工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

としまえんと防衛博

2020年09月26日 | 工作雑記帳
 1か月ほど前の8月31日で、としまえんが閉園しました。私はどちらかと言えば西武園やユネスコ村にお世話になることが多く、としまえんについては条件が良ければ今の住まいから花火が見えるかな、という程度のつながりでしたが、時に自虐的な、またいつもクスリとさせられる広告を見るのが好きでした。エイプリルフールに合わせて「史上最低の遊園地」という広告を出してみたり、フランス広告界の巨匠サヴィニャックにポスターを依頼するなど、話題に事欠きませんでした。最後の日々にはこれまでの愛顧をストレートに感謝する広告を電車内で流しており、それほどお世話にならなかった私でもぐっと来るものがありました。山手線の外側とはいえ、23区内にこれだけの施設を持つ遊園地がずっと続いていたというのは、それだけ来園者に愛された証拠でしょう。
 個人的な感傷はさておき、昭和41(1966)年の月刊誌モデルアートの創刊号(正確には同誌増刊「モデルスプラスチック’70」に掲載された創刊号の90%縮刷版)を見ておりましたら、その年にとしまえんで開催された「平和のための防衛博」(この項では「防衛博」と略。主催サンケイ新聞社)のレポートが写真とともに掲載されていました。
 この防衛博というのは、昭和30年代、40年代を中心に日本各地の遊園地などで開催されていたイベントで(名前や形を変えて平成に入って以降も開催されていたようです)、自衛隊の戦車などの車輛、航空機、艦艇の装備品が展示されたほか、航空機のデモフライトや戦車の体験搭乗といったことも行われていたようで、ブルーインパルスが会場上空に飛来したこともあるようです。この時代の自衛隊はまだ、現在ほど世の中に受け入れられていない時代でしたので、世間への理解も含めてイベントが必要だったのでしょう。また、今ほどコンベンションセンターが各地に存在する時代ではありませんでしたので、広いスペースを確保するとなると遊園地は好適だったのかもしれません。としまえんの他にも、関東では横浜ドリームランドや向ヶ丘遊園、関西では奈良のあやめ池遊園地などで開催されたという記録が残っています。
 としまえんの防衛博ですが、前述のモデルアート創刊号では昭和41年10月1日から11月27日まで開催されたとあります。掲載の写真によると陸上自衛隊からは当時最新の戦車だった61式戦車や60式自走無反動砲、155ミリ加農砲、8インチ榴弾砲などが展示されていました。また、自衛隊の装備だけではなく、戦艦「大和」の砲弾のレプリカ、レストアされた零戦52型、飛燕といった戦闘機も展示されていました。零戦ですが、昭和38年(1963年)にグアムから里帰りした機体と思われ、各地で展示された後に航空自衛隊浜松基地で保存され、現在では基地に隣接する浜松広報館(バンバイア練習機の記事で何度か登場しましたが)の天井からつるされていますので、誰でも見学可能です。飛燕については日本に唯一現存する二型であり、戦後米軍に接収されていたものが日本航空協会に譲渡され、航空自衛隊岐阜基地、知覧特攻平和会館を経て、現在はかがみがはら航空宇宙博物館で展示されています。先日「ハートの問題」というシリーズで飛燕の実機写真を紹介しておりますが、まさにあの機体です。
 私の手元にある「ブルーインパルス50年の軌跡」(文林堂)によれば、防衛博初日の10月1日にはブルーインパルスが飛来したという記録が記載されています。この年7月の新潟、前年3月の松山でも防衛博でフライトを行ったという記録があるほか、昭和41年5月に横浜でもフライトを行っており、この時期にドリームランドで開催された防衛博と関連がありそうです。
 さて、としまえんの防衛博、私の手元にこんな関連の品がございます。

 防衛博を記念して西武鉄道が販売した記念乗車券です。乗車券を取り巻いているのは左から時計回りに60式自走無反動砲、61式戦車(ワールドタンクミュージアム)、Nゲージの西武701系(カトー)、三式戦闘機飛燕(ミニクラフト)、零戦52型甲(SWEET)ということで、1/144または1/150の製品です。駅名のキーホルダーは「赤い電車」の製品です(こちらは現代の駅名標ですが)。昔の陸自の装備と言えば日の丸をつけた姿、というイメージがあり、その仕様です。カトーの701系は会場への足と言うイメージで登場していただいたのですが、製品にも「豊島園」の行先表示が入っています。ミニクラフトの飛燕はおそらく昔のクラウンあたりの製品だと思われます。一型なのか二型なのか、甲乙丙丁のサブタイプすらも分かりませんが、ミニクラフト製品はカルトグラフのデカールがおごられています。何かの折に気の迷いからか購入して、そのまま棚の肥やしでありました。現代の食玩等とは比較するのも酷ですが、この企画のために登場いただいた次第です。零戦52型甲のマーキングは浜松で保存されている機体そのものです。そんなわけで我が家のリビングテーブルで防衛博という感じになりました。
 この年には11月上旬に入間基地で第一回国際航空宇宙ショーが開催されました。次にお目にかける写真の左側がその記念乗車券です。

 周囲の飛行機ですがF104J(プラッツ)、F86F、同ブルーインパルス(モノクローム)で、当時の主力戦闘機です。ノーマルのF86Fのマークは入間基地の第9飛行隊のものですが、同隊は航空ショーが開催された前年には解隊されています。
 これらの記念乗車券ですが、券面には私鉄でも「二等」という表記があるのが興味深いです。また、これらの記念乗車券については本ブログにたびたび登場する沿線在住ベテランモデラー氏のご厚意でいただいたものです。この場を借りて御礼申し上げます。
 
 さて、今年に入ってから東急東横店の閉店、としまえんの閉園、さらには9月末には新宿のメトロ食堂街やメトロプロムナードの閉店も予定されています。私が子供の頃から当たり前にあった東京の風景が次々と姿を消していくのは、やはり寂しいものがあります。
 
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