工作台の休日

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イタリア映画祭2024から

2024年05月14日 | ときどき映画
 先日、潜水艦コマンダンテの話を書きましたが、イタリア映画祭では他にもいくつかの作品を観てまいりました。子育てや仕事を言い訳に、このところイタリア語の学習もだいぶおろそかになっていますので、せめてイタリア語の映画を見て感覚を取り戻せたらというのもあります。
 私が映画祭で観た作品は5本と、ここ数年に比べだいぶ多かったのですが、それだけ観たい作品が集まったのと、コロナ禍が明けて、あちらの映画製作もだいぶ元気になっているというところでしょうか。「潜水艦コマンダンテ」のあと、私が観た4作品を観た順に記していきます。
(タイトル画像は「まだ明日がある」)
1 「ヴォラーレ」
 名女優・マルゲリータ・ブイが初めて監督を務め、主演した作品です。飛行機恐怖症ゆえに海外での仕事をフイにした女優が主人公で、女優として成功したい、という思いと、海外に留学予定の娘のことが気になり、航空会社が主催する恐怖を克服するセミナーに参加して・・・というのがあらすじです。実際にブイ自身が極度の飛行機嫌いで、そういったセミナーに参加した経験がもとになっているとか。数年前の映画祭のガイドブックにも本人の飛行機恐怖症のことが出ていました。セミナーの参加者もさまざまで、エピソードを少々詰め込み過ぎた感もありましたが、そこは本人の演技で救われているように感じました、などと書いたら本作品のセミナー受講者の一人である「必ず否定から入る映画評論家」みたいですね。私も他人のことをどうこう言えません。私も高所恐怖症なところがあって、飛行機好きとは言いながらも鉄道で行ける場所は鉄道で行き、どうしても飛行機でないと行けない場合のみ、飛行機を利用するという人間なのです。この映画、アンナ・ボナユート扮する芸能事務所の女社長のやり手ぶりも見ものです。イタリアのベテラン女優さんってみんな個性が強くて印象に残る演技をしています。

2 「別の世界」
 リカルド・ミラーニ監督の作品には「はずれ」がなく、誰もが楽しめるコメディーを作っています。本作はローマから車で2時間ほど、アブルッツォ州の寒村が舞台です。ローマでの教員生活に疲れ、地方勤務の願いがかなったベテラン教師(アントニオ・アルバネーゼ)ですが、山の集落には都会にはない「別の世界」が待っていました。慣れない生活に(狼の遠吠えですら本人には予期せぬ出来事でした)戸惑いながらも同僚や村の人たちの助けもあり、少しずつ村の人間として認められていきます。しかし。村の小学校は生徒数の減少で廃校の危機に。村の学校がなくなれば、日本風に言えば「限界集落」にとどめを刺すことになりかねません。そこで副校長(ヴィルジニア・ラファエレ)とともにあの手この手で(時にはかなり強引な手段で)子供を確保しようと奮闘します。せっかく作った「ハコモノ」が簡単に打ち捨てられたりといった風景は我が国を思わせますし、また校舎にいる時間以外もさまざまな形で拘束され「月給1400ユーロの私たちは新たな労働者階級」と副校長の台詞にあるように、教師という職業がどこの国でも厳しい仕事になっていることをうかがわせるシーンが出てきます。
 廃校を防ごうとする村の人たちもいれば、廃校されて大いに結構、という街の人たちもいます。また、ロシアのウクライナ侵攻によってイタリアに逃れた難民など「現在の」話題も出てきます。学校の生徒たち(実際にロケが行われたアブルッツォの子供たちが出演しています)の方が大人より一枚上手だったりして、そのあたりも物語のスパイスになっています。ラストはなんとなく想像つきましたが、それでも「この人の映画は面白い」という気持ちにさせてくれます。村の人たちの独特のあいさつが日本語で「おう」と聞こえ、なにかユーモラスな感じがしました。豊かな自然の風景にも☆を一つ多めにあげたいですね。


3 「アモーレの最後の夜」
 俳優としても活動しているアンドレア・ディ・ステファノの監督作品。主演は「潜水艦コマンダンテ」のピエルフランチェスコ・ファビーノです。定年まで拳銃を一度も人に対して撃ったことがないのが自慢の警察官アモーレが、在職最後の夜に巻き込まれる事件を軸に描きます。1970年代あたりにあった犯罪映画のようなテイストですが、チャイニーズマフィアが出てくるところが「今風」ではあります。こちらの舞台はミラノですが、やはり高層ビルのシーンなどはミラノでないと撮れないですからね。おまけに黒幕が・・・おっとこれ以上書くとネタバレになるのでやめましょう。監督は作品の取材をするうちに、警察官の給料がその過酷な職務に見合わない薄給であることに気づいたと言います。映画の台詞に「月収1800ユーロ」とありましたので、偽らざるところなのでしょう。

4 「まだ明日がある」
 リカルド・ミラーニ夫人でもあるコメディエンヌ、パオラ・コルテレージの初監督作品。イタリア本国ではハリウッド作品などを抑えての大ヒットだったそうです。作品は終戦直後のローマが舞台です。先に降伏してうまく立ち回ったつもりのイタリアも、結局のところアメリカを「進駐軍」として受け入れ、日本と同様多くの人が貧しかった時代です。モラハラ・パワハラで甲斐性なしの夫(ヴァレリオ・マスタンドレアが好演)に耐え、義父の面倒を見て、さらに自らはパートを掛け持ちして家計を助けるという主人公デリアを監督自身が演じています。この時代、多くの国でそうだったと思いますが、イタリアでも男女の平等は夢物語であり、主人公が経験するように学歴、賃金、さまざまな権利とあらゆるところで格差・不平等がありました。主人公夫婦には三人の子供がいますが、長女は「女だから」という理由で高等教育を受けられません。もっとも、主人公のパート先の上流階級のお屋敷でも「女は口を挟むな」的な会話を主人公が聞いてしまう場面があります。娘にも縁談が来ますが、相手の男が娘に求めるものが結局これまでの男たちと変わらぬことに気づいた主人公は、たまたま知り合った米兵に頼んで、とんでもないことをしてしまうのが、なかなか痛快ではあります。この映画の時代より少しだけ下りますが、どこかの国でも「これ以上理屈っぽくなってどうする」と父親から大学進学を許されず、短大に進んだなんていう女性の話を聞いたことがありますからね。
 そんな主人公のところに、ある日一通の手紙が届きます。そこから彼女の人生が(今の目で見れば小さなことですが)変わっていきます。「手紙」の意味がラストになってようやく明かされますが、私などは「ヤラレタ!」と言いたくなり「パオラ姐さん、やるじゃん」と思いながら、明るくなったホールの席を立ちました。
 この映画、女性の自立、平等といったテーマでもあり、重い内容なのかと思いましたが、きちんとコメディの形を借りており、全編モノクロの画面は終戦直後のネオレアリズモ映画を思わせます。夫の暴力のシーンをあえてミュージカルっぽく撮っているのもこの「監督」らしさかなと思いました。パオラ・コルテレージというと、私などは以前イタリアを訪れた際に見た、ミネラルウォーターのCMに出演していた動きの多い女優さんとして認識していたのですが、デビュー作にして(脚本については夫の作品に共同執筆していますが)たいへん素晴らしい作品を撮りました。イタリアの映画賞である「ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞」でやはり今回の映画祭で公開されていた「僕はキャプテン」と分け合うかののように各賞を受賞し、たくさんのトロフィーを両手で抱えてほほ笑むパオラ・コルテレージ監督の画像がネットに出ていました。コメディの形を借りながらもちゃんと観客に考えさせ、劇場を出るときにはとても明るい気分にさせてくれた本作は、日本でも劇場公開してほしい、たくさんの方に見てほしい作品です。その時には邦題もオリジナルを無視したつまらないものではなく「まだ明日がある」という原題の直訳そのものでも十分と思います。

なお、昨年私がご紹介した「あなたのもとに走る」は今夏に「しあわせのイタリアーノ」という名前で公開されます。こちらもオリジナルとは全く関係ない無粋な邦題で、なんでこういう題名にしたのか理解に苦しみます。原題の方がよほど作品を表しているのに。


 

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