工作台の休日

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祝!  モナコ生まれのドライバーのモナコGP優勝

2024年06月05日 | 自動車、モータースポーツ
 先日開催されたF1モナコGPで、フェラーリに乗るシャルル・ルクレールが優勝しました。ルクレールはモナコ生まれ(当然モナコ国籍です)ということで、地元GPの優勝となりました。レースそのものは1周目に複数個所で大きなクラッシュがあって中断、再スタートといった波乱もありましたが、ルクレールは混乱をよそにレースをリードし、見事に優勝を飾りました。2位にマクラーレンのピアストリ、3位にフェラーリのチームメイト、サインツが上がるということで、久々にレッドブルがいない表彰台となりました。フェラーリとマクラーレンで占めたモナコなんて、昔の「セナ・プロ」時代のようですが、そのマクラーレンはセナ没後30年に合わせ「モナコ・マイスター」セナをトリビュートしたブラジルカラーのマシンでレースに臨みました。表彰台に立てて、大先輩を称えることができたかな。ルクレールに関しては何度も挑戦するもいいところが無かったり、思わぬ形でレースを諦めたりと、地元優勝に向けた挑戦は試練の連続でしたので、モナコ初優勝にはライバルたちも素直に称えていましたし、感極まっているオフィシャルもいました。さらには表彰式でロイヤルファミリーも大喜び。大公も一緒にシャンパンを開けてラッパ飲み(現大公は以前にも表彰式でラッパ飲みをしており、なかなか茶目っ気のある方です)している姿が映し出されておりました。モナコに住んでいるF1ドライバーはいても、モナコ生まれとなりますと数えるほどで、そこで優勝ですから大公のみならず多くのファンが喜ぶのも当然でしょう。
 以前もご紹介しましたがモナコGPは戦前から開催されている歴史あるレースで、第一回は1929(昭和4)年に開催されました。F1・世界選手権が始まったのが1950(昭和25)年ですから歴史を感じます。モナコ生まれ・モナコ国籍のドライバーがモナコGPを制したのは1931(昭和6)年にもありました。ルイ・シロンというドライバーが優勝しています。このころはまだドイツ勢が席巻する前夜でしたので、ブガッティやアルファロメオといったあたりが活躍していました。ルイ・シロンは1899年(19世紀ですよ!)生まれで、第一次世界大戦ではフランス軍のフォッシュ元帥(フランス海軍の空母の名前にもなっていましたが)の運転手を務めたこともあります。シロンは第二次大戦を挟んで戦後もレースに出走しています。1950年のF1初年度のモナコでなんと3位に入る活躍を見せます。実に50歳での快挙です。現在活躍中のF1ドライバー、フェルナンド・アロンソはこの記事を書いている時点で42歳ということで、40代の選手が近年では稀ですからいろいろと注目を集める存在ですが、あの時代の50歳というのは、今よりももっと「お年寄り」に感じられるのではと思います。余談ですがちょうどこの時のモナコと同じ昭和25年5月、日本ではプロ野球の阪急で浜崎真二投手が48歳で勝利投手となっていて、こちらも今なら果たしていくつくらいかな、と思います。この年のモナコも今年と同じで1周目に多重事故がありました。
 その後もシロンは1958年までモナコGPにエントリーしており(当時はマシンも含めた「スポット参戦」が自由な時代でした)、1955年には6位に入っています(この時代は5位までが入賞でした)。
 さて、1950年のモナコについては、5位にアジア人初のF1ドライバーだったタイの「B.ビラ」王子も入賞しています。戦前に英国に留学した際にレースと出会い、戦後にかけて活躍したドライバーでした。戦中はタイ王室の一員としてイギリスとの関係を深める役目も担っていたそうですが、エキゾチックな顔立ちのレーサーは西欧でも珍しく、人気だったそうです。
 モナコ人のドライバーというと小さな国ゆえ本当に少なく、90年代にオリビエ・ベレッタという選手がいましたが、1994年に当時決して上位に進むのが容易ではなかったラルースのマシンを駆り、8位に入っています。ラッツェンバーガー、セナの事故死、さらにはヴェンドリンガーの大事故という重い空気の中のモナコでしたが、地の利を生かしての走りでした。
 今回のモナコでもルクレールの優勝、タイ国籍のアルボンが9位ということで、モナコ、タイの国籍のドライバーがモナコで揃って入賞というのが54年ぶりということで、それも珍しい記録かもしれません。また、日本の角田が8位ということで、アジア系が二人入賞というのも、そもそもアジア系は少数勢力なので珍しい記録です。スクーデリア・フェラーリのSNSなどでもこの1-3フィニッシュの週末が様々な形で紹介されました。このところサインツに押され気味だったルクレールの優勝で、ちょっとはずみがついて「レッドブル無双」だったこのところのF1を面白くする存在になったら、と期待しています。
 地元GPに強いドライバーやなかなか勝てないドライバーもいて、そこがレースの難しいところだったり、だいご味だったりするのですが、「モナコ・マイスター」のセナも母国ブラジルではなかなか勝てず、1991年の初優勝もきわどい勝利でした。逆にナイジェル・マンセルのようにイギリスGPを得意としたドライバーもいました。日本GPでもいつの日か日本人が表彰台の頂点に立つ日が来たら・・・と願っています。

(モナコで優勝したルクレール。日本にもファンが多いです。あと10年くらいしたらプロストみたいに渋いドライバーに・・・なんてね)


(右から2人目がタイ国籍のアルボンです)



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