工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

「教授」のインタビューを読んでいたらあの日々を思い出した

2023年06月21日 | 日記
 ごぶさたしていました。このことろは仕事以外は普段あまり作っていないジャンルの模型にちょっと足をつっこんでいたり、豚児と飛行機を観に行ったり、さらにはライブに出向いたりなんていう日々でした。模型誌も古書で掘り出し物があって、懐かしく読んだり(実家で兄が愛蔵しているのですが、私も手元に置きたくなったのです)と、結局PCに向き合う機会があまりなかったというわけです。模型の方はブログでもご紹介しますので、期待しないで待っていてください。

 今日は模型と違う話を少し。今年に入ってから、YMOで活躍された高橋幸宏さん、坂本龍一さんが亡くなり、私もとても悲しい気持ちになったのと、自分の中の1980年代がだいぶ遠くに行ってしまった、という感覚がいたしました。坂本龍一さんについては昨年末にNHKで「これが最後の演奏になるかも」という触れ込みで特番が放映されましたし、図らずも「追悼特集」となってしまった芸術新潮や、本人へのインタビュー集の「音楽は自由にする」が文庫になり、これらの書籍は私も買いました。「音楽は自由にする」についてはとても興味深い本でして、稿を改めて感想を書きたいと思っているのですが、読んでいく中で本題の音楽と関係ないことで思い出したことがあって・・・というのが今日のテーマです。
 本書の中で「俳優」坂本龍一としての活動も当然語られておりまして「戦場のメリークリスマス」、「ラストエンペラー」についてはご覧になった方も多いでしょう。「ラストエンペラー」の撮影中のひとこまということで、甘粕大尉を演じた「教授」の隣に溥儀帝の妃を演じたジョアン・チェンが立っている写真がありました。ジョアン・チェンについては、この映画と関係ないところで思い出したことがありました。
 平成の初めころ、私は昼間は大学に通いながら、夜は週に何日か中国語の学校に通っておりました。生徒は私のような学生から社会人までさまざまでした。ちょうど天安門事件があった頃で、中国と海外の関係も今とは別の形で緊張感が高まっていた時期でもあります。学校で使うテキストは本だけではなく、ビデオの教材もありました。あの頃の中国は「四つの近代化」の時代で、まだまだ途上国ではありつつも、どうにかみんなご飯にありつけるような状態でして、映像教材の出来も頑張って作っている感はありましたが、それなりの出来でした(テレビ放送についてもNHKがアジア各国に技術指導をしていた時代でした)。この教材では各課ともドラマっぽい展開の後、キーフレーズを改めて若い女優さんが読みあげていました。スタジオで撮られている映像なのですが、なぜかその女優さんの髪が風で揺れていることが多く、扇風機で風を送りながら撮っているのか、それとも単なる演出なのかは謎で、クラスの中ではこの女優さんは「風に吹かれる女」とあだ名されていました。
 なんとも独特なテイストの教材だったものですから、みんな変な愛着を持っていました。授業の時に誰かが「天安門事件で大変な状況だけど、あのビデオに出演している役者さんとか、風に吹かれる女は無事かなあ」みたいな話になりました。特に天安門事件直後は、軍もさまざまな動きをしていて「もしやクーデターとか、軍同士の衝突があるのでは」とも報じられていたからです。すると先生が「ああ、あの女優さんはラストエンペラーで溥儀の妃を演じた人で、アメリカに渡って向こうで暮らしているよ」と答えたので、みんなが一様に驚きました。この驚きには中国を代表する女優さんが語学の教材ビデオに出演されている、というのと、アメリカで暮らしているという両方に対してのものであるわけですが。「アメリカに渡った」というのが「うまいこと中国を抜け出したな」という感じに聞こえました。昔は中国語の教材に、彼の地でも有名な俳優さんが出演されていたこともあり、自国の言葉を教える教材に出演するということで、俳優さんにとっても名誉なことだったのでしょう。
 何年か前、日本国内で泊まっていたホテルで中国語の放送が入るテレビがありました。なんとなく観ていたら中国語の語学番組のようなものをやっていて、あの頃の独特なテイストではなく、明るいスタジオでポップな感じの装飾の中で番組が展開し、女優さんが風に吹かれたりもしていませんでした。時代の流れを感じました。
 
 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする