははっきり聞こえます 受け答えから、お母さんが「今何してるの?」と聞いた後で、焼きたてのパンを食べるあなたが羨ましいと言い、本題の何か大事なことを確認した、念押しをした、ということであることも推察できます。
 まあ、二十歳を過ぎた大の男が、公共の場で電話に出て、平気で「ママ」なんて言うなよ!と、思わず呆れる方もたくさんおいでになるでしょうが 私は何となく笑えました。
 私のまわりには、こういう典型的な「首都圏の甘ちゃん少年」はたくさんいますし、私は、彼らが普通に社会人として成長していくのならば、こういう甘やかされスタイルは彼らの育った環境によるものであって、別段、批判されるべきものではない、と思っています
 
 それはさておき・・・
彼と同じ年頃の息子や娘を持つ私としては、彼の電話の会話のみならず、「彼そのもの」を大変興味深いものと感じました。
 なぜなら、ほんの短い時間、パン屋さんで前後に並ぶ・・・というだけの関係でしたが、たったそれだけで、「彼の家庭環境や生活スタイル」が見えた気がしたからです

 デパ地下のパン屋で、わざわざ焼きたてのパンを買い、「焼きたてだから、早く喰いてー」と思っている彼の食に対する意識、好み・・・これで、彼の家庭の食文化も見えてくる そう思いませんか?
 
 私たちはよく、人との相性を判断する上で「同じ価値観を持っているかどうか?」ということを重要視します。
 私は、この価値観の中には「その人との食に対する価値観」というものも含まれている、と思えてなりません。
 食事、食生活、そういう『食』全般に関するその人の持っている意識は、一つの人を形成する文化です。
 もちろん、人には食材や調理方法の好き嫌いはあります。ですから、ここで言う「価値観」とは、好き嫌いという好みではなく、「食へのこだわり」とで言うのでしょうか。
 つまり・・・
 「食べることは、生きていくための手段」これだけの観点から食事を捉えている人。
 「生きるための糧」以上のものを、食事や食生活に求めたり、感じたりしている人。
 
 すでにご存知の通り、私はかなり「食にこだわりたい派」です。
パンは○○屋の△△でないと食べない、とか、お米は必ず○○県の△△さんのところからお取り寄せをしたものでないと満足しない、というような頑固?自己満足的なこだわりではありません
 おいしいものが大好きなので、それを食するためには、かなりの努力もしますよ、というタイプです ですから、「別にお腹がいっぱいになるんなら、何でもかまわない」という人とは、きっと食に対する価値観は違う、と言えるでしょう

 飽食の時代になり、巷で言うところのA級であろうと、B級であろうと、世の中のグルメブームはすたれません。こうなると、一過性の流行に使う「ブーム」という言葉は、もう「食」当てはまらないかも知れませんね。
 しかし、これほど世の中が食生活に敏感に反応する時代になっても、「お腹がいっぱいになるなら、何を食べても一緒、何でもいい」という感性しか持ち合わせていないとするならば??
 やっぱり、その人の育った環境が「食に対する意識の低い環境」だったのだと思うのです

 誤解を招かないために、敢えて注釈をつけますが、私は「食に対する意識の低い環境」が悪い、と言っているのではありません。良い、悪い、は道徳的なことを論じる時以外は、その人の「好み」に左右されるものです。
 あくまで、ここで言いたいことは、その人の食に対する意識は、育った家庭環境に左右されますね、ということです

 食事は、肉類以外のものは、非常に季節に左右されるものです。
現代のように、温室栽培やバイオテクノロジーを駆使した野菜栽培が出回るようになっても、ほとんどが外国からの輸入、養殖がメインの魚介類になっても、やはり日本人は、「季節の恵み」としての食材を意識しています。
 こういうことを「食」に感じる感性のある家庭(ぐっと絞っていえば、そういう母親)では、さまざまな条件から季節感が薄れていく現代でも、やっぱり食卓には多少の季節感があるでしょう

 また、味覚に敏感な人は、さまざまなものを食べて、それを何らかのかたちで「知ろう」とした人です。「知らせよう」とした家庭、母親、であるとも言えますね
 食生活における最も基本的な疑問「これは・・・何ですか?」というものがなければ、じゃがいもを食べても、さつまいもを食べても同じですし、鰯でも鯵でも何でも良いのですからね
 それに、「あたたかいうちがおいしいから、冷めないうちにどうぞ」と言われてもまったく何も感じず、平気で冷めたものを食べて・・・おいしいともおいしくないとも感じないとしたら??

 要するに。
「食」に限らず、それが服装であっても、教育であっても、「こだわり」があるか、ないか、というのは、大きな価値観の違い、となるのだと思います。
 
 そして、真っ白で生まれてきた子どもが成長する上で、一番大きな影響を受ける両親や家庭の「価値観」が、その子の「価値観」を育てる上で大きな役割を果たすでしょう

 焼きたてのパンが食べたいと思った彼。
歩きながら食べるというお行儀云々はさておき、あったかくて、外がパリパリ、中がふわふわに焼き上がったフランスパンのおいしさを知っているのです。フランスパンとは全く趣の違う焼きたてのフォカッチャも、彼の好物なのでしょうね
 たぶん「焼きたてを食べるの?ママ、うらやましいなあ!」と彼に言ったであろうお母さんは、やっぱり息子を育てていく上で、食生活にこだわりを持っておられる方で、多かれ少なかれ、それが知らず知らずのうちに息子に影響した、と言えるでしょう

 食文化は、「食べるもの」そのものだけではなく、「食べ方」にも関わってきますし、もっと大きく広がれば、食器のような「器」にまで興味は広がっていきます。
 「食べる」という行為は、生きるために必要不可欠なものであり、動物、獣でもそれは同じですが、食べ方や道具となると、人間生活特有のものですね。それが「文化」ということでしょう

 どんな家庭で子どもが育つか?
 どんな母親に育てられるか?
子どもに大きく影響する・・・ですね


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知らない人と話してはいけません!?

2009年01月16日 | にこにこ
 昨日、駅の近くの郵便局に行きました ちょうど昼食の時間帯だったためか、いつも混雑している局内は、比較的空いていました。
 郵便を出そうと窓口に並ぶと、私の前で局の方とやりとりをしていたのは男の子でした。「男の子」とは言っても、小さい子ではなく、あくまで「男性と呼ぶにはまだ幼さを残した」という意味であって、年の頃なら17,8歳、でしょうか。
 局の方の手元を見ると・・・大学宛の願書でした。W大、K大等、全部で7校の封筒がありました。
 こんなことを書くと、まあ先生ったら、じろじろと見ていたのねえ・・・と気分悪く感じられるかもしれませんが、私は決して興味本意、というのではなく、願書として見慣れた学校名(我が家では、大学受験の願書は、子ども達本人ではなく、私が出していたのです)でしたので、何だかその子のことが人ごとに思えなかった・・・とでも言うのでしょうか・・・
 
 みなさんは、未だご存知ではないでしょうが、大学受験の願書は、各大学によっていろいろと郵送時の指示が違います。簡易書留指定もあれば、速達指定もあり、同じ願書と言えども、1校出すのにも時間がかかるのです

 その子は、1校1校、局の若い女性に確認をされながら、マスクをした下から、ボソボソと「はい・・・」とか「そうです・・・」と応えていました。
 今週末、明日、あさってはセンター試験です。 センター試験の日は、決まってとても寒いのです
 息子が初めてセンター試験を受けた日も、東京に初雪が降りましたし、娘の時もとてもとても寒い日でした

 私は、その男の子の「マスク」がとても気になりました 「風邪なのかなあ・・・」いや、もしかしたら、週末のセンターに向けて、お母さんが人混みに出かける時には、予防としてマスクをしなさい、と嫌がる息子に、うるさく言っているのかもしれません。
 そんなことを思いながら、根気よく待ちました

 やっと局の女性がさまざまな伝票のようなものを書き上げ、ポンポンとスタンプを押し、「3470円です!」と言うと、彼は、財布を取り出し、千円札、百円玉、五十円玉、十円玉、と出していきました。

 おかしいですねえ でも、私はその様子を見ていて、こみ上げてくるものがありました お気楽な?過保護な?我が家の子ども達は、親任せにして、この「願書を出す」という経験をしていません。けれど、私は子ども達の願書を出す時、いつも無造作に(当たり前ですが)局内の箱状のポストに投げ入れられる願書を目で追って、手を合わせる思いをしたものです。「どうぞ、良いご縁がいただけますように・・・
 今、お金を出しながら、この子は、どんなことを思っているのだろう??

 その子が窓口を離れ、私の番がきたら、私の用はすぐに終わりました。
局の出口のところに行くと、まだ、なぜかその子が伝票を眺めながらそこにいたのでした 私は思わず声をかけました。
  「あなた、今週末、センターも受けるの?」

 すると、一瞬、見ず知らずのおばさんに急に声をかけられ、その子は驚いたのか「えっ?」と言い、いぶかしげな眼差しで私を見ました。
 私はもう一度、「ごめんなさいね、でも、願書を見ちゃったものだから・・・あなたは今週末、センター試験も受験するの?」
 すると、彼は表情を崩し(たように見えました)・・・
  「はい、受けます」と答えました。私は・・・
  「そう、じゃあ、がんばってね しっかり」と満面の笑顔で、小さくガッツポーズをしました。
 その子は・・・
  「あっ、どうもありがとうございます
と応えてくれました。
 
 願書を出している初々しさからすると、どう考えても浪人生ではありません。
もし、その子の力不足で浪人をするようになったら、全校の願書を出した日に、変なおばさんに声かけられたから、こんなことになったんだ・・・と思われるかなあ・・・などと思いながらも、スーパーのほうに歩いていき、何度も、郵便局のほうを振り返りました

 今朝、ゴミを出しにいった時のことです。リビングの模様替えをして、いろいろと整理をしているうちに、思いのほか、捨てるものがたくさんありました 
 ちょっと早めにゴミを捨てる支度をして、出しにでました。マンションの指定場所に出すのではなく、ゴミ収集車がくるところまで持っていったのです、
 ちょうど、その時間は、マンションの子ども達が、近所の小学校に登校する時間帯にあたったようで、私がゴミを出し終えると、あちこちの部屋のドアが開き、「いってきまーす」の声とともに、子ども達が飛び出していくのが見えました

 私が、自分の家の階段のほうに来た時、よく見かける男の子が、ちょうど通り過ぎる新幹線を眺めて立っていました 小学校3,4年生でしょうか。あまり、お友達と一緒にいるところを見ない、大人しそうに見える子です。「ああ、あの子は、鉄道ファンなのかな・・・」まもなく新横浜駅に停車するために、減速して走っていくのは、700系ののぞみでした。
 通り過ぎると、その子は、我に返ったように向き直り、走り出しました
 ちょうどすれ違う時、私はその子に大きな声で「いってらっしゃい」と言いました。その子は驚いた様子で立ち止まり、でも、恥ずかしそうに「いってきます」と小さな声で応えて、また走り出しました。

 今の子ども達は、すでに物騒な時代に生まれた子ども達です
私が子どもだった昭和30年代後半、40年代前半は、登校時には、全然知らない人からも、「いってらっしゃい」と声をかけられました。
 おつかいをしていたら、買い物客から、「えらいねえ、おつかい?」と言われたり・・・それこそ、遠足や運動会と思しき格好で歩いていると、「がんばりなさい」とか「遠足?どこに行くの?お天気で良かったねえ」などと、よく声をかけられました。

 もしかしたら、今でも、全然知らない人とも頻繁に声をかけあい、話しをして盛り上がる「大阪の特別な土壌」のせいかもしれません。
 けれど、少なくとも、「おはよう」や「いってらっしゃい」「おかえり」などは、大人達は知らない子どもにも声をかけましたし、かけられたほうも、たとえそれが知らない相手でも、笑顔で応えたものです
 
 昨日の受験生も、今朝の男の子も、まさか、知らないおばさんに声をかけられるとは思ってもいなかったのでしょう。
 声をかけられた内容以前に、知らない人に声をかけられるということに瞬時に警戒心を持ったように見えました ちょっと残念な時代ですね・・・
 昨日の子も、今朝の子も、私に声をかけられたことで、少しでも「知らない人にも自分は見てもらっている、知らない人でも、応援してくれるんだ」というあたたかい思いを持ってくれたならうれしいなあ・・・と思いました そして、そんなことがあったという事実に、心和むような感性があればいいなあ・・・と思いました

 ベランダに出ると、澄んだ空に星がきれいに見えています 明日、やっぱり寒いのでしょうか・・・
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祝賀会とお誕生日

2009年01月10日 | にこにこ
 今日、私は51歳の誕生日を迎えました
今年初めての年長児クラスをしたあと、恵比寿のレストランに向かいました 昨年の11月、無事に小学校受験を終えられた卒業生のお母様方と、慰労会を兼ねたお祝いの昼食会をするため、です。
 
 昼食会の主旨をお伝えしていたお店では、いろいろと工夫を凝らし、お店のご自慢の逸品をご用意くださり、みなで大いに食べ、舌鼓を打ち、おしゃべりをし、笑い、本当に楽しい時間を過ごしました
 お母様達の底抜けに楽しそうな笑い声、お料理をおいしそうに頬張る姿を見ながら、私はあらためて「人は苦労をして、苦労をして、そして、自らの手で幸せな時間を勝ち取るものなのだ・・・」ということを実感しました
 
 小学校受験だけではなく、まさにこれから始まる大学受験、中学受験、高校受験・・・
 それらすべての「受験」では、どの人にも、どの家庭にも、さまざまな「ドラマ」があります。
 その一つ一つは、決して大袈裟ではなく、親と子の、すさまじい葛藤の時間と、たくさんの涙に充ち満ちています。
 とりわけ、小学校受験の場合は、合否の基準がなかなか見えにくいということ、そして、受験生が幼いということで、親にかかる精神的負担は小さいものではありません
 それらをすべて乗り越え、そして、幸いにも学校との縁をいただいたご家庭・・・ 手を伸ばし、求める方向が正しかったからこそ、そのご縁は生まれたわけですが、そこに至るまでには、「お受験」などという造語を使って、小学校受験家庭を揶揄する人達には到底理解できない、多くの苦しさがあったのです。

 世の中には、我が子の努力の結果を喜ばず、親の思い通りの結果にならなかったことに不満を持ったままで、入学式までの日々を過ごす・・・という親がいます
 本来ならば教育の輝かしいスタートであるべき小学校の入学式を、「本当に来たかったのは、この学校ではなかった・・・」などと、我が子のスタートを自ら汚す未熟な親が少なからずいるものです。
 私は、子ども達のために、そういう現実をとても残念に思うとともに、そんな親に、親である資格があるのか?と憤りを感じます

 子どもは、親を選べません・・・小学校のスタートという記念すべき日に、不満を持ったままで臨む親でも、その子は、ずっとその親の子として生きていかねばなりません・・・

 今日私は、食べ、笑い、屈託ない笑顔で大いに話すお母様方と一緒に、すこぶる楽しい時間を過ごしました そして、あらためて、親子で苦労をした末に手に入れた貴重な幸せに、拍手喝采しました 「本当に、おめでとうございます
 今日を迎えるまでに経験された多くのことは、時間がたてば、泣き笑いをしながら思い出す、親子の貴重な思い出となるはずです。

 そして、今度は私が、サプライズの「お誕生日」をお祝いしていただきました 先生のお誕生日をご一緒にお祝いできて、本当に嬉しいです と言っていただけて、私はとても幸せ者です。
 私事ですが、是非、そんな幸せな時間を持てたことを、自慢をさせてください
 人が出会い、貴重な時間を共有し、ともに学び、成長できること・・・本当に幸せですね

 これから、受験のシーズンが始まります。
中学受験、大学受験、高校受験・・・それぞれの受験生のみなさん、受験生のご家庭が、有意義な受験に臨まれますよう、そして、納得のいく結果ではなくても、自分の行動に責任を持ち、すべての時間を生きる糧としていけますよう、心より祈りたいと思います


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