工作台の休日

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それぞれの、9月2日

2022年09月02日 | 工作雑記帳
 今日、9月2日は昭和20年に東京湾上の米戦艦ミズーリの上で日本が降伏文書に署名し、第二次世界大戦が書類の上でも正式に終結した日となっています。勝者となった米軍の軍人たちにはこんな形で9月2日を迎えた人もいるのではないでしょうか。多くが戦場では無名の存在です。多少の想像を加えて書いてみました。
ケース1 チャールズ・デニス・プチンスキーは陸軍航空隊に所属し、B-29の銃手でした。グアムから日本本土に26回出撃(うち偵察任務5回)し、終戦を迎えました。メッサーシュミットのような形をしたTONY(三式戦闘機飛燕)、サンダーボルトのようなTOJO(二式戦闘機鐘馗)、ずんぐりしたJACK(雷電)と対決し、地上からの砲撃に耐え忍ぶ日々も終わりました。これで本国に帰れるとほっとしていたかもしれません。でも、帰ったら何をしよう?もうペンシルバニアの炭鉱で働くのはごめんだからな。
ケース2 リチャード・ジェイコプソンは米陸軍におり、生まれ故郷に近いニューヨーク州で乗馬の教官をしていました。志願していたパイロットにはなれなかったものの、傷痍軍人のリハビリプログラムを作成したり、前線に出なくとも求められる仕事をしていました。彼の戦争も終わりました。恵まれた身体能力を活かした仕事に就きたい、と漠然と思っていたのかもしれません。
ケース3 リチャード・ピーポディは米海軍の電信技術者でした。この戦争は電子技術が本格的に使われるようになった最初の大きな戦争で、17歳で入隊してから終戦を迎えたときには自らの仕事が勝利に貢献できたと思っていたかもしれません。そして、自分は有名になりたいのだけど、海軍の技師で有名になった人はいないな・・・と気づき始めていたかもしれません。
ケース4 エルメス・エフロン・ボルニーニョはコネチカット州出身で、名前のとおりイタリア系移民をルーツに持っていました。一度は海軍を退くも、真珠湾攻撃で再度志願して、大西洋沿岸で対潜哨戒用の艦艇に乗り、ドイツ軍などの動きを監視していました。海軍暮らしは足掛け10年となっており、下士官になっていました。
ケース5 ラモント・ウォルトマン・マーヴィン・Jrは海兵隊員でした。サイパンの戦いで機銃と狙撃手からの狙撃で負傷し、除隊します。9月2日には既に故郷ニューヨークで配管工の見習いの仕事を始めていたころでしょうか。仕事はこれからたくさんあるだろう・・・。
ケース6 ジョン・ドノバン・キャノンは陸軍にいました。故郷のアイダホからニューヨークに出てきて演劇の勉強を始めていましたが、他の若者と同様、兵役に就いていました。何かと威張る上官やさまざまな出身地からやってきた戦友たちとの交流が、演技に活かされたかもしれません。
ケース7 アリストテレス・サバラスは陸軍の医療部隊で訓練を受けていた際に事故で負傷し、軍を退いていました。9月2日時点ではコロンビア大学で心理学を学ぶ学生でした。
ケース8 ウィリアム・デニス・ウィーバーは海軍にいました。F4Fワイルドキャットのパイロットとして終戦を迎えます。生きて帰れることができたから、幼馴染と結婚ができる、と思っていたことでしょう。
ケース9 ジョン・ユーラー・レモン三世は演劇に親しむ学生でしたが、海軍士官が不足する中、大学生の士官訓練プログラムに参加していた一人で、エセックス級空母「レイク・シャンプレイン」乗り組みでした。この空母は1945年6月に竣功、戦場に赴くことがなく終戦を迎えています。

この人たちのその後です。
ケース1 戦後いろいろな職業を経て役者になりますが、赤狩りでロシア風の名前では仕事が来ないと言われ、チャールズ・ブロンソンに改名します。銃手の仕事が役者稼業に活かされたかどうかは分かりませんが、X-15のパイロット役も演じています。
ケース2 彼がたどりついたのも演劇の道でした。さまざまなアルバイトなどを経てリック・ジェイソンの名でテレビシリーズ「コンバット!」のヘンリー少尉役で人気を博すのはこの十数年後です。
ケース3 彼は除隊後、大学の電気工学課程から文学課程に移り、後に映画製作などの仕事に職を得ます。やがて自らが出演する側となり、ローカル局のニュースキャスターを務めたこともありましたが、基本は製作サイドの人間で、ラジオCMのプロダクションも持っていました。さまざまな偶然がきっかけで、彼は「コンバット!」の大男、リトル・ジョンを演じました。
ケース4 退役後に演劇学校に進んだ彼は、1950年代から活躍し、亡くなる2012年まで生涯役者として現役でした。テレビシリーズのエアーウルフにも出演していたアーネスト・ボーグナインです。
ケース5 彼は配管工の仕事をしているときに仲間から舞台の出演に誘われ、結局それが天職となりました。リー・マーヴィンの名で、オスカー受賞俳優にもなっています。
ケース6 彼はJ.Dキャノンの名でテレビ映画などで活躍しました。日本では警部マクロードの上司役で覚えている方も多いでしょう。
ケース7 後にテリー・サバラスの名前で活躍します。ニューヨーク市警怒りの用心棒、刑事コジャックです。
ケース8 デニス・ウィーバーは警部マクロードで、またスピルバーグの「激突」でも有名です。
ケース9 コメディ役者、ジャック・レモンのことです。戦地には赴きませんでしたが「ミスタア・ロバーツ」、「南太平洋ボロ船作戦」で海軍軍人役を演じています。

 さて、未来のハリウッドのスターたちの9月2日を想像を交えて書きましたが、ミズーリの艦上にはこの戦争を戦い抜いた海軍の将官がいました。彼はキング提督の「子飼い」として頭角を現すも、戦闘そのものより台風などの気象災害で損害を出したことで責任を問われます。休養という事実上の更迭を言い渡され、失意の中で降伏文書の調印を見守っていたかもしれません。同じく海軍の道に進んだ息子とも日本で再会、この後はアメリカに空路で帰国することになっていました。9歳の誕生日を迎えたばかりの孫に会えるのを楽しみにしていたことでしょう。この将官の名をジョン・S・マケイン・シニアと言い、孫のジョン・S・マケイン3世はやはり海軍に進み、その後は共和党の議員として大統領選挙に立候補することになります。



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