第1003夜 酒の呑み方について1

2009-08-18 22:55:56 | その他
2009.8.18(火)

今日は少し早めに帰宅できたので、晩酌などをちびりちびりとやって、ついつい永くなってしまった。

こういう風に書くと、私の先輩のHさんなどは、『今日は自宅で一気に呑んだ。ビール少々と酒3合で完全に酔っ払って9時過ぎには寝た』と返ってきそうである。最近酒に弱くなったと嘆いておられるが、ビール少々というのも曲者である。

昔の関取は(今ほど取り組みが多く無かった時代であるが)1升2升はまだ呑んだ内には入らなかったそうである。少し舐めた程度であるということらしい。ある時、1斗樽を3人で空け、それから両手に1升瓶を持って芝居小屋に行ったと言うから、1人あたり5升以上呑んだことになる。まあこういった話は別格であるが。

太古の昔は、酒を呑むのは祭り(祀り)の時に限られていたようである。

酒は昔はキとかミキとか言われていた。今でも神社などでは酒のことをお神酒(オミキ)と言うが、これは日本だけではなくて、欧米諸国でも同様の意味で使われているらしい。つまり、酒=霊ということになるらしい。嘗て酒は、神と人との交わりを円滑にするものであったのだ。神に対する人の心の中にある邪魔なものを取り払って、神と裸で接するものであり、酔って陶然とした境地に入ることによって、神がかりになることを容易くしたということらしい。だから酒=霊なのだ。

と言うことは酒を呑んで酔っ払うと神に近づけるのか。まさかそんなことは無いだろう。大酒を呑んで神に近付いたという話は聞いたことが無い。尤も、急性アルコール中毒で神に近付いた人はいるだろうが。そこで神を他人に置き換えてみると意味が少しは通じてくる。一緒に飲んでいる他人をより深く理解できると言うことかも知れない。だから、呑んで他人に迷惑を掛けたり、気持ちを傷付けたりすることはタブーといえる。

酒は祭り(祀り)の時に呑むという趣旨からすると、1人でちびちびと晩酌すると言うことは、酒の呑み方に反しているということになる。酒好きの人でも絶対に家で晩酌はしないという人が時々おられるが、これらの方々は的を得た呑み方をされているということになる。

吉田兼好(だったと思うが違うかも知れない)は自分の著書の中で、『酒は百薬の長と言われるが、万病のもとでもある』(吉行淳之介訳)と説いている。彼は決して酒が嫌いだっと言う訳ではないようだが、他人と交わって呑むのが嫌いだったようである。酒で他人が豹変するのを見ることが嫌だったのである。従って彼は晩酌を毎晩1人でやっていたようであるが、薬よりも病の方が100倍も強いと言うのも面白い。彼はきっと天邪鬼だったように思われる。

【8月18日過去の釣行記録】
・2008年粭島小瀬戸、19:00~21:30、中潮、釣果=チヌ1・アジ10

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コメント
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