工作台の休日

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食欲の秋だから・・・食堂車とお酒の話

2019年11月10日 | 鉄道・鉄道模型
 このブログをお読みの方なら何となく気づかれているとは思いますが、わたくし、美味しいものを食べるのが好きな人間です。休日に自分で料理を作ることもありますし、旅先で美味しいものに出会うと幸せな気分になれます。そんなこともありまして、鉄道趣味のジャンルとしてあるかどうかはともかく、食堂車(とそこで供される料理)は以前から関心を持っておりました。秋と言うよりは晩秋に近い今日この頃ですが、食堂車に関する話を何回かに分けていたしたいと思います。
 
 明治の初めに開業した鉄道も、路線が整備されていくにつれ、長距離を走る列車も登場しました。こうなりますと長時間乗車する乗客の胃袋を満たす必要も出てきます。いわゆる鉄道国有化以前の明治の私鉄各線で既に食堂車が登場しておりますし、官設鉄道でも食堂車が連結されております。食堂車は当時としては本格的なコース料理を供する洋食堂車と、和食や一品料理を提供する和食堂車がありました。
 大正期のメニューを見ますと、ビーフステーキやチキンカツレツといったおなじみの料理や今となっては何だろう?という感じのガランデンという料理も出ています。しかし、それよりも興味をひいたのは、食堂車で提供される飲料でした。ビールは国産のものが黒ビールも含めてあったようですし、英国産のスタウト(ギネスといった方が通りがよさそうですね)も提供されています。フランス産の葡萄酒が赤、白ともにあったということで、当時はまだ飲みやすくするために甘く味付けした「甘味果実酒」も広く飲まれていた時代ですから、本格的な葡萄酒が積まれていたのですね。当然、日本酒、ウイスキー等もあったほか、高価なシャンパンもあったようです。
 驚いたのはこういったお酒の中に、ベルモットやペパーミント(のリキュール)、ジンなども含まれていたことです。ベルモットというとなじみが薄いかもしれませんが、チンザノやマルティーニといったブランドを聞いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。食前酒として、また他のお酒などと割るために西洋では広く飲まれていました。当時の洋食堂車は1等、2等の乗客のためにあったようなものですから、こういったお酒の味を知る乗客たちもいたのでしょう。当時、質の高い西洋料理とさまざまな洋酒を提供できるのは一流のホテルくらいでしょうから、列車の食堂もそれに負けないものを目指していたことがうかがえます。
 大正14年の記録では、食堂車ではビールが圧倒的に飲まれていましたが、ウイスキーも随分消費されていたようですし、炭酸水の需要もかなりあったようです。お酒を割るために使ったのか、そのまま飲んだのかは定かでありませんが、食事のお伴をこういった飲料が務めていたわけです。いわゆるソフトドリンクではサイダーも人気があったようです。昭和の時代までは洋食とウイスキーという組み合わせも見かけましたね。葡萄酒が一般にも飲まれるようになったのはだいぶ時代が下ってからとなります。
 昭和初期に超特急「燕」が運転された時のメニューにも、ベルモットやペパーミントといったメニューが出ていますので、それなりに需要があったのでしょう。やがて戦時色が濃くなり、食料はもちろんのこと、飲料についても厳しい統制下に置かれました。美味しい食事とお酒を友としていた方たちにとっては厳しい日々だったことと思います。
 
 第二次大戦後、特急運転が復活し、食堂車も連結されました。葡萄酒はなく、食前酒やリキュールもさすがに消えていますが、炭酸水は急行列車などにも積み込まれていました。近年、炭酸水は各社から発売されて人気を得ていますが、一時期はお酒の売り場に少し置いてあるか、輸入物のペリエなどを見かける程度でした。列車の食堂では長らく提供されていたようで、業務用のものだったと思われますが、どんなブランドのものがあったのかなど、調べてみたくなります。
 昭和30年代の151系こだま型のビュッフェメニューではマンハッタンやマティーニといったカクテル類が提供されていますし、ハイボールも提供されています。これは新幹線開業後も変わらず、特に帝国ホテルの列車食堂では(実際どれくらいの注文があったかはわかりませんが)カクテルの種類もジンベースだったり、ウイスキーベースだったりとかなり増えています。日本食堂の東海道新幹線食堂車のメニューでは、ビールは一般的な淡色のものとギネススタウトと表記があるので、相変わらず黒いギネスも提供されていました。葡萄酒は国産のロゼが載っている程度です。お酒と言うと1970年代までは、ビール、日本酒、ウイスキーが占めていたということでしょう。青函トンネル開通後に登場した「北斗星」、「トワイライトエクスプレス」、「カシオペア」では、本格的なフランス料理のコース料理が提供されていましたので、当然葡萄酒も各種用意されました。この頃になりますと、ボージョレ・ヌーヴォー解禁が日本でもちょっとしたイベントになるなど、葡萄酒がなじみ深いものになっていました。そうそう、北斗星で提供されていた葡萄酒というのが一時期JR系列の鉄道グッズのお店で販売されていましたね。

 私は残念ながら車輛の現役時代に間に合いませんでしたが、サロンカーと言われたオシ16型のカウンターでお酒をいただき、そのまま寝台車で一夜を過ごしてみたかったものです。現在では各社がお酒を含め、食事を楽しめる観光列車を各種デビューさせており、そういった列車にも興味がありますが、やはり定期列車の食堂車というのは、日常とつながっているような非日常のような魅力があり、そこで食べたり、飲んだりすることが楽しいのです。

 本稿の執筆にあたっては「食堂車の明治・大正・昭和(かわぐち つとむ著 グランプリ出版)」、「RMライブラリー150 日本の食堂車」を参考にしました。

 
 
 
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