鉄ある記

鉄道写真を中心に、京都の街角の情景なども写真で紹介していきたいと思います

母子像と市電 1977年 青春の京都市電 その14

2011-09-19 | 1977年京都市電

 賀茂川の葵橋を渡る5号系統です。河原町通はここから下鴨本通と名前を変えて北へ上がって行きます。
 そして進行右手に広がるのが糺の森と下鴨神社。糺の森は高野川と賀茂川の合流点にある原生林です。下鴨神社の境内地という環境により、いまも古(いにしえ)の山城の森を見ることができます。

 その一角にあるのが京都家庭裁判所です。この写真の左に写っているのは家裁の母子像です。台座には「家庭に光りを 少年に愛を」の文字が刻まれています。
 家裁の前を大きくカーブしていく市電をストレートに撮影した写真もあるのですが、この母子像とからめた写真は私にとって忘れることのできない京都市電の思い出になっています。

 1977年 京都市電 葵橋で

 2011年9月24日追記:きのう、糺の森に行ったついでに家裁を見て来ましたが、母子像は家裁の建物の前に移されていました。いまは、バスでこのような写真を撮ることはできません。

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河原町折り返し 1977年 青春の京都市電 その13

2011-09-16 | 1977年京都市電


 四条河原町で折り返す電車もありました。上の写真は、13号系統がちょうど折り返しのポイントを渡っているところです。
 バックは高島屋京都店ですね。多少、看板などは変わっていると思いますが、ほぼ今も同じ雰囲気です。

 下の写真は京都行きの5系統が四条河原町電停に到着し、乗客が乗ろうとしています。
 後方には折り返した13号が北上して行きます。
 私の撮影位置は今、市バスのバス停があって、京都駅前経由九条車庫行きの「205」系統などが発着しています。

 しかし、13号系統はほんと、なじみの無い系統だったなあ。

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暮れゆく国鉄京都駅前 1977年 青春の京都市電 その12

2011-09-14 | 1977年京都市電


 国鉄京都駅前に1977年当時、市電の停留所は東西に2か所ありました。
 東側は河原町線の5系統の乗り場でした。河原町を下がってきた電車は塩小路を西に向かい、東洞院通の交差点で塩小路通から緩い弧を描き電停に入っていました。上の写真がそれです。Yの字形に停留所はなっていました。ちょうどお客さんたちが乗ろうとしているところです。反対向き(画面の右向き)に並んでいる人たちは、バスを待っている人たちですね。電車の後方に見えるビルは京都中央郵便局です。

 下の写真は、4系統や6系統が発着していた西側の電停です。烏丸通を下がって来た電車は右にカーブして停留所に進入しました。電留線的な部分があったように思うのですが・・・。勘違いかもしれません。電留線というより、到着した電車が乗降位置に移動するまで滞留することもあり、それが電留線というイメージになって記憶となったのかもしれません。電停左奥の建物は「京都グランドホテル」(現リーガロイヤルホテル)です。このホテルは堀川通に面しています。いま、この撮影位置に立ってもこのホテルは見えません。四条河原町や三条河原町の写真もあるのですが、変化の大きさは京都駅前が一番です。

 そういえば、1977年はどうなっていたかはっきりしませんが、京都駅前の広場には時計が立っていて、それを囲むように芝生の広場がありました。あまり大きなものではなかったと思いますが、夏休み期間中は旅行中の若者がその芝生の上で夜を明かしていました。ラーメンの屋台が出ていたのも覚えています。

 1977年9月 国鉄京都駅前

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系統板交換 1977年 青春の京都市電 その11

2011-09-12 | 1977年京都市電

 久しぶりに、わが青春の京都市電シリーズを。

 これは国鉄京都駅前に到着した6号系統です。烏丸通を下がり(※京都では南行を下がる=さがる、北行を上る=あがると言う)、駅前を右手(西)に曲がったところが6号系統の停留所。一方、左手(東)には5号系統が発着する停留所がありました。

 1930号の系統板を交換する運転士さん。差し込み式の円板でした。
 これは外すところを撮影したのか、差し込むところを撮ったのか、今となっては定かではありませんが、4号系統と6号系統の変更だったはず。

 今やJR電車などはLEDによる表示が主流になっていますが、このころは私鉄でもヘッドマークや行き先票を取り付けて走っている姿はざらに見られました。
 このようなアナログな時代も、味があったのです。

 1977年9月 国鉄京都駅前で

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急行電車 1977年 青春の京都市電 その10

2011-06-20 | 1977年京都市電



 きょうは、毎年受けている人間ドックで大腸の内視鏡検査を勧められたので、会社を休んで受けてきました。昨年も勧められたのですが、「様子を見ます」と断っていました。しかし、今年もドックの先生にとっては気になる点が依然としてあるので、今年は受けた方がよいと言われ、素直に従いました。大腸の内視鏡検査はこれで通算5回目。30歳代のころから受けているので、抵抗感はありませんが、前日は3食とも検査食のみ。当日は朝から下剤入りの水を大量に飲まなくてはならず、さらに大腸の奥までカメラが入るので、胃カメラより時間もかかり、おなかも張って苦しいものがあります。でも、しっかり映像でチェックしてもらえるのですから、とても有効な検査です。結果は・・・「大腸憩室があるので、発熱したりおなかが痛くなったりする可能性はありますが、治療しないといけないようなものは何もありませんでした。大丈夫ですよ」とのことで、ひと安心しました。胃カメラOK、大腸カメラOKなので、やれやれです。

 さて、そんな私にとって非常になじみの深い西大路七条で撮影した、急行電車3題です。
 平日の朝のラッシュ時、市電にも急行運用があって「急」の副標を付けて走っていました。上の写真は、七条を曲がって西大路を北上しようとする4号系統の2600形。停留所に西大路通の歩道から、わらわらと人が寄っていきます。
 真ん中の写真は、九条車庫を出て、西大路九条から北上してきた22号系統と、逆向きの22号のすれ違いです。4号系統は烏丸車庫の行き先表示で、22号は白梅町ですね。
 下の写真は、この西大路七条を行き先にして七条通を西進してきた8号系統と後方は4号系統です。8号はここで西大路を南行して九条車庫へと向かいます。

 まったく同一というわけではありませんが、今もこの3系統の名残りを市バスの循環系統に見ることができます。4号は市電の5号系統と融合したような形で市バスの205号系統になっていますし、22号系統は202号系統に近いと思います。8号系統は京都駅前には行きませんでしたが、その部分だけを除くとそっくり208号系統に引き継がれています。ただ、この中で市電の急行に当たる快速運用のバスがあるのは202と205だけ。しかも、立命館大学の学生さん用といってもいい運行経路で、この快速202、205は別モノと言ってもいいかもしれません。

 京都市電に急行電車があった、と聞いて、そう言われたらあったなあと思い出してくださる方もいらっしゃるかと思い、3枚もアップしてみました。
 ところで、平日の朝の通勤・通学時間帯しか走らない急行をなんで撮影しているんだ?高校、さぼったのか・・・多分、自転車通学だったので、さっと撮影してカメラをそのまま学校に持って行ったようです。なぜなら、これらの後のコマに唐突に母校のグラウンドでソフトボールしているクラスメートの写真が写っているので。

 1977年9月、西大路七条で

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女子高生も撮る 1977年 青春の京都市電 その9

2011-06-18 | 1977年京都市電

 青春の京都市電シリーズを続けます。年を取っているというのは、こういう点でいいですね。最近、忙しかったり天候が悪かったりして撮影に出かけていないので、新しいブログの材料がありません。しかし、そんなときはこうして古い写真を引っ張り出してくればいいのですから(笑)

 これは七条通の東の端近く、三十三間堂前付近で撮ったシーンです。いつもそこにあった京都の景色のひとつ、市電がなくなる――それは鉄道ファンだけではなく、市民みんなが何かを感じたことと思います。これもそのワンシーン。

 以前の記事に書きましたが、このあたりは京都女子大や同大学付属の女子高生らが行きかうところです。京女(京おんなではなく、きょうじょ。京都女子大の略)の女性たちにとっても通学で愛着のある市電だったのでしょう。ひとりの女子高生がカメラを持って、やって来る「さよなら」のヘッドマークを付けた8号系統をさっと撮影する姿を記録してみました。

 彼女も高校生。私も高校生。同年代ですが、彼女は今でもこのときの市電の写真を持っているかなあ。

 1977年9月

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アンダークロス 1977年 青春の京都市電 その8

2011-06-18 | 1977年京都市電

 前回の「潜る」が、好評だったようで(トヤキです。さん、昭和鉄道少年さん、コメントありがとうございます)、その続きです。
 七条通が国鉄山陰本線(現・JR西日本嵯峨野山陰線)と交差する千本七条あたりでは、市電のみが「専用軌道」になって国鉄線の下をくぐり抜けていました。
 そこがどういう感じだったかを、東行の市電の車内から撮影したのが、この写真です。切り通しになっていました。山陰線の本線部分は高架になったあと、線路が撤去されて人が通れるようになっていたため、こうしてファンが消えゆく市電の姿を記録しようと待ち構えていました。小さな子供さんの姿も見えますね。この子供さんもいまや立派な大人でしょうね。


 で、こういう車も現れました。国鉄・JRで言えば、クモヤ443みたいなものでしょうか。
 検測、保守用トラックですね。トラックは中央卸売市場への引き込み線の踏切がまだ残る車道を行かなければならないのですが、これは京都市交通局の車。検測しているのか、ただ走っているのかわかりませんが、当然のごとく軌道上を走って行きました。

 1977年9月

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潜る 1977年 青春の京都市電 その7

2011-06-17 | 1977年京都市電

 七条通は千本のあたりで国鉄山陰本線(JR西日本・嵯峨野山陰線)と交差しますが、市電は山陰線と平面クロスを避けるために地下へと一瞬、潜っていました。西大路通も西大路駅のところで東海道本線をアンダークロスしますが、そちらは道路ごと潜っているのに対し、七条VS山陰線では市電のみが潜るという面白い形でした。

 山陰線が高架になっても、しばらくは京都市中央卸売市場と梅小路貨物駅を結ぶ引き込み線が残っており、線路が上下三段になっていました。この写真では、踏切警報機がわかります。

 ちょうど写真の左手側が梅小路で、今は梅小路SL館や広大な緑地の梅小路公園になっています。この写真のころにはすでに蒸気機関車館は開館していましたが、SLの展示運転は扇形庫の中央の扉を開けてこの七条通の手前までバックで出てきて、次に前進するというようだったと思います。

 市電だけが地下に潜っていく光景が面白くて、ここで数カット撮影しています。

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鏡像 1977年 青春の京都市電 その6

2011-06-14 | 1977年京都市電

 久々に、「青春の京都市電」シリーズです。というか、天気が悪かったりなんやかやと忙しかったりで、最近、撮影できていません。簡単にいえば、ブログを更新する新たなネタがないのです(^_^;)

 1977年9月、高校3年の初秋に撮影した京都市電。その中にこんな写真がありました。
 「烏丸車庫」行きの4号系統を、すれちがう市電のバックミラーにとらえていました。後部の運転台のミラーですね。3枚の窓の左右が開いていたので、ガラスの反射に悩まされることなく、すっきりと写すことができました。2002号や系統表示の4が、さかさまになっていて、ちょっと面白いなと思います。

 でも、この交差点どこだろう?なんとなく堀川七条のように思えるのですが、前後のコマが河原町通や烏丸七条なので、これだけ烏丸より西というのも?マークです。しかも、市電に乗っていますし。なぞです。

 1977年9月 京都市電4号系統 2002号

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京阪クロス 1977年 青春の京都市電 その5

2011-02-04 | 1977年京都市電




 この青春の京都市電シリーズでは、懐かしの京都の街の風景もお伝えしようと思います。
 この3枚の写真は、今はもう見ることができない七条京阪での京阪本線と市電のクロッシングです。

 今でこそ京阪本線は東福寺-七条間で地下に潜り、そのまま三条から鴨東線に接続して出町柳まで行っていますが、当時は鴨川と疎水の間を走って三条までの路線でした。市電とは七条、四条で平面クロスしていました。上の写真は鴨川の七条大橋上から東を向いて撮影したものです。1800形の8系統の続行で、2600形の6系統がやって来ています。市電の右手に見えるのが京阪の七条駅です。

 真ん中の写真は、三十三間堂前から西を望んだもので、ちょうど京阪電車が七条通を横切っています。その手前の七条京阪の電停に市電が停まっていますね。

 そして下の写真は、京阪七条から西を向いて撮りました。この写真で注目していただきたいのは、架線のクロスです。京阪と市電の架線が十字になって釣架されているのがわかると思います。この十字のところが太くなっているのは、きっとデッドセクションになっているからなのでしょうね。

1977年9月 京都市電 七条京阪界隈

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