石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

減少に転じた埋蔵量:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ(石油+天然ガス篇12)

2016-10-05 | BP統計

(注)本レポートは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。

http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0389BpOilGas2016.pdf

 

(重みを増すアジア・大洋州!)

(4)地域別の消費量の推移(1990年~2015年)

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/3-3-G03.pdf 参照)

 全世界の消費量に占める地域別の割合の推移を見ると1990年は欧州・ユーラシアが世界全体の40%を占めて最も多く、次いで北米が31%、アジア・大洋州が16%を占め、その他の地域(中南米、中東及びアフリカ)は13%であった。欧州・ユーラシアと北米を合わせた欧米先進国だけで全世界の4分の3近くの石油・天然ガスを消費しており、これに新興国家が多いアジア・大洋州を加えると9割近くに達する。

 

 その後欧州・ユーラシア地域の消費量は緩やかに減退し1990年代半ば以降は36百万B/D前後で推移し、さらにここ数年減少傾向にあり、2015年は3,567万B/Dにとどまっている。これに対し1990年に16百万B/Dであったアジア・大洋州の消費量は年々上昇し、2011年には北米、欧州・ユーラシアを抜き去り、2015年には4,453万B/Dに達し世界で最も多く石油・天然ガスを消費する地域となっている。

 

 2015年の地域別割合はアジア・大洋州が29%、次いで北米26%、欧州・ユーラシア23%であり、これら3地域で世界の石油・天然ガス消費量の8割弱を占めている。かつて1990年には13%しかなかった中東、南米およびアフリカ地域のシェアは22%に大幅に増加しており、発展途上国のエネルギーの消費が拡大していることがわかる。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースピックアップ:世界のメディアから(10月5日)

2016-10-05 | 今日のニュース

・アブダビ国営石油(ADNOC)、ADMA-OPCOとZakum両事業を2018年までに統合。 *

・イラン政府、条件緩和の新方式石油開発契約を国内業者と締結。今後外国企業とも

 

*ADMA-OPCOおよびZakumにはJODCO(国際石油開発帝石関連会社)が権益を保有している。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(40)

2016-10-05 | 中東諸国の動向
第5章:二つのこよみ(西暦とヒジュラ暦)
 
4.うっぷん晴らしとしっぺ返しの悲劇
 前章でイラクはクウェイト進攻により全世界を敵に回したと書いたが、厳密に言えば進攻直後に開催されたアラブ首脳会議でヨルダンを含むいくつかの国はイラク寄りの姿勢を採ったのである。「イスラエルのパレスチナ侵略を容認しながら、イラクのクウェイト併合を非難するのは矛盾している」とするフセイン大統領の主張、いわゆるリンケージ論が一部のアラブ諸国の琴線に触れたのである。ヨルダンの場合、市場価格を大幅に下回る価格でイラクから石油の供給を受けており貧乏な小国ヨルダンはイラクに頭が上がらなかったと言う事情もあった。
 
 巧妙なフセイン大統領はイスラエルに対して18回にわたりミサイル攻撃を仕掛けた。イラン・イラク戦争のどさくさにイスラエルが自国のオシラク原子力発電所を爆撃したことに対する報復措置というのが国民に対する説明であったが、イスラエルを挑発して戦争に巻き込もうとするのが彼の狙いであった。自衛のためなら先制攻撃も辞さないイスラエルがイラクのミサイル攻撃に黙っているわけはない。実際イスラエル世論は対イラク戦争への参戦一色に染まった。
 
 それこそフセインの思う壺だった。イスラエルが参戦すれば過去の4度にわたる中東戦争の図式が再現され、イラクの一方的な侵略戦争はアラブ・イスラーム対ユダヤという民族戦争に一変する。この戦争でサウジアラビアは米国など西欧キリスト教諸国を中心とする多国籍軍に駐留を認めており国内外のイスラーム宗教勢力から批判を受けていた。もしイスラエルが参戦すればサウジアラビアを含むアラブ諸国は苦しい立場に立たされることになるのであった。
 
 米国は必死になってイスラエルを説得し反撃を思いとどまらせた。もし(歴史に「もし」は禁句であるが)イスラエルが参戦していればフセイン政権は間違いなく倒れていたであろう。敵の息の根を止めるまで戦いを止めないのがイスラエルの戦略である。その結果中東は大混乱に陥ることも間違いない。しかし当時の米国はサウジアラビアなどの湾岸アラブ産油国を自陣営に引き留めておく必要があった。イランに加えてアラブ諸国まで敵に回すのは何としても避けたかった。
 
 イスラエルに対するイラクのミサイル攻撃を大歓迎したのはイスラエル占領地のパレスチナ人であり或いはヨルダンに住むパレスチナ難民たちであった。アラブ各国の首脳は口を開けば「イスラエルを地中海に追い落とせ」と威勢の良いことを言うが、実際に行動に踏み切った為政者はイラクのフセインただ一人だった。フセインなら本当に自分たちの夢を実現してくれるかもしれないという幻想にパレスチナ人たちが取りつかれたのも無理のないことだった。彼らはフセイン支持を声高に叫び日頃のうっ憤を晴らしたのであった。
 
 声に出さないまでも心の中で快哉を叫んだパレスチナ人もいた。クウェイトに出稼ぎに来ていた者たちである。まともに仕事もできずただ傲慢なだけのクウェイト人に奴隷のようにこき使われていた出稼ぎの彼らは、イラク軍に攻め込まれ、慌てふためいて隣国サウジアラビアに逃げ込んだクウェイト人たちを見て留飲を下げた。そして次にイスラエルがミサイル攻撃を受けたとき、米国に押しとどめられてイスラエルが反撃できないことを知り、ひょっとすればフセインが自分たちの祖国を取り戻してくれるのではないかという期待に胸を膨らませたのであった。
 
 しかしフセインの野望も、そしてパレスチナ人たちの期待も所詮は邯鄲(かんたん)の夢であった。半年後にクウェイトは解放された(湾岸戦争)。しかしイラクは撤退の置き土産に油田地帯に火を放った。クウェイトの砂漠に真っ赤な炎が立ち昇りあたりには原油の黒い飛沫が飛び散った。クウェイトの上空は黒煙に包まれ、昼なお薄暗い日々が続いたのであった。
 
 ジャービル首長などサバーハ家王族は亡命先のサウジアラビアから舞い戻り、クウェイトは落ち着きを取り戻した。彼らは解放に力を貸してくれた米国をはじめとする多国籍軍の派遣国に深く感謝した。そのために新聞の全面広告も出た。そこにはパキスタン、スーダンなど多国籍軍に参加した国の名はあったが、軍隊を派遣できずその代わりに1兆円という巨額の支援金を拠出しただけの日本の名は無かった。
 
 一方、クウェイトはフセインを支持した者を許さなかった。政府はパレスチナ人とヨルダン人全員を国外追放処分にした。国境の南にあった日本人が操業する石油基地もクウェイトが50%を握っていたためその対象となった。パレスチナ人たちのうっぷん晴らしに対するクウェイト側のしっぺ返しである。しかしクウェイトの行政と経済を下支えしていた彼らを追放すればどうなるかは日の目を見るより明らかだった。クウェイトの受けた傷は深く、それは四半世紀後の今も癒えていない。
 
(続く)
 
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 荒葉一也
 E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp
 Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする