徒然小夜

日々の想いを自由気ままに書きつづる
話題は趣味、仕事、人生、いろいろ

itunes 不具合 メーカー側の原因

2021-09-23 00:44:51 | 音楽
itunes が突然起動しなくなった。
itunes cannot run because some files are missing とかいうメッセージが出てきた。
iphone をつないだことによるのかと思って諦めていたが、
microsoft のHPなど色々参照してみたが、
解決しない。
youtubeで見つけた「Windows10 itunesが起動しない場合のダウングレードする方法」で
古いバージョンのitunesを再インストールするしか解決しないことがわかり、さっそくやってみる。
古いバージョンをインストールした後、
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今日は敬老の日2021.8.21

2021-09-22 00:34:06 | 日常
敬老の日
今まではお年寄りを敬う側だと思っていたのだが、
ちょっと待てよ。
ひょっとしたらもう僕は敬老される側に
なっちまったのかな?
自分では全くそんな意識はないのだが、
周りにすれば、もう僕はすでに年寄り?
まあ、そう思われても仕方がないか。
そんな今日知り合いのメールで、
胸の圧迫感が気になって病院に行ったら、
心筋梗塞と診断されて
緊急搬送されたという。
恐ろしい話だが、
さほど驚かないのは
全くあり得る話だからだろう。
となれば、それこそ明日は我が身。
ああ、恐ろしや、恐ろしや。
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飛騨高山で2021年9月19日5時18分頃、地震が発生

2021-09-20 22:36:34 | 
 9月19日午後5時18分頃、岐阜県高山市で地震が発生。
M5、震度5。
ニュースでは上高地から撮影された明神岳辺りの砂煙、
馬場平からの落石、涸沢での前穂の谷で落石により
砂煙が上がる様子が放映されていた。
 岩場はしばらくは避けた方がよさそうだ。
これから紅葉シーズンで
登山客はどんどん増えるはずだ。
注意が必要だ。
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2021年9月18日 上高地で協力金500円始まる

2021-09-20 22:12:34 | 
 NHKのニュースで9月18日から上高地で、
500円を整備協力金として出してもらうことになったそうだ。
歓迎する。
登山道の整備は、山小屋の責任で行ってきたそうで、
費用は山小屋の宿泊費から捻出しているそうだ。
最近は登山客数も増えてきているし、
下水関連の処理費用もかなりのものになると思う。
この流れは上高地に限らず、
色々な山域で協力金が導入されようとしているという。
その問題を浮き彫りにしたのが、今回のコロナ禍だ。
コロナ禍で山小屋の登山客数を制限せざるを得ず、
そうすると収入が激減し、採算がとれないということで
営業見合わせという流れになるようだ。
確かにそうなることも仕方のないことだ。
僕たちも今まで北アルプスを始め、
多くの山域でお世話になっているし、
改めて感謝をしなければいけない。
そして、この協力金はもっと早くから
導入されてもよかったのではないかと思う。
これからも山を持続させるために。
大切な山を守っていくためにできることはする。
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穂谷川のヒガンバナ

2021-09-20 01:06:22 | 日常
 元同僚の知り合いからヒガンバナが見ごろだという知らせを受けて出かけました。
JR藤坂駅近くの穂谷川沿いの歩道、自転車道沿いに2kmに渡って咲き誇るヒガンバナ。
赤を基調に、白、黄色、ピンクなどのバリエーションもあり、楽しませてくれました。
勝手に摘んで持ち帰る不謹慎な人もいるそうで、
なんでそんなことするかなあ。
(最近はネットで正体をほぼ明かさずに簡単に売りに出せるということが
広がった最大の理由だと思う。)
この方はもう何年にも亘って各地にヒガンバナを植えて、広めておられる。
穂谷川沿いの河津桜の世話もされている。
秋の一コマを楽しませていただきました。
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不気味なニュース2021.9.20深夜

2021-09-20 01:01:37 | 
 長野岐阜辺りで地震が頻発しているというニュース。
これからまさに紅葉のシーズンだというのに、
不吉だなあ。
何年か前にも地震で上高地線の道路が土砂崩れで一時通行止めになりましたね。
地震で地盤が緩めば、岩も崩落して落石の原因になったり、
掴んだ岩が剥がれて滑落なんていうこともありえなくはないですね。
なんせ、乗鞍岳や焼岳は活火山で、焼岳は今も噴煙を上げていますからね。
来週くらいに久しぶりに涸沢の紅葉を見に行こうかと思っていましたが、
ちょっと考え物ですね。
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「人のため」は「自分のため」? 2021.9.17

2021-09-17 10:29:21 | アウトドア
 今日の「おかえりモネ」の中で、
「例えば誰かのために何かをしたとしても、
その見返りを期待してはいけない。」
考えさせられる言葉だ。
世の中の働いている人たち、何か活動をしている人たちは
誰のためにそうしているのだろう?
「誰かの役に立ちたい。」「人の為に働きたい。」というフレーズ。
とても響きのいい心掛けに思えるが、
結局、最終的にはそのことによって「自分のため」になっているのではないか、
ということは世の中にたくさんある。
でも、それでいいのかな?
誰かのために何かをした結果、本当にその誰かのためになっているのなら、
それはそれでいいのかも。
しかし、「誰かのために」がエスカレートして、
邪心が入ってくると、それは話が違ってくる。
学校で言えば、2つの大きな問題。
受験指導と部活動指導(スポーツ界)だ。
2つとも異常なほどだ。
受験指導で言えば、
学校にしろ、予備校にしろ、
とにかく難関校に合格した人数がすべてだ。
できれば国公立大学。
部活動指導についていえば、
過度の練習を強いて、
ただただ勝利するためには、手段を選ばない。
なぜなら、結果がすべてであり、
その結果によって学校が世間に評価され、
それが宣伝になって学校の知名度を上げ、
その先に入学希望者を増やすという目論見が見える。
その結果、学校間の競争、争いが激しくなり
「いい」生徒の取り合いが繰り広げられるわけだ。
そんな世界はもうまっぴらなんだけれど、
世の中は依然、その道理で動いていて
改善される気配はかけらもない。
なんなら、そんないびつなあり様が経済を支えているとさえいえる。
受験に関して言えば、
小さな頃から、(最近では小学校、ひょっとしたら幼稚園から)
エリート校っぽいところへ入学させて、純粋培養され、
エスカレーター式に進学してゆく。
そういった私学の有名校はなりふり構わず己の目指す所に向かって
生徒を操る。
学校のために、生徒が犠牲になるパターンが出来上がる。
生徒は生徒で「自分のため」と思い込み、学校が要求してくる
無理無体も心を閉ざして受け入れて耐え忍ぶ。
そこには、「人生を楽しむ」という観点は存在しない。
若い頃は厳しいことに耐え抜く力を養うことも大切なことかもしれないが、
限度を超えているケースは後を絶たないのではないかと思う。
生徒はただただ耐え忍ぶのだ。
「自分のために」
そして、そこで指導する大人たちはどうかというと、
予備校の講師などは、目的がはっきりしていてわかりやすい。
「いかに多くの子どもたちをいかに「いい」大学によりたくさん合格させるか。」これだけ。
そのためには手段を選ばない。人間性を育むという観点は存在しない。
時折申し訳程度にそういう指導をしているようなことを匂わせるが、
批判を避けるために口にしているだけ。
基本的にはそんな意識はない。
学校の部活動指導はもっと酷い。
自分の専門種目の教師は、自分が専門であるがために、
生徒に対しては絶対的な権力を持っている。
生徒も自分の好きな競技なので、相当な程度に厳しい指導に耐える忍耐力を持つ。
顧問は勝つために、生徒に厳しい練習を強いて、時には暴言らしき言葉で
追い詰める。生徒はそれを受け入れる。エスカレートする。
時折、見かける部活動関連のニュースはこういった状況で生み出される。
顧問のパワハラによる自殺。顧問はそうなるまで自分の異常さに気づかない。
結局、そういう指導は自分の受け持つ部がいい成績をおさめることが
チームのためだと言いながら、そのチームを指導した自分の功績だと認められることを期待する。
要するに「自分のため」なのだ。
顧問にとってこんなに気持ちのいいことはないだろう。
(そんな現状に付き合わされる専門外の顧問はたまったもんじゃない。やりたくもない顧問を強いられて、
自分の労力、時間を蝕まれても感謝されることもなく、手当も微々たるもの、生徒にはバカにされるだけ。)
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久しぶりに元職場へ2021.9.16

2021-09-17 10:14:21 | 日常
 久しぶりに最後に現役時代を過ごした職場に顔を出した。
2月以来なので、春の人事異動後ということもあり、
館内を歩いていても、馴染みのない人が結構歩いていたりして、
やはり時の流れを感じる。
同じ場所にいても、時間が違えばそれは違う場所なのだ。
だから重要なのは、場所ではなく、時間なのだ。
だから、思い出されるのは場所なのではなく、共に過ごした時間なのであって、
場所はそれに付随するだけのことだ。
「懐かしい人や街を訪ねて汽車を降りてみても、
目に映るものは時の流れだけ。心が砕けて行く。」
拓郎が歌っていた通り。この曲は作詞作曲吉田拓郎だ。
だから、大切なのは共に過ごした時間なのだ。
修学旅行だって、子どもにしてみれば、
大切なことは、どこへ行ったかではなく、
その時の友達と一緒にどこかへ行くことが大切なのであって、
行き先は二次的なものである。
そんなわけで、元の職場へ行って、馴染みのある人たちと
少し話をする。
というわけで、この前の書き込みと通ずるものがあるわけだ。
今までの人生で出会った人たちが僕の体内に住んでいるということ。
住んでいる人たちはただ住んでいるだけではなく、
僕の人格の少なからずを形成している。
でも、しばらくコロナもあって、人と接する機会がめっきり減っていた中、
馴染みの人たちと少しでも会話できて自分にとってはいいことだった。
通り過ぎる子どもたち(見知らぬ子どもたち)にも、
「おはよう。」と声をかけると、挨拶を返してくれるのはとても気持ちのいいものだ。
やっぱり僕は人に揉まれて、みんなの中で生きているのだ。
人は一人では生きてゆけないものなのだ。
ありがたい。
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会う人は減ったけれど

2021-09-12 15:50:16 | 日常
仕事を辞めると
人と接することがめっきり少なくなった。
ましてやコロナで輪をかける
でも、僕には今まで出会ったたくさんの人がいる。
特に学校で共に過ごした教え子たち
無事に定年まで勤め上げて今に至るが、
何とか無事に終えたということは
ほぼ良好な関係で終えられたということだと
勝手に思っている。
そう、僕の体の中には
今まで出会った人たちが住んでいる。
だから寂しくはない。

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お父さん 2021.9.11

2021-09-11 11:59:35 | 日常
 お父さんが病気と闘っている。
コロナのお陰で面会もままならない。
でも、月曜日の話し合いで
本人も交えてということなので、会えるようだ。
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