石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(34)

2016-08-24 | 中東諸国の動向
第4章:中東の戦争と平和
 
6.イラン・イスラム革命
 1970年代末までのイランは中東で最も安定した国であった。1921年にコサック軍のレザー・ハーンがクーデタによりパハラヴィー王朝を樹立、それまでのペルシャという国名をイランに変更、第二次大戦ではナチス・ドイツに接近したため連合軍の進駐にあい、息子のムハンマド・パハラヴィーが皇帝の位を継承した。国内政治では共産党が力をつけ1951年にはモサデグが首相となり石油産業を国有化した。
 
 イランの共産主義化と石油の国有化に危機感を抱いた米国はCIAの秘密工作によりモサデグ政権を転覆、パハラヴィー皇帝(シャー)が全権を掌握した。これ以降米国とイランの蜜月関係が始まり、米国は最新兵器を惜しげもなくイランに供与、皇帝は石油の富を米国に還元したのである。米国は不安定なイスラエル情勢を間接的に支え、中東の東半分ペルシャ湾周辺を安定させる役割をイランに託した。イランは「ペルシャ湾の警察官」と呼ばれるようになったのである。シャーは米国CIAとイスラエル・モサドの協力を得て国内に秘密警察(SAVAK)の網を張り巡らせ恐怖政治を行った。そして米国の歓心を買うため「白色革命」と称して農地改革、国営企業の民営化、婦人参政権などの近代化を強引に進めた。
 
 白色革命によって最も影響を蒙ったのが都市のバザール(市場)商人であり、或いはイスラーム聖職者たちの宗教勢力であった。イスラームの預言者ムハンマドが隊商のリーダーであったこともありイスラームでは商人階層と宗教階層は相性が良い。中東の商人の力は侮りがたい。商人たちと聖職者は協力してシャー体制に抵抗した。抵抗運動に対して皇帝は彼らを容赦なく投獄或いは国外追放した。宗教指導者のホメイニ師も国外に追放され、パリから抵抗運動を指導した。
 
 1978年、ホメイニ師に対する中傷記事をきっかけに聖地コムで暴動が発生、それを弾圧する政府に抗議しイスラム国家の樹立を叫ぶデモが燎原の火のごとくイラン全土に波及した。1979年1月、ついに皇帝シャーは国外に退去し、入れ替わりにホメイニ師がパリから帰国、ついにイスラム革命が成功したのである。
 
 同年4月、国民投票によりイスラーム共和国の樹立が宣言された。ホメイニ師が提唱した「法学者の統治(ベラヤット・ファギー)」が国家体制の基礎とされた。イスラーム近代社会で初めて宗教国家が成立したのである。ベラヤット・ファギーとはイランのイスラーム信者の多数を占めるシーア派十二イマーム派特有の法理論であり、ムハンマドの死後その教えを引き継ぐ宗教指導者イマームが十二代目で途絶え(イマームはお隠れになった)、いずれの日かマハディ(救世主)が現れるまで、イスラーム指導者がマハディに代わって世の中を治めるとする理論であり、宗教支配を正当化することである。こうしてイランは世界でも稀な宗教国家となったのである。
 
 同じころ東隣のアフガニスタンでは共産主義政権が生まれ、アフガニスタン戦争が始まる。アフガニスタン戦争はイデオロギー(智)と宗教(信仰=心)の二つの側面を持っていた。だからこそ水と油の関係の米国とアラブ・イスラーム諸国が呉越同舟でソ連に対抗したのである。即ち自由主義・資本主義のイデオロギーを奉じる米国はアフガニスタン戦争をソ連とのイデオロギー最終戦争と位置づけ、一方のアラブ・イスラーム諸国は社会主義・共産主義の無神論が侵入するのを阻止するための宗教戦争と位置付けたのである。
 
 これに対してイラン・イスラーム革命は宗教という信仰の体制がシャー(皇帝)による自由主義・資本主義イデオロギーという「智」の体制に取って代わったのである。ソ連も米国もイランの体制の変化に当惑した。中でもシャーという中東で唯一無二の味方を失った米国の衝撃は大きかった。米国は人道的配慮を理由にシャーを亡命者として庇護した。これがイランの学生の反米感情に火をつけ、テヘランの米国大使館占拠事件に発展する。占拠は一年もの間続いた結果、今度は米国に強烈な反イラン感情が生まれそれは今に至っても収まる気配はない。イランと米国の不幸な関係の始まりである。
 
(続く)
 
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 荒葉一也
 E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp
 Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天然ガスは目先買い手市場に:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ(天然ガス篇11)

2016-08-23 | 中東諸国の動向

(2009年に日本を超えた中国、増加の伸びが止まった日本とインド!)

(4)日本、中国及びインドの消費量の推移(1980~2015年)
(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/2-3-G03.pdf 参照)

 ここではアジアの三大国である日本、中国及びインドについて1980年から昨年までの消費量の推移を比較してみる。1980年の日本、中国及びインドの天然ガスの消費量はそれぞれ241億㎥、147億㎥、12億㎥であった。中国は日本の6割、インドはわずか20分の1に過ぎなかった。それでも同じ年の米国の消費量5,629億㎥と比べると日本ですら米国の20分の1以下だったのである。

 

 1980年から2000年までの20年間は日本とインドの消費量が急増する一方、中国の増加率は両国を下回った。このため2000年における3カ国の消費量は、日本723億㎥、インド264億㎥、中国253億㎥となりインドが中国を追い抜き、日本と中国の差は3倍に拡大した。

 

 しかし2000年以降中国の天然ガス消費量は急増、2005年には482億㎥に倍増した。2005年以降は増加のペースが加速し2009年には日本を追い抜き、2015年の中国の消費量は1,973億㎥、日本の1.7倍となっている。日本の場合は2000年から2010年までの年間平均増加率は3%であったが、2011年には一挙に対前年比12%の大幅増となり、2012年も前年比11%と2年連続して高い増加率を示した。福島原発事故に伴う火力発電用LNG調達のためであるが、その後の2013年および2014年の対前年伸び率はそれぞれ0.0%および1.0%と増加の勢いは止まり、2015年は減少に転じ前年比3.9%減であった。インドの消費量は2010年までは順調に伸び2011年には619億㎥に達したが、その後は減少傾向が止まらず、2015年の消費量は506億㎥である。これは日本の2分の1、中国の4分の1弱である。

 

 天然ガスは石油に比べてCO2や有害物質の排出量が少ない「環境に優しいエネルギー」として今後需要が拡大することは間違いない。世界的にも新しいパイプラインやLNGの液化・運搬・受入設備が増強されている。米国でシェールガスの開発生産が急増しており、また世界各地で新しいガス田が発見されるなど天然ガスの開発と生産拡大の余地は大きく、それに応じて今後も消費拡大のペースは続くものと思われる。中国は今後ますます需要が伸びるものと見られ、最近ロシアと大型天然ガス購入契約を締結し消費の増加に対処しようとしている。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースピックアップ:世界のメディアから(8月22日)

2016-08-22 | 今日のニュース

・イラン6月原油生産361万B/D、輸出200万B/Dで安定

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天然ガスは目先買い手市場に:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ(天然ガス篇10)

2016-08-21 | BP統計

(アジア・大洋州の天然ガス消費量は1970年の48倍に激増!)

(3)地域別消費量の推移(1970-2015年)

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/2-3-G02.pdf 参照)

 1970年に9,800億㎥であった天然ガスの消費量はその後1991年に2兆㎥を超え、2008年にはついに3兆㎥の大台を超えている。2015年の消費量は3.47兆㎥であり、1970年から2015年までの間で消費量が前年度を下回ったのは2009年の1回のみで毎年増加し続けており、45年間の増加率は3.5倍に達している。

 

 石油の場合は第二次オイルショック後の1980年から急激に消費量が減った例に見られるように、価格が高騰すると需要が減退すると言う市場商品としての現象が見られる。天然ガスの場合は輸送方式がパイプライン或いはLNGのいずれにしろ生産国と消費国がほぼ直結しており、また一旦流通網が整備されると長期かつ安定的に需要が伸びる傾向がある。天然ガスの消費量が一貫して増加しているのはこのような天然ガス市場の特性によるものと考えられる。

 

 欧州・ユーラシア、北米、アジア・大洋州をはじめとする6つの地域の消費量の推移を見ると地域毎の消費量の推移にはいくつかの大きな特徴が見られる。1970年の世界の天然ガス消費量の66%は北米、30%は欧州・ユーラシアであり、両地域だけで世界全体の96%を占めており、その他のアジア・大洋州、中南米、中東及びアフリカ地域は全て合わせてもわずか4%にすぎなかった。

 

 その後、北米の消費量の伸びが小幅にとどまったのに対して、欧州・ユーラシア地域は急速に消費が拡大し、1981年には北米を追い越している。そして1980年台半ばから1990年初めまでは世界全体の消費の50%を欧州・ユーラシアが占めていた。同地域の消費量は2001年に1兆㎥を超えた後、2015年は1兆35億㎥と横ばい状態である。このため欧州・ユーラシア地域の世界全体に占める割合は徐々に低下し2015年には29%となっている。

 

 これに対してアジア・大洋州の場合、1970年の消費量は146億㎥であり中南米(181億㎥)より少なかったが、その後アジア・大洋州の消費量は急増し、1980年には732億㎥と中南米、中東両地域に2倍以上の差をつけている。この増加傾向はさらに加速し、2000年には2,985億㎥、全世界のシェアの12%を占めるに至った。そして2015年は7,011億㎥でシェアも20%に上昇している。2015年の消費量は1970年の48倍である。1970年と2015年の増加率では北米が1.5倍、欧州・ユーラシアが3.5倍であることと比較してアジア・大洋州の伸びが如何に大きいかがわかる。

 

 北米、欧州・ユーラシア地域とアジア・大洋州地域の違いは先に述べた輸送網の拡充が消費の拡大をもたらすことの証しであると言えよう。即ち北米では1965年以前に既に主要なパイプラインが完成していたのに対し、欧州・ユーラシアでは旺盛な需要に対応して1970年以降ロシア方面から西ヨーロッパ向けのパイプラインの能力が増強されている。この場合、パイプラインの増設が西ヨーロッパの更なる需要増加を招く一方、ロシア及び中央アジア諸国などの天然ガス生産国では新たなガス田の開発が促進され、相互に呼応して地域全体の消費を押し上げる相乗効果があったと考えられる。アジア・大洋州の場合は、日本が先陣を切ったLNGの利用が、韓国、台湾などに普及し、また中国、インド等新たなLNG輸入国が生まれたことにより地域における天然ガスの消費が近年急速に拡大しているのである。

 

 (続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail;maedat@r6.dion.ne.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天然ガスは目先買い手市場に:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ(天然ガス篇9)

2016-08-20 | BP統計

(一国で世界の5分の1の天然ガスを消費する米国!)

(2)国別消費量

(表http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/2-3-T01.pdf 参照)

 次に国別に見ると、最大の天然ガス消費国は米国であり、同国の2015年の消費量は7,780億㎥であった。これは全世界の22%に相当する。米国は石油についても世界全体の20%を消費しており(石油篇国別消費量参照)、世界一のエネルギー爆食国である。

 

 第2位はロシア(3,915億㎥、11%)でこの米露両国が世界の二大天然ガス消費国である。これに続くのが中国(1,973億㎥)、イラン(1,912億㎥)である。5位以下7位までには日本(1,134億㎥)、サウジアラビア(1,064億㎥)、カナダ(1,025億㎥)と続き、これら7カ国が消費量1千億㎥以上の国である。

 

 2015年の天然ガス消費量を前年の2014年と比較すると、世界全体では1.7%の増加であるが、米国は世界平均を大幅に上回る2.9%の増加率である。米国はシェールガスの増産により天然ガスの価格が低位安定し(後述「天然ガス価格」参照)、国内の石油化学産業が活発化するなど産業全体に波及効果が及んでいるものと考えられる。

 

 米国が増加しているのに対してロシアは5%減少し、日本も3.9%減少している。日本の場合は2011年の福島原発事故による原発の全面停止により火力発電用のLNG輸入が急増した結果、2011年は前年比で11.6%増、2012年も同10.3%増と2年連続で二桁の大幅な増加となったが、2013年以降は3年連続して前年を下回っている。

 

 ヨーロッパ諸国の場合はドイツが前年比5%増、その他英国2%増、イタリア9%増といずれも増加している。各国とも2014年は対前年で大幅に減少しておりその反動と考えられる。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail;maedat@r6.dion.ne.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の各社プレスリリースから(8/14-8/20)

2016-08-20 | 今週のエネルギー関連新聞発表

8/15 出光興産 当社大株主から公表された文書に対する当社見解と対応等について  
8/16 JX石油開発 英国北海マリナー油田の権益一部売却について 
8/18 国際石油開発帝石 日産化学工業㈱への天然ガス供給開始について―天然ガス輸送パイプライン(富山ライン)の一部供用開始 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースピックアップ:世界のメディアから(8月19日)

2016-08-19 | 今日のニュース

・アルジェ会合の増産抑制合意観測でBrent原油価格、50ドル突破、米WTIは$47.44.

・サウジアラビアの8月原油生産、ロシアを抜き1,080-1,090万B/Dの見込み

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天然ガスは目先買い手市場に:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ(天然ガス篇8)

2016-08-18 | BP統計

3.世界の天然ガスの消費量

(アジア・大洋州以外は地産地消型!)

(1)地域別消費量

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/2-3-G01.pdf 参照)

 2015年の世界の天然ガス消費量は3兆4,690億立方メートル(以下㎥)であった。これは日産3,356億立法フィート、石油換算では年産31億3,500万トンである。

 

 地域別では欧州・ユーラシアが1兆㎥と最も多く全体の29%を占めている。これに次ぐのが北米(9,636億㎥、28%)、アジア・大洋州(7,011億㎥、20%)であり、これら3地域で世界のほぼ8割を占めている。その他の地域は中東4,902億㎥、中南米1,748億㎥、アフリカ1,355億㎥であった。アフリカの天然ガス消費量は世界全体の4%で、欧州・ユーラシアあるいは北米の7分の1にとどまっている。

 

 各地域の消費量と生産量(前章参照)を比較すると、欧州・ユーラシアは生産量の世界に占めるシェアは28%に対し消費量のシェアは29%であり、北米の生産量シェアと消費量シェアは同じ28%である。その他の地域は中東(生産量シェア17%、消費量シェア14%)、アジア・大洋州(同16%、20%)、中南米(同5%、5%)、アフリカ(同6%、4%)である。北米及び中南米は生産と消費の比率が等しく地域内で需給がほぼバランスしていることがわかる(域内消費型、地産地消型)。

 

 これに対して中東及びアフリカは生産が消費を上回っており、一方アジア・大洋州は消費が生産を上回っている。このことから天然ガスは中東/アフリカ地域からアジア・太平洋地域へと地域を超えた貿易が行われている様子がうかがえる(域外貿易型、なおガス貿易については次章で詳述)。

 

 (続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail;maedat@r6.dion.ne.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースピックアップ:世界のメディアから(8月17日)

2016-08-17 | 今日のニュース

・原油価格5週間ぶりの高値。Brent $48.81, WTI $46.21.

・ロシア、10月にOPECと会合の予定:ロシアエネルギー相

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(33)

2016-08-17 | 中東諸国の動向
第4章:中東の戦争と平和
 
5.アフガン戦争勃発:呉越同舟の米国とアラブ
 70年代前半の束の間の平和と繁栄の時代が過ぎると、後半には中東は俄然きな臭くなる。アラブから少し離れイランとパキスタンに挟まれたアフガニスタンに、1978年、ソ連肝いりの共産主義政権が誕生した。アフガニスタンは古くから交易の要衝であり、19世紀には中央アジアからインド洋を目指すロシアの南下政策に対し、インド洋沿岸沿いにオマーンからインドに至る交易路を確保しようとする大英帝国の東インド会社が激突、そこは「グレート・ゲーム」と呼ばれる紛争多発地帯であった。1970年代初頭に王制が倒れると、ソ連は好機到来とばかりに共産主義政権を支援した。
 
 しかし伝統的な部族社会であり、また強固なイスラーム信仰の国であるアフガニスタンは安定するどころか反政府武装勢力が勢いを増した。劣勢に立たされた中央政府はソ連に援軍を要請、ソ連は国際社会の反対を押し切って1979年に軍事介入に踏み切る。この後、ソ連軍が撤退するまでの10年の間、アフガニスタンは泥沼の内戦を繰り広げるのである。
 
 この内戦で反政府勢力の中心となったのが「ムジャヒディン」である。「ムジャヒディン」とはイスラームのジハード(聖戦)戦士を意味する現地語である。イスラーム・ジハードを掲げるムジャヒディンにとって無神論を唱える共産主義は「悪の権化」とも言える存在である。ムスリム(イスラム教徒)にとって共産主義はキリスト教やユダヤ教よりも認めがたい。
 
 ムスリムたちは「キリスト教のGodもユダヤ教のエホヴァも自分たちが信ずるアッラーと同じ唯一の存在(神)である」と信じている。三大一神教最後発のイスラームにとって「唯一神のアッラーはGodやエホヴァと同じ。なぜなら神は唯一の存在だから」である。ついでに言うならムスリムは旧約聖書に出てくる預言者が最初の預言者であり、キリストは最後から二番目の預言者、そしてムハンマドが最後の預言者であると考える。キリスト教ではキリストは神の子であるが、イスラームでは神が子供を生むことは無く、キリストはあくまでも預言者の一人ということになる。そして一神教徒すべてがそうであるように彼らは複数の神は認めない。従って彼らにとって古代ギリシャの多神教は邪教であり、日本古来の「八百万の神」などは野蛮人の信仰と映る。それでも少なくとも「神」の存在を前提としている点で彼ら一神教徒はかろうじて多神教徒を理解或いは容認できるのである。
 
 しかしムスリムたちにとって共産主義の無神論は理解に苦しむどころか悪魔の思想である。唯一神アッラーのためにアフガニスタンのムジャヒディン(ジハード戦士)は共産主義政府に立ち向かった。その闘争に共鳴したのがアラブ諸国のムスリムたちであった。豊かな湾岸産油国のムスリムたちはモスクで礼拝を済ませた後、遠いアフガニスタンのジハード戦士たちのために出口に置かれた義援箱にお金を入れた。ザカート(喜捨)はムスリムの宗教的義務であり、彼らは喜んで寄付したのであった。その性格上戦争を支援するための寄付金は公にすることができず、いくつかの銀行を経てマネーロンダリング(資金洗浄)された。モスクを通じた戦費の調達とその送金方法は後々イスラーム過激派に対する資金ルートに変貌して中東各国政府や欧米諸国を悩ませるのであるが、この当時はむしろ黙認或いは奨励されていた。
 
 さらに米国がこの戦争で反政府ゲリラを支えた。米国は彼らにミサイルなどの武器弾薬或いは軍事衛星で得られたソ連駐留軍の動きなどの機密情報をパキスタンを通じて反政府側に与えたのである。このようにアフガニスタン戦争ではアラブ諸国がヒト(義勇兵)とカネ(戦費)を与え、米国がモノ(近代兵器)とインテリジェンス(情報)を与え、共同してソビエト社会主義政権に対抗したのである。イスラームとキリスト教という真っ向から対立する陣営の共闘体制はまさに「呉越同舟」であった。
 
 両陣営がソビエト社会主義打倒を目指した思想の背景は全く異なる。アラブ陣営には共産主義の無神論に対する強烈なアレルギーがあった。彼らはソ連が「悪魔」の国でありこれを打倒することはジハード(聖戦)であった。そもそもアラブ民族の「血」とイスラームの「信仰」が体にしみこんでいる彼らにはイデオロギーという「智」が入り込む余地はないのである。これに対して米国は自由主義対社会主義、資本主義対共産主義という明確なイデオロギー思考に立ってソ連を打倒し世界の覇権を握ることが目的であった。1975年に泥沼のベトナム戦争を終結し、同じ年に先進国サミット(G7)で世界経済の覇権を確かなものにした米国にとってソ連は最後の敵であり、アフガニスタン戦争はその最前線というわけである。
 
 この戦争でアラブ諸国から多数の義勇兵が参加したが、その最大の人物こそサウジアラビアのオサマ・ビン・ラーデンである。世界中で彼の名を知らない者はほとんどいないであろう。また彼の素性と死に至るまでの経緯も良く知られているが、ここではアフガン義勇兵になるまでの経歴を簡単に紹介する。
 
 ビン・ラーデンは1957年、サウジアラビアのジェッダで生まれた。彼の父親はイエメン出身で若くして聖都マッカの門前町ジェッダに移住、路上の行商から身を起こし、サウジアラビアの初代国王となるアブドルアジズに取り入り、オサマ・ビン・ラーデンが生まれたころはサウジ国内最大の建設財閥になっていた。父親は多数の妻を娶り、ビン・ラーデンは17番目の息子であるが、11歳の時に父親が飛行機事故で死亡、当時の金で3億ドルの遺産を受けたと言われる。彼はその後イスラーム神学校(マドラサ)に入学、過激なイスラーム原理主義に傾倒した。そして22歳の時に義勇兵としてアフガニスタンに入った。アフガニスタンにはサウジアラビアの援助によるマドラサが多数建設され、ムジャヒディン(ジハード戦士)たちはイスラーム原理主義思想に洗脳されていた。そこに3億ドルを抱えてビン・ラーデンが乗り込んだのであるから彼がすぐに頭角を現し、外国人義勇兵のトップに立ったのは当然の成り行きであった。
 
 ソ連駐留軍は次第に追い詰められ1988年に遂に撤退した。アラブ・イスラム諸国はソ連の無神論との宗教戦争に勝利し、米国はソ連社会主義とのイデオロギー戦争に勝利したのである。アフガニスタン戦争はソ連の崩壊をもたらし米国では宗教社会学者のフランシス・フクヤマが「歴史の終わり」なる論文を発表、米国一強時代が出現し、永遠の世界平和が訪れるかのごとき幻想がふりまかれた。
 
 しかしアフガニスタン戦争はそれまで歴史の陰に隠れていた多くの問題が表面化する負の側面も併せ持っていた。米国はソ連の次の目標として中東アラブ諸国に政治の自由化と民主化を強要した。それは自由化、民主化の衣を着た西欧イデオロギーの押し付けであったが、その背後に宗教面のキリスト教福音思想と軍事面のネオコン思想があった。
 
 一方、イスラーム諸国ではイラン革命が勃発、シーア派指導者ホメイニによる宗教政治が出現、これはスンニ派アラブ諸国との対立を生みだし、イラン・イラク戦争につながる。さらに同じスンニ派アラブ諸国の内部で世俗主義と原理主義が衝突、原理主義の内部では更に過激なテロリズム思想が蔓延し手の付けられない混乱を引き起こすのである。
 
 (続く)
 
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 荒葉一也
 E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp
 Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする