鉄ある記

鉄道写真を中心に、京都の街角の情景なども写真で紹介していきたいと思います

サロンカーなにわ ダイヤ情報

2009-08-30 | 鉄道情報
 JR西日本のサロンカーなにわ関係のダイヤです。この情報は私が個人的に教えてもらったものですので、これをもとに鉄道会社や駅などに問い合わせは絶対にしないでください。また、ダイヤは変更や運休がつきものです。運転されなくても私は責任を負えませんので、参考程度に扱ってください。

9月3日
回9840レ
日根野4:50-東岸和田5:00-杉本町26-天王寺5:36~43-西九条55-梅田6:01-新大阪07-高槻23-向日町(操)6:35

回9941レ
向日町(操)10:06-山崎13-茨木23-新大阪32-大阪37~40-塚本(信)46-宮原(操)10:51

DD51+なにわ6両

 きょう新宮から戻ってきて和歌山の新在家派出に入り、和歌山で乗務員訓練後に戻ってくるダイヤです。
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桃くまちゃん 長岡京-山崎を行く5075レ

2009-08-30 | EF210

 きょう、8月30日の午後はEF210-901を撮影しに、JR西日本の京都線へ出かけました。
 愛称、桃くまちゃん。桃太郎の901なので、桃のくまいち、すなわち桃くまなのです。

 ご存知の通り、901号機は試作機のナンバーです。EF210形電機機関車の量産機は1号機から順次、新製配置が続き、今や配属区も岡山だけでなく吹田、新鶴見と広がっています。そんな中にあって、この試作機関車もまだまだ東海道、山陽本線を中心に元気な姿を見せてくれています。

 きょうは午前中から昼過ぎまで外せない用事がありました。ですので、撮り鉄はお休みしようか、とも思っていたのですが、掲示板に戦火の龍さんとC62重連さんが名古屋での目撃情報を書き込んでおられます。「5075レはEF210-901」と。
 私はこれまで桃くまちゃんの、ちゃんとした写真を撮ったという思いがありません。まったくの未撮影ではないのですが、肝心なところでシャッターが下りないトラブルに見舞われたり駅でちょこちょこと撮ったりと、本格的に撮ったことがなかったのです。

 そこで外出先から帰宅すると、急いでカメラザックに機材を詰め込み、まず京都駅に向かいます。
 5075レは梅小路に停車するので、梅小路をはさんだ東西でそれぞれ撮影できるのです。本命撮影地を長岡京-山崎と決めていたことから、東での撮影は足の便を考え、京都駅にしました。
 京都で撮影後、普通電車で急いで山崎に向かい、ポイントへ。先におひとり構えておられましたが、譲ってくださり三脚をセット。先行の北陸貨物4076レの通過時はかげってしまい心配しました。しかし、5075レ通過時には太陽が雲から顔を出し、きれいに照らしてくれました。
 ナンバーの「901」がはっきりわかり、満足です。

2009-8-30 JR東海道線長岡京-山崎 5075レ EF210-901
Nikon D300,Sigma APO 70-200mm F2.8 Ⅱ EX DG MACRO HSM,145mm,ISO 200
1/400秒,f10,-0.7段,WB:晴天

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カレチ 第6話「ニレチ」 週刊モーニング読み切りシリーズ

2009-08-28 | 思い出のひとこま

 週刊モーニングの読み切りシリーズ「カレチ」の新作がきょう発売のNo.39号に掲載されました。JR西日本の大阪駅売店でモーニングを買い、読み進めていくと見慣れた絵が出てきました。不定期掲載なので、発売されるまで掲載があるのかどうかがわからないのが、ファンをやきもきさせるところです。

 作品中に紹介されていますが、客扱専務車掌がカレチなのに対し、ニレチは荷扱専務車掌の呼称です。今はもう見ることはありませんが、私の幼いころは大きな駅はもちろん地方のそこそこの駅には手荷物・小荷物を扱う窓口があり、荷物列車や荷物車で輸送されていました。本線と名のつく線には専用の郵便・荷物列車が設定されていましたし、寝台特急や急行列車には荷物車がよく編成に組み込まれていました。

 本作品は大阪駅発の急行「だいせん2号」に載せるべき小荷物が、主人公荻野の後輩である荷物係の若者の早合点から北陸方面に行ってしまうところから始まります。今も昔もありがちな、経験不足を棚に上げて仕事を軽んじる若者の振る舞い。そこに反省を見出すかどうかで、人生は変わっていくものですね。まじめに仕事に向き合うことを、教えてくれる作品になっていると思いました。

 ところで、本作品で荷物係の青年は前掛けをしています。そうそう、そうでした。手荷物や小荷物を扱う係員は確かに前掛けをしていました。懐かしい光景を思い出しました。

 宅配便の台頭で鉄道の手荷物・小荷物扱いもいつしか消えてしまいました。手荷物やその輸送を「チッキ」と呼んでいましたが、そんな言葉を覚えている人も少なくなったでしょうね。

 写真は、松本駅だと思いますが、在りし日の荷物電車やキハ58・28の急行、165系の急行たちです。荷物電車はクモニ83かクモニ143のどちらかだと思います。今回はキハ58の気動車急行「大社」も物語に出てきますね。

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1977年 山手貨物 EF13+EF15重連

2009-08-26 | 思い出のひとこま

 青春の思い出シリーズです(笑)
 山手貨物線を行くEF13を前回に続いてもう一丁。今回はEF13(前)とEF15の重連貨物です。

 場所はどこかわかりますか?
 原宿です。EF15の後方に白い三角形の屋根が見えるとおもいますが、これは原宿宮廷ホームの屋根です。

 さて、このEF13は5号機です。ボディは旧EF58-5号機のものだそうです。58のナンバーと13のナンバーは無関係にボディを乗せ換えられたのですが、この5号機は偶然、元車と新しい車のナンバーが一致しています。
 また、この5号機はつらら切り(ひさし)が、窓のずいぶん上に付いています。これが他の13と少し違うところです。

 デカパンを振りかざしてやってくる旧型貨物用電機。威風堂々ですね。
 しかし、何度も書きますけれど、32年前はまだ都心のど真ん中をこんな機関車が普通に走っていたんですよねえ。

1977-4-8 山手貨物線 原宿 EF13-5+EF15

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1977年 山手貨物 EF13

2009-08-25 | 思い出のひとこま

 1977年4月、私が高校3年になる春に東京・山手貨物線で撮影したEF13形電機機関車です。
 このEF13-28号機は、新鶴見機関区に所属していました。今はEF65やEF210の配属区としておなじみの新鶴に、当時はこんな旧型電機がいたのです。EF13は第二次世界大戦中に輸送力強化のため造られた戦時機関車で、誕生当時はこのような箱型デッキ付きのボディではなく、凸形だったそうです。

 戦後、東海道線の優等列車牽引用の旅客機として誕生したEF58は、最初、デッキ付き箱型ボディでした。それが途中から、皆さんご存じの半流線ボディに変更され、箱型で生まれた一次形31両も乗せ替えられることになりました。そして余剰となった元のボディが、なんとEF13の凸形ボディと交換されたのでした。

 ですから、このEF13は誕生当時のEF58の姿を知る貴重な存在なのです。写真の28号機は、EF58-31号機のボディだそうです。


1977-4-8 山手貨物線 EF13-28


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紀勢本線全通50周年記念紀伊半島一周の旅

2009-08-25 | 鉄道情報
 JR西日本からJR東海管内へ。紀勢本線の全通50周年を記念して紀伊半島を一周する鉄道旅が、8月29日から30日にかけて行われます。このうち、大サロのダイヤです。

 この情報は私が個人的に入手したものです。これをもとに鉄道会社や駅などに絶対に問い合わせをしないでください。また、ダイヤは変更や休止がつきものです。運転されなかったり変更になったりしても責任を負えませんので、参考程度にしてください。転載もお断りします。

8月29日 DD51+ロロフ6「サロンカーなにわ」
9813レ
 日根野12:24~紀伊43~和歌山12:51
9113レ
 和歌山12:55~海南13:07-15~加茂郷24~箕島33~湯浅44~御坊14:02~印南19~紀伊田辺41-55~白浜15:06-25~紀伊日置47~周参見55-56~和深16:20
9115レ
 和深19:01~串本21-50~古座59-20:05~紀伊勝浦30-38~新宮20:59(勝浦~新宮は回送)

8月30日
回9146レ
 新宮9:17~紀伊勝浦37~紀伊田原55-56~串本10:13~江住38-44~周参見11:01~椿16-26~白浜37~紀伊田辺12:01-02~印南26~御坊44~湯浅13:03~箕島16~下津23~海南34-43~和歌山13:57
9146便
 和歌山14:04~新在家派出14:08

 なかなか日中のよい時間帯ですね。青春18きっぷ利用で撮影に行かれてはいかが?紀州鉄道も立ち寄れますね。
 私は仕事と用事で行けません(-_-メ)

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思い出のシーン 500系 W1 高速度走行試験のころ

2009-08-25 | 思い出のひとこま


 JR西日本が誇る500系新幹線電車が、デビュー前に山陽新幹線で時速300キロの高速度走行試験を繰り返している時の写真です。
 1996年の年明け早々、第1編成のW1が落成し、早速、試運転が始まりました。私は機会を得て、この高速度走行試験に新大阪から博多総合車両所まで同乗させてもらいました。今でもその魅力は衰えていませんが、初めて見て、乗ったその鮮烈さは今も忘れることができません。
 フレームの上に乗った白い箱の速度計が300キロを示したときに、本当に営業車両でこんな速度が出るんだ!と感動しました。どちらかというと、今は悲運な車両みたいに思われている500系ですが、デビュー当時はテレビのさまざまな番組で、シングルアームのパンタとその風きり音の防止策やハニカム構造の車体など、技術の粋がたたえられたものです。今もその形状が子供たちだけでなく、大人たちをも魅了するのは、うなづけます。一般の人々に新幹線が何百系と言われるようになったのも、この500系の力が大きかったのではないでしょうか。
 
 写真上は山陽新幹線を下るW1の運転席です。窓にW1の文字が見えます。また、対向してくる0系も写っています。このころ、みんな原色だったんですよね。(許可を得て撮影)

 写真下は博多総合車両所に入線したW1。先頭車の独特の形状を強調してみました。(許可を得て撮影)



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青梅のED16

2009-08-23 | 思い出のひとこま

 前回の記事に引き続いて国鉄青梅線を走っていたED16です。

 曇っていた空から春の陽光が射してきて、トンネルを飛び出してきたED16の顔を照らしました。いかつい、男らしい顔が好ましいですね。
 デッキによって何号機か今となっては確認できないのが残念ですが、ひょっとしたら1号機かも、と思います。

 この日は、高尾山のユースホステルに泊ったことも思い出しました。


1977-4-7 国鉄青梅線 古里付近(記憶による) ED16





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青梅線に貨物が走っていたころ ED16

2009-08-23 | 思い出のひとこま

 懐かしい写真が出てきましたので、紹介したいと思います。
 旧型電機のED16が石灰石を運んでいた青梅線。ED16は南武線、五日市線にも入っていましたが、風光明媚な青梅線は人気の路線でした。

 ED16は立川機関区に配属され、青梅線の奥多摩から南武線の浜川崎までホキを連ねて走っていました。

 1977年(昭和52)4月7日、このED16を撮影しに青梅線に出かけました。といっても、青梅線だけが目的ではなく、山手貨物線なども含めた首都圏周辺の旧型電機などを撮る遠征の一環でした。
 はるか昔のことです。高校2年生になる春休み。大垣発東京行きの普通夜行(165系)で上京、各地で撮影したのち青梅線に入りました。朝、小雨模様でしたが、奥多摩まで普通に乗ってロケハンし、古里付近に戻って撮影したのがこの写真です。撮影時は曇り空でしたが、築堤そばに咲いた桜が美しく、花を入れて撮影しました。よく似たカットで73系電車を撮ったものもあり、今となっては貴重なひとこまです。

 この日は午後、晴れてきて夕方、昭島駅か立川駅で食べた立ち食いそばの汁の黒々とした色が今でも記憶に残っています。

1977-4-7 国鉄青梅線古里-川井(区間は記憶による) ED16-8

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硬券きっぷ 私の宝物

2009-08-23 | 思い出のひとこま

 このブログを始めたことがきっかけで、昔撮影した写真などを休みの日などに探しています。きょうも少し夏バテ気味なので、外出は散髪だけにして家で高校野球を見たり押し入れの探索をしたりしていました。そうした中で、白い古びた2つの封筒を見つけました。出てきたのが、入場券を中心に急行券、乗車券、宇高連絡船のグリーン券など硬券の数々です。

 昭和50年代前半、私が高校生のころ、撮影旅行などに出かけた際に買ったものがほとんどです。少し、いただきものも混じっていますが。右の写真をご覧いただければわかりますが、渋谷や新橋、秋葉原なんていう東京のど真ん中の駅の入場券も1977年(昭和52年)当時、まだ硬券だったのですねえ。
 神田や原宿、横須賀といったところでは、料金変更の青い丸スタンプが押してあります。

 この硬券たちが見つかったことで、よかったことがあります。古い写真の撮影日が確定できるのです。前にこのブログにアップした中部天竜で撮ったEF10や豊橋近くで撮影した飯田線の流電モハ52の撮影日は、1976年4月ごろ、と書いていましたが、76年3月26日であることがわかりました。こうして撮影日が判明すると、なんとなくこれまでもやもやしていたものが晴れるようで気持ちがいいですね。いったい、これいつ撮影したのだろうか、と気になっていたので。

 1976年の入場券は30円、77年は60年に値上げされているのですね。77年4月の入場券は30円の額面の上に料金変更のスタンプがあるものが多く見られます。下記は内訳です。

【入場券】
▼首都圏・関東
 新宿、市ヶ谷、水道橋、神田、横須賀、小山、飯田橋、渋谷、立川、田浦、原宿、新大久保、保土ヶ谷、駒込、昭島、青梅、古里、水上、岩舟、高崎、鴬谷、秋葉原、新橋、思川、蕨

▼山陰
 江津、鳥取、浜田、長門市、玉造温泉、益田、周布、三見、大社、東萩、松江

▼甲信・愛知
 牛久保、小淵沢、小諸、野辺山(裏に国鉄最高駅野辺山1345.67メートルのスタンプ)、下地、飯田、茅野、清里、上諏訪、豊科、天竜峡、中部天竜、上田、穂高

▼近畿
 奈良、天理

▼九州
 博多、鹿児島、大畑、浦上、西鹿児島(博多、浦上以外はいただきものだと思います)

【急行券】
 白浜から200キロ(300円)、茅野から100キロ(300円)、滝部から100キロ(100円)

【連絡船用グリーン券】
 高松→宇野、宇野→高松(120円)

【乗車券】
 湯玉→城野、戸畑、板持、仙崎(210円)、滝部→綾羅木、幡生、長門市、仙崎(160円)、京都から島ヶ原(240円)、岩舟から150円区間、愛国から幸福

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