【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

心の雨宿り Ⅱ

2009-04-25 15:37:57 | 心の宝石箱


       今日は生憎の空模様になりました。
      この季節には珍しい大粒の雨。
      その雨音で目覚めました。

       晴れたら出掛けるつもりだったのですが、
      それはそれで、何だかほっとしている私がいます。

       晴耕雨読とでも言いましょうか・・。
      雨の日は家の中で読書でもして、のんびり過ごすのも良いかも知れません。

     それに、まだまだ肌寒い位ですから、“雨の日キャンドル” も、
    大丈夫ですものね。火が恋しいですもの。



     そうそう先日友人から貰った、竹本聖著 『ありがとうの本』 は、
    詩集ですから、あれからほどなく読む事が出来ました。
    心が、ほんわか温かくなる本でした。

     この本は、世の中全てが “ありがとう” で、満ち溢れている事に、
    気付かされます。そうなんですよね。

   物事の考え方、捉え方、受け止め方一つで・・どちらにだって転ぶのです。
  それならば、“ありがとう” と思えるようになりたい・・。~なんて。
  とは言っても、これがなかなか難しいのですが・・。

   そんな訳で・・。本棚から取り出したのは、ただ “積ん読” だけであった、
  渡辺淳一著 『風のように・贅を尽くす』、エッセイです。

   何と初版本ではありませんか。
  小説ではありませんので、求めてはみたものの、その時は興味がなくて、
  そのままになってしまったようです。もう9年も前なのですね。

   でも、まだまだそんな本が沢山・・。
  それどころか、ダブって買い求めているものも・・。

   今でしたら、この帯に書かれています、文章にも大層、惹かれますのに・・。
  そして私は勿論、音読です。

   この音読に関しましても、島崎藤村の次のような言葉を見つけました。
  渡辺淳一のそれと共に、次に並記しますね。


 “この所、年に3、4回、外国へ行っているが、
帰って来る度に感じる、どよんとした感じ。
 この日本という国全体を覆っている、何か淀んで、
気怠いげな雰囲気の事である―― ~渡辺 淳一”       

 “優れた人の書いた文章は、それを黙読、
翫味がんみするだけでなく、時には心ゆくばかり声を上げて
読んでみたい。
 我々は、あまりにも黙読に慣れ過ぎた。
文章を音読する事は、愛なくては叶わぬ事だ。
                     ~島崎 藤村”

   ふと明るくなりましたので、外を見ましたら・・。
  まだ降ってはいますが、いつの間にか雨は静かな霧雨になっています。
  もうすぐ上がりそうです・・。