工作台の休日

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特急用客車の光と影 スハ44系客車の本

2024年06月14日 | 鉄道・鉄道模型
 ネコ・パブリッシングの「RM LIBRARY」は毎号ワンテーマを深く掘り下げて、特定の型式、路線、ときには「工場」まで紹介しているシリーズです。私もこのシリーズは実物への理解、模型の資料と重宝しているのですが、最新の287号は「スハ44系客車の履歴書」(和田 洋著)というテーマで、気になるテーマだったものですから購入いたしました。

 スハ44系は戦後の特急運転再開から少し遅れはしましたが、特急専用の座席客車として新造されました。スハ44、スハ44に車掌室をつけたスハフ43、車体の一部を荷物室にしたスハニ35がそのグループに属します。小さな窓がたくさん並んだ姿は壮観ですが、当時の3等座席車としては特異な立ち位置にありました。というのも、当時の東海道線の特急「つばめ」、「はと」に連結するためにボックス席ではなく2人掛けのクロスシートがずらりと並び、しかも固定されておりました(後に回転するように改造されましたが)。足元も少しゆったりしており、また背もたれもやや角度がついていましたので、通常の3等よりもワンランク上の「特ハ」という呼称も部内ではあったようです(飛行機のプレミアムエコノミーみたいですね)。座席の進行方向を固定していたというのは、当時の特急は機関車のすぐ後ろに荷物室を持った車輌がつき、3等車、2等車、食堂車・・・とつづき最後尾は展望車となっており、終着駅に着くと三角線を使って回送して向きを変えて上り列車でも最後尾に展望車が来るような運用をとっていたことによるものです。この特急の編成の美しさ、と言っても良いと思いますが、それを構成する車輌としてスハニ35、スハ44はマッチしていて、小さな窓が並ぶ姿がより「特別な列車」であることを際立たせていました。
 スハ44については東海道路の特急として、さらには山陽路の「かもめ」に使われ、その後は常磐線・東北本線の「はつかり」に、後には急行列車に併結されて・・・というくらいの知識でおりましたが、それだけではないさまざまな運用の記録が、豊富な編成の記録とともに紹介されていて興味深かったです。どれも模型で再現してみたいですね。
 特急専用として製造されたがゆえに、特急の電車化などで活躍の場がなくなってからの方が実にさまざまな列車に組み込まれています。また、スハニ35については初めから東北に配属されたグループもあって、ローカル列車に組み込まれて走る姿は意外でした。さらに、本書では昭和30年代に運転された団体観光列車として使用されたスハ44系についても触れており、青15号と車体裾にクリーム色の帯を巻いた塗装についても解説があります。
 スハ44は昭和40年代から東海道線の夜行急行に組み込まれており、寝台車の後ろに連なる姿はさしずめ夜行バス的な感じですが、硬くて直角の座席を持つ座席車よりは幾分快適だったことでしょう。こうした優等列車だけでなく、末期には四国でローカル運用にもついており、座席についてもボックスシート化されてしまったものがありました。最後に残ったスハフ43も昭和61年に型式消滅ということで、国鉄の最後まで見届けたような感がありますが、大井川鉄道で保存されております。知っているようで知らない話も多く、楽しみながら勉強させていただいた一冊でした。そうそう、私も「さくら」の青大将時代を作らないと。

 特急用の客車で座席車となりますと、20系寝台車のグループにはナハ20、ナロ20といった座席車もありましたし、波動用ではありますが14系座席車というのも走っていました。電車化、気動車化が進んで「客車特急」は寝台特急を除くと早いうちから珍しいものになりましたが、それゆえに模型では多少のifもあり、ということで20系の座席車で組んだ昼行特急とか、14系座席車に本来なかったグリーン車や食堂車をつけて楽しんでおります。そのあたりのお話はまたいずれ・・・。
 ともあれ、本来の「花形」運用の期間より、さまざまな列車に組み込まれることが長かった形式ではありますが、どの列車でも存在感を放っているように見えます。そこは「元」スターの矜持なのか、どんな場所でも置かれた場所で咲くことができるこの形式の特性だったのかは分かりませんが、模型でもそのさまざまな塗装とともにこの形式が入った編成で楽しみたいものです。

(茶色時代・カトーの「つばめ」セットより)


(青大将時代・カトーの「はと」セットより)



(特急「はつかり」仕様。右からスハニ35、スハフ43、スハ44。スハフにはテールマークがありました)

 
 
 

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