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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

初めて、慣れない、は大変です。

2012年10月17日 | う゛う゛ー
 今年81歳になった私の母。今でも土日以外、午前中は会社に出勤し、午後は父の施設に立ち寄り、夕方に自宅に帰る・・・という生活を続けています
 月に1、2回は昔からの友人からお誘いを受け、馴染みのお店に夕食に行き、おしゃべりを楽しむ・・・月に一度、必ず帰省し、2泊する私との時間を楽しみにする・・・気が向くと、行きつけのブティックに立ち寄り、好きなお洋服を買う・・・それが母の生活です
 大阪の町の中心にある高層マンションに引っ越して、今年で6年。私が必ず月に1度は帰省をするという条件つきで、郊外の家から移ってもらったのですが、まさかここまで、その生活をしっかりとこなし、のびのびと楽しんでくれるとは想像はできませんでした。

 昨年の6月、長年の持病のある父は、ヘルパーさんと母と二人では、とうとう自宅では十分にお世話ができなくなり、父の意思もあり、介護付きのマンションに移りました。すべてを段取りし、実行に移した私でしたが、さすがにおしどり夫婦と言われていた二人が離れ離れの生活をする・・・ということには大きな不安がありました
 けれど、結果は「案ずるより産むが易し」。ここ1、2年、父、母お互いに密かに負担を感じ、密かに不幸せになり始めていた生活から解き放たれ、今、午後の数時間、世話をすることも、世話をされることもない「楽しい時間だけを一緒に」過ごしている両親には、再び昔のような満面の笑顔が戻りました。私も幸せになりました・・・

 その母。
毎日、電車利用で出勤はしていますが、実際にはほとんど歩くことがありません 駅にはタクシーで移動。父のマンションへも、結局は駅からタクシーです。けれど、本人は「私は現役。健康そのもの」という自負心があり、どんどんと筋力が落ちていっている自覚などはもう頭ありません。
 実際、81歳という年齢を考えれば、当然のことではありますが、しかし、母が理想としている毎日の生活を実現するためには、実年齢の平均的な体力、筋力以上のものが必要です

 そこで私は、またまた画策。自宅から歩いていける比較的高齢者の多いフィットネスクラブを見学。
ゆったりとした雰囲気や充実した施設、トレーナーやスタッフのお人柄に満足し、私はすぐに「母の入会」を決めました そうです、勝手に、です

 父が介護付きのマンションに移ったら、「絵手紙をならってみたい」「フラダンスをしてみたい」などと言い、私はせっせと帰省のたびにフィットする教室を探していたのですが、実際に父が引っ越していき、母の新しい生活が安定してくると、何と母は安心して完全に仕事復帰。
 「私には趣味はありません。私は仕事が大好き」とずっと言っていた母の言葉を思い出し、母の新生活スタイルに私は苦笑を禁じえませんでした。

 さあ、フィットネスクラブのこと、母に話さなければいけません
私はいろいろと考え・・・けれど、結局は、はっきりと話すころにしました。「今のようにほとんど歩くということがなければ、脚力が落ち、完全なO脚でのお参り歩きをするようになってしまうこと。もっと脚力が落ちれば、次第に歩くのが億劫になり、気持ちや気力だけがあっても、満足に思うよう行動ができなくなること。運動不足になると、脳も活性されないこと。」などなど。さすがに母はビビりました
 フィットネスクラブまで徒歩5分、ということもあり、母はあっさりと承諾 とにかく、一緒に見に行ってみることにしました。
 あらかじめ話を進めておいたトレーナーが待っていてくださり、どんな運動ができるか、どんなメニューを考えているか、を優しく説明し、随所随所に母の若さを「ヨイショ」してくださることも忘れず、本当に至れり尽せり。母もとても入会を喜びました

 でもね。
けっこう、その後は、いろいろと心が傷んだのですよ・・・

 初日に合わせ帰省し、私は母に同行しました。
母は、まるで幼稚園児の遠足の前日のように、私が一式揃えたスポーツウエアをリビングに広げ、明日はどれにしようか?と楽しそうに悩み・・・ やっとそれを決めると、お気に入りのバッグに詰め・・・ 本当に待ちわびているようでした(そのようには見えていました)。

 でもね、私は感じていたのです
仕事一筋で来た母が、どんな思いで初めてのフィットネス経験に挑もうとしているか・・・牛に引かれて善光寺参り、のように、娘に引かれてフィットネスに向かう母の内心は、きっと緊張でいっぱいだったと思います
 もちろん、期待もウキウキ感もあったとは思います。でも、それ以上に、「初めての経験」への不安は大きかったでしょうね・・・

 翌朝、いつもより早くに二人で朝食を済ませ、歩いて出かけました。
ここ数年は、私が帰省をすると、ほとんどのことは私が誘導し、母はそれについてくる・・・私に従う・・・ということになっていました。日常のローテーションの家事は母がしていますが、それでも、目新しいことは「私の役目」です。
 しかし、フィットクラブに関しては、事情が違います。その日だけは私が一緒ですが、次からは週に1度、母は一人で通わなくてはなりません 

 前夜、「これね、送ってきたのよ。クラブに入る時に使うカードなんだって」と自慢そうに話していた母でしたが、いざ、ドアの前に来ると、そのカードキーをどのようにスライドさせるかがわかりません・・・いえいえ、タッチするのか、スライドさせるのかもわからないわけです。もちろん、前回、行ったときには一度、教えてはもらっていたのですよ。でもね、たった1回だけ。その日は、すべて私に従っていた母が、カードキーの話を、それほど熱心に聞いていたとは思えません
 ドアの前で、母の顔はたちまちパッと赤くなりました。母が焦ったときのクセです。
 私は心を鬼にして、「いろいろとやってみたら?来週からは、お母さんが一人で来るんだもん」と話すと、母は泣きそうな表情になって、あれこれと試していました。
 私としては、「わからないやってちょうだい」と腹を立てることなく、真剣にカードとカードリーダーと格闘している母がとても健気に見えました
 横からちょっとヒントを出すと、母は子どものようにさっと表情を変えると、嬉しそうにカードをスライドさせました ドアが静かに開きました。「ああ、M様、おはようございますお待ちしておりました」と中からは大歓迎の声。母は笑顔になりました

 次はシューズロッカー。母はやっぱり緊張しているので、パパッとうまくやろうと気持ちが急けば急くほど空回りします。シューズロッカーの鍵をかけたものの、うまく鍵が抜けません
 私は自分の靴を入れ、わざと「えーっと・・・これはこうかなあ?・・・」などと大きな声で言い、母に見えるように鍵を抜きました。母は、こそっと私のほうを盗み見て・・・そして、何事もなかったように、自分の鍵を首尾よく抜きました。

 いよいよ着替え。ロッカールームは厄介なことばかりです
まず、カードキーをロッカー内にセットし、ナンバーをセットして開け閉めをするタイプ。これは、私が解説をしました。こんなこと、若い人でも慣れるまでは、何度か手順を間違えるでしょう。
 そのあとも、多少、迷路のように見える?施設内で、自分の思う場所に行くことや、自宅とは違うメーカーのお手洗いの使い方、お風呂のシャワーの出し方、カランの使い方・・・etc.etc. 覚えること、慣れないといけないことは山盛り、てんこ盛りです

 私はその夜、いつもより早くにソファで居眠りを始めた母の姿を見ながら、「お母さん、本当によくがんばったねえ お母さんって、カッコイイ 少しでも早く慣れて、自分自身で『ああ、楽しい!』と思えるようになってね」と何度も何度も心の中でつぶやきました。

 いかがですか?
この話はね、「81歳になった母と54歳の娘の話し」というだけのものではありません。これはね「4歳の娘と母親の話し」「5歳の息子と母親の話し」「6歳の子どもと両親の話し」にもなり得るのです

 誰だって、「初めての場所、初めてのこと、慣れない場所、慣れないこと」に挑戦するときには、十二分にそれに向かう意志があったとしても、実際にその場、そのときになれば、大きな緊張と不安がつきもの、です。
 その場やそのことに慣れた人(大人)にとっては、ちっとも大変なことでなかったとしても、初めての人、慣れない人にとると、それはとてつもなく大変なこと、なんですよね それは、大人でも、子どもでも、高齢者でも、すべて同じです。

 ところが、親は言います。
「うちの子は、初めての場所や、慣れないことがダメなんですよ・・・」当たり前、ですよね。

 どうしてそのとき、優しい言葉をかけてあげられないのでしょう?
 どうして、「もう、あなたったら・・・」と思うのでしょう?そう、言葉として口に出さないまでも「ああ、きっとまたうちの子たっら、泣きそうになるんだわあ、やんなっちゃう・・・」のように思い、呆れた顔、ムッとした顔で我が子を眺めるのです。
 もしそうだとしたら?その親は、「鬼」です

 初回の日から、1ヶ月半が過ぎました。
母は、毎週1回、2時間、トレーナーと一緒にトレーニングを続けています
「最近はね、駅を歩いていても、足が軽いのよ。筋肉痛になったこともないし、褒められちゃってる」と嬉しそうに話します。
 意気揚々とフィットネスクラブの玄関を入り、時々、ガチャガチャとシューズロッカーのキーを抜くときに手間取り、それでも、楽しそうにトレーニングをしている母の姿が見えるようです

 本当の意味での人を思う優しい心を持ち、適切なリードと言葉かけをすれば、人は(子ども)は、必ずそのことを楽しめるようになり、成長します
 好循環、悪循環、あなたはどちら派、でしょうね?


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子を持つ親の勘違い

2012年09月23日 | めそめそ

  我が子を胸に抱いた時の感動、喜びを忘れることはできません。
 生まれてきてくれてありがとう。

 私はこの時期、たくさんの願書を見せていただきます。表現は少しずつ違いますが、ほとんどのご両親が、このようなフレーズを書かれます。確かに・・・本当にそうですね
 私自身も二人の子どもの母親です。すでに、すっかり社会人になった我が子であり、彼らが生まれた時・・・などは、もう遥か彼方の「古(いにしえ)」の出来事です。
 にも関わらず、やはり、二人が生まれた時のこと、本当に小さくて、壊れそうだった頃のことなど、不思議に鮮明に頭に出てきて、その時の空気、匂い、音までも、感じることができます
 それを思えば、我が子の誕生からまだ3年、5年、10年・・・そんなお父様、お母様にとっては、「我が子の誕生の日、誕生の瞬間」のことは、ついこの間のことのように思い出されることでしょう。 

 我が子の話をするのは、とても嬉しく、楽しいことです
けれど、現実の子育ての毎日では、ひっきりなしに文句を言い、教育的見地から?!いろいろな「指導」をして、一日に何度も「ため息」をついている・・・ママ友に会えば、お互いに我が子の愚痴をこぼし合い、共感して手を叩いて笑ったり、一層眉間にシワを寄せて語り合う・・・
 でも、思えばそれも、本当は「母親の至福の時間」の一部に過ぎません。
 本当に子育てに行き詰まり、親子関係で真剣に悩むような時期は、子ども達が小学校高学年以降のこと、というのが大半ですからね。

 先日、娘と話をしていて、こんな興味深い話を聞きました。
娘の大好きな先輩。一人はすでに一児の母で、現在子育てに奔走中のAさん。もう一人はバリバリと仕事をするキャリアウーマン。そろそろ部下もでき、こなす仕事には信頼が厚いBさん。
 娘がキャンプリーダーとして活動をしていた頃、この二人の先輩は娘の憧れであり、常に学ぶことの多かった多彩で優秀な方達でした
 私は中学や高校生だった娘から、6歳年上の彼女達の話をよく聞き、いかに彼女達が有能なキャンプリーダーで、人としても娘に多くの刺激を与えてくれる立派な女性であることを感じていました。

 娘は、久しぶりにBさんにお目にかかったそうです。
仕事の愚痴や悩みをたくさん聞いていただき、たくさんのアドバイスをもらった、と嬉しそうに話してくれました
 そんなBさんに、「Aさんはお元気ですか?私も長い間、Aさんにはご連絡を取りそびれて、失礼をしているのです。」と話したところ、Bさんは苦笑をしながら、こう話してくれたのだそうです。
 
 つい先日、久しぶりにAさんと電話で話をしたところ、30分間、ずっと子どもがかわいいという話しや子育ての愚痴をこぼし、最後には「あんぱんまんミュージアムはとっても楽しいところだったよ是非、Bも行ってみてよ」と言われ、正直、返す言葉が見つからなかった・・・と。

 私はこの話を聞き、言葉には上手く表現できない複雑な悲しさに襲われました
Aさんは、きっと昔、自分自身がキャンプリーダーとして小さな子ども達の相手をし、人気のリーダーだった頃の経験も活かし、一生懸命に子育てをしているのでしょう。地方出身のAさんは、近くに子どもをちょっと預けることのできる母親もおらず、まさに育児を楽しみながらも、孤軍奮闘しているに違いありません。
 久しぶりに話す大好きなB。心の許せる相手です。だからこそ、きっと深い考え、ましてや悪意など何もなく、自分の近況を話しただけだったでしょう。
 しかし、まったく別の世界で、完璧に異質の毎日を送っているAさんとBさん。
すでに、ともに泣き、ともに笑った頃の思い出話でしか共感しあえない相手になったことをBさんは感じたことと思います、少なくとも、現時点では・・・
 どこにあるかも知らない子ども向けの施設「あんぱんまんミュージアム」に行ってごらん、と言われて、「返す言葉が見つからない」Bさんは悲しかったでしょうし、さびしかったでしょうね。Aさんのことが、大好きだったから・・・

 時として、子を持つ親は大きな勘違いをします
かわいくて仕方のない我が子・・・時には怪獣になって、母親を大混乱させる我が子だとしても、何ものにも代え難い存在の愛しい我が子と暮らしていると、すっかり感覚が麻痺してしまい、常に「母としての目線」でしか物事を考えられないようになります

 我が子の話をする・・・ 我が子の写真を見せる・・・ 我が子だけが映ったポストカードを送る・・・
 世の中には、「母となること」とは違うことに、人生の意義を見出し、日々を過ごしている人もいます。
また、我が子が欲しい!と強く願いながらも、残念ながら、子どもに恵まれない夫婦もたくさんいます。中にはまさに今、夫婦で辛く、長い不妊治療をされているご夫婦もあるでしょう。
 
 子どもはかわいいですね
私は、教室の子ども達を抱きしめながら、ときどき、我が子が幼かった頃のことを思い出すこともあります

 母と母、親と親に通じる共通語や世界観は確かにあります。
でも、それが世の中全体に通じるものだと勘違いしてしまう自分がいる、ということを自覚しませんか?そして、そういう自分を戒め、本当の意味での優しい人、人を思える人になれればいいな・・・と思います
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娘の優しい言葉

2012年09月05日 | めそめそ
  今朝、私は寝坊をしてしまいました
本来ならば、6時に起きて、娘のお弁当を作るはずが、ハッと目が覚めたら7時。カチャリと音がして、娘の部屋のドアが開き、すでに洗面所に入っていく音が聞こえました。私の耳元には携帯電話。アラームを無意識で止めてしまったようです。
 ああ、20代の娘じゃあるまいし、アラームを止め、寝過ごしてしまうなんて・・・なんて失態だ、と頭を掻き毟りたくなりました
 娘は先週から大きな商談が始まり、外に食事にいく時間も、何かを買いに出る時間もないから、お弁当は大助かりと話していたところなのに・・・

 私は急いで洗面所に行き、鏡に向かって歯を磨いていた娘に声をかけました。
 「Mちゃん、ごめん ママ、寝過ごしちゃった 今、あなたの部屋のドアが開く音で目が覚めたのよ。最低 だから、お弁当、作ってないのよ。」と。すると娘は、鏡を通して私を見て、笑顔でこう言いました。
  「よく寝られたんだね。良かった良かった 疲れてるんだよー。睡眠、大事だもん お弁当、気にしないで。ちょっと前までは、食べに出たり、何か買ったりしてお昼を済ませてたんだもん。少しでもママが長く寝られて良かった
 私は、すっかり大人になり、心優しい女性に成長してくれた娘を感じ・・・言葉が出ませんでした。

  「ほんと、ママは最低だわー・・・」と、何度も私は独り言を言いながら、リビングに戻りました。
  「ママー、ジュース、お願いしますー」と娘の明るい声。
 昨夜、娘の部屋の電気が消えたのは1時過ぎ、でした。忙しいながらも、今朝は気持ちよく目覚めたんだなあ・・・と安心しつつ、毎朝、娘が飲んで出かけて行く豆乳バナナジュースを作りました。
 ぐるぐる回るジューサーの中を眺めながら、たくさんのことが思い出されました

 15分後に、娘は元気に出かけていきました。私はいつものようにベランダに出て、マンションの中庭を見て待っていると、娘が現れました。そこで手を振っているのは24歳になった娘。ときどき、遅い夕食を食べながら、私を相手に一生懸命、最近の仕事の苦労話を聞かせてくれる娘・・・です。お制服にランドセル姿で手を振っていた娘から、何年の月日が経ったのでしょうか。

 私は、娘にとっては、決して良い母親ではありませんでした。
昨年、私が雑誌の「人間ドキュメント」という特集に取り上げられた時、編集者は取材ということで、息子と娘、双方にインタビューをされました 取材はそれぞれ、別の場所、別の日時だったにも関わらず、その時、二人が「どんなお母さんですか?」の問いに対し、最初に言った言葉が「母は、非常に愛情深い人です」という言葉だったそうです。
 二人はすでに大人ですから・・・この言葉には、額面通りの大きな愛情と、そして、その裏には少しの「皮肉」も込められていることを、私は理解しています

 いろいろな機会に話したり、書いたりしていますが、3年前、息子が急な心臓病を患い、奇跡的に命を助けていただいて以来、私の物事に対する考え方、捉え方、感じ方・・・大きく言えば、私の人生観、価値観、そのものが大きくかわりました。
 「生きていることはすばらしい。人は、大きな力によって生かされている。もし、生き物に輪廻があったとしても、自分自身で意識をしている「今」はたった一度きり。だからこそ、幸いも災いも、自分に降りかかることにはすべて意味があるからこそ感謝をして、一瞬一瞬を大事に生きること・・・」
 無理にそう考えようとしたのではなく、そういう思いが自然に私に宿り、私が生きている「意味」になりました。すると、すべてのものが愛しく、悲しいほどに美しく、大切になりました

 長い長い間、私は娘に多くを求め、私の考える理想像こそが「素晴らしい女性像である」と信じ、それを強要し、四角四面の理屈で話し、それが私の最大の愛情である、と勘違いをしてきました
 娘の一番多感な時期・・・反発、反抗しながらも、もっとも親の愛情を求め、愛情を必要としていた時期、彼女がどれほど寂しい気持ちで、母親に理解してもらえない辛さを耐えてきたことか・・・

 「よく寝られたんだね。良かった良かった 疲れてるんだよー。睡眠、大事だもん お弁当、気にしないで。ちょっと前までは、食べに出たり、何か買ったりしてお昼を済ませてたんだもん。少しでもママが長く寝られて良かった
 この娘の優しい言葉、こういう感じ方、捉え方・・・それは、私自身の「変化」の裏返しなのかもしれないな・・・そう思いました。

 4歳、5歳、6歳の子どもの「今」は、確実に24歳につながっています
私のような失敗は、ないほうが良いですよ。親子ともに、それは辛いことですから・・・

コメント (4)
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マイペースを守らせてもらえる?

2012年08月13日 | う゛う゛ー
  ロンドンオリンピック、終わりましたね 次のリオデジャネイロ大会を迎える時には、私は58歳。今、年長さんのクラスにいる子ども達は、4年生に・・・来年の2月の中学受験に向けて、今、夏期講習でがんばっている小6は、高校1年生に・・・大学受験を目指している高3は、すでに就職先を決めて、卒論に取り組んでいる時期でしょう

 子育てをしていると、何年経過したのか?がよくわかります。
ちなみに我が家も、前回の北京オリンピックの時、息子は大学2年生。娘は大学3年生。親子で何の憂いもない「無敵の時期」でした。
 私はひょんなことから始めることになったトライアスロンに夢中で、やっとクロールが出来るようになり、自転車にも乗れるようになって、翌年の春に開催される石垣島トライアスロンに向けて、興奮状態で練習を積んでいる頃でした
 子ども達は大学生活を謳歌。まさかその後、息子に大波乱が待ち受けているとは夢にも思ってはいませんでしたねえ・・・でも、息子の長い入院、大きな手術のおかげで、身を持って命の尊さを、健康である意味を、夫婦、親子の絆を実感し、少しは「深い」人間になれたのでは、と艱難辛苦に感謝しています
 いやいや・・・子育てとは、本当に山もあり、谷もあり・・・振り返ると、涙をポロポロこぼして泣き笑いのできる、とっても愛しいものです

 昨夜、たまたま古いブログを読んでいて、我ながら、たまには意味もあることを書いているなあ、なんて自画自賛 それはね、3年前、北海道の大雪山忠別湖トライアスロンに参戦したあと、書いたブログでした。
 スイムは大雪山の雪解け水を満々とたたえたダム湖でのコース。バイク(自転車)のコースは、ダラダラと下る(ダラダラと登る)6キロ強の行程を3周回するコース。ランは、炎天下の単調な舗装道路をこれまた3周回。スイムもバイクもランも、どれもこれも上手ではない初心者の私は、そのすべてに手こずりました。
 けれど、そんな大変だったレースの間、ずっとずっと私は大会関係者や応援の方達に見守られ、励まされ、声をかけ続けていただきました。その言葉が「自分のペースでがんばって」だったのです。
 そして、レースを終えて1週間後、私はこんなふうに書いていました。

「自分のペースで、慌てずにがんばる」ことは、なかなか難しいことです。人は、どんなことに対しても「自分のペース」というものを持っているものだと思います。ところが、人というものは浅はかで、見栄があったり欲があったり・・・ だから、なかなか自分のペースを守っていくことができません。どうしてもまわりのペース、まわりの様子が気にかかってしまい、往々にして慌てたり、焦ったり。そして結果的に、そういう焦りや慌てが悪い結果を招いてしまうのです。
 これは子育てでも同じこと、だとしみじみと思いました 
親の見栄、親の欲が「わが子のペース」以上のものを要求し、かえって子どもが持っている力を台無しにしてしまう けれど、親はそれに気づかない・・・
と。

 あれから3年の月日が流れ、当然のことながら、毎年、たくさんの親子と接していますが、やっぱりそれは繰り返されている、と思います 
 親は愛情の名のもとに、子どもに期待を寄せ、夢を描きます それがちょうど適度のものであれば、子どもの「励み」となり、子どもを大きく成長させます
 けれど、その期待や夢が「過度のもの」だったり、本来の子どもが持つ本質とかけ離れた要求であれば、子どもを著しく悩ませ、無理を強いることになってしまうのです

 今回のオリンピックでも、幾度となく語られた「地道な努力」。
人は誰でも「1歩1歩がんばる」「ひたむきに、わずかずつでも進む」というふうに、たとえゆっくりでも進んでいくことの大切さを表現します。そして、私達もみな、そういう地道で着実な努力の尊さを十分に理解しています。
 でもね、実際には、「1歩1歩」や「わずかずつ」では大きな成果や効果は実感できません 頭では、その尊さはわかっていても、こういう「牛の歩み的な努力」を積み重ねることは辛く苦しいものです。

 オリンピックのようなスポーツの世界に限らず、どんな世界、どんな場面でも「トップの人達」への評価は非常に高く、当然の如く、そういう人達がベストコンディションで活躍が出来るようにと、まわりは至れり尽くせりの環境を作り、手厚く優遇しますよね。これって、家庭でも同じなのではないでしょうか?

 たとえば・・・一生懸命に、ひたむきにがんばっている子どもがいるとしましょう。その子は本当に真面目で、自分の持てる力をいつもすべて使って物事に取り組む良い子です でも、結果としては、目から鼻に抜けるような結果は出せない こういう子どもを、私はたくさん見てきています。
 その一方で、理解力が高く、どんなことも器用にこなし、結果的に小さな努力で大きな成果を生む子がいたとします
 こんな対照的な両者を見ていると、必ず、前者のご両親は、「わが子のふでき」を嘆かれます。そして、無意識のうちに、「どうしてあなたは出来ないの?」「どうしてわかんないの?」「何度やっても一向に良くならない・・・」などと、心の中で「タメイキ」をついている・・・
 そして、後者の「出来る子」と言われる子どもを持った親は、「うちの子なんて・・・」などと口では言いながらも有頂天になり、そして、子どもに対してはそれでは満足できず、常にもっと上、一歩先、を求めています・・・

 50歳で始めたトライアスロン。息子のことがあってから、なかなか熱が戻らず、ここ2年はお休みをしていましたが、今後は派手に大会に参戦することや、華々しく練習をするのではなく、長く楽しめる趣味として、また再開したいと思っています
 そして、やっと知った「泳ぐ楽しさ」。体重オーバーのため、膝への負担を考えてボチボチにしたランニング。そんな怪我の功名で手に入れたスイムの充実感。まさにマイペースで500メーターや1000メーター泳いでいると、魚になったような気分になります
 それでも、私がトライアスロンに参戦したら、まさに多くのご両親に「不出来な子」と評価される結果しか出せないのです。初めて参戦した石垣島でも、忠別湖でも、タイムこそ、少しずつ縮めてはいますが、結果はビリ きっとこれから参戦したいと思っているホノルルトライアスロンだって、飛躍的な向上は望めないでしょう。でも、それが私の精一杯であり・・・必死にがんばり、真面目に取り組む結果、なんですね
 もし、私が子どもだったとしたら???私は、両親から、どんな評価を得て、どんな言葉をもらうのでしょう?

 ひたむきにがんばる子ども達の姿を見る機会の多い私は、常に最大のエールを送り、より素敵な人生を歩むための「生きる力」を磨いて欲しいと願います 
 そして何よりも、私ではなく最愛の両親から、「あなたは素敵 私の子どもでいてくれて、ありがとう」と毎日言ってもらえればいいなあ、と思っています・・・

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人を思う心 オリンピックから感じること

2012年08月02日 | にこにこ
  テレビは、オリンピック一色、です
私も、家にいる時には、ずっとテレビを点けっぱなしで、録画の試合、ライブの試合・・・と、日頃はあまり馴染みのない競技にも見入っています。

 その今回のロンドンオリンピック。
私は、日本選手の今までとの「違い」に気づいています・・・
 それは、メダルを取った選手達、メダルに手の届かなかった選手達、いずれの選手達も、インタビューを受けた時、必ず口にする言葉・・・
 「多くの方々に支えられ、応援していただけたからこそ。心より感謝しています。」
 それを語る選手の表情から、その言葉は決して美しい感謝の「慣用句」ではなく、誰もが、心からそれを実感し、心の底からの感謝の思いを込めて話していることを実感します

 いつの頃からだったでしょうか・・・あれはシドニーオリンピックあたりから、だったかもしれません。
これから試合に臨む選手達にマイクを向けると、なぜかみな、決まって「オリンピックを、この機会を楽しみたいです」と言うようになりました。「せっかく出場できたのだから、楽しみたい」と。

 けれど、私はとてもその言葉に「違和感」を感じました
なぜなら・・・あなたは確かにがんばったご褒美として、オリンピックへの出場権を勝ち取った!でも、あなたと同じように努力を重ねながらも、残念ながらオリンピック出場のチャンスを手にできなかった数多いる選手達の思いを思えば、「楽しむ」という言葉は、あまりにも不謹慎?傲慢?自己中心的?と思えてならなかったのです

 それに、少なくともオリンピックとは、古代オリンピックの時代から、選ばれし者が、自分の国を代表して、自国の国旗を背負い、スポーツに挑むという時間。そんな尊いチャンスを「自分の楽しみにしてどうする」と思ったのでした。
 
 国を代表する、という証拠に、今でも表彰式の時、選手達は英語ではこうアナウンスされますよね。
 「Gold Medalist, 〇〇〇〇、representing国名」
「represent」とは、表す、表現する、象徴する、という意味の英語です。「金メダリスト、〇〇〇〇さん。〇〇国を代表する、〇〇国を象徴する人です」というような意味であって、敢えてその単語が使われるのは、金メダリストの〇〇さんは、〇〇人です、というだけではなく、〇〇国を代表する人なのですよ、という深い意味があってのこと、と私は感じていました。
 だからこそ、市民アスリートではない彼らが、世界の大会であるオリンピックに出場し、「楽しみます」という言葉を発することに、ある種の憤りさえ感じていたのでした。

 話をもとにもどしましょう。
私が今回、選手達の様子が違うかな?と感じたこと・・・それは、彼らがみな、自分の努力の賜物、辛く苦しい練習の結集である競技の結果を「感謝の思い」で表現していること、です。
 これは、前回の北京オリンピックでも、それほど感じられなかったことでした。

 私が考えるに・・・未曾有の大惨事となった東日本大震災。直接の何らかの被害は受けなかったとしても、私達日本人は、みな、この悲劇を我が事として受け止めました。そして、実際に現地に出向き、ボランティアとして活動した人、募金をした人、今でも心に留め、一日も早い復興と、被災者の心の平安を祈り続けている人・・・私達は、この震災で、「人は人の役に立てる」「人は人の役に立たなければならない」「人は人を支えられる」「人は人によって支えられている」「人は人を助けられる」「人は祈りを捧げられる」そういうことに気づいたのだと思います
 
 そして、オリンピック選手のように、努力を惜しまず、必死に艱難辛苦を乗り越え、自分を磨きをしている人達であればあるほど、自分の力、努力だけでは成しえないことがある
 人からの支え、応援あってこその今・・・ということを肌で感じるのでしょう

 大変皮肉なことですが、日本人はあの震災を機に、みな、優しい心 人を思う心 感謝する心 を、あらためて手に入れたのだなあ・・・と感じる、このロンドンオリンピックです。


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