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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

正しい言葉を話しましょう!

2012年07月19日 | う゛う゛ー
 先日、教室の帰りの、夕方の駅での出来事です。
改札口の前は、K大生でごったがえしていました 帰るために改札に入っていく学生達、何かの集まりに参加するためか、その時間に大学にやってくる学生達・・・そこに、いっぱんの乗客が混ざり、本当に人がいっぱいでした。
 H駅は、学生の乗降を考慮してか、郊外の駅にも関わらず、自動改札機の数が多く、とても広い改札口ですが、その日のその時間は、どの改札機も常に人が通っている状態。思わず「おー・・・すごい人だあ・・・」と声に出して言ってしまいそうなほど、人の数に驚いたものです

 私が改札に向かって歩いていると、すぐ前に幼稚園入園前に見える男の子とお母さんが、やはり改札のほうに歩いていました 雑踏の中、後ろから見ていても、その男の子が「一生懸命に歩いている」ということが感じられ、思わず笑みがこぼれました

 ふっと見ると、その親子の行く手に定期券と思しきものが落ちていました。きっと、雑踏の中で定期券をバッグかポケットにしまおうとして、落ちてしまったのでしょう
 その定期券に気づいたママは、すぐにそれを拾い上げました。そして、こうおっしゃったのです。
  「〇〇ちゃん、何か落ちたねえ
 私は「?」と思いました。「あれ?この人が落としたんだっけ?・・・おかしいなあ、もともと、そこに落ちてたんじゃなかったかな?むー・・・いや、やっぱり落ちてたよね、あなた達がそこに行く前にすでに・・・」と心の中でつぶやきました。

 でもやっぱり、そのママは繰り返し、言いました。
  「何か落ちた、落ちた 〇ちゃん、駅員さんのところに持っていってあげよう !はーい、これ落ちましたよーって、届けてあげよう

 このママは、とっても親切な良い方、なんですよね
何度も子どもに声をかけ、笑顔で接していらっしゃいます。そして、目の前にあった落し物をそのままにせず、ちゃんと子どもと一緒に、駅員さんに届けようとされている・・・本当に、素敵な方です

 でも
日本語が、おかしいです。本当ならば、「何か落ちていたね」「これ、落ちていました」と言うべき、ですね。それが正しい日本語です。
 私は、「あ、もしかしたら、この方は外国人なのかもれない」と思いました。中国の方、韓国の方、フィリピンの方・・・日本で暮らしていても、まだまだ言葉に慣れていない外国人のママかもしれません。
 でも、聞こえてくる言葉を聞いていると、残念ながら?!その言葉はとても流暢で、たどたどしいところは微塵もありませんでした

 何だか私はすっかり気になってしまい、改札口から少し離れて、どの親子を眺めてしまいました。
その親子は、駅員さんのところに向かわてました。拾った定期ケースを手に持っていた男の子は、一度ママのほうを振替し、ニコッと笑って、そして、背伸びをして駅員さんに定期ケースを手渡しました
  「すみませーん これ、落としました

 さすがの私もこれ以上、秘かにとはいえ、この親子を見ているとストーカーだなあと思いましたし、この後の展開も見えるようで(きっと、男の言葉を理解できなかった駅員さんはママを呼び、ママの説明を求めるのでしょうが、またまたチンプンカンプン・・・)改札内に入りました。

 これから、この子の日本語はどうなっていくのでしょう?
こんなに素敵な心を持ったママです 人の役に立つことが自然にできるこのママに育ててもらい、その男の子は幸せだと思います けれど、それでも尚、言葉は大事なんですねえ・・・

 子どもの言葉は、幼稚園や保育園が始まり「みずから自分の世界で、自然に覚えてくるまで」は、ほぼ100%、両親の言葉を耳から聞き、それを覚え、次に自分の言葉として話すようになり、身に着けていきます。そういう意味では、幼児期の言葉は、「親が使っている言葉のコピー」と言っても過言ではありません。

 この男の子の場合、「正しい言葉を話す」という点では、かなり不安のあるお母様の言葉を毎日耳にして、それを学習していることになります。もしかしたら、お母さんのボキャブラリーの中で、「拾う」「落とす」だけがおかしい、ということであれば良いですが、やはり、実際にはそういうことは考えられません。たぶん、他にも、間違った言葉、不確かな言葉づかいがたくさんあるのではないか、と思われます。このお母様が、本当にすばらしい心の持ち主だったからこそ、残念に思えてなりませんでした
 言葉の面だけで言えば、この男の子は「正しい言葉に触れ、学び、自分のボキャブラリーを増やしていく」にはベストの環境とは言えないでしょう。

 今までも「言葉」については何度もブログの中で触れ、テーマとして選び、いろいろな観点から話してきましたが、今日も改めていいましょう
 国際化の叫ばれる中、外国語教育に熱心になるご家庭が増えてきています。素敵なことですね。しかし、決して日本語の教育をなおざりにしてはいけません
 その人の言葉の土台を築く幼年期。一つでも多く語彙を増やし、自分の思い、願い等を表現するための、たくさんの表現方法を学ばなければならないのはこの時期です。そのことをしっかりと認識していなければ、二兎追うものは一兎を得ず、になりかねません
 そして、どうぞ「わが子の言葉の先生は両親である」という認識を持ってください




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娘のお弁当

2012年06月11日 | にこにこ
 娘のお弁当を作り始め、今日で3日目になりました。
いつもより少し早く起き、窓からベランダ越しに外を眺め、今日の一日の無事を祈り・・・そして、キッチンへ。私の心が、まっすぐ「娘」に向かっていることを、とても意識します

 息子とともに通わせた年少の幼稚園時代。あらためて年中から転園をして過ごした2年間。小学校、中学、高校・・・と、娘のお弁当作りは15年間続きました。
 特に小学校の6年間は、主人にはインドネシア駐在の期間があり、また同時に1年の3分の1におよぶ海外出張のあった時期で、家族の中でのお弁当の作り手は私一人だけ。どんなに私の体調が悪くても、気軽に他のママ友にお弁当作りをお願いするという環境ではなく、絶対に私が寝込んではいけないという緊張感がありました。そういう意味では、当時は、たかがお弁当、されどお弁当・・・でしたねえ
 そしていつしか、中高の時代になると、惰性のような気持ちも多く・・・正直、決して毎日、愛情を込めてお弁当作りをしていた、とは言えなかったのではなかったか?と思います

 でも、今あらためて制服姿の娘を思い出し、何とあの頃は娘は「幼かったのだろう」と思います。
たとえそれが15歳、18歳の娘であったとしても、まだまだ何事に対しても経験浅く、自分で確固とした判断も下せない・・・本人が意識してそれを欲していたかどうか、は別として、あの頃は親の庇護が必要不可欠な時代だったのだと思います
 それなのに、12,3歳から大学入学までの時期、特に母親と娘は(それは、父親と息子は、というふうに置き換えることも可能でしょう)なぜかもめることが多い時期で、時には反目しあい、口を利かなかったり、視線を合わせなかったり・・・
 そんな時のお弁当は、きっと手抜きの上に愛情がこもらず・・・おいしさのかけらもないお弁当だったに違いありません。

 今、あらためてそんなことが見えるようになり、もう二度と戻っては来ない時間に、情けない思いでいっぱいになります
 どんなに大人びた嫌味で親を愚弄しても、子どもは子ども。親は強者で子どもは弱者、でしたねえ・・・あの当時、愛情のこもらないお弁当の蓋を開け、砂を噛むような思いで食べたお弁当。いったい娘は、何度そんな思いで私のお弁当を食べたことでしょう。

 社会人2年目の娘。「倹約もしたいから、私、明日から会社にお弁当を持っていくことにするわ、ママ」と言ったのは先週のこと。親ばかではありますが、あんなに糸の切れた凧のような大学生生活を送っていた娘が、こんなに変身し、勉強熱心で働き者の社会人になるとは・・・そんな娘をうれしく眺めています
 彼女の会社には、冷蔵庫も電子レンジもあると言います。そして、雑貨を扱う会社であることから、夏にはオシャレな扇風機や空気清浄器、冬にはストーブや加湿器など、サンプルとして使う商品もオフィス内にたくさんあるのだそうです。
 そんなオシャレなオフィスの中で、パソコンを前にお弁当を広げる娘を想像し、ああ、本当に大きくなったものだ・・・と、胸が熱くなりました

 もちろん、自分でお弁当を作って出かけて行く心づもりだった娘ですが、私はさまざまな思いを込めて、お弁当作りをかって出ました
 「ごちそうさまでした」と、毎日お弁当箱を学校のカバンから出して、シンクの横に置いていた娘。あれから7年の年月が流れても、残業を終えて帰ってくる娘は、同じようにお弁当箱を出して自室に向かいます。でも今は、お弁当箱は会社できちんと洗われ、そこに置かれています。何か、嬉しいような、切ないような・・・
 
 今週は、時間を見つけて、娘用のお弁当箱とナプキンを買いに行こうか・・・なんて、考えている私です。今は間に合わせのお弁当箱と、私の大判のハンカチで包んだお弁当を持って出かけている娘。お箸だけは、高校の最後の時期に買った懐かしいもの。
 えんぴつ型のお箸を見つけて、思わず「きっと娘は喜ぶだろう」とウキウキと買い求めたものの、受験勉強しか頭の中にはなく、いつも疲労困憊していた当時の娘は、さほどそのお箸にも興味を示してはくれませんでした
 そんなことを思い出しながら、愛情の押し売りをし、それに応えてくれない子ども達に一人でイライラしたり、一人で悲しんでいた母親であった私に苦笑します。

 そう言えば、わが子のお弁当作りが終わった時、私はブログを書いた気がする・・・そう思い、古いブログを探しました。「学校生活、最後のお弁当」
あれから7年。私には幸いにも、娘の「ごちそうさまでした!」の声を聞ける日がやってきました 私はあの頃よりも、ずっとずっと愛情深く、その声に応えます。「今日もお疲れ様

 親子とは・・・本当に素敵なものです
その時期、その時期で、いろいろに変化する親子の関係。もし、今、親子の関係が難しい時期にあり、言いあいが絶えなかったとしても、今という「点」は明日につながり、その時間の点の連続は、ずっと先に続いていきます
 私は、娘との関係に悩み、苦労した、と感じていた母親の一人です。娘も私に対し、届かない思いや歯がゆい思いをして、何度も腹を立て、ベッドの中で悔し涙や悲しい涙を何度も流したに違いありません

 でも、すっかり社会人になった娘の毎日を見ていて、今となっては、娘とのどの時間もその尊く、すばらしいものはない・・・そう感じています


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子ども達はがんばっているのです!

2012年05月31日 | う゛う゛ー
 教室から歩いて5分くらいのところに、お気に入りの中華料理屋さんがあります 中国人家族が経営をされているお店で、パートのおねえさんも働き者。お店の方はみな、いつも笑顔で、「お水ください」「ここ、拭いてください」など、あちこちから飛ぶ声にも「はいー。すぐにいきます」という元気な返事。味もさることながら、目配り、気配りのできるお店の方々に魅かれて、私は出かけているな・・・と思っています

 教室のある町が、もともと学生の町ということもあり、お昼時は大学生で大混雑。若者達の食欲を満たしてくれる配慮とサービスが人気の所以でしょう
 この日も、私が入っていった時にはほぼ満席。少し待って、やっと空いた大テーブルの一席に座りました。
 向こう側のテーブルには、男子5、女子3の大学生8人組。1学部を除いては、この町のキャンパスには1年生と2年生だけが学んでいます。ということで、その8人は新入生か2年生。
 
 8人の中で中心となって、ひときわ大きな声で話している女の子がいました。見てみると、その子はなかなかの「別嬪さん」です。こんなにチャーミングならば、大きな声で、必死に(というふうに私には聞こえました)ペラペラと話さなくても、十分に男の子達の注目を集めることができるのになあ・・・と、少々残念に思いました
 そのお隣の女の子は、かなり派手な装いの女の子。別嬪さんが話すと、それに呼応して大袈裟に相槌や合いの手に思える受け答えをしているところから、たぶんその子は「別嬪さんの取り巻き?子分?」というふうに感じられました。
 もう一人の女の子は、ほとんど話しをしません。かすかに笑顔を見せている・・・という程度。清楚な感じの女の子です。

 さあ、残りの5人の男の子達。
これまた必死に「別嬪さん」と掛け合いをするように話しているのが2名。その2人は、装いに凝ってるなあ・・・と思える男の子達です
 次の1名は、まるでテニスの試合を観ている時のように、話す相手のほうを顔で追い、わずかに笑いながら聞くだけ。そして1名は、我関せず、という表情を見せながらも、その実、かなり興味津々・・・が伝わってきます
 最後の1名・・・本当に地味な男の子。しきりにメガネをさわり、メガネをかけなおし、落ち着かない様子が見てとれます。けれど、その子は、別嬪さんが口を開くと、嬉々として見入っているのです・・・
 人の観察が大好きな私としては、悪趣味なのは承知の上で、かなり一生懸命にこの8人を観察しました

 いかがですか?その大学生に好感が持てますか?そして、どの大学生のことを苦笑し、どの大学生の様子に眉をひそめるでしょうか。

 今度は、違う視点から考えてみましょう。
今は幼いみなさまのお子様達も、いずれは「大学生」になり、学食やキャンパスの近所でお友達と一緒に食事をすることになります。
 そのことを想像し、今度は、わが子は上記のどのタイプの子になるのか考えてみてください

 私は最初、必死に話題を提供し、グループの中心であることをとても意識して話している別嬪さんのことを、かなり鼻につく子だな・・・と思いました それに引き替え、静かにニコニコしている子の素敵さ・・・そんなことを思ったものです。
 でもね、よくよく考えてみれば、まだ5月の末。新入生達は、この1カ月半程度、一生懸命に新しい生活に慣れよう、適応していこう、としていたはず、です。
 中には、地方都市から出てきた子、田舎と呼ばれる地域から出てきた子達もいるでしょう。たとえ付属校から進学してきた生徒達だって、実際に大学生として生活していくことは、決して想像したような?!甘いものではなかったかもしれません 
 一人暮らしを始めた子は、生活そのものに慣れることに必死になっている途上でしょうし、自宅通学をしている子も、新しい環境の中で、学業に慣れること、友達に慣れること、クラブ、同好会、etc. etc.
 すでに18歳以上になったこの子達も、パカッと頭を開け、心を開けて見てみると、たくさんの不安、たくさんの努力、たくさんの我慢がいっぱいのはず・・・

 話題提供にいそしみ、少々賑やかすぎた女の子も、じつは黙っているのがコワイ・・・黙っていて、孤立するのがコワイと感じるから、一生懸命に話していたのかもしれませんし、子分的女の子も、とりあえず「この子」をフォローすることにして、同時に本当に気の合う子を模索中かもしれません。静かな子は、そこで複数の人と食事をしていること自体が、とても努力を必要としているほど、疲れているかもしれません
 相槌を打ちまくるオシャレ男子2人も、自分の思い描いた大学生活を実践するために、かなりがんばっているのかもしれませんし、聞いているだけの子2人も、方言が出てしまうことを躊躇しているのかもしれません。おとなしいメガネくんは、もしかしたら、すべてのことを後悔しているかもしれない・・・ああ、疲れたあ・・・と。そんな中、この溌剌とした都会的女子をそばで見ているだけで、元気になれるってこともあるかも・・・

 すべてが、想像力たくましい私の「想像した心のうち」ではありますが・・・要するに、そこにいた大学生達は、みな、それぞれが何らかを考えながら、その場で楽しそうに存在することに一生懸命だった、であろうことは事実だと思います

 緻密さは違いますが、今、幼稚園や小学校低学年、高学年、中学生でも、じつは同じ、であることはおわかりでしょうか?
親はいつも勝手に「わが子の理想像」を描き、その像と現実のわが子を比べて、いろいろと注意をしたり、これまた勝手に落胆したりしているものです
 でも、私は機会あるごとに話したり、書いたりしていますが、「子ども達はみな、がんばっている」のですよ。
 進学・・・クラス替え・・・仲良しとのクラス離れ・・・新しい担任・・・どれもすべてが、子どもにとれば「新しい問題」だったはず、なのですから。
 
 是非ぜひ、そのことを忘れないでいてあげてください


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「知ること、感じること、考えることの」すすめ

2012年05月18日 | にこにこ
 知ること、感じること、考えることは素晴らしい これは、私の持論です。
教室で、子ども達が新しいことを知った時の嬉々とした顔・・・「ああ、なんて素敵なんだろう」を私のほうが感激します。そんな時はいつも、どうぞこの子達が、いつまでも、何歳になっても、この「知ることは素敵だ」という感覚を忘れないでいて欲しい、と思います

 つい私達大人は、そういう「知る感動」は、子ども達のもの、若い感性を持った子ども達に必要なこと、と思いがちです でも、実際には「知ること」は何歳になっても、きっと人を活性化し、脳と心をイキイキさせる素晴らしいことに違いない、と思うのです

 半月ほど前ですが、私は叔父のお供で、銀座に書道家の個展を観に行きました。
叔父が日頃から親しくしている方の還暦のお祝いの個展で、会場には畳3畳~5畳分くらいの大作から、小さな色紙まで、たくさんの作品がありました
 私は、字を書くことは好きですが、「書道」となると普段は縁がなく、お恥ずかしながら知識はまったくありません。小学校の頃は「木曜日はお習字の日」とおけいこに通い、得意なおけいこの一つでしたが、4年生のある日、お習字の帰り道、あろうことかピンポンダッシュをしてその家の人につかまり、オバチャンに大目玉を喰らったことがありました その日以来、お習字の先生のところに行くことが億劫になった・・・という記憶が鮮明です

 その日、個展の会場ではご本人である書道家の先生が、ずっと付いてまわってくださったのですが、私は自分のあまりの無知さに赤面。同時に、こんなにも「文字を書く」ということが、深いものだということを知りました
 子どもの頃の「お習字」は、単に字を上手に書くために習っていたこと。でも、この日に見せていただいた「書道」は、字そのものもさることながら・・・
 「何を書くか?」
 「どんな紙に書くか?」
 「どんな筆で書くか?」
 「どんな墨で書くか?」
 「どんな書体で書くか?」
 「出来上がった作品を、どんな装丁にするか?」などなど・・・
その一つ一つのご説明に、私はメモを取りたい気持ちでいっぱいになりました。
 その日、先生が書かれた作品は、中国の古代詩から、現代詩、母校の大学の寮歌まで。文字そのものだけではなく、作品を読ませていただき、とても心に染み入りました
 また、書かれた紙の産地は、埼玉県の小川町のものから、チベットの紙まであり、当然のことながら、100円ショップの半紙とは氏育ちの違うもの。寮歌を書かれた紙と墨は、ご自身の大学卒業を記念に買われたものだそうで、今日まで大切に保管されていたものだったのです。40年近く保存するための知識、そのご苦労もあったでしょうね。
 作品の一部となっているお軸も、先生が表具師さんに斬新な提案をなさり、仕上げていただいたモダンなパッチワーク様のものもありました。

 還暦記念の個展・・・ですから、お年は60歳なのですが、非常にお若く見えることも、お話をしていて、とても静かなお人柄の中に熱いものを感じられたのも、その方が常に多くのことに対しセンサーを働かせ、いろいろなことを感じていらっしゃるからなのだろうなあ・・・と思ったものです
 私はこの日の夜、見てきたたくさんの作品のことや、お聞きした多方面にわたる多くのことを思い出し、いつまでもワクワクして寝付けませんでした。

 きっとみなさまの中には、私が幼児教室マナーズの「まどか先生」として、宝石のことを熱く語ったり、保険のご紹介をしたりすることを「???」の思いで、メールやブログをお読みになる方がたくさんおいでになることと思います。
 でもね、たとえばそれが宝石で、「まもなくオーストラリアのアーガイルという鉱山のピンクダイヤは枯渇する」とか、「オパールがどうしてあのような色になったのか?」「ローマ帝国の時代から続くハニーカム手法は、こうして出来上がるのです」などということを、その宝石を目の前にしてお聞きしたら、本当に心が動かされ、ワクワクし、それは装飾品以上の意味をもって、パワーを感じますよ
 また、今まで何となくテレビのコマーシャルを見て、「何て保険の宣伝は多いのだろう!」と思いつつも、自分の入っている保険のことをちっとも真面目に考えなかったとして、あらためて「現実のこと」として教えいただく機会を与えられたら、そりゃあ、きゃー真面目に考えなくちゃと思います。
 私にとって、身の周りの事、すべてが「わー、きゃー、ほー、ひぇー」という感嘆、感激、刺激なのです

 私は、大人だからこそ、子どもを育てる親だからこそ、「知ること、感じること、考えること」の素晴らしさを常に体験しているべき、と思います それは、若さの秘訣でもあります
 それが日頃、目にする何の変哲もないこと、ものであっても、意識して見たとたん、それは自分の感性に訴える何か、になるはずです

 「知ること、感じること、考えること」は、本当に素晴らしいことです
常に驚きを持って物事を見られる意識、感性・・・きっとそういうお父様やお母様の家庭の子どもは、豊かな感性を生活の中、ご両親から受け継がれていくことでしょう


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笑顔は心で生まれるもの

2012年04月18日 | にこにこ
 先日、運転をしている時、自転車の前に子どもを乗せているお母様から、刺すような怖い一瞥を受けました。
 そこは信号のない三叉路。私は車に乗り、狭い通りから、大きな幹線道路に入ろうと、一時停止をしていた時のことです。
 自転車は、大きな幹線道路の歩道を走っていて、私が一時停止をしていた道と交差している道を通っていました。私が一時停止している狭い道の角には大きな建物があり、幹線道路の歩道を歩く人や自転車からは、見通しの利かない三叉路でもありました
 たぶん、そのお母様は、「この脇道からは車は出てこない」と思っていらしたのでしょうね(実際には、幹線道路に入るこの道からは、車が頻繁に出入りします)。子どもを乗せたその自転車が私の車の前を通り過ぎようとしていた時、すでに私の車は停まっていたので、決してその親子を危険な目に合わせたわけではありません けれど、母性本能でしょうか、それとも、日頃から自転車移動が多く、車に対して拒否反応があるのでしょうか・・・とにかく、そのお母様の一瞥には殺気立ったものがあり、思わず私は深々と頭を下げ、「ごめんなさい!」の意味で車の中から手をあげました

 春うららの日 まどから差し込む春の陽射しに心地よさを感じながら、あらためて「そのママの一瞥」を思い出し、いろいろと考えました。
 人の表情とは、とてもとても深い意味を持っていますねえ。そう思われませんか?
もしかしたら、その「一瞥ママ」は、日頃はとても穏やかで、お優しい人柄かもしれません 誰からも好かれる笑顔美人・・・でも、夜叉の面を想像させたあの恐ろしい一瞥からは、少なくともそんなお人柄は想像できませんでした

 私は今まで、このブログの中で、何度も「笑顔は大切」ということを書いてきたように思います 笑顔でいることの効果?効用?は、たくさんあると思います。
 たとえば、辛い時でも、無理に鏡の前で笑顔を作ってみたら・・・泣き笑いをしながらも、何となく力が湧いてきますし、わが子の愚行にカンカンに腹を立てた時も・・・1,2拍我慢をして、「あなたって、何てことするのよ!」と言いつつも、がんばって笑顔を作ってみると、少しだけでも怒りは治まり、バカたれ~と言ってのけられる などなど。
 今は、敢えて「高度なテクニックとしての笑顔」を考えてみましたが、普段から笑顔でいることは、自分を幸せにすることでもある、と思うのです。そして何より、お母さんの笑顔は、子どもを幸せな気分にさせる これが究極ですよね。

 長年の経験ですが、あまり笑顔のないママのお子様は、やはりあまり笑わない子どもですし、よく笑う、笑顔良しのママの子どもは、よく笑い、笑顔がチャーミングなお子様として育っています
 笑顔・・・本当に大事だと思います。きっと、笑顔そのものだけではなく、「笑顔でいようとしている」その意識こそが、その人を深く豊かにしていくのかもしれません

 先日、ホームで地下鉄を待っていると、大変ご高齢の女性がやって来ました。たまたま、私は気づかずに優先席のあるドアの列に並んでいたようなので、その場所を離れました。
 電車に乗り込むと、幸い、社内には空席が多くあり、そのおばあちゃまも無事に座れたようでした
しばらくすると、少し離れたところからでも、そのおばあちゃまのお声と思える声が聞こえてきました。
 「まあ、そうなのね。・・・そう、おばあちゃまのお家に行ってきたのね。良かったわねえ、きっとおばあちゃまは喜んでくださったわよね。だって、あなたはこんなにかわいいんだもの。ご自慢のお孫ちゃんよねえ・・・そう、次の駅で降りるの。そうなの。気をつけて帰ってね・・・」
 そのおばあちゃまのお声の途中で、かわいい男の子の声と、お母様と思える方の声が何度か聞こえました。
 「そうなんだよ。」
 「ねえ、おばあちゃんはね・・・」
 「はい、ありがとうございます!」など。
 きっと、隣り合わせた親子がおばあちゃまに話しかけられ、それに応えていた声だと思いました。その会話の声を聞いているだけで、ほのぼのとした気分になりました

 そして、その次の駅に着いたとたん、かわいい大きな声。
 「バイバーイ!元気でねえ。おばあちゃん、またねえー!バイバーイ!」
何とその男の子の声は、その子が車両から降りた後も続き、地下鉄が走り出してからも、その子がずっと叫んでいる声が聞こえました。
「おばあちゃーん、まったねー、げんきでねえー!また会おうねー

 私は、その時の様子を実際に見たわけではありませんが、笑顔で一生懸命に手を振る男の子の姿、そんな息子の様子を笑顔で見ているママの姿、身体をねじって、何とかホームに向けて手を振ろうしているおばあちゃまの姿・・・想像しただけで、胸が熱くなりました。

 私の母でもそうなのですが、日頃、あまり人と話す機会が多くなくい高齢者は、よく町で見知らぬ人に話しかけますね。そんなふうに話しかけられた時、反応は大きく二つに分けられます。笑顔でそれに応じる人と、露骨に嫌な顔をする人。
 高齢者の話が、短い挨拶程度ならば、ほとんどの人は「仕方がないなあ・・・」という感じで作り笑顔?!で応じていますが、どんどんと長い話になってくると、まあ、どんな人でも「ああ、大変なものに関わってしまったなあ・・・」と、少々億劫になるのは理解できます
 けれど、この日の母子は、自分達が降車する駅が近いこともあったからでしょうが、少なくともとても好意的に、そのおばあちゃまのお相手をされていたと思います。そして、そういうお母様の「本当の意味での優しい心」があったから、そのママの子どもである男の子も、いつまでも「げんきでねー!おばあちゃん、またねー!」という声がけになったのでしょうねえ。 よくお教室通いの優等生親子のが「さ、おばあちゃまにごあいさつは!!」とか「さようなら、は言わないの!」などと、聞いていて痒くなりそうな会話を耳します けれど、その男の子の「またねー!」の声は、そんな、子役的子どもの声ではありませんでしたし、優等生ママに言われて、機械的に発せられた挨拶の声でもありませんでした

 またねー・・・ でも、あの男の子とおばあちゃまは、二度と会うことはないでしょう。そして、もしかしたら、男の子は翌日になると、そのおばあちゃまと会ったことさえ忘れてしまうかもしれません。
 けれど、きっと、そのおばあちゃまの心には、大きな大きな温かい記憶となって、とても嬉しく豊かなものになったと思います。それも、あの日の男の子の「ママ」の、人間性としての優しさの賜物・・・だからこそ、男の子の中に自然に宿った「優しさ」だったのだと思えてなりませんでした。

 あの日、私は「笑顔とは、顔や表情ではなく、本当は心に現れて、それが顔や表情に伝わるものだったのだ」としみじみと思ったものでした。



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