石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

(連載)「挽歌・アラビア石油:ある中東・石油人の随想録」(10)

2013-05-06 | その他

2013.5.6

多国籍職場の「ゲスト・ワーカー」
 当時のカフジ鉱業所の従業員はおよそ千人であった。かつては遊牧民がラクダと羊を放牧するために訪れるだけで人間が定住していなかった土地カフジ。石油発見後に会社は電気と水を含む一切の設備を「無」から「有」で作り上げたのである。世界中の石油開発の現場はどこでも似たようなものであるが、サウジアラビアやクウェイト、アブダビなどペルシャ湾沿岸では石油会社が国家そのものを造ったと言っても過言ではない。

 カフジ鉱業所には沖合の石油生産施設の他、陸上には製油所が建設され、そこで生産されるディーゼルオイルを燃料とする発電所と造水プラントもある。砂漠では雨が全く降らないため飲み水は海水を蒸留して作らねばならない。すべてを自給するため多種多様なプラントが建設され、またそれらを維持補修するための工場と倉庫が設けられた。そして従業員とその家族が生活するための社宅がある。病院も自前であり、従業員の子弟のための幼稚園と小学校も併設された。医者、看護婦、教師等はすべて正社員である。

 というような訳でカフジ鉱業所には「水・電力部」、「地域開発部」、「教育部」、「病院部」等々普通の企業では考えられないような部署があった。毛色の変わったところでは寄港するタンカーに気象情報を提供するための測候所も設けられていた。シャマールと呼ばれる強い砂嵐が吹く時、タンカーは原油の積み込みを中止して沖合に退避しなければならない。そのための気象予報が欠かせないのである。

 このような種々雑多な仕事をこなす従業員の国籍も多彩であった。サウジアラビア人が多数を占めているが、日本人もトップの所長以下枢要な部署を占めていた。日本人の人数は従業員とその家族を含めると200人ほどであった。サウジアラビア人は開発と生産の現場に多く配属されていた。これは現地政府の意向であり、将来の国有化に備えて人材を育成するという本来の目的のほかに、石油生産と言う国の命運を左右する部門にエジプト人、パレスチナ人などのアラブ人を置くことを嫌ったためである。現地政府は基本的に自国民以外のアラブ人を信用せず警戒していた。

 一方、医者や教師は自国民に有資格者がいないためエジプト人やパレスチナ人を雇った。イスラムの掟により女性の就業が禁止されているため看護婦はフィリピン女性であった。その他機械の修理や補修には勤勉で腕の良い東南アジア出身者を使い、ゴミ収集、建設土木工事など酷暑の野外作業は暑さに強いインドやスリランカからの出稼ぎ労働者が雇われた。こうして現場は顔や肌の色、文化、宗教の入り混じったミニ多国籍社会を形作っていた。そのような中で誰の母国語でもない英語を唯一のコミュニケーション言語として日々の仕事をこなしていたのである。

 サウジアラビア政府は外国からやってくる出稼ぎ者を「ゲスト・ワーカー(客人労働者)」と呼ぶ。つまり外国人労働者は「客人」扱いなのである。それは「移民」とは意味が全く異なる。移民は定住労働者でありいずれ国籍を取得してその国の国民となるのが普通である。しかし「ゲスト・ワーカー」は数年の期限付きの労働ビザで働く出稼ぎ労働者である。彼らの身分は極めて不安定であり、雇い主がビザを更新しないと宣言すれば直ちに失業し帰国しなければならない。と言って祖国は就職難であり、何よりも祖国には本人からの送金を心待ちにしている父母兄弟がいる。結局彼らは今の仕事にしがみつく他ないのである。出稼ぎ者と雇い主の力関係はおのずと明らかであり、出稼ぎ者の権利を守る法律などありはしない。彼らは首を切られないようにただじっと我慢するだけである。

 「ゲスト・ワーカー」と呼ばれる出稼ぎ外国人に対し、彼らを雇い入れるサウジアラビアのような国は「ホスト・カントリー」と呼ばれる。呼び名こそ客(ゲスト)と主人(ホスト)であるが、それは絶対的な主従関係の世界である。ホストはゲストに一方的に命令し服従を強いる。まさに奴隷と主人の関係である。「ゲスト・ワーカー」と言う言葉の裏には計り知れない闇が見えるのである。そして「ゲスト・ワーカー」自身の心の中にも深い怨念が宿る。1990年のイラクによるクウェイト侵攻の時、クウェイトで働いていたパレスチナ人がその怨念を爆発させるのであるが、そのことについては改めて触れることになろう。

 筆者が所属した企画部は、部長以下日本人が3名とベテランのパレスチナ人1名、ヨルダン人2名。それに学校を出たばかりのクウェイト人1名と言う総勢7人の小さな部署であった。クウェイト人は学校を卒業したばかりで学力も経験も乏しかったが地元政府の命令で受け入れたものである。国籍の違い。「ゲスト」と「ホスト」と言う主従関係。ベテランと新入りの経験の差。それらの違いを乗り越えて一緒に働く、と言えば国際企業として美談である。確かに職場は和気あいあいとした雰囲気に包まれていた。しかしお互いの間に埋めようのない深い溝があったことも事実である。それを表に出さず日々の仕事をこなすことが暗黙のルールであった。

(続く)

これまでの連載
1. 消えゆくアラビア石油
2. 1976(昭和51)年 アラビア石油、中途採用す
3. 日本一の高収益会社
4. 1977(昭和52)年 胡蝶の夢の始まり
5. 70年代の石油開発業界
6. 悲願の石油精製進出
7. 7姉妹(セブン・シスターズ)とOPECのはざまで
8. 1979(昭和54)年、サウジアラビア現地に赴任
9. 1980(昭和55)年、対岸の火事:イラン・イラク戦争勃発


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