Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(162)

2016-02-24 00:10:00 | コラム
芥川龍之介の短編に『芋粥』というのがある。

下級貴族の主人公はガキのころから「芋粥をたらふく食べてみたい」という夢を抱いていて、



実際にその夢が叶えられることになったが、大量の芋粥を前にして「喰う前に満腹感」が訪れてしまった、、、というオチ。

想像している時間こそ最高! ってなものだろうか。

少しちがうが、三島の『金閣寺』だって広義の意味で捉えれば似たテーマを扱っているとはいえまいか。

主人公は「想像していた金閣寺とちがう!」とショックを受けて燃やそうとしたわけでしょう。


残念ながら・・・といっていいのか、想像より「よかった」と思えるモノ・事象って意外と少ないような気がする。

女体のあたたかみ。
我慢して我慢して我慢したあとの脱糞。

くらいですよ、個人的には、はっきりいって。

では「その大半」に失望したのかというと、そういうわけでもなく、「こんなものか」「こんなものだろう」という「がっかり」感ではなく「やっぱり」感を抱いたと。

「やっぱり」感で充分だと思うわけですよ。
目の前にあるものに失望するより、自分の想像力がすごかった「だけ」と思うほうが、なんか自分に他者に社会に優しいと思わない?


唐突だがマクドナルドが好きである。
(トップ画像は、台湾のマクドナルド。かわいい!!)

身体によくないとかいわれているし、ナゲット問題の余波もあって売り上げの落ち込みが止まらないらしいが、味が好きなので気にせずバクバク食べつづけている。

バーガー類も好きだが、ポテトがいちばん好きかもしれない。

あの、いかにも身体に悪そうな「安っぽい」感じ。
あれがいいんだ。

ケンタッキーの太いやつのほうが「芋!」って感じはする。
モスバーガーのほうが「上品」でよい油を使っているだろうから健康的。

けれども、自分は芋を食べたいわけじゃない。
マックのポテトが食べたいんだ。
あれはもはや、「ジャガイモを食べやすい大きさに切って、油で揚げた料理」(ウィキペディア)ではなく、マックポテトというオリジナルの料理なんだと思う。

自分は健康志向じゃない。
不健康であることを自覚したうえで、マックのポテトをバケツ買いしたいんだ。

芸能人だったら、マックのCM決定だろうね。


※へー!!
知らなかった、2006年のマックのCMに、ももクロ・しおりん(黄色)が出ている





そんな自分は、マクドナルド歴24年。
現在42歳、マックは自分が生まれる前の「71年」に日本進出したのだから、歴はそれほど長くない。

なぜかって、そりゃあ群馬の館林出身だからね。
ケンタッキーもモスバーガーもミスタードーナツもあったのに、なぜかマクドナルドがなかった。

だから自分は、18歳の春までマックのポテトを食べたことがなかったのである。

というわけで今回の初体験シリーズは、「生まれて初めてマクドナルドに行った日」でいってみよう。

はっきりと覚えてますよ、そりゃあね。年号? まで。

92年、3月12日のことだった―。


つづく。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(163)』
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「ありがとう」のことばこそ相応しい―と、脚本家チャイエフスキーはいった

2016-02-23 07:04:54 | コラム
~オスカー予想、最終修正版~

本年度の米オスカー賞が、日本時間の来週月曜に迫った。

というわけで、約1ヶ月前の予想を「若干」修正した最終版を展開していきたい。


人種・性別問題などで揺れているオスカーだが、ここにきてスピーチ問題も浮上。
協会は「Aさんに感謝、Bさんにも感謝、もちろんCさんにも感謝」という退屈なスピーチによる視聴率低下を防ぐため、

「感謝したいひとのリスト」の提出を義務づけ、

受賞した場合、そのリストが画面上にテロップ表示されるようにするという。

なるほど、いろいろ大変だな。

たしかに関係者の名前の羅列より、インパクトを伴った感動的なスピーチのほうが記憶に残る。

ルイーズ・フレッチャーの手話スピーチとか。
ダスティン・ホフマンの、ほかの候補者に対する気遣いとか。

しかしいっぽうで。
政治的発言により、会場がブーイングに包まれたこともあって。

ヴァネッサ・レッドグレーブが「シオニスト」に対して批判的な発言をしたとき、脚本家チャイエフスキーは「脚本賞はまだだが、いまいわないと後悔するから」と壇上に上がり、こういってのけた。

「―あくまでも個人的な意見だが。公私混同する連中にはウンザリだ。ミス・レッドグレーブの受賞は些細なことである。政治的発言より、感謝のことばこそ相応しい」

だよねー!!

概ね賛成。
しかし、こころのどこかでハプニングみたいなことが起これ!! と思っている自分も居て。


世界中が注目する映画の祭典だもの、安全運転もいいが、多くのひとのこころに刺さり、記憶に残るような言動がひとつでもいいから見たいな聞きたいな・・・というのが、映画小僧の本音でもあるのだった。


※作品賞に『マッドマックス』(トップ画像)、主演男優賞にレオくんが輝けば、少なくとも自分にとっては記憶に残る祭典になるのだが・・・後者は可能性が高く、前者は難しいかな。

でも取って!!





◎…自分の予想
○…一般的な、最有力
△…一般的な、第二候補

■作品賞
『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
『ブリッジ・オブ・スパイ』
『ブルックリン』
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』◎
『オデッセイ』
『レヴェナント:蘇えりし者』○
『ルーム』
『スポットライト 世紀のスクープ』△

■監督賞 
アダム・マッケイ 『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
ジョージ・ミラー 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』◎○
アレハンドロ・G・イニャリトゥ 『レヴェナント:蘇えりし者』
レニー・アブラハムソン 『ルーム』
トム・マッカーシー 『スポットライト 世紀のスクープ』△

■主演男優賞 
ブライアン・クランストン 『トランボ』
レオナルド・ディカプリオ 『レヴェナント:蘇えりし者』◎
マイケル・ファスベンダー 『スティーブ・ジョブズ』○
エディ・レッドメイン 『リリーのすべて』
マット・デイモン 『オデッセイ』△

■主演女優賞 
ケイト・ブランシェット 『キャロル』
ブリー・ラーソン 『ルーム』◎△
シアーシャ・ローナン 『ブルックリン』○
シャーロット・ランプリング 『さざなみ』
ジェニファー・ローレンス 『ジョイ』

■助演男優賞 
クリスチャン・ベイル 『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
トム・ハーディ 『レヴェナント:蘇えりし者』
マーク・ラファロ 『スポットライト 世紀のスクープ』○
マーク・ライランス 『ブリッジ・オブ・スパイ』
シルヴェスター・スタローン 『クリード チャンプを継ぐ男』◎△

■助演女優賞 
ジェニファー・ジェイソン・リー 『ヘイトフル・エイト』◎○
アリシア・ヴィキャンデル 『リリーのすべて』
レイチェル・マクアダムス 『スポットライト 世紀のスクープ』
ルーニー・マーラ 『キャロル』△
ケイト・ウィンスレット 『スティーブ・ジョブズ』

■長編アニメ映画賞 
『思い出のマーニー』
『インサイド・ヘッド』◎○
『アノマリサ』
『映画 ひつじのショーン ~バック・トゥ・ザ・ホーム~』△
『父を探して』

■脚本賞
マット・シャルマン、イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン 『ブリッジ・オブ・スパイ』◎○
アレックス・ガーランド 『エクス・マキナ』
ピート・ドクター、メグ・レフォーヴ、ジョシュ・クーリー、ロニー・デル・カルメン 『インサイド・ヘッド』
ジョシュ・シンガー、トム・マッカーシー 『スポットライト 世紀のスクープ』△
ジョナサン・ハーマン、アンドレア・ベルロフ、S・レイ・サヴィッジ、アラン・ウェンカス 『ストレイト・アウタ・コンプトン』

■脚色賞
チャールズ・ランドルフ、アダム・マッケイ 『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
ニック・ホーンビィ 『ブルックリン』
フィリス・ナギー 『キャロル』◎○
ドリュー・ゴダード 『オデッセイ』
エマ・ドナヒュー 『ルーム』△

■撮影賞
エド・ラックマン 『キャロル』
ロバート・リチャードソン 『ヘイトフル・エイト』△
ジョン・シール 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
エマニュエル・ルベツキ 『レヴェナント:蘇えりし者』◎○
ロジャー・ディーキンス 『ボーダーライン』

■編集賞
マーガレット・シクセル 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』△
スティーヴン・ミリオン 『レヴェナント:蘇えりし者』◎○
トム・マカードル 『スポットライト 世紀のスクープ』
ハンク・コーウィン 『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
メアリー・ジョー・マーキー&メリアン・ブランドン 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』

■美術賞
アダム・ストックハウゼン、リナ・デンジェロ、ベルンハルト・ヘーンリヒ 『ブリッジ・オブ・スパイ』
イヴ・スチュワート、マイケル・スタンディッシュ 『リリーのすべて』
コリン・ギブソン、リサ・トンプソン 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
アーサー・マックス、セリア・ボバク 『オデッセイ』○
ジャック・フィスク、ハミッシュ・パーディ 『レヴェナント:蘇えりし者』◎△

■メイク・ヘアスタイリング賞
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』◎△
『100歳の華麗なる冒険』
『レヴェナント:蘇えりし者』○

■衣装デザイン賞
サンディ・パウエル 『キャロル』◎△
サンディ・パウエル 『シンデレラ』
パコ・デルガド 『リリーのすべて』
ジェニー・ビーヴァン 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
ジャクリーン・ウェスト 『レヴェナント:蘇えりし者』○

■視覚効果賞
『エクス・マキナ』
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』◎○
『オデッセイ』
『レヴェナント:蘇えりし者』
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』△

■歌曲賞 
「Eanrned It」 『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』
「Manta Ray」 『レイシング・エクスティンクション』○
「Simpie Song #3」 『ユース』
「Til It Happens to You」 『ザ・ハンティング・グラウンド』◎
「Writing’s On The Wall」 『007 スペクター』△

■作曲賞
トーマス・ニューマン 『ブリッジ・オブ・スパイ』
カーター・バーウェル 『キャロル』△
エンニオ・モリコーネ 『ヘイトフル・エイト』◎○
ヨハン・ヨハンソン 『ボーダーライン』
ジョン・ウィリアムズ 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』

■音響編集賞
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』◎○
『オデッセイ』△
『レヴェナント:蘇えりし者』
『ボーダーライン』
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』

■録音賞
『ブリッジ・オブ・スパイ』
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』◎○
『オデッセイ』
『レヴェナント:蘇えりし者』
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』△

■外国語映画賞 
『エンブレイス・オブ・ザ・サーペント』(コロンビア)
『裸足の季節』(フランス)○
『サウルの息子』(ハンガリー)◎
『ディーブ』(ヨルダン)△
『ア・ウォー』(デンマーク)

■長編ドキュメンタリー賞
『エイミー』△
『カーテル・ランド』
『ルック・オブ・サイレンス』◎○
『ニーナ・シモン ~魂の歌』
『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への闘い』

■短編ドキュメンタリー賞
『ボディ・チーム 12』
『チョウ、ビヨンド・ザ・ラインズ』
『クロード・ランズマン:スペクターズ・オブ・ザ・ショア』○
『ア・ガール・イン・ザ・リヴァー:ザ・プライス・オブ・フォーギブネス』◎
『ラスト・デイ・オブ・フリーダム』△

■短編アニメ映画賞
『ベアー・ストーリー』◎○
『プロローグ』
『サンジャイズ・スーパー・チーム』△
『ウィー・キャント・リブ・ウィズアウト・コスモス』
『ワールド・オブ・トゥモロー』

■短編実写映画賞
『アヴェ・マリア』◎○
『デイ・ワン』
『エヴリシング・ウィル・ビー・オーケイ』△
『ショク』
『スタッター』

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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(162)』
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乾燥肌は指紋も取り難い

2016-02-22 00:10:00 | コラム
先日の『マツコ有吉の怒り新党』(テレビ朝日)の視聴者投稿で、

「上司が書類などに唾をつけてめくるのがイヤ」というのがあった。



分かる分かる。
自分も学生のころ、担任が「唾をつけて」わら半紙を配ることが、ほんとうにほんとうに不愉快だったもの。

しかし。
番組でマツコもいっていたように、加齢によって徐々に潤いがなくなっていくものであり。
しかも自分は乾燥肌気味なので、30代前半のころにはすでにスーパーの袋などを「1枚だけ」取ることが難儀になっていた。

最近は親切にも、おしぼり(の、ようなもの)を置いてくれるスーパーが増えてありがたいよね、
しかしあれも閉店前などに行くと「湿りっけ」がまったくなくなり、かっぴかぴの状態になっていることもあって苦労するのだった。


自分の身体にコンプレックスがあるとするならば、まぁちんちんもそうだが笑いに出来るからね、
なかなか笑いに出来ないものとしては、この乾燥肌を挙げることになるだろう。

そーとー大量に保湿クリームを塗ってみても、カッサカサカの肌がそれを吸い取ってしまうので、なかなか潤わない。

これほどまでに? 女子が好きなのに、乾燥度が120%を超える冬の時期だけは、ややオクテ気味になってしまう。

レジなどで女子店員と手が触れ合うのを躊躇する。
デートしてたとしても、手をつなぐのを拒否しがち。

すべすべの肌を汚すようで、とても落ち込んでしまうのだよなぁ。。。


さて。
そんな自分は、いまでこそ「法的には」罪を犯してはおらず、市井の民を気取って? はいるものの、そこそこのワルガキであったことは本ブログでも度々記してきた。

重罪はないが、軽犯罪ならいくつか。
残念ながら成人後も警察の世話になったことがあり、約20年前だが、こんな経験をしたことがある。

警察署にて指紋登録「させられた」際、マシーンが自分の指紋を読み取ることが出来なかったのだ。

警官A「なにこの、ガサガサ具合は。なんの仕事やってんのさ?」
警官B「これじゃ、話が先に進まない。おい、ハンドクリーム塗ってあげな」
警官A「(ハンドクリームを塗りながら)俺はソープ嬢じゃないんだからさ、なんで汚ぇ犯罪者の手にクリーム塗らなきゃならないんだよ。こんなことするために、警官やっているんじゃない」

ごもっとも。

このクリームのおかげで、なんとか指紋を読み取ることが出来た。

その後、2時間ほど取調べを受けたが、正直、こころここにあらずだった。

ややヤケクソになっていたのもあるが・・・
捕まったことよりも、マシーンでさえ自分の指紋を読み込めなかったことのほうが、なんだか悲しかったのだ―。


だから・・・というのもおかしいが、皆さん(法的に)悪いことはしないで、毎日ちゃんと生きましょうね。


※perfumeの3人の手は、もちろんすべすべである




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シネマしりとり「薀蓄篇」(156)

2016-02-21 00:10:00 | コラム
むかしむか「し」→「し」ねふぃる(シネフィル)

シネフィルとは、簡単にいえば映画通のこと。

「映画を愛する」のフランス語版「造語」。

自分?

いえいえ、シネフィルではありません。
あくまでも映画小僧であり、少し気取っていえば「見巧者」。

えらそう?

すんませんね、このことに関してだけは自尊心があるので。

ほかのことに関しては、ゼロだけど。


「一般的」な話をすると、シネフィルは少しインテリのにおいがする。

映画を「心底」愛していることは共通しているけれど、

QTタランティーノはシネフィルじゃない、いうなれば映画オタク・・・訂正、質のいい映画オタク、
わが神スコセッシは「どう考えても」シネフィル、いや映画の福音を伝える伝道師かもしれない、
ゴダールは正統派ではないがシネフィル、
映画を「知り尽くしている」ように見える、コーエン兄弟こそ正統派のシネフィル、
黒澤はそうじゃないけど、オオシマは日本を代表して映画史を創ったくらいなのでシネフィル、

北野武は「映画なんか、ぜんぜん観ていない」と発言したことがあるが、あれは照れ隠し、彼の映画を観れば、彼がどれだけ映画を愛していて、映画をきっちり観てきたかが分かる。



でもシネフィルじゃないかな、自分と同じ映画小僧かも。

・・・といったら、やっぱり自分はえらそうだね苦笑


作家・阿部和重と映画監督・青山真治の対談を、ずいぶん前に読んだ。

ともにシネフィルのにおいが漂うインテリ系だが、そのなかでこんなやりとりがあったと記憶する。

「そんなこといって、シネフィルだなぁ!」
「ボクはシネフィルじゃないですよ」

そうなんだ。
どうやらわが国では、シネフィルは「ちょっと、恥ずかしいこと」とされているのだった。


なぜだろうね、世界的には「博士号」のような栄誉のはずなのに。
CSのチャンネルでも「シネフィル・イマジカ」というのがあるくらい、なのに。

自分がシネフィルであることを否定したのは、謙遜・・・ではない。
やっぱりどこか、恥ずかしさがあったから。

理由は自分でも、きちんと説明出来ないのだけれども。

一部の作家が「先生!」と呼ばれるのを強く拒否する感覚―ひょっとしたら、それにちかいのかもしれない。

なんとなく、なんとなくだけれども、「権威」というものがちらついて見えるからかな。

そういうものとは無縁でいたい、その表れが「シネフィルじゃないよ!」ともいえる。


映画小僧を名乗ったほうが気楽でいいもの。
映画について語っておいて、それで小銭もらっておいて、ちょっと無責任かもしれないが、無責任であるがゆえにいえることだってあると思うのだよね。

シネフィルを名乗ってしまったら、そうもいかない。
蓮実重彦のような発言をしなくちゃならない。



(そうだ蓮実重彦こそ、どこからどう見てもシネフィルじゃないか!!)


映画監督の崔洋一が、かつてこんな発言をしたことがある。

「―このくらいの理屈がこの映画だよ、、、というのがあって。それをなぞられたってさ、面白くもなんともないよ」


少なくとも日本では、それをなぞろうとするのがシネフィルだ、、、みたいな認識がある(ように思う)。
世界的には(たぶん)間違った認識なのだろうが、ここを変えないかぎり「シネフィルじゃない!」と強調する「シネフィルもどき」は減らないと思う。

もちろん、自分を含めての話です。






次回のしりとりは・・・
しねふぃ「る」→「る」ーじゅ。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(155)

2016-02-20 00:30:00 | コラム
ぷろぐら「む」→「む」かしむかし

「A long time ago in a galaxy far,far away....」

これは、『スターウォーズ』シリーズ(77~)の、あまりにも、あまりにも有名なオープニング・クレジット。




簡単に訳せば・・・

「昔むかし、遥か銀河の彼方で・・・・」

・・・となる。

このシリーズを観ていないひとのなかには「未来の話」と思い込んでいるひと―も居るらしいのだけれど、これは昔話。


宇宙を舞台とする映画で「過去」を描いたものは少ない、
逆に、宇宙でないところ―つまり地球上を舞台とする映画は、その半数以上が昔話といっていい。

あくまでも、「近過去」を含めての話だけれど。

登場人物による回想は「その象徴」であり、映画とは、いや、物語るということは基本的に「昔話を展開すること」と同意なのだよね。

タイトルがそのものずばりなのは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84…トップ画像)。

簡単に訳せば「かつてのアメリカ」。

昔話を聞かせるというスタイルで展開するのは、『シザーハンズ』(90)。

対峙する人物に過去の出来事を語って聞かせるスタイルは多い。

司祭に告白する『アマデウス』(84)、
刑事に自供する『ユージュアル・サスペクツ』(95)、
同じく自供する『羅生門』(50)、
バス停留所で居合わせたひとに語る『フォレスト・ガンプ』(94)、
老婆が中年女性を励ますために話した『フライド・グリーン・トマト』(91)などなど。

よく出来ているなぁと感心させられる映画は大抵、話しているほうに重きを置いている「ふりをして」、じつは聞き手の「心情の変化」を描いている。

「神は平等」といった司祭に食ってかかるサリエリは、モーツァルトとの確執を話し司祭の自意識を揺さぶる。
老婆の話に元気と勇気をもらった中年女性は私生活も変わり、夫婦の関係が「大」逆転する。

これですよ、これ。
本来の昔話には寓話の要素も多分に含まれているのだから、こうした構造が理想的。

・・・とも、いえないのが物語ることの難しさでもあったり。

そう、極めて稀なケースではあるものの、その昔話から「なにも生まれない」ことだってある。

ただ、その昔話も「なにも生まれない」という結果から不条理っぽいテーマが浮かび上がるわけで、だから「なにも生まれない」ではあるものの、「意味がない」ことにはならない。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』なんて、まさにそうじゃない?

多くの血が流れて、いまがある―みたいな読みかたも出来るが、いやいやそれより、観たあとの不思議な感慨は、なんというか、「あぁ無常」ということばが相応しくないか?

ラストのデ・ニーロの泣き笑いを観ていると、ほんとうにそう思う。


いずれにせよ。
昔話は、単純なようでいて深い。

自分は昔話でいうと、(群馬出身だから)『分福茶釜』を挙げたいところだが、そうではなく『耳なし芳一』が好き。

特殊能力を持った男が、殺されそうになる物語だった。

「ほぼ全身」に般若心経を書いた芳一を想像してゾクゾクしつつも、どうか殺されませんようにと祈りながら読んだ。

ガキのころに読んだだけなので細かいことは忘れてしまったが、琵琶法師として成功した結末にホッとした読後感だけは覚えている。


「昔むかし―」で始まる物語は、そのほとんどが「めでたし、めでたし」で終わる。

もちろんバッドエンディングなものもあるが、それは、映画の世界でも変わらない。


こんな自分でも思いますよ、いつか、少年少女が寝るのを惜しんでまで先が知りたくなるような、そんな昔話を綴ってみたいって。


あすのしりとりは・・・
むかしむか「し」→「し」ねふぃる。

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『シネマしりとり「薀蓄篇」(156)』
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