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(目次)
第4章:中東の戦争と平和(21)
107 イラン・イスラム革命(2/3)
白色革命によって最も影響を蒙ったのが都市のバザール(市場)商人であり、或いはイスラーム聖職者たちの宗教勢力であった。イスラームの預言者ムハンマドが隊商のリーダーであったこともありイスラームでは商人階層と宗教階層は相性が良い。中東の商人の力は侮りがたい。商人たちと聖職者は協力してシャー体制に抵抗した。抵抗運動に対して皇帝は彼らを容赦なく投獄或いは国外追放した。宗教指導者のホメイニ師も国外に追放され、パリから抵抗運動を指導した。
1978年、ホメイニ師に対する中傷記事をきっかけに聖地コムで暴動が発生、それを弾圧する政府に抗議しイスラム国家の樹立を叫ぶデモが燎原の火のごとくイラン全土に波及した。1979年1月、ついに皇帝シャーは国外に退去し、入れ替わりにホメイニ師がパリから帰国、ついにイスラム革命が成功したのである。
同年4月、国民投票によりイスラーム共和国の樹立が宣言された。ホメイニ師が提唱した「法学者の統治(ベラヤット・ファギー)」が国家体制の基礎とされた。イスラーム近代社会で初めて宗教国家が成立したのである。ベラヤット・ファギーとはイランのイスラーム信者の多数を占めるシーア派十二イマーム派特有の法理論であり、ムハンマドの死後その教えを引き継ぐ宗教指導者イマームが十二代目で途絶え(イマームはお隠れになった)、いずれの日かマハディ(救世主)が現れるまで、イスラーム指導者がマハディに代わって世の中を治めるとする理論であり、宗教支配を正当化することである。こうしてイランは世界でも稀な宗教国家となったのである。
(続く)
荒葉 一也
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