鉄ある記

鉄道写真を中心に、京都の街角の情景なども写真で紹介していきたいと思います

1978年 青春の小海線キハ10系

2011-09-30 | 思い出のひとこま

 大学入学直前の1978年3月、清里ユースホステルに宿泊し、山に登ったり散策したりしていました。前回のキハ52の記事に、C62重連さんがコメントしてくださっていますが、当時の小海線はキハ52より10系気動車などの方が多かったのかもしれません。この写真も、10系気動車に見えます。

 これは1人で撮影したのか、飯盛山登山の翌日、前日に一緒に山に登った横浜の女子学生らと清里-甲斐大泉間にある「吐竜の滝」を見に行く途中に撮ったものか。今となってはは、はっきり思い出せないのですが、寒かったけれどよい天気の日が続いていたことを思い出します。吐竜の滝に行った帰り、清里駅に近い食堂で、タラの芽の天ぷらとうどんを他食べた記憶はあります。

 前回のキハ52の記事に清水五条さんや池口さんが寄せてくださったコメントに関連しますが、当時の清里駅は本当に田舎の小さな駅でした。駅前広場も殺風景というほうが当たっていたかもしれません。 ちょうどこのころ、ジローズやはしだのりひことシューベルツで知られる杉田二郎が「八ヶ岳」をリリースしました。この曲を八ヶ岳を見ながら歌ったものです。
 こうした古い写真を見ていると、いつ、どこで撮ったのかという詳細は忘れていても、その時のもう少し大きな状況は、思い出として蘇ってきます。写真っていいな、と思います。

 1978年3月 小海線で

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やはりバス窓・・・ (C62重連 )
2011-10-01 09:12:48
毎度です!
当方も子供の頃ですから、急行や特急には縁がなく
乗るのはバス窓のキハ17なんてのが多かったです。
今では貴重なキハ30系列なんかより、味の有るデザインでしたね・・・
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生まれ年です (吉岡ユウ)
2011-10-01 15:19:52
こんにちは。
草木も冬枯れのいい味が出て好ましい一枚ですね。
乗務員室にかぶりつきなんでしょうか、ドア付近にお一人伺えます。このようなデザインの車両はもう造れないのでしょうかね~??
ステキな一枚です。
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C62重連さん (まむし)
2011-10-01 21:42:42
毎度です!
一緒ですねえ。特急や急行なんて、本当に高値の花でした。山陰線や奈良線で形式の違うキハのでこぼこ編成に乗って、SL撮影に行くのが楽しみでした。
キハ30なんて、ロングシートでいやでしたね。それが今や貴重な存在。というか、キハ30系の方が寿命は短かったですね。
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吉岡ユウさん (まむし)
2011-10-01 21:45:52
こんばんは。
確かに、ドア付近に一人おられますねえ。
このごつごつしたスタイル、硬質でいいですね。私もこんな車がまた出てこないか、と思いますが。ローカル線でゆっくり走る車両なら、流線化とかなんとか、関係ないと思うのですが。
ところで、吉岡さん、お若いのですね(^o^)
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バス窓 (キハ58 1113)
2011-10-03 21:52:19
こんばんは。
すっかりご無沙汰してしまいました。

素敵なお写真ですね。吸い込まれそうなほどの澄んだ青空にバス窓のキハがとてもいいですね。思わず引き込まれました。
この凸凹編成も魅力ですね。キハ10系の2エンジンでキハ51でしたでしょうか?
素朴で澄んだこのお写真の光景の中に、駈け付けたい、そんな気分になりました。
返信する
キハ58 1113さん (まむし)
2011-10-10 23:22:41
こんばんは。亀レスで申し訳ありません。
おほめいただいて、ありがとうございます。高校生のころの方が、写真うまかったような気がしてきました、最近。
なるほど、10系ながら2エンジンならキハ51だったのかも、ですね。
キハ58 1113さんは気動車のエキスパートなので、勉強になります。
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