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ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその151-マンボ

2015年08月03日 | ワールドミュージック
黄金のニューリズム。

「ニューリズム」太平洋戦争後、さまざまなジャンルでこの言葉が使われ、新しい音楽が誕生した。
太平洋戦争後、まず日本人が驚いたのはアメリカから輸入された「ジャズ」だろう。
この新しい音楽は、日本中を席巻し一大ジャズブームを齎した。
その後1950年代に入って、ロカビリーブーム「エルヴィス・プレスリー」の登場である。
まさに戦争直後、日本の音楽界は良い意味での「カオス」状態であった。
その後はロカビリーの登場、カバーポップスの流行(今のJ-POPのルーツはここにある)等々現在に至るまで日本の音楽界は変化していった。
その中で様々な「ニューリズム」と呼ばれる音楽も誕生した。
1950年代、その代表であり、最も成功した「ニューリズム」が誕生した。
「マンボ」である。
マンボとは、キューバ生まれのピアニスト「ペレス・プラード」により考案された。
彼は1940年代後半にメキシコに渡り「ペレス・プラード楽団」を結成、積極的にオリジナル曲を発表し、全世界で一大ブームを起こした。
彼は小柄だったが、全身を使い、楽団を指揮する姿は圧巻だったという。
日本にもそのブームは波及し、裾のすぼんだ、だっぷりしたズボンを「マンボズボン」と呼び、ダンス会場では多くの若者が「マンボズボン」をはき、ダンスに興じた。
前述の訂正になってしまうが、もともと「マンボ」とはキューバーに昔からあった「ソン」と言う音楽の一部をアレンジしたもので、一応プラードが発明者のように言われているが、その件については諸説ある。
私は少年期に後追いではあるが、この「マンボ」を聴いた。
今まで聴いたことない音楽は私に衝撃を与え、それ以後「マンボ」とは自分の好きな音楽ジャンルとして常に心にとめている。
残念ながら彼は1989年に逝去、私は彼のコンサートでの雄姿を見られなかった。

百聞は一見にしかず、下に彼の代表曲「エル・マンボ(マンボ・ジャンボとも呼ばれている)」をリンクした。
切れのある演奏にスリリングな曲の展開、是非お聴きになることをお勧めする。

Perez Prado - Que Rico El Mambo

明日のためにその140-ダラ・プスピータ

2015年07月09日 | ワールドミュージック
聴くのが楽しいアジア音楽。

私は以前からアジア音楽を好んで聴いている。
正直ヨーロッバやアメリカの音楽は以前はよく聴いていたが、今はその変わり映えのなさに食傷ぎみで聴くことは殆どない。
日本のJ-POPもそうである、日本は「歌謡曲」全盛時代が一番よかった。
そのアジア音楽のなかでも「ダンドゥイット(Dangdut)を好んで聴いている。
このダンドゥイットは1970年代後半、インドネシアの男性歌手ロマ・イラマが創造し、更に女性歌手のエルフィ・スカエシがそれに続くことで一般大衆に広まり、定着した。
今やダンドゥイットにもレゲエやハウスと言ったジャンルも派生し定着している。
今回紹介するのはこのダンドゥイット音楽ではなく、その前の時代にさかのぼる歌手(グループ)である。
名前は「ダラ・プスピータ(Dara Puspita)」
女性4人のガールズグループである。
ダンドゥイット誕生前、世界はビートルズの登場で「ブリッテシュインヴェンション」が大いにもてはやされた時期である。
彼女達もまたビートルズに憧れ、影響されたサウンドを展開している。
今で言う「ガーレージバンド」なのだ。
その素朴さはなんとも言いがたく愛しく一度聴いたら忘れられないだろう。

インドネシアはポピュラー音楽の発祥の地である。
16世紀にインドネシアで誕生した「クロンチョン」は世界最初のポピュラー音楽と言われている。
ポピュラー音楽は単独の音楽では形成できない。
様々な文化が交じり合ってこそ出来上がるのがポピュラー音楽である。
ダラ・プスピータもビートルズへの憧れから、彼らに少しでも近づこうとする努力が垣間見られる。
大切なのはここである。
何か新しいものが生まれる時、そこに「大いなる勘違い」が発生する、ここが面白いのだ、音楽の可能性を聴かせてくれる瞬間である。
現在彼女達のCDは高値で取引されて手が出ない。
しかし「ユーチューブ」には彼女達の代表曲がアップされている。
下がそうである、一度聴いていただきたい。

Dara Puspita - A Go Go (1967)

明日のためにその122-旺福

2013年12月27日 | ワールドミュージック
今年一番の収穫バンド

今年も年の瀬を向かえ本日御用納めの方々も多いと思う。
今年一年は皆様にとってどんな年だっただろうか?
このブログも2回目の年の瀬を迎えることになった。
ひとえにブログを読んでいただいている皆様のおかげである。
心から感謝いたします。
今年を振り返った時、音楽や映画で何が自分自身の収穫であったかを振り返ってみた。
洋画では収穫が多くこのブログでご紹介した殆どが収穫であるとも言える。
その中でも「ヒューゴの不思議な発明」万人にお勧めできる傑作として一番の収穫か。
音楽ではこれといった動きもなく収穫なしに思われたがここにきてようやく良いバンドと巡りあえた。
それは台湾出身の「旺福(ワンフー)」と言うバンドだ。
NHKのBSで不定期であるが「アジアミュージックネットワーク」と言う番組を放送している。
アジア各国のポピュラー音楽情報をメインとした音楽番組である。
あるとき偶然私はそれを見た。
ウエブにもHPがあるということで早速HPを見てみることにした。
そこで出会ったのが旺福である。
そのHPには彼らのPVが公開されていた。
そのPVを見た瞬間「これだ」と私はほくそ笑んだ。
60年代ポップスを髣髴させる曲調、ヴィジァル全てが良いベクトルを持っている。
一度聴いたなら皆様もその印象的な存在は意識下に残るであろう。
是非一度聴いていただきたい。
NHKの許可を得ていないのでURLは記載できないが「アジアミュージックネットワーク」で検索していただければ間違いなくヒットするだろう。
最後になりましたがこのブログを読んでくださっている皆様の来年のご活躍とご健康を願い今年のブログの結びとしたいと思います。

明日のためにその113-M.S.スブラクシュミ

2013年10月12日 | ワールドミュージック
至高の歌声。

インド音楽と言うと皆様はどのようなものを想像するだろうか。
やはりシタールを代表としたアンサンブルを想像する片が多いと思う。
インド音楽の現状と言えばパンジャミ地方で発展して言った「バングラビート」がイギリスのクラブ音楽とコンフュージョンして新しいビートを作っている。
かなり「バングラビート」の基本から逸脱した音楽がそこにはある。
それはそれで面白いのだが本来の「バングラビート」の土臭さが消えてしまい私としては残念な気持ちもある。
今回紹介するのは「M.S.スブラクシュミ」の「至高のインド声楽」である。
南インドの古典音楽の女性の歌い手である。
アンサンブルは想像に難くない古典的なものでそこに彼女の軽やかな声が自在にグルーブを作ってゆく。
歌をこれほど軽やかにそして独特のうねりを持って歌う歌手を他に私は知らない。
前述した「バングラビート」を含めインドには様々な音楽形態がある。
その殆どはアップテンポで女性歌手と言えば甲高い声で歌を歌う。
ボリウッド系の映画音楽などはまさにその典型的な例であろう。
以前このブログで紹介したインドの男性プレイバックシンガー「キショレクマール」とは正反対の古典音楽における美の頂点がこの「M.S.スブラクシュミ」であろう。
残念なことにこのCDは現在廃盤となり高値で取引されている。
だがインド音楽のCDを専門に扱うネットショップではこのCDは入手できないが他のCDなら入手可能である。
彼女の歌を綴っていく様を是非聴いていただきたい。

明日のためにその99-AIDA

2013年08月07日 | ワールドミュージック
K-POP初期の忘れられたあだ花

ここ最近はK-POPのブームである。
特徴として多人数の女性グループが沢山登場している。
少女時代、KARA、ナインミュージス枚挙にいとまがない。
今が第二期女性グループ全盛期ではないだろうか?
第一期としてはベイビーヴォックス、フィンクル、S.E.Sなどが十年程前に活躍していた。
今回紹介するのはそのK-POP第一期に登場した女性グループ「AIDA」である。
メンバーはヴォーカルとギターがチョ・ウニョン、ベースがイ・ヨジン、ドラムスがパク・コッビョル。
1999年にデビューしている。
当時彼女達は十代後半の年齢、とても若い頃にデビューしている。
しかし彼女達のファースとアルバムは売れずヒット曲もなかった。
私はあるきっかけで彼女達を知り、その素晴らしいポップスセンスに感銘を受けた。
彼女達の代表曲ともいえる「クルナッソ(大変だ)」はとてもセンスの良い名曲である。
ファーストアルバムも傑作で最初から最後までそのポップスセンスの良さには関心させられる。
何故彼女達がK-POPのメインストリームになれなかったかとても不思議である。
と同時にそのこと自体が今も続くK-POPへの警鐘になっているような気がする。
私もK-POPも色々聴いてきたが未だに彼女達を越えるガールズグループに出会っていない。
もし彼女達がデビュー当時評価され曲がヒットしていたら今のK-POPも更に面白くなっていたと思う。
ここで紹介しなければ忘れられてゆくばかりの彼女達であるので今回は彼女達を取り上げた。
ちなみにユーチューブで「Aida - 클났어」で検索すると前述の彼女達の代表曲「クルナッソ(大変だ)」を聴くことができる。
是非一度は聴いていただきたい。
彼女達はファーストアルバムに続きセカンドアルバムを発表したがそれも売れることはなくその後解散してしまう。
今のK-POPだけを聴いている人達はこれを機会に第一期のK-POPを是非聴いていただきたい。




明日のためにその89-キショレ・クマール

2013年06月05日 | ワールドミュージック
インドの男性プレイバックシンガー

今や世界一の映画生産国であるインド。
煌びやかな衣装と迫力のダンスシーンで観る人を魅了する。
もともとインドは1950年代から世界第3位の映画製作国であった。(そのころの映画製作国世界1位はなんと日本)
ミュージカル形式を主とした映画の内容に欠かせなかったのが「プレイバックシンガー(吹き替え歌手)」である。
女性ではギネスにも公認されているラタ・マンゲシュカールが特に有名であろう。
今回紹介するのはそのラタではなくラタの妹のアシャ・ボスレとよく共演した男性歌手「キショレ・クマール」である。
残念なことに彼の音源をCD等の媒体で捜すのは難しい。
彼の楽曲を聴こうと思うと現在は「iTune」か以前からここで紹介している「ミュージックアンリミッテット」しかない。
私は「ミュージックアンリミッテット」を利用して彼の楽曲を聴いている。
そもそも彼を知ったのは或る世界のポピュラー音楽研究本であった。
その本にはその内容を補足するためのLPが発売されていて私もそれを買って初めて彼の事を知った。
それ以来印象に残った歌手だったのでいつかアルバムを聴いてみたいと思っていた。
しかしその当時では彼のアルバムを聴く方法が無かった。
今はつくづく便利である、有料ではあるが前述の音楽配信サービスを利用すれば彼の歌声が聴けるのだ。
その歌声はリズムに乗り歌を自由自在に操っている。
歌の上手さは絶品である。
ここで紹介しないとめったに聴くことの無い歌手であるので今回は彼を紹介した。
是非興味を持たれた方は是非聴くことをお勧めする。

明日のためにその17-ハンガイ

2012年02月18日 | ワールドミュージック
炸裂するホーミー

モンゴル。
大草原にゲルがあちらこちらにぽつねんと建ててある風景。
一般的にモンゴルに抱くイメージであろう。
モンゴルには古くから伝わる「ホーミ」と言う歌唱法がある。
声帯を震わせ、舌の動きで音階を変えるという歌唱法である。
私自身以前から「ホーミー」の存在は知っていたがほとんど聴く機会が無かった。
先月だったかテレビで「ホーミー」の特集番組を放送していた。
それを見て「ホーミー」を聴きたくなった私はこの「ハンガイ」と言うバンドを見つけた。
私の知る限り彼らは2枚CDを発売している。
一枚目のCDはアコステックで叙情がありとても好感がもてる内容だ。
二枚目はエレクトリックになってそれでいてモンゴル独特のリズムをベースにしたこれも良い出来のCDである。
どちらのCDにも曲中に「ホーミー」を聴くことができる。
久々に出会えた良いワールドミュージックである。

明日のためにその15-エキゾチック・ビートルズ

2012年02月10日 | ワールドミュージック
世界中のモンドなカバー

ビートルズは約8年間の活動で200曲を超える楽曲を残した。
その殆どがスタンダードとなり今でも歌われている。
様々なアーティストがビートルズのカバーをしている。
今回紹介する「エキゾチックビートルズ」シリーズはそのカバー曲のなかでも珍品をあつめたモンドなCDである。
1990年代からつい最近発売されたものまで合計4枚のCDがある。
日本で有名なのはもう随分昔になってしまったが金沢明子が歌った「イエローサブマリン音頭」がある。
この楽曲も「エキゾチックビートルズ」のパート1に収められている。
またこのシリーズの白眉ともいえるのが、ビートルズのプロジューサーだったジョージ・マティーンが制作した犬と羊による「ア・ハード・ディズナイト」だろう。
メロディを犬が歌い、コーラスを羊が歌う。
とても可笑しいが聴き終わった後「う~ん」と思ってしまうのは私だけだろうか?
今回紹介したCDはあまりお勧めできない。
ビートルズが好きでなんでも聴いてみようと思っている方でも全曲聴くのは結構重荷である。
ただこのようなCDが発売されているという紹介だけに今回はしておこう。
しかしこれに懲りずに邦人がカバーした楽曲を集めたビートルズのCDを注文してしまった私は本当に好き者である。


明日のためにその13-ダレル・メヘンディ

2012年02月03日 | ワールドミュージック
元祖インドのダンス音楽

私は1990年頃から今で言う「ワールドミュージック」を聴くようになった。
理由は西洋圏や日本のポピュラー音楽に興味がわかなくなってきたためだった。
西洋圏は主にラップなどのブラックカルチャーがメインストリームとなり、日本ではJ-POPが盛んになりアマチュアバンドの青田刈り現象で音楽の厚みがなくなってきたからだ。
私が思うにブラックカルチャーはやはりカウンターカルチャーとして存在することによりその力量を発揮できる、メインストリームになってしまうとその力量が発揮できないと思っている。
私が「ワールドミュージック」を聴き始めた頃に「バングラビート」が一時流行ったことがある。
北インド地方のパンジャミの民族音楽に海外のダンスビートを融合させたのがそれである。
私はその時期南米のクラッシックなポピュラー音楽を主に聴いていたので「バングラビート」は聴いていなかった。
しかし数年ほど前にある歌手と出会い「バングラビート」の魅力を知った。
ダレル・メヘンディその人である。
一見すると陽気なインドの陽気なおじさん歌手に見えるが彼の繰り出す「バングラビート」はとてもポップで緻密で興味深い。
文句無く踊れる音楽である。
「バングラビート」も年代を経て様々な様式が現在は多数存在する。
その全てを聴いているわけではないが今こそ「バングラビート」を再評価する時期ではないかと思う。
私はダレル・メヘンディのベスト盤を自身のヘビーローテーションとしてほぼ毎日聴いている。
「バングラビート」に興味を持たれたらその入門編として推薦できるCDである。